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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策福井県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 櫻井 眞
2020年10月21日

1.はじめに

日本銀行の櫻井でございます。本日は、福井県の各界を代表する皆さまとのオンライン形式での懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。本来であれば、実際に福井に足を運び対面で懇談をさせていただくべきところ、足もとの感染症の状況を踏まえ、止む無くオンライン形式での開催とすることと致しました。しかしながら、オンライン形式とはいえ、こうして皆様と直接意見交換をさせていただく機会は、日本銀行はもとより、私にとりましても大変貴重なものでございます。また、皆様には、日頃より日本銀行福井事務所ならびに金沢支店の様々な業務運営に多大なご協力を頂いております。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

本日は、まず、私から、国内外の経済動向や日本銀行の政策運営等について、私なりの見方も交えながらお話しさせて頂きます。その後、皆さまから、当地経済に関するお話や、私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。

2.内外経済の現状と先行き

海外経済の現状

新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大により、グローバルな経済活動が大幅に収縮しておりますので、まず海外経済の動向からお話しします。世界経済は、2019年まで約3%台の成長を維持してきましたが、2020年入り後、感染症の拡大に直面しました。その影響は、短期間で中国からアジア、欧州、米国、日本、そしてほぼ全世界へと急速に拡大しました。過去40年以上に亘る経済のグローバル化の進展により、国を跨ぐ人の移動が大幅に拡大していたこともあり、今回の感染症の拡大ペースは、過去と比べて急速で、経済への影響も深刻なものとなりました。一時的な都市封鎖をはじめ、経済活動を制限する措置が地域ごとに強弱を伴いつつなお続いている結果、世界経済と世界貿易はともに依然として低水準にあります(図表1)。10月のIMFによる世界経済見通しでは、2020年の世界経済の成長率を-4.4%と予測しています。地域別にみると、先進国におけるマイナス幅が大きく、新興国ではマイナス幅が相対的に小さくなっていますが、これは、感染拡大が最も早かった中国が、既に感染収束へと移行しつつあることが背景にあるためです。もっとも、先進国における感染者数の再拡大や、新興国における感染拡大が更に進んでいる現状を考えると、先行きの感染拡大・収束の見通しについては不確実性が極めて高く、世界経済が一段と下振れる可能性を警戒する必要があります。

海外経済の先行き

現時点では、各国は経済活動の制限に伴う生産の低下、失業率の上昇、企業倒産の増加などの問題に直面していますが、経済活動は全体として底打ちからやや持ち直しの局面へと進みつつあります。中国を除く新興国では感染拡大が続く国も多く、経済活動の本格的な再開が遅れる可能性はありますが、各国で感染拡大防止と社会経済活動の両立を図る下で、今後も、世界経済は全体として緩やかながら改善を続けると思われます。

もっとも、こうした見通しには強い不透明感がある点には充分留意しなければなりません。今後の世界経済の回復ペースを占う上で重要なポイントは、各国の政策当局が、企業倒産や失業の増大を防ぎ、供給力の棄損をどの程度まで回避できるか、という点です。供給力を維持できれば、これまで世界経済の成長を支えてきたグローバルサプライチェーンも大きく棄損することなく維持することができます。一方で、国ごとの感染症の収束時期や経済回復ペースの違いの明確化、貿易問題をはじめとする米中対立の深刻化、地政学リスクの顕在化などを契機に、グローバルなサプライチェーンの再編をはじめとする新たな構造変化が生じる可能性も考えられます。今後の世界経済の回復ペースを見通すにあたっては、こうした先行きの構造変化の方向性を的確に見極めることが重要です。

国内経済の現状

次に国内経済についてお話します。わが国経済は、感染拡大の本格化による経済活動の収縮に伴い、2020年第2四半期の実質GDPは前期比で-7.9%という大幅な落ち込みとなりました(図表2)。一部のイノベーション関連の設備投資を除き、輸出、個人消費、設備投資など、ほぼ全ての需要項目が悪化し、生産も大幅に減少、企業業績も大幅に悪化しました(図表3、4)。3月以降、わが国でも大規模な経済対策が迅速に決定、実施されました。政府による大規模な経済対策および日本銀行による金融緩和措置の導入も背景に、不安定化していた金融・為替市場も落ち着きを取り戻し、高い不確実性を抱えつつもひと頃よりは緊張が緩和されています。これら一連の政策対応により、企業倒産や失業はある程度抑制されています。感染症に関連する倒産が増えてきているとはいえ、直近9月の全体での倒産件数は、2012年12月と比較するとなお3割以上も低い水準となっています(図表5)。また、完全失業率をみても、2020年は2月の2.4%から8月は3.0%へと上昇していますが、2012年12月の4.3%に比べればかなり低水準に維持されています。

