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【講義】「『法と経済』からみた中央銀行」

東京大学法学部における講義

日本銀行総裁 白川 方明
2009年10月21日

 PDF(1,016KB)版は、こちらをご覧下さい。

 英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

1.はじめに

 日本銀行の白川です。私は、今日、この法学部の教壇に立っていますが、随分と遠回りをして、この教室にいるような気がしています。と申しますのは、私は、1968年に大学に入学した際には、法学部進学のコースに属していたのですが、どうしても法律に興味を持てずに、経済学部に進みました。したがって、学生時代には一度も法学部の教室に足を踏み入れたことはありませんでした。それだけに、それからほぼ40年を経て、この場にいるということには、非常に感慨深いものがあります。

 ただ、物理的にはともかく、私自身の意識の中では、もう少し前から、法律の世界に入っていたようにも感じています。日本銀行の仕事は、学問分野で言えば経済学を使うことが多いというイメージだと思いますが、法律の知識やいわゆるリーガルマインドを必要とする仕事もたくさんあります。私自身、現在の職務に就く前の34年余りの日本銀行での生活の中で、金融政策や調査・研究のほか、金融市場や決済システム、金融機関の破綻処理など、様々な仕事を経験しましたが、その際、経済学だけでなく、法律の知識の必要性を痛感しました。そこで、本日は、「法と経済」という観点から、中央銀行の役割について、お話したいと思います。

 最初に、ごく抽象的に日本銀行の使命、役割を説明します。言うまでもなく、日本銀行は、日本でただ一つの中央銀行です。中央銀行の仕事を一言で表現しようとすれば、「お金を発行し、そのお金を人々が安心して使えるようにすること」です。皆さんに一番身近なお金は、お札、すなわち、「日本銀行券」だと思いますが、日本銀行はこのお札を発行している組織です(図表1)。「日本銀行券」の額面価値は、素材としての製造コストをはるかに上回っています1。しかし、それにもかかわらず、誰も今財布に入っている1万円がただの紙切れになるのではないかと不安になったり、お店で受け取ってもらえないかもしれないと心配することはないと思います。銀行券は最も典型的なお金ですが、金額として遥かに大きいのは皆さんが銀行に預けているお金、銀行預金です(前出図表1)。預金は預金者と銀行との間の私法上の契約によって成り立っています。この預金についても、通常はこれが契約通り返してくれないとか、無価値になるかもしれないと心配をすることはないでしょう。現金や預金という「お金」は、経済活動には不可欠の存在です。「お金」を受け取ってもらえないとか、価値がなくなってしまうかもしれないと心配しながらでは、経済活動は成り立ちません。人々が安心してお金を使えるようにする、そのことによって、経済の発展に貢献するというのが、中央銀行の最も基本的な仕事です。

  1. 1  日本銀行『平成20年度業務概況書』参照(本ホームページに掲載)。以下、日本銀行の報告書・講演・文書については、本ホームページでご覧になれます(一部、日本銀行金融研究所のホームページに掲載しているものはその旨明記してあります)。

2.グローバルな金融危機の経験

 今申し上げた中央銀行の仕事をもう少し具体的にお話しましょう。ここでは、教材として、昨年9月のリーマン・ブラザーズ証券の破綻以降の世界的な金融・経済危機を取り上げたいと思います2。昨年秋以降、世界の経済活動は極めて急激かつ大幅に落ち込み、世界貿易も急速に縮小しました(図表2)。このような事態は1930年代を最後に経験のないものでした。ごく最近になって、経済活動は持ち直してきましたが、それでも、現在の経済活動の水準は昨年を大幅に下回っています。

 このようなことがなぜ起こったのでしょうか。2000年代半ばにかけて、世界経済は、長い間、高い成長、低いインフレ率、低金利という良好な経済状態を謳歌していました。その結果、人々は、先行きに対して強気になり、積極的にリスクを取って、不動産など様々な分野で投資を行うようになりました。いわゆるバブルです。現在起きていることは、この「行き過ぎ」が巻き戻されていく過程、「バブル」の崩壊過程です。

 米国では、ずっと上がり続けてきた住宅価格が、2006年の第2四半期をピークに下落に転じました。すると、それまで住宅価格が上がることを見込んで住宅ローンを借りていた人たちが返済できなくなりました。住宅ローンは貸した銀行がそのまま持っているだけでなく、たくさん集めて証券を作り、別の金融機関や投資家に販売していました。これを「証券化商品」と呼びます(図表3)。証券化商品は、ローンを集めたプールから生じる利息や元本返済の分配を受け取る順位によって、いくつかの層に分けて発行することで、優先順位の高い証券では高い格付けを取得していました。しかし、住宅価格が下落し想定していたより多くの住宅ローンの返済が滞るようになった結果、そうした高い格付けのものも含めて、証券化商品の価格は大きく下がりました。このため、そうした証券を大量に保有していた金融機関も大きな損失を計上することになりました。このような状況の下で、世界でも有数の金融機関が少なからず経営危機に瀕し、2008年9月には、リーマン・ブラザーズ証券が倒産手続きに入りました。

