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【講演】「バランスシート調整と世界経済」

パリ・ユーロプラス・フィナンシャルフォーラムにおける講演

日本銀行総裁 白川 方明
2009年11月16日

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 英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

1.はじめに

 本日は、パリ・ユーロプラス主催のフィナンシャルフォーラムにお招き頂き、有難うございます。

 パリ・ユーロプラスには、金融機関のほか、フランス銀行や決済機関、法律・会計事務所など、金融市場に関係する幅広い方々が参加されています。そうした市場参加者間のコミュニケーションは市場の発展にとって大事ですが、特に金融危機においてはその重要性は一層高まります。パリ・ユーロプラスは、正にそうしたコミュニケーションのための貴重な場を提供されているとお聞きしていますが、皆様方のご努力に敬意を表します。

 本フォーラムでも、金融危機の経験を踏まえて、金融市場や金融システムに関する様々なワークショップが開催され、活発な意見交換が行われると伺っていますが、私からは、金融危機後の世界経済を展望する上で重要な論点のひとつであるバランスシート調整について、かつてその深刻さを他の先進国に先立って経験した国の中央銀行総裁として、お話させて頂きます。

2.世界経済の動向とバランスシート調整

 最初に、最近の世界経済の動向についてお話します。

 昨年秋のリーマン・ブラザーズ破綻以降、国際金融資本市場は大きく動揺し、世界経済は同時かつ急激に落ち込みました。もっとも、最近では、国際金融資本市場には改善の動きが拡がり、世界経済は持ち直しています。日本経済も全体としては、他の先進国経済の動きと同様の傾向を辿ってきていますが、敢えて言えば、自動車、電機、一般機械といった今回の世界的な景気後退の影響を最も強く受けた産業の構成比率が高いことを反映して、景気の落ち込みとその後の回復が、他の先進国に比べやや大きなものとなったことが違いとして挙げられます。

 現在の世界経済の持ち直しは、第1に流動性危機というパニックの解消、第2に在庫調整の進捗、第3に各国の大規模な景気刺激策の実施、に支えられています。言い換えますと、今回の金融危機に至る根本的な原因である、欧米諸国における信用バブル崩壊に伴うバランスシート調整という問題は、依然残っています。すなわち、家計や企業は、資産価格上昇の過程で積み上げた債務を圧縮するため、消費や投資を削減する必要に迫られます。債務の圧縮、すなわちデレバレッジの動きは、個々の家計や企業には合理的な行動ですが、多くの企業や家計が一斉に支出を削減しますと、経済全体の需要が縮小し、デレバレッジを進める原資となる所得や収益が減少します。金融機関も、自己資本対比で拡大し過ぎた資産やリスクを削減することを余儀なくされます。こうしたバランスシート調整は、経済が持続的な成長経路に復帰する上で不可欠なプロセスですが、その間は、日本の経験が示すように、慢性的な下押し圧力がかかり続けることになります。一方で、新興国、資源国については、基本的にバランスシート調整の問題には直面しておらず、景気回復は本年春頃の予想を上回るものとなっています。

 いずれにせよ、今後の世界経済を展望する際には、欧米諸国のバランスシート調整圧力をどう評価するかは重要な論点の一つとなります。そうした観点からは、90年代の日本のバランスシート調整の経験と現在の米国の状況を比較することは参考になるかもしれません。

3.バランスシート調整と政策運営

バランスシート調整の大きさ

 まず、必要とされるバランスシート調整の大きさについて、簡単な日米比較を行ってみます。例えば、消費者物価指数でデフレートした実質不動産価格をみますと、住宅用不動産、商業用不動産ともに、ピークからの下落ペースは、日米の間に大きな差はなく、敢えて言えば、これまでのところは、米国の方がやや速いように窺われます。より直接的に過剰なレバレッジの大きさを推定すると、どのようなイメージになるでしょうか。例えば、民間非金融部門における債務残高の対GDP比率が過去20年間のトレンドからどの程度乖離しているかは過剰レバレッジのひとつの尺度とみなすことが可能です。こうした機械的な計算に基づくと、過剰レバレッジは日米ともにほぼ同じ程度の水準となります。

