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【挨拶】中央銀行と中央銀行業務の将来

日本銀行金融研究所主催2010年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2010年5月26日

目次

1. はじめに

おはようございます。日本銀行での国際コンファランスで挨拶することは、私にとって大きな喜びです。中央銀行、国際機関、学界からご参加頂いた皆様に、日本銀行の同僚を代表して、心から歓迎の気持ちをお伝えしたいと思います。

2007年夏に始まったグローバルな金融危機は、中央銀行の果たすべき役割について改めて根源的な問いを投げかけています。本年のコンファランスは、“Future of Central Banking under Globalization”という非常に時宜を得たテーマに焦点をあてています。

私にとって中央銀行の将来を考えるうえでの出発点となるのは、私自身が日本銀行に入行した1972年当時の通貨・金融システムや中央銀行が置かれていた状況です。当時は、金融政策の主たる目的が物価安定であることについて、政治家や国民から十分な理解と支持を得られていた訳ではありませんでした。その後まもなく1970年代半ばにかけて、主要国の2桁のインフレ率が各国中央銀行にとって大きな問題となりました。また、多くの中央銀行がなお独立性を獲得していませんでした。先進国の為替相場制度は、ブレトン=ウッズ体制のもとでの調整可能な固定相場制度から変動相場制度に移行する過渡期にありました。金融システムをみると、金融機関の業務には依然として様々な制限が課せられており、金融危機の記憶は遠い過去のものとなっていました。

その後、状況は大きく変化しました 1 。マクロ経済のパフォーマンスは大きく改善しました。多くの中央銀行が独立性を獲得するようになり、中央銀行の役割に関する理解も、政治家や国民の間で随分広がりました。アラン・ブラインダーの言う中央銀行の「静かな革命」です 2 。金融政策に関する経済理論も大きな進歩を遂げました 3

まさにそのような変化に気付いた頃には、状況は徐々に変化し始め、中央銀行に新たな課題を投げかけるようになりました。資産価格・信用バブルとバブル崩壊後の経済的困難や金融危機です。日本はこの課題に最初に直面しましたが、その後、世界の様々な地域で同様の課題を経験するようになりました。

今回のグローバルな金融危機を踏まえれば、我々は今や、新たな課題に直面していることが明らかになっています。しかしながら、数十年前の各国中央銀行の政策担当者は、こうした今日の状況をどの程度予測していたでしょうか。以下では、長期的な将来を予測する代わりに、もう少し近い将来に焦点をあわせることにしたいと思います。

  • 1 マクロ経済、金融システム、国際通貨制度の動向を巡る優れた展望論文として、それぞれCagliarini, Kent, and Stevens [2010]、Caruana [2010]、Crockett [2010]をご参照ください。
  • 2 Blinder [2004] をご参照ください。
  • 3 Clarida, Galí, and Gertler [1999]は、金融政策を巡る学術的研究は、最適金融政策について広範な応用可能性を有するいくつかの有益な基本原理を確立し、「金融政策の科学」と呼べる段階にまで達したと述べています。

2. 中央銀行のパフォーマンス

各国の中央銀行は歴史的経緯を反映し、担っている役割は全く同じという訳ではありません。しかし、近代的な中央銀行業務の本質を考えるうえでは、以下の3つの役割に着目する必要があります。第1に、中央銀行通貨という最も高い安全性と流動性のある通貨を供給し、決済システムを運営しています。第2に、物価安定を目的として金利水準のコントロールを行う金融政策を遂行しています。第3に、金融システムの安定を維持していくための役割を担っています。この第3の役割の中で中央銀行に固有なものは、最後の貸し手としての役割となりますが、多くの中央銀行は程度の差こそあれ、金融規制・監督の面でも重要な役割を担っています。まずは、中央銀行のこれら3つの役割におけるパフォーマンスを振り返ることから始めたいと思います。