足もとの経済指標をみると、2020年第2四半期には経済活動が底を打ち、現在は既に持ち直しつつあることは確認できますが、引き続き厳しい状況にあることには変わりありません。今後、当面は感染拡大の抑制と経済活動拡大の両立を模索することとなりますが、経済活動の回復までにはある程度の時間を要することを考慮すると、企業に対する資金繰りを確保し、企業倒産および失業を防ぐための取組みを粘り強く続ける必要があります。

国内経済の先行き

感染症の収束時期が明確に判断できない状況の下で、国内経済の先行きを見通すことは容易ではありませんが、経済が既に底を打っていることを踏まえると、今後、経済が徐々に回復過程に入るとのシナリオは一定の蓋然性を有していると考えます。7月の展望レポートで示された政策委員の大勢見通しは、本年後半から徐々に経済が回復に向かうとの前提のもとで、2020年度に-5.7%~-4.5%と大幅なマイナス成長となった後、2021年度には潜在成長率をかなり上回る+3.0%~+4.0%と高めの成長となり、2022年度も、経済はほぼ正常化し、所得から支出への好循環が戻ることを前提に、+1.3%~+1.6%程度としっかりとした成長を見込んでいます(図表6)。

そのうえで、今後の回復ペースを見通すにあたっては、これまで企業が積極的に取り組んできたイノベーション関連や省力化関連の設備投資動向が注目点です。ヒアリング情報などを踏まえると、5G関連をはじめとするイノベーション関連投資は、しっかりとした設備投資計画を維持しており、今後の輸出拡大も見込めることから、今後の経済回復のけん引役としての役割が期待できます。また、ここ数年拡大してきた省力化投資についても、人口動態を踏まえれば中長期的には人手不足が続くと考えられることから、回復過程において再び増加トレンドに転じるものと思われます。さらに、感染症拡大による経済活動の制約を受けて、在宅勤務やITの積極的な活用などが着実に進んでおり、これが新たな設備投資を促していることも注目点です。感染症拡大を契機に進み始めたこれらの構造変化が本格化すれば、新たなビジネスモデルの創出に繋がる可能性があります。今後、わが国経済が順調に回復し、コロナ前にみられた「所得から支出への好循環」を取り戻すことができれば、こうした新たな構造変化を促す設備投資の持続的な拡大も期待できます。

なお、「所得から支出への好循環」を取り戻すに当たって重要な点は、「予想」物価上昇率をある程度のプラスに維持するよう、金融政策面から下支えすることです。仮に民間部門が将来の物価がマイナスになると予想すると、消費や投資が先送りされる可能性が高まり、所得から支出への前向きな循環が働かなくなってしまいます。その意味で、「物価安定の目標」を掲げた上で、それを安定的に達成するまでマネタリーベースの拡大方針を継続する、 すなわち緩和的な金融環境を維持し続けることを約束している現行の金融政策方針は、重要な役割を果たしていると思います。

3.物価の現状と先行き

足もとの物価動向とその背景

次に、わが国の物価動向をみていきます。足もとの物価は、経済活動の制限に起因する総需要の急激な低下に加え、世界的なエネルギー需要の低下に伴う需給緩和見通しからエネルギー価格が大幅に低下したこともあって、下押し圧力がかなり強くなっています(図表7)。需給ギャップも足もとマイナスに転じており、物価上昇へ向けたモメンタムは失われた状況です。一方で、物価の大幅な下落が持続するような状況にはなっていません。今回のように、いわば不可避的な経済活動の制限に起因する需要の落ち込みに際して、企業は「販売価格を引き下げても需要の拡大が見込めず、費用をカバーできなくなる」と考えるため、物価下落圧力の加速が抑制されていることが考えられます。もちろん、マイナスの需給ギャップのもとでは物価上昇圧力も無いことから、当面物価は弱めの動きを続けると予想されます。

物価の先行き

先行き、物価上昇率がプラスに転じるためには、経済の回復が着実に進展し、需給ギャップがプラスに戻ることが必要です。もっとも、早期に物価上昇率がプラスの状態に戻れたとしても、当分の間は物価上昇率が一段と加速することは難しいかもしれません。改めて今回の感染症の拡大以前の状況を振り返ると、完全雇用に近い低い失業率のもとで、プラスの需給ギャップも持続していたにも関わらず、物価上昇率は加速しませんでした。こうした動きはわが国固有のものではなく、強弱の違いはあるものの、主要先進国では概ね共通して物価上昇率が鈍化してきています(図表8)。この「なぜ物価上昇率が加速しなくなってきたのか」という点は、改めて真摯に検討すべき課題だと思います。

