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【挨拶】ビッグデータと経済・金融・中央銀行第4回FinTechフォーラムにおける挨拶

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日本銀行副総裁 中曽 宏
2017年11月1日

はじめに ―データと「パワー」―

日本銀行の中曽でございます。本日は、第4回フィンテックフォーラムにお集まり頂き、誠にありがとうございます。

本日のテーマは「FinTechにおけるビッグデータの利用」ですが、データの重要性は決して現在に始まった話ではありません。歴史を紐解いても、古代日本の律令国家や、太閤検地などの例も示す通り、古今東西、国や支配者がまず行ったことは、地勢や人口、担税力などを把握するためのデータ整備でした。また、こうした整備されたデータをいかに活用するかに、人々は心血を注いできました。質の高いデータを収集し、それを効率的に活用することは、政治的・経済的パワーの源泉となるからです。

こうした中、現代に目を転じると、インターネットやスマートフォン、SNSなどの急速な発達に伴い、社会に発信されるデータの量は飛躍的に増加しています。それに加えて、人工知能 ―AI― などの新しい技術により、大量のデータを迅速に処理することも可能になっています。このようなデータの「量」および「処理能力」の両面にわたる飛躍的な変化を背景に、ビッグデータは今、経済や社会に大きな影響を与え得るものとして、大いに注目を集めています。

データの活用に関して、時代の変化を端的に物語る一例を挙げてみたいと思います。歴史上、正確な地図を作成しようとする試みは数多く行われ、そうして作成された地図データを利用することで、人々は大きな便益を得てきました。現代に生きる我々も、例えば“Google Map”といった地図データを利用することによって便益を得ています。ただ、以前と違うのは、それにとどまらず、我々が地図データを利用した時に発生する「利用履歴」という大量の情報が新たにデータ化され、そのビッグデータが価値を持つに至っていることです。現代の社会では、データは「資源」であり、こうしたビッグデータを収集し、それを効率的に活用できる者がパワーを有することになります。これは、豊富な埋蔵原油を有する国が精製能力や販売ルートをも確保してこそ経済的パワーを増強できたことに似ているように思います。

1.経済・金融の発展とデータ

データ利用の歴史

経済の発展も、データ利用の進化と一体となって進んできたといえます。経済の歴史を振り返った時に、エポック・メーキングな出来事の一つが通貨の誕生です。

物々交換の時代には、モノの価値は、個別のモノ同士の比較でしか測ることができませんでした。ところが、通貨が誕生して、通貨という共通の価値尺度を用いることができるようになったことで、モノの価値が「価格」という形でデータ化されることになりました。また、こうしたデータ化により、価格メカニズムが働くこととなり、モノの需給も調整されるようになりました。

さらに、物々交換の時代には、お互いに持っているモノと欲しいモノとが一致しないと基本的に取引は成立しませんでした。ところが、通貨はそれ自体がデータ化された価値を表象しているため、通貨を介することでお互いに持っているモノと欲しいモノとが一致していなくても交換が成立することになり、圧倒的に取引が容易になりました。また、データ化された価値としての通貨を蓄えることにより、価値の保蔵が容易になり、「今日魚を売って通貨に替え、それで明日果物を買う」といった、いわば時間を超えた交換・取引ができるようになりました。

現代社会におけるデータ利用

このように、経済活動の発展とデータ利用との間には昔から大変深い関係がありますが、現代社会においては、あらゆる経済活動は、データの収集・処理と密接不可分の関係にあると言っても過言ではないと思います。例えば、企業の需要予測や生産計画、在庫管理などは、全て数多くのデータの収集・処理から成り立っています。

中でも金融は、データの重要性が特に高い分野であると言うことができます。我々は日常的にクレジットカードやデビットカード、あるいは預金口座を用いて支払決済を行っていますが、その際に実行される決済のオペレーションはデータ処理そのものです。また、銀行は、さまざまなデータを収集し、分析することによって、融資先や貸出利率、投資する金融商品などを決定し、金融仲介機能を果たしています。保険会社は、データの収集・分析を通じて、保険料や保険金の額を決定し、経済主体間での効率的なリスクの再分配と将来の不確実性への対応を可能にしています。これらが、近代以降の経済成長を後押しする大きな力となったことは、申し上げるまでもありません。

2.情報技術革新とビッグデータの可能性

ビッグデータの出現

情報やデータは、有形資産と異なり、いくら使っても減ることはありません。また、多く集積されるほど、その限界的な効用がむしろ高まることがあり得るという、興味深い特徴も持っています。もっとも、これまでは、大量のデータを収集し、保管し、処理すること自体が、さまざまな技術的な制約により困難だった面がありました。しかし、現在では、情報技術革新を背景に、これまでとは比較にならないくらい大きな変化が起こりつつあります。