中央銀行通貨と決済システム

まず、中央銀行通貨や決済システムについてみてみましょう。中央銀行当座預金を通じた大口決済は、金融市場取引の拡大を反映して、顕著に増加しています。また、同時に、決済方法も大きく変化しました。1970年代初頭においては、米国連邦準備制度(FRB)の運用するFedwireのみが、支払い指図毎に中央銀行の当座預金口座間で即座に資金を振り替えることで決済する、即時グロス決済(RTGS)システムを採用していました。その他の大半の決済システムは、日中の特定時点において、ネット決済金額を中央銀行の当座預金口座間で振り替えることで決済する、時点ネット決済(DNS)システムを採用していました。日本銀行も、当時は午前9時、午後1時、3時に大半の決済を実行していました 4 。しかし、現在は、日本銀行を含め世界の大半の中央銀行がRTGSシステムに移行しています 5

外国為替取引については、2002年にCLS(Continuous Linked Settlement)が稼働を始めています。このシステムは、中央ヨーロッパ標準時で午前7時から正午までの間、17種類の通貨について同時決済方式(payment-versus-payment)による決済を行っています。この時間帯は、中央銀行の営業時間を延長することで実現されたものであり、世界の決済をつなぐいわゆる「5時間の窓」と呼ばれています。

これらは、ほんの限られた例にしか過ぎませんが、決済システムの安全性・効率性が格段に高まっていることを示しています。今回のグローバル金融危機では、決済システムはその頑健性を証明しましたが、これは、決済リスクを低減させようという、関係者のこれまでの弛まぬ努力の成果といえます。

  • 4 5時時点での決済(為決時点)は、全銀システムが翌日決済から当日決済に移行した、1993年に導入されました。
  • 5 白川 [2009] をご参照ください。

金融政策

次に、金融政策の面でのパフォーマンスを振り返ってみましょう。1970年代から1980年代初頭にかけて世界的に物価上昇率は高進しましたが、1980年代中ごろから低下し始めました。1990年代に入ると、インフレ率は低位安定し、主要国中央銀行がインフレとの戦いに成功を収めたといえる状況となりました。それと平仄をとるように、金融政策の主要な目標が物価の安定であること、この目的を達成するために中央銀行の独立性を確保する必要があること、という2つの点について人々の理解が深まりました。

しかしながら、正にインフレとの戦いに成功を収めた頃から、しばしばバブルが発生するようになりました。先ほど申し上げたように、日本は1980年代後半に最初にこの問題を経験しました。この頃、日本のマクロ経済のパフォーマンスは先進国の中で際立って良好でした。実質成長率をみると、他のG7諸国の平均が年率で3.4%であったのに対し、日本は5.1%でした。一方、消費者物価上昇率をみると、他のG7諸国の平均が年率で3.9%であったのに対し、日本は1.1%でした。後に広がりをみせるインフレーション・ターゲティングの評価基準に照らせば、日本は優等生でした。

当時日本では、極めて緩和的な金融政策からの転換の必要性が議論されていました。実際、ただ1つのデータを除いて、すべての経済指標 —— 高い成長率、労働市場の逼迫、銀行貸出の急増、資産価格の高騰 —— が金融緩和政策の修正の必要性を示唆していました。しかしながら、ただ1つの例外とは、他ならぬ消費者物価上昇率だったのです。このため、低インフレは、日本銀行への強力な反論として立ちはだかり、金融引締めに向けた政策転換が遅れることとなりました。その後に起きたことは、資産価格・信用バブルの膨張と崩壊、そして金融危機でした。以降、物価の安定が経済の安定を自動的に保証するものではないことを多くの国が経験するようになりました。

幾分脇道にそれますが、今回の危機発生以前は、ゼロ金利制約を回避するための糊代(safety margin)が、しばしば若干プラスの物価上昇率を目標とすることを根拠づける理由の1つとして指摘されていました。しかしながら、今次金融危機では、主要国はいずれも事実上ゼロ金利制約に直面するに至っています。リーマンブラザーズ破綻以降の厳しい経済活動の落ち込みを振り返ると、より高い目標インフレ率によって可能となったであろう、あと数パーセントポイントの金利低下によって、経済の回復軌道が大きく変わったと考える人はほとんどいないでしょう 6 。このことは、金融システムの不安定化がマクロ経済に対していかに甚大な経済的影響をもたらすかを示しています。

我々は過去数十年の経験から、2つのことを学びました。第1に、物価の安定と金融システムの安定のいずれもが、マクロ経済の安定に欠くことのできない前提条件であるということです。第2に、物価の安定はそれ自体望ましいものではありますが、経済主体の過剰な自信や、低金利の継続予想と組み合わされる場合には、将来の金融システムを不安定化させる複雑なメカニズムを秘めているということです 7

