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【講演】マーケット・インテリジェンス、市場情報と中央銀行統計

第6回アービング・フィッシャー委員会主催コンファランスにおける基調講演の抄訳(於:スイス・バーゼル)

日本銀行副総裁 西村 清彦
2012年8月29日

目次

1. はじめに:統計、市場情報とアービング・フィッシャー

本日はアービング・フィッシャー委員会(IFC)のメンバーの皆様の前で、こうしてスピーチをさせていただくことができ、誠に光栄に存じます。アービング・フィッシャーという名は私の心の琴線に触れ、特別な感銘を覚えます。私が博士号を取得したイェール大学では、フィッシャーは聖像画に掲げられるような人物と考えられているからです。彼はイェール大学が授与した最初の経済学博士(1891年)でした。彼の等身大の肖像画が(現在イェール大学経済学部の一部となっている)19世紀大邸宅の一室にある炉棚の上に掲げられ、そこに集う教授や大学院生を厳然と見下ろしていた様子は今でも目に焼き付いています。

ミクロ経済学、マクロ経済学、金融論に関する彼の不朽の貢献に対する新たな賛辞は必要ありません。主著の一つ『指数の作成(The Making of Index Numbers)』にも見られるように、彼は経済統計の分野の基礎を作る上でも大きな役割を果たしました。さらに、理論の構築に飽き足りず、自ら『指数研究所(Index Number Institute)』を創設して商品価格指数の作成を始め、当時もっとも有名な市場情報提供者の一人となりました。

しかし、残念ながら、彼は1929年の株式市場暴落の深刻さを見誤りました。暴落のたった3日前、株価はこれからずっと高原状態にあるだろうという記事をのせています。そして暴落の後でも、彼は投資家に対して株価の復調はすぐにもやってくると太鼓判を押していました。この出来事は彼の「マーケット・インテリジェンス」—市場の基調変化の兆候を見抜く能力—の失敗を示しているのかもしれません。

後日、彼は大恐慌の説明として『デット・デフレーション』の理論を提唱しました。この理論は経済学者や一般国民に理解されるまでに時間を要したものの、後に彼の卓越した業績のひとつとして認識されるようになり、金融システムの安定に関する膨大な文献の嚆矢と見なされるまでとなりました。この分野は、2008年の金融危機後の経済政策決定において、特に関連があることは言うまでもありません。

さて、私たち中央銀行の統計専門家はフィッシャーの人生の劇的な浮き沈みから何を学ぶことができるでしょうか。実はこれが本スピーチの主題です。私は、信頼できるマクロ経済統計は政策決定に当然必要であるものの、優れた統計でさえも時として経済政策を運営するうえで全く不十分であるということを指摘したいと考えています。この不十分さは市場や経済に大きな変化が起こる時に顕著となりますが、近年の金融危機はこうした変化の一例であると言えます。従って、中央銀行員は、後ほどご説明します「マーケット・インテリジェンス」や、統計に表れない市場情報を、既存の統計と併せて利用しなければなりません。つまり、中央銀行の統計専門家は単に良く設計された統計を編纂するだけでなく、いわば「探偵」や「諜報員」のように、世界を大きく変えうるポテンシャルを秘めた将来の動向の兆候を発見する必要があるのではないでしょうか。

以下、次のような順序で議論を進めたいと思います。まず、第2節では政策立案の観点から経済情報の価値を概観します。ここでは「マーケット・インテリジェンス」がカギとなりますが、この概念は中央銀行の日々の業務を通して市場からの情報を積極的に集め、分析することを指します。続いて、マーケット・インテリジェンスの重要性を理解するために、過去・現在・未来のそれぞれに関する3つの例を紹介します。第3節では過去からの教訓として、2007年のいわゆるパリバ・ショックを検証し、類似の危機を予防するためには「能動的」なマーケット・インテリジェンスが必要不可欠であることを論じます。第4節ではマーケット・インテリジェンスが現在の問題の解決に役立つと考えられる成果の一つを紹介します。その問題とは、近年重要性が増している不動産価格統計に関するものです。この例を通して、各々にはバイアスがある市場情報でも、様々な情報源を組み合わせることによって、偏りがなく信頼度の高い情報を得ることができることを示します。第5節では将来に係る論点を取り上げますが、それはシャドー・バンキングをめぐる諸問題を明らかにすることです。シャドー・バンキングは複雑な構造を有するため、潜在的な問題の大きさを測るにはシャドー・バンキングを通じた金融機関相互の結びつきの強さ(interconnectedness)を把握することが必要です。一例として、東京短期金融市場における金融機関相互の結びつきを明らかにすることを企図した日本銀行の試みを紹介します。最後に、第6節では、マーケット・インテリジェンスと中央銀行統計について、結びの言葉を述べさせて頂きたいと思います。

