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【講演】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」

きさらぎ会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2009年11月4日

 英訳は、Recent Economic and Financial Developments and the Conduct of Monetary Policyをご覧下さい。

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.世界経済の動向
  3. 3.わが国の経済・物価情勢
  4. 4.金融政策運営の考え方
  5. 5.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の白川でございます。本日は、このように多くの皆様の前でお話する機会を頂き、有り難うございます。

 前回この席にお招き頂いたのは、リーマン・ブラザーズ破綻から約1か月半後の昨年11月初という時点であり、世界的な金融危機が深刻化していた時期でした。皆様が鮮明に記憶されているように、世界経済は金融市場の混乱により、正に崖から落ちるように急激かつ同時に悪化していました。こうした事態に直面した各国の政府や中央銀行の対応も、かつてないほど大胆かつ大規模なものでした。その効果もあって、本年春頃より、国際金融資本市場には改善の動きが拡がっているほか、内外の景気も持ち直しの方向に向かっています。それと同時に、まだ多くの挑戦が待ち受けています。今回の危機について総括をするのは時期尚早ですが、各国がこの1年で経験した出来事は、1930年代の世界恐慌と並び、金融・経済の歴史における重要な1ページになることは間違いないと思います。本日は、こうした過去1年の動きも踏まえつつ、内外の金融経済情勢と日本銀行の金融政策運営の考え方についてご説明します。

2.世界経済の動向

景気後退の背景

 先ず、世界経済の動向から話を始めます。

 この点については、今回の世界的な景気後退の背景をどう理解するか、また、最近顕著となってきた先進国と新興国の景気回復ペースの違いをどう理解するか、ということが2つの重要なポイントです。

 それでは、最初のポイントからご説明します。2000年代半ばにかけて、世界経済は5%前後の高い成長を4年間も続けましたが、今から振り返ってみると、欧米諸国を中心に発生した大規模な信用バブルを背景とする好景気という性格が強かったと言えます。その下で、企業や家計は、債務を大幅に増やして過大な支出を行いました。今回の景気後退の本質は、一言で言えば、こうした金融・経済活動の行き過ぎが巻き戻される過程で生じているバランスシート調整です。企業や家計は、バブル期に膨らみ過ぎた債務を圧縮するため、投資や消費を切り詰めることを余儀なくされます。こうした債務の圧縮、すなわち、デレバレッジと呼ばれる動きは、経済全体の需要の縮小や資産価格の下落をもたらします。金融機関も、拡大し過ぎた資産や抱え過ぎたリスクと自己資本とのバランス回復に取り組むことを余儀なくされます。その過程では、新たな融資対応など、前向きにリスクをとっていく活動はどうしても抑制されます。バランスシートを修復する作業は、世界経済が持続可能な成長経路に復帰していくために避けては通れないプロセスですが、その間は、経済に対し、下押し圧力がかかり続けることを認識する必要があります。

 今回の景気後退の背景を理解するためのもう1つの切り口は、昨年秋以降の流動性危機に起因する金融・経済活動のパニック的な収縮です。昨年9月のリーマン破綻をきっかけに、金融機関や機関投資家などの資金の出し手は、取引先の信用度を極度に警戒するようになりました。多くの市場で疑心暗鬼の状態が拡がり、取引が極端に細る事態に陥りました。その結果、経済活動に必要な資金が行き渡りにくくなり、これが、企業や消費者の不安心理の高まりと相俟って、世界の需要を急速に縮小させました。バランスシート調整が、長期に亘る「慢性症状」の原因だとすれば、昨年秋以降の流動性危機は、世界経済に対し、強烈な「急性症状」を追加的にもたらしたといえます。

 世界経済はこのところ持ち直していますが、これは、次の3つの理由から、急性症状が収まってきたためです。第1に、各国の中央銀行による潤沢な資金供給により、金融資本市場が徐々に落ち着きを取り戻していったことです。米欧において、金融機関債務の政府保証や保護対象預金の拡充といった施策が講じられたことも、金融市場の更なる混乱に歯止めをかけました。第2に、需要の大幅な落ち込みに対し、財政面からも迅速な景気刺激策が講じられたことです。各国における自動車買い替え促進策などがその典型です。第3に、民間企業における大幅な減産の結果、在庫調整が早いペースで進展したことです。