  • 6 Blanchard, Dell'Ariccia, and Mauro [2010] は、今回の金融危機を踏まえ、目標インフレ率の引上げのコストとベネフィットを検討していく必要があるとしています。
  • 7 White [2006] をご参照ください。

金融システム

そこで、次に、中央銀行の第3の役割である金融システムの安定の面でのパフォーマンスについてみていきたいと思います。1970年代初頭、日本を含め多くの国にとって、大規模な金融危機は既に遠い過去の出来事となっていました。もちろん、その後も、英国の中小金融機関の経営危機(Secondary Banking Crisis)、米国の貯蓄投資組合の経営危機(S&L Crisis)のように、危機がなかった訳ではありませんが、経済・金融システム全体を襲う文字通りの金融危機ではありませんでした。しかし、1990年代に入り、こうした様相は一変しました。

第1に、金融危機の発生頻度が以前に比べて高まりました。このことは、近年の、日本、北欧、東アジア、LTCM、ロシア、および今回の世界金融危機をみれば明らかです。これに加えて、危機の規模は拡大傾向を辿っています。

第2に、危機は、国際的な広がりが増しています。日本の金融危機は日本にとって深刻な事態でありましたが、世界の金融システムからみると、局所的な出来事(isolated event)でした。その後の危機は、そのグローバルな性格を強めています。今回の危機は、特に、リーマンブラザーズ破綻以降は、文字通りグローバルな金融危機となりました。

第3に、金融危機は以前とは異なる性格を有するようになっています。金融危機はいつも流動性不足という形で表面化します。今回の危機では、資金流動性の不足だけでなく、市場流動性の不足も問題となりました。さらに、そうした流動性の不足は、伝統的な銀行システムの外側にあるシャドー・バンキング・システムにおいて先鋭化しました。

3. 成功によってもたらされた新たな難題

過去数十年間の歴史が示すように、中央銀行は物価や経済活動の安定という面で大きな成功を収めました。皮肉なことに、中央銀行は正にその成功の結果として、新たな難題に直面しているように見受けられます 8 。以下では、これらの難題について説明したいと思います。

  • 8 白川 [2010] は、バブルと金融危機の背後にある、いわゆる「自信の循環(cycle of confidence)」というメカニズムを指摘しています。

経済不均衡の顕在化の変化

第1に、経済の不均衡が物価の不均衡という形で直ちには表れにくくなったことです。良好なマクロ経済環境のもとでは、経済主体が闇雲に強気化し、そのリスク認識が甘くなります。しかしながら、低インフレのもとで、緩和的な金融政策の転換は遅れがちとなります。この状況のもとで、何らかの理由で過剰な自信が生まれることで、資産価格の上昇、信用やレバレッジの膨張、期間ミスマッチの拡大が始まります。経済の不均衡が物価の不均衡という形で表れれば、中央銀行は、オーソドックスな金融引締めにより対応できたはずです。しかし、経済の不均衡は金融面の不均衡として表れました。それでは何故、物価は経済の不均衡に直ちには反応しなくなったのでしょうか。

しばしば指摘される理由の1つは、中央銀行の金融政策に対する信認の向上です。この場合、価格変動が一時的であると認識されれば、企業は直ちには価格を引き上げません。もう1つの理由は、企業が価格以外の要素によって競争を行う傾向を強めていることです。低インフレ環境のもとで、企業は、単純な価格引上げで顧客を失う一方、単純な価格引下げでは他企業の追随値下げを招くと懸念していると考えられます。

今申し上げたような分析に、私自身、基本的に同意しますが、より本質的な理由は、価格を計測すること自体が近年難しくなっているためではないかとみています。もちろん、物価指数は理論上、品質変化を調整したベースの価格の変動を捉えるものです。しかし、現実には、情報化、サービス化、ネットワーク化が進むほど、付加価値と付随するリスクを把握することが難しくなります 9 。良い例が、消費者が金融機関から購入する金融サービスです。金融サービスは、主としてリスク評価を行うものです。しかしながら、今次金融危機の経験が示すように、このようなリスク評価は事後的にみて不適切なものでした。仮に、理想的な品質調整方法が利用可能であったとすれば、金融サービスの品質調整済み価格は、品質の低下を反映して上昇していたはずです。しかし、このような統計処理は実際にはほとんど行われていませんし、また今後も難しいように思われます。

