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【挨拶】日本銀行金融研究所主催2015年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年6月4日

目次

1.はじめに

皆様おはようございます。今年で22回目を迎える国際コンファランスの開会に当たり、一言ご挨拶を申し上げることは、私にとって大変光栄なことです。日本銀行を代表して、ご参加いただいた皆様に、心から歓迎の意をお伝えしたいと思います。

昨年のコンファランスでは、「金融危機後の金融政策」をテーマに、先般の金融危機後の緩やかな経済成長のもとでの金融政策を巡る基本的な問題に関して、活発な議論が行われました。昨年のコンファランス以降、学界・中銀サークルでは、非伝統的金融政策の効果に関する研究が一段と進展しているほか、長期停滞論に代表されるような金融危機後の緩慢な景気回復を巡る新たな議論が注目を集めています。こうしたもとで、昨年に引き続き金融政策を中心に据えつつも、実際の金融政策運営への含意をより意識する観点から、今年のコンファランスのテーマとして、「金融政策:効果と実践」を選びました。先ほど申し上げた研究面の進展や最近の世界経済の変化を踏まえ、我々中央銀行が直面している金融政策面の課題について、率直かつ活発な議論が行われることを期待します。私からは、コンファランスのキックオフとして、そのような課題に関する論点をいくつか提示したいと思います。

2.世界経済の現状と当面の金融政策運営上の論点

昨年のコンファランス以降の1年を振り返ると、世界経済は全体として緩やかな回復を続けています。もっとも、各国間で経済・物価情勢に相応の違いもみられています。このような違いを反映して、米国、欧州、日本の間で金融政策の方向性の相違が一段と明確化したことが、過去1年間の世界における金融政策面の大きな特徴です。また、この間、原油価格が大幅に下落したことを主因に、ヘッドライン・インフレ率は世界的に大きく低下しました。このような大きな変化のもとで、現在、我々中央銀行が有している政策運営上の論点を3点提示したいと思います。

第1の論点は、非伝統的金融政策の効果と波及経路です。金融政策の運営面では、今年1月に欧州中央銀行がいわゆる量的緩和を導入し、世界の主要中央銀行の多くがそろって量的緩和を採用することとなりました。金融政策の研究面では、これまで精力的に行われてきた非伝統的政策に関する分析が着実に蓄積されており、量的緩和やフォワード・ガイダンス等の政策は、長期金利や資産価格、加えて予想物価上昇率等への働きかけを通じ、金融緩和効果を発揮していることが示されています。こうした中央銀行の実践と学界の研究成果から得られた様々な知見を共有することによって、非伝統的政策に関する共通理解をさらに深めることができれば、大変意義深いと思います。

第2の論点は、原油価格低下と予想物価上昇率です。昨年来の原油価格の大幅な低下は、金融政策運営に新たな難題をもたらしました。昨年10月、日本銀行は、量的・質的金融緩和の拡大を決定しました。これは、原油価格低下によるものとはいえ、足もとの物価上昇率の鈍化が量的・質的金融緩和のもとで着実に進んできたデフレマインドの転換を遅延させるリスクを未然に阻止し、好転している期待形成のモメンタムを維持するためのものです。この政策判断の背景としては、中長期的な予想物価上昇率がアンカーされている米国などとは異なり、わが国はデフレマインドの抜本的な転換―2%の物価安定の目標への予想物価上昇率のリ・アンカー―を目指している最中であることが挙げられます。予想物価上昇率は、金融政策運営において最も重要な変数の一つです。中央銀行にとっては、予想物価上昇率をどのように計測するのか、予想物価上昇率が実際の企業の価格・賃金設定行動や家計の消費行動にどのように影響するのか、さらに、予想物価上昇率のアンカーの頑健さをどのように評価するのか、といった点は政策運営上の大きな関心事項です。この分野の研究が、今後さらに進展していくことを期待します。