 もっとも、そうは言っても、先進国経済の水準はリーマン破綻以前に比べれば、かなり低い状態にあります。また、公的な需要喚起策や在庫復元の効果は、いつまでも続く訳ではありません。経済が本格的に成長していくためには、そうした効果が減衰する前に、民間最終需要の自律的な回復にうまくバトンタッチしていくかどうかが鍵を握っています。ここで忘れてならないことは、先ほど申し上げたバランスシート調整の影響です。先行き、民間需要が本格的に回復していくためには、バランスシート調整が円滑に進捗し、経済の重石が外れていくことが必要となりますが、2000年代半ばに生じたバブルの大きさを考えると、必要な調整の規模もまた非常に大きいとみられます。9月末に発表されたIMFの推計によると、今回の危機に伴って金融機関に生じた損失額のうち、既に引当や償却が済んでいるのは、米国で6割、欧州では4割に止まっており、バランスシート調整はなお道半ばと言わざるを得ません。こうしたことから、世界経済全体としての成長ペースは、当面、緩やかなものに止まる可能性が高いと考えています。

先進国と新興国の関係

 これまでご説明してきたバランスシート調整は、主として米欧先進国の問題です。新興国や資源国の経済は、今回は基本的にこうした問題を抱えていなかったと言って良いと思います。そこで、次に世界経済を理解する上での2つ目のポイントとして、先進国と新興国の景気回復ペースの違いと両者の関係について、お話します。

 昨年秋以降の世界的な流動性危機は、先進国だけでなく、新興国や資源国の経済にも大きな影響を及ぼしました。国際金融資本市場の混乱に伴い、新興国への資金の流れは急速に収縮し、世界的な需要の減退は、輸出の減少を通じて新興国経済に打撃を与えました。しかしながら、こうした急性症状の解消とともに、新興国・資源国の経済は、本年春先頃の予想を超えて急速に回復しています。本年第2四半期の実質GDPは、韓国、台湾、ブラジルなど多くの国で高い成長率を記録しました。中国やインドについては、今さら言うまでもないことですが、再び高い成長を取り戻しています。先行きについても、高めの成長を維持するとみられます。10月初に発表されたIMFによる2010年の成長見通しをみると、先進国が前年比プラス1.3%の伸びに止まる一方、新興国はプラス5.1%、とりわけ、アジアの新興国については7.3%もの高い成長が見込まれています。資源国でも、実体経済の急速な回復や住宅価格の大幅な上昇などがみられており、先月には、オーストラリアとノルウェーが相次いで政策金利の引き上げに踏み切りました。

 新興国の景気回復には、いくつかの理由があります。第1に、生活水準向上に伴う消費活動の活発化や社会インフラ整備の必要性など、もともと内需の基調が強いことが挙げられます。中国が典型例ですが、こうした国々は、潜在的に、高めの成長を実現していく力を持っていると考えられます。第2に、新興国においても、今回の危機に対応するため、積極的な景気対策を実施したことが挙げられます。新興国の場合、先進国と異なり、バランスシート調整の問題を抱えていないうえ、もともと潜在的な需要が旺盛であるため、その分、財政刺激の乗数効果も大きなものとなったと考えられます。第3に、先進国における金融緩和策の効果が新興国経済にも及んでいることが挙げられます。最近、市場参加者の間では、「ドル・キャリー」という言葉がよく使われています。かつて「円・キャリー」が話題となった時期がありましたが、今回は、どの先進国でも低金利政策を採用している中、最も厚みのあるドル市場で調達された資金が新興国に再び流入し、リスクをとり始めています。さらに、多くの新興国では、ドルとペッグした固定的な為替政策を採用していますので、この面からも、金融緩和効果が働いていると思われます。こうした動きは、信用供与の増加や資産価格の上昇などを通じて、新興国の金融環境を大きく改善させ、経済の回復を後押ししています。

 このように、現在、世界には、バランスシート調整の影響を強く受けている先進国と、世界経済の成長エンジンとなりつつある新興国・資源国という2つのグループが存在します。先ほどご説明したとおり、両者の景気回復ペースの差は、先進国から新興国への資金流入を促し、これが、当面、新興国の景気押し上げに寄与すると思われます。しかし、こうした状況が長く続き過ぎると、新興国経済の過熱や金融の混乱をもたらし、その後の景気の落ち込みを招く可能性があります。これは、先進国にとっても望ましいことではありません。経済のグローバル化が進み、各国経済が相互連関の度合いを一段と強める中にあっては、新興国と先進国の間の完全なデカップリングはあり得ませんし、もちろん、完全なカップリングもありません。常識的ではありますが、結論はその中間にあります。世界経済にとって大切なことは、先進国と新興国が、どちらか一方に過度に依存することなく、双方がバランスよく、持続的に成長していくことだと思います。