まず、データの「量」の面ですが、前述のように、インターネットやスマートフォンなどが世界中で爆発的に普及していることを背景に、経済社会に流通するデータの量自体、飛躍的に増加しています。まさに「ビッグデータ」の出現です。

また、情報技術革新の下で、データを収集する方法も高度化かつ多様化しています。例えば、顧客に関するデータを収集しようとする場合、以前はアンケート調査に代表されるように、顧客に直接尋ねる方法が主流でした。しかしながら現在では、例えば、一般の人々が主体的にSNSなどを通じてオープンなネット空間にデータを発信したり、顧客側が自らネット検索やeコマースの利用を通じてデータを入力したりするため、企業は必ずしも個人や顧客に直接に接することなく、データを入手することが可能になっています。

さらに、顧客が必ずしも主体的にデータを発信・入力しなくても、企業の側から、電子的決済手段を通じて支払決済に伴うデータなどを収集したり、「ポイントカード割引」等の顧客メリットを提供することで顧客情報を収集したりすることもできます。

一方、データの「処理」の面でも大きな変化が生じつつあり、このようにさまざまな手段を通じて収集された大量のデータを、AIなどを通じて高速で処理することが可能になってきています。さらに、これまで分析が困難だった画像データや音声データについても、これらを大規模に取り込んだり、いわゆる「ディープ・ラーニング」を通じて、AIが自ら学習し進化することなども、広く行われるようになってきています。

ビッグデータが経済にもたらす可能性

このようなデータの「量」および「処理能力」の両面にわたる飛躍的な変化は、経済活動や金融サービス全般に、大きな影響を及ぼしつつあります。

現在、時価総額で世界のトップに名を連ねるGoogleAmazonなどの企業はいずれも、世界を網羅するプラットフォームに基づくビッグデータの収集や活用を、付加価値の源泉としています。すなわち、ビッグデータはあたかも、店舗などの伝統的な固定資産に代わる、 ―収益の源となるという意味での― 「資産」になりつつあるように思えます。この点、GoogleAmazonが、伝統的な意味での「店舗」を持っていないことは示唆的です。

また、シェアリングエコノミーなどの新たなビジネスも、ビッグデータの活用を通じて経済の隅々にあるさまざまな遊休資源とニーズとを結び付けることで、可能になったものといえます。

もちろん、グローバルな巨大企業や新産業に限らず、広範な企業にとっても、ビッグデータやこれに基づくAIの活用は、需要動向の的確な把握や事務の効率化、サービスの高付加価値化など、さまざまな形での生産性向上に繋がり得るものといえます。

加えて、多くの人口を抱える新興国や途上国において、スマートフォンの急速な普及などを背景に急成長したeコマース企業などが、大量の顧客データを蓄積するケースも目立っており、このようなデータの活用が、これらの国々におけるさまざまな経済活動の拡大に繋がっている事例もみられます。

ビッグデータが金融にもたらす可能性

ビッグデータは、金融の分野でも、次に述べるようないくつかの新しい可能性を切り拓いていくことが期待されています。

一つ目は、金融サービス自体が一層高度化していく可能性です。顧客の取引データなどをニーズの把握やリスク分析に活用することにより、それぞれの顧客に合わせてカスタマイズした金融サービスを提供したり、サービスの内容を環境変化に合わせて調整していくことなどが、より行いやすくなることが期待されます。

実際にも、例えば保険の分野では、従来は保険の本質的問題と捉えられてきた「逆選択」や「モラルハザード」といった課題に対して、顧客の運転の仕方や健康管理など広範なデータを収集し、これに「スマートコントラクト」などの新しい技術を組み合わせながら、きめ細かく保険料を調整することによって対応しようといった取り組みが行われています。

また、生体認証などの新しい認証技術の精度を、ビッグデータ分析によって一段と向上させることによって、顧客が従来よりもセキュアな形で安心して新たなサービスを利用できるようになることなども、今後期待されるところです。

二つ目は、ビッグデータを通じて、金融と広範な産業との間で新たなネットワークが形成されていく可能性です。例えば、eコマースやシェアリングエコノミーなどのビジネスにとって、安全かつ効率的な支払決済手段は非常に重要です。一方、eコマースの利用などから得られるデータは、金融や保険などのビジネスを展開していく上で大変有益なものとなり得ます。両者の間にはこうした関係性があることから、例えば財やサービスの購入と、これに関連する決済や与信、損害保険の提供とを組み合わせるなど、金融とさまざまな産業との間で新たなネットワークが構築されていくことが期待されます。

