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【挨拶】変化する日本銀行の政策と業務:50年の歴史を振り返って

IMF・世銀総会に際しての日本銀行政策・業務紹介プログラムにおける挨拶の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年10月9日

日本銀行視察プログラムにご参加の大臣および中央銀行総裁方、そしてIMF・世銀総会への代表団の皆様、おはようございます。本日は、日本銀行にようこそ、いらっしゃいました。心より、歓迎申し上げます。最初に、昨年の東日本大震災発生時に、ここにお集まりの国の皆様を含めて、世界中の国の方々から、温かいご支援を頂戴しましたことに対し、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

IMF・世銀総会が東京で開催されるのは、1964年に続き、今回が二回目です。前回、同総会が開催された当時、日本は高度成長の真っただ中にある「新興国」でした。米国の経済規模と比較すると、当時の日本は名目GDPで12%、一人当たり名目GDPでは24%の水準でした。この比率を現在にあてはめますと、ブラジルやロシアに相当します。日本は、第二次世界大戦後の復興期を経て、1950年代半ばから1970年代初頭にかけて、年率10%にも及ぶ高い成長を実現しました。幾つかの条件が高度成長を可能にしましたが、農村部から都市部へ、農業部門から工業部門への労働力の移動とその結果としての生産性の向上、高い教育水準、自由貿易体制の果たした役割は特に大きかったと思っています。しかし、どの国も永久に高度成長を続けることは出来ません。潜在成長率は徐々に低下していきます。その際、重要なことは、潜在成長率の低下に見合って、高度成長期から安定成長期への円滑な移行を図ることです。しかし、潜在成長率の変化をリアルタイムで認識することは容易ではありません。実力を超えて無理な成長を図ろうとすると、様々な不均衡が発生します。日本の場合で言うと、1970年代前半には第一次石油危機の影響も加わり、高率のインフレが起きました。その後、日本は省エネ型の産業構造への転換を図り、また、金融政策の面でも物価の安定を重視した金融政策が採られました。その結果、日本経済は物価でみても成長率でみても、先進国の中で最も高い経済的パフォーマンスを示しました。そのような状況の中で、1980年代後半には、日本の潜在成長力が向上しているとの楽観的な見方が広がり、加えて、そのもとで金融緩和が長期化したことの影響もあり、未曾有のバブルが発生しました。1990年代は、日本はバブル崩壊後の過剰債務調整の後遺症に苦しめられました。2000年代初頭以降、日本経済が次第に直面するようになった問題は、本セミナーにご出席の大臣・総裁方の属する国々とは異なり、急速な高齢化に伴う潜在成長率の引下げです。2000年代以降、過去約10年間の経済成長率を生産年齢人口一人当たりでみると、先進国では日本はドイツと並んで最も高く、1.5%ですが、経済成長率そのものは低めで推移しています。

50年近くの日本経済の歴史を数分で語ることは不可能ですが、私が強調したいことは、経済や金融の発展段階に応じ、様々な問題が新たに発生し、そうした問題を出来るだけ早く正確に認識し、対応することが社会や経済の安定的な発展に不可欠であるということです。

いずれにせよ、こうした環境変化は中央銀行の政策や業務運営の方法にも絶えまない見直しを迫るものです。

為替相場制度について言うと、現在は変動為替相場制度を採用していますが、50年前は、日本は固定為替相場制度を採用していました。国際資本取引も、IMF8条国へ移行したといっても、なお大きく規制されている状況でしたが、1960年代から段階的に自由化され、資本取引は飛躍的に増加しました。

この間、金融システムの面でも大きな変化がありました。当時は、厳格な金利規制が存在し、資本市場も未発達でした。日本銀行の金融調節も、市場金利よりも低い中央銀行貸出の割当てを通じる調節が中心的な手法であり、公開市場操作は限定的な役割に止まっていましたが、現在は、勿論、公開市場操作による短期金融市場金利の操作へと変わってきています。さらに、現在は、短期金利が実質的なゼロ金利となっている中で、様々な非伝統的な金融政策を活用しています。