  • 9 Varian [2001] をご参照ください。

バブル崩壊後の政策対応

第2の難題は、政策対応が短期的に成功したとしても、そのことが必ずしも長期的な成功を意味する訳ではないということです。中央銀行は、迅速かつ積極的に対応し、バブル崩壊後の深刻な経済の落ち込みに対処しました。こうした政策措置は、資産価格・信用バブルの発生など、また別のリスクを引き起こす可能性があることに注意しなければいけません。先ほど触れた1990年代以降のバブルの発生頻度増加と規模拡大を踏まえると、金融政策運営が成功したかどうかは、より長い時間的視野から判断していく必要があるように思われます。

民主主義社会における中央銀行

第3の難題は、政策対応の成功は、民主主義社会において、中央銀行がどのような責任を負うべきかという新たな問題を提起していることです。

金融経済危機に直面し、主要国の中央銀行はいずれも非伝統的な政策措置に踏み切りました。この点、日本銀行は真っ先に金融危機を経験し、真っ先に異例の措置を採りました。1990年代以降、日本銀行は、証券会社に対する資金供給を含め、最後の貸し手として積極的に行動してきました。また、金融機関保有株式の買入れ、ABCP、ABSの買入れ等、様々な異例の措置を講じました。日本銀行の政策対応面でのこうした革新性が、必ずしも十分に認識されていないことは、残念なことです。実際、主要国の中央銀行は、今回の金融危機において、日本銀行の政策対応と同様に、異例の措置を講じています。

中央銀行による非伝統的な政策措置は、損失が生じた場合に納税者の負担となって跳ね返る危険があること、また、ミクロレベルの資源配分に介入する要素があることといった点で、準財政政策(quasi-fiscal policy)的な側面を有しています。危機の渦中では、中央銀行に対し非伝統的な政策措置を求める声が高まりますが、そうした政策措置は程度の差はあるものの、準財政政策的な側面を有しています。民主主義社会において、中央銀行は一般に、そうした政策を政府・議会が遂行する必要があると考えており、このような決定が政府・議会によって先送りされると、中央銀行は難しい立場に置かれます。

純粋な金融政策と準財政政策の境界線は、時として曖昧なものとなりえます。1990年代以降の各国の経験を振り返ると、準財政政策に近い政策措置の発動を可能にする条項が中央銀行法に規定されている場合、中央銀行はぎりぎりの判断として、そうした政策措置の実行を決断してきました。そうした中央銀行の非伝統的政策措置の効果もあって、ひとたび経済が危機から脱すると、中央銀行は、その行動が民主主義社会におけるルールを逸脱しているとの批判に曝されました。そうなると、中央銀行への信認が損なわれ、政策遂行能力にも悪影響が及ぶことになります。

4. 中央銀行の課題

これまで議論してきたように、中央銀行は、現在新たな難題に直面しています。そうした難題を意識したうえで、中央銀行が直面する具体的課題をいくつか指摘してみたいと思います。

中央銀行の基本的使命に関する理解

第1は、中央銀行の基本的使命に関する理解です。この点についての社会的な理解なしには、中央銀行の独立性、ひいては信認自体が損なわれかねません。

私は、中央銀行の基本的な使命を、安定的な金融環境(a stable financial environment)、すなわち、持続可能な経済成長と整合的で、これに貢献する金融環境を実現することであると考えています。物価の安定は、間違いなく安定的な金融環境を実現するための1つの重要な要素です。しかし、物価の安定が唯一の要素ではありません。短期的な物価の動きだけに釘付けになると、かえって経済の変動を大きくします。

