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【発言要旨】マクロ・プルーデンス政策について—アジアの視点を踏まえて—

中国人民銀行・IMF共催ハイレベルセミナーにおける発言の邦訳

日本銀行副総裁 西村 清彦
2010年10月18日

目次

  1. はじめに
  2. 1. 日本のマクロ・プルーデンス政策
  3. 2. マクロ・プルーデンス政策のベスト・プラクティスを求めて

はじめに

本日はこのカンファレンスにお招き頂き、誠に光栄に存じます。また、アジアの視点、とりわけ日本の視点からマクロ・プルーデンス政策についてお話しできる機会を頂戴し、胸が高鳴っております。このような視点は、一般にマクロ経済政策のあり方を考える上でも重要でありますが、とりわけ、世界的な金融危機を受けた規制改革を巡る現在の国際的な議論においては、特に重要な意味を持つものではないかと思います。この短いプレゼンテーションにおいて、私は、日本銀行が、只今申し上げたような視点も踏まえ、これまでどのようにマクロ・プルーデンス政策を実施してきているかをご説明し、そのうえで、マクロ・プルーデンス政策のあるべき「ベスト・プラクティス」にとっての含意についても、お話ししたいと思っております。

1.日本のマクロ・プルーデンス政策

マクロ・プルーデンス政策に対する関心の高まりは、まぎれもなく、近年生じた世界的な金融危機の厳しさ、さらに、そこから教訓を学び取らなければならないという必要から生じているものです。中央銀行は、インフレが低位で安定しているもとで金融システムに蓄積していたリスクに対し十分に注意を払っていたかどうかを自問自答しています。また、金融規制当局は、金融システム全体の安定という関心が、自らの政策の視野の中に欠けていたのではないかと悔やんでいます。このような深い内省の念とともに、政策当局者たちは、マクロ・プルーデンス政策を、これまでのマクロ経済政策とミクロのプルーデンス政策の隙間を埋めるものとして位置付け、これによって大規模な金融危機が再び発生することを避けようとしている訳です。

ここで私は、日本銀行は、物価の安定とともに、金融システムの安定を明確なマンデートとして有していることを強調しておきたいと思います。また、こうしたマンデートに基づき、日本銀行は、1990年代以降、実質的にはマクロ・プルーデンス的な政策手段を実際に講じてきています。

まず、金融システム面での日本銀行の使命は、日本銀行法の第一条に規定されています。すなわち、日本銀行法はその第一条第一項で、日本銀行の目的として、「銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」と規定しています。さらに、その第二項は、「日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする」と定めています。このように、日本銀行法は、日本銀行が金融システム全体の安定に貢献すべきことを、明確に定めているわけです。

このマンデートを果たすために何をすべきかを理解するうえでは、アジアの、さらには日本の金融システムの特徴として、資金仲介において銀行貸出が支配的な役割を果たしているということを理解することが、とりわけ重要となります。一方でアジアでは、証券化市場といった非銀行部門の重要性は相対的には低めです。このことは、米国のサブプライム住宅ローンの証券化や、これに関連する複雑な証券化商品のリスクの過小評価に端を発する2008年の金融危機において、アジアや日本の金融機関が大きな影響を免れた、一つの要因となっています。しかしながら、「同じコインの裏側」の話として、このような銀行貸出のウエイトの高さは、銀行セクターのリスクテイク能力が大きく損なわれる場合には、その実体経済への影響も大きくなり得るということも言える訳です。

金融危機は、過剰なリスクテイクやユーフォリアの終焉に端を発して起こり、その帰結として、極端なリスク回避やアニマル・スピリッツの喪失を経済にもたらします。このため、マクロ・プルーデンス政策は、何よりもまず、過剰なリスクテイクを示すような金融面のアノマリーを見抜き、これを是正しなければなりません。また、不幸にして危機が起こってしまった場合には、銀行セクターのリスクテイク能力を支えていくことが求められます。歴史的に見ても、日本銀行は日本におけるバブル崩壊の経験から多くを学んでおり、また、そうした経験を、2008年の世界的な金融危機の影響を回避、あるいは軽減するために活用してきています。以下ではまず、日本の金融危機後に日本銀行が採ったマクロ・プルーデンス政策手段について説明し、その上で、我々が現在講じている危機防止のための手段についてご説明したいと思います。

