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【講演】マクロプルーデンス政策と日本銀行の取り組み

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ジャパン・ソサエティ<ロンドン>における講演の邦訳

日本銀行政策委員会審議委員 佐藤 健裕
2014年11月12日

目次

1.はじめに

本日はジャパン・ソサエティにより講演の機会を与えて頂き、たいへん光栄に思う。また、ただいま温かいご紹介を頂いたフレイザー氏に感謝する。

本日、私からは、日本銀行のプルーデンス面での取り組みについてお話ししたい。プルーデンス政策のなかでも、ミクロプルーデンス政策ではなく、マクロプルーデンス政策について述べたいと考えている。

ミクロプルーデンス政策が「個々の金融機関の健全性を確保すること」を指しているのに対し、マクロプルーデンス政策は「金融システム全体のリスクの状況を分析・評価し、それに基づき制度設計、政策対応を図ることを通じて、金融システム全体の安定を確保すること」を指す。もちろん、個別の金融機関の破綻を未然に防止するミクロプルーデンス政策によって、金融システム全体の安定性に影響を及ぼす惧れのあるリスクの芽を摘むことは重要である。そうした重要性を認識したうえで、マクロプルーデンス政策は、実体経済と金融市場、金融機関行動などの相互連関などに起因する脆弱性が金融システム全体を不安定化するような事態を回避することに焦点を当てている。

中央銀行は物価の安定を目的として金融政策を行っており、金融政策は金融システムの安定そのものを目的とするものではない。しかし、後述する通り、金融政策と金融システムの安定の間には、相互に密接な関係がある。バブル崩壊に伴いいったん金融システムの機能が大きく低下すると、金融政策の効果は大きく制約される。最近では、金融危機を経た後の景気後退の谷が、そうでない場合の谷と比べると、深く、長期に及ぶとの事実が次第に明らかになってきている1。こうしたことを踏まえ、マクロプルーデンス政策を重視する動きは、先般の国際金融危機以降、確実に広がっている。日本銀行は、国際金融危機以前から、金融政策運営においてマクロプルーデンスの視点を重視してきている。

本講演では、マクロプルーデンス政策の発動に関する課題について私なりの考えを述べたあと、日本銀行のマクロプルーデンス面での具体的な取り組みについて説明する。併せて、最近の日本銀行の金融政策運営についても述べたい。

  1.   1  詳しくは、Oscar Jordà, Moritz HP. Schularick, Alan M. Taylor(2011)を参照。

2.マクロプルーデンス政策の発動に関する課題

それでは、話を始めることにしたい。マクロプルーデンス政策とは、実体経済と金融資本市場、金融機関行動などの相互連関に留意しながら、金融システム全体のリスクの動向を分析・評価し、それに基づいて制度設計・政策対応を図るという考え方である。国際金融危機における経験を経て、金融システム全体のリスクの動向の分析・評価にとどまらず、制度設計や政策対応にマクロプルーデンスの視点を積極的に取り入れていこうとする動きは世界的に広まっている。

例えば、バーゼルIII規制では、カウンターシクリカル資本バッファーの導入が既に決まっている。これは、信用拡大局面において、自己資本の積み増しを求めることで、金融機関の過度なリスクテイクを抑制することを目指しており、実際に損失が発生した際のバッファーとしての機能も有している。また、与信量規制、借入金・担保比率規制(LTV<Loan to Value>規制)、債務・所得比率規制(DTI<Debt to Income>規制)など、金融機関の与信行動に直接制限をかけることにより、信用拡大や需要の過熱に伴うシステミックリスクを抑制する政策手段もあり(図表1)、これらの手段を導入し、実際に政策効果を挙げている国・地域も少なからずみられている2

日本でも、過去にこうした政策手段が採られた事例がある。例えば、1990年に導入された不動産融資の総量規制は、過熱していた不動産業向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑制することを求めた政策であった。当時の位置付けがどうであったかは別として、これをマクロプルーデンス政策の手段に含めることは可能であろう3。これらの政策は典型的なマクロプルーデンス手段として取り上げられるものであるが、その他の手段、すなわち個別金融機関の考査・検査や決済システムのオーバーサイトなど、既存の政策についても、関係者との協調を図りつつ、マクロプルーデンスの視点を踏まえて運営していくことも重要である。