2. 経済情報と政策立案

現代の中央銀行は二つの大きな課題に直面しています。ひとつは説明責任に関する課題でもうひとつが効果的な対話(コミュニケーション)に関する課題です。

まず、中央銀行は実施する政策に対して説明責任があります。これは、金融政策決定で独立性を有する中央銀行にとっては何にも増しても重要な課題です。説明責任があるということは、政策が証拠に基づいて——すなわち実証データに裏付けられる明確な根拠に基づいて——立案されるべきことを意味します。

第二に、中央銀行は外部に対して効果的に対話できる組織でなければなりません。市場や経済は、各経済主体の期待の変化にますます敏感になってきています。政策の効果を確かなものとするために、中央銀行は説得力のある方法で国民と対話する必要があります。そのため、ここでも政策決定を裏付けるデータが重要となってきます。つまり、説明責任と効果的な対話のために、「数字」、すなわち統計の利用がますます重要になっていると言えます。さらに言えば、ここで言うデータは、単なる定量的意味合いを持つに止まりません。データの持つ定性的な面も同様に重要な意味を持つということです。

中央銀行の政策における既知の事柄と未知の事柄

政策運営のために中央銀行が入手したい情報の性質を理解するために、それを3つのタイプに分類することが役立ちます。

一つめのタイプは「既知であることがよく分かっている類の情報(known knowns)」です。ここで「既知であること」とは、過去に起こった全ての出来事を指します。つまり「既知であることがよく分かっている類の情報」とは、過去の出来事に関する情報で、通常は既に統計に含まれています。二つめのタイプは「未知であることが予め分かっている類の情報(known unknowns)」です。「未知であること」とは現在ないし将来の出来事を指します。これらの出来事は、現在起きている、あるいは将来に起きることが知られているという意味で「未知であることが予め分かっている類の情報」と言えます。皆さんはナウキャスト(now-cast)という言葉をどこかで聞いたことがあるかもしれません。これは将来に関する予測(forecast)との対比で、現在起こっている出来事の推測を指します。このナウキャストが典型的な「未知であることが予め分かっている類の情報」です。そして、三つめのタイプは「未知であることさえ知られていない類の情報(unknown unknowns)」です。事前にはその存在が知られていないものの、経済に対して大きな影響を持ちうるものを指します。ここで、この分類の意味するところを示すものとして、ドナルド・ラムズフェルド元米国国防長官のやや謎めいた言葉を引用しましょう。

しかし、「未知であることさえ知られていない類の情報」もあります。これは、私たちが知らないということに気づいていないものです。そして、米国や他の自由主義国の歴史を俯瞰すると、扱いが困難であったのは概してこの最後のタイプであったということが分かります。

この三つの分類に留意しつつ、次の質問を皆さんに投げかけたいと思います。中央銀行が政策立案をする際、どのような情報が必要でしょうか。また、その情報はこの三分類とどのように関連するでしょうか。

まず適切な総需要管理政策を行うためには、中央銀行の政策担当者は実体経済や金融市場の足下の動向を知りたいと思うはずです。しかしそれだけでは不十分であることが近年の金融危機を通じて判明しました。政策担当者は、事前には気づいていない、経済や金融市場における潜在的な大きな変化の兆候を見抜く必要があります。

実際に、私たちは前者——すなわちマクロ経済の足下の動向——に関しては大きな進歩を遂げました。総需要管理に必要なマクロ経済統計は、包括性、正確性、適時性などの面で向上しています。また、GDPやCPIのように定量的なもの、企業に対するサーベイ調査など定性的なものの両面でデータが充実しています。さらに公的機関だけでなく様々な民間機関もデータを作成し公表しています。これらは、「既知であることがよく分かっている類の情報」(タイプ1)あるいは「未知であることが予め分かっている類の情報」(タイプ2)のいずれかに属するものです。