 金融機関同士は様々な取引を行っており、多くの債権債務関係が積み重なっています。リーマン・ブラザーズ以外の金融機関も、程度の違いはあっても、損失を抱えていたので、金融機関は、お互いに取引の相手が倒産しないかと、疑心暗鬼になりました。こうなると、金融機関同士が、市場で資金の貸し借りをすることを躊躇するようになります。また、貸すにしても高い金利でないと貸さないということが起こりました(図表4)。

 その結果、金融機関は、必要な資金を市場で借りられないかもしれないと不安に思うようになり、企業や個人に資金を貸すことに慎重になりました。例えば、企業が短期の資金を調達するために発行しているコマーシャル・ペーパー(CP)は、金融機関が買ってくれなくなったため、発行できる額が減り、金利も上がりました(図表5)。CPの買い手の中には、証券化商品を含めて多様な商品に投資をしていた、MMFなどの投資信託もあります。彼らは、出資者からの引き出しに備えて、CPへの投資を手控えました。このことも、CP市場には打撃になりました。今回の危機の震源地である証券化商品は、もともと価格が下がって買い手がない上、金融機関が損失を抱えて、リスクを取る余力もないため、取引量の減少は激しく、新たに発行するための金利はとても高いものになりました(図表6)。

 こうした現象の本質を一言で言うとすれば、「信頼の崩壊」です。金融取引は、信頼で成り立っています。単純な売買契約を考えても、様々なリスクが存在します。まず第1に、相手がしっかりとした財務内容を持ち倒産することはないかどうかという信用リスクが挙げられます。第2に、買い手が支払いに必要な資金を確保できるかどうかという流動性リスクが挙げられます。第3に、契約の条件どおりに商品や代金を引き渡す、つまり取りはぐれたりすることなく、決済できるかどうかという決済リスクが挙げられます。こうしたリスクが大きいと感じると、危なくて取引関係を結べません。特に、金融取引は、金額が大きく、内容も複雑なことが多いので、金融機関が、こうしたリスクを強く意識するようになると、通常のようには取引をできなくなってしまいます。金融取引が滞ると、企業や個人の経済活動にとって必要な資金が、行き渡らなくなり、経済活動はさらに停滞することになります。

 このように、今回のグローバルな金融・経済危機では、「行き過ぎ」の巻き戻しの過程で、金融に一番大切な信頼が崩壊しました。その結果、お金の流れが止まったため、経済がさらに悪化し、危機は大変厳しいものとなりました。

  1. 2  今回の世界的な金融危機の原因については、『ジャパン・ソサエティNYにおける白川総裁講演(4月23日)の邦訳「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応」』(2009年4月)参照。

3.日本銀行の行った措置

 金融機関同士は、様々な取引を通じて、国際的に結びついていますし、経済も貿易取引や投資などを通じてグローバル化していますので、米国発の危機は瞬く間に世界に広がっていきました。日本の金融機関はそれほど証券化商品を持っていたわけではありませんが、こうした世界の経済・金融の相互関係の中で、日本も大きな影響を受けました。グローバルな危機に直面して、日本銀行は様々な措置を採りました。ここでは、その中でも特に重要な4つの措置について説明します3

  1. 3  今回の金融危機において日本銀行が採用した政策措置については、日本銀行『今次金融危機局面において日本銀行が講じてきた政策』を、また主要中央銀行が採用した政策措置については、日本銀行企画局『今次金融経済危機における主要中央銀行の政策運営について』(2009年7月)参照。

政策金利の引き下げ

 第1は、先ほど述べた銀行間の金利を0.1%という低い水準まで引き下げたことです。中央銀行は、経済や物価が長い目でみて安定するように、先行きを予測しながら、短期金利を引き上げたり、引き下げたりします。これは通常、教科書で金融政策と呼ばれているものです4。今回は世界的な経済活動の落ち込みに対して、各国の中央銀行は、短期金利の引き下げを行い、「ゼロ金利」という言葉で表現されるような状態にまで金利を引き下げました(図表7)。

  1. 4  ただし、金融政策をどのように定義すべきかについては様々な論点があります。この点については、『日本銀行金融研究所主催2008年国際コンファランスにおける白川総裁開会挨拶(日本語仮訳)』(2008年5月)参照。

潤沢な資金の供給

 第2は、金融市場・金融システムの安定を確保するために、資金を潤沢に供給したことです。先ほども述べたように、金融機関同士の信頼が低下し、金融市場でうまく資金が調達できなくなるという流動性リスクへの不安感が強くなると、金融機関は安心して、企業や個人に貸出を行うことができません。そこで、日本銀行は潤沢な資金を市場に供給し、そうした不安が生じないようにしました。

 危機に際し、中央銀行が自国通貨という形で資金を潤沢に供給するのは当然ですが、今回は、米国だけでなく、それ以外の国の中央銀行も協力してドル資金供給の仕組みを整えました。具体的には、日本銀行や欧州の中央銀行はスワップ取極めと呼ばれる契約を締結して、米国の中央銀行であるFRBからドルの供給を受けて、そのドルを自国内で金融機関に供給しました(図表8)。これによって、各国の金融機関のドル資金調達が容易になりました。

