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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2018年11月5日

1.はじめに

本日は、中部経済界を代表する皆様とお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より、私どもの名古屋支店の様々な業務運営にご協力頂いております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。

日本銀行は、先週開催された政策委員会・金融政策決定会合において、2020年度までの経済・物価見通しを「展望レポート」として取り纏め、公表いたしました。本日は、その内容をご紹介しながら、わが国の経済・物価に対する日本銀行の見方と最近の金融政策運営の考え方について、ご説明したいと思います。

2.経済情勢

初めに、経済情勢についてお話しします。わが国の景気は、企業・家計の両部門において所得から支出への前向きな循環メカニズムが持続するもとで、緩やかに拡大しています。実質GDPは、振れを伴いつつも、増加基調で推移し、資本や労働の稼働状況を表すマクロ的な需給ギャップも、2016年末以降、本年4~6月期まで、7四半期連続でプラス幅を拡大しています(図表1)。こうした中、2012年12月に始まった今回の景気回復局面は、この8月で連続69か月に達したとみられ、このまま回復が続けば、来年1月には戦後最長の73か月を超えることになります。

こうしたわが国経済の現状について、需要項目別に、やや詳しくご説明します。まず、外需について、その背後にある海外経済の動きを確認します。先日IMFが公表した最新の世界経済見通しによれば、2018年と2019年の実質GDPの前年比は、いずれも+3.7%と予想されています(図表2)。3か月前の前回見通しから0.2%ずつ下方修正されたほか、地域間の成長率のばらつきが幾分拡大し、一頃の「世界同時成長」という姿からは少し変わってきました。もっとも、先行き、3%台後半というリーマンショック後のピークに近い成長が続くとのメインシナリオは維持されており、全体としては、景気の前向きなサイクルは作動し続けています。地域別にみますと、米国経済は、減税効果などから力強い成長を続けているほか、欧州経済も、幾分減速しつつ回復を続けています。中国経済は、このところ固定資産投資の増勢が鈍化しているものの、総じて安定した成長を維持しています。先行きの中国経済は、米国による対中関税率引き上げの影響を相応に受けるとみられますが、政策当局が機動的に財政・金融政策を運営するもとで、概ね安定した成長経路を辿ると考えられます。その他の新興国も、全体として緩やかに回復しています。こうした海外情勢のもとで、わが国の輸出は、得意分野である資本財や情報関連を中心に、増加基調を維持しています。この点、日本有数の工作機械の生産・輸出拠点である当地企業の皆様からも、米欧を中心に、総じてしっかりとした引き合いが続いていると伺っています。

次に、内需についてご説明します。まず、企業部門では、収益が改善基調を辿り、業況感も、自然災害による振れを伴いつつも、良好な水準が維持されています。こうした中、設備投資は増加傾向を続けています(図表3)。製造業では、能力増強投資だけではなく、先行きの市場構造の変化などを見据えた研究開発投資の増加も目立っています。当地の自動車関連企業でも、自動運転や電動化といった次世代技術の開発を積極的に押し進めているとお聞きしました。非製造業でも、最近の人手不足に対応した効率化・省力化投資が、全国的に高い伸びを続けています。こうした企業部門の改善は、家計部門にも、好影響を及ぼしています。労働市場では、有効求人倍率がバブル期のピークを超えた高い水準で推移しているほか、失業率も、2%台半ばまで低下しています(図表4)。雇用者数は、前年比2%程度の伸びとなり、一人当たりの名目賃金も、緩やかながら着実に上昇しています。こうした雇用・所得環境の改善を背景に、個人消費は、振れを伴いながらも、緩やかに増加しています。

続いて、経済の先行きについてお話しします。日本銀行では、わが国の景気は、先行き、緩やかな拡大を続けるとみています。先週公表した「展望レポート」では、2018年度の実質GDPの成長率を+1.4%と予想していますが、これは、「0%台後半」とみられるわが国の潜在成長率をはっきりと上回る伸び率です。その先の2019年度と2020年度については、それぞれ+0.8%、+0.8%と予想しています(図表5)。設備投資の循環的な減速や消費税率引き上げの影響などから、成長ペースは鈍化するものの、外需にも支えられて、景気の拡大基調は継続すると見込んでいます。