そこで、これらマクロプルーデンス政策の発動についてであるが、以下の課題に留意する必要があると考えられる(図表2)。1点目は、幅広い政策手段の中でその時点で識別される金融不均衡の抑制に有効と考えられる手段を適切なタイミングで発動することの重要性である。この点、政策手段の発動が適切なタイミングから遅れた場合、経済の平均的水準の低下と変動の拡大をもたらすとの実証研究の結果がある4。かつて日本で導入された不動産融資の総量規制については、発動のタイミングが遅きに失したことで、必要なタイミングで地価上昇を抑制することが出来ず、むしろ地価が下落に転じて以降、その下落を加速させる結果となったとの指摘がなされている5。このように政策発動のタイミングが非常に重要であることは認識されているが、その前提となる金融不均衡の識別については、現時点においてもなお知見が十分には蓄積されていないように思う。これは、過去において金融システムを脅かす不均衡の蓄積とその崩壊がその都度異なる経路を経て顕在化してきたことと関係しているかも知れない。いずれにせよ、金融システム内部にシステミックリスクにつながり得る不均衡が生じているか否かをリアルタイムで把握し、発動のタイミングの判断につなげていくことは、大きな課題である。

2点目の課題は、1点目と関係することでもあるが、政策発動時の対外説明の難しさがあげられる。金融不均衡の兆しがあることについて、政策当局の判断の正しさを「事前に」証明することは難しい。金融不均衡の兆しを確信を持って捉えるのが難しいことは、それへの対応が必要である、という説得的な議論を展開することが難しいことを同時に意味している。たとえ金融当局が、分析と経験に基づき、金融不均衡の兆しが強いと判断できたとしても、早い段階では、その必要性について、ステークホルダーから十分な支持が得られないかもしれない。あるいは、金融不均衡の蓄積が多くの人の目に明らかになるまで待つと、政策を発動するタイミングとしては遅すぎてしまう可能性がある。

一時期、国際的な金融危機後の議論の中で、金融不均衡をなるべく事前に察知し対応を講じていくべきとの見解と、事前の察知は難しいので実際にバブル崩壊が生じてから対応すれば良いという見解が分かれた時期もあった。そのこと自体、1点目、2点目の課題にあげたような判断や説明の難しさを物語っているが、現在においては、なるべく不均衡の察知に努め、可能な対応を講じていくという方向で、程度の差はあれ、多くの国が制度や枠組みを設計しているように思う。

3点目として、政策効果の漏れをいかに防ぐかという点にも難しさがある。漏れが生じる例としては、規制アービトラージがあげられる。政策発動により規制対象となる銀行が貸出を減らしたとしても、シャドーバンキングなど規制対象外の金融機関が削減分を肩代わりして貸出を実行してしまうと、政策効果が相殺される可能性がある。先述の日本における不動産融資の総量規制でも、同様の事象が生じた。政策効果の漏れを最小化するため、幅広くシャドーバンクに対して規制をかける場合、複数の政策当局間の連携が必要になることも想定される。連携が十分でないと、政策効果が減殺されてしまう可能性もある。金融技術の発展に伴い、規制の対象とならない新たな金融商品が生まれ、それに対して規制対象の拡大で対応しても、また新たな商品が生まれるといった事態も想定される。さらに、自由な資本移動の下で、規制の国際的な調和を図っていくことも必要となるかも知れない。

  1.   2  マクロプルーデンス政策手段の導入事例として、スイスでは、既にカウンターシクリカル資本バッファーの枠組みが整備されているほか、英国やニュージーランドでは新規住宅ローンに対するLTI規制(Loan to Income規制)やLTV規制が導入されている。
  2.   3  詳しくは、Benjamin Nelson, Misa Tanaka(2014)を参照。
  3.   4  詳しくは、河田皓史・倉知善行・寺西勇生・中村康治(2013)を参照。
  4.   5  詳しくは、Committee on the Global Financial System(2012)を参照。