統計は「既知であることがよく分かっている類の情報」を提供するとともに、「未知であることが予め分かっている類の情報」を推測する足がかりとなります。しかし、統計は、「未知であることさえ知られていない類の情報」(タイプ3)を推測する役には全く立たないと言わざるを得ません。中央銀行の政策担当者は、経済に内在するリスクを見抜くのに役立たないという既存の統計の欠陥に、しばしば苛立ちます。

このような既存の統計の欠陥は、金融システムの分野で特に顕著です。金融システムの安定が経済全体の安定の前提条件とみなされていることを考えると、この問題は深刻です。さらに、金融の不安定と経済停滞の間に働く負のフィードバックが近年ますます強くなっていることに、政策担当者は危機感を募らせています。また、経済に占める金融面の影響が急速に拡大するなかで、金融面で悪い兆候があっても発見しにくくなっています。このように、政策担当者にとって、事前には知りえないが潜在的に破壊的な要素に備えることは最も重要な課題の一つとなってきています。

こうした状況を受け、2009年11月にG20の財務大臣・中央銀行総裁はいわゆるデータ・ギャップを埋めるように統計専門家に要請しました。その結果、G20データ・ギャップ・イニシアティヴ(DGI)では、「未知であることが予め分かっている類の情報」(タイプ2)と「未知であることさえ知られていない類の情報」(タイプ3)を計画的に検出し、報告するスキームを構築するために、20の提言がなされました。

「未知であることさえ知られていない類の情報」の存在に備えるカギ

「未知であることさえ知られていない類の情報」がある場合にそれに備えるには、中央銀行の情報収集・分析活動(central bank’s intelligence activities)がカギとなります。この情報収集・分析活動は二つに大別できます。一つ目はいわゆるマーケット・インテリジェンスで、中央銀行と市中銀行の日々の取引から得られる、市場参加者や新たな金融商品に関する情報、それ以外の様々な「ニュース」です。こうして得られた情報により、中央銀行は個々の市場参加者や市場全体に関する正確で速報性の高い理解を持つことができます。このような情報を収集し、分析することがマーケット・インテリジェンスの中核を成します。

中央銀行の情報収集・分析活動の二つめはモニタリングとフィードバックです。中央銀行は、規制対象となる金融機関と、常時、そのモニタリング権限に基づいて対話を行い、そこから定性的な情報を得ることができます。これらの金融機関が持つ貴重な情報をつぶさに分析することで、市場の詳細な情報を知ることができ、必要であればそうした情報をモニタリング先にフィードバックすることとなります。

ただし、個別金融機関から得た情報は、それが市場からの情報であれ、モニタリングから得られた情報であれ、主観に基づくものであり、それゆえときには偏った内容を含んでいるかもしれないことに留意すべきです。私どもは、こうしたバイアスを認識しなければいけません。そして優れたマーケット・インテリジェンスを遂行するには、そうしたバイアスの大きさを測り、補正する必要があります。

3. 過去の教訓:能動的なマーケット・インテリジェンスの必要性

ここからは中央銀行の情報収集・分析活動の例を三つ取り上げます。一つめは過去の失敗です。すなわち2008年の世界的な金融危機の前兆となった、2007年8月9日のいわゆるパリバ・ショックです。2007年7月10日にS&Pとムーディーズがサブプライム・ローンを担保とするいくつかの住宅ローン担保証券(RMBS)の格付けを見直すと発表しました。その結果、RMBSを担保としていた資産担保コマーシャル・ペーパー(ABCP)に関しても、AAAから格下げされることとなりました。当初この出来事はアメリカの金融システム全体のなかでは、市場の片隅における些細な変化だと考えられていましたが、不幸なことに、たった1年後には世界的な金融危機の震央となったのです。