以上がわが国経済に関する中心的な見通しですが、こうした見通しは、当然、上下に変動する可能性があります。特に、海外経済を巡る不確実性は、このところ増してきているように思います。その中でも、米中間の貿易摩擦を始め、最近の保護主義的な動きの帰趨については注意が必要であり、先月、インドネシアで開催されたG20会合でも、この問題について活発な意見交換が行われました。そこでも議論となりましたが、保護主義的な政策が世界経済に及ぼす影響は、貿易活動の下押しという直接的なインパクトに加え、企業の投資マインドや国際金融市場にどの程度波及するかという点にも大きく依存します。この点に関するいくつかの国際機関の試算をみても、前提の置き方次第で相応に幅があるようです。こうした中、日本銀行としては、最近の短観やヒアリング調査などを踏まえ、これまでのところ、この問題がわが国経済に及ぼす影響は限定的とみています。もっとも、企業からは、現時点で正確な影響を見積もることは難しいとの声が聞かれるほか、今後、この問題が長期化すれば、先ほど述べた様々な経路を通じて、わが国経済への影響が大きくなる可能性があることにも注意が必要です。改めて申し上げるまでもなく、保護主義的な政策は、誰にとってもメリットはありません。このため、行き過ぎた動きにはいずれブレーキがかかると考えており、実際、米国とカナダやメキシコ、欧州、日本との通商交渉については、最近、それぞれ前向きな進展がみられました。当面は、米中間の貿易交渉の行方が焦点となりますが、日本銀行としても、この問題の帰趨と、それがわが国経済に与える影響について、しっかりと点検していく方針です。

このほか、海外に起因するリスク要因としては、米国の利上げの動きなどが新興国からの資本流出に繋がる可能性、英国が「合意なきEU離脱」、いわゆるno deal Brexitに追い込まれる可能性、中東を始めとする各種地政学的リスクなどが指摘されています。また、こうした様々なリスクが意識される中、米国株価の大幅下落をきっかけに、先月中旬以降、各国の株式市場は振れの大きな展開が続いています(図表6)。わが国および米欧とも、経済の良好なファンダメンタルズに大きな変化はなく、為替や国債など、他の金融市場は比較的落ち着いていますが、海外経済の不確実性は増してきていますので、投資家のマインドや企業収益の動向を含め、今後の展開を注意深くみていく必要があると思っています。

3.物価情勢

続いて、物価情勢についてお話しします。わが国の消費者物価は、景気の拡大や労働需給の引き締まりに比べて、なお弱めの動きを続けており、生鮮食品やエネルギー価格を除いた消費者物価の前年比は、ゼロ%台半ばで推移しています(図表7)。

この背景には、主に2つの要因があると考えています(図表8)。第1に、長期にわたる低成長やデフレの経験が、人々のマインドに大きな影響を及ぼしているということです(図表9)。例えば、人件費や原材料費が上昇しているにもかかわらず、企業がこれを販売価格に上乗せしない大きな理由として、政府のアンケート調査では、販売先・消費者との関係維持や販売量の減少懸念が挙げられています。長らく続いたデフレの影響などから、人々の値上げに対する許容度が低下してしまっていることが背景にあるとみられます。こうした値上げに対する慎重な姿勢を緩和していくためには、家計の所得環境の改善が必要です。かつての低成長や金融危機の経験から、企業の側には、十分な資金を手元に残しておくニーズもあると思われますが、家計の所得が増えなければ、消費者の値上げに対する見方はなかなか改善せず、結果的に、企業の売上げや収益も伸びないこととなります。労働需給がタイト化する中、既にパートの賃金は高めの伸びを続けていますが、企業と家計のマインドを明確に転換し、価格を巡るこう着状態を解消していくためには、今後とも、賃金上昇率が、全体として高まっていくことが重要な鍵を握っていると考えています。

物価上昇に時間を要している2つ目の背景は、企業における生産性向上に向けた取り組みや、それを促進する近年の技術進歩、女性や高齢者の労働参加の高まりなど、モノやサービスを供給する側のビジネス環境の変化です。こうした要因は、景気が拡大してコストが上昇する中にあっても、企業が値上げに踏み切らずに済むことを可能にしています。誤解のないように申し上げますが、これらの取り組みは、経済全体の成長力強化に繋がるものであり、わが国にとって好ましい動きです。物価の面でも、将来の成長期待の高まりは、企業や家計の支出行動の積極化に繋がり、長い目でみれば、物価の押し上げに寄与すると考えられます。ただし、少なくとも短期的には、賃金や物価の上昇圧力を弱める方向に作用することになります。

