公表資料・広報活動

ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 2010年 > 日本金融学会2010年度秋季大会における白川総裁講演「中央銀行の果たす役割 ― バブル、金融危機、デフレの経験を踏まえて ―」

【講演】中央銀行の果たす役割

バブル、金融危機、デフレの経験を踏まえて

日本金融学会2010年度秋季大会における特別講演

日本銀行総裁 白川 方明
2010年9月26日

目次

1. はじめに

本日は、日本金融学会にお招き頂き、お話をする機会を得ましたことを大変光栄に存じます。ご承知のように、日本金融学会が1943年に設立されて以来、日本銀行は学会とは非常に密接な関係を有しており、また、大変お世話になっています。ご記憶の方も多いと思いますが、1996年から97年にかけて日本銀行法改正論議が高まった際、日本金融学会の有志の先生方が、当時の日本金融学会会長であり長く神戸大学の教授を務められた三木谷先生のリーダーシップのもとで、「日本銀行の独立性に関する研究会」を組織され、意見書を公表されました 1 。日本銀行法は本研究会を含め中央銀行の重要性を理解する多くの方のご努力に支えられ、1997年に改正、98年に施行の運びとなりました。以来、12年が経過しました。人間の歳で言えば、丁度一回りしたことになります。

この間、経済・金融の面では色々なことが起きましたが、最も大きな出来事は何と言っても、2000年代半ばにかけてのグローバルな信用バブルの発生と、その崩壊による経済・金融危機の発生でした。現在、先進国経済はリーマン・ショック後の急速な落ち込みを脱し、緩やかな回復過程にありますが、世界的な信用バブルが大規模なものであっただけに、本格的な回復にはなお時間がかかることを認識させられている状況です。他方、政策という面では、主要先進国の政策金利は実質的にゼロ金利になっているほか、財政バランスも悪化しており、どの国も政策対応の余地は限られてきています。そのような厳しい状況に直面しているだけに、中央銀行の果たすことのできる役割、あるいは果たすべき役割は何かが世界的に改めて問われています。そこで本日は、バブルや金融危機、さらにはデフレという近年の様々な経験を踏まえながら、中央銀行の果たす役割について、日頃感じていることをお話しさせて頂きます 2

  • 1 日本銀行の独立性に関する研究会 [1996, 1997]をご参照ください。
  • 2 中央銀行の政策哲学や将来の中央銀行のあり方については、白川[2010a, b]をそれぞれご参照ください。

2. 1990年代の中央銀行制度改革

振り返ってみますと、1990年代後半は、わが国を含め多くの国で中央銀行制度が大きく見直された時期でした。金融政策の面では、ご承知のように、中央銀行の独立性が強化されました。例えば、英国では1998年に金融政策の決定権限が大蔵省から中央銀行に移されました。1999年には欧州中央銀行(European Central Bank、ECB)が業務を開始しましたが、マーストリヒト条約の規定により、ユーロへ参加する国は中央銀行に独立性を与えることが義務付けられました。多くの新興国でもアジア金融危機後、独立性を強化する方向で中央銀行制度が改正されました。一方、金融監督体制の面では、少なからぬ国で、中央銀行から新設の監督機関に権限が移されました。例えば、英国では、イングランド銀行(Bank of England、BOE)が金融政策の独立性を得るのとほぼ時を同じくして、金融機関の監督権限はBOEから新設の金融サービス機構(Financial Services Authority、FSA)に移されました。オーストラリアや中国をはじめ幾つかの国でも、同様の改正が行われました。これらは、言うなれば、中央銀行を金融政策遂行の組織として「純化する」動きであったと表現できます。

それから10数年が経過しましたが、先ほど申し上げたような経済や金融の面での大きな変化を背景に、中央銀行制度を巡る関心事項、ひいては政策哲学も1990年代後半とはかなり大きく変化してきています。第1に、政策的な関心事項がインフレ抑制から、バブルや金融危機の防止、デフレ克服へと移ってきました。第2に、中央銀行と政府の役割をより深く掘り下げて考える必要が高まってきました。金融・経済危機の中で、日本銀行を含め各国中央銀行は積極的な政策を講じましたが、それらの多くは純粋な流動性供給というよりも、カウンターパーティ・リスクや信用リスクを負担するものであり、財政政策の領域に接近するものでした。このため、民主主義社会における政府と中央銀行の役割をどのように考えるべきかということが多くの国で強く意識されるようになりました。第3に、マクロ・プルーデンス政策の重要性に対する意識が高まると共に、この面での中央銀行の果たすべき役割に対する認識が高まりました。実際、今回の危機を契機に、中央銀行にマクロ・プルーデンス政策上の役割を付与するという動きがみられるほか、近年中央銀行から監督権限を移した国を含め、中央銀行に監督権限を与える動きが広がっています 3