結局のところ、通貨の太宗を占める預金通貨は、民間金融機関における期間ミスマッチとレバレッジの結果として生み出されるものです。中央銀行は、そうした民間金融機関の行動を含め、金融環境の変化を的確に把握しなければなりません。今回のグローバルな金融危機を経て、重要性が改めて強調されているマクロ・プルーデンス的な視点は、そうした民間金融機関行動の変化を十分に認識したうえで、実体経済と金融システムの相互作用を点検していくものとして理解する必要があります。そうした分析は「言うは易く行うは難し」の典型となりますが、中央銀行にとって必須の課題といえます。また、マクロ・プルーデンス分析、ないしマクロ・プルーデンス的な視点は、金融政策の運営に当たっても、金融規制の設計や金融機関の監督に当たっても、極めて重要といえます。

金融のインフラストラクチャー

第2は、金融のインフラストラクチャー改善の努力です。安定的な金融環境を実現するうえで、金融政策は間違いなく重要な役割を果たしますが、我々の知識の不完全性を考えると、ファイン・チューニング政策の効果を過大に評価することは適当ではありません。よく知られているように、GDPギャップや物価上昇率を正確に計測することは必ずしも容易ではありません。こうした指標を予測することの難しさはなおさらです。また、認知ラグが経済を不安定化するリスクにも注意を払う必要があります。

これに対し、決済システム改善の努力がグローバル金融危機の深刻化を阻止したことからも明らかなように、金融のインフラストラクチャーを改善することからは、より確実なリターンを期待できます。この点では、クロスボーダー資金取引市場の改善は、最も重要な課題の1つと考えられます。

国際通貨制度

中央銀行業務の将来について議論するとき、国際通貨制度に関する議論に触れずには、スピーチは完結しません 10 。この点に関して、ときおり、グローバル・インバランスを調整するためのマクロ政策の国際協調が議論されることがあります。経常収支の不均衡自体は、経済成長や人口動態の違いに伴う貯蓄・投資パターンの違いを調整するメカニズムです。従って、経常収支の不均衡自体が悪い訳ではありません。是正すべきは持続可能でない経常収支不均衡ですが、今回のグローバルな金融危機が示すように、そうした不均衡は多くの場合、不適切なマクロ経済政策や金融の規制・監督という、国内の不均衡から発生しています。国際通貨制度の改革は長期的な課題として十分に理解できますが、当面は、各国それぞれが自国の経済のマクロ的な安定に向けて努力する(put its own house in order)ことが基本線である点を強調しておきたいと思います。

このことを述べたうえで、国際的な側面においても、新たな課題に直面していることを認識しなければなりません。グローバルに活動する金融機関や投資家の役割が拡大するにつれ、一国の金融緩和政策は他国にも影響するようになっています。このため、教科書が記述するような、変動相場制度の隔離効果(insulating effect)が常に完全には機能しない現象も観察されます。キャリー・トレードの影響増大はその一例になります。こうした金融政策の波及経路の変化を意識した場合、先進国ないし基軸通貨国は金融政策運営の考え方を修正する必要があるのでしょうか。また、修正が必要であるとして、どのように修正すべきでしょうか。これはなお未解決の問題です。

  • 10 国際通貨制度に対する関心が再び高まっていようにみえます。こうした議論については、例えば、Padoa-Schioppa [2010] をご参照ください。

5. 中央銀行の組織文化

このように、中央銀行は様々な課題に直面しています。いずれにしても、管理通貨制度は人智によって通貨のコントロールを図るという仕組みです。それだけに、組織文化と、そうした文化のもとでの人的資本蓄積は、中央銀行にとって極めて重要なものです 11 。本日の話を締め括るにあたり、私が重要と考える中央銀行における組織文化のいくつかの側面に触れたいと思います。

中央銀行文化の第1の側面は、銀行業務です。中央銀行は、単にマクロ経済や金融システムを抽象的に議論する象牙の塔ではありません。むしろ、中央銀行はそれ自体が銀行であり、金融政策にせよ、最後の貸し手にせよ、銀行業務を通じて実践に移されます。こうした業務は、担保掛け目の設定、カウンターパーティの選定、資金や証券の決済、破綻時の債権回収をはじめ、様々な実務に関する知識を必要とします。