ここまで、物価が上がりにくい理由を説明してきました。実際、わが国の物価は、景気の拡大に比べて弱めの動きを続けています。しかしながら、その一方で、既にわが国は、「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています。生鮮食品を除いた消費者物価の前年比は、振れを伴いつつもプラス幅の拡大を続けており、2%にはなお距離があるとはいえ、足もとでは、その半分の前年比+1%程度まで上昇してきています(図表10)。

こうした物価上昇の原動力となっているのが、マクロ的な需給ギャップの改善です。冒頭申し上げたように、わが国の需給ギャップは、7四半期連続でプラス幅を拡大しています。経済学の教科書にあるとおり、需要が供給を上回れば、モノやサービスの値段は上昇します。また、経済活動が活発化すれば、労働需給はタイト化し、賃金上昇率はより明確に高まっていくと考えられます。そうなれば、家計の値上げ許容度は改善し、それに連れて、企業の価格設定スタンスも次第に積極化していくと期待されます。実際、短観の販売価格判断DIの動きをみると、最近になって、販売価格が「上昇している」と答えた企業の割合が「下落している」と答えた企業の割合を上回る状態が定着してきました。これは、バブル期以来、約30年振りの出来事です。このように、需給ギャップのプラス効果によって、企業や家計の慎重なマインドが転換し、実際の価格引き上げの動きが拡がっていけば、消費者物価の前年比は、予想物価上昇率の高まりとともに、目標の2%に向けて徐々に上昇率を高めていくと考えられます。これを「展望レポート」における具体的な数字で申し上げますと、2018年度の消費者物価の上昇率は前年比+0.9%、2019年度と2020年度は、消費税率引き上げの影響を除いて、それぞれ+1.4%、+1.5%と予想しています(図表11)。景気と同様、先行きの物価上昇ペースについても様々な不確実性がありますが、物価上昇の原動力であるプラスの需給ギャップをできるだけ長く持続し、実際の物価と予想物価上昇率をしっかりと押し上げていくことが、2%の実現に向けた最も確実なルートであると考えています。

4.日本銀行の金融政策運営

ここまで、わが国の経済・物価情勢についてご説明してきました。ここからは、私どもの金融政策運営についてお話しします。

現在、日本銀行は、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という枠組みのもとで、強力な金融緩和を推進しています。このうち、「長短金利操作」という点については、2%の「物価安定の目標」の実現のために最も適切と考えられるイールドカーブの形成を促すよう、短期政策金利を「-0.1%」、10年物国債金利の操作目標を「ゼロ%程度」とする金融市場調節方針を掲げ、市場において国債の大規模な買入れを実施しています(図表12)。先ほど申し上げたように、2%の目標を実現するために重要なことは、物価上昇の原動力であるプラスの需給ギャップをできるだけ長く持続させることであり、そのためには、現在の強力な金融緩和を粘り強く続けていくことが必要です。こうした認識のもと、7月の金融政策決定会合では、次のとおり、政策の持続性を強化するための措置を決定しました(図表13)。

第1に、政策金利に関する「フォワードガイダンス」を導入しました。これは、将来の政策金利水準について、あらかじめ約束し、強力な金融緩和の継続スタンスを明確にするための手法です。具体的には、「2019年10月に予定されている消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持する」ことを、対外的にコミットしました。

第2に、今後とも強力な金融緩和を継続していくための工夫として、金融市場調節や資産の買入れをより弾力的に運営することを決定しました。例えば、長期金利については、「ゼロ%程度」という操作目標を維持したうえで、実際の金利は、経済・物価情勢等に応じて上下にある程度変動しうることとしました。日本銀行による大規模な国債買入れが続く中、市場では、その副作用として、国債利回りの硬直化や市場取引の減少が指摘されていましたが、今回の対応によって、金利形成の柔軟性が高まり、市場の機能度が向上していけば、結果的に、現在の政策の持続性強化に繋がると考えています。

こうした政策決定から約3か月が経過し、その効果は既に表れています。この間に実施されたエコノミスト等へのアンケート調査によれば、「日本銀行が、近い将来、政策金利を引き上げる」との見方は大きく減少しています。このことからも、フォワードガイダンスの導入を通じて、私どもの考え方は市場に明確に伝わっていると考えています(図表14)。また、7月の政策決定以降、国債市場では、現物、先物ともに取引が幾分活発化し、日々の値動きもある程度増してきています。本年前半には、株価や米国の長期金利が変動しても日本の国債金利がほとんど反応しないといった状況がみられましたが、そうした市場間の連動性も回復してきています。このように、国債買入れを弾力的に運営するもとで、市場の機能度は、一頃よりも改善してきています(図表15)。