3.日本銀行のマクロプルーデンス面での取り組み

以上の3つの課題を念頭に置いて、次に、日本銀行のマクロプルーデンス面での具体的な取り組みについて述べる。日本では、1980年代後半における資産バブルの生成とその後のバブル崩壊の経験を踏まえ、すでに1990年代後半から2000年代初頭にかけて、金融庁の創設や、考査の明文化を含む日本銀行法の改正、危機対応の枠組みの整備などが行われた。そのもとで、現在は、法的権限を持って業態横断的に監督・検査を行う金融庁と、最後の貸し手機能の発揮などを通じて金融システムの安定に貢献する日本銀行が、それぞれの機能を活かすかたちで、金融システム全体のリスクや金融不均衡の状況を注視しつつ、マクロプルーデンス政策に取り組んでいる。

日本銀行は、金融システム全体の安定性と機能度を分析・評価した「金融システムレポート」を定期的に公表している。日本銀行がこのレポートの公表を開始したのは、国際金融危機前の2005年に遡る。以来、半年に1回、日本の金融システム全体の抱えるリスクや課題について、日本銀行の見解を明らかにしてきている。このようなかたちで、金融システム全体のリスクの状況を適切に把握し、金融機関を含む幅広い関係者との間で認識の共有を図っていくことは、金融不均衡を早期に察知し、リスク抑制に有効と考えられる手段を適切なタイミングで発動していくうえで根本となる作業であると考えている。先ほど述べた3つの課題との関係で整理すると、第1に、適切なタイミングでマクロプルーデンス政策の発動が可能となるよう、情勢判断の質を引き上げていくこと、第2に、分析の範囲を銀行だけでなく、金融システム全体に広げていくことがポイントとなる。

そうした視点からこのレポートの中で行っている分析の一例として、この場では、2012年より作成を開始した「金融活動指標」を紹介する(図表3)。「金融活動指標」とは、システミックリスクにつながる可能性のある金融活動の過熱をいち早くとらえるため、総与信・GDP比率や地価の対GDP比率など14の指標を設定し、それぞれの指標が過去のトレンドからどの程度乖離しているかをみる指標である。金融システムレポートでは、こうした個別指標の過熱・停滞に関する判定結果を、過熱を赤色、停滞を青色、それ以外を緑色に色分けした「ヒートマップ」の形で示している。これらの指標を総合的に分析・評価することを通じ、マクロ的な金融不均衡の蓄積状況の把握に努めている。無論、「ヒートマップ」が万能なわけではない。例えば、金融循環の代表的な指標である総与信・GDP比率をみると、1980年代後半〜1990年代初頭の資産バブルの生成とその崩壊のマグニチュードがあまりに大きいため、基調を把握しにくくなっている(図表4)。金融循環の周期は長く、かつ不安定で金融システムの強靭性回復にも時間がかかることから、この種の指標のトレンドからの乖離をどの程度の期間許容するかは、結局、「判断」の問題となる。そうした留意点はあるが、同指標は金融不均衡の蓄積を捕捉するツールとして有用であると考えられる。

「金融システムレポート」では、今述べた「金融活動指標」以外にも、金融システム全体におけるリスクの蓄積度や金融機関間のリスクの偏りを分析し、「判断」に役立てる観点から、マクロストレステストを行っている(図表5)。マクロストレステストは、実体経済や金融資本市場に大きなストレスが生じた場合に、金融システムがどの程度耐えられるかを評価するものである。第1に、ストレスシナリオを工夫することで、過去に観察されたことの無いようなショックが金融システム全体に与える影響を、ある程度評価することが可能となる。第2に、同一のシナリオを用い、業界横断的な分析を行うことで、金融システム内のリスクの偏在状況を確認することもできる。日本銀行のマクロストレステストでは、日本銀行がこれまで培ってきた経済分析の技術と、考査・モニタリングの過程を通じ、個別金融機関から収集してきたデータ・知見の「融合」を図ることを特に重要視している。例えば、ストレスシナリオを設定する際には、その時点において最も重要と考えられるリスクに焦点を当てている。リーマンショック前に世界経済が過熱し、国内で新興不動産企業が台頭した際には、不動産関連セクター向け貸出の信用リスクテストを行った。また、欧州ソブリン問題に対する懸念が高まる中では、内外金融市場の連関を想定したスピルオーバーリスクテストや、外貨調達市場の機能不全を想定した外貨流動性リスクテストを行った。最近では、リーマンショック時並みの景気後退が生じるケースや景気の悪化を伴って長期金利が2%ポイント程度上昇するケースを想定した分析を行っている。