  • 3 米国、EUでは、マクロ・プルーデンスを担う新たな組織(「金融安定監視協議会」、「欧州システミック・リスク理事会」)が設立され、米国連邦準備制度理事会(FRB)議長、ECBや加盟中銀の総裁などがそのメンバーとなる予定にあるほか、英国では、BOE内に「金融システム政策委員会」を設置し、マクロ・プルーデンス面での役割を担わせることとしています。また、個別金融機関に対する監督に関しても、米国では、FRBがシステミックに重要な金融機関の監督を一元的に担うことになるほか、英国、フランス、ベルギー、アイルランド、ドイツなどでも、監督機能を中央銀行に集約する動きがみられています。

3. グローバル金融危機前の支配的見解の再検討

これらの変化については後ほど詳しく申し上げますが、そのための準備として、グローバル金融危機前の支配的見解—1990年代後半における中央銀行制度の見直しのバックボーンとなる考え方でもあります—について説明する必要があります。従来の支配的見解は、やや単純化して言うと、以下の3つの柱から成り立っていました。

第1は、マクロ経済の安定は、物価安定、すなわち、低水準かつ安定的な物価上昇率を追求する金融政策によって実現できるという考え方です。第2は、金融システムの安定は、個々の金融機関に対する規制・監督の適切な運用—ミクロ・プルーデンス政策—によって実現できるという考え方です。第3は、政策遂行のためのガバナンス・メカニズムに関わることですが、独立性とアカウンタビリティという考え方です。上述の物価安定と金融システムの安定というふたつの目的を達成するため、それぞれの目的達成に責任を有する当局に独立性を与えるとともに、その当局には意思決定を十分に説明するアカウンタビリティが求められるという考え方です。金融政策について言えば、法律で目的を物価安定であることを定めたうえで、中央銀行に独立性を与え、他方、中央銀行にはアカウンタビリティが求められることになります。

これらの考え方はひとつひとつの要素に分解すると、今日でも基本的には正しい考え方だと言えます。しかし、それにもかかわらず、今回、欧米諸国を中心に大規模なバブルが発生し、また米国を震源地とする危機が世界的に広がりました。それでは、一体、何が悪かったのでしょうか。勿論、バブルや危機の原因は複雑であり、制度的枠組みや政策の失敗だけに原因を求めるのは適切ではありませんが、前述の支配的見解の3つの要素のそれぞれについて、以下のような問題が生まれてきました 4

  • 4 インフレーション・ターゲティングを巡る海外の議論をみても、危機前は、インフレーション・ターゲティングの成功を論じる講演や論文が多かったが、危機後は、「インフレーション・ターゲティングは危機の原因ではない」という、防衛的なトーンの講演や論文が増えています。例えば、Beanet al. [2010]、Svensson [2010]をご参照ください。

物価以外の面に表れた不均衡の軽視

第1の問題は、物価以外の面に表れる不均衡が軽視される傾向が生まれたことです。インフレ抑制の成功は、1980年代以降の経済パフォーマンスの改善の基盤を整えましたが、そうした成功の結果、経済の不均衡は物価上昇率以外にも表れること、そして、金融政策の運営はそうした不均衡の発生に大きな影響を与えるという、ある意味ではごく常識的な考え方が徐々に忘れられていきました。低金利・低インフレ・高成長という良好な経済環境が続くと、経済主体の期待は強気化します。低金利が続くもとでは、金融機関や投資家は高い収益率を上げることが次第に難しくなるため、レバレッジを増加させるとともに、短期調達・長期運用、すなわち、期間ミスマッチを拡大する戦略を採るようになります。リスクの高い資産や流動性の低い資産への投資も拡大します。その結果生じるのがバブルです。

バブルへの政策対応に関しては、今回のグローバル金融危機以前も活発に議論されていました。この点に関し、欧米の学界や政策当局者の間での従来支配的であった見解は、次の3点に集約されます。第1は、金融政策運営に当たり、資産価格の上昇はそれが当面の景気や物価見通しに影響を与える限りにおいて考慮すれば良く、それ以上の意味を持たせるべきではないという考え方です。第2は、バブルへの対応は金融機関に対する規制・監督で対応すべきという考え方です。第3は、バブル崩壊後の経済の落ち込みに対し中央銀行が迅速かつ積極的に金融緩和を行えば、バブル崩壊後の経済の大幅な落ち込みは回避できるという考え方です。