3.わが国の経済・物価情勢

景気の動向

 以上述べたような世界経済の姿を踏まえた上で、次に、わが国の経済情勢についてご説明します。

 わが国の経済は、昨年秋以降の世界的な急性症状の影響を受けて、大きく悪化しました。わが国には、自動車や電気機械、一般機械など、耐久消費財や資本財に関連する業種のウエイトが高いという特徴があります。これらのうち、少なからぬ部分は、直接、あるいはアジア諸国の組み立て拠点を経由して、米欧先進国に輸出されます。ところが、昨年秋以降の世界経済の急激な落ち込みと、先行きに対する不透明感の高まりにより、世界中の家計や企業は、高額な耐久消費財や設備・機材などに対する支出を切り詰めるという防衛行動に走りました。また、国際的なクレジット市場の機能低下は、消費者信用の収縮を通じて耐久消費財などの購入意欲を一段と減退させました。これが、わが国の輸出が急速に減少し、生産が大幅に落ち込んだ1つの大きな要因です。

 しかしこのことは、米欧において急性症状の影響が解消していけば、わが国の輸出も回復し始めることも意味しています。中国を始めとする新興国の予想を上回る回復も、わが国の輸出の増加に大きく寄与しました。この結果、輸出や生産は本年春先に増加に転じ、その後も増加を続けています。こうした中、製造業大企業を中心に、企業の景況感も改善しています。このように、わが国経済は、落ち込みも大きかった訳ですが、他の先進国よりも早いペースで持ち直しています。ただ、経済活動の水準をリーマン破綻直前の水準と比べると、計数の判明している4~6月のGDPで9割強、9月の鉱工業生産で8割強に止まっているなど、なお低いことは、十分に意識しておく必要があります。日本銀行では、現在、景気の現状を表現する際、「持ち直しつつある」というやや慎重な言葉を使っていますが、これは、今申し上げた水準に関する判断も投影したものです。

 次に景気の先行きについてお話します。日本銀行では、先週末に「展望レポート」を公表し、2011年度までの見通しを示しました。中心的な見通しとして、本年度後半は、海外経済の改善と経済対策の効果を背景に、景気は持ち直していくとみています。さらに、来年度もこの傾向は維持されると見込まれます。ただし、世界経済の回復ペースが緩やかなものに止まるほか、国内でも、需要刺激策の効果が減衰する中で、雇用・賃金面の調整圧力が残り続けることから、来年度半ば頃までは、わが国経済の持ち直しのペースも緩やかなものとなる可能性が高いと考えています。その後は、米欧のバランスシート調整が相応に進捗し、国内でも、輸出を起点とする企業部門の好転が家計部門に波及してくると予想されます。このため、2011年度には、わが国の成長率は明確に高まる見通しです。

 ただし、こうした見通しについては様々な不確実性があります。最も気になるのは、米欧におけるバランスシート調整の帰趨と、新興国・資源国経済の動向です。この他にも、わが国企業の中長期的な成長期待の動向といった下振れリスクもあります。ただ、新興国・資源国が引き続き高めの成長を維持する可能性が高いことを踏まえると、専ら下振れリスクを意識していた春先までの状況と比べれば、リスクはバランスする方向に向かっているように思います。

物価の動向

 次に、これまでご説明してきた景気の動きを踏まえ、わが国の物価についてお話します。

 昨年以降、わが国の消費者物価は、石油製品価格の変動を主因に、大きく振れる展開を辿りました。生鮮食品を除いた消費者物価の前年比上昇率は、昨年夏にプラス2.4%まで上昇した後、一転して縮小傾向を辿り、本年3月からは前年比マイナスで推移しています。その後も、前年における石油製品価格高騰の反動などから前年比下落幅は拡大し、8月は過去最大の下落幅となるマイナス2.4%、9月もマイナス2.3%となりました。

 先行きですが、本年度後半には、消費者物価の前年比下落幅はやや大きく縮小するとみています。これは、前年の石油製品価格高騰の反動の影響が薄れてくることによるものです。その後は、基本的に、経済全体の需要と供給のバランスに影響される展開を想定しています。2010年度以降は、景気の持ち直しとともに需給バランスが徐々に改善することから、物価の下落幅も引き続き縮小していくと考えています。ただし、出発点としての需要不足がかつてないほど大きく、先行きの景気回復のペースも緩やかなものになると見込まれるため、物価の下落圧力はある程度長い期間に亘って残ると思われます。今回の需要の落ち込みは、永く経験してこなかったような大規模なものであったことから、米欧でも、物価上昇率が以前の水準に戻るにはかなり時間がかかるというのが標準的な見通しとなっています。