 日本銀行に限らず中央銀行は資金を供給するときには、担保を取ります。日本銀行の場合で言えば、通常は、日本の国債や手形・債券などが担保になります(図表9)。今回は、外国の国債を担保として、円やドルの供給を行うことも可能にしました。クロスボーダー担保と呼ばれる仕組みです。他の国の中央銀行も、同じような仕組みを導入したり、あるいは導入しようとしています。国際的に活動する金融機関は、世界各地に分散して様々な通貨建ての資産を保有していますので、各国の中央銀行がこうした仕組みを採用すれば、各地の資産を有効に使って中央銀行から資金を借りることができるようになります。

機能の低下した資本市場への支援

 たった今説明した第2の措置は金融機関に対し潤沢な資金供給を行うことを通じて企業等への貸出を間接的に支援する措置ですが、今回は企業が資本市場で資金を調達できなくなるような事態に直面したことから、より直接的な様々な支援措置も講じました。その一つが、コマーシャル・ペーパー(CP)の買入れです。日本銀行は、以前から、CPを担保にして金融機関に貸出を行ったり、あとで売り戻すことを条件にして金融機関からCPを買ったりしています。この場合は、CPを発行している企業が倒産したときの損失のリスク、すなわち、信用リスクは第一次的には金融機関が負担することになります。これに対し、日本銀行がCPを、売戻しを条件とせずに買い入れる場合には、日本銀行が信用リスクを負担することになります(図表10)。

 中央銀行は通常は金融市場全体に対して流動性を供給し、個別の資金配分は借り手の状況をよく知っている民間金融機関や投資家が行う、というのが原則です。その意味で、今回のように、中央銀行自身が個別の民間企業の信用リスクを直接負担して、資金供給するのは、異例のことです。金融市場の機能が著しく低下し、これが企業金融全体の逼迫につながっているという状況に対し、日本銀行の使命、すなわち、経済・物価や金融システムの安定を通じて、経済活動に必要なお金が世の中の隅々まで行き渡るようにするという役割に沿うと判断し、時限措置としてCPや社債の買い入れを行うこととしました。

決済システム上のリスク削減策

 最後、第4に、金融危機に対応するためには、常日頃より地道な仕組み作りをして備えておくことも重要だということをお話します。ここでは一例として、円・ドル取引といった外国為替決済の話を取り上げます。先ほども触れたように、昨年秋以降、ドルの資金市場では信頼の崩壊から、資金調達が著しく困難になりました。ドル資金の調達困難化という事態は、預金という相対的に安定的な資金源を有していない外国の金融機関にとっては特に大きな問題となります。このような状況の下で利用されたのが、ドルを円やユーロなどの通貨と一定期間交換する、「スワップ取引」と呼ばれる取引でした(図表11)。これは、円やユーロを担保としたドルの調達、あるいはその逆ということになりますので、無担保の資金取引よりも相対的に安全だからです。スワップ取引は、外国為替市場全体の約半分を占め、世界で1日当たり1.7兆ドルもの取引がある巨大な市場です。

 ところが、円の受け渡しは日本で、ドルの受け渡しは米国で行われ、その間には時差があります。もし、円を先に渡し、後でドルを受け取るとすると、ニューヨークの市場が開くまでの間に相手の金融機関が倒産した場合には取りはぐれが起こります。この時差リスクは、通常時であればそれほど意識されなくても、危機時には決定的に重要になります。そのような事態に備え、中央銀行は随分以前から、円とドル、あるいはその他の通貨を同時に受け渡すことができる(Payment Versus Payment、PVPと呼ばれています)仕組みを作ることを世界の民間金融機関に働きかけていました。その結果、2002年にCLS(Continuous Linked Settlement)と呼ばれるシステムが世界の民間金融機関の出資により創設されました(図表12)。もし、こうした仕組みがないうちに、今回のような国際金融危機が起きたとすれば、金融機関の外貨調達はもっと困難な状況となり、危機はさらに深刻化したと想像されます。

4.中央銀行の役割

 ここまでは、中央銀行の役割について、今回のグローバルな金融・経済危機と中央銀行の対応を教材として、お話してきました。ここで、もう少し一般的な形で、冒頭に述べた「人々がお金を安心して使えるようにする」という中央銀行の役割について説明します5

 まず、法学部の授業らしく、法律の条文から入りたいと思います。日本銀行法には「日本銀行券は、法貨として無制限に通用する」(第46条2項)という条文があります(図表13)。この規定があるので、銀行券を渡すことは、皆さんが民法で習った「債務の本旨弁済」になります。債務者が日本銀行券を弁済として提供したら、債権者は受領しなければなりません。その意味で、この条文は重要です。

