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【挨拶】日本経済の現状・先行きと金融政策

和歌山県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 須田 美矢子
2010年6月3日

目次

1. はじめに

日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、和歌山県の各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃私どもの大阪支店が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

本日、私からは、わが国経済の現状・先行きと金融政策についてお話し、最後に和歌山県経済について、僭越ながら私なりの見解を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2. わが国経済・物価情勢と当面の金融政策運営

(1)金融資本市場の動向

国際金融資本市場の動向—ギリシャ問題を中心に—

早速、国際金融資本市場の動向からみていきたいと思います。2008年9月のリーマンショックを契機に未曾有の混乱を来たした国際金融資本市場は、各国政府・中央銀行による各種施策が奏効する形で、2009年春以降落ち着きを取り戻し、信用リスクを示す指標として参照しているLIBOR-OISスプレッドは、リーマンショック前のレベルを大きく下回る水準で推移しています(図表1(1))。もっとも、ここにきて欧州周辺国における財政問題や、米欧の金融規制を巡る不透明感などから、再び不安定化の様相を呈しています。特に、欧州周辺国の財政問題については、ギリシャ問題が最近の各国株価や為替相場の大きな振れの原因になっており、市場では、投資家のリスク回避姿勢が強まりつつあります。以下では、このギリシャ問題を中心に、最近の国際金融資本市場の動向を整理してみたいと思います。

5月6日に、NYダウが、取引時間中としては過去最大の下げ幅を記録する一つのきっかけとなったギリシャ問題では、ギリシャの統計、債務支払能力などに対する信認低下が、その背景にあります。昨年10月、新政権によって財政赤字の2009年見通しが大幅に修正され、同国の統計に対する信頼性と財政規律に対する疑念が高まる中、ギリシャのソブリン・リスク・プレミアムは拡大傾向を辿りました(図表2)。ギリシャ政府は、本年1月に3か年財政健全化計画を欧州委員会に提出し、EU16か国は、4月に300億ユーロの支援策を決定しました。この段階では、国債発行による比較的円滑な資金調達が引き続き可能な状態でしたが、その後も財政赤字額の再訂正、大手格付け機関によるギリシャ国債の大幅格下げ、同国内でのデモ激化に関する報道等が相次ぎ、4月下旬から5月初にかけて、ギリシャのソブリン・リスク・プレミアムは急激に拡大しました。それをきっかけに各国の株価が急落し、為替相場も激しく変動しました。

こうした事態に対し、EU加盟国では、最大5,000億ユーロにも上る緊急融資枠(「欧州安定化メカニズム」)を設定したほか、IMFによる追加供与も併せて表明されました。また、欧州中央銀行(ECB)では、公社債市場への介入策である「証券市場プログラム」を発動したほか、固定金利・全額供給方式の3か月物オペ、全額供給方式の6か月物オペ、米ドル資金供給オペを再開しました。また、ギリシャ政府も、財政再建策の強化を表明しました。こうした一連の措置を受けて、ひところ市場で高まっていた緊張は、徐々に和らぎつつあります。もっとも、財政問題は、ギリシャだけの問題ではありません。そもそも財政赤字の拡大は、リーマンショック後の急激な景気悪化に対して、大規模な財政政策で対応した国が共通して抱える問題です。それが為替変動による域内貿易を通じた景気調整機能が働かず、厳しい財政規律が求められるユーロという単一通貨圏において、一気に表面化したものと捉えることができます。PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)と一括りにして呼ばれる国々の問題も、基本的に根は同じです。単一通貨圏における財政政策運営や競争力確保といった経済システム上の困難が背景にあります。したがって、その解決には長い時間と、厳しい財政再建に伴う痛みが生じる可能性があり、市場では、引き続きPIIGSのソブリン・リスクや、それらの国々に対するエクスポージャーの大きい金融機関の信用リスクが意識されています。こうした中、米欧金融市場では、株価が軟調地合いを続けているほか、ドルやユーロのLIBOR-OISスプレッドも拡大傾向を示しています(図表1(2))。また、為替市場では、ユーロが売られやすい地合いとなっています。このように、国際金融資本市場は予断を許す状況にはなく、引き続き注意深くモニターを続けていく必要があります。

