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【講演】市場価格の背景を探る

パリ・ユーロプラス・国際金融フォーラムにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年12月3日

目次

1.はじめに

本日は、パリ・ユーロプラス国際金融フォーラム東京会合において2009年以来2回目の講演を行うことができて光栄です。前回お話してから3年が経っていますが、このような会合において金融業が直面する課題を論じるうえでは、前回も取り上げましたが、その傷がなお癒えていない国際金融危機の話題を避けて通ることができません。私たちは、実体経済面の課題を解決するための取り組みだけでなく、金融に対する信認を回復するという課題にも、引き続き取り組んでいます。危機を踏まえ、金融政策やプルーデンス政策、そして決済システムなどの政策運営を如何に改善することができるかといった点についても、詳細な議論が行われています。本日は、市場価格をどのように捉えるべきかという、これまであまりお話する機会がなかったテーマを採り上げてみたいと思います。

2.起きるはずのなかった国際金融危機

まず、国際金融危機が発生する以前、人々が一般的に金融、とりわけ金融市場というものをどのように見ていたかということが、私の話の出発点となります。当時の人々の見方は概ね次のようなものだったと思います。

すべての基礎にあったのは、市場というものが経済的な問題を解決する手段としてもっとも優れた手段であるという、一般的な信念でした。市場がすべての経済活動を切れ目なくカバーし、価格というシグナルを完璧に伝えることができるのであれば、各経済主体が価格に基づいて行う判断は、社会厚生上もっとも望ましい状況をもたらすということです。このため、市場整備や規制緩和といった、そうした前提を満たすための努力は、それ自体が有益だと考えられていました。さまざまな市場の中で金融市場は、一般的には、経済における理想的な市場にもっとも近い市場とみられていました。

こうした基盤の上に、金融機関は複雑なリスク管理システムを構築していました。金融市場において形成される価格は、金融資産の公正価値を反映するものとみなされていました。過去の価格変動のパターンを観察することにより、将来の価格変動から生じるリスクを効果的に管理できると考えられていました。価格のデータは、正規分布に当てはめられ、バリュー・アット・リスクといった具体的な指標が計算されました。それによって金融機関ではリスクをしっかりと管理できているとの意識が生まれました。リスクを取り過ぎた場合には、ちょうど取り過ぎた分だけのリスクを迅速かつ安価にデリバティブを使って削減したり、多種多様な金融商品を使って迅速かつ安価に過大なリスクを相殺するようなポジションを構築できると考えられていました。

銀行、証券会社、保険会社、ヘッジ・ファンドといった市場参加者には、リスクを管理するきわめて強いインセンティブがあると考えられていました。仮にそうしなければ、それぞれの市場参加者の存続にかかわると考えられていたからです。さらに、こうしたかたちで個々の市場参加者が慎重に行動するのであれば、金融システム全体の安定性を疑う理由はないと考えられていました。少なくとも部分の集合は全体に一致するという考え方を背景に、専門用語を使えば、ミクロ・プルーデンスが確保できればマクロ・プルーデンスも維持されると考えられたのです。

この間、マクロ経済政策に関しては、中央銀行が物価上昇率を一定の水準に収斂させるように金融政策を運営すれば、マクロ経済的な安定も実現するという考えが広くみられました。ただ、その中で、物価の安定と金融システムの安定性の関係については十分には考慮されませんでした1

しばらくの間は、マクロ経済的な安定が実現したようなすばらしい世界でした。2000年代の初頭からのこうした状況は、大いなる安定(Great Moderation)と呼ばれるようになりました。先進国をみると、平均物価上昇率は、1980年代の6.3%から、1990年代には2.9%に、さらに危機前の10年間(1998年〜2007年)には2.0%まで低下しました。金融業は繁栄し、世界各国の都市が金融センターを目指しました。特筆すべきは、経済や金融面での実績が素晴らしかったことだけでなく、そうした状況が確立された経済学あるいは金融論の理論に立脚していたことでした。もちろん、1998年9月のロング・ターム・キャピタル・マネジメントの破綻のように深刻な事例も時にはみられましたが、そうした事例は、理論的な枠組みを厳格に適用できなかった事例と看做されました。

  1. 1 金融政策の枠組みを巡る議論について、詳しくはKing, Mervyn. "Twenty years of inflation targeting" (The Stamp Memorial Lecture at the London School of Economics)(外部サイトへのリンク)、2012年10月9日を参照。
    また、白川方明「中央銀行の政策哲学再考」、エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳、2010年4月22日を参照。

3.金融危機の構造的な背景

大いなる安定の担い手の視点からみれば、国際金融危機は起きるはずのないものでした。中央銀行が物価の安定を維持し、公的当局が市場機能の発揮を妨げるような障害を取り除く努力を続ける、そして、金融市場の参加者がそれぞれのリスク管理の枠組みを洗練していけば、そもそも信用バブルが世界規模であれほど拡大し、さらにはそれが破裂し、深刻な事態をもたらすということは考えられないことでした。危機が発生した原因については、未だに共通の理解が得られているとはいえませんが、経済主体の強欲や過ちだけに責めを負わせようとするのは妥当でないように思います。振り返ってみると、危機の背景には、市場価格について、共通する見方があったように思えます。以下、そうした見方が見落としていた点を2つの角度から取り上げます。ひとつは、金融市場が時として行き過ぎるということです。もうひとつは、価格から取り出せる情報には限界があるということです。