わが国で物価上昇率が鈍い理由としては、過去のデフレの経験から消費者に根深いデフレマインドが定着し、賃金上昇圧力を十分に販売価格に転嫁できないことがよく指摘されます。加えて、コロナ前までの数年間でみられ始めた経済構造の変化が物価変動メカニズムを複雑化させている側面も考えられます。具体的には、(1)グローバルなサプライチェーンの確立による財価格の世界的な低位安定化、(2)グローバル化への対応の結果としての国内経済のサービス産業化、(3)こうした結果としてのサービス業の賃金に対する物価の感応度の高まり、(4)人手不足に対応した企業の省力化投資の増加と労働生産性の向上、(5)賃金上昇圧力を生産性向上で吸収し、販売価格に転嫁しない企業行動、など、様々な変化が考えられます。これらの構造変化は、わが国固有のものではなく、概ね主要先進国に共通した現象であり、雇用機会を拡大させてきた一方で、賃金と物価の上昇を総じて抑制する方向に作用したと思われます。感染症収束後には、再びこれらの構造変化が進展する可能性を考えると、物価上昇率がプラスの状態に戻っても、直ちに物価上昇が加速する状況へと進めるかどうかは、現時点では明確な判断はし難いところです。もっとも、先ほど述べた通り、このように実際の物価上昇が鈍くても、「予想」物価上昇率をある程度のプラスに維持しておくことが、民間部門の前向きな支出行動を確保する観点から重要であることは言うまでもありません。

こうした構造変化による物価への影響については、今後、より詳細に分析する必要があると考えています。わが国の経済構造および物価変動メカニズムの変化については、後ほど改めて述べたいと思います。

4.金融政策

現行の金融緩和政策とその枠組み

次に、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。感染症拡大に伴う金融市場の不安定な動きや、経済活動の制限を受けた企業の売上減に起因する企業金融面の逼迫懸念を受けて、日本銀行では、3月以降、各種の金融緩和強化策を講じてきました。その内容は、次の「3つの柱」に整理できます(図表9)。

1点目は、企業等の資金繰り支援のために導入した、総枠約130兆円の「特別プログラム」です。このプログラムは、(1)約20兆円を上限とするCP・社債等買入れ枠と、(2)金融機関による企業向け貸出を促すための資金供給手段である、最大約110兆円規模になり得る「新型コロナ対応特別オペ」から構成されます。特別オペは、日本銀行が、民間金融機関の行う新型コロナ対応融資を有利な条件でバックファイナンスするもので、政府の経済対策の措置である民間金融機関を通じた中小企業等への実質無利子・無担保融資との連携も含まれています。

2点目は、金融市場の安定確保です。そのために、円貨および外貨をこれまで以上に潤沢かつ弾力的に供給できる枠組みを採用しました。円貨については、債券市場の安定を維持し、イールドカーブ全体を低位で安定させる観点から、金額に上限を設けずに、必要な金額の国債を買入れることを明確にしました。外貨についても、主要6中央銀行の協調にもとづき、ドル資金を供給する枠組みとなっています。

3点目は、資産市場におけるリスク・プレミアムの抑制です。資産市場の不安定な動きが、企業や家計のコンフィデンス悪化に繋がることを防止し、前向きな経済活動をサポートすることを目的として、ETFおよびJ-REITの積極的な買入れを行っています。

以上の強力な金融緩和措置は効果を発揮しています。3月から4月へかけて高い不安定性を示していた金融市場や為替市場は、依然として神経質な動きが続いているとはいえ、ひと頃よりは緊張が緩和しています。また企業の資金繰りについてもなお厳しさがみられますが、日本銀行・政府の各種措置と、そのもとでの金融機関の積極的な取り組みによって、企業の資金調達環境は緩和的な状態を取り戻しています(図表10)。

今後の金融政策

先行きについても、当面は引き続き「3つの柱」の枠組みのもとで、資金繰り支援と金融市場の安定維持に努めていく方針です。さらに、先行き感染症からの経済の回復が想定よりも遅れた場合、わが国経済や金融システムに悪影響を及ぼす可能性が懸念されることを踏まえると、今後も政府や主要各国中銀との協力体制を維持しつつ、必要に応じて迅速かつ適切に政策対応を行うことが重要と考えています。以下では、今後の政策対応についての私自身の考え方について、詳しくお話しします。