この問題を理解するためには、アメリカにおけるマネー・マーケット・ファンド(MMF)の特別な役割を理解する必要があります。アメリカではMMFは非常に安全な金融資産だと考えられていました。その最大の理由の一つは、MMFはAAA格付けの資産にしか投資できない決まりとなっていたからです。そのため、ABCPが格下げされた後、MMFは保有するABCPをロールオーバーしませんでした。この結果、ABCPを発行して資金を調達していたファンドは資金繰りに窮することになったのです。ベア・スターンズ傘下のファンドは倒産し、BNPパリバは傘下のファンドの新規契約と解約を凍結しました。いずれのファンドもABCPを発行するために銀行によって設立された投資ビークル(SIV)でしたが、SIVが資金繰りに窮した際、親銀行はSIVに流動性サポートを提供する必要に迫られたのです。当時、どの銀行傘下のファンドが存続の危機にあり、どこが深刻な流動性問題に直面しているかなどの事実を確実に知っている者はいませんでした。それまでは相互に頻繁に資金を融通していた銀行も、取引相手が倒産するかもしれないカウンターパーティ・リスクを突然意識するようになりました。どこかの銀行が急に流動性を確保出来なくなり破綻するのではないかと心配し始めたのです。

8月9日には実際にインターバンク市場で流動性が枯渇、流動性危機が顕在化し、多くの欧州銀行が資金繰り難に直面しました。図表1(スライド15)は3か月物LIBOR-OISスプレッドがかつてない急拡大を示した様子を描いており、欧州インターバンク市場におけるリスク・プレミアムの高まりを表しています。こうしてインターバンク市場で流動性がひっ迫し始め、すぐにアメリカに波及しました(スライド16図表2)。この状況を目の当たりにした欧州中央銀行(ECB)は短期金融市場に大量の流動性を供給する用意があることを即座に公表しました。これが後にパリバ・ショックと呼ばれることになる出来事です。

教訓:能動的なマーケット・インテリジェンスの必要性

パリバ・ショックをめぐる状況は私たちに一つの問いを投げかけます。この出来事は回避できたでしょうか。あるいは少なくとも、このような危機がまもなく発生することを示すような兆候はなかったのでしょうか。

パリバ・ショックの一連の流れを追うと分かるように、政策担当者が知るべきであり、知っていれば危機の防止を助けたかもしれない重要な情報が4つあります。一つめはMMFの投資ポジション、つまり資産構成とその質です。MMFは欧州とアメリカの銀行が設立したSIVによって発行されたAAA格付けのABCPを多く保有していました。このABCPはアメリカのサブプライム・ローンを担保としていたため、サブプライム・ローンが格下げされればABCPも格下げされることとなっていたのです。二つめの欠かせない情報は、MMFに対する法的な制約がもたらしうる副作用です。MMFはAAA格付けの資産しか保有できないため、サブプライム・ローンが格下げされれば、MMFはそうしたローンを裏付けとするABCPには再投資できない決まりとなっていたのです。三つめの、そして政策担当者にとって最も重要な情報は、各銀行がどれほどSIVに関与していたのか、ということです。それらの銀行はどの程度までSIVに対して流動性を供給する義務を負っていたのでしょうか。これには、単に契約上の義務だけではなく、銀行の評判を保つ必要からの実質上の「義務」も含みます。四つめの情報はインターバンク市場における銀行相互の結びつきの強さに関する知識です。

既存の統計と日々得られるマーケット・インテリジェンスが上記4つの情報を収集するのに全く不十分であったことは明らかです。私の知る限り、4つの情報によって示されるべきだった危機の警鐘を鳴らした市場関係者は一人もいなかったと言ってよいと思います。また危機の前兆を示した統計は皆無でした。

しかしながら、不明瞭ながら危機の兆候はいくつかあり、マーケット・インテリジェンスの担当者がこうした兆候に気づいていれば、問題の所在を発見して危機の回避に役立てることができたかもしれません。特に、アメリカのMMFに関する統計にその兆候を読み取ることができます。図表3(スライド18)には2007年前半におけるMMFの総資産の増加トレンドが示されています。MMFの総資産の伸びは速かったものの、不自然な速さとまでは言えません。しかし、安全資産のシェアを見ると年初から低下を続けています。このグラフを見れば、あるいはMMFによるABCPを利用した不自然なリスクテイクに気づくことができたかもしれません。これに加えて、ABCPを発行するSIVに対する銀行の関与の増大を把握していれば、マーケット・インテリジェント担当部署はインターバンク市場における流動性危機の潜在的な危険性を認識し、危機の予防を手助けできた可能性もあります。実際にパリバ・ショック直後から安全資産のシェアは顕著に増加し、総資産も急増したことが観察されています。これはABCP市場を含めた資産担保証券市場全体を崩壊させた安全資産への逃避を示しています。