しかし、今回の危機後の経験を経て、今申し上げた第3の考え方、すなわち、バブル崩壊後に中央銀行が迅速かつ積極的に金融緩和を行えば経済の大幅な落ち込みは回避できるという楽観論には、大きな疑問が投げ掛けられています。一方、上述の第1および第2の考え方であるバブルへの対応について言うと、規制・監督が重要な役割を果たすことはその通りですが、低金利の持続予想もバブルの発生を助長しました。バブルは低金利政策だけで発生するものではありませんが、同時に、低金利政策が続くという予想なしには起きないことも真実です。

マクロ・プルーデンスの視点の弱さ

第2の問題は、マクロ・プルーデンスの視点が弱かったことです。個々の金融機関に対する適切な規制・監督、すなわち、ミクロ・プルーデンスは重要ですが、今回改めて強く認識させられたことは金融システム全体のリスクを捉えることの重要性、いわゆるマクロ・プルーデンスの重要性でした 5

この点では、まず、ある時点における金融システム全体の「横断的なリスクの視点」が必要です。すなわち、各金融機関のポートフォリオや各商品のリスクの相互連関です。金融機関が特定の業種へ与信や投資を集中すると、その金融機関は大きなリスクを抱えることになります。不動産に対する与信集中はその古典的な例です。仮に個々の金融機関単位でみた場合、特定業種へのエクスポージャーの集中がなくても、多くの金融機関が同じようなポジションをとっている場合、金融システム全体としては、大きなリスクを抱えていることになります。

金融システム全体のリスク評価に当たっては、金融システムが抱えるリスクが、時間の経過に伴って、どのように変化していくかという「時系列的なリスクの視点」も必要です。危機に先立つ局面では、物価安定と高成長という良好な経済状態がしばらく続き、経済主体のリスク認識は楽観的となり、リスク許容度は高まっていきます。この結果、経済主体のリスクテイク姿勢が積極化すると、レバレッジが拡大し、資産価格の上昇が起きますが、これによって、リスクテイク姿勢はさらに積極化します。金融と実体経済の相乗作用です。

マクロ・プルーデンスとは、このような「横断的なリスクの視点」と「時系列的なリスクの視点」を踏まえてマクロ的にリスクを捉えるアプローチですが、こうしたアプローチは、物価安定と金融システムの安定をそれぞれ別の目的と捉える考え方とは本質的に相容れません。両者は全く同じというわけではありませんが、相互に密接に関連しています。

  • 5 マクロ・プルーデンスの視点については、白川[2009b]もご参照ください。

ルールと裁量性のバランス

第3の問題は、政策運営の透明性への要請が高まった結果、政策当局の行動原理が微妙に変化したことです。この点について、インフレーション・ターゲティングを例にとって説明します。インフレーション・ターゲティングはインフレを終息させ、さらに物価安定を定着させるプロセスでは成果を挙げたと言えます。インフレーション・ターゲティングが成功した最大の理由は、その名前が示唆するように、金融政策の運営が、物価上昇率の目標値と実績値あるいは予想物価上昇率との関係で説明できる分かりやすさであったと思います。

この「分かりやすさ」は政策のアカウンタビリティを高めるという点では長所ですが、金融政策が物価以外の形で表れる不均衡にも対処する必要が生じた場合には、説明を難しくすることを通じて、短所にもなり得るものです。金融政策を物価上昇率の目標値と実績値あるいは予想物価上昇率との関係で説明するというアプローチは一定の条件のもとでは十分説得的なものでした。しかし、物価が上がらない限り中央銀行は低金利を続けるというのが新しい「ゲームのルール」だと理解するようになると、人間の行動は変化します。レバレッジや期間ミスマッチの拡大を生み出した原因は複雑ですが、ひとつの大きな原因はそうした「ゲームのルール」のもとで生じた低金利の持続予想でした。

このような問題にも対処するために、近年では厳密なインフレーション・ターゲティングではなく、「フレキシブル・インフレーション・ターゲティング」ということが強調されるようになりました。問題は、この「フレキシブル」という形容詞がどのように実行に移されるかという実践論に移っているように思います。後で詳しく述べるように、日本銀行を含め、各国中央銀行の金融政策運営の仕方は、インフレーション・ターゲティングの採用の有無に関わらず、実際には非常に似通ってきています。因みに、日本銀行は「中長期的な物価安定の理解」という形で物価安定の数値的定義を明らかにしたうえで、いわゆる「2つの柱」による金融政策の点検を行っていますが、これは「フレキシブル」という要素を体系的に行う先進的な工夫です。