 こうした状況の中で、大事なことは、先行きの中心的な見通しとして、わが国の経済が、物価安定のもとでの持続的な成長経路に復することが展望できるかどうか、ということです。物価下落の影響を心配する立場からは、緩やかとはいえ物価が下落を続けることによって、支出が繰り延べられ、これが更に物価の下落を加速することがないかどうかが論点となります。

 ここで参考になるのは、2000年代前半におけるわが国の経験です。当時もデフレの議論が盛んでしたが、結果的には、物価の緩やかな下落が続く下で、景気は回復に向かいました。すなわち、消費者物価の前年比は、1998年度から2004年度までの7年間、若干のマイナスとなり、累積ベースでは3%弱の下落を記録しました。一方、景気は、物価下落にもかかわらず、2002年度から2007年度にかけて回復を続けました。このことは、デフレの影響を懸念する立場からはパズルでしたが、なぜこうした状況が生じたのか、ということについては、海外の政策当局者やエコノミストの間でも関心が持たれています。この点では、デフレが大きな問題となった1930年代の世界経済との違いがヒントを与えてくれるかも知れません。1930年代の世界経済では、2000年代初頭の日本と異なり、累積で20%以上、国によっては、30%以上の激しい物価下落が生じました。また、1930年代には、相次ぐ銀行破綻に対して有効な対策が打てず、金融システムが極めて不安定化し、このため、資金の手当てがつかなくなった企業が自社の製品を投げ売りするといった事態が発生ました。一方、わが国の場合には、困難な問題に直面しましたが、日本銀行の潤沢な流動性供給などにより、金融システムの不安定化は何とか回避することに成功しました。

 そのようなことを念頭に置きながら今回の局面についてみると、わが国の金融システムは総じて安定していますし、累積的な物価下落という面では、9月の消費者物価の水準は、ちょうど石油製品価格の高騰が始まる前の2007年8月の水準に戻っている状況です。企業や家計の中長期的な予想物価上昇率も、これまでのところは、各種アンケート調査や長期金利の動向などからみて安定していると考えられます。こうしたことから、日本銀行では、現在のところ、物価下落が起点となって景気を下押しする可能性は小さいと考えています。

 もちろん、景気と同様、物価の見通しについても不確実性があります。先ほど申し上げたように、わが国の物価は、石油製品価格の高騰を主因に、昨年夏にプラス2%台半ばまで上昇し、今年は、その反動で2%を超える下落となっています。日本銀行だけでなく、国際機関やエコノミストを含め、数年前に、こうした物価の変動を予想した人はほとんどいませんでした。このように、経済の転換局面における物価の予測精度は決して高くないのが現実です。それだけに、私どもとしては、先行きの見通しについて予断を持つことなく、常に、入手可能なあらゆるデータを丹念に点検していく姿勢が大事だと思っています。

金融環境

 これまで、景気と物価についてご説明してきました。ここで、わが国の金融環境に目を転じたいと思います。

 昨年秋以降の国際金融資本市場の混乱は、わが国の金融市場、特に、大企業の資金調達の場であるCP・社債市場に波及しました。CP・社債の発行金利は跳ね上がり、社債市場では、発行がほぼ途絶えるという異常な事態に陥りました。こうした中、実体経済の悪化の影響も加わって、大企業の資金繰りは急速に厳しくなりました。大企業を巡る金融環境の悪化は、主に2つのルートを通じて、中小企業の資金繰りにも影響を及ぼしました。第1に、CP・社債市場の機能不全に直面した大企業が、資金調達手段を銀行借入れにシフトしたため、銀行の貸出余力が、その対応により多く振り向けられたことです。第2に、大企業の資金繰りの悪化が、取引先企業やグループ会社に対する企業間信用を収縮させたことです。これらの結果、本年3月の短観では、大企業、中小企業を問わず、企業の資金繰り判断が、1998年以来、ほぼ10年振りの低い水準まで落ち込みました。

 その後、国際金融市場の落ち着きや、わが国における各種政策対応の効果もあって、金融環境は改善の動きを見せています。特に、CP・社債の発行環境は大幅に好転しました。CP市場では、下位格付先についても、発行スプレッドがリーマン破綻前を下回る水準まで低下するなど、既に平常の状態に復したと判断しています。また、社債市場をみても、信用スプレッドの低下に加え、本年度上期の発行金額が既往最高水準となるなど、全体として良好な発行環境を取り戻しています。