要約すると、2007年夏の流動性危機が回避できたかどうかは明確ではありません。しかし、能動的なマーケット・インテリジェンスが出来ていれば、つまり市場動向のモニタリングや統計の精緻な分析を通じて市場に内在する問題を見抜いていれば、インターバンク市場の混乱を防げないまでも、その激烈さを抑制する一助となった可能性があります。さらに、次の年にやってくる金融危機の深刻さを和らげることができた可能性も否定できません。

こうしたことを念頭に置き、FRB(米国連邦準備制度理事会)や他の中央銀行、民間機関は証券化を把握できる様々なデータの収集や、統計の作成を始めました。例えば、図表4(スライド19)はアメリカのMMFの詳細な資産構成を示しています。この図を見れば、パリバ・ショックの前年である2006年からMMFはコマーシャル・ペーパーへの投資を増やしていたことが分かります。

4. 現時点での成果:既存の市場情報の最適な活用

2つ目の事例に参りましょう。現時点におけるマーケット・インテリジェンスの成果についてです。これは不動産価格に関するもので、マーケット情報を手に入れることができるタイミングが問題となります。

2008年の金融危機は、米国住宅価格のバブルとその後の崩壊によって引き起こされました。不動産価格バブルと金融危機の間に密接な連関があることの根拠には事欠きません。国際的なパネル分析によれば、銀行のシステミックな危機46件のうち3分の2以上が、住宅価格のバブルと崩壊に続いて起きており、また、51件の住宅価格崩壊の事例のうち35件では、その後に危機が引き続いて発生しています1。しかしながら、優れた不動産価格指数、すなわち信頼に足る経済基盤に基づき、国・経済圏を超えて比較可能な優れた不動産価格指数を手にすることができていません。こうした欠陥への不満から、2009年11月に、G20財務大臣・中央銀行総裁は、ギャップが解消されるべき最も重要なデータのひとつとして、不動産価格指数を挙げました。

問題の解決に向けて、ユーロスタット(欧州連合統計局)主導の下、理論からデータ作成まで不動産価格に関する広範な専門家が集まり、数回にわたる会合が開かれました。そして本会合やパブリックコメントを元に、『住宅価格指数ハンドブック』が起案され、この最終版は近々公表される予定となっています。さらに、多くの国々で、現在、同ハンドブックの勧告に沿ったそれぞれの不動産価格指数の作成の準備が進んでいます。実際に、我が国の国土交通省では、同ハンドブックの勧告に沿った手順を使用した住宅価格指数の新系列の開発がほぼ完了し、まさに今朝、新たな統計の公表をスタートさせるところだと聞いています。

  • 1 Claessens, Stijn, M. Ayhan Kose, and Macro E.Terrones, (2008), "What Happens During Recessions, Crunches and Busts?" IMF Working Paper 08/274 (Washington: International Monetary Fund) and Claessens, Stijn, Giovanni Dell’Ariccia, Deniz Igan, and Luc Laeven, (2010), "Cross-Country Experiences and Policy Implications from the Global Financial Crisis," Economic Policy, Volume 25, pp267-293参照。

適時性について

これは、正確かつ信頼できる不動産価格情報を得るうえで飛躍的な前進と言えます。しかし、政策立案者の視点から見ますと、未だに満足から程遠い状況にあります。ひとつ強調しておかなければならないのは、政策立案者にとって時機を得た情報というものは、正確かつ信頼できる情報と同じぐらい、あるいは時にそれ以上に重要である、ということです。この基準に従えば、——不動産価格指数が市場動向に遅行することは不可避である以上——多くの不動産価格指数は、即座の政策決定には役立たないということになります。

その理由として、我が国における典型的な不動産取引の例をお示ししましょう。不動産取引は、相互に数週間程度の間隔を置きながら、数回にわたる段階を経て行われ、価格情報も通常各段階に応じて変化していきます。すなわち不動産価格情報は、売り主提示価格(P1)、広告価格(P2)、契約価格(P3)、登記時点価格(P4)と、それぞれの段階で異なる価格情報が生じます。私と私の共同研究者は、こうした4段階の価格変化を表した、東京圏における不動産取引の、他では手に入らない、大量のデータセットを得ることができました。ここで、このデータセットに基づく推計結果をお見せしましょう2