強力な金融緩和がもたらす影響という点では、金融機関の収益や金融仲介機能との関係も、しばしば議論の対象となります。日本銀行としても、金融緩和の継続が、貸出利鞘の縮小などによる収益力低下を通じて、金融機関の経営体力に累積的な影響を及ぼし、金融システムの安定性や金融仲介機能に影響を与える可能性があることは十分に認識しています。すなわち、低金利環境や厳しい競争環境が続く中、金融機関が、収益確保のためにリスクテイクを一段と積極化すれば、将来、万一大きな負のショックが発生した場合、金融システムが不安定化する可能性があります。また、低金利環境が続くもとで、金融機関収益の下押しが長期化すると、貸出姿勢が消極化するなど、金融仲介が停滞方向に向かうリスクもあります。これらの点は、私どもが年2回公表している「金融システムレポート」において詳しく分析しています。現時点では、金融機関が充実した資本基盤を備えていることなどから、こうしたリスクは大きくないと判断していますが、日本銀行としては、今後とも、考査やモニタリングなどを通じて、最新の状況把握に努めるとともに、必要に応じ、金融機関に具体的な対応を促していく方針です。また、先日の「展望レポート」でも触れていますが、金融政策運営の観点からも、こうしたリスクや副作用の先行きの動向については、注視していく必要があると考えています。

この5年間、わが国の経済ははっきりと改善しました。企業収益は過去最高となり、雇用環境も大きく好転しています。物価の面でも、デフレに苦しんでいた5年前に比べれば、着実に改善しています。かつてのように、デフレ克服のため、大規模な政策を思い切って実施することが最適な政策運営と判断された経済・物価情勢ではなくなっています。しかしながら、「物価安定の目標」である2%の実現にはなお時間がかかっている状況でもあります。このように、やや複雑な経済・物価の展開のもとでは、金融政策もまた、政策の効果と副作用の両方をバランスよく考慮しながら、強力な金融緩和を粘り強く続けていくことが必要になってきています。日本銀行としては、今後とも、金融政策運営の観点から重視すべきリスクの点検を行うとともに、経済・物価・金融情勢を踏まえつつ、適切な政策運営に努めていく方針です。

5.おわりに

最後に、当地経済について一言触れて、私の話を終わりたいと思います。今回の景気回復局面において、東海地区の経済は、常に全国の先頭を走ってきました。当地製造業の生産は、リーマンショック直前の水準を超えるまでに回復し、非製造業でも、金融面のサポートのもとで、鉄道や空港向けのインフラ関連投資や大型小売店の新規出店など、投資拡大の動きが拡がっています。先行きも、「100年に一度の大変革」に挑む次世代自動車や、2027年に開業するリニア新幹線など、10年、20年先を見越した大規模なプロジェクトが続いています。

経営者の皆様に今さら申し上げるのも憚られますが、今後とも、こうした着実な成長を続けていくためには、様々なリスクに目を配り、先回りして対応していくことが不可欠です。この点、当地の多くの企業は、リーマンショック以降、世界レベルで生産拠点の最適化を促進してきました。こうした長期的な取り組みは、今や大きなリスクとなりつつある保護主義的な動きへの対抗策としても、有効に機能していくと思います。また、本年は、台風や地震など、自然災害が多発した年でした。当地でも、サプライチェーンの一部に被害が生じましたが、その影響は比較的短期間で収束しています。これについては、東日本大震災の経験を踏まえ、ここ数年、いわゆる「サプライチェーンの見える化」に地道に取り組んできた成果であると伺いました。

以上のようなリスクと同列に扱うことは適切でないかもしれませんが、この先、プラスの需給ギャップが持続し、労働需給のタイト化が続いていけば、いずれ、人材の不足が、企業活動に対する大きな制約になる可能性があります。そうした状況をうまく乗り越え、企業が成長し続けていくためには、賃金面を含め、いかに優秀な人材を確保していくかということも、これまで以上に重要な課題となってくると思われます。デフレのもとでは、他に先んじて動くことはリスクであったかもしれませんが、既に状況は変わっています。当地の経営者の皆さまには、デフレを前提とした考え方や慣行を捨て去り、今後とも、日本経済の牽引役として、他に先んじたチャレンジを続けて頂くことを期待しています。日本銀行としても、強力な金融緩和を粘り強く続け、そうしたチャレンジを最大限サポートしていくことをお約束して、本日のご挨拶とさせて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。