金融システムレポートは、以上のような形で、様々な指標を点検しながら、日本の金融システムの抱えるリスクや課題を明らかにしている。このように幅広い指標や分析を踏まえたうえで、最終的には何らかの政策の発動が必要か否かを裁量的に「判断」していくことになるが、金融システムの安定性の分析・評価とマクロプルーデンス政策手段の活用に向けては、金融庁と日本銀行が適切に協力していくことも重要である。こうした認識のもと、本年6月より、金融庁長官と日本銀行副総裁を含むメンバーからなる「金融庁・日本銀行連絡会」が発足した。金融庁と日本銀行は従来から様々な階層で頻繁に意見交換を行い、緊密に連携を図ってきたところであるが、こうした連絡会を設けたことで、さらなる連携の強化を図っていけるものと考えている。

4.金融政策とマクロプルーデンス政策の関係

ところで、中央銀行はマクロプルーデンス政策にどの程度関わっていくべきか。ここ英国がまさにそうであるように、今回の金融危機を経て、中央銀行が金融システムの安定に関わる度合いは世界的に強まった。日本銀行法もまた、日本銀行の目的を、通貨及び金融の調節を行うほか、信用秩序の維持に資することと定めており(図表6)、日本銀行は、金融システムの安定にも物価の安定と同等の責任を有している。

過去を振り返ると、実体経済の循環すなわち需給ギャップの循環と、金融循環すなわち金融不均衡の生成と崩壊とは、しばしばシンクロナイズしてきた。これは、需給ギャップの変動と金融循環の変動との間に相乗作用が発生し、それぞれの変動幅の拡大につながったためである。このため、日本では、金融政策とマクロプルーデンス政策は、基本的には相互に補完的なものと位置付けられている。日本銀行のマクロプルーデンス活動は、考査やモニタリング等のミクロプルーデンス活動と同様に、日本銀行法の定める目的規定に沿ったものである。この点を踏まえ、日本銀行では、物価安定のための金融政策と並び、金融システム安定のためのプルーデンス政策にも相応の経営資源を割いている。

しかし、長い目でみれば金融政策とマクロプルーデンス政策は相互に補完的なものであるとしても、局面によっては、低インフレのもとで、資産価格が急上昇するといったことも生じ得る。このように、短期的に物価の安定と金融システムの安定の間にトレードオフが生じているような場合に、中央銀行は、どちらをより重視して行動すべきかということが議論とはなり得るように思う。その際の一つのアプローチは、最優先の目標である物価の安定が満たされている場合に限って、他の目標も追及するという辞書的序列に基づく政策フレームワークである。例えば、先進国全般で物価が趨勢として低位安定するなか、物価の安定は既に達成されたものとして、金融システムの安定がより重要との見解が聞かれることもある。リーマンショック前後のような大規模な金融不均衡の生成と崩壊が概ね物価安定のもとで生じたことを考えるとこうした見解は一理あるだろう。また、日本の場合は、デフレが長期に亘って続いてきたことから、当面は物価の安定が金融システムの安定に優先すべきという論者もいるかも知れない。その背景には、これまでのところ、低金利環境の下でも金融機関によるリスクテイクは限定的で、金融不均衡の蓄積がみられないこともあるだろう。

