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【挨拶】日本経済の現状・先行きと金融政策

山形県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 須田 美矢子
2010年12月1日

目次

1. はじめに

日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直接お伺いして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、山形県の各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃私どもの仙台支店、山形事務所が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

本日は、私からは、わが国経済の現状について述べた後、先行きの見通しやリスク要因について、10月末に公表した展望レポートに沿いながら、私なりに重要だと考えるポイントをお話し致します。その上で、当面の金融政策運営について、先般、日本銀行が打ち出した「包括的な金融緩和政策」を中心に、お話し致します。最後に、山形県経済について、僭越ながら私なりの見解を少し述べさせていただいた後、皆様方から、当地の実情に即したお話や忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2. わが国経済・物価情勢の現状と見通し

(1)わが国経済・物価情勢の現状

わが国経済は、緩やかに回復しつつあるものの、改善の動きに一服感がみられています(図表1)。すなわち、海外経済の回復を背景に増加を続けてきた輸出・生産が、海外経済の回復ペースが鈍化するにつれて減速しているほか、耐久消費財の販売促進策の効果などを背景に改善を続けてきた個人消費にも駆け込み需要の反動がみられています。以下では、まず最初に、外需の動きとその背景にある海外経済・物価の動向をみた後、内需について、もう少し詳しくみておきます。

イ.外需と海外経済・物価の動向

わが国の実質輸出は、東アジア向けが5割強、米国・EU向けが3割弱、その他が2割のウェイトとなっていますが、最近まで、新興国・資源国向け輸出の好調から、増加傾向にありました。しかし、足もとは、中国の過熱抑制策の時間差を伴った影響、NIEs・ASEAN向けを中心としたIT関連の在庫調整や円高の影響などから、減少気味となっています(図表2)。

海外経済の動向

実質輸出の背景にある海外経済全体の動向をみますと(図表3)、リーマン・ショック後の落ち込みからの回復を牽引してきた在庫復元の動きが一巡し、財政面からの需要刺激効果も減衰する中で、本年夏以降、経済成長率は鈍化してきています。

地域別にみますと、米国は、減速しつつも、なお緩やかな回復を続けています。もっとも、住宅市場については、販売、新規着工、住宅価格いずれも低水準に止まる中、ローン返済延滞に伴う住宅差し押さえや買戻しの問題がクローズアップされるなど、不確定要素は依然として残っています。住宅の資産価値よりもローン支払等の負債金額の方が多い住宅保有者も多く、家計のバランスシート調整圧力は依然として強い状況が続いています。また、雇用・所得情勢は失業率、賃金上昇率をはじめとして、目立った改善をみせていません。このため、個人消費は、総じてみれば力強さに欠ける展開となっています。

次に、ユーロエリアですが、国ごとのばらつきを伴いながらも、全体として緩やかに回復しています。すなわち、輸出は足もと幾分減速しつつも増加を続けているほか、個人消費も、緩やかに増加しています。ただし、市場では、欧州周辺国のソブリン問題について、政府による対応策を巡る不確実性がある中で、再び関心が高まっています(図表4)。こうした欧米金融市場の一部の不安定な動きには、引き続き注意が必要です。

一方、新興国や資源国では、減速しつつも、内需を中心としてなお高い成長が続いています。最初に中国ですが、再び成長が上向きつつあります。具体的には、輸出は、海外経済の減速を受けて増勢が鈍化していますが、個人消費は、家計の所得水準の向上などを背景に堅調に推移しています。固定資産投資も、政府による不動産投資抑制策やエネルギー消費抑制策などの影響から減速していますが、なお、高い伸びを維持しています。また、NIEsやASEANでは、輸出・生産が海外経済の減速やIT関連の調整もあって急減速しましたが、内需が引き続きしっかりしており、回復基調は崩れていません。

先行きについてみますと、海外経済は、当面、減速していくものの、回復基調そのものは途切れず、2011年以降は、成長率が再び高まっていくとみています。地域別にみると、中国をはじめとする新興国・資源国経済は、一時的に幾分減速するものの、旺盛な国内需要等を背景に、高めの成長を維持するとみています。他方、米国経済は、バランスシート調整の影響が続きますが、新興国・資源国向けの輸出増加や、設備投資、個人消費の緩やかな回復を背景に、2011年以降、成長率は再び高まっていく見込みです。欧州も、国ごとのばらつきはあるものの、全体として緩やかな回復を続ける見通しです。

海外物価の動向

この間の海外の物価情勢をみておきますと、先進国と新興国・資源国の間に、大きな違いがみられます(図表5)。米欧では、財・サービス市場や労働市場における緩和的な需給環境を背景に、ディスインフレの傾向が続いています。例えば、米国では、消費者物価はPCEコアデフレーター前年比でみて、10月に0.9%まで低下しています。今後も低い消費者物価上昇率が続くものとみています。こうした中、市場では、8月27日のバーナンキFRB議長のスピーチ1の後、追加緩和政策が織り込まれ、中長期のインフレ期待を測る指標であるブレークイーブン・インフレ率(BEI)が上昇するなど(図表6)、ディスインフレ傾向の反転を見込んだ取引が活発化しています。また、FRBが11月に決定した巨額の国債買い入れ策に対して、将来のインフレを懸念する声も聞かれています。