決済システムの面でも、コンピューターや情報処理技術の発展が契機となって資金や証券の決済方法が大きく変化しました。50年前は時点ネット決済で行われていましたが、現在は、取引先金融機関との間をオンラインで結んだ日銀ネットを利用した即時グロス決済に移行しています。

こうした日本銀行の政策や業務の変遷の多くは、日本経済の発展段階や内外の金融環境の変化を反映していますが、わが国固有の制度や歴史的な経緯も反映しています。ここでは二つの異なる分野からご紹介したいと思います。

その一つが、証券会社、ないし投資銀行の扱いです。米国ではリーマン破綻後、投資銀行は銀行持株会社に転換の上、FRBのファシリティーにアクセス出来るようになりました。一方、わが国では、70年以上前から日本銀行は証券会社に当座預金勘定の開設を認めており、実地考査も行ってきました。こうした扱いは、未曾有のバブル崩壊を受けた金融危機により、当時の大手証券会社の一角を担っていた山一證券が破綻に追い込まれるような事態において、日本銀行が「最後の貸し手」として迅速に流動性を供給することを可能としました。そのことは、わが国が日本発の世界金融システム不安を起こさなかった一つの理由でもあったと思っています。

もう一つは、"TANKAN"という名前で知られるビジネスサーベイです。日本銀行は1957年以降、毎四半期、全国に所在する企業を対象に独自のアンケート調査を行っています。この調査は、大企業から中小企業までの約1万社、製造業・非製造業の幅広い業種を対象としており、経済情勢を判断する上で、非常に貴重な情報源の一つとなっています。

どの国の中央銀行も自らの置かれた環境の中で、最適な運営を工夫する必要があります。この点は、例えば、本セミナーに多数総裁が出席されているアフリカ諸国の中央銀行についても当てはまると思います。数年前にBISが主催したアフリカ諸国の中央銀行総裁との会議に出席した際、携帯電話を使ったモバイル・バンキングが活発に利用されていることに驚きましたが、考えてみると、アフリカ諸国の状況を考えると、自然なことだと感じました。

以上、日本銀行を主たる例にしながら、過去50年近くの中央銀行の政策や業務の変化を振り返ってきましたが、改めて、中央銀行というユニークな組織を普遍的に定義することの難しさを感じます。中央銀行の普遍的な定義はさておき、社会の中で中央銀行の果たす役割に関し、私自身はいつも以下の三つを強調しています。

第一は、中央銀行の最も本質的な役割は安定的な金融環境を提供することです。経済の持続的発展は安定的な金融環境の下で必ず実現するとまでは言えませんが、実現されやすいということは言えると思います。

第二は、中央銀行はバンキング・サービスを通じてその役割を果たしていく組織だということです。中央銀行に求められる専門的知識はマクロ経済だけではなく、より幅広いものです。特に、お金の循環を巡る細部にわたる実務的知識 —私の尊敬するセントラルバンカーの言葉を借りると、あたかも「配管工事」を行うような知識— が不可欠です。

第三は、中央銀行は、世の中の変化から常に学習をしていくことを求められる組織だということです。先程、「安定的な金融環境」ということを言いましたが、具体的に何がこれを構成するのかは時代とともに変わってきています。物価の安定に成功すると、様々な経済主体が自信の強まりから、リスクテイクすることを後押しし、金融システムの安定に失敗するという「物価安定のパラドックス」は、変わり続ける環境の中で、中央銀行が常に警戒を怠らず、学習を続ける必要性を示す良い例です。

本日は、これから現在の日本銀行の政策や業務についてスタッフが説明しますが、私達も、皆様の経験から学ぶと同時に、今後とも皆様方との協力関係を深めて参りたいと思います。