5.今後の経済回復・構造変化と金融政策の役割

わが国のマクロ経済政策が直面する最大かつ緊急の課題は、感染症の抑制と経済活動の再開・拡大の両立を模索しつつ、経済回復を着実に進めることです。以下では、感染症の拡大前までのわが国の経済構造の変化と、それに対する政策対応の経験を踏まえ、今後の経済回復過程における新たな課題について、金融政策の役割も含めて考えてみたいと思います。

わが国における経済構造の変化と金融政策――過去7年間の経験

わが国経済は、財政政策と金融緩和政策のポリシーミックスのもとで、2013~2019年にかけて緩やかなプラス成長を実現しました。これに伴い、わが国の経済構造も徐々に変化してきました1。すなわち、まずわが国のマクロ経済政策を受けて(1)金融市場が安定化し、わが国経済において(2)所得から支出への前向きな循環が確立し、グローバル化の進展も相まって(3)海外投資が拡大し、(4)物価変動メカニズムにも新たな変化が出始めた、と整理できます。

まず、(1)の金融市場の安定化については、2013年以降の大規模な金融政策と財政政策のポリシーミックスのもとで市場が概ね安定化し、特に2016年後半以降、短期的な変動は伴いつつも金融・為替市場は安定的な動きを続けています。これは、感染症の影響が残る現在でも変わりません。この背景には、主要各国がそれぞれ自国経済の安定化の観点から実施している金融緩和政策の方向性や規模感に大きな差がなくなってきており、主要国の金利差が縮小するなど、通貨間で大きな調整圧力が生じなくなっているほか、長期的な名目為替レート調整圧力に影響を与える、主要国間のインフレ率の格差が縮小していることなどが寄与していることが考えられます2(図表11)。

次に(2)の前向きな循環の確立です。わが国における粘り強い金融緩和政策の継続によって、雇用は持続的に改善し、完全雇用に近づきました。こうしたなか、政府の成長戦略も背景に、女性や高齢者の新たな労働市場への参加が増え、雇用者所得も堅調に増加し、個人消費も底堅く推移するようになってきました。さらに、企業が緩やかな成長期待を背景に、「人手不足が今後も続く」との見通しを強めたことで、ITやAI技術の発展も相まって、省力化投資を中心とする国内設備投資も持続的な拡大へと転じました。このように、わが国経済は、緩やかなプラス成長の持続を軸として、所得から支出への好循環が可能になったといえます。

(3)の海外投資については、過去20~30年間に亘って拡大し続けています。これは、わが国の国際収支構造の変化によく表れています。すなわち、2000年代以降、貿易収支はネットでほぼ均衡するようになった一方、経常収支は大幅な黒字を続けており、その大半を海外投資収益が占めるようになりました(図表12)。こうした趨勢は、感染拡大によって経済活動が大幅に縮小している現時点においても、変わらず維持されています。海外投資が活発化した背景には、国内投資対比で海外投資の期待収益率が高いことに加え、為替変動によって企業財務が悪化するリスクが小さくなったことも要因として挙げられます。海外投資の増加により、わが国では名目GNI(国民総所得)が名目GDP(国内総生産)を上回る状態が定着し、その差は名目GDPの3~4%にも達しています。わが国経済は、海外投資立国に近いとも評価できます。既にグローバルなサプライチェーンが確立するもとで、日本企業の多くは、各国経済の中期的な期待成長率や労働・資本コストの違い、技術流出防止の観点などを慎重に考慮しつつ、国内外の投資を一体で判断するようになってきています。

最後に(4)の物価変動メカニズムの変化です。グローバル化の進展によって、他の先進国経済と同様、わが国の国内経済のサービス産業化をもたらし、これが物価変動メカニズムにも影響を与えるようになりました。すなわち、製造業におけるグローバルなサプライチェーンの確立によって、主要先進国の財価格は共通して低位安定化するようになってきました。結果として、インフレ率は、相対的に労働集約的で、国内の労働需給ギャップによる影響を受けやすい、サービス価格の上昇率によって決定される要素が大きくなってきているように思われます。こうした中で、先ほど述べた通り人手不足のもとで省力化投資が進んだことで人件費の上昇圧力を労働生産性の向上でカバーすることが可能となり、結果として賃金上昇圧力を吸収してしまい、消費者物価の上昇を抑制するようになっている面は否定できません。