わが国の金融資本市場動向

一方、わが国の金融資本市場に目を転じますと、2009年入り後、国際金融資本市場が落ち着きを取り戻す中、各種市場の機能が改善に向かうとともに、ターム物を中心に市場金利は低下していきました(図表3)。2009年12月には、ドバイ政府系企業の債務繰り延べ問題の表面化(ドバイショック)などを背景とする国際金融資本市場の不安定化や、デフレ報道の高まりに伴うマインドの悪化懸念に対処するため、日本銀行では、固定金利方式の共通担保資金供給オペレーション(固定金利オペ)を導入しました。さらに、2010年3月には、ターム物金利の一段の低下を促すため、固定金利オペによる資金供給額を大幅に増額しました。こうした一連の措置を受け、ターム物レートは低下を続けています。他方、わが国の株価は、昨年春以降、景況感の改善とともに上昇傾向を辿ってきましたが、5月入り後は、ギリシャ問題の顕在化等を背景とする米欧株価の下落につれて、大幅に水準を切り下げています(図表4(1))。また、株価下落とともに投資家のリスク回避の姿勢が強まったことなどから国債が買い進まれ、長期金利は足もとやや低下気味に推移しています(図表4(2))。為替市場では、ドル円は90円を挟む展開となっていますが、ユーロ円は円高方向にやや大きく振れています(図表5)。

この間、企業金融を取り巻く環境をみますと、企業のキャッシュインフローが改善し、企業の外部資金への需要が低迷を続ける下で、CPや社債市場では、格付けの低い銘柄にまで発行スプレッドの縮小傾向が拡がっています。日本銀行では、こうした企業金融の改善を受けて、リーマンショック後に導入した異例の措置、すなわち、CP・社債の買入れを昨年12月末に、企業金融支援特別オペを本年3月末に、それぞれ完了しました。それに伴う影響は特に窺われていませんが、足もとでは、株価や為替が不安定化する中、リスク回避の動きによる影響を注視しています。

(2)わが国経済・物価情勢の現状

以上のように、国際金融資本市場では、このところ不透明感が窺われていますが、経済指標には景気回復に向けた裾野の拡がりを示唆するものが増えており、日本銀行では、5月20日、21日に開催した金融政策決定会合において、景気の現状判断を、4月6日、7日の会合の「持ち直しを続けている」から、「緩やかに回復しつつある」に、一歩前進させました。ただし、繰り返しになりますが、国際金融資本市場が足もと不安定化しており、それが今後実体経済にどのような影響を及ぼしてくるのか、留意すべき状況にあります。以下では、まず、景気の現状判断について各項目の動きをみた後、先行きに対する見通しと、それに関するリスクについて詳しく述べたいと思います。

最初に、メインエンジンである輸出ですが、現在、実質輸出は、アジアをはじめとする新興国・資源国向けを中心に、増加を続けています。その背景にある世界経済・物価情勢をみますと、まず米国景気は緩やかに回復しています。雇用統計の非農業部門雇用者数がはっきりとした増加に転じ、小売統計にも幅広い業態で回復の兆しが窺われるようになりました。しかしながら、失業率が高止まり、平均失業期間が既往ピークを更新する中、クレジットカード向け貸出のタイト化も続いており、家計のバランスシート調整圧力が消費回復の足取りを重くしている姿に、変わりはありません。住宅市場でも、住宅価格指数の回復がもたつく中で、延滞率の上昇や差し押さえ件数の増加が続いています。こうした下で、企業部門の回復が家計部門に波及するペースは、引き続き緩やかなものに止まっています。

ユーロエリアにつきましても、国によるばらつきはありますが、全体としてみれば持ち直しの動きを続けています。もっとも、そのペースは米国に比べても緩やかなものに止まっています。すなわち、輸出や生産は増加を続けていますが、厳しい雇用環境が続く中、家計のバランスシート調整圧力が依然根強いことに加え、ギリシャ問題の顕在化等を背景に消費者マインドもやや悪化しており、個人消費は弱めの動きとなっています。

一方、新興国や資源国では、内需を中心とする力強い成長を続けています。最初に中国ですが、拡張的な経済政策の効果もあって、貸出が前年を2割方上回る高い伸びとなる中、小売売上や固定資産投資が、前年を大きく上回る水準で推移しています。また、中国の旺盛な内需は、NIEsやASEANといった他の地域にも、中国向け輸出の増加を通じて波及しており、それらの国々では、生産・所得・支出の好循環メカニズムが働く下で、高めの成長が続いています。

なお、この間の海外の物価情勢をみておきますと、米欧では、ディスインフレの傾向が続いています。すなわち、米国では、食品とエネルギーを除いたCPIコアの前年比プラス幅が縮小を続け、4月には+0.9%と、約44年振りの低い伸び率となりました。また、ユーロエリアでも、CPIコアの前年比は4月に+0.8%となり、統計開始以来最低の伸び率までプラス幅を縮小させています。このように、米欧でも、マクロの需給バランスの悪化が物価下押しに作用していることが窺われています。一方、新興国では、インフレ懸念が強まりつつあります。とりわけ中国では、主要70都市の不動産価格が4月に統計開始以来最大の伸び率となったほか、4月のCPI前年比も、約1年半振りとなる水準までプラス幅を拡大させました。