 もっとも、この条文があったとしても、実際の取引に日本銀行券が使われるとは限りません。契約自由の原則のもとで、契約を結ぶかどうかは個人の自由です。売り手が日本銀行券が対価では物を売りたくないと思えば、そもそも売買契約は成立しませんので、日本銀行券は取引に使われません。こうしたことは、主要国ではあまり起こりませんが、例えば外国を旅行しているとき、現地通貨で物を買おうとして、売ってくれないとか、ドルにして欲しいと言われた、といった経験をお持ちの方も多いと思います。しかし、その場合でも、その現地通貨は、法律的には通用力を認められたものだろうと思いますが、人々が安心して受け取りたくないような通貨だったと考えられます。その理由としては、例えば、偽札が多くて、銀行券そのものを信用できないとか、ひどいインフレが起こっていて、明日には価値が下がっているかもしれないとか、その国の金融システムが危機にあって、安心してお金を預けられないとか、様々な理由が考えられます。

 中央銀行の使命は、こうしたことが起こらないようにすることです。もう少し硬い言葉で表現すると、「通貨の安定」を実現することが中央銀行の使命です。これを分解して言うと、第1の、そして最も根源的な仕事は、銀行券を発行し、偽札やきたないお札が流通しないようにきちんと管理することです。第2の仕事は、物価を安定させることです。物価が大きく変動すると、合理的な経済計算が難しくなり、資源配分の効率性が損なわれるので、経済の成長は阻害されますし、そもそも社会の安定も脅かされます。そして第3の仕事は、金融システムの安定を維持することです。預金取り付けが起こるとか金融市場で取引が行われなくなるというのは、金融システムの安定が損なわれた事態ですが、そうした事態がいかに深刻な影響をもたらすかは先ほど説明した通りです。こうした仕事を通じて、経済活動に必要なお金が世の中の隅々まで行き渡るようにするというのが、中央銀行の使命です。これを一言でいえば、「人々がお金を安心して使えるようにする」、すなわち、「通貨の安定」ということです。もちろん、こうした状態は中央銀行だけで実現できるわけではなく、規制・監督当局や民間金融機関の果たす役割も大きいことは言うまでもありませんが、中央銀行が極めて重要な役割を果たしている分野です。

 このような中央銀行の使命は皆さんもこれまでに教科書で読んだり、漠然と理解していることだと思いますが、中央銀行の使命をより深く正確に理解して頂くために、以下では二つのことを強調したいと思います。

 第1は中央銀行に対する信認の重要性です。中央銀行が金利をコントロールできるのも、潤沢に資金を供給できるのも、誰も中央銀行の発行する通貨、すなわち、銀行券と中央銀行当座預金の受け取りを拒否しないことに由来します。近代国家は様々な歴史的経験を通じて、信認の重要性を認識するようになり、信認を具体化した組織を作り、その組織に通貨の発行を委ねるようになりました。言い換えますと、たとえ中央銀行という組織を作っても、これが信認に足る組織でなければ、通貨の適切なコントロールはできないこと、言い換えれば信認を得るために、中央銀行自身が努力をしなければならないことを意味しています。

 第2は、中央銀行は通貨の安定というパブリックな目的を実現する際、法律や行政命令ではなく、市場での取引を通じてこの目的を実践するということです。先ほど、世界的な金融・経済危機に対して、日本銀行が採った措置を説明しましたが、これらの措置は、いずれも法律や行政命令によって強制したものではなく、市場での取引の形で行ったものです。金利の誘導にしても、資金の供給にしても、市場から国債を買ったり、金融機関に貸出をすることで実現します。CPも、入札を行うことによって金融機関から買い入れています。中央銀行が「銀行の銀行」と呼ばれたり、「市場の中」("in the market")の存在と言われるのは、このためです。

  1. 5  日本銀行の業務については、日本銀行金融研究所編『新しい日本銀行—その機能と業務』(日本銀行金融研究所ホームページに掲載)参照。

5.法律の果たす役割

 以上のことを申し上げた上で、中央銀行がその使命を果たすために、法律あるいはリーガルマインドはどのような形で役立っているのでしょうか。以下では、3つの論点を挙げてお話します。

民主主義と中央銀行の独立性:公法上の論点

 最初の論点は、公法上の論点ですが、「民主主義と中央銀行の独立性」の問題です。「独立性」というのは、「自らの判断で決定し、その決定を他から覆されない」ことを意味します(図表14)。民主主義国家の中で、中央銀行が独立性を有しているのは、なぜでしょうか。一般的に、金融政策の効果が経済や物価に波及するまでにはある程度時間がかかります。そうした中で、経済・金融の短期的な情勢にのみ基づいて通貨の管理を行うと、中長期的にみて経済の安定が損なわれる事態に陥りやすいことは、過去のインフレやバブルの経験が示す通りです。今回の世界的な信用バブル発生の一つの大きな要因は低金利が長期にわたって続いたことでしたが、この問題が大きくなり始めた2003年から2004年にかけては、インフレやバブルではなく、グローバルなデフレをどのように阻止するかということが多くの欧米の政策当局者やエコノミストの問題意識でした。人間は短期的な利害に囚われやすい弱い存在ですが、同時に、そうした弱さを自覚するが故に、中長期的にみて望ましくない事態を回避する仕組みを予め組み込む知恵も備えています。これが、中長期的な視野に立ち専門的な知識に基づいて判断する組織に金融政策の運営を委ねるという、中央銀行の独立性という考え方です6。勿論、独立性といっても、無限定の独立性は存在しません。中央銀行法で中央銀行の目的を明確に規定すると同時に、民主主義的な手続きを経て、総裁をはじめ中央銀行の役員が任命されます。また、中央銀行による政策決定のプロセスを明らかにすることが法律で求められています(前出図表14)7