金融危機後のマクロ・プルーデンス政策手段 —金融機関保有株式の買取り— 

1990年代以降、日本銀行は、不良債権問題によって損なわれた日本の銀行部門のリスクテイク能力を回復させるため、さまざまな手段を講じてきました。とりわけ、2002年秋に導入された、金融機関保有株式の買入れは、原型的なマクロ・プルーデンス政策と位置付けることが可能です。

すなわち、金融機関保有株式の買入れは、邦銀のリスクテイク能力が不良債権問題によって著しく低下する中で導入されました。日本銀行による銀行保有株式の買入れは、銀行部門が株式保有のために割り当てていた資本を解放し、そのリスクテイク能力を改善する効果を持つものです。この意味では、株式買入れは、現在、国際的な議論の中でマクロ・プルーデンス政策の一例として挙げられている、カウンターシクリカルな資本バッファーに類似した面があったといえます。

なお日本銀行は、金融市場が世界的なショックに見舞われた後の2009年2月、金融機関保有株式の買入れを一時的に再開しました。さらに、3ヵ月後の2009年5月からは、金融機関に対する劣後特約付貸付という政策手段も時限的に導入しました。このように日本銀行は、強いストレス下に置かれた金融システムのリスクテイク能力を回復するための施策を、積極的に講じてきています。

危機防止のための政策手段 —日銀考査とモニタリング— 

次に、日本銀行が採っている危機防止の手段についてお話ししたいと思います。とりわけ、私は、日本銀行が金融機関に対して行っている実地考査および(オフサイト)モニタリング1の重要性を強調しておきたいと思います。金融面でのアノマリーやインバランスは、往々にして個別金融機関の過度のリスクテイク行動を通じて蓄積されるものですし、金融危機の引き金は通常、個別金融機関の流動性問題という形をとるからです。

1990年代以降、英国イングランド銀行など、いくつかの先進国の中央銀行は、そのミクロ・プルーデンスの機能を新たに設立された監督機関に移すという対応を採りました。しかしながら、最近の金融危機の経験を踏まえ、このようなミクロ・プルーデンスの機能を再び中央銀行に戻す動きがみられています。対照的に、日本銀行は一貫して、証券会社を含む幅広い金融機関に対して、実地考査やモニタリングを行い続けてきています。

日本銀行の考査は、個別金融機関の広範なリスクについて徹底的かつ包括的な評価を行い、必要に応じ、リスク削減のための適切な対応を促すものです。また、日本銀行による個別金融機関のモニタリングでも、より継続的に、広範なリスクを評価しています。とりわけ、モニタリングでは、金融機関の流動性リスクを注意深く点検しており、個別金融機関の流動性ポジションを日次で把握しています。金融危機が往々にして流動性危機として起こることを踏まえれば、これらミクロ・プルーデンス機能は、リスクを発見し、対応する上で決定的な役割を果たすものです。また、2007年のノーザン・ロック銀行の破綻以来、国際的な議論でも、流動性リスクを監視することの重要性は広く強調されています。

さらに日本銀行は毎年度、「考査方針」を策定し公表しています。この考査方針には、金融機関への実地考査やモニタリングから得られた情報に加え、経済金融情勢や金融システムのマクロ的状況に関する情報なども踏まえて策定されるものです。この考査方針に基づき、日本銀行は個々の金融機関に対する実地考査を行っていく訳ですが、同時に、考査方針の公表を通じて個々の金融機関に適切な対応を促すことにより、金融システム全体の安定を確保していくということも期待されているわけです。

  1. 1取引先の経営実態や業務運営を把握するために、取引先へ立入って行う調査を考査と呼ぶのに対し、立入りを伴わない調査をオフサイト・モニタリングと呼んでいる。

金融政策運営の「2つの柱」

また、金融政策とマクロ・プルーデンス政策の関係について申し上げますと、金融政策は資産価格や金融システムの変化に直接対応する訳ではありません。しかしながら、資産価格や銀行信用の動向などは、重要な情報を含む変数として、金融政策運営上も考慮の対象となるとの考え方は、多くの国で共有されています。