他方、新興国・資源国では、資源・食料品価格の上昇や生産要素の稼動水準の上昇を背景に、インフレ率の上昇圧力が高まっており、実際、中国など一部の国では、インフレ率が上振れ始めています。なお、こうした動きの背景の一つには、米国をはじめとする先進国の金融緩和により、新興国に資本流入圧力が高まっていることがあげられます。為替相場の安定、自由な資本移動、独立した金融政策の全てを同時に達成することは不可能な中で(いわゆる「国際金融のトリレンマ」)、為替レートの大幅増価を避けるべく市場介入が行われ、金融政策運営にしわ寄せが及び、緩和政策の修正が遅れ気味となっている国がある可能性も示唆されます。

  • 1 Ben S. Bernanke, "The Economic Outlook and Monetary Policy", August 27.2010, at the Federal Reserve Bank of Kansas City Economic Symposium, Jackson Hole, Wyoming. をご参照下さい。

ロ.内需の動向

次に、わが国の内需に目を移しますと(図表1(2)参照)、設備投資は、企業収益の改善等を背景に、持ち直しに転じつつあります。すなわち、機械投資の一致指標である資本財総供給が緩やかに増加しているほか、先行指標である機械受注も、はっきりと増加しています。また、雇用・所得については、引き続き厳しい状況ですが、雇用者数や賃金が小幅に増加し、有効求人倍率がゆっくりと改善するなど、その程度は幾分緩和してきています。こうした中、個人消費は、9月までは猛暑効果に加え、たばこ税引き上げとエコカー補助金終了前の駆け込み需要もあり、予想以上に好調でしたが、10月入り後、駆け込み需要の反動減がしっかりと現れてきています。この間、住宅投資については、先行指標である新設住宅着工が分譲を中心に持ち直し傾向にあるほか、首都圏マンション販売も増加しているなど、下げ止まっています。なお、公共投資については、昨年後半以降、減少を続けています。

以上の内外需要を背景に、生産は増勢が一服しています。9月の生産は、駆け込み需要の反動減等から、自動車や半導体関連を主因に減少したほか、四半期ベースでみても減少しました2。こうした状況のもと、耐久消費財や電子部品・デバイスを中心に、在庫はやや増加しています。

  • 2 鉱工業生産指数については、2010年4月に行われた季節調整替えにより、2008年10〜12月と2009年1〜3月の生産の大幅な落ち込みの一部が、実勢ではなく「季節性」によるもの、と認識されている可能性が高いとみられます。こうした季節調整法は、その後の10〜12月、1〜3月の伸び率を押し上げ、4〜6月、7〜9月の伸び率を押し下げる方向に働くことになります。従って、4〜6月、7〜9月の実勢を判断するには、かかる押し下げ効果を修正して判断する必要があります。

ハ.物価情勢

わが国の物価情勢をみますと、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比下落幅は、マクロ的な需給バランスが緩和状態にあるもとで下落していますが、下落幅は縮小を続けています。全国の消費者物価指数についてみると、10月は、たばこ税引き上げ等の影響もあり、前年比下落幅が大幅に縮小しています。

(2)わが国経済・物価情勢の先行き見通し

イ.展望レポートにおけるわが国経済・物価の先行き見通し

以上のように、わが国経済は、緩やかに回復しつつあるものの、改善の動きに一服感がみられています。ここで問題となるのは、一旦減速した景気の先行きが、どのように展望できるのかということです。そこで、次に、わが国経済・物価情勢の先行きの見通しについて、日本銀行が10月末に発表した、「展望レポート」に則してみておきたいと思います。

まず、わが国経済の先行きですが、本年度後半は、海外経済の減速や耐久消費財に関する政策効果の反動、最近の円高の影響もあって(図表7)、景気改善テンポは一時的に鈍化する可能性が高いとみています。特に10−12月期の経済成長率は、7−9月期の成長率が想定以上に高かったため、反動も大きく出てマイナスとなる可能性がかなりあります。もっとも、2011年度入り後は、円高の影響は残るものの、海外経済の成長率が再び高まることなどから、輸出が増加を続け、設備や雇用の過剰感も徐々に解消していくため、わが国経済は緩やかな回復経路に再び復していく見込みです。その後、2012年度についても、新興国・資源国を中心に海外経済が高めの成長を続けるもとで、潜在成長率を上回る成長が続くと考えています(図表8)。

私もこのような見通しを持っておりますが、わが国経済の先行き見通しを考える上で、海外経済の成長の果実をどの程度取り込めるのか懸念しています。この点、日本の輸出の伸びは90年代半ば以降、他国よりも緩やかであり、中国をはじめとした貿易自由化が進む中で、世界の輸出に占める日本のウェイトは90年代半ばから減少傾向にあること(図表9)等を踏まえると、私は、わが国経済が海外成長の果実を上手に取り込めていないのではないか、との思いを強めています。さらに、足もとでは、稼働率の回復が未だに不十分ななかで急速に為替円高が進行したほか、後に述べますが、新興国の技術上のキャッチアップや海外において自由貿易協定の締結が進むなど、為替以外の要因によるわが国経済の競争環境の悪化も懸念されるところです。また、各種環境規制や税負担、あるいは労働規制といった企業の競争力に直結する問題も引き続き指摘されている状況です。以上の点を踏まえると、わが国経済あるいは企業がグローバルな需要を思ったように取り込めない傾向が今後さらに強まらないか、注意が必要です。

次に、物価面の見通しについては、中長期のインフレ期待が安定的に推移するもとで、今後、マクロ的な需給バランスが徐々に改善していくこと、などから、消費者物価指数(除く生鮮)の前年比下落幅が縮小していくとみています。なお、展望レポートでは、消費者物価指数(除く生鮮)の前年比がプラスの領域に入るのは2011年度中になると考えられ、その後、2012年度にかけてプラス幅が拡大していくものと見込んでいます。もっとも、私は、物価見通しについてもっと慎重な見方をしています。以下でその理由を説明したいと思います。