今申し上げた問題を多少一般化して言うと、独立性を有した中央銀行はアカウンタビリティを具体的にどのような形で実践すべきかということです。中央銀行は独立性を有する以上、金融政策運営は十分にアカウンタブルなものでなければなりません。しかし、「分かりやすさ」を追求することが結果として、従来のモデルでは捉えきれない新たな変化を軽視することになれば、最終的には物価や経済の安定は図れません。私は、中央銀行は「学習を続ける組織でなければならない」ということをいつも強調していますが、政策遂行に当たって、ルール的な要素と裁量的な要素のバランスをどうとるかは大きな課題です。

4. 金融危機の教訓に照らした日本銀行法の評価

以上述べたように、今回のグローバル金融危機は中央銀行制度や金融の規制・監督制度のあり方に関しても様々な論点を提起しています。実際、欧米諸国では、見直しが行われています。これに対し、日本の状況は少し異なるように思います。と言うのも、日本の場合は、日本銀行法改正をはじめ、通貨や金融の制度に関する法改正が行われた1990年代後半時点において、既にバブル崩壊や金融危機の厳しい事態を経験していたことから、振り返ってみると、今回のグローバル金融危機後に高まった問題意識や制度改正を多分に先取りしていたように感じています。以下では、中央銀行法という観点から、時代を先取りしていると考えられる規定を3つだけ申し上げます。

金融政策の目的

第1の先見性は、金融政策の目的がバブルや金融危機の発生の可能性という事態をも想定した規定となっていることです。わが国では、景気回復、デフレ克服、長期金利の安定、円高抑制、株価の引き上げ、雇用確保等、実に多様な目的が時期により論者により、金融緩和の理由として挙げられてきました 6 。しかし、当然のことながら、金融政策という1つの手段でこれらすべての目的を同時に達成することはできません。日本銀行法第2条は、金融政策の目的を「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」と規定しています。一方、ECBやBOEの場合、金融政策の主要な目的は物価安定であると規定されており、少なくとも法律上は経済活動の安定に言及した文言はありません 7 。私は、近年の内外の経験を踏まえると、日本銀行の規定の仕方は優れたものであると思っています。物価が安定していても、バブルの発生を許してしまうと、その後の経済の落ち込みは深刻なものとなり、最終的には物価の安定自体が損なわれることにもなりかねません。日本銀行法の規定は、そのような可能性も意識しながら、中長期的に持続可能な物価安定を追求することを可能にしています

  • 6 米国連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board、FRB)の場合、「雇用の最大化」が目的の1つとして掲げられていますが、FRBでは、自らの政策目的を「中長期的に物価が安定することは、持続可能な成長や雇用、適正な長期金利を実現するための前提条件である」といった形で、対外的に説明しています。詳細は、FRB [2005]をご参照ください。
  • 7 ECBの場合は、欧州連合機能条約(The Treaty on the Functioning of the European Union)において「主要な目的は物価の安定を維持することである」、BOEの場合は、イングランド銀行法において「同銀行は物価を安定させなければならない」と、それぞれ規定されています。

金融システムにおける中央銀行の役割と責任

第2の先見性は、金融システムにおける中央銀行の役割や責任を明確に規定していることです。危機の発生を防ぐうえで中央銀行の役割は極めて重要です。この点、日本銀行法第1条第2項は、「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」を日本銀行の目的として掲げています。また、「最後の貸し手」としての業務を遂行する観点から、取引先金融機関に対して考査を行う契約を締結できることを明示的に規定しています 8 。この考査は第一次世界大戦後の金融恐慌の経験を踏まえて始まったものですが、改正日銀法では、日本銀行が金融機関との間で考査契約を締結できることが明確に規定されることになりました 9

諸外国をみると、金融システムの安定が中央銀行の目的として挙げられていない国も少なからず存在します。また、金融の規制・監督に関与していない中央銀行では、個々の金融機関の資産内容をはじめ金融機関のミクロ情報を直接入手することはできません。この点、金融機関のミクロ情報なしに、中央銀行がマクロ経済の動向を迅速かつ的確に判断できるとは思えません。ミクロの情報とマクロの視点の相互チェックが不可欠です。勿論、日本銀行が金融システムやマクロ経済の動向をいつも正しく迅速に認識してきたというわけではありません。失敗もありました。しかし、金融機関に関するミクロ情報がなければ、正確な認識はもっと遅れたと思います。私個人の経験を振り返ってみても、バブルやその崩壊の影響の厳しさというマクロの問題を最も早く認識したルートは、金融機関の行動というミクロ・レベルのタイムリーな情報でした。