次に、わが国の内需に目を転じますと、公共投資は、昨年度後半以降、減少が続いています。一方、企業収益は、生産の増加や人件費をはじめとするコスト削減努力によって回復傾向を辿っています。これを受けて、設備投資は、一致指標である資本財出荷が増加を続けるなど、下げ止まりから持ち直しに転じつつあります。雇用・所得環境をみますと、失業率がピークアウトする中、4月の一人当たり名目賃金が前年比+1.5%と2か月連続でプラスになるなど、なお厳しい状況ながらも、次第に改善傾向が明確となりつつあります。こうした中、個人消費は、エコカー減税やエコポイント制度などの対策効果から、耐久消費財を中心に持ち直しています。ただし、3月にかけて大幅に増加した家電販売については、薄型テレビのエコポイント制度厳格化を控えた駆け込みが押し上げているほか、1〜3月に2007年10〜12月以来の前期比プラスとなった全国百貨店売上高でも、4月入り後は、主力の衣料品が天候不順により弱めとなるなど、気になる動きがみられています。市場の一部からは、高額商品に動意が窺われていることなどを受けて、自律回復の兆しと指摘する声も聞かれていますが、なお慎重な見極めが必要だと考えています。この間、住宅投資は、首都圏新築マンション販売に動意が窺われるなど、ほぼ下げ止まったと判断しています。

以上の内外需要を背景に、生産は増加を続けています。在庫もほぼ下げ止まり、出荷・在庫バランスは、全体としてみれば、在庫調整圧力のない状態にまで改善しています。

わが国の物価情勢をみますと、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比下落幅は、昨年8月に-2.4%のボトムを付けた後、一昨年の石油製品価格高騰の反動の影響が薄れるとともに縮小に転じました。その後も、マクロ的な需給バランスの緩やかな改善が続く下で縮小傾向を辿り、足もとでは、高校授業料無償化等の影響を除くベースでみて、-1%近辺で推移しています。

(3)わが国経済・物価情勢の先行き

以上のように、わが国経済は、海外経済の改善を起点として、緩やかに回復しつつあります。また、先行きに関しましては、「各種対策の効果は薄れてくるものの、新興国・資源国が高成長を維持することに加え、国内民間需要の自律的回復力も徐々に高まってくるとみられることから、わが国経済は回復傾向を辿る」とみています 1 。なお、こうした見通しが実現していくためには、生産・所得・支出の循環メカニズムを通じて、企業部門の回復が家計部門へ波及していくことが重要です。しかしながら、2002年以降の景気回復局面での経験に照らせば、その波及ペースは緩やかなものに止まる可能性が高いとみています。加えて、欧州周辺国の財政問題を背景とする国際金融資本市場の不安定化により、先行きの不確実性も高まっています。こうしたリスク要因については、後ほど詳しく述べることとし、以下では、主な項目ごとに、先行きの見通しをみていきます。

最初に実質輸出ですが、新興国・資源国向けを中心に、先行きも増加を続けていくとみています。その前提となる世界経済をみますと、まず、新興国・資源国では、引き続き内需を中心とする力強い成長が続くことを想定しています。その下で米欧経済も緩やかな回復を続けていくとみています。すなわち、米国では、雇用・所得環境の改善が続く中、次第に自律的回復力が明確化していくとみています。ただし、住宅市場の改善には相応の時間がかかるとみられることや、家計のバランスシート調整圧力が引き続き消費回復の足枷になることなどから、回復のペースは緩やかなものになるとみています。ユーロエリアにつきましても、ユーロ安もあって輸出が増加するとみられることや、それに伴う生産の増加などから、緩やかな持ち直しが続くとみられます。しかし、厳しい雇用環境が続く下で、家計のバランスシート調整圧力や、金融市場の不安定化を背景とするマインドの停滞が暫く続くとみられることに加え、深刻な財政問題を抱える国々の厳しい財政再建が、今後ユーロエリアの景気下押しに作用すると考えられることなどから、米国以上に回復ペースは緩やかなものになるとみています。