ロ.将来予想される物価上昇率に対する見方

物価の見通しを考えるうえでは、(1)需給ギャップをどうみるか、(2)予想インフレ率の動向をどうみるか、(3)輸入コストをどうみるか、という論点が挙げられるわけですが、実証分析から、現在のインフレ率は過去の物価上昇率の影響も受けるとされ、最近では、

今期のインフレ率=γ×(来期の期待インフレ率)

+(1−γ)×(前期のインフレ率)

+β×(今期の需給ギャップ)+α×輸入物価変動率

※但し、γ、α、βはパラメータ

という見方が多くの分析で利用されるようになっています。上記の関係式については、前期のインフレ率の項の解釈が難しいとか、ミクロ的な基礎付けに欠けるといった批判もありますが、一つの見方として、現実のインフレ率は、中長期の予想インフレ率だけでなく、過去のインフレ率に短中期の期待が牽引(アンカー)されている可能性があるとの解釈も可能です。この解釈によれば、わが国の場合、プラスの中長期の予想インフレ率と3、マイナスの過去のインフレ率の綱引きにおいて、どちらの牽引力が強いかが鍵ということになります。

この点、わが国においても、現実のインフレ率に対する、中長期的な予想インフレ率の牽引力を強めることが重要であることはいうまでもありません。しかし、私は、デフレが長期化するわが国において、かかる中長期的な予想インフレ率の牽引力を強めることは容易ではないと考えています。さらにいえば、海外においても、最近、わが国と同様に、現実のインフレ率に対する、中長期的な予想インフレ率の牽引力が弱まっているように見受けられます。例えば、日本とは状況がまったく異なりますが、インフレーション・ターゲティングを採用している英国をみると、インフレ率が物価目標の上限を超過する状況が1年近く続く中、かかる過去のインフレ率により、中期のインフレ予想が上昇するリスクが重要なリスクとして指摘されています4。また、米国においても、足もとのディスインフレが中期的なインフレ予想を引き下げることにつながらないか懸念する声が聞かれます5

また、過去のインフレ率は過去の需給ギャップの影響を受けるということでもありますので、過去のインフレ率の影響を受ける現在のインフレ率は、現在だけでなく過去の需給ギャップの影響も受けることになります(図表10)。経済の稼働率がまだ低く、今年度後半にマイナス成長が予想されるなど、当分の間、需給ギャップの改善がほとんど見込めない中で、かかる需給ギャップの動きが将来のインフレ率に与える影響は無視できず、中長期の予想インフレ率の牽引力はあまり強くないと考えています。

  • 3 エコノミストによる中長期的な予想物価上昇率は、ここ数年、概ね1%程度で安定しているとみられます。
  • 4 キングBOE総裁は11月の記者会見において、インフレ率の上振れが中期のインフレ予想を上昇させるなら、インフレ率の見通しは著しく高まり得ると述べるとともに、これが明らかに主要なアップサイドリスクであり、インフレーションレポートでも十分に話し合っていると質問に返答しています。BOEの11月会合では、何人かの委員は、最近のインフレ上振れにより、インフレ予想が高まるリスクが従来の想定よりもやや高まっていることを懸念しています。Bank of England, "Minutes of the Monetary Policy Committee Meeting 3 and 4 November 2010", Bank of England, "Quarterly Inflation Report Q&A -10th November 2010" をご参照下さい。
  • 5 例えば、William C. Dudley, "The Outlook, Policy Choices and Our Mandate", October 1, 2010, Remarks at the Society of American Business Editors and Writers Fall Conference, City University of New York, Graduate School of Journalism, New York. をご参照下さい。6月のFOMCにおいて、何人かの参加者は、実際のインフレ率が低いことを受けてインフレ予想が低下する可能性を踏まえ、特に近い将来において、インフレ見通しにおけるリスクはダウンサイドに傾いていると判断しているとあります。11月のFOMCにおいても、数人の参加者は長引く資源スラックがインフレに下方圧力をかける度合い、あるいは長期間にわたる低いインフレ実績がインフレ予想を低下させる可能性を指摘しています。それぞれの議事要旨をご参照ください。

ハ.わが国経済のグローバル化への対応

わが国経済のグローバル化への対応は、物価見通しを考える上でも重要な要因であることはいうまでもありません。すなわち、日本経済の停滞が10年以上も続き、その間、かなりの期間、物価が下落しているわけですが、グローバル化が安価な輸入品の増加や競争の激化などを通じて影響を与えたことは否めませ ん6

なお、グローバル化に関連して、最近、私が懸念していることとして、新興国が技術面で日本に急速にキャッチアップしていることがもたらす、わが国経済・物価への影響が挙げられます。最近、企業経営者の方とお会いすると、近年、新興国の企業がわが国企業からリストラで不要となった設備を格安で買い取ったり、中小企業を含めてベテラン技術者を引き抜いて生産ノウハウを吸収するなど、新興国が生産技術あるいは能力面で急速に日本にキャッチアップしていることを窺わせるお話が増えてきました。仮に、新興国の生産技術等が急速に向上しているとすれば、グローバルな競争がさらに激化することにつながりますが、わが国経済の視点からみると、輸出の価格弾力性が大きくなるため、日本の輸出はこれまで以上に為替レートの影響を受けることになります。また為替以外でも、関税などで競争上不利となる可能性が高まるもとで、輸出企業を中心に競争力維持のためにさらなるコストカットが不可避になるとみられます。わが国においては、企業が、従来から労働節約的な技術進歩、あるいは、コストカットで生産性を引き上げてきた傾向がある点に鑑みれば、新興国との間で賃金格差がまだある中で、労働コストの引き下げを企図した対応(国内拠点の海外移転といった企業立地戦略の見直し、パート等を活用した人件費削減、労働時間の短縮)を一層推し進める可能性があります。このため、賃金の低下圧力が強まる可能性がありますが、この場合、賃金の影響を受けるサービス価格も含めて、物価の上昇圧力を減殺する方向に働くことになります。このように、先行き対外競争の激化が予想される中、企業の価格設定行動を考えると、物価見通しに対して慎重にならざるをえません。