 今回の危機にあたって、日本銀行を含めて、各国の中央銀行は、通常であれば行わないような異例の措置を矢継ぎ早に実行するなど、極めて積極的に行動しました。一連の措置は危機を鎮静化させる上で大きな効果を発揮しましたが、金融市場の状況の変化に応じこうした措置を素早くとれたのも、各国の中央銀行が独自の判断ですばやく政策を決定し、また不要になったらそうした措置を元に戻すことが可能だからこそ、実行できたことでした。

 中央銀行の独立性は、中央銀行が、通常の手段・業務を使って政策を行っている場合には、あまり疑問の余地は生じません。ただ、今回のように、異例の措置を行う場合、中央銀行が、どのような考え方に立って、何をどこまで行うのか、難しい決定でした。

 例えば、先ほどお話したCPの買入れについて言えば、中央銀行が金融市場全体への流動性供給という領域を超えて、個別の民間企業の信用リスクを負担することの是非が問題となりました。仮に発行企業が倒産すれば、日本銀行が損失を被り、ひいては納税者の負担になります。そうした手段は、財政政策として、民主主義の意思決定過程に沿って国会・政府が行うべきではないか、という疑問が当然生じます。この点については、私たちも真剣な議論を重ねました。まず、実行の是非については、資本市場の機能の著しい低下という異例の状況のもとで、中央銀行としての使命を果たすためには、異例の措置も必要だと考えたことは、先ほど説明したとおりです。その上で、副作用を最小限にするために、制度の設計に注意を払いました(図表15)。例えば、買入れに当たっては、市場機能が回復すると、日本銀行への金融機関の売却インセンティブが低下するような入札条件を設けました。また、一定以上の高い格付を有する企業の発行したCPに限定し、一つの企業に集中しないように買入れ額の上限も設けました。当然、信用リスクはゼロではありませんが、そのリスクは政策の目的・効果を実現するためには、必要なリスクだと判断しました。

 中央銀行が、法律に定められた目的に照らし、経済や金融の状況に応じた柔軟な対応を行うことは重要ですが、中央銀行の場合、通貨を無制限に発行できる能力を認められているだけに、「やるべきこと」と「やるべきでないこと」の線引きは特に難しい問題となります。これは民主主義社会における意思決定の問題として重要です。中央銀行の使命や民主主義の中での中央銀行の位置付けを意識しながら、「信認」という資源をできるだけ有効に使って使命を達成するというのが、私たちの仕事であり、そこに判断の難しさがあります8

  1. 6  中央銀行の独立性についての法律的論点については、公法的観点からみた中央銀行についての研究会『公法的観点からみた日本銀行の業務の法的性格と運営のあり方』(1999年12月「金融研究」第18巻第5号収録)、『公法的観点からみた日本銀行の組織の法的性格と運営のあり方』(2000年9月「金融研究」第19巻第3号収録)参照。いずれも、日本銀行金融研究所ホームページに掲載。
  2. 7  日本銀行のガバナンスについては、上記『公法的観点からみた日本銀行の組織の法的性格と運営のあり方』参照。
  3. 8  これらの点に関する日本銀行の基本的考え方については、日本銀行『企業金融に係る金融商品の買入れについて』(2009年1月)参照。

中央銀行業務の工夫:私法上の論点

 次に、少し別の角度から、二つ目の法律的な論点をお話します。先ほど、中央銀行は市場での取引を通じて通貨の安定というパブリックな目的を実現するということを申し上げましたが、そのためには、中央銀行が提供するサービスに魅力がなければなりません。そのために、中央銀行は経済・金融環境の変化に合わせて様々な工夫を凝らしていますが、この面で法律の果たしている役割について私法を中心にお話します。

 先ほど、外国の国債を担保に資金を供給する仕組み、クロスボーダー担保という仕組みを導入したと説明しました。この仕組みを実現するためには、第1に、物理的に外国に存在する外国国債への担保権の設定について、どの国の法律が適用されるか、という国際私法の問題、第2に、どうやって担保権を設定し、債務不履行が起きたときどうやって担保権を実行するか、という外国の担保法制の問題、第3に、取引先とどういう契約を結べば良いのか、という国際的な金融実務の問題など、クリアしなければならない法律問題は、多数に上りました。各国の法制や実務を調べて、対応を工夫することは、大変ですが、チャレンジングで面白い仕事です。

 たった今、「物理的に外国に存在する国債」と言いましたが、実際には、日本をはじめ主要国の国債は、電子化されていて、証券口座への記帳によって、譲渡や質入れが行われています。日本銀行のクロスボーダー担保のスキームでは、米国などの中央銀行に開設した証券口座に、その国の国債が振り替えられることによって、その国の法律に基づいて、担保権が設定されるという仕組みにしています。細かい点は、国によって少しずつ違いますが、こうした仕組みによって、物理的に外国に存在する証券に担保権を設定することが可能となりました。クロスボーダー担保のスキームは、多くの中央銀行で実現していますが、これによって、金融機関は、どこの国に証券を置いていても、それを効率的に担保として使って、いろいろな中央銀行から、必要な通貨の資金を供給してもらうことができるようになりました。

