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【挨拶】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」
名古屋での各界代表者との懇談における挨拶
日本銀行総裁 白川 方明
2009年11月30日
英訳は、Recent Economic and Financial Developments and the Conduct of Monetary Policyをご覧下さい。
目次
1.はじめに
日本銀行の白川でございます。本日は、中部経済界を代表する皆様方とお話をする機会を頂き、大変嬉しく存じます。平素より、名古屋支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。
前回、この席で皆様にお話する機会を頂いたのは、昨年9月の初めでした。その直後の9月半ばにリーマン・ブラザーズが破綻し、米欧で金融危機が発生しました。それを契機に、世界経済は同時かつ急速に落ち込み、わが国の景気も大幅に悪化しましたが、各国の政府や中央銀行により様々な対策が講じられたことに加え、在庫調整も進捗したことなどから、内外経済は持ち直しに転じています。しかし、先行きはなお不透明であり、世界経済が持続可能な成長経路に移行するためには多くの課題が残っています。本日は、皆様方と意見交換を行わせて頂くにあたり、最初に私から、内外の経済情勢と先行きの展望、日本銀行の政策運営の考え方などについて、お話したいと思います。
2.世界経済の動向
それではまず、世界経済の動向から話を始めます。昨年秋以降の世界経済の急速な落ち込みの背景としては様々な要因が挙げられますが、私は、次に述べるような2つの要因に基づいて整理しています。
第1の要因は、2000年代半ばにかけて世界的に蓄積された過剰と、その巻き戻しの過程で生じるバランスシート調整です。2000年代半ばにかけ、世界経済は、高成長、低インフレ、低金利という、今から振り返ってみると、極めて良好な経済状態が長期間にわたって続きました。そのもとで、米欧における住宅投資ブームや世界的な耐久消費財需要の盛り上がりが発生しました。金融面では、サブプライム・ローン問題に象徴されるような信用の急膨張、レバレッジの急拡大が生じました。その過程では、実体経済活動と金融活動の両面で様々な行き過ぎが生じましたが、そうした行き過ぎは長続きし得るものではありませんでした。現在米欧を中心に起きていることの本質は、家計の過剰債務、企業の過大な生産能力、金融機関の不良債権などの問題を解決するプロセス、言わば、バランスシートの修復、調整のプロセスです。その間は、各経済主体の支出活動は抑制され、先進国を中心に世界経済に下押し圧力がかかり続けることになります。
第2の要因は、リーマン・ブラザーズの破綻を契機とするパニック的な金融収縮とこれに伴う経済活動の急激な落ち込みです。世界的に金融仲介機能が著しく低下し、経済活動に必要な資金が十分供給されなくなったため、米欧だけでなく新興国も含め経済活動が急激に落ち込みました。
世界経済はこのように大きく悪化した後、本年春頃から下げ止まりに向かいましたが、その後の展開は、地域によって異なっています。国際通貨基金(IMF)の見通しによれば、来年の世界経済の成長率は3.1%と本年の−1.1%から4%ポイントの上昇となっていますが、来年の経済成長に占める寄与は先進国が3割、新興国は7割と、新興国による寄与の方が大きくなっていることが大きな特徴として挙げられます。
すなわち、米欧では、各国中銀による潤沢な流動性供給や金融機関への公的資金注入、大規模な財政支出などによって、パニック的な金融・経済活動の収縮は収まりましたが、バランスシート調整という慢性的な景気下押し圧力は、なお続くと考えられます。このため、現在景気は回復しつつあるものの、そのテンポは総じて緩やかなものとなっています。
一方、新興国や資源国の状況をみると、多くの国で、生活水準の向上に伴う消費活動の活発化や社会資本の整備の必要性など、内需の基調が総じて強い状態にあります。また、米欧と異なり大規模なバランスシート調整の必要がないため、財政支出の増加が、高い乗数効果をもって国内需要を喚起しています。さらに、低金利が続いている先進国からの資金流入が、貸出の増加や資産価格の上昇などを通じて成長を後押ししています。もっとも、これらの国や地域の情勢もけっして一様ではありません。これまでの金融危機の影響、先進国からの資金流出入の動向、マクロ経済政策運営など、各国それぞれの事情に則して注意深くみていく必要があります。