以上のような背景から、私は、物価見通しについては、来年度中に消費者物価指数(除く生鮮)の前年比がマイナスから脱却できる蓋然性は高くなく、デフレ脱却へ向けての改善にも時間がかかるとみています。また、展望レポートで触れられているように7、来年度には消費者物価指数は2010年度基準に切り替わりますが、それを考慮に入れた場合、その蓋然性はさらに低下するとみています。

  • 6 持続的なデフレの背景にある日本の構造的な問題等については、須田美矢子「成長基盤強化の重要性と金融政策」(2010年12月1日)をご参照下さい。
  • 7 「今回の消費者物価の見通しは、現行の2005年基準の指数をベースにしているが、統計作成当局は、同指数について2011年8月に2010年基準の指数に切り替え、あわせて前年比計数を遡及改定する予定であることを公表している。その際、前年比上昇率が下方改訂される可能性が高い。」(日本銀行「経済・物価情勢の展望(2010年10月)」基本的見解注8)。

(3)リスク要因

展望レポートの冒頭にあるように、現在は不確実性が高い経済状態にあり、蓋然性の高いシナリオといってもそこから外れるリスクも相応にありますので、上振れ・下振れリスクの分析も重要です。今回の展望レポートでは、経済については、(1)先進国経済、(2)新興国・資源国経済、(3)企業や家計のマインドの動き、(4)企業の中長期的な成長期待の動向を取りあげ、物価については、(1)経済の上振れ、下振れ要因、(2)企業や家計の中長期的な予想物価上昇率、(3)マクロ的な需給バランスやそれが物価に及ぼす影響を把握する上での不確実性、(4)輸入物価の動向を取りあげています。私自身もこれらのリスクを意識しています。以下では、こうしたリスク要因について、やや詳しくご説明します。

イ.海外経済・物価のリスク

まず、海外経済のリスクです。すなわち、先進国では、財政政策の発動余地が限られており(それどころか財政健全化に目が向いており)、米欧のバランスシート調整の帰趨や高い不確実性といった下振れリスクが引き続き存在する一方、新興国・資源国では、政策対応余力がある中で、経済の強まりなどの上振れリスクがあります。今のところ、海外経済のリスクは、不確実性が高いものの、ほぼバランスしているとみています。ただ、さきほども述べましたとおり、新興国・資源国では、経済や資産価格の状況対比でみて、金融緩和の修正が遅れ気味とみています。こうした状況のもとで、資源価格・食料品価格を含めたインフレ率の上昇圧力が高まっており、足もとでは、経済の過熱とその後の落ち込みリスクがやや強まっているように窺われます。

なお、新興国・資源国の金融緩和の修正が遅れ気味だと申しましたが、新興国・資源国だけに焦点を当てるのは適当ではありません。先進国はディスインフレ、新興国・資源国はインフレが課題というように二極化し、かつ対外不均衡問題を抱えている中で、各国の政策対応について非常に難しさが増しており、各国の意図に反して、グローバルにみて実体経済や物価の変動を拡大させることにならないか懸念しています。図表11にあるように、経済規模において先進国と新興国・資源国がほぼ肩を並べるほどになっていいますが、両経済の大きさが近づくにつれて、経済政策がお互いに影響を与える度合いも高まり、政策の効果として、対外経済への影響を通じるフィードバック効果の大きさが次第に大きくなります。しかし内外経済についての情報が十分ではない中、フィードバック効果あるいは外国の政策からの波及効果は、通貨制度や資本移動性によっても異なるため、その影響を適切に織り込むことは困難であるからです8

  • 8 一般に、2つの国からなる経済において、一方が大国で、他方が小国の場合、小国は大国の影響を受けるものの、小国の政策対応は大国へは影響を与えません。しかし、両国がともに大国である場合、お互いの政策が相手国に影響を与える結果、そのフィードバック効果にも十分留意する必要があります(例えば、Robert A. Mundell, "International Economics", Ch.18, Macmillan, 1968をご参照下さい)。

ロ.国内経済のリスク

次に国内経済のリスクです。現在は、不確実性が高い経済・金融情勢であるだけに、市場が安定的とはいえない地合いにあり、市場のリスク許容度も変化しやすい状況にあります。こうした中で、まだ稼働率が低い上に、最近の円高の影響や企業や消費者のマインド悪化を考えると、今後想定される経済の一時的な弱まりが長引くリスクは引き続き高いとみています。

より長い目でみた下振れリスクとして気がかりであるのが期待成長率の下振れです。日本は、バブル崩壊後、後ろ向きの調整に追われたため、現在抱える大きな課題、つまり、巨額の財政赤字、少子高齢化・人口減少の問題にしっかりと処方箋を描き切れておらず、それが期待成長率を高められない根本原因であると考えられます。それに加え、新興国・資源国の台頭という世界経済の構造変化にうまく対応できていない、あるいはそれに遅れをとっているということ、別の言い方をすれば、先ほど指摘しましたように、海外経済の成長の果実を思ったほど取り込めていないことも期待成長率を高められない大きな原因であるとみています9