図表5(スライド22)では、取引段階の経過を図にしています。P1段階からP2段階までには平均して10週間、P2段階からP3段階まで5.5週間、そしてP3段階からP4段階までは15.5週間かかります。したがって、P1からP4までの段階では31週間近く、すなわち半年以上かかることになります。さらに、情報を集めて集計する時間も考慮する必要があり、これらはGDPや消費者物価指数の場合と同様、それ自体、無視できない期間となるでしょう。したがって、政策当局が最も信頼性の高いP4段階の取引価格データを使用するとしたら、おそらくは利用できるまでほぼ1年かかってしまうでしょう。政策立案者の視点からすると、これでは多くの場合遅すぎます。

不動産市場の実態について最もタイムリーな情報を得るためには、当初の提示価格であるP1価格の早期の報告が好ましいと言えます。しかし、これはあくまでも提示価格であって、取引価格ではないため、この価格データにはかなりのバイアスがあるかもしれません。売り主は、たとえ取引の成立まで多くの時間がかかろうと、あるいは売約の可能性がなくなってしまうとしても、より高い価格で売ろうとするからです。図表6(スライド23)は、P1、P2、P3、P4価格の分布を示しています。想像に難くありませんが、P1の提示価格は、P4の登記時点価格よりも平均的に高くなっています(ただし、サンプルの母集団がP1とP4では厳密には同一ではない点に注意が必要です)。したがって、我々は、ここで明らかなトレードオフに直面しています。すなわち、タイムリーな情報を求めようとするとP1データを使うこととなりますが、無視しえないバイアスが存在します。正確な情報を求めようとするなら、P4を使用することとなりますが、それが利用可能な時期には情報は既に幾分陳腐化してしまっています。

  • 2 Shimizu, C., K. G. Nishimura, and T. Watanabe (2011): "House Prices at Different Stages of the Buying/Selling Process," 一橋大学物価研究センターWorking Paper No. 69。

市場情報の最適な利用

しかしながら、このジレンマを回避する重要な方法があります。住宅価格指数ハンドブックでは、詳細なミクロおよびマクロ市場情報に基づくヘドニック品質調整の適用を推奨しています。ヘドニック品質調整には様々な方法がありますが、なかでもヘドニック分位点回帰アプローチが、もっとも洗練され、頑健な手法の一つです。P1とP4の両者のデータセットに品質調整を適用すると、意外にも、P1に基づく品質調整後価格の分布とP4に基づく品質調整後価格の分布は、実のところほとんど区別がつかないほどに一致することが窺われます。

図表7(スライド25)を見てみましょう。2つの分布の分位点プロット(Q-Q plot)です。Q-Qグラフでは、2つの分布が同一であれば、描かれた線は45度線と重なります。上の図は品質調整前P1(売り主提示価格)とP4(登記時点価格)の結果を示しています。この図でみると、登記時点価格に比べて売り主提示価格には明らかに上方バイアスがあることが分かります。しかし、ヘドニック分位点回帰法を使って品質を調整すると、下の図に示されているとおり、バイアスはほとんど解消したように見えます。

つまり、本研究の結果によれば、全価格情報の中でもっとも速報性のある売り主提示価格を、ヘドニック分位点回帰法を用いて適切に品質調整すれば、不動産価格に関する信頼に足る情報として利用可能であることが分かります。こうした市場情報の最適な活用によって、私どもは信頼性と適時性の両者の恩恵を受けることが可能になるのです。

5. 将来の問題への備え:シャドー・バンキングと基礎的な情報の収集

ここまで、過去と現在におけるマーケット・インテリジェンスの重要性と市場情報の最適な活用について見てきました。これからは将来の問題に備えるために何が必要かを考えていきます。最初に思い浮かぶ喫緊の課題は、シャドー・バンキングの課題です。これは過去の問題でもあり、引き続き将来の潜在的な問題でもあります。今後、銀行規制が一段と強化されていくなかで、現時点ではほとんど知られていなくても、将来、金融システムの安定に潜在的な脅威となり得る新たなタイプのシャドー・バンキングが出現するかもしれません。