これら4つの構造変化を俯瞰すると、そのかなりの部分が、粘り強い金融緩和政策がマクロの金融環境を整えたことで、企業の前向きな投資行動を促したことから生じている、とも整理できます。金融政策はあくまで金融市場や金融機関を経由した間接的な効果をもたらすものであり、財政政策や成長戦略のように資源配分の変化を通じて直接的に経済構造を変化させる効果はありません。しかしながら、金融政策がこうした構造変化を間接的に支えたという経験は、感染症収束後の金融政策運営を考える上でも重要な示唆を持つと考えられます。

  1. グローバル化や、IT・AI技術の発展のもとでの経済構造の変化については、Baldwin, R. (2016) “The Great Convergence,” The Belknap Press of Harvard University Press.、Baldwin, R. (2019) “The Globotics Upheaval,” Oxford University Press.、Milanovic, B. (2019), “Capitalism, Alone,” The Belknap Press of Harvard University Press.を参照。
  2. 「わが国の経済・物価情勢と金融政策(兵庫県金融経済懇談会における挨拶要旨、2019年11月27日)」を参照。

感染症からの回復期の課題と今後の構造変化

これら一連の構造変化が生じてきていた中で、わが国を含むグローバル経済は感染症の拡大に直面しました。感染拡大当初の最優先課題は、急激な業績悪化に直面する企業に対する資金繰り支援や、資金のアベイラビリティを確保することを通じて、企業倒産や失業を可能な限り防ぐことでした。こうした認識を踏まえ、順次金融緩和強化措置を導入してきました。政府による諸措置や民間金融機関の取り組みとも相俟って、現在のところ企業倒産や失業は限定的なものに止まっています。

今後の金融政策の方向性を考えるうえで、「経済回復にどの程度の時間を要するか」、そして「回復にかかる期間が想定以上に長期化した場合のリスクや課題は何か」について考えておくことは重要です。仮に感染収束までの期間が想定よりも長くなると、売上が立たない企業の財務状況が時間の経過とともに深刻さを増し、いずれは債務返済が不能となり、企業倒産の増加、雇用の悪化が進み、わが国経済の供給力、すなわち潜在成長力が低下することが想定されます。また、企業の信用リスクの顕在化により不良債権が増加すれば、企業を支える金融機関の経営体力が毀損し、金融システム自体の機能低下に繋がるおそれも考えられます。金融システムのリスクが懸念される状況に陥ると、実体経済への下押し圧力が強まる可能性も否定できません。現時点では、金融機関は充分な自己資本を確保しており、金融システム不安の懸念が大きいわけではありませんが、実体経済、金融システム双方の状況を確りと点検しつつ、必要な対応を迅速に行えるよう準備しておくことが重要です。

金融システムの安定を維持しつつ、感染症収束後に経済が順調に回復すれば、わが国の中長期的な課題解決に向けた前向きな取り組みを本格化させることで、経済の頑健性を高めることが可能になってきます。その際、(1)「コロナ以前のグローバル化の趨勢は復活するか、あるいは何らかの構造変化がみられるのか」、そして(2)「わが国経済が、新たなグローバル経済に充分に対応するための構造変化を実現することは可能か」の2点を考えておくことが重要です。

まず(1)ですが、一部地域の生産停止によるサプライチェーン全体の機能不全を避ける観点から、サプライチェーンの複線化などを企図した立地の再編は確実に進むと思われます。また、米中間の貿易問題をはじめとする対立が深刻化すれば、立地の再編に向けた動きが強まる可能性も考えられます。一方で、コスト面を考慮すれば、グローバルなサプライチェーン自体が失われることは考えにくいと思われます。そうなると、感染症収束が進むとともに、再び以前のグローバル化の趨勢に回帰していくと考えられます。

加えて、感染拡大時の経験を踏まえて新たな経済構造の変化が生じる可能性も考えられます。例えば、わが国においても在宅勤務が恒常化する可能性が出るなど様々な分野でITの活用が進むことや、AIの導入が一層進むことなどが予想されます。先進国における経済のサービス業化の趨勢が今後も続くと考えられるほか、人口動態からも人手不足は続くと考えられ、ITやAIの積極的な取り込みにより、労働生産性を向上させることが、従来以上にわが国経済の重要課題になると考えます。