一方、内需をみますと、まず個人消費は、各種対策効果が剥落する今年度後半にかけて、一時的に持ち直しのテンポが鈍化する可能性があります。しかし、雇用・所得環境が改善を続ける下で、持ち直しの基調自体が途切れることはないとみています。また、足もと下げ止まったと判断できる設備投資も、先行指標である機械受注(船舶・電力を除く民需)が、4-6月も3期連続で増加する見込みであるなど、今後は、徐々に持ち直しに転じていくとみています。住宅投資も、先行指標の新設住宅着工戸数が、各種政策支援や分譲マンションの価格調整を背景とする増加から、持ち直しに転じつつあり、先行きも緩やかな持ち直しが続いていく可能性が高いとみています。こうした内外需要を背景に、生産も増加基調を続けるとみられます。鉱工業生産指数は、エコカー補助終了後の2010年10-12月、一時的に弱めの動きとなる可能性がありますが、内外需要の増加が続く下で、生産の増加基調は崩れないとみています 2

物価につきましては、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、中長期的な予想物価上昇率が安定的に推移するという前提の下、マクロの需給バランスの緩やかな改善を受けて、2011年度中にはプラスへの転化が展望できるとみています。

  • 1 「経済・物価情勢の展望—2010年4月—」日本銀行、2010年5月1日をご覧下さい。
  • 2 なお、鉱工業生産指数の動向をみる際には、季節調整の歪みが足もとの振れを大きくしている可能性に留意が必要です。詳しくは、「金融経済月報(2010年5月)」日本銀行、2010年5月24日をご覧下さい。

(4)リスク要因

次に、以上で示した見通しに関するリスク要因について、整理しておきたいと思います。現在、私が特に留意しているリスク要因は、大きく分けて、(1)国際金融資本市場の動向、(2)新興国・資源国における成長の持続性、(3)期待成長率の下振れ、の3つです。こうしたリスク要因を背景に、足もと不確実性が高まっており、現在では下振れリスクの方を意識しています。

第一に、国際金融資本市場の動向です。現在、国際金融資本市場を不安定化させている要因として、欧州周辺国における財政問題、欧州金融機関のバランスシート問題、ドイツの空売り規制など米欧の金融規制を巡る動き、中国の引き締め観測が挙げられます。いずれも重要なチェック項目ですが、中でも、PIIGSをはじめとする欧州周辺国の財政問題を特に注視しています。冒頭でもご説明しましたが、欧州周辺国における財政問題は、ユーロという単一通貨圏における経済システム上の困難を背景としており、解決までに長い時間と厳しい財政再建による痛みを伴う可能性があります。そのため、各国株価や為替相場が大幅に不安定化しており、その結果、欧州だけでなくわが国でも、家計や企業のマインド悪化を通じて、消費や設備投資に悪影響を及ぼす可能性があります。また、財政問題を抱える欧州周辺国では、今後、厳しい財政再建策を実施する予定ですが(図表6)、その結果、ユーロ圏経済が下振れることになれば、わが国の輸出にも少なからず影響が出てくることになります。さらに、欧州金融機関の損失発生を通じて、欧州金融市場の脆弱性が他国へ伝播するリスクも意識しておく必要があります。この他、中国も含め、拡張的なマクロ経済政策の修正が早過ぎた場合のリスクや、逆に遅すぎた場合のリスクにも注意が必要です。

第二に、新興国・資源国における成長の持続性です。すなわち、現在、新興国・資源国は高い成長を続けており、先行きもそうした高めの成長が続くと想定しています。しかし、グローバルな金融緩和が続く下で、それらの国々に対する資金流入がこれまで以上に活発化すれば、過剰な投資行動や行き過ぎたポジションの造成を伴いながら、景気の過熱や一次産品価格の高騰を招く恐れがあります。一次産品価格の高騰は、日本経済にとっても、交易条件の悪化を通じた企業収益の下振れや、個人消費の下押しに繋がる可能性があります。また、景気が過熱すれば、その後の巻き戻しが世界経済の大きな下振れや市場の不安定化に繋がります。実際、引き締め観測が出ている中国では、株価がこのところ不安定な動きとなっているほか、原油をはじめとする国際商品市況も、投資家のリスク回避姿勢の強まりから、下落に転じています。今後、こうした動きが強まれば、新興国・資源国や国際商品市場から資金が流出し、国際商品市況の一段の下落を通じて、わが国を含む先進各国の物価にも何某か影響を及ぼしてくる可能性があります。