3.日本経済の現状と先行き
次に、以上のような世界経済の姿を踏まえた上で、日本経済の現状と先行きについてご説明したいと思います。
わが国の景気は、昨年秋以降、米欧の景気悪化を背景に輸出・生産が急速に減少し、かつてなかったほどの落ち込みを経験しました。しかし、本年春以降、内外における在庫調整の進捗や景気刺激策の影響から、輸出や生産は増加してきました。また、公共投資の増加や個人消費の回復もあって、先日公表された7~9月期のGDP速報値は、前期比年率で+4.8%と2期連続の増加となりました。ただし、民間需要の増加は、各種対策の効果によって支えられている面が大きいと判断しています。このため、日本銀行では、わが国経済は持ち直しているものの、民間需要の自律的回復力はなお弱いと判断しています。
先行きについても、2010年度半ば頃までは、雇用・賃金面での調整圧力の残存などから、持ち直しのペースは緩やかなものに止まる可能性が高いとみられます。景気の現状や先行きを一言で表現しようとする場合、どのような言葉が最も相応しいかは、コミュニケーション上、常に頭を悩ます問題です。只今申し上げた「緩やかな持ち直し」という表現は、景気が悪化する局面ではなくなったものの、経済活動の水準はなお低く、先行きの回復テンポも平坦とはならないだろうという慎重な判断も込めて使っています。実際、来年春先前後には、内外の景気刺激策の効果の減衰に伴い、景気の勢いが一時的に鈍る可能性も否定できません。しかし、日本を含め先進国の当局が景気をサポートする姿勢を堅持していること、新興国の成長力が強いことなどを踏まえると、内外の景気回復の動きが途切れてしまう可能性は大きくないとみています。その後、来年度後半以降には、輸出を起点とする企業部門の好転が家計部門に波及し、わが国の成長率が徐々に高まっていくという姿を想定しています。このような見方の背後にある世界経済の見通し自体は他の先進国の中央銀行と基本的に同様のものであり、日本銀行独自のものではありませんが、こうした見通しは不確実性が大きいことも認識しています。この点では、このところの急速な円高が回復途上の企業マインドに与えている影響、さらには先週末以降の国際金融面での動きが金融市場に影響を及ぼす可能性にも十分注意を払っています。中央銀行としては、何よりも予断を持つことなく経済の姿を点検していく姿勢が大事だと思っています。
この間、物価面では、昨年以降、米欧と同様、石油製品価格の影響を受けて振れの大きい展開となっています。すなわち、わが国の消費者物価指数の動きを前年比でみると、昨年夏には+2.4%にまで上昇しましたが、本年春に前年比マイナスに転じ、8月には、−2.4%と過去最大の下落を記録しました。先週発表された10月の消費者物価前年比は−2.2%と幾分縮小し、今後も前年の石油価格高騰の影響が薄れるため、来年初にかけて−1%程度まで縮小する可能性が高いと予想されます。問題はその先です。マクロ的な需給バランスの改善に伴い、下落幅は徐々に縮小していくと見込まれますが、経済の持ち直しテンポが緩やかなものに止まるとすれば、物価の下落圧力もある程度長期間にわたって残る可能性が大きいとみられます。
このため、日本銀行は、10月末に公表した展望レポートの中で、物価について、下落幅を徐々に縮小させつつも、下落が2011年度まで続く可能性が高いという厳しい見通しを公表しました。政府は、先日、「持続的な物価下落という意味において緩やかなデフレ状況にある」との見解を示しましたが、10月末に示した日本銀行の物価に関する判断は、こうした政府の見解と同じ認識に立つものです。
4.金融政策運営