 もっとも、わが国の金融環境には、今なお厳しい面が残されていることを忘れる訳にはいきません。特に、中小企業の資金繰りは、大企業に比べ、改善の度合いが小さいものに止まっています。これには、緊急保証制度が一定の下支え効果を発揮しているものの、景況感の改善ペースが緩やかになっていることにも表れているように、中小企業の収益環境が厳しいことが基本的な背景にあると考えています。日本銀行では、短観を始めとする各種のアンケート調査や、支店ネットワークを活用したヒアリングなどを通じ、中小企業の状況を含め、企業金融全般について、注意深く点検を行っていく方針です。

4.金融政策運営の考え方

 以上、内外の経済・物価情勢についてご説明してきました。最後に、これらを踏まえた日本銀行の金融政策運営の考え方についてお話します。

 日本銀行では、政策金利を昨年10月に0.3%、12月に0.1%まで引き下げ、以後、その水準を維持しています。また、リーマン破綻をきっかけとする金融市場の急激な収縮に対応するため、CP・社債の買入れなど中央銀行として異例の措置を含め、様々な時限措置を実施してきました。先週末に開催された金融政策決定会合では、こうした政策金利と各種時限措置の取り扱いについて決定したところです。

 政策金利については、0.1%というきわめて低い水準を維持することとしました。わが国の経済は、先ほど述べたように、ようやく回復の緒についたばかりであり、本格的に成長軌道に復帰していくまでにはもうしばらく時間がかかると判断しています。日本銀行としては、きわめて緩和的な金融環境を維持し、そのことを通じて、わが国経済が物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰していくことを粘り強く支援していく考えです。

 次に、各種の時限措置の取り扱いについてご説明します。今回の決定会合では、急性症状の改善度合いに即応し、今後とも、金融市場の安定を確保し、それを通じて企業金融の円滑を支援していくうえで、最も効果的な方法は何か、といった観点から、具体的な取り扱いを決定しました。

 まず、企業金融支援特別オペについては、実施期限を来年3月末まで延長した上で完了することとしました。このオペは、民間企業債務を担保とする期間3か月、金利は0.1%、金額無制限の資金供給手段です。本オペは金融市場の安定に貢献しましたが、金融市場の安定回復とともに、同様の効果は既存の資金供給オペ手段でほとんど達成できるようになりました。ただ、年度末に向けた金融市場の安定確保になお万全を期すため、今回、本措置を3月まで延長することにしました。その後、4月以降は、より広範な担保を利用でき、期間設定もより柔軟な既存の資金供給オペ手段を一層活用して潤沢な資金供給を行う態勢に移行する方針です。現時点で、4月以降の取り扱いを明らかにしたのは、新たな態勢に移行する前にある程度の準備期間を置いた方が、市場参加者が混乱することなく、円滑な移行が実現できると考えたからです。

 次に、日本銀行によるCP・社債の買入れについては、本年12月をもって、予定通り完了することとしました。CP・社債の発行環境が大きく好転する中、CP買入れの入札実績は、9月半ば以降、4回連続でゼロとなっています。社債買入れも、ここ数か月、回を追って入札額が減少しています。このように、日本銀行としては、毀損したCP・社債市場の機能回復という所期の目的は十分に達成されたと判断しています。一方、CPと短期国債の発行金利が逆転したり、その結果、投資家層が薄くなるなど、最近では、市場機能の歪みの方が目立ってきており、むしろ終了させた方が資金の円滑な流れを実現するのに役立つと判断し、今回の決定を行いました。

 このほか、昨年秋に導入した補完当座預金制度、つまり、金融機関が日本銀行に預ける預金の一部に金利を払うという制度を、当分の間、延長することとしました。細かい点は技術的になりますので省略しますが、本制度は、日本銀行が潤沢な資金供給を行うもとでも、市場金利の大幅な変動を回避し、安定的な金利形成を確保するための仕組みです。今回の延長により、今後とも、潤沢な資金供給を行いつつ、円滑な金融市場調節を実施するための重要なインフラが確保されることになります。