 こうした工夫は、法律的な知識だけでなく、決済システム、コンピュータ・システムの分野でも必要となります。日本銀行は「日銀ネット」というシステムを運営していて、金融機関同士の取引は、このシステムで決済されています。日銀ネットを使って、証券の売買の決済をする場合、資金の決済と証券の受け渡しを同時に行う仕組みがあります(Delivery Versus Payment、DVPと呼ばれています)。これによって、証券と資金の受け渡し時間の差に伴う、取りはぐれリスクを軽減することができます。この発想をさらに伸ばすと、日銀ネットの稼働時間を延長することにより、例えば他の国の中央銀行のシステムの稼働時間が重なる時間帯を作れば、円と外貨の同時決済がより簡単にできるようになりますし、その他の様々な決済ニーズにもこたえられるようになります。日本銀行はそのような可能性も意識しながら、新システム構築の検討を始めています。

 このように、資金供給の枠組みや決済システムを改善することによって、資金の流れを効率的かつ安全にすることは、中央銀行の大切な仕事です。中央銀行は、こうした工夫によって、常に、自らの提供するサービスが使いやすく魅力的なものになるように努力しています。中央銀行への信認を維持するためには、そうしたサービス向上の努力が不可欠です。金融市場のグローバル化の進展ということは、中央銀行からみると、良質のサービスの提供という面で中央銀行が競争をする世界に入っていることも意味しています。

金融システムの安定と国際的な法律問題

 法律的な論点の最後に取り上げたいのは、金融システムの安定に法律が果たしている役割、その中でも、特に国際的な側面についてです。金融システムの安定を守ることは、個々の金融機関を破綻させないということと同じではありません。市場経済の中では、他の一般企業と同様、金融機関も経営に失敗すれば、淘汰されることが原則です。経営に失敗しても、政府や中央銀行が救済してくれるという安心感があると、自己規律が失われ、金融機関は過大なリスクを追求する行動に走る結果、金融システムは却って不安定化します。いわゆるモラル・ハザードの問題です。大切なのは、個々の金融機関が倒産しても、ほかの金融機関への影響を最小限にとどめ、金融システムが全体として安定を保つようにすることです。

 再度、リーマン・ブラザーズ証券のケースを例にとってお話しましょう(図表16)。同社のような国際的に活動する金融機関の倒産手続きを円滑に行うためには、各国の中央銀行や監督当局の連携が不可欠です。まず、時差がある中で、営業時間中の破綻、いわゆる「日中破綻」が生じると、その影響は甚大です。そうした事態を避けるためには、倒産のタイミングを適切に設定する必要があります。また、新しい取引が発生して債権債務関係が複雑にならないように、営業停止命令が必要になることもあります。リーマン・ブラザーズの場合、昨年9月15日に、米国法人が連邦倒産法11章(Chapter 11)の適用を申請したことを受けて、日本法人についても金融庁から営業の一部停止命令が発出されました。この日、日本は祝日でした。営業日としては初日に当たる翌16日、日本法人は民事再生手続を申請し、19日には東京地方裁判所が手続の開始を決定しました。また、日本銀行は、中央銀行として金融システムの安定を確保するための措置を講じましたが、その際には、リーマン・ブラザーズ証券に対する債権者としての立場もあり、裁判所の理解を得ながら実行していく必要がありました。さらに、決済システムの面では、CLSによる円とドルの同時決済(PVP)や、日銀ネットによる証券受け渡しと資金決済の同時処理(DVP)によって、一方的な取りはぐれのリスクを軽減することができました。また、市場参加者の間でも、破綻があったときの決済の手順や一時的な資金負担などのルールが、あらかじめ合意されていましたので、これがうまく機能しました。こうした様々な対応があって、日本国内の取引の決済は、おおむね混乱なく行われました。金融機関が破綻する場合、少し語弊がある言い方かもしれませんが、金融システム全体に迷惑をかけないよう上手に倒産することが極めて重要です。

 ところで、今回の金融危機では、リーマン・ブラザーズ証券が倒産した一方で、欧米の大きな金融機関が国有化されたり、公的資金の投入が行われました。こうした事態に対して、金融システムに重要な影響を持つ金融機関を秩序立って破綻処理する枠組みが不十分であったという反省が生まれています9。破綻処理の枠組みが不十分だったため、リーマン・ブラザーズのように、重要な機能を維持しながら処理することができずに清算に追い込まれたり、逆に、一部の金融機関は「大き過ぎてつぶせない(too big to fail)」と判断して、多額の納税者の負担を生じさせることになった、というものです。つぶれるべきものがつぶれなければ、モラル・ハザードを助長するほか、長い目で見て金融システムや経済の活力もそぐことにもなります。秩序立った破綻処理ができる、ということは、金融システムを強くする上で、極めて重要な要素です。特に"too big to fail"が問題になりやすい、国際的な活動を行う金融機関については、各国の倒産法制やその間の調整の法理など、難しい法律問題をクリアしていかなければなりません。この点については、現在、各国の中央銀行や監督当局の間で活発な議論が始まっています10