中央銀行を金融政策遂行の組織として純化するという近年一時強まった傾向は、今回のグローバル金融危機発生とは、決して無関係ではないように感じています。これは、金融機関のミクロ情報にアクセスできないためにマクロ経済に関する認識が遅れることに加え、物価安定と金融システム安定を二分法的に考える思考様式が広がるなかで、金融システムの問題に対する関心や感覚が低下しやすくなるからです。幸い、日本銀行はそうした傾向からは免れることができたと思っていますが、これが可能であった1つの理由は、日本銀行は考査や日々のモニタリングを通じて金融機関の状況を綿密に把握していたことにあると思っています。

  • 8 日本銀行法第44条。
  • 9 第一次大戦後に日本銀行が考査を開始した際の経緯については、日本銀行百年史編纂委員会 [1983]をご参照ください。

「最後の貸し手」機能

第3の先見性は、金融危機における中央銀行の「最後の貸し手」機能について、明確な規定がなされていることです。概念的には流動性の供給は中央銀行、資本の供給は政府の役割となりますが、危機においては、問題が流動性と、ソルベンシーのいずれにあるのかの区別は難しくなります。しかし、いずれにせよ、システミック・リスクの惧れがある時には、資金供給を行うことが必要となります。日本銀行法の場合、政府の一方的要請でも、日本銀行の一方的判断でもなく、政府と日本銀行のそれぞれに責任があることを明確にしたうえで、両者ともが必要と判断した場合には、無担保であっても、資金を供給することが可能になっています。責任の所在を明確にしたうえで、金融危機への対応の仕方を規定するという点で、現在の規定の仕方は先進的であると思っています 10

  • 10 日本銀行法第38条。

5. 金融政策運営の枠組み

次に、話をもう少し具体的にするために、日本銀行法との関連や他の先進国との比較も意識しながら、日本銀行の金融政策運営に即してお話します。

まず、金融政策の目的(goal)については、日本銀行がこれを勝手に決めている訳では勿論なく、国民の代表から構成される国会での審議を経て法律で明確に定められています 11 。そのうえで、どのような状態が「物価安定」と呼べる状態なのかが問題となりますが、この問いに対する答えは、1970年代のインフレ期と現在のような低インフレ期とでは当然異なってくると思います。いずれにせよ、ほとんどの国が、目標ないし定義という形で、望ましい物価上昇率の数値を公表しています。日本銀行の場合も、政策委員会のメンバーの考える物価安定—「中長期的な物価安定の理解」という言葉で表現していますが—とは「2%以下のプラスで、中心値は1%程度」であることを公表し、金融政策の運営に当たってこれを念頭に置いていることを明らかにしています。すなわち、日本銀行としてはインフレもデフレも望ましくないことを明らかにしています。

なお、目標物価上昇率や物価安定の数値的定義の設定主体は、国によって様々です 12 。米国連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board、FRB)、ECB、日本銀行、スウェーデンのように、中央銀行が発表している国もありますし、カナダやオーストラリアのように、政府と中央銀行が合意のうえで、発表している国もあります。少数ながら、英国のように、大蔵大臣が目標物価上昇率を決める国も存在します。因みに、英国では1997年に中央銀行に関する制度改革が提言されましたが、ブラウン蔵相はその年の予算演説において、公務員の人件費についても自ら設定した目標との整合性確保の必要性を述べながら、目標となる数値を発表しました 13 。いずれにせよ、発表される目標物価上昇率は人々の行動の基礎となるものであるだけに、状況の変化に応じて短期的に変更されるものではなく、長期間に亘って維持されるという市場や社会の信頼感がなくてはなりません。

金融政策の運営に当たって、目的や目標の設定の次に必要となることは、経済見通しの策定です。見通し策定に当たっては効果波及のタイムラグを考慮する必要があります。この点、日本銀行では、半年毎に公表している展望レポートで先行き2年程度の見通しを明らかにしています。毎回の金融政策決定会合では展望レポートで示した見通しを踏まえつつ、直近のデータに基づいて経済情勢の点検を行い、その結果を公表しています。さらに、展望レポート発表から3ヶ月経過した時点で、経済・物価情勢の包括的な再点検を行い、これを「中間評価」という名前で公表しています。金融政策の点検に当たっては、いわゆる「2つの柱」による点検を行っています。「第1の柱」は、先行きの中心的な見通しに関する点検です。「第2の柱」は、そうした標準的な見通しに関するリスクの点検です。バブルやバブル崩壊以降の経験が示すように、確率が低くても発生すると、非常に大きなコストをもたらす事態も想定されます。あるいは、先行き2年程度という見通し期間を超える期間におけるリスク要因も想定されます。そうした経済・金融情勢の点検の重要性は以前に比べて格段に高まっているように感じています。