この点、2006年以来、日本銀行は金融政策判断において、「2つの柱」という判断フレームワークを採用しています。すなわち、このうちの「第2の柱」のもとで、資産価格の変化や銀行信用の膨張が、「経済・物価に大きな影響を与える可能性があるリスク要因」と捉えられれば、日本銀行はこれに対応し得ることになります。このようなフレームワークを通じて、日本銀行は、物価の安定を金融政策の第一義的な目的としつつ、金融面でのリスクの過剰な蓄積に対応し得る弾力性も備えているわけです。この意味で、日本銀行の金融政策の枠組みは一貫して、今回の世界的な金融危機が勃発する前から、金融セクターのリスクにも適切な注意を払い続けてきています。

2.マクロ・プルーデンス政策のベスト・プラクティスを求めて

以上申し上げたような日本銀行自身の経験も踏まえると、マクロ・プルーデンス政策が有効に機能する上では、以下で申し述べるようないくつかの条件が満たされる必要があります。

モニタリングの射程 —十分な情報—

私がまず強調しておきたいのは、マクロ・プルーデンス政策における、ミクロ、マクロ両面での情報の重要性です。

金融危機のきっかけは、多くの場合、個別金融機関におけるリスクの蓄積によるものです。また、中央銀行の「最後の貸し手」機能はもちろん、マクロ・プルーデンス手段として掲げられているものの殆ど —例えば所要自己資本や貸倒引当金、LTV比率の操作など— は、結局は個別の金融機関に適用されるものです。したがって、中央銀行によるマクロ・プルーデンス政策が有効に機能する上では、中央銀行がミクロの面で十分な情報を有していることが、きわめて重要となります。

ここでも、流動性の問題の重要性に焦点が向けられるべきでしょう。金融危機が往々にして流動性危機として始まることを踏まえれば、中央銀行が流動性の問題を特定し対応する上で、市場のどこに流動性の問題が生じており、どの金融機関が極端なストレスに置かれているのかを把握することが重要となります。このような危機管理政策を行っていく上で、開示される金融機関の四半期データでは不十分と言わざるを得ません。このことは、リーマン・ブラザーズの自己資本比率が、危機の直前も10%を超える水準となっていたことからも示されるように思います。実際、日本銀行が実地考査や日々のモニタリングから得る情報は、世界的な金融危機の中での流動性の逼迫に日本銀行が迅速に対応する上で、大いに役立ちました。

マクロ・プルーデンス政策、ミクロ・プルーデンス政策、金融政策の整合性

次に、マクロ・プルーデンス政策が有効に機能するためには、マクロ経済政策やミクロのプルーデンス政策など、各種の政策との整合性も重要となります。言い方を変えれば、マクロ・プルーデンス政策が、これと整合的なマクロ経済政策やミクロ・プルーデンス政策を伴わない場合、これだけで金融システムの安定をもたらすことは難しいだろうということです。

わが国の資産バブル期において、日本の金融当局は銀行の不動産関連融資を抑制する「総量規制」を導入しました。この総量規制は、−当時はまだ「マクロ・プルーデンス政策」という言葉は一般には使われていませんでしたが− マクロ・プルーデンス政策の色彩がきわめて強いものであったといえます。しかしながら、このような政策は結局、金融システムの安定をもたらすものにはなりませんでした。

同様の事例は、最近の世界的な金融危機においてもみられます。マクロ・プルーデンス政策を巡る議論では、スペインにおけるカウンター・シクリカルな引当が、数少ないマクロ・プルーデンス政策対応の一例としてしばしば引き合いに出されます。このようなスペイン当局の先駆的な対応は賞賛に値するものではありますが、同時に、現在のスペインの銀行システムの状況は、資産価格バブルにマクロ・プルーデンス政策手段だけで対応することの難しさを示しているようにも思えます。現段階で、マクロ・プルーデンス政策手段だけで金融危機を回避し得たというトラック・レコードを有しているわけではない以上、政策当局者としては、マクロ・プルーデンス政策は、他の政策が整合的に運営され、市場参加者の期待形成に影響を及ぼせる場合に有効たり得るものと、みておいた方が良いように思います。