次に、以上のような経済物価情勢を踏まえた上で、日本銀行の金融政策運営について申し上げます。金融緩和という面では、昨年末にかけて、金利面から景気をしっかりと支えるため、政策金利を0.1%に引き下げました。この結果、日本の短期金利は現在世界で最も低い水準となっています。こうした低金利は、企業や家計の経済活動を支援する力を有していますが、低金利が持っている潜在的な景気刺激効果は、経済環境の持ち直しにつれて高まっていく性格のものです。日本銀行は、本年10月には、先行きもきわめて緩和的な金融環境を維持し、日本経済を粘り強く支援していくという方針を改めて表明しましたが、そうした方針を堅持していることを本席で再度強調したいと思います。日本銀行としては、経済物価情勢の先行きの展開を十分に点検し、物価安定の下での持続的成長経路への復帰のために適切な対応を図っていく方針です。
金融緩和効果という点では、金融市場の安定確保も重要です。金融市場の安定を確保することは中央銀行としての責務であり、日本銀行は、金融市場の安定を確保するために必要と判断される場合には、迅速・果敢に行動する態勢を常に整えている、ということを改めて強調したいと思います。
5.デフレ問題への対応
ここで、政策運営との関連で、デフレ問題に対処する上での基本的な考え方について申し述べたいと思います。日本銀行は、日本経済が持続的な物価の下落状態、つまりデフレと呼ばれる状態から脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰するという課題達成のために、先ほど申し述べたように、中央銀行として最大限の努力を行ってきましたし、今後もその方針を堅持することを明らかにしています。
まず、持続的な物価下落の根本には、経済全体の供給能力に比べて需要が弱いという基本的な要因が存在しています。今回の物価下落でも、その出発点は昨年秋以降の金融・経済活動の急速な収縮であり、その結果、需給バランスは大きく悪化しました。こうした状況を是正するには、設備投資や個人消費といった最終需要が持続的に拡大するような環境を整えることが必要です。言い換えれば、政策運営面では、家計が将来の生活への安心感を持ち、企業も将来の成長に対する期待を持てるようにすることが重要です。同時に、企業サイドでも、米欧における行き過ぎたブームの再来はない以上、新しい時代の消費者ニーズに即した供給体制に転換していく経営努力が不可欠です。
このように、デフレ問題に対応するためには、政策当局、民間経済主体それぞれによる粘り強い取り組みが必要であり、どうしてもある程度時間を要することになります。その間、物価の下落が原因となって経済活動に悪影響を及ぼし、これが更に物価の下落を引き起こすような事態、つまり、景気と物価の悪循環を引き起こさないようにすることも大事です。歴史を振り返りますと、物価の下落が経済活動の収縮を招き、景気と物価の悪循環をもたらした事例のほとんどは、銀行倒産などにより金融システムが著しく不安定化した時期、まさに金融が収縮していた時期に生じています。こうした場合、資金の手当てがつかなくなった企業は、当座の資金繰りをつけるために、自社製品の投げ売りを行ったり、雇用を維持できなくなります。そして、それが物価や賃金の下落をもたらし、さらに経済の悪化につながってしまいます。このようなケースはやや極端ではありますが、景気と物価の悪循環を防ぐ上で金融システムの安定を確保することが極めて重要である、というのは歴史の貴重な教訓です。
以上述べたように、デフレ問題に対処する上では、第1に、経済全体の需給バランスを持続的に改善すること、第2に、景気と物価の悪循環を防ぐこと、特に金融システムの安定を維持すること、が鍵を握っています。日本銀行は、こうした考え方に立って、金融緩和と金融市場の安定確保の両面で、デフレ克服のために最大限の努力を行っていく方針です。
6.持続的成長に向けて
以上、デフレ問題への対応について考え方を述べてきましたが、この問題の本質が経済全体の需給バランスの悪化であることを踏まえると、デフレ克服の取り組みは、日本経済の実力、すなわち成長力そのものを強化するという取り組みと重なってきます。そこで、最後に、日本経済の持続的成長に向けた課題について触れたいと思います。