海外主要国の金融政策の運営と比較しますと、前述のように、インフレーション・ターゲティングを採用している国の中央銀行も、FRB、ECB、日本銀行のように、これを採用していない中央銀行も、実際の運用は非常に似通ってきています。敢えて言えば、インフレーション・ターゲティング採用国では、インフレーション・ターゲティングという言葉から示唆される機械的な運営という色彩を薄め、「フレキシブル・インフレーション・ターゲティング」という表現で柔軟性を強調する方向に議論が変化しています。他方、インフレーション・ターゲティングを採用していない日本銀行やFRBも中長期的にみて望ましい物価安定の数値を公表するようになっています。日本銀行の現在の金融政策の枠組みはアカウンタビリティの向上というインフレーション・ターゲティングの長所を最大限取り込むと同時に、その欠点と見なされている部分にも対応したものです。日本銀行としては、望ましい金融政策運営の枠組みについては今後とも検討を行っていく方針ですが、現在の枠組みは、より進化した枠組みであると自負しています。

  • 11 本年5月、バーナンキFRB議長は日本銀行の主催する国際コンファレンスで中央銀行の独立性に関して講演した際、「独立性、透明性と説明責任」ということを強調しましたが、同議長も同様の指摘をしています。Bernanke [2010]をご参照ください。
  • 12 例えば、上田[2009]をご参照ください。
  • 13 Brown [1997]をご参照ください。

6. 通貨・金融の安定における政府の役割

ここまでは、中央銀行の行う政策の枠組みや実際の運営について話してきましたが、通貨や金融の安定を実現するうえで、政府の役割も重要です。また、政府の役割を考えることは必然的に中央銀行との関係を考えることにもなります。多岐に亘る論点がありますが、以下では3点だけ指摘します。

第1は、中長期的な財政バランス維持の重要性です。リーマン破綻後、主要国は金融市場の不安定化や経済の急激な落ち込みに対し、国債を増発し、積極的な財政政策を展開すると共に、金融機関に対し公的資本の注入をはじめ様々な金融支援を行いました。中央銀行と並んで、このような政府の積極的かつ大胆な行動がなければ、世界経済の落ち込みはもっと大きなものとなっていたと思います。そうした政府・中央銀行の行動もあって、現在、経済や金融は安定を取り戻していますが、一方で、政府の財政バランスは非常に悪化しました。

そうなると、今度は、政府の債務返済能力に対する信認が焦点となってきます。ギリシャをはじめとする欧州周辺国の財政問題はその一例です。その結果、欧州周辺国の国債金利が上昇しましたが、ソブリン・リスクが高まると、今度は民間金融機関の信認も低下します 14 。言わば、政府と民間金融機関の信認の低下が相乗作用を引き起こす現象です。通貨や金融システムへの信認は究極的には政府、ソブリン国家への信認に支えられています。また、その政府の信認も最終的には、債務返済能力にかかっており、政府といえども、この点に関する投資家の厳しい評価に晒されています。それだけに、中長期的な財政バランスの持続可能性は、通貨や金融の安定を支える根源的な条件です。

第2は、財政ファイナンスと中央銀行信用の関係です。政府の場合は、歳入、歳出とも国会の同意を経て決定されるものです。これに対し、中央銀行の場合は、自らの判断で銀行券ないし当座預金を発行することによって国債をはじめ金融資産を買い入れることができます。言い換えると、政府が中央銀行の通貨発行によるファイナンスという手段に自由にアクセスできるようになると、通貨の過剰発行によるインフレの危険があります。各国ともそうした危険を歴史の経験から学び、その結果、多くの国で中央銀行による財政の直接ファイナンス、すなわち、国債引き受けは禁止されています。

それでは、中央銀行による市場からの国債買い入れはどうでしょうか。諸外国では国債の買い入れは「非伝統的政策」と位置付けられ、その是非が議論されていますが、日本銀行にとっては、国債の買い入れは経済成長に伴って増加する通貨供給の主要な手段と位置付けられており、その意味では、「伝統的政策」そのものであり、買い入れ規模もG7諸国の中では最大の規模となっています。