第三に、国内の構造要因を背景とする期待成長率の下振れです。グローバル競争の下での企業の賃金抑制姿勢や、大企業と中小企業、中央と地方などの二極化、少子高齢化といった構造要因を背景に、期待成長率が低下していくリスクがあります。そうなれば、生産・所得・支出の循環メカニズムが期待した通りに機能しない可能性があります。また、国内の期待成長率が下振れるようなことになれば、設備投資も国内ではなく海外で行う企業が増えることになります。実際、内閣府の企業行動に関するアンケート調査をみますと、製造業の生産工程の事業展開として「海外生産を拡大・強化する」と答えた企業が全体の55.7%を占めています。さらに、拡張的なマクロ政策が必要以上に長期に亘って維持されるような場合には、構造変化への対応が遅れることによって、非効率な分野に資源が滞留してしまい、経済全体の生産性の向上が進まず、内需の中長期的な成長期待が下振れてしまうことにもなりかねません。

(5)当面の金融政策運営

以上、内外金融資本市場の動向や経済・物価情勢、それらを見通す上でのリスク要因についてみてきました。以下では、それらを踏まえた日本銀行の金融政策運営についてご説明します。

現在、日本銀行では、日本経済がデフレから脱却し、物価安定の下での持続的成長経路に復帰することが極めて重要な課題だと認識しています。そのために、中央銀行としての貢献を粘り強く続けていく方針であり、金融政策運営に当たっては、極めて緩和的な金融環境を維持していく考えです。また、現下の日本経済の状況を踏まえ、成長基盤の強化を図ることが必要であるとの認識の下、日本銀行としても、成長基盤の強化に資する新たな取り組みを行うべきであると考えています。こうした成長基盤強化の観点から、民間金融機関による取り組みを資金供給面から支援していくこととし、先般、その方法に関する骨子素案を公表しました(図表7)。現在、それに基づき、金融機関や企業の皆様と幅広く意見交換を進め、具体的なスキームについて鋭意検討を重ねているところです。

この成長基盤強化を資金供給面から支援する措置は、中央銀行としては異例の取り組みです。ともすれば、(1)民間の資源配分を歪めてしまうリスク、(2)日本銀行の保有資産のデュレーションが長期化することにより、金融調節の柔軟性が低下するリスク、(3)日本銀行の財務の健全性に悪影響を与えるリスク、などに晒されることになります。しかし、敢えてこうした取り組みに踏み切った背景には、日本経済の長期低迷に対する私どもの危機感があります。4月30日に公表しました展望レポートにおきましても、その冒頭で、(1)世界経済において新興国・資源国のウエイトが拡大していること、(2)先進国の公的債務残高が未曾有の水準にまで拡大していること、(3)各国で金融の規制や監督の議論が進んでいること、(4)わが国において、少子高齢化・人口減少などを背景とした国内需要の減少が見込まれる中、実質成長率や生産性を引き上げていくことが、重要な課題になっていること、を指摘しました。そして、わが国経済・物価情勢を展望するに際して、「世界経済およびわが国経済におけるこうした中長期的な変化や課題を念頭に置いた上で」と記述したのも、こうした構造変化にどう対処していくのかを我々一人一人が考え、前向きに行動を起こしていけば、企業の期待成長率、延いては成長率見通しも変わってくると考えたからです 3

日本経済が抱えているこのような問題は、既に知られていることばかりです。そして、これまでにもこうした構造変化や課題に対してどう対応すべきか、いろいろな処方箋が示されてきました。しかし、その解決に向けた具体的な取り組みや成果が、目に見える形で現れてこなかったところに、人々の閉塞感の強まりの原因があります。図表8は、日本の将来人口推計を示していますが、このような人口動態をみるにつけ、期待成長率を維持していくためには、一人当たり生産性を向上させていくことが如何に大事か、そしてそれが待ったなしの課題であることが、お分かりいただけると思います。

  • 3 「金融政策と構造政策:日本の経験」山口泰、1999年11月2日では、「1990年代の日本経済の経験を振返ると、経済の構造変化を速やかに認識し、その性格を正確に分析し、それを世の中に説明していくことが、中央銀行の重要な責務のひとつになっていると感じている。」と述べられており、共感を覚えます。

3. 潜在成長率とデフレ

さて、以下では、もう少し話を進めて、デフレ脱却のために潜在成長力の引き上げが如何に重要かについて、考えてみたいと思います。まず、図表9は、日米欧の消費者物価の伸び率を比較したものです。振れの大きい食料品とエネルギーを除く指数でみてみますと、リーマンショック後、日本だけが、ショックの震源地でないにも拘らずマイナスとなっています。インフレ率が下落傾向にあるという推移そのものは、日米欧でそれほど大きな違いはありませんが、日本のインフレ率はもともと低く、マイナスになりやすかったとの見方も出来そうです。いずれにせよ、なぜ日本だけが足もとデフレなのかという問題に答えるには、なぜ日本のインフレ率が、90年代後半以降、米欧に比べ低く抑えられてきたのかという問題を探ってみる必要があるように思われます。以下では、こうした点について、やや中長期的な視点から考察してみます。