バランスシート調整の主体

 日米の違いという点では、バランスシート調整を必要とする主体の違いも挙げられます。日本の場合、過剰債務を抱えた民間非金融部門は、主に企業部門でした。その投資超過額のGDP比は、1990年に10%強に拡大しました。企業は、資産価格上昇の過程で、積極的な不動産投資を行うとともに、値上がりした不動産を担保とする借り入れを行い、設備投資を拡大させました。バブル崩壊後は、資産価格の下落と共に、実体経済が悪化し、債務・設備・雇用の3つの過剰が企業部門で発生しました。

 これに対し、米国の場合は、バランスシート調整の主体は主として家計部門です。サブプライムローン問題にみられるように、住宅価格の上昇を背景に、住宅を担保にした借り入れが大幅に増加し、過剰な消費に振り向けられました。

バランスシート調整下の政策対応

 こうしたバランスシート調整圧力のもとで、どのような政策対応が行われたのか、日本と米国の違いを振り返ってみます。

 第1のポイントは、政策対応のタイミングや規模です。金融政策をみますと、最初の利下げは、日本銀行もFRBも主要都市の地価がピークをつけた時期から約1年後でした。利下げへの転換のタイミングは、日米は概ね同じであったことになります。一方、利下げのペースは、後から申し上げるような不良債権問題の現れ方の違いを反映して、米国の方が日本よりも速かったと言えます。日本でオーバーナイト金利が0.5%に達したのは、利下げ開始から4年後でしたが、米国の場合は1年3ヶ月後でした。次に、金融機能の回復という点で大きな鍵を握る公的資本注入ですが、資本注入金額の対GDP比率は、日本が2.5%程度だったのに対し、米国は1.5%程度と、日本がやや大きくなっています。ただし、資本注入のタイミングは、米国の方が日本よりも圧倒的に早かったと言えます。米国の場合、バブル崩壊が証券化商品の市場価格下落から始まったため、市場の力で早い段階から金融機関の資本不足が炙り出されました。日本の場合、不良資産の中心は貸出債権でしたので、価格下落を認識しにくく、金融機関の資本不足への認識や公的資本の注入まで時間がかかりました。ただ、米国も、現在、商業用不動産価格の下落や消費者ローンの劣化が続いており、不良債権問題の発生の順序が日本の場合とは少し異なることには留意する必要があります。この間、急激な落ち込みを回避する上で決定的に重要な金融市場の安定度という点では、最後の貸し手としての日本銀行による積極的な行動等を反映し、日本の方が不安定化の程度は相対的には、まだ小さかったように窺われます。

バランスシート調整下の金融政策の有効性

 政策対応に関する第2のポイントは、金融政策の有効性の評価です。日本の経験が示すように、バランスシート調整下の経済では、金利引き下げという金融緩和の効果は大きく低下します。もちろん、このことは、金融緩和政策が効果を発揮しないという意味ではありません。金融緩和は、過剰債務を抱えていない主体の支出やリスクテイクを促し、マクロの支出・所得を下支えします。また、利払いの減少を通じて、債務削減を進める効果があるほか、資産価格を下支えし、バランスシートの修復を速める効果も期待できます。

 バランスシート調整下での金融政策運営の観点から、日米間での特徴的な違いのひとつは、経済主体間の所得移転効果です。経済全体では、当然のことながら、過剰債務を抱えた主体に対応して、過剰貯蓄を抱えた主体が存在します。日本では、利下げにより、膨大な資産を保有する家計部門から、過剰債務を抱えた企業部門へ大規模な所得移転が発生しました。所得分配という点だけからみると、家計の利子所得の減少を通じて消費が何がしか抑制されるという面はありましたが、バランスシート調整の主体が企業部門であっただけに、利下げは、調整の進捗を円滑にし、経済活動全体を下支えすることで、最終的には家計部門の雇用者所得を、ひいては日本経済をしっかりと守る効果があったと判断しています。