  1. 9  日本の場合、バブル崩壊後の金融機関の破綻増加に対処するため、1990年代後半以降、破綻金融機関の秩序立った処理を可能にする法律の整備が図られた(預金保険機構編著『平成金融危機への対応—預金保険はいかに機能したか』(2007年11月))参照。
  2. 10 国際的に活動する金融機関の破綻処理を巡る議論については、バーゼル銀行監督委員会による市中協議文書『クロスボーダー銀行破綻処理グループの報告書と勧告』(2009年9月、本ホームページに掲載)参照。

6.中央銀行で仕事をするということ

 これまで、「法と経済」という観点から、中央銀行の役割や仕事について、お話してきました。しかし、こうした説明だけでは中央銀行の役割や、金融・経済の安定を実現する上で必要なことを皆さんに十分伝えたことにならないような感じがしています。私の学生時代の経験から判断して、多分、感覚として最も理解しにくい部分は、「仕事をする」ということの意味ではないかと想像します。そこで、最後に、中央銀行に即して、「仕事をする」ということに関して幾つか感じていることをお話して、今日の講義を締めくくりたいと思います。

パブリックな仕事の意義

 第1は、パブリックな仕事の意義です。中央銀行の使命はこの講義で繰り返し述べたように、通貨の安定です。考えてみると、中央銀行というのは実に不思議な存在だと思います。と言うのも、中央銀行は、一方では市場メカニズムを非常に大事にする組織であると同時に、今回の金融危機の経験が示すように、時として金融システムが崩壊するような危機を避けるために、「最後の貸し手」として市場に介入したり、逆に、インフレやバブルといった事態の発生を回避するために、市場あるいは金融・経済の行き過ぎにブレーキをかける組織でもあります。こうした仕事は時として不人気なものとならざるを得ませんが、経済の持続的な発展を実現するためには、誰かがそうしたパブリックな仕事を担わなければなりません。

幅広い知識の重要性

 第2は、幅広い知識の重要性です。冒頭で私自身の個人的な経験を話しましたが、36年間の中央銀行での経験を経て、法律と経済学の知識のどちらが重要であったかと問われれば、中央銀行の仕事には、法律の知識も経済学の知識も、そしてさらに幅広い分野の知識が必要であるというごく常識的な結論に辿り着いています。経済学の真骨頂は常にインセンティブの観点から人間の行動を厳密に分析することにあると思っています。そうした分析なしには、金融政策の運営や金融規制・監督に関する制度の設計は行えません。しかし、同時に、そうした経済分析に基づく「政策論」がそれを支えるルールや契約について十分な配慮がなされていなければ、現実にワークしません。その意味で、法律的な知識は非常に重要です11

  1. 11 このような認識を背景に、主要国の中央銀行は法学者や弁護士といった法律の専門家が金融取引に関する法律問題を検討する作業を支援しており、日本銀行も、そうした検討の場のひとつである金融法委員会(FLB)の事務局を務めている。金融法委員会の設立趣旨や活動状況等については、同委員会のホームページを参照。

実務の重要性

 第3は、実務の重要性です。日本銀行の政策が新聞やテレビに取り上げられるとき、多くの場合、金利を上げるとか下げるといった「政策」が対象になります。しかし、金融政策は、金利をどの水準に誘導するかという議論だけでは完結しません。金利の誘導は、債券や手形の売買、金融機関への貸付けなどの銀行業務を通じて行われます。その際、誰から何をどういう条件で買うのか、どのような期間の資金をいくら供給するのか、そして、決済にはどのような仕組みを用意するのかなど、様々な実務が発生します。政策論を行うとき、実務に関する理解は、不可欠の要素です。特に、今回のような危機に際して通常と異なる対応を行う場合、こうした実務面の配慮が如何に大切で、それによって政策の効果やそれに伴うリスクも異なるものになるか、これまで説明したとおりです。

 もっとも、同時に、全体感を欠いた政策論が危険だということも意識しなければなりません。現場の情報、ミクロの情報を足し合わせれば、全体がわかるというほど現実は単純ではありませんし、実務だけから政策が判断できるわけでもありません。複雑な現実を理解するためには理論の助けも必要ですし、歴史的な経験を踏まえて、マクロ的に問題の本質に迫ることも重要です。

組織で仕事をすることの意義

 第4は、組織で仕事をすることの意義ということです。中央銀行が一つの政策を実行する場合、多くの共同作業が必要です。まず、政策立案の前提となる情勢判断は、ミクロの経済調査や金融面の情報のほか、マクロ的な統計や経済理論による分析で裏付けられています。また、情勢判断をもとに政策を立案する際には、銀行業務を通じてどう実行するかという視点が欠かせません。この一連の過程では、経済、金融、法律、システムなど様々な専門的な知識や経験を持った、多くの人たちが関わることになります。そして、それぞれ仲間の仕事を理解しながら、協力し、一つの政策を作り上げていきます。日本銀行の意思決定機関は、私を含めて定員9人の委員で構成される「政策委員会」ですが、政策は9人だけで作れるものではありません。委員を支える多くの職員の知恵と経験が不可欠です。ひとりの人間が経験できること、習得できる知識には限りがあります。異なる技能や専門性、経験を持った人々が、協力することで、より大きな成果を上げることができますし、更に、その過程で受ける様々な刺激が将来の問題解決に繋がっていきます。組織が存在することの大きな意義はそうした点にあります。

