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【挨拶】国際金融協会年次総会における挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2013年10月12日

目次

1.はじめに

本日は、IIFの年次総会で講演できて光栄に思います。

ご存知のように、本行は4月に「量的・質的金融緩和」政策を導入しました。その後、わが国の経済においては前向きの循環メカニズムがしっかり働いており、今世紀に入ってから、おそらく最も明るい見通しが持てるようになっています。このようなわが国のマクロ経済の動向について説明を続けることはできますが、これについては数日前に別の機会で詳しく説明したところですので、本日は、国際的な金融監督・規制のあり方について簡単に考えを述べたいと思います。

2.金融危機と規制改革

本日お集まりの皆様は、最近の国際金融危機が時代を画する出来事だったという見方に同意されるのではないかと思います。国際金融危機は、それまでの国際的な金融面での監督・規制体制に大きな疑問を投げかけました。危機の前までは、金融機関と規制・監督当局の目指すものが概ね重なっていたとみられていました。すなわち、金融機関におけるリスク管理の強化を促していけば、銀行はそれ自身のためにより安全になり、回り回って国際金融システムの回復力と頑健性が高まると考えられていました。

しかし、現実はそうなりませんでした。危機の前に存在した規制・監督体制が、ここ百年間でおそらく最も深刻な金融危機の発生を防ぐことができず、実体経済を恐慌寸前に追いやったことは、何が達成できて何が達成できなかったかについての反省を、規制・監督当局に強く迫るものでした。その結果、国際的な金融規制・監督体制は見直され、その一部はすでに実施され始めています。バーゼルIII規制は日本を含む多くの諸国で適用されています。適用が遅れている国については早く追いつくことを期待しています。また、グローバルなシステミックに重要な金融機関(G-SIFIs)に対する規制・監督も強化されています。

このように、すでに成果が挙がっていますが、これらの施策はいわば雨漏りを止めたにすぎません。この先のステップが重要です。

3.バーゼル規制に対する批判

バーゼル規制は今年で25周年を迎えました。この中核をなすリスク・ベースの自己資本規制は、その間進化してきました。当初、信用リスクだけをカバーしていたものが、市場リスクやオペレーショナル・リスクもカバーするようになりました。また、バーゼル規制は、銀行の内部モデルの利用を認めるなど、よりリスク感応的になっています。とはいうものの、規制に対する批判がより強く聞かれるようになっているのも事実です。著名な論者の中には、バーゼル規制が国際危機を防ぐこともできなかったことを踏まえ、つぎはぎされた規制体系が過度に複雑化しており、レバレッジ比率のようなより単純な指標の方が、危機をより有効に防げるのではないかと指摘しています。いわば、古くなった住宅をリフォームして住み続けるのではなく、新築の家に引っ越した方がよいのではないかという考え方です。

私の見解を述べる前に、バーゼル規制が完全ではないということは認めなければなりません。

まず、リスクと不確実性の違いがあります。不確実性に満ちたこの世の中でリスクを計測しようとすること自体が危うさをはらんでいます。すなわち、リスク・ベースの規制は、必然的に「黒い白鳥」の出現に対しきわめて脆弱です。

第2に、第1の点とも関連しますが、モデル・リスクの問題があります。仮に不確実性がないとしても、モデルが現実の近似である以上、現実を完璧に測ることはできません。もし、モデルが安全を見込み過ぎる場合、規制によって銀行に要求される自己資本は過大となり、経済に十分な資金が供給されないことになります。この逆もまた真なりです。

最後に、プロシクリカリティによってリスク・ベース規制の有効性が殺がれるという問題もあります。計測されるリスクは、好況時に小さくなる傾向があります。その結果、銀行は、不況時に備えてバッファーを蓄えておかなければならないときにリスクを積み増そうとするかもしれません。景気が悪くなると逆回転が始まり、デレバレッジが加速される結果、経済への資金供給が滞ることになります。

こうした批判は傾聴に値するものです。しかし、致命的な欠陥ではなく、賢明な規制・監督当局が対応できる問題であり、正にバーゼルIIIなどの改革において明確に対応を施してきたところです。規制・監督当局は、不確実性の存在に対し、より保守的な前提条件や係数を置いたり、ストレス・テストを行うことができます。また、モデル誤差の影響をできるだけ小さくするために、当局は、多大な労力を払って規制の中身を調整し、銀行が利用しているモデルを点検しています。さらに、バーゼルIIIでは、プロシクリカリティを緩和するため、カウンターシクリカル・バッファーを導入し、ストレス時を含んだリスクの計測にも対処しています。

4.より良い規制・監督を目指して

規制・監督当局は、批判は真摯に受け止めなければなりませんが、これまでの成果を放棄する必要はありません。

銀行は、毎日さまざまなリスクに直面しています。常識的に考えて、銀行はこうしたリスクをできる限り正確に測らなければなりません。その延長で、リスクが顕現化し、損失が発生した際にそれを吸収できるだけの自己資本を保有しなければならないと考えるのは自然なことです。その意味で、規制・監督当局は、リスク感応度という考え方を信頼し続けてよいと思います。世界の金融市場がますます一体化し、そうした市場で活動する金融機関におけるリスク管理手法が次第に揃ってくるとみられる中、リスク・ベースの自己資本規制は、とても常識的な体系であるだけでなく、ある程度の国際的な整合性を達成できるおそらく唯一の現実的な枠組みです。したがって、自分としては、リスク・ベースの自己資本規制が引き続き国際的な金融規制の中核にあるべきだと考えています。

もちろん、留意しなければならない点もあります。たとえば、リスク・ベースの自己資本規制にあまりにも多くの機能を果たさせようという誘惑を断ち切らなければなりません。リスクの計測は常に近似であり、一定のバラつきが生じざるを得ません。規制の信頼性を維持するためにリスク計測のバラつきをできるだけ小さくする努力を続けなければならないとしても、自己資本比率のコンマ以下の違いが大きな意味を有するかのような議論も避けなければなりません。

すなわち、匙加減を間違えてはならないということです。

5.おわりに

規制・監督当局は、規制の有用性や効果について謙虚でなければいけません。リスク・ベースの自己資本規制を中心に据えるとしても、これで十分に捕捉できない問題については補完的な措置を講じるべきです。また、本日は時間の都合で説明を省きましたが、強力かつ効果的な監督が果たす役割も非常に重要です。

単純なレバレッジ比率は一面において良い指標でリスク・ベースの自己資本比率を補完することができます。しかし、それ1本だけで国際的な金融システムが発展を続ける中で有効性を維持できるでしょうか。現実世界に生じる個別の問題に規制・監督当局が対応する過程で、単純性という利点が失われる可能性が多分にあります。隣の芝生が青く見えるようなものかもしれません。

立ち止まって熟慮することはもちろん重要です。しかし、今日、国際的な金融活動を規制・監督していくためには、国際金融危機によって明らかになった規制体系の弱点対応をできるだけ早く完成させ実現していくことです。その際には、国際的な規制の整合性・一貫性を確保することが重要です。各国がバラバラに規制を適用してしまうと、かえって国際的金融システムの安定性を阻害する可能性もあります。これらの新たな規制体系の運用にかかる経験が得られ、経済に対する影響も見極めた上で、体系のさらなる改善に向けた議論を始めていくべきでしょう。その際には日本銀行としても貢献する用意があります。

ご清聴ありがとうございました。