こうした中、最近では、多くの企業において、新興国・資源国のインフラ需要や消費需要を取り込むため、新たな製品開発や国際的な販売網の拡充を進める動きがみられています。なかには、円高を利用して海外企業の買収を進め、グローバルな視点から事業の再構築を目指す動きもみられております。このような前向き動きが企業の自信を高め、日本に漂っている閉塞感の解消に一部なりとも繋がれば、期待成長率が上向く可能性があります。他方、企業が海外展開を進めるにあたり、国内拠点を全面的に閉鎖あるいは海外へ移転したり、海外での生産強化を優先する場合には、輸出企業の国内での波及効果は大きいので10 、国内経済への影響、とりわけ輸出企業の下請け・孫請け企業への直接的な影響は大きいといわざるをえません。実際、日本銀行本支店が収集した情報を集約した「地域経済報告」(さくらレポート)のなかでも、海外での生産強化に伴う国内新規雇用の抑制などを懸念する声が聞かれています11 。日本経済全体でそれぞれがそれぞれの分野で前向きな対応を積極的に行っていかなければ、期待成長率が下がるリスクがあります。

  • 9 10月の生活意識に関するアンケート調査によりますと、日本経済の成長力について、「現状程度の成長率が見込める」が低下し33%となり、「より低い成長しか見込めない」が上昇し64%となっています。
  • 10 清田耕造「日本の輸出と雇用」RIETIディスカッション・ペーパー 10-J-029、2010年4月
  • 11 日本銀行「地域経済報告—さくらレポート—」(2010年10月)をご覧下さい。

ハ.物価に関するリスク

最後に物価に関するリスクです。すなわち、新興国・資源国の高成長を背景とした資源価格の上昇などによって、わが国の物価が上振れる可能性があります。実際、足もとでは、国際商品市況が上昇しており、輸入物価を通じた影響を注視する必要があります。一方、中長期的な予想物価上昇率の低下などにより物価上昇率が下振れるリスクもあります。ただ、物価の見通しについては、先ほど申し上げたとおり、中長期的な予想物価上昇率のアンカー機能がどの程度働くかが重要な論点であったわけですが、私は、この点について慎重な見方をしております。また、政策効果についても慎重にみていますので、物価に関するリスクとしては、むしろ上振れリスクを意識しています。

3. 当面の金融政策運営

イ.「包括的な金融緩和政策」の決定の背景

次に、当面の金融政策運営についてお話します。日本銀行では、かねてより、日本経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することが極めて重要な課題と認識しています。そのために、中央銀行としての貢献を粘り強く続けていく方針であり、実際、強力な金融緩和の推進、金融市場の安定確保、成長基盤強化の支援を図ると同時に、さらに、先行きの経済・物価動向を注意深く点検したうえで必要と判断される場合には、適時・適切に政策対応を行う方針です12。10月5日の金融政策決定会合において、先行きの経済・物価動向を点検した結果、「わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長経路に復する時期は、後ずれする可能性が強まっている」との判断に至り、こうした判断のもとで金融緩和を一段と強力に推進するために、 「包括的な金融緩和政策」と名付けた、追加的な政策措置を講ずることにしました13

この間、私自身は、展望レポートの中間評価を行った2010年7月の金融政策決定会合終了直後から、12年度までの経済・物価の見通しをより具体的に考え始めていましたが、9月頃には、経済見通しについて、特に11年度以降の下振れを意識するようになり、物価についても、回復力が想定以上に弱い、との見方を強めてきました。このため、金融政策面でも、従来の政策の延長線上にはない、思い切った政策対応が必要であると考えていました。今から振り返ってみると、他のボードメンバーもそれぞれの見方から私と同じような思いあるいは危機感を強めていたように思います。「包括的な金融緩和政策」の決定の背景には、こうしたボードメンバーの危機感があることを指摘しておきたいと思います。

  • 12 日本銀行「当面の金融政策運営について」2010年9月7日
  • 13 日本銀行「『包括的な金融緩和政策』の実施について」2010年10月5日<

ロ.「包括的な金融緩和政策」のポイント

「包括的な金融緩和政策」は、金利誘導目標の変更、「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化、資産買入等の基金の創設という3つの措置からなっています(図表12)。以下では、これらの措置について、政策意図に則して、少し詳しくご説明いたします。なお、説明に際しては、政策意図を明確にする観点から、金利低下(1)、量的緩和(2)、質的緩和(3)、期待(4)の4つに分類して、ご説明したいと思います。

金利誘導目標の変更

第一に、無担保コールレート・オーバーナイト物の金利誘導目標水準を、従来の「0.1%前後」から「0〜0.1%程度」に変更しました。日本銀行は、2008年11月の政策変更により、政策誘導金利(無担保コールレート翌日物)を「0.1%前後」に引き下げ(1)、実質ゼロ金利政策を採用しました。もっとも、「0.1%前後」では、日々の金融調節において、0.1%からの乖離をどの程度許容しているのか必ずしも明らかではなかったため、今回、この点を明確化することにしたわけです。つまり、日本銀行では、リーマン・ショック後、潤沢な資金供給を行う姿勢を維持していますが、「包括的な金融緩和政策」においては、後述する資産買入等の基金を通じて、一層潤沢な資金供給を行うことになります。加えて、この間、市場では、日本銀行の潤沢な資金供給が民間取引を代替する傾向が強まった結果、コール市場での取引が減少しているため、日々の取引状況如何では、無担保コールレート・オーバーナイト物が0.1%を大きく下振れることも予想される状況となっています。今回の措置は、こうした金利の下振れを明示的に許容することが政策効果をより高めると考えられることから、変更に踏み切ったものです。