中央銀行の国債買い入れは一見すると、いくらでも買い入れができるようにみえます。しかし、中央銀行が国債を買えるというのは、通貨、すなわち、銀行券ないし中央銀行当座預金という無利子の中央銀行の債務を個人や企業、民間金融機関が受け取ってくれるからこそ可能となるものです。しかし、経済状態が変化しそれに応じて金利水準も上がる場合には、民間部門が持とうする中央銀行通貨の量も減ってきます。中央銀行による国債買い入れが財政ファイナンス、いわゆるマネタイゼーションを目的としているとみられる場合にも、将来のインフレ予想から国債金利が上昇します。そして、そのようなことが起きる場合には、中央銀行の国債保有量もそれに見合って減らさなくてはならないことになります。その意味で、どの中央銀行も国債を買い入れる時は、将来の経済の姿や自らのバランスシートの規模を予想しながら、将来に亘って金融調節を円滑に遂行できるように最大限の注意を払っています。

第3は、政府と中央銀行のいずれがリスク資産の買い入れを行うべきかという論点です。今回の金融危機局面では、クレジット市場の機能が大幅に低下し、日本銀行はCPや社債を買い入れました。欧米の中央銀行も同様の措置を採りました。これらの措置は最終的に損失が発生する可能性があるという点でも、また、ミクロの資金配分・資源配分に介入する程度が強いという点でも、財政政策の領域に近付くものでした。リーマン・ショック以降、リスク資産の買い入れやリスクの負担という点では各国の対応は異なりました。実際、英国ではBOEの国債買い入れに対し政府が損失補償の契約を結んでいます。

一般論で言うと、民主主義社会の中では、政策の本質が財政政策に近付くほど実行主体、ないしリスクの負担主体としては政府が適切ですが、他方で、経済・金融の安定のために必要な政策実行の機動性確保の要請もあります。この両方の重要な要請をバランスよく考慮する必要があります。このような政府と中央銀行の役割分担の議論は、決して中央銀行が自らのバランスシートを綺麗に保つことを目的としたものではなく、民主主義社会における政策決定に関わる本質的な論点です。現在、主要国の政策金利は実質ゼロ金利であることから、金融政策を通じて景気刺激効果を追求しようとすると、財政政策の領域に近付くことになります。それだけに、今申し上げた本質的論点を踏まえた議論が不可欠です。

  • 14 政府と民間金融機関の負の相乗作用については、日本銀行 [2010]をご参照ください。

7. 日本銀行の取り組んでいる課題

最後に、日本銀行の取り組んでいる幾つかの課題について簡単にお話します。

第1は、金融市場の変化に合わせて、決済システムの改善を図っていくことです。普段はあまり注目されない仕事ですが、これは中央銀行の最も根源的な仕事だと言えます。例えば、即時グロス決済システムや、CLSと呼ばれる多通貨の同時決済システム、さらにはJGBCCと呼ばれる国債の清算機関が今回の危機までに間に合っていなかったら、リーマン・ショックの後の金融市場や経済の混乱はさらに大きくなっていたことは間違いありません。こうした決済システム面での様々な取り組みは、新聞の見出しを飾ることも、また、学界での議論の対象となることも少ないのですが、私を含め、多くの中央銀行の役職員は、こうした仕事に誇りを持っています。アジアの経済・金融市場の発展をはじめ、世界は大きく変化しています。それだけに、決済システム面での日本銀行としての課題も大きいと思っています。

第2は、日本銀行として金融・経済の状況を的確に認識する能力をさらに向上させることです。この点では、マクロ・プルーデンスの視点を取り込んだ分析は特に重要な課題です。過去20年間のバブルや金融危機の経験は、先行きの予測がいかに重要かを示すと同時に、そうした予測の難しさを物語っています。金融政策の効果波及メカニズムやマクロ経済に関する我々自身の知識は限られており、政策当局者には何よりも、謙虚な姿勢が求められるということを実感します。過去の内外の政策の失敗の歴史を振り返ると、失敗はどの国でも成長率や物価上昇率のコンマ以下の見通しの誤りで生じているというより、バブルや金融危機の例が示すように、先行きの経済・金融情勢に関する基本的な判断を誤った時に生じています。それだけに、「時代の空気」のような議論に流されることなく、的確な情勢判断に努力したいと思っています。そのうえで、その成果を金融政策や金融システム政策の面に活かしていきたいと思っています。

第3は当面する最も重要な課題ですが、デフレから脱却し、日本経済を物価安定のもとでの持続的成長軌道に早期に復帰させることです。日本銀行は1990年代後半以降、様々な革新的な政策を実行してきました。ゼロ金利政策、量的緩和政策、将来の金融政策運営スタンスを約束する、いわゆる「時間軸政策」は世界の中央銀行の中で日本銀行が初めて行ったものです。ABCPの買い入れや金融機関保有株式の買い入れも初めて行いましたが、これは今日の言葉で言う信用緩和政策に相当します 15 。日本銀行は現在極めて緩和的な金融環境を維持していますが、常に新たな感覚と中央銀行としての責任意識をもって、今後とも経済・金融情勢を注意深く点検し、必要と判断される場合には、適時適切に行動する方針です。