負の生産性ショック

90年代に入って、日本経済が長期に亘るデフレに悩まされてきた大きな要因には、長期に亘って需給ギャップの負の状態が続いたことが挙げられます。それではどうしてそのような状況が続いたのでしょうか。その説明として、最近よく使われる原因の一つに、生産性上昇率の低下(「負の生産性ショック」)があります 4 。以下では、この「負の生産性ショック」について説明した後、デフレの原因である需給ギャップとの関係を整理したいと思います。

90年代に入って、日本経済が米欧に比べて趨勢的な低成長に陥った背景には、以下のような負の生産性ショックが相次いで生じたことが挙げられます。第一に、少子高齢化が速いペースで進んだという点です(前掲図表8)。第二に、IT革命の進展と、新興国の供給力拡大によるグローバル競争の激化があります。こうした大きな構造変化に対して、日本のコーポレートガバナンスは、過去の成功体験を引き摺っていたことなどから、適応力や柔軟性に欠けていたと指摘されています 5 。第三に、こうした負の生産性ショックが、不動産バブル崩壊後の不良債権処理と重なった点です 6 。すなわち、80年代後半に発生した不動産バブルが崩壊し、企業が設備・雇用・債務という3つの過剰の整理に追われる一方、金融機関においても不良債権の処理がまだ終了していなかったため、本来機能すべき信用仲介機能が十分には働きませんでした。以上の要因が相俟って、労働、資本、全要素生産性のすべてに低下圧力がかかったと考えられます 7 。例えば、90年代に入ってからの日本の労働生産性の伸びをみてみますと、確かに下方に屈折しています(図表10(1))。また、この間、既に金利を引き下げる余地が限られていたため、潜在成長率の低下に見合うだけの金融緩和を行うことができませんでした。

以上で指摘した様々な負の生産性ショックに加え、膨大な財政赤字や年金問題などを背景とする将来不安も、わが国経済の成長期待を押し下げたと考えられます。成長期待の低下は、人々の恒常所得に対する予想を下振れさせ、消費や投資の抑制に繋がります。しかし、供給力は徐々にしか調整されないため、その結果需給バランスが悪化し、物価に下落圧力が働くことになります。日本で長期に亘り物価下落圧力が大きかったのは、上で指摘した複数の負の生産性ショックが、90年代になって断続的に発生したことが背景にあります。そうした中で、企業の収益重視の姿勢が強まり、労働生産性の伸び率が低下するもとで、賃金が一段と抑制されたことから、ユニットレーバーコスト(賃金/労働生産性)が、米欧とは対照的に低下傾向を辿りました(図表10(2))。特に、賃金の下押し圧力は、(1)日本では、人件費の抑制が、雇用ではなく賃金の調整によって行われる傾向が強いこと、(2)安価な労働力を求めて企業の海外進出が活発化したこと、(3)労働組合の組織力が低下したこと、などによっても強められました。加えて、非製造業の競争環境がますます激化したことも、インフレ率低下の背景にあります。以前は、製造業との生産性格差部分がサービス価格に上乗せされていると議論されることもありましたが(「構造的インフレ論」)、90年代入り後の競争激化で、そうした傾向は薄れていきました 8

さらに、物価に影響を与えるもう一つの大きな要因である中長期的な予想物価上昇率についても、わが国では海外諸国に比べて低めになっているとみられます。その要因には、過去の実際の物価上昇率が相対的に低めで推移してきたことに加えて、先ほど指摘した成長期待の低下も作用していると考えられます。実際、アンケート調査による90年代後半以降の長期の物価予想は、2%以下のプラスの領域で比較的安定して推移していますが、その変動は潜在成長率と相関があるようにみてとれます。こうした点を踏まえると、日本の90年代以降の潜在成長率の低下は、それを上回る需要減退を招くことによって、物価下落圧力になるとともに、そのときどきの成長期待への影響を通じて、中長期のインフレ予想にも影響を与えてきたと思われます。このように考えると、結局、様々な外的ショックの下で潜在成長率が低下してきたこと、また、それに対する慎重な見方が、デフレの主な背景となっている可能性が高いと整理できます。