なお、金融機関当座預金について、超過準備に0.1%の金利を付していますが(補完当座預金制度)、今回の変更では、振れを許容するという政策の趣旨を踏まえて、付利金利の水準は変更していません。この点について、付利金利を引き下げれば金利低下につながるとのご意見もあると思います。しかし、コールレートが低下しすぎると、市場取引による収益機会を損なうため、民間金融機関同士の取引を細らせることに繋がり、最終的に量的緩和政策採用時のように市場参加者を激減させる可能性が高いとみています。このため、金融仲介機能が低下し、かえって緩和効果を阻害することになりかねません。以上のメリット、デメリットを勘案すると、付利金利のさらなる引き下げは現時点ではデメリットの方が大きいと判断しています(ちなみに米国でも同趣旨の指摘がなされています14)。

  • 14 Ben S. Bernanke, "The Economic Outlook and Monetary Policy", August 27, 2010, Speech at the Federal Reserve Bank of Kansas City Economic Symposium, Jackson Hole, Wyoming

「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化

第二に、「中長期的な物価安定の理解」に基づき、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していくことを明示的に示すことに致しました。もっとも、金融政策の運営に際して、物価だけに焦点を当てすぎると物価以外のリスク要因を軽視することに繋がりかねませんので、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、問題が生じていないことを実質ゼロ金利政策の継続の条件としています。

これはさきほど述べた4つの分類のなかでいえば、期待へ働きかける(4)と同時に金利低下を促す(1)ことを企図したものです。この点をもう少し丁寧に説明しますと、かかる期待の働きかけの前提には、長期金利と短期金利については「期待理論」と呼ばれる考え方があります。これは、「期間の長い市場金利は、その対応期間において予想されるオーバーナイト金利の平均になる」という考え方です。このような考え方のもとで、中央銀行が市場に対して「物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで、実質ゼロ金利政策を継続していく」と約束し、それが市場で十分信認されると、「デフレが続くと想定される期間中、オーバーナイト金利は、ゼロ%近傍で推移する」という予想が市場で生まれ、その結果、ターム物金利や中長期金利が低位で安定するようになります。こうした金融緩和効果を一般に「時間軸効果」と呼んでいます。

日本銀行では、2006年3月に時間軸効果を伴った量的緩和政策を完了させる際に新たな金融政策運営の枠組みを導入し、「中長期的な物価安定の理解」——政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率——を数値で示し、これを念頭に置いた上で金融政策運営を行うことにしました。さらに、2007年4月には、物価の見通しについて「中長期的な物価安定の理解」からの評価を加え、2009年12月には「中長期的な物価安定の理解」の数値に関する解釈をより明確化15してきました。今回の措置は、実質ゼロ金利の継続期間の判断基準を「中長期的な物価安定の理解」と明示することで、この時間軸を明確化することを企図したものといえます。

  • 15 「消費者物価指数の前年比で0〜2%程度の範囲内にあり、委員毎の中心値は、大勢として、1%程度となっている」という部分をより明確化し「2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」としました。

資産買入等の基金の創設

第三に、金融緩和を一段と強力に推進するために、長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を促していくこととし、そのために「資産買入等を行う基金」を日本銀行のバランスシート上に新たに創設して、固定金利方式・共通担保資金供給オペの30兆円程度に加えて、国債や社債、CPのほか、指数連動型上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(J-REIT)といった多様な金融資産を総額5兆円程度の規模で買い入れることとしました。個別企業の信用リスクを取ることは異例の措置であり、新たに基金を創設するのは、通常の金融調節で取得した金融資産と別枠で管理することにより、本措置で買入れた金融資産のリスク状況の把握を容易にし、管理の透明性を高めるためです。既に一部の資産購入を開始しており、その他の資産についても準備が出来次第、順次購入を開始し、12月半ばまでにはすべての資産の買入が開始されることを予定しています。

これはさきほど述べた4つの分類のなかでいえば、あくまで長めの市場金利の低下(1)と各種リスク・プレミアムの縮小(3)がメインです。この点、市場では、基金の規模に注目する向きもあるようですが、「量」は本措置の直接の目的ではなく、あくまで、長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を狙った後に、結果として「量」が拡大することを改めて申し上げておきたいと思います。なお、ここでいう、リスク・プレミアム縮小への働きかけは、リスク資産を大量購入して価格を下支えすることを意味するものではありません。言い換えれば、日本銀行が、リスクを取って多様な金融資産を購入することにより、それを「呼び水」として、市場におけるリスク性金融資産に対する需要・供給が増え、すでに潤沢に供給されている資金が経済の活性化のために有効活用される効果を狙っているものです。

このように、日本銀行が本措置により長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を促していくことを企図した背景としては、日本銀行が2001年3月から2006年3月まで5年余りにわたって採用した量的緩和政策16の 経験があります。量的緩和政策の効果については、時間軸効果を伴っていたこともあって、量の拡大自体の効果を抽出するのは難しい側面もありますが、その後の実証結果等をみると、量的緩和は金融システムの安定化には寄与したものの、景気や物価に与える効果は限定的であったというのが大方の評価です17。 また、時間軸効果を伴った量的緩和政策による金利低下がその他資産価格へ波及する効果(ポートフォリオリバランス効果)も限定的であったというのが暫定的な評価です。かかる経験をもとに、日本銀行では、短期金利引き下げ余地が限界的になった後の追加緩和政策として、長めの市場金利の低下(1の金利低下)かリスク・プレミアムの縮小(3の質的緩和)への直接的な働きかけを行うことがもっとも有効であると判断しているわけです。