拡がる金融政策の役割と課題

最後に、感染症収束後に見込まれる経済構造の変化も踏まえて、今後の金融政策の課題について、考えたいと思います。

まず、当面の金融政策上の課題は、感染拡大の抑制と経済回復の両立を模索する状況にあるわが国経済を、金融面から支えることです。具体的には、現在の金融政策の枠組みのもとで大規模な金融緩和を続け、金融市場の安定性を維持しつつ、企業の資金繰りを支え、企業倒産や失業を抑えることが優先課題です。その際、機動的なマクロ経済政策対応や、市場の安定性確保の観点から、政府、そして主要中央銀行との協力体制を堅持することが必要です。

次に、金融政策を実施していくうえで、中長期的な課題のひとつは、金融システムの安定性を確保することです。経済回復に想定以上の時間を要する場合、企業倒産の増加によって、金融機関の経営体力が毀損し、金融システム上のリスクに繋がる可能性も考えられます。企業の経済活動を資金面から支える重要なインフラである金融機関が充分な金融仲介機能を発揮できなくなると、実体経済の下押し圧力となり、それが続けば、わが国経済の潜在成長力が弱まることもあり得ます。ITやAIの活用による勤務形態の変化など、地方経済活性化へのプラスのインパクトなども期待できることを考えると、金融システムの中長期における安定性を確りと維持し、金融機関が新たな構造変化の促進においてその役割と機能を発揮することが重要です。適切な金融仲介機能の発揮のため、日本銀行としても、必要な対応を行っていきます。

最後にまとめると、過去7年間で実現した所得から支出への前向きの循環は、財政と金融のポリシーミックスが維持されるもとで、緩和的な金融環境を粘り強く続けたことが企業の前向きな投資を促したことが背景にあります。今後の金融政策にあたっても、政府や主要中央銀行との適切な協力体制の下で、金融市場の安定を保ちつつ、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ため、適時適切な対応を行っていきたいと考えています。それによって、感染症収束後にわが国経済が再び前向きな循環を取り戻し、新たな経済構造のもとで持続的な成長を続けることを期待したいと思います。

6.おわりに ―― 福井県経済について ――

最後に、福井県経済について、日本銀行金沢支店や福井事務所からの報告を基にお話させて頂きます。

北陸地域の経済動向については、下げ止まっているものの、厳しい状態にあるとみています。福井県は、製造業のウエイトが高く、歴史のある繊維、眼鏡や化学、大規模工場を有する電子部品・デバイス等では、国内のみならず世界経済を相手にしています。このため絶えず海外メーカーとの価格競争に晒されることに加え、人口減少や経営者の高年齢化の進展もあって、厳しい状況を強いられています。さらに最近では、製造業、非製造業とも、新型コロナウイルス感染症の影響を強く受けています。

こうした環境下でも、国内有数の生産拠点としての地位を確立してこられた経験やこれまで培ってこられた先進的な技術を基に、経済環境や成長分野の変化に応じて必要な変革に敢然と取り組むことで、成長し続けることが期待されます。実際、繊維では高機能製品の開発、眼鏡では産地ブランドの確立といった高付加価値化に加え、産業用資材や医療器具、宇宙関連産業等の新しい市場の開拓を通じて、競争力強化に取り組んできています。金融面においても、各地域金融機関は、新型コロナウイルス対応資金供給やコンサルティング機能強化等、各企業の活動をしっかりと支えています。こうした取り組みが相まって、県経済の回復に向けた動きが高まっていくことが期待されます。

また、県内では、大規模な交通インフラ整備が進行しており、先行き、三大都市圏をつなぐ日本海側の大動脈の最重要拠点の一つとして、福井県の存在感が一段と増すことは間違いありません 。北陸新幹線敦賀延伸については、2023年の開業を目指して工事が進められており、自治体、経済団体等では、嶺北・嶺南を通じた観光振興のチャンスとして、県内外での連携を強化しておられます。また、北陸新幹線大阪延伸の早期実現に向けても積極的に取り組んでいます。併せて工事が進められている中部縦貫自動車道大野油坂道路が開通しますと、首都圏、中部圏へのアクセスが一段と向上し、観光振興だけでなく、南海トラフ地震等太平洋側の災害発生時におけるBCP拠点として機能していくことも強く期待されます。

このように、福井県経済は足もとこそ厳しい状況にありますが、先行きの更なる発展に向けた取り組みは、地域、業界等の垣根を越えて、着実に進んでいます。日本銀行としても、金沢支店、福井事務所を中心に、皆さまの取り組みをサポートすることを通じ、福井県経済の着実な前進に少しでも貢献できるよう努めて参ります。福井県経済のますますの発展を祈念し、挨拶の言葉とさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。