また、銀行業務の実務に関する知識は、中央銀行が金融システムの繊細な役割(subtle working)やその実体経済との連関を評価していくうえでも有用なものです。マクロ経済学の入門書に描写されているマネーは、信用乗数とマネタリーベースの掛け算で生み出される無機的な概念です。このようなマネーの理解の仕方では、その果たしている重要な役割を見落としてしまいます。すでに申し述べたように、マネーは、金融取引における期間ミスマッチやレバレッジの結果として生み出されるものです。つまり、中央銀行は、銀行がどのように業務を行っているかについての実践的な知識なしには、金融システムやマクロ経済の動向について理解していくことはできません。今回のグローバル金融危機は、この点を端的に示しています。

第2の側面は、弛まぬ学習(learning)です。金融システムや金融市場を含め、経済は常に変化しています。我々が何かを学んだと自信を持つ時には、事態は既に変化し始めています。物価安定を実現した後に、金融システムの不安定化が生じるのは、その一例です。

我々は、あらゆる事態に対応できるルールや契約(fully state-contingent rules and contracts)を作成することはできません。現実の市場は、必然的に経済学者のいう不完備市場(incomplete market)とならざるをえません。中央銀行は、そうした不完備性に対処するための仕組みの1つだと考えることができます。もしそうだとすれば、中央銀行は、利用可能なあらゆる知識を総動員して、経済で起きている変化とその含意を理解し、必要な政策行動を策定していくことが求められます 12 。だからこそ、中央銀行は、学習し続けるという組織文化に特に重きをおいていく必要があります。

第3の側面は、多様な分野の知識の統合です。金融政策を例にとると、中央銀行が政策を運営していくうえで、マクロ経済理論の果たす役割は大きなものがあります。経済理論は、複雑な現実を理解するための枠組みを提供するという重要な役割を果たしています。しかし、同時にある1つの理論に固執することは、我々の見方を歪める危険を内包していることも冷静に認識する必要があります。歴史に関する知識も有用です。金融危機の歴史を振り返ると、「今回は違う(this time is different)」という心理の普遍性に驚かされます 13 。さらに、先ほど述べた銀行業務に関する知識も不可欠です。中央銀行は、金融政策部署とプルーデンス政策部署における文化の違いを乗り越え、両者のシナジー効果を引き出すため、常に努力を怠ってはなりません。

第4の側面は、中央銀行間の協力です。今後とも経済活動や金融市場取引は国境を越えて活発化すると予想されますが、近い将来、主権国家がなくなるとは考えられません。その場合、金融システムの安定を実現するうえで、中央銀行間の協力が一層重要になると考えられます。今回のグローバルな金融危機では、各国中央銀行は、首脳レベルから実務レベルまで、様々なレベルで緊密に意思疎通を図ってきました。これは中央銀行界の将来に向けた貴重な資産になると考えています。

  • 11 Williamson [1999] は公的組織のガバナンスを議論しています。Oritani [2010] は組織の経済理論を使って、中央銀行のガバナンスや組織を分析しています。
  • 12 中央銀行にとっての学習の重要性については、King [2005] をご参照ください。
  • 13 Reinhart and Rogoff [2009] をご参照ください。

6. 結び

中央銀行のコンファランスは、こうした中央銀行の組織文化を反映したものですが、今回の国際コンファランスは、テーマが「中央銀行業務の将来」であるだけに、特にそうした色彩が強いように感じています。これから1日半にわたるコンファランスが、中央銀行と中央銀行業務の将来について、より深い洞察を与えてくれるものと考えています。

ご清聴に感謝いたします。

以上

参考文献

  • 白川方明、「頑健な決済システムの構築に向けて」、金融情報システムセンター25周年記念講演、2009年11月13日
  • 中央銀行の政策哲学再考」、エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳、2010年4月22日
  • Blanchard, Olivier, Giovanni Dell'Ariccia, and Paolo Mauro, “Rethinking Macroeconomic Policy,” IMF Staff Position Note, 2010.
  • Blinder, Alan S., “The Quiet Revolution: Central Banking Goes Modern,” Yale University Press, 2004.
  • Cagliarini, Adam, Christopher Kent, and Glenn Stevens, “Fifty Years of Monetary Policy: What Have We Learned?,” Paper presented at the 50th Anniversary Symposium of the Reserve Bank of Australia, February 2010.
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  • Williamson, Oliver, “Public and Private Bureaucracies: A Transaction Cost Economics Perspective,”Journal of Law, Economics and Organization , Vol. 15(1), pp. 306-342, 1999.