三つ目が、ビッグデータを活用して、金融機関がリスク管理の精緻化や、より効率的なリスクの再分配などに取り組むことにより、金融の安定性が向上する可能性です。ただ、一方では、従来型の金融機関とは異なる企業が金融サービス分野に参入してくることが想定されるため、このことが金融構造や、金融安定などにいかなる影響を及ぼしていくのか等について、中央銀行としてもしっかりフォローしていく必要があると思っています。

ビッグデータとデータ・セキュリティ

こうした中、ビッグデータ活用の拡がりとともに、データの利用方法を巡る関係者の合意や、データ保護、サイバーセキュリティなどの重要性が一段と高まってきていることについても、留意が必要です。

とりわけ、金融においては「信頼」が重要な意味を持つため、これらの問題は、支払決済システムや金融システムの安定という観点からも、ますます肝要になってきていると考えられます。

近時、ビッグデータ活用の拡がりとともに、「誰が、何を、いつ、どこで買ったか」といった、匿名化されていないデータが、大量に収集されるようになっています。このことは、利用可能なデータが飛躍的に拡大している一方で、データ保護やプライバシーへの配慮が、一段と求められることを意味しています。

万が一にも、人々の間に、ビッグデータの管理や利用方法に関する不安が広まることがあれば、ビッグデータを経済厚生の向上や経済の発展に活かしていく取り組み自体が、大きく阻害されることになりかねません。このことを踏まえ、データを収集・利用する主体は、データ・セキュリティの確保に細心の注意を払うことが極めて重要です。

3.ビッグデータと中央銀行

ビッグデータの活用は、中央銀行の業務や政策にとっても大きなインプリケーションを持つものです。

中央銀行の業務や政策は全てにわたり、データの収集や処理と密接に連関しています。経済の基幹インフラである中央銀行のシステムを通じた日々の資金や証券の決済、国庫金の事務処理などは、いずれも大量のデータ処理によって成り立っています。

また、金融政策などのマクロ政策を遂行する上では、さまざまな経済データの収集や分析が迅速かつ効率的に行われ、総需要や一般物価の動向、政策当局のアクションが経済や市場に及ぼす影響などをタイムリーに把握できることが重要な前提となります。実際、日本銀行をはじめ多くの中央銀行は自ら、物価統計や企業サーベイ、金融統計など、数多くのデータの収集や集計も行っています。

このように、中央銀行自身が大量のデータを処理し、かつ、さまざまなデータを利用している主体であることから、中央銀行として、情報技術の進歩などによって新たに入手できるようになったデータをいかに活用していくか、また、データの収集や処理に関する新しい技術を自ら活かしていく余地がないか、常に検討を続けていく必要があると考えています。

4.おわりに

これまでみてきたように、ビッグデータの活用は、そのセキュリティなどに適切な配慮が行われることが大前提ではありますが、経済活動の活性化や金融サービスの向上などに寄与し、経済厚生の向上に大いに貢献し得るものであると考えています。

映画「マネーボール」では、徹底的なデータ分析が、従来の野球の戦術を画期的に変える、優れた戦術の発見に結び付いていく姿が描かれていました。また、バレーボールの世界でも、緻密なデータ分析を裏付けとして、近年では後衛からの攻撃も含めた全員攻撃が広く行われるようになっていますが、こうした攻撃の形は、かつて私が高校のコーチをしていた数十年前には想像できなかったものでした。このように、データの分析・活用は、これまでも、さまざまな所で力を発揮してきたところです。

こうしたデータの利活用が、データの「量」および「処理能力」の両面で飛躍的な変化を遂げつつある中、私は、ビッグデータの活用が、思いがけない発見や出来事との幸運な出会い、いわゆる「セレンディピティ」の機会を増やし、新たな地平を切り開くような創造に繋がっていく可能性にも、大いに期待しているところです。すなわち、ビッグデータの活用が、従来の「産業」や「商慣習」などが形成していた心理的な「壁」を超える、先入観などに囚われない新しい創造や付加価値の芽の発見に繋がっていく可能性は大いにあると思いますし、そうした事例も既にみられているように思っています。

言うまでもなく、このようなセレンディピティを生み出していく上では、幅広い関係者の前向きな対話が必要不可欠です。今回のフォーラムが、そうした新たな創造や発見に繋がる場となれば、私として、これにまさる喜びはありません。

本日のフォーラムが皆様にとって実り多い場となりますよう、心より祈念致しております。

ご清聴ありがとうございました。