  • 15 日米における信用緩和政策の運営については、白川 [2009a]もご参照ください。

8. 終わりに

そろそろ時間がなくなってきました。私の話を締め括るに当たって、日本金融学会への期待を簡単に申し述べさせて頂きたいと思います。

日本が1990年代以降、バブル崩壊、金融危機、デフレといった様々な問題に直面した際、そうした日本の問題は、日本の政策の失敗、ないし、日本の社会や経済に固有の事情を反映したものとして片付けられることが多かったように思います。しかし、現在、欧米諸国では、日本銀行が1990年代以降採用した政策を採用し、また、ごく最近では、日本と同じような状況に陥る危険についても議論されるようになっています 16 。振り返ってみると、1980年代後半以降、日本は他の先進国が経験した問題を先行的に経験してきました。当時の教科書には、バブルもバブル崩壊後の厳しい調整も、さらには、金融危機についてもデフレについても、ほとんど記述はありませんでした。しかし、そうした問題こそ、我々が過去25年間直面してきた問題でした。

現在の日本のデフレの問題についても、根源的な原因は潜在成長率の低下による将来の成長期待の低下と、これを反映した需要の減少です。その意味で、人口減少や生産性低迷といった実物面、供給面の分析が不可欠のように感じています 17 。我々として、日本の経験とデータを十分に踏まえたうえで、自ら分析を深め理論を切り開き、積極的に内外に情報発信をしていくことが重要です。この点では、日本銀行自身が努力することは当然ですが、日本金融学会の皆様にも、我々が直面している新たな問題の研究に取り組み、我々政策当局者に刺激材料を与えて頂くことを切に希望しています。

長時間、ご清聴有難うございました。

  • 16 バブル崩壊後の日本経済と今回の世界的な金融危機の経験の類似性と相違点については、白川[2010c]をご参照ください。
  • 17 日本のデフレ研究に当たってのサプライサイドの重要性については、木村ほか [2010]、宮尾 [2006]をご参照ください。

以上

参考文献

  • 上田晃三、「インフレーション・ターゲティングの変貌:ニュージーランド、カナダ、英国、スウェーデンの経験」、『金融研究』第28巻第3号、日本銀行金融研究所、2009年、27〜68頁
  • 木村武・嶋谷毅・桜健一・西田寛彬、「マネーと成長期待:物価の変動メカニズムを巡って」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 10-J-14、2010年8月
  • 白川方明、「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応」、ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳、2009年4月23日、 2009a
  • ________、「マクロ・プルーデンスと中央銀行」、日本証券アナリスト協会における講演、2009年12月22日、2009b
  • ________、「中央銀行の政策哲学再考」、エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳、2010年4月22日、2010a
  • ________、「中央銀行と中央銀行業務の将来」、日本銀行金融研究所主催2010年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳、2010年5月26日、2010b
  • ________、「特殊性か類似性か?— 金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験 —」、2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策の教訓」における基調講演の邦訳、2010年9月16日、2010c
  • 日本銀行、『金融市場レポート』 [PDF 6,692KB]、2010年7月
  • ________「金融制度調査会答申に対する意見—日本銀行の真の独立性確保を—」、1997年2月12日
  • 日本銀行百年史編纂委員会編、『日本銀行百年史』、第3巻、1983年
  • 宮尾龍蔵、『マクロ金融政策の時系列分析』、日本経済新聞社、2006年
  • Bean, Charles, Matthias Paustian, Adrian Penalver, and Tim Taylor, “Monetary Policy after the Fall,” Paper presented at the Federal Reserve Bank of Kansas City's Annual Economic Policy Symposium, August 28, 2010.
  • Bernanke, Ben S., “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability,”Speech at the Institute for Monetary and Economic Studies International Conference, Bank of Japan , May, 25, 2010.
  • Board of Governors of the Federal Reserve System,The Federal Reserve System: Purpose and Functions , ninth edition, 2005.
  • Brown, Gordon, “Pre-Budget Statement by the Right Honourable Gordon Brown, Member of Parliament, Chancellor of the Exchequer,” November 25, 1997.
  • Svensson, Lars E. O., “Monetary Policy after the Financial Crisis,” Speech at the IJCB Conference held at the Bank of Japan, September 17, 2010.