 組織で仕事をすることのもうひとつの意義は、「組織としての記憶(institutional memory)」の重要性に求められます。どの組織にも組織としての記憶が蓄積されていますが、中央銀行の場合、中長期的な観点から経済や金融の安定を確保することが目的であることから、「組織としての記憶」は特に重要となります。

 この点、国際会議に参加したり海外の中央銀行を訪れていつも感じることは、中央銀行員、セントラルバンカーは、みな「似たもの」を持っていることです。いわば中央銀行のDNAとして、「中長期的な視野に立って考えていること」「市場を大切にする気持ち」「オペレーションや実務に根ざした思考」「組織で政策を作り上げるという風土」などが、共有されているように思います。今回の世界的な金融危機においても、この共通のDNAがあったからこそ、緊密な協力のもと力を合わせて対処することができたと思っています。

変化への柔軟な対応の重要性

 第5は、変化への柔軟な対応の重要性です。経済や金融は常に変化し、中央銀行も、日々新たな課題に直面することになります。新しい問題に対処するには、様々な分野からのインプットが重要になります。例えば、以前は預金の取り付けといえば、預金通帳を持った預金者が、銀行の店頭に列を作るというものでした。今回の金融危機では、これとは全く異なる取り付けが起こりました。それは「市場型取り付け」とでも言うべきものです。この講義のはじめのほうで、金融機関同士の信頼が崩壊して、金融機関が市場での取引を躊躇するようになったと説明しました。そのことは、無担保の市場で起こっただけでなく、担保がある取引でも起こりました。その一つが「レポ取引」と呼ばれる市場で、参加者は、国債などの債券を一時的に売ったり、貸したりして、代りに資金を受け取ります(図表17)。大量に国債を買って持っている証券会社などにとっては、これは重要な資金調達手段です。国債と資金の交換なので、性質としては担保のある取引です。この取引の場合、債券の価格が変化すれば、担保としての価値も変化しますので、一定期間ごとに、それに応じて資金のやり取りを行います。例えば、債券の価格が大きく下落した場合には、この変化分の資金を、どこかから調達して、相手に渡さなければなりません。通常の状態なら、手元資金や金融機関からの借入れなどで賄えますが、信頼が崩壊している中では、それが不足することがあります。その場合、手持ちの国債を売って、換金するという手段に出るところも出てきます。これが大量になれば、債券の価格はさらに低下することになり、さらに、レポ取引の追加資金負担は膨らみます。このような金融や経済の激しい変化に合わせて、中央銀行は、常に柔らかい頭で、対応を工夫していかなければなりません。中央銀行というと古めかしいイメージがあるかもしれませんが、むしろイノベーションに富んだ仕事であると言えると思います。

7.おわりに

 約40年前、私が日本銀行に入ることを決めた頃を思い出してみると、日本銀行の仕事についてはほとんど何も知らなかったというのが実態でしたが、その後、日本銀行というパブリックな目的を持つ組織で仕事をすることの面白さや厳しさを何度となく経験しました。入行してから今日までの間に起きた大きな出来事を振り返ると、円の変動為替相場制への移行、石油ショック、バブル、バブルの崩壊と金融システムの動揺、そして今回の世界的な金融危機と、枚挙に遑がありません。どのような時代にあっても、中央銀行の最終的な使命が通貨の安定、通貨の信認を守ることである点には変わりはありません。今回の世界的な金融危機はほとんどすべての政策当局者やエコノミストにとっては歴史的な知識としては知っていても自らが経験するとは思ってもみなかった事態でした。そうした事態に対処し、日本銀行を含め世界の中央銀行は様々な新機軸を打ち出しました。私が日本銀行で仕事をするようになってからの40年近くを振り返りながら、また、この講義を聴かれている学生の皆さんの顔をみながら、次の40年は、一体どのようなことが起こるのだろうかと思わざるを得ません。新しいタイプの危機が発生することは十分想像されます。そうした危機の発生を防いだり、不幸にして危機が発生した場合に、その影響を極力小さくして経済の安定を実現することはチャレンジングな仕事ですが、公的機関、民間企業、学界、どのような分野に進むにせよ、これから社会に出る皆さんは、そうしたチャレンジから無縁ではあり得ません。

 皆さんは、法律を学ばれていて、それを活かして世の中に貢献したいと考えておられると思います。法律を活かす仕事は、法曹や企業の法務部門をはじめとしていろいろあり、それぞれ大切だと思いますが、中央銀行というチャレンジしがいのあるユニークな職場があることも知っていただければ、こんなに嬉しいことはありません。本日の私の話で、中央銀行という存在を少しでも身近に感じていただけたら、大変幸せです。

 最後まで熱心に聞いていただいて、ありがとうございました。

以上