現代のシャドー・バンキングは、活動の主な拠点を金融市場に置いており、したがって、金融市場においてイノベーションを生み出す可能性が高いと言えます。シャドー・バンキングは、市場環境や規制の変化に応じて急速にその形態を変化させるだけでなく、銀行やその他の金融機関を、広範な形で相互に結びつけます。こうした状況のなか、中央銀行は、これらについての有用かつ不可欠な情報をどのような方法で収集すべきでしょうか。ここでも繰り返しになりますが、様々な情報源から得られるマーケット・インテリジェンスおよびその他の情報源を活用することがカギになると私は信じています。さらに言えば、こうした情報収集・分析活動に続き、シャドー・バンキングに係る新たな統計整備が適切に行われる必要があることも強調したいと思います。

マーケット・インテリジェンスの様々な手法

この点に関する日本銀行の取り組みについてご説明しますと、日本銀行は、様々なチャネルを通じて、シャドー・バンキングの各主体とその活動状況をモニタリングしています。日本銀行によるモニタリングの性質と対象は、図表8(スライド27)のとおりです。なかでも、主なシャドー・バンキング主体を直接モニタリングすることが最も重要です。このため、日本銀行では、非銀行金融機関を直接モニタリングするスタッフの数を増やしました。しかしながら、シャドー・バンキングの性格を持つすべての金融機関と対話をすることは実務上不可能ですし、さらに言えば、シャドー・バンキングの活動は、金融市場の発展に応じて急速に変化する傾向があります。シャドー・バンキング主体は、様々な金融機関と資金調達、投資面で深く関係し合っています。したがって、銀行を経由した間接的なモニタリング、決済システムを通じたモニタリング、市場参加者を通じたマーケット・インテリジェンスのすべてが重要となります。日本銀行は、証券化、証券貸借、レポ市場におけるシャドー・バンキングの活動も注意深く観察しています。

たとえば、市場参加者を通じたマーケット・インテリジェンスの利用を従前以上に強化するとともに、ヘッジファンドや投資信託に対する直接的なモニタリングを拡充しています。さらに、ファイナンス会社に対しては直接的なモニタリングは行っていませんが、主要なファイナンス会社は銀行の傘下ですので、銀行を介したモニタリングを行っています。

次に、収集した情報のクロス・チェックが非常に重要となります。図表9(スライド28)に重点を列挙しました。ここでは、シャドー・バンキング主体の取引相手先として銀行をモニタリングすることが重要となります。それは、銀行の活動が、シャドー・バンキングの活動と相互に関連しているからです。また、金融市場から得られる情報も価値の高いものです。中央銀行は、金融政策関連の情報を収集しているだけではなく、決済システムのオペレーションも行っていますので、市場取引に関する有益な情報を収集する上で、とりわけ適した立場にあります。市場慣行や金融イノベーションに関する情報は、しばしばリスクを早期に警告する材料を提供してくれることが可能なため、様々な種類のマーケット・インテリジェンスのなかでもとりわけ重要です。

この点に関する好例は、米国サブプライム危機において見られます。危機以前に、証券化商品は金融工学を用いて組成され、適切なリスクの評価なしに提供されました。これは、リスク分散に対するあまりにも楽観的な評価が原因の一部となっています。しかしながら、市場が新たな段階へ進むとともにこのリスクは次第に市場で顕現化するようになっていたのです。

マーケット・インテリジェンスのフィードバック

もうひとつ、マーケット・インテリジェンスの重要な役割は、市場への情報のフィードバックを行い、それを通じて埋めなければならない潜在的な情報ギャップを見つけることです。たとえば、マーケット・インテリジェンスに基づいて、日本銀行は、金融市場の包括的な定量評価を提供する「東京短期金融市場サーベイ」を企画・作成しています3

サーベイでは、図表10(スライド29)にお示しするように、レポ取引を通じた金融機関相互の結びつきが描写されています。この図表では、証券会社が、主として債券取引のショートポジションをカバーするために、SCレポを通じて特定の日本国債を借りていることが分かります。また短期資金は、銀行や短資会社からの調達も一部ありますが、その大半は信託銀行からGCレポを通じて調達されています。