そうした考え方自体は否定しないが、私自身は、物価の安定には金融政策を割り当て、金融システムの安定にはマクロプルーデンス政策を割り当てるという二分法まで受け入れることには抵抗がある。こうした二分法は、一見分かりやすいが、あらゆる状況において万能な訳ではないからである。それで対応できる場合は勿論あるが、金融循環が十分抑制されず、需給ギャップの変動との相乗作用に繋がっていくような状況においては、結局はマクロプルーデンス政策とともに、広範かつ強力な影響力を持つ金融政策も活用していかざるを得ない。日本のバブル崩壊後の対応のように、金融循環の変動が大きくなってから初めて金融政策を割り当てるとなると、その時点の政策対応は非常に困難なものとなる惧れがある。このように考えると、中央銀行が金融政策を遂行するうえでは、需給ギャップのみならず、金融循環の抑制にも一定の配慮をするというのが望ましい。

こうした考え方のもとで、日本銀行の金融政策運営の枠組みは、物価安定のもとでの持続的成長を実現する観点から、経済・物価の現状と見通しに加え、金融面での不均衡を含めた様々なリスクも点検しながら運営している。短期的な物価の安定を優先し過ぎると、先行き金融システムは不安定化し、ひいては中長期的な物価の安定が損なわれる惧れがある。一方、金融システムの安定を優先し過ぎると、中央銀行の物価安定への取り組みに対する信認が低下してしまう。こうした状況に陥らないよう、中央銀行はバランスのとれた政策運営を行っていくということである。

5.最近の日本銀行の金融政策運営

最後に、最近の日本銀行の金融政策運営について簡単に触れたい。

日本銀行は10月末の金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の拡大を決定した。私自身はこの決定に反対票を投じたことから、この政策変更について話すには微妙な立場にあるが、決定されたことについて、この場を借りて改めて説明した上で、可能な範囲で私自身の考え方をお示ししたい。

まず、日本経済は消費税率引き上げの影響を受けつつも、基調としては緩やかな回復を続けており、先行きも緩やかな回復を続けるとみている。輸出・生産をはじめ一部の消費関連指標に引き続き弱さが残るが、堅調な雇用・所得環境と底堅く推移する家計・企業マインドを背景に回復のメカニズム自体はしっかりと維持されている。ただし、物価面では、このところ、消費税率引き上げ後の需要面での弱めの動きや原油価格の大幅な下落が、物価の下押し要因として働いている。このうち、需要の一時的な弱さはすでに和らぎはじめているほか、原油価格の下落は、やや長い目でみれば経済活動に好影響を与え、物価を押し上げる方向に作用する。しかし、短期的とはいえ、現在の物価下押し圧力が残存する場合、これまで着実に進んできたデフレマインドの転換が遅延するリスクがある。日本銀行としては、こうしたリスクの顕現化を未然に防ぎ、好転している期待形成のモメンタムを維持するため、ある種の保険をかける意味で、ここで「量的・質的金融緩和」を拡大することが適当と判断した。

今般、マネタリーベースについては、これまでより約10〜20兆円追加し、年間約80兆円に相当するペースで増加するよう金融市場調節を行うこととし、そのために、長期国債については、これまでより約30兆円追加して、保有残高が年間約80兆円に相当するペースで増加するよう買入れを行うこととした。また、一部のリスク性資産の買入れ額も3倍に拡大した(図表7)。

「量的・質的金融緩和」の効果は日本銀行による資産買入れの進捗とともに累積的に強まる性質のものである。その効果は長短金利水準に既に端的に現れており、今後もこうした買入れの進捗により更に強まると見られる。

以上申し述べた決定に対する私の見解については、議事要旨が公表されていない段階であるので、現時点では詳細は控えさせていただきたい。ただし、2%の「物価安定の目標」実現の意味と「安定的に持続するために必要な時点まで」の意味については、従来より私なりの考え方を示してきたので、この場をお借りして改めて話したい。

もとより「物価安定の目標」は消費者物価指数(総合)で定義されているが、私としては、消費者物価指数が前年比2%に達すれば、この政策はその使命を果たしたことになると単純に考えているわけではない。日本銀行が目指す「物価の安定」とは、本来、全般的な経済状況が実体経済・資産市場ともに良好に推移するなかで、賃金の改善とともにバランスよく物価が上がっていく姿である筈である。そのためには、諸外国対比低位に張り付いているとされる人々の中長期的な予想物価上昇率を米国並みの2%程度に引き上げ(リアンカリング)、人々の行動様式が2%程度の物価上昇を前提としたものとなることが重要である。