先行きに目を転じますと、潜在成長率の低迷は今後も続く可能性が高いとみられます。先ほども指摘した少子高齢化は、総人口に占める労働力人口の比率を低下させるとともに、貯蓄率の低下に伴い投資・資本ストックを減少させ、一人あたり経済成長率に下押し圧力をかけています。それに人口減少が加わることになりますので、経済成長率には時間とともに下落圧力がかかることが想定されます。これが、人々の期待成長率の一段の下振れをもたらすようであれば、それは物価にとって下振れ圧力となります。

  • 4 Hayashi, Fumio and Edward C. Prescott, “The 1990s in Japan: A Lost Decade,” Review of Economic Dynamics 5, 206-235 (2002).
  • 5 「世界的なディスインフレ」森本善和、平田渉、加藤涼、日本銀行調査論文、2003年4月22日をご覧下さい。
  • 6 「日本経済とイノベーション—日本記者クラブにおける講演—」白川方明、日本銀行、2010年5月31日をご覧下さい。
  • 7 生産性の低下については、「わが国の『経済構造調整』についての一考察」前田栄治、肥後雅博、西崎健司、日銀調査月報、2001年6月、「生産要素市場の歪みと国内経済調整」大谷聡、白塚重典、中久木雅之、金融研究、2004年3月をご覧下さい。
  • 8 詳しくは、「90年代における非製造業の収益低迷の背景について」日本銀行調査統計局、1999年2月をご覧下さい。

政策当局に対する信認の重要性

以上のことから、物価安定の下での持続的な成長を実現していくためにも、潜在成長率を引き上げていくことが、極めて重要な課題と言えます。金利に低下余地が限られる中で、即効性の高い財政支出を躊躇すべきでないとの意見も聞かれます。しかし、安易な財政支出の拡大は、既に巨額の公的債務残高を抱えるわが国では、財政政策に対する信認を低下させてしまう可能性があります。また、ギリシャ問題をきっかけに、財政の持続可能性に対する関心が高まる中、将来の税負担増や、年金の受け取りなどに対する不安感に繋がれば、かえって消費を抑制させることにもなりかねません。そうなれば、マクロ的な需給バランスの悪化を通じて、デフレ圧力を高めてしまうことにもなります。さらに、財政政策に対する信認が低下すれば、金利が上昇することによって利払い費が増加するほか 9 、国債を保有する金融機関のバランスシートにも悪影響を及ぼし、金融面から景気の下押しに繋がるリスクも高まります。

信認が重要である点は、中央銀行も同様です。ファイナンス面から財政支出の拡大余地が乏しくなったからといって、中央銀行がファイナンスをする、或いはそうした疑念が生じると、中央銀行が独立して物価安定のために金融政策を運営していくという信認は失われ、金利が上昇することになります 10 。政府の予算制約に照らして考えてみましょう。政府の予算を考えますと、財政赤字はその分国債の発行増加に繋がりますので、それを実質化した上で将来にわたって積み上げますと、政府の異時点間の予算制約式が得られます。

国債発行残高/物価水準=財政余剰の割引現在価値(実質ベース)

上式から、政府が財政支出を拡大させると、その分だけ財政余剰の割引現在価値が低下します。そのとき、金利水準を所与としますと、国債発行残高の実質価値の低下、つまり物価の上昇が生じなければ辻褄が合いません。ただし、仮にこうした手法によってデフレ状態を脱却出来たとしても、政府が財政赤字を積み上げ、それをインフレによって消化を図るのではないか、という不安が残るため、今後、中央銀行がいくら物価安定にコミットしても、信認を保つことは難しくなります。そして、結局は経済・物価の不安定化に繋がってしまいます。過去の教訓からも、中央銀行の信認は一度失われてしまうと、取り戻すことは容易でないということを、改めて肝に銘じておく必要があります。

今日、経済・物価情勢がメインシナリオにほぼ沿って推移し、先行き消費者物価の前年比がプラスの領域に戻っていくことが展望できる中にあっては、経済全体の生産性を引き上げ、潜在成長率を高めていくために力を注いでいくことが、デフレ脱却のみならず、財政赤字問題の改善のためにも、望ましい方向性であると考えています。

  • 9 なお、財務省の試算によると、インフレ率が1%上昇したことに伴って名目成長率と金利が双方とも1%上振れた場合、税収の増加額が0.4兆円であるのに対し、国債費の増加額は1.1兆円と、金利上昇による影響が大きいことがわかります(平成22年2月「平成22年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算」<財務省>)。
  • 10 Ben S. Bernanke, “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability”, 25 May 2010,Institute for monetary and Economics Studies International Conference, Bank of Japan. をご参照ください。