危機前に一般的だった見方は、市場における価格は、利用可能な情報をすべて反映して形成され、「ランダム・ウォーク」するというものであり、その前提で重要な結論を導き出していました。市場価格は、新たな情報を反映するかたちでランダムに変化するが、その価格は、本質的な価値のもっとも良い推計値であると理解されていました。そのような市場で、仮に市場参加者が継続的に判断を誤り、安く売って高く買う行動をとり続けると、累積する損失によってそうした市場参加者は市場から退出させられます。その結果、市場は情報を十分に有し、正しい判断を下すことができる市場参加者で構成されることになり、そうした市場であれば継続的に価格が本質的な価値から乖離することは発生しにくくなります。一言補足しますと、この文脈で空売りやデリバティブは、有益なものだと理解されます。市場参加者が、価格が本質的な価値から乖離することを正すような取引をより容易かつ安価に行うことを可能にするからです。

それではなぜバブルは発生するのでしょうか。言い換えれば、どのようにして価格は長期にわたり本質的な価値から乖離し続けることができるのでしょうか。

この問いに対する答え方のひとつとしては、行き過ぎた楽観論の拡がりを指摘することができます。市場参加者が強気になりすぎると、市場価格が歪められ、行き過ぎが生じるという考え方です。こうした問題は、金融商品の本質的な価値が観察できないことから、完全に合理的に行動する市場参加者の間でも発生し得るものです。

市場価格は、本質的な価値のもっとも良い推計値であるという意味で公正価値ということができます。しかし、それは、市場価格が本質的な価値と等しいことを保証するものではありません。市場参加者が金融商品の本質的な価値を見出すべく競争することが前提となっています。ところが、ケインズ卿が指摘しているように、市場参加者は他の市場参加者が考えていると思われる市場価格に焦点を当てているかもしれません。その場合、市場価格は、本質的な価値のもっとも良い推計値ではなく、市場価格に対する市場参加者の平均的な見方のもっとも良い推計値になってしまいます。何らかの理由で市場参加者の間に他の市場参加者が価格上昇を予想しているという見方が広まると、本質的な価値の動向にかかわらず市場価格は上昇することになります。そうした自己実現的な動きが価格の行き過ぎを生じさせ、ひいてはバブルにつながります。

公正価値と本質的な価値との混同は、将来の危機が市場価格から抽出された情報によって予防できるという誤った考え方にもつながりました。広く流布していた金融理論や、そうした金融理論に基づいて形成された金融工学が、そうした見方の明白な誤りを覆い隠すかたちとなりました。

過去の価格変動のパターンを観察すれば、そうした変動の確率分布や、さまざまな価格の間の相関関係が推計できると広く考えられたのです。都合のよいことに、価格の変動パターンは、正規分布を前提にすればボラティリティと平均という2つの変数で表すことができます。確率分布と相関関係が分かれば、そうしたデータをコンピュータに入力し、バリュー・アット・リスクのようなリスク指標を計測することができます。さらに、確率分布の推計は、相当程度分散の効いたポートフォリオを構築することができれば、収益が確率分布から示される期待値に沿ったものとなるという安心感ももたらしました。

その結果、市場参加者はリスクテイクを安易に捉え過ぎるようになりました。市場参加者は、モデルに従い、リスク指標に気を付けており、その限りにおいて、取っているリスクの量は小さく、かつ慎重にリスクを管理していると都合よく思い込んだのです。市場参加者の間でみられた見方の均一化は、本質的な価値と市場価格との乖離を拡大させると同時に、ボラティリティを低下させ、ひいてはリスク指標を低下させたことにより、こうした状況をますます悪化させました。金融危機の直前には、リスク指標は最小の値となっていたのです。2008年にボラティリティが急上昇し、相関が総崩れとなる中、市場参加者がなす術もなかったのは、こうした事情によるものです。現実がモデルや理論に適合し、価格から得られた情報がすべての悪い事態に対する警告を発していたのであれば、危機は起きるはずがありませんでした。しかし、残念ながら、モデルや理論は現実を記述するものであって、現実を規定するものではありません。金融市場が、モデルや理論、過去の市場価格のパターンから推測される動きから乖離することは避けられません。

4.中央銀行にとっての教訓

それでは、市場との向き合い方において、国際金融危機の教訓は何なのでしょうか。

市場から得られる情報を処理するうえでの生じた誤りを縷々説明したあとでは奇異に感じられるかもしれませんが、中央銀行にとって、金融市場の動向は金融政策や金融システム安定化のための政策を実施していくに当たり、もっとも重要な情報源のひとつであり続けると考えられます。金融市場は経済全体で起きていることを映し出します。中央銀行が、金融危機の前に一般化していた市場の見方に全く影響されてなかったと申し上げるつもりはありませんが、市場の動きを観察し、リスクの蓄積に強い警告を発していた中央銀行関係者がいたことも事実です。中央銀行としては、市場から情報を得るためのあらゆる努力を続けていかなければなりません。ブラインダー氏が指摘したように、多様で厚みのある流動性の高い市場には、大きな力と英知が秘められています2