ただ、私は、この「包括的な金融緩和政策」のすべてに賛成することはできませんでした。具体的には、本基金の買入対象資産として、国債を検討対象とすることについて反対しました。主たる理由としては、現在のように、金融機関の目が資産運用対象先として国債に向かっており、かつ短期金利のみならずより長い金利も低くなっている中で(例えば2年物金利は過去1ヶ月でみると0.130〜0.200%で推移しています)、長めの市場金利の一層の低下を促すよりも、高止まりしているリスク・プレミアム縮小への働きかけ(3の質的緩和)を強めることがより有効ではないかと考えていたためです。実際、長めの市場金利の低下は、「包括的な金融緩和政策」採用以前に、政策金利を0.1%まで引き下げたことや、これまでの対話から生まれている時間軸効果や潤沢な資金供給の姿勢によってかなりの程度実現されているとみています。したがって、長めの市場金利低下を一層促すために国債買入れを増額させても効果は限定的である一方18 、債券市場の過熱に繋がるリスクや、過度な金利低下が金融機関の収益機会を奪い、かえって金融緩和効果を阻害する惧れがあり、副作用の方が大きいと考えています。その上、長期国債買入れについては、財政再建への中長期的な道筋が不明確な中、銀行券を上限とする取扱いに例外を設けると、財政ファイナンスに一歩近づいたとの疑念が市場に生じ、かえって長期金利に悪影響が及ぶ可能性があることを懸念したことも反対の理由の一つです。

  • 16 (1)金融市場調節に当たり、主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金に変更する、(2)新しい金融市場調節方式を、消費者物価指数(全国<除く生鮮食品>)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する、(3)当面、日本銀行当座預金を、5兆円程度に増額する、(4)日本銀行当座預金を円滑に供給するうえで必要と判断される場合には、現在、月4千億円ペースで行っている長期国債の買い入れを増額する、の4つから成る。
  • 17 鵜飼博史「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」金融研究第25巻第3号、2006年10月
  • 18 8月30日の政策変更(固定金利オペ・6ヶ月物増額)に際しての反対理由の一つに、かかる政策変更の効果が限定的であることを指摘しています。

日本銀行の財務の健全性確保

ここで、リスク性資産購入によるデメリットにも触れておきたいと思います。日本銀行が市場に介入し過ぎると価格形成を歪める可能性が高まるほか、金融機関の収益機会を奪うことにも繋がりかねません。また、日本銀行自身も、リスク性資産の購入により、最終的に損失を蒙るリスクがあります。ご承知のように、日本銀行の収益の源泉は、独占的な通貨発行権から得られる通貨発行益(シニョレッジ)であるわけですが、かかる通貨発行益は本来国民のものであるため、基本的に政府の一般会計に納付され、日本銀行が自由に利用できるものではありません。言い換えれば、日本銀行の損失は最終的に国民負担になるわけです。また、そもそも日本銀行の財務の健全性が維持されないと、独立した中央銀行の存立基盤が揺らぎかねず、ひいては機動的な政策対応に支障をきたし、そのために、通貨の信認が揺らぎかねません。日本銀行が、政府に対して、本措置による損失が生じた場合の損失処理の仕方について理解を求めている19 のはこうした背景があるわけです。財政政策に近い非伝統的な金融政策については、国民の評価を重視しつつ運営していくしかないと思っています。

  • 19 10月28日の決定会合での公表文では、「日本銀行は、今回の基金による多様な金融資産の買入から生じるリスクを管理し、引当や損失が発生した場合の処理などを適切に行っていくことを通じて、財務の健全性を確保していく考えである。日本銀行としては、こうした考え方について、政府の理解が得られることを期待する」としています。

ハ.成長基盤強化支援のための資金供給

以上、10月初に打ち出した「包括的な金融緩和政策」について申し上げてきたわけですが、持続的なデフレ脱却に向けた中長期的な取り組みについても引き続き着実に実施していく必要があります。図表13、14は、人口や労働力率(働く意志と能力のある人口/15歳以上の人口)について一定の前提を置いたうえで将来の経済成長率を試算したものです。この試算によりますと、現状程度の一人当たり労働生産性の伸び率(過去20年でみて1%程度)では、労働力率を女性、高齢者について相当高めても、1%強程度の成長率の達成しか望めないことになります。これからおわかりいただけるように、現状のままでは持続的な需要増加は期待できず、わが国を挙げてそれぞれが労働生産性を向上させていく最大限の努力を行わなければ、潜在成長率は上昇せず、持続的な需要拡大も望めません。こうした状況下、日本銀行では、成長基盤強化支援のための資金供給を開始することで問題提起をしましたが、こうした取り組みを今後も継続していくべきだと思っています20

本措置については、貸出金利の引下げ競争を煽っているとの厳しい声も聞こえてきますが、幸い、金融機関の貸出の現場では、大企業から中小企業向けまで、企業規模を問わず、成長分野への取り組み強化が金融機関の貸し出しスタンスの積極化に繋がっているようです。また、企業サイドからも、本制度の利用を金融機関に打診する動きが見られ始めており、日本銀行の取り組みが一定の成果を出しつつあるように窺われます。なお、地域金融機関においても、起業資金を供給される動きがあると聞いており、大変心強い動きだと思っています。日本の持続的なデフレの背景には、人々がリスク回避の傾向を強めていて、チャレンジ精神が希薄になっていることがあるとみているため、成長基盤強化支援のための資金供給に加え、基金によるリスク性資産の購入拡大が、構造的なデフレ問題の解消に向けた一歩となることを期待しています。