幸い、人々の短期的な予想物価上昇率は、消費税率引き上げの影響を除くベースで消費者物価コアの前年比1%台前半での安定が続いたこともあり、やや長い目で見れば、全体として上昇しているとみられる。中長期的な予想物価上昇率のリアンカリングには、こうした短期的な予想物価上昇率の上昇により人々がバックワード・ルッキングに予想を改訂するプロセスのほか、賃金の改訂状況等から人々がフォワードルッキングに予想を改訂するプロセスも考えられる。その点、本年の賃金改訂結果は、デフレの下で基本給は上がらないものという人々の消極的な予想形成に風穴を開ける貴重な一歩であった。来年の賃金改定を巡り、政府のイニシアティブの下、新たな政労使協議が現在進行中だが、こうした動きが実際の賃金改定に繋がり、人々の予想形成に前向きに作用することで、中長期的な予想物価上昇率に好影響が及ぶことを期待している。

もとより量的・質的金融緩和の継続期間については、「安定的に持続するために必要な時点まで」というフォーキャスト・ターゲティングの考え方がベースにある。「物価安定の目標」は、消費者物価(総合)の前年比上昇率で示しているが、この精神からすれば、上述のように人々の予想形成にフォーカスし、賃金を含む幅広い物価指標の先行きを丹念に点検していくことが今後も重要と考えている。また、人々の中長期的な予想物価上昇率のリアルタイムでの計測手法に決め手がない以上、政策の継続の必要性については、毎回の金融政策決定会合で政策委員会が改めて「判断」していくべきものと考えている。

ご清聴に感謝申し上げる。

参考文献

  • Oscar Jordà, Moritz HP. Schularick, Alan M. Taylor, 2011, "When Credit Bites Back: Leverage, Business Cycles, and Crises", NBER Working Paper 17621
  • Benjamin Nelson, Misa Tanaka, 2014, "Dealing with a banking crisis: what lessons can be learned from Japan's experience", Bank of England Quarterly Bulletin 2014 Q1, pages 36-48
  • Committee on the Global Financial System, 2010, "Macroprudential instruments and frameworks: a stocktaking of issues and experiences" CGFS Papers No 38
  • Committee on the Global Financial System, 2012, "Operationalising the selection and application of macroprudential instruments" CGFS Papers No 48
  • 石川篤史・鎌田康一郎・菅和聖・倉知善行・小島亮太・寺西勇生・那須健太郎、「『金融活動指標』の解説」、日本銀行ワーキングペーパー、No.12-J-1、2012年3月
  • 伊藤雄一郎・北村冨行・中澤崇・中村康治、「『金融活動指標』の見直しについて」、日本銀行ワーキングペーパー、No.14-J-7、2014年4月
  • 河田皓史・倉知善行・寺西勇生・中村康治、「マクロプルーデンス政策が経済に与える影響:金融マクロ計量モデルによるシミュレーション」、日本銀行ワーキングペーパー、No.13-J-2、2013年2月
  • 北村冨行・小島早都子・高橋宏二郎・竹井郁夫・中村康治、「日本銀行のマクロ・ストレス・テストについて」、調査論文、2014年10月
  • 杵渕輝・柳澤みずき・菊田直也・今久保圭、「マクロプルーデンス政策手段を巡る最近の議論」、日銀レビュー、2012-J-13、2012年8月
  • 西村清彦、「マクロ・プルーデンス政策について —アジアの視点を踏まえて—(中国人民銀行・IMF共催ハイレベルセミナーにおける発言の邦訳)」、2010年10月
  • 日本銀行、『金融システムレポート』、2014年10月
  • 日本銀行、「日本銀行のマクロプルーデンス面での取組み」、2011年10月
  • 日本銀行金融機構局、「日本銀行のマクロストレステスト:信用リスクテストと金利リスクテストの解説」、調査論文、2012年8月