 昨年秋以降、各国の中央銀行は、潤沢な資金供給を通じて金融市場や金融システムの安定確保に努めてきました。急性症状の解消とともに、今後、各国の金融環境が一段と安定してくれば、中央銀行に対する資金需要も落ち着いてくると思われます。その場合、結果的に、中央銀行による資金供給量が減少していく可能性があります。昨年秋以降の主要国中央銀行のバランスシートや準備預金の規模をみると、その国の金融市場や金融システムの毀損度合いを反映して変動しています。例えば、日本の金融市場や金融システムは、欧米に比べて安定していたため、日本銀行のバランスシートはさほど膨張しませんでした。他方、今回の金融危機の震源地となった米国では、FRBの超過準備額は名目GDPの6%台に達しましたが、これは、日本銀行が量的緩和政策を採用していた時期のピークである5.8%を若干上回る水準です。バランスシート調整が進行している下では、中央銀行による多額の流動性供給は物価上昇率を引き上げる効果は発揮していませんが、金融システムの安定回復には大いに貢献しました。今後、金融環境がさらに改善していくに連れて、FRBのバランスシートは徐々に縮小していくと思われますが、仮にそうなった場合も、それは、中央銀行の金融緩和姿勢の変化を意味するのではなく、金融市場が一段と安定してきたことを示すものといえます。

 繰り返しになりますが、日本銀行としては、金融政策運営に当たって、きわめて緩和的な金融環境を維持し、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長経路へ復帰していくことを粘り強く支援していく考えです。これは、わが国の経済がその実力通りの力を発揮できるよう下支えしていくという意味です。わが国にとってより重要な課題は、「実力」、すなわち、長期的な成長経路そのものを引き上げていくことです。この点については、民間企業の前向きな努力により、経済全体の投資採算や生産性を向上させていくことが大きな鍵となることを付け加えさせて頂きます。

5.おわりに

 最後に、この1年の経験を踏まえながら、現在、私自身が強く感じていることを2点申し述べて、話を終えたいと思います。

 いずれも中央銀行の役割に関するものですが、1つ目は、中央銀行に期待される役割を正しく認識した上で果断に行動することの重要性です。どの国もそうですが、中央銀行は、自律的な市場メカニズムを非常に大事にして政策や業務の運営を行う組織です。しかし、金融システムが崩壊するような危機に直面したときには、CP・社債の買い入れをはじめ、中央銀行の有する機能を最大限活用し、また時に新たな手段を作り出して、金融システムの崩壊を防ぐことに全力を挙げます。そして、そのことは市場を守るためではありますが、市場メカニズムに対する大いなる介入でもあります。それだけに、中央銀行として「やるべきこと」と「やるべきでないこと」の線引きは、ときに非常に難しい問題となります。中央銀行は、経済・金融の安定という中央銀行の目的達成に必要であれば、法律で許された範囲内ではありますが、異例の措置であっても果断に実行することが求められます。しかし、同時に、中央銀行は無利子で債務を発行できるという特権を有している唯一の組織であるからこそ、必要がなくなった後も市場に介入する異例の措置を続ける弊害も大きくなります。その意味で、危機への対処、危機の後始末、両方とも中央銀行の適切な行動が大事であるということを感じており、今後とも、このことを忘れずに、中央銀行としての使命を果たしていきたいと考えています。

 2つ目は、危機の予防に関する点です。今回の危機はまだ終わった訳ではありませんが、現在世界では、その教訓を踏まえ、危機の再発防止に向けた取り組みが進んでいます。例えば、危機を未然に防ぐ仕組みとして、自己資本比率規制のあり方を始め、金融規制・監督体制の見直しの議論が進んでいます。また、金融システム全体を見渡したうえで、リスクの所在を点検・評価するマクロ・プルーデンスの視点が重要であるということも、広く認識されてきています。

 ただ、バブル発生の原因を考えると、結局のところ、良好な金融経済環境のもとでの強気の期待や、リスクに対する自己規律の低下といった、人間の本性にまで遡ることになります。このこと自体、中央銀行が、こうした形にしにくい問題とどう向き合っていくのかという、難しい論点を提起しています。先ほど、ドル・キャリーの話をご紹介しましたが、近年の金融・経済のグローバル化や情報通信技術の発達に伴い、人々が、地理的、時間的な制約なく、簡単にリスクをとることができるようになったことが、対応をより難しくしている面もあります。はっきりしていることは、危機は、いつも新しい様相で到来することです。日本銀行としては、今後とも、内外の政策当局や市場参加者、学界などと幅広く意見を交換し、謙虚に学習を続けながら、こうした新たなチャレンジに、しっかりと取り組んでいきたいと考えています。

 本日は、ご清聴有り難うございました。

以上