マクロ・プルーデンス政策を、金融政策やミクロ・プルーデンス政策と厳密に区分することが、必ずしも生産的な議論に結び付く訳ではないように思います。むしろ、これらの分野にそれぞれ重なる部分があることを認めた上で、金融システムの安定確保に向け、政策当局として投入可能なリソースを、「マクロ・プルーデンスの視点」を常に持ちながら活用していくことが有益であるように思われます。

クロスボーダーの視点— 画一的な手段は避ける必要 —

三番目に、私は、マクロ・プルーデンス政策における、クロスボーダーという視点の重要性も強調しておきたいと思います。

金融機関のビジネスモデルは、それぞれの国の金融サービスへのニーズを反映し、国によってかなりの違いがあります。さらに、それぞれの国の当局が法律や規制を国民のニーズに合致させようとする努力の結果として、金融サービスを巡る法律や規制の枠組みも、国によって相当に異なります。例えば、家計から預金を集めて商業貸出を行うという、伝統的な「buy and hold」型のビジネスモデルが支配的である国々においては、金融監督の面で、まず銀行の貸出ポートフォリオの中の信用リスクを把握することがとりわけ重要となります。一方、市場を通じた資金調達を伴う「originate-to-distribute」型のビジネスモデルが隆盛にある国々では、金融監督においても、流動性の構造や、仕組み商品のリスク・プロファイル、究極的なリスクの所在などに、より大きな関心を払う必要があります。

もちろん、レベル・プレイング・フィールドは重要ですが、同時に、レベル・プレイング・フィールドとは、タイプや背景の異なるさまざまな金融機関に対し、実質的な意味でのフェアな競争環境を提供するものでなければなりません。世界的な金融規制の枠組みは、同時に、当局が地域的、機能的な多様性を十分に配慮することを可能とするだけの十分な弾力性を備えたものであるべきです。特定の国の金融機関がより抜け道を見つけやすいような画一的な規制は、結局は社会厚生を害することになります。さらに、銀行へのあまりに硬直的な規制は、より透明性の低い主体が銀行のビジネスを侵食していく結果として、「シャドーバンキング」を助長してしまうリスクもあります。「ライオンと象を一緒の檻に入れる」ような画一的な規制は、良い結果をもたらさないでしょう。我々は、バーゼル合意における「3つの柱」のフレームワーク、とりわけ「第の柱2」を十分に活用しながら、金融規制におけるルールと裁量のバランスをとっていくべきであると思います。

また、クロスボーダーの観点からみた流動性の重要性についても、指摘しておきたいと思います。金融危機の国境を超えたスピルオーバーを封じ込めるためにも、中央銀行は流動性リスクをモニターし、必要とあらば自ら流動性を供給することを強く求められます。この点では、日本銀行は、そのモニタリングを通じて、外国金融機関の支店や現法の流動性ポジションも丹念にフォローしています。また、世界的な金融危機の最初の段階では、米国連邦準備制度や欧州中央銀行、日本銀行など主要な中央銀行間でのスワップ取極が、国境を超えたスピルオーバーの封じ込めに一定の貢献を果たしたところです。

中央銀行の歴史を遡りますと、第二次大戦より前に生まれた殆どの中央銀行は、金融システムの混乱を収拾し、これを安定させることを目的として誕生しています。したがって、マクロ・プルーデンスという視点は、中央銀行にとって非常に目新しいものという訳ではなく、むしろ、中央銀行に対する経済社会の本源的なニーズに根ざすものではないかと思えます。中央銀行のあらゆる業務—銀行券の発行は勿論、支払決済システムの運営や最後の貸し手機能、さらには金融政策運営—は、いずれも究極的には「マクロ・プルーデンスの視点」から無縁ではあり得ないのではないでしょうか。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 2バーゼル合意は、互いに補強しあう3つの柱から構成されており、第1の柱が最低所要自己資本、第2の柱が、銀行自身が策定する自己資本政策の監督当局による検証、第3の柱が市場規律の活用、となっている。