 一方、米国は、日本と異なり対外純債務国ですから、利下げにより、海外の債権者に対する利払いが減少する結果、海外部門から米国内への所得移転が発生します。つまり、米国の場合は、利下げによって自国に有利な所得移転が発生し、この面ではバランスシート調整の進捗には有利な立場にあると言えます。もっとも、低金利の継続には、潜在的リスクもあります。低金利の継続で先行きの予想物価上昇率が高まったり、ドル安予想が生まれたりして、長期金利が大きく上昇するようなことがあると、財政負担が増加し、政府のバランスシート調整という別の問題が生じる可能性があります。

バランスシート調整の主体の違いがもたらす影響

 バランスシート調整の主体の違いは、所得移転効果以外にも、調整過程に重要な差異を生みます。日本の場合、企業部門がバランスシート調整の主体でしたから、世界経済の高成長を背景とした輸出の増加によって、経済全体のバランスシート調整が進捗しました。今回は、先進国が程度の差こそあれバランスシート調整の影響を受けていることから、前回日本が享受したような輸出の大幅な増加という追い風には期待しにくい面があります。加えて、今回、米国では、過去に比べ、雇用者所得が大きく減少しています。このことは、企業収益の回復にはプラスですが、家計のバランスシート調整を遅らせることも同時に意味します。

 そう申し上げた上で、急いで付け加える必要があるのは、米国の経済構造には、バランスシート調整を早期に進捗させる要素もあるという点です。必要とされるバランスシート調整の規模は、長期的な均衡成長率──潜在成長率と言っても良いですが──、と比べて、経済の抱える供給能力が過剰かどうかによっても左右されます。成長期待が高ければ、バランスシート調整の圧力は小さくなります。この点、米国は、何よりも経済構造が柔軟であるのは大きな強みです。労働や資本が生産性の低いセクターから高いセクターに素早く移動すれば、経済全体の生産性の伸びが維持されやすくなります。一方、日本では、少子高齢化から生産年齢人口の伸びが低下する中で、労働や資本の移動が相対的に少なく、そのことも一因となって経済全体の生産性の伸びが徐々に低下しました。その結果、バブル崩壊後の潜在成長率が低下し、バランスシート調整はその分長引くことになりました。

4.バランスシート調整とグローバル経済

 最後に、視点を広げて、バランスシート調整とグローバル経済の関連に触れます。この点から重要なのは、新興国と先進国の関係です。現在、世界的に大規模な景気刺激策が実施されています。エマージング諸国はバランスシート調整圧力を抱えていないものの、世界的な需要減少を背景に、大規模な景気刺激策を実施しました。加えて、先進国の金融緩和は、新興国への資本流入を促し、これらの国々の実体経済を後押ししています。さらに、為替レートの上昇を抑制するための為替市場への介入が、金融緩和効果を強めています。これらを背景に、新興国の景気は、本年春先頃の予想を超えて急速に回復しており、世界経済全体の回復にも寄与しています。しかし、新興国と先進国の景気回復ペースの格差が縮まらず、先進国からの資本流入が長期に亘って継続すると、新興国経済の過熱や金融の混乱をもたらし、その後の景気の落ち込みを招くリスクにも注意が必要です。各国経済が相互連関を強める中、世界経済にとって大切なことは、常識的ではありますが、先進国と新興国が、バランスよく、持続的に成長することです。こうした観点からも、今後の両者の関係、特に先進国から新興国への資金の流れには注意が必要です。

5.おわりに

 以上、金融危機後の世界経済を展望する上で、重要なポイントのひとつであるバランスシート調整について、90年代の日本の経験も踏まえながら若干の考察を行いました。政策当局者として、本日申し上げたような論点を念頭に置きつつ、景気の展開は、毎回違った顔を持って現れることも十分意識しながら、今後の経済情勢について予断を持つことなく点検する姿勢が大事だと考えています。

 ご清聴有難うございました。

以上