4. おわりに

最後に、和歌山で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。

まず、和歌山県の経済情勢からみてみますと、当地の景気は、雇用面などに厳しさを残しつつも、大手製造業を中心とする輸出・生産の増加や政策効果などから、持ち直しています。当地の製造業は、「鉄鋼」や「石油・石炭」といった基礎素材産業の出荷割合が高いという特徴がありますが、アジアの旺盛な需要に支えられたこれらの業種を中心に、当地の生産は前年を上回る水準で推移しています。しかしながら、和歌山県経済の太宗を占める中小企業の中には、依然として業況の厳しい先が多いのが実情です。家計部門をみますと、個人消費は、耐久消費財が政策効果によって持ち直しています。しかし、厳しい雇用・所得環境が続く下で、耐久消費財以外の分野は引き続き低迷を余儀なくされており、大型小売店販売などでは、前年割れの状態が続いています。この間、住宅投資につきましても、前年比マイナス幅は縮小しつつありますが、依然、弱めの動きが続いています。また、公共投資も、引き続き前年比プラスを維持していますが、増勢は鈍化しています。

ここで、和歌山県経済を全国と比較してみますと、例えば2009年の鉱工業生産指数は、2005年を100として、全国が80.5であったのに対し和歌山が86.2、有効求人倍率は、全国が0.47倍であったのに対し和歌山が0.56倍と、どちらかといえば和歌山の方が、全国に比べて良好なパフォーマンスを示しています。中小企業の割合が全国でも特に高く 11 、人口減少が続くとともに、老年人口割合が全国平均を上回るという当地の置かれた現実を踏まえますと、少し意外な気もします。大手製造業が技術力の高い地場企業と融合し、しっかり地元経済を牽引していることや、高い教育水準に裏打ちされた良質な人材が豊富であることなどを、示唆しているのではないでしょうか。ただし、製造業の構成が、鉄鋼や石油といった特定の業種に偏っている点には、改善の余地があるように思われます。こうした素材型の業種だけでなく、加工型産業など幅広い業種の企業誘致・育成に一層注力し、業種構成の多様化を図ることが重要です。そうすることで、特定業種の動向に左右され難い、安定的な経済構造に繋がっていくと考えられます。こうした観点から、「和歌山県長期総合計画〜未来に羽ばたく元気な和歌山〜」で進められている、4つの地域の特性を踏まえた産業育成や企業立地の促進に期待しています。

また、和歌山といえば、何と言っても果樹と観光資源です。生産量日本一の、みかん、柿、梅は言うに及ばず、はっさく、もも、すもも、キウイフルーツ、びわ等でも全国有数の産地となっています。先ほど触れた「和歌山県長期総合計画」でも、こうした農産物の販売促進に注力されていますが、私は、やはり有望な販路は海外にあると思っています。近年、中国をはじめとする新興国が豊かになるにつれて、安心安全で品質の高い日本の農産物に対するニーズが高まっています。こうした潜在需要を積極的に取り込んでいけば、当地の農業はまだまだ拡大する余地があるように思います。観光も有望です。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、内外問わず、多くの観光客が訪れているようですが、当地の大きな利点は、風光明媚な山河や温泉といった大自然だけでなく、そこに歴史を組み合わせることによって、観光客の知的好奇心に訴えることが可能だという点です。当地は、徳川吉宗、華岡青洲、陸奥宗光、南方熊楠、松下幸之助など、数多くの歴史的偉人を輩出し、全国でも6番目に多い国宝を含む豊富な歴史的建造物や文化財を有しています。これらをもっと内外にアピールしていけば、団塊の世代や海外からの観光客の一層の取り込みに繋がっていくと思われます。

現在、わが国では、グローバル化が進展する下で、大手企業の経費抑制姿勢が根強く、企業部門の回復がなかなか家計部門にまで波及し難い構造となっています。そうした中で、中小企業の比率が大きい地方経済が、どのように活気を取り戻していくことが出来るのか、官民挙げて試行錯誤しているのが実情です。しかし、言うまでもなく、グローバル化はネガティブな側面だけではありません。潜在需要の豊富な海外とのチャネルが増えることも意味します。当地でも、既に「海外ビジネス実現支援」、国際見本市への出展などを支援する「わかやま産品販促支援」といった具体的な取り組みに着手されていますが、そうした地道な取り組みが実を結び、製造業だけでなく、農産物や観光などの分野でも、グローバル市場の中で逞しく活躍されることを願っています。

私からはこのくらいにさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、誠にありがとうございました。

  • 11 和歌山県は、常用雇用者20人以下の小規模企業(ただし、卸売業、小売業、飲食店、サービス業は5人以下)の比率が全国トップ(総務省「平成18年事業所・企業統計調査」)。

以上