このような定量的な分析から、中央銀行業務を行ううえでの新たな視点や、金融機関や市場参加者とのより幅広い対話のきっかけが生まれます。金融機関は、こうした対話の結果を吟味し、より健全なビジネス慣行の発展に活用するでしょう。また、金融機関や市場参加者から得られた情報はすべて、次回の調査の中に反映されることになります。私どもは、本年より、同サーベイを定期的に実施していく予定です。

要すれば、マーケット・インテリジェンスは、金融システムの安定を維持するために、中央銀行にとって必要不可欠なものです。日本銀行の、こうしたマーケット・インテリジェンスに基づくシャドー・バンキング主体やその活動に対する柔軟なモニタリングの仕組みは、他の中央銀行にとっても、自国に顕現化しつつあるリスクや内在する脆弱性を明らかにする上で、有用なパイロット・ケースになりうるものと考えています。

  • 3 「わが国短期金融市場の動向と課題:東京短期金融市場サーベイ— 東京短期金融市場サーベイ(08/8月)の結果とリーマン・ブラザーズ証券破綻の影響 —」日本銀行金融市場局(2009年1月26日)、「わが国短期金融市場の動向と課題 — 東京短期金融市場サーベイ(10/8月)の結果とリーマン・ブラザーズ証券破綻後の諸課題への対応状況 — 」日本銀行金融市場局(2010年12月24日)。

6. 結び

ここで結びの言葉を述べることにします。私どもが皆認識して感じておりますように、世界の中央銀行は、2008年の金融危機以降、とりわけ深刻な課題に直面しています。金融システムの安定は、今や、経済の安定のための必須条件であることは明らかであり、それゆえに、中央銀行には金融システムの安定を維持する責任があります。さらに、リーマン・ブラザーズ証券の破綻に始まり、現在まで続いている国際金融市場の混乱を見るにつけ、既存の統計は、政策を——特に、金融市場に関する政策を——立案するうえで十分でないことが明白となりました。金融市場の動きは速く、多くの面において相対的に短期間で「変異」します。したがいまして、本講演で、私は、しばしばマーケット・インテリジェンスと呼ばれる活動——すなわちマーケット情報を収集し、徹底的に分析すること——が、最重要事項であり、伝統的な経済統計と並び、重大な動きを事前に察知するように(proactively)活用されなければならない旨を述べて参りました。

マーケット・インテリジェンス、とりわけ中央銀行の情報収集・分析活動を私が強調するのは、中央銀行が、とくに金融市場から、貴重かつ不可欠な情報を抽出するのに明確な比較優位を有しているからです。中央銀行は、非常に広範な金融市場参加者と取引を行っている唯一の機関です。私は、マーケット・インテリジェンスがどのように有効か、日本のシャドー・バンキングに関する事例を用いて説明しました。最も重要な点は、潜在的な問題を見抜くために、こうした情報収集・分析活動の対象を新たな金融機関や商品へ拡張することです。日本銀行における既存の枠組みは、柔軟で、新たな業種や商品を織り込むことが比較的容易です。しかしながら、こうした情報収集・分析活動の深さ、中味の濃さといった点で、問題も残っています。すなわち、現在利用可能な情報の質、量ともに、起こり得るリスクを探るためには十分ではないかもしれません。だからこそ、私どもはスタートラインに立っただけであり、先は長いと言えます。

最後となりますが、マーケット・インテリジェンスにより、中央銀行の経済統計は大きく改善してきており、将来にわたってもそうである点を強調しておきたいと思います。我々は、2007年夏の失敗から、預金取扱金融機関以外の金融機関に関する統計のカバレッジの拡大と質の向上を図らねばならないことを学びました。同時に、不動産価格の例にみられるように、マーケット情報を最大限に活用してタイムリーな統計を整備するために、新たな手法と情報源を利用することができることも分かりました。

締めくくりに、冒頭にも述べました皆さまに最もお伝えしたい点について改めて強調したいと思います。中央銀行の統計専門家は単に既存統計の質を維持することだけに秀でた専門家であってはなりません。真の統計専門家は、統計に変化を要求するような、したがって、世界を変容させるかもしれない兆候をも検出する、優れた「探偵」ないしは「諜報員」である必要もあるのです。

ご清聴ありがとうございました。