経済の持続的成長は、最終需要の持続的な拡大と、それにあわせた供給能力の拡大によって実現されます。経済分析では、しばしば、供給面からみた経済成長を3つの要因、すなわち、資本設備の伸び、労働力の伸び、生産性の伸びに分けて分析します。いわゆる成長会計という手法です。この方法を使って、日本経済が現在よりもはるかに高い成長を遂げていた時期の成長の源泉を振り返ってみます。黒田昌裕・前内閣府経済社会研究所長の分析はこの面での代表的な研究成果ですが、その分析によると、1960年から85年まで25年間の平均成長率は6.8%となっており、これに対する寄与の内訳をみると、資本設備が3.7%、労働力が0.9%、生産性が2.2%となっています。持続的な成長を実現するためには、当然のことながら、需要の拡大と供給力の拡大の両方が必要ですが、供給面では、労働力の寄与は意外に小さく、資本設備の増強や生産性の上昇の寄与が大きいことがわかります。人口減少やそのもとで発生する問題への取り組みが重要であることはもちろんですが、それと並んで、先行きの日本の成長力を高めるためには、第1に、需要拡大の源泉をどこに求めるか、第2に、生産性の上昇をどう実現していくか、という2つが特に重要なポイントとなります。
まず、需要の拡大の源泉という点では、家計の将来の生活への安心感を高め、国内需要が拡大する基盤を整えるとともに、今後の人口の減少を考えると、新興国や資源国の拡大する需要をどう取り込んでいくかが大きな課題になります。といっても、新興国への製品輸出に対する依存度を高めるべきと主張している訳ではありません。需要の取り込みには様々な方法が考えられます。実際、過去5年間をみると、経常収支黒字の実に7割強は、証券投資や直接投資に伴う海外からの所得受け取りで構成される状況に変化してきています。要は、製品輸出だけでなく、垂直分業、水平分業なども含め、様々な形で新興国との関係を強化していく取り組みが求められるということです。
同時に、供給面で生産性の上昇を図るための努力も不可欠です。すでに、企業経営者は、只今申し述べたような新興国も含めたグローバルな生産体制の構築や、消費者のニーズを捉えた高付加価値製品の開発に取り組んでおられます。こうした取り組みは新たな需要を掘り起こすことにもつながります。人口構成の変化ひとつをとってもそうですが、経済や社会は常に変化する以上、そこには新たなニーズが必ず発生します。その際、企業にとっての挑戦は潜在的なニーズを現実の需要にすることです。経済論議では需給ギャップがしばしば議論されますが、これは、あくまでも既存のニーズに基づく商品の需要と、そうしたニーズを満たす商品の供給能力を比較したものです。しかし、未曾有の世界的なバブルが崩壊した今日、従来と同じ商品の供給能力を埋めるだけの需要が生まれてくることは期待できません。やや脇道に逸れますが、その意味では、しばしば議論される需給ギャップは需給ミスマッチの指標という側面もあるように思います。大事なことは潜在的なニーズを現実の需要にするための企業努力です。さらに、そうした企業レベルの取り組みを後押しするため、国内の社会の変化やグローバルな経済の変化に応じてわが国の経済構造の柔軟性を確保できるように、制度や仕組みを見直していくことです。ちなみに、わが国では、米国に比べると、企業の廃業率、開業率とも、半分以下のレベルであり、経済の新陳代謝が低い状況にあります。
こうした現状を改善し、生産資源がニーズの高い分野に円滑に移動できるような仕組みを整えるためには、様々な角度からの検討が必要ですが、中央銀行としての立場からは、金融市場、金融機関、機関投資家の果たす役割を強調したいと思います。金融市場は、企業の収益力や将来性、リスクに応じた効率的な資金配分を実現し、資金面から経済の新陳代謝を進める役割を担っています。その際、多様な市場が存在し、多様な資金の出し手が企業の収益性などを評価する方が、より効率的な資金配分が可能になります。このため、多様で効率的な金融市場を整備していくことは、経済全体の生産性を高める上でも、重要な役割を果たすと考えられます。
7.おわりに
以上、色々と申し上げましたが、言うまでもなく、成長は究極的には人間の意思の力によって実現されるものです。この点、当地には、これまで、様々な環境変化を新たなチャンスと捉えて対応し、高成長を遂げてきた企業が数多く存在します。最近でも、省エネ自動車などの高付加価値製品を開発し、その生産を拡大する動きがみられており、心強く思っています。こうした取り組みが一層進められていけば、日本経済の持続的成長への活路が拓けていくものと期待しています。日本銀行としても、皆様方のこうしたご努力を、中央銀行の立場から全力を挙げて支援していきたいと考えています。本日は、ご清聴有難うございました。
以上