そのうえで、中央銀行にとっての教訓を整理すると、第1に、中央銀行はそれが認め難いものであっても、市場の動きから目をそむけてはならないということです。例えば、わが国のバブルが崩壊した後の1990年代から2000年代初頭にかけて、わが国の政府と日本銀行の繰り返しの説明にもかかわらず、市場はわが国の銀行システムの健全性について懐疑的な見方を変えませんでした。銀行部門の問題の持つ自己実現的な側面から、事態が急速に悪化する可能性があっただけに、こうした市場の見方に対して反発もありました。最近の国際金融危機においても似たような状況がみられました。もっとも、振り返ってみれば、市場の反応には相応の理由もありました。鏡の精に、この世でもっとも美しい人は鏡の前のあなたではありませんと言われたとしても、鏡の精との対話を止めてしまってはいけません。

第2の教訓は、中央銀行は、市場価格から得られる情報の脆さということを忘れてはいけないということです。すでに説明したように、市場価格には行き過ぎが生じやすいものです。中央銀行は市場価格からさまざまな情報を取り出すことができますが、そうした情報は、どのようなモデルで抽出するかに大きく依存します。市場価格が中央銀行自身のポジションや行動を反映しているにすぎないこともあります。すなわち、市場価格はもっとも良い推計値の計算を可能にするものですが、中央銀行は、何を推計していることになっているのかという点を見失ってはなりません。

第3の教訓は、市場参加者の多様性、とりわけ、リスク選好や投資期間の多様性を確保することが重要だということです。市場参加者が均質である場合、間違いを増幅し、市場を不安定化させるリスクを高めます。多様性は望ましいのですが、自己資本、リスク管理、あるいはディスクロージャーに関する規制や監督といった枠組みが、意図せずに市場参加者のリスク選好や投資期間を均質化させる可能性もあります。残念ながら、こうした問題に対する万能な答えはありません。中央銀行としては、問題が生じた場合に、迅速に解決するよう常に備えておかなければなりません。

最後に、中央銀行としては、市場に対する畏敬の念を失ってはならないものの、本日ご説明したように、時としては独自の判断を行うことが求められているということです。物価安定のもとでの持続的な経済成長の実現を目指すという使命を果たすため、中央銀行は長期的な視野で、政策を判断しなければなりません。一般的に、金融循環が長期の循環であることを踏まえると、こうした姿勢は金融システムの安定を目指すうえでより重要といえます。ブラインダー氏が指摘したように、「市場は中央銀行が何をするかを予想し、ともすればそれに過剰反応することになる。一方、中央銀行は、政策をどうすべきか考えるに当たって市場の動向に注目する」といった状況は避けなければなりません3。市場の期待に直面する中央銀行がどのような政策運営を行うべきかを示すひとつの事例として、現在の日本銀行の金融政策運営を挙げることができます。日本銀行は、強力な金融緩和を推進していく方針であることを明らかにしています。その際、日本銀行は、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から問題が生じていないかどうかを引き続き確認していくこととしています。これまで申し上げた文脈でいえば、日本銀行は、市場からの情報も踏まえたうえで、自らしっかりと判断を行っていくということです。また、欧州に目を転じると、欧州中央銀行が、ユーロ圏の金融政策の波及経路に生じている問題を解消するとの姿勢を明らかにしていますが、これも、国債の利回り較差などのあるべき水準について、欧州中央銀行と市場の見方が異なり得ることを示しています。

  1. 2 Blinder, Alan S. 1998 Central Banking in Theory and Practice The MIT press(『金融政策の理論と実践』、河野龍太郎、前田栄治訳、東洋経済新報社)。
  2. 3 前掲注2のBlinder, Alan S. 1998

5.おわりに

本日は、金融市場から情報を引き出すうえで自信過剰であったことが、国際金融危機をもたらしたバブルを生成するうえで、如何に影響したかということをご説明しました。危機が発生する前に市場参加者や政策当局が、金融市場の英知を強調していた反動として、現在、社会問題を解決するに当たり、少しでも金融や市場機能を用いようとすると、反発を招く状況となっています。市場は、賢く使えば、経済的な問題を解決するうえで、依然としてもっとも強力な手段であり、また、金融や市場機能を用いることによって大きな可能性がもたらされ得ることを考えると、これは不幸な状況といえます。先ほど説明した中央銀行にとっての教訓の多くは市場参加者にも当てはまると思います。金融界は、金融危機後、利益や報酬について、社会的に許容され得る行動も十分に意識すべきです。市場が許すから大丈夫という考え方はもはや通用しません。こうした変化が生じていることを理解し、金融市場における価格から得られる情報に対してより慎重に向き合うことによって、金融機関は世界経済の回復により大きな貢献を行うことができるようになるでしょう。

本日は、ご清聴有難うございました。