  • 20 前掲の須田美矢子「成長基盤強化の重要性と金融政策」(2010年12月1日)の第三節をご参照下さい。

4. おわりに

最後に、山形で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。

まず、山形県の経済情勢からみてみますと、足もと、生産動向に一服感がみられていますが、全体としては緩やかに回復しています。すなわち、公共投資および住宅投資は低調なものの、個人消費は、小売等の売上高が改善しています。また、設備投資も、企業収益が改善基調にあるもとで、レベルは低水準であるものの、徐々に上方修正されています。このような需要動向のもとで、生産は、足もと、エコカー補助金の終了の影響や海外のクリスマス商戦向け需要の低迷等 もあり、輸送機械、精密機械などを中心に、増勢が一服していますが、依然として全国を上回る水準を維持しています。この間、雇用・所得環境は改善傾向にあります。

先行きにつきましては、当面、輸出が横ばい圏内の動きとなった後、緩やかに増加し、これを背景に生産が再び増加に転じ、個人消費も持ち直していくとみています。しかし、当地における短観結果をみますと、9月の業況判断DIは、全産業ベースで▲9と2007年9月以来の水準にまで回復していますが、先行き12月にかけては▲23と10ポイント以上悪化する見込みとなっているなど、慎重な見方が増えていることも事実です。後ほど申し上げるように、当地経済においては製造業のウェイトが高いわけですが、その分、海外経済の動向に左右されやすいともいえ、最近の海外成長の鈍化や為替円高の影響を注視していく必要があります。

次に、当地経済の特徴ですが、まず、全国および東北6県に比べて、製造業のウェイトが高めとなっている点が挙げられます。例えば、製造業の県内総生産額に占める割合(2007年度)をみますと、全国平均では21.2%、東北6県平均では20.2%ですが、当県は26.2%と突出して高い割合となっています。なかでも、生産用機械、電子部品・デバイス、情報通信機械の割合が高くなっており、これらの産業では、まさにわが国を代表する製造業の集積拠点の一つとなっています。このように、製造業のウェイトが高い地域であっただけに、リーマン・ショックに伴う輸出・生産の減少の影響を大きく受けたわけですが、その後の世界経済の回復にいち早く乗る形で、輸出・生産が回復を遂げており、有効求人倍率等の経済指標も既に全国平均を上回っています。

加えて、当地ならではの特徴でもありますが、製造業と並び、伝統的な農業も健在である点が挙げられます。当県の農業産出額は全国17位に位置しており、主な農産物である米の収穫量は全国6位となっています。さらに、果樹栽培においても、「果実の山形」として全国的に有名で、とりわけ桜桃と西洋なしの収穫量は全国シェア6〜7割と他を圧倒しています。また、非製造業においても、豊かな自然環境や観光資源に恵まれており、減少傾向にあるとはいえ、依然として年間4千万人近くの観光客が訪れる一大観光地となっています。こういった当地経済の強みをみるにつけ、東北地域のなかでも大変元気のある県という印象を強く持っています。

もっとも、このような強みを有する当地経済も様々な課題を抱えています。とりわけ、さきほどわが国全体の課題と申し上げた高齢化については、全国平均を上回るスピードで進んでおり、地域経済に影を落としています。実際、既存商店街の空洞化は深刻で、住宅地も空き地が目立っていると聞いています。さきほど申し上げた輸出産業についても、為替動向如何では収益に陰りが生じ、設備投資や雇用に悪影響を及ぼす可能性も否定できません。

ただ、これらの課題に対して、当地では、ものづくりの基盤を活かしつつ、地域を挙げて様々な手を打ってきていることを学ばせていただきました。具体的には、製造業においては、有機ELの最先端の研究に産官学共同で取り組まれ、その成果を実際の生産に活かせる局面を迎えつつあるほか、農業分野でも、10年の歳月を掛けて開発された“つや姫”の本格販売開始や、庄内地区における循環農法の取り組みなど、これまでの様々な前向きの取り組みが実を結びつつあります。当地における成功がわが国企業を活性化させて、地域経済ひいてはわが国経済の力強い成長に繋がっていくことを強く願っております。

最後に山形県と日本銀行の係わりについて、ほんの一部ですが、ご紹介したいと思います。山形県と日本銀行の関連で特筆すべきは、日本銀行総裁のなかで、当県と縁がある方が大変多いということです。まず、当県からは3人の日本銀行総裁を輩出しています。戦前の第14代総裁・池田成彬、第15代総裁結城豊太郎、戦後の第21代総裁宇佐美洵の3名です。また、当地に一時期居住するなど、関係があった総裁としては、第8代三島弥太郎総裁が挙げられます。このように、当地と日本銀行総裁の関係は他都道府県と比べても、東京を除けば、群を抜いており、当地と日本銀行の縁の深さを感じる次第です。

当地に縁のある総裁のなかでも、結城総裁は、戦前・戦中の困難な時期に、7年弱の長期にわたり総裁を務めたわけですが、この間は、戦前の日銀法改正が行われるなど、本行にとっても歴史的な時期でありました。しかし、かかる激務のなかでも、結城総裁は、故郷を愛すると同時に、わが国経済全体の立場から中小企業育成や若手実業人育成に取り組まれるなど、まさに、わが国経済が抱える現在に通じる課題に正面から取り組んでおられたと聞いております。こうして、当地をお伺いする機会を頂き、現在のわれわれの置かれている状況を思うにつけ、当時の結城総裁が抱いていた志に、われわれは学ぶときが来ているとの思いを強めております。

私からはこのくらいにさせて頂き、皆様方との意見交換に移らさせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、誠に有難うございました。