第3の論点は、先進国の間における金融政策の方向性の相違がもたらす国際的な波及への対応です。新興国の金融当局においては、主要中央銀行の政策措置や将来の政策の方向性に関する情報発信がもたらす為替レートや国際資本フロー等への影響が、より意識されるようになりました。このような国際的波及効果に対して、特に、金融システム面に脆弱性を有する国においては、自国の金融政策、マクロプルーデンス政策、資本フロー管理政策をどのように組み合わせて対応するかが、非常に重要な論点となっています。

3.金融危機後の緩慢な景気回復を巡る政策上の論点

以上の3つが、当面の金融政策運営上の論点ですが、次に、少し長い目でみた政策上の論点を提示したいと思います。先般の金融危機後、各国では、非伝統的金融政策の実施にもかかわらず、景気回復が従来の回復パスよりも緩やかなものにとどまっています。過去1年ほどの間、学界や中央銀行サークルでは、この点について活発な議論が行われてきました。これは、1930年代後半にアルビン・ハンセンが唱えた「長期停滞論」に関するローレンス・サマーズの再考に端を発しています。そして、金融危機後の緩慢な景気回復について、需要サイドの恒常的な弱さに起因する見方や、供給サイドの生産性の低さに起因する見方などが提示されています。

このように、長期停滞論を巡っては様々な解釈や見解が存在しますが、こうした金融危機後の緩慢な景気回復を巡る議論を踏まえて、政策上の論点を3点提示したいと思います。

第1の論点は、金融政策運営において供給サイドへの影響をどの程度考慮するべきなのか、ということです。先般の金融危機後における緩慢な景気回復の背景の一つとして、需要の低迷が、設備・研究開発投資の減少や労働意欲の喪失等を通じて供給サイドを毀損し、さらに成長期待の低下が需要不足を引き起こしうる、といった需要と供給の相互連関の重要性が指摘されています。一方、金融政策運営の伝統的な考え方によると、潜在成長率や自然失業率といった供給サイドは、金融政策運営において所与のものとして扱われます。前述の緩慢な景気回復のメカニズムは、こうした伝統的な考え方にどのような影響を及ぼしうるのでしょうか。

第2の論点は、低い自然利子率のもとでの望ましい金融政策手段は何か、ということです。仮に、長期停滞論が示唆するように、自然利子率が、今後中長期にわたって過去と比べて相対的に低い水準にとどまるのであれば、その間、名目金利がゼロ近傍にとどまり、さらに、金利正常化後もゼロあるいは非常に低い水準に低下しやすくなる可能性があります。その場合、「出口の先」においても、現在行っている非伝統的金融政策の役割が重要となり、ひいては、非伝統的金融政策はいわゆる「ニューノーマル」のもとでの伝統的金融政策として位置づけられるようになるのでしょうか。

第3の論点は、望ましいポリシー・ミックスとは何か、ということです。低い自然利子率のもとで経済が中長期にわたって停滞する場合、望ましい政策対応として、金融政策、財政政策、構造改革をどのように組み合わせるべきなのでしょうか。また、そうした最善のポリシー・ミックスを制約しうる要因―例えば、累増する政府債務残高や共通通貨圏のもとでの制約―がある場合には、次善のポリシー・ミックスとして、どのような政策間の代替が考えられるのでしょうか。

4.結び

先進国の間で金融政策の方向性の違いが明確になる中で、世界中で中央銀行の一挙手一投足への注目度が一段と高まっています。先ほど申し上げた論点は、いずれも頭を悩ませるものばかりで、すぐに確固たる答えが見つかるものではありません。しかし、これから1日半のコンファランスにおいて、我々は直面する課題に正面から取り組み、活発な議論を通じて前進していける、と私は強く確信しています。皆様が、子供のころから親しんできたピーターパンの物語に、「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう(The moment you doubt whether you can fly, you cease forever to be able to do it)」という言葉があります。大切なことは、前向きな姿勢と確信です。実際、これまで中央銀行は、様々な課題に直面する度に、新たな知恵を出して、その課題を克服してきました。我々の経験と知見に裏打ちされた課題克服への確信を参加者の皆様と共有し、これから始まる議論への心の準備ができたところで、私の挨拶を締めくくりたいと思います。

ご清聴に感謝いたします。