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最近の金融経済情勢の見方と考え方

平成10年9月4日・内外情勢調査会東京本部懇談会における日本銀行篠塚審議委員の講演要旨

1998年9月10日
日本銀行

1.はじめに

 本日は、現下の金融経済情勢について、自分がどうみているか、あるいはどのような視点でみなければならないと考えているか、についてお話ししたい。

 本日のテーマは、3つある。1つ目として、市場経済と道徳あるいは経営哲学の問題についてお話させて頂く。このところの金融関係のスキャンダル等を見聞きするにつけ、急速な市場経済化の中で崩れてしまったものがあるのではないか、それをきちんと考えないと市場経済に適したシステムだけを作っても問題は解決しないのではないか、と感じるからである。2つ目として、足許の国内金融経済情勢を統計からみてみたい。4月に就任して以来、膨大な量の資料・情報に埋もれる日々であるが、そうした中でも結局、毎回の金融政策決定会合で意見を述べる際の判断の基礎となるのは、データ、統計である。最後に、最近のトピックスについてお話しする。

2.市場経済と道徳あるいは経営哲学の問題

 今更とお思いになるかもしれないが、経済学の祖であるアダム・スミスについてお話したい。アダム・スミスは、当初から経済学を専門としていたのではなく、法学と哲学(一種の道徳教育)を専攻していた。また、彼が生涯に執筆した本は「道徳感情論」(1759年)と「国富論」(1776年)の2冊だけである。このうち「国富論」は、グラスゴー大学で法学教授として教鞭をとっていた際の、学生の手による講義ノート「グラスゴウ大学講義」(1763年前後)の一部を切り離し、肉付けして出来上がったものである。

 アダム・スミスは、まず人間の生き方、考え方を哲学的・道徳的観点から研究し、そこから広い意味での「取引」をする主体としての人間の行動原理を説き、これを経済学に発展させた。言い換えれば、現在の経済学の源を理解するためには、アダム・スミスが人々の行動を哲学的・道徳的観点からどのように捉えていたかを知っておくことが重要である。

 この点につきアダム・スミスは、「道徳感情論」の中で、人は、他人からの共感を得ることで生活を成り立たせていく必要があるため、「他人からどのように見えるか」を判断基準として自らの行為や性質を決定する、としている。また、広義の取引行為に注目し、行為者が不誠実なことをすれば必ずしっぺ返しを受けることになるとする。そして、資本主義の萌芽のなかで、良い取引を行って利益を上げる人は必ず「他人からどう見られるか」を基準に自らを律している、と説いている。また、グラスゴー大学の講義録では、「人々の風習に対する商業の影響について」という章において、商業(農業、工業、市場経済を含む概念)の発達は競争を促し、人々を誠実かつ几帳面にし、国家の介入を排除するとしている。ここでは、諸国を比較して、例えばイングランド人はスコットランド人より、またオランダ人はイングランド人より「市場経済的」であると説いているが、これは国民性によるものではなく、誠実かつ几帳面に物を作り、売った個人の道徳によるものである、としている。

 アダム・スミスの時代から今日までの世界の発展をみると、基本的には彼の考え方が当てはまってきたように思う。例えば、ネスレ会長のヘルムート・マウハー氏が、8月中の日本経済新聞に「私の履歴書」を連載していたが、その中に、「企業買収の際には相手企業がどう考えるかを念頭に置いて判断する」とか、「年1回経営責任者を夫婦で山荘に集め、慰労を兼ねて経営戦略に関するディスカッションをする」といった記述があった。これらは、買収先企業や家族といった「他人」が自分をどう見るかによって自らを律するという経営哲学といえるのではなかろうか。

 ところで注目すべき点は、アダム・スミスは、「道徳感情論」第6版(1790年)において、「自由競争が機能するためには人々の道徳レベルが高くなければならない」という趣旨の修正を行っていることである。今日経済学においては、市場経済・競争至上と国家介入の排除の部分が強調され、一人歩きして、道徳的価値判断を差し挟まないものとされている。しかしアダム・スミスは、競争が万能ではなく、道徳レベルが高くなければ機能しない、と晩年に修正していたことはあまり知られていない。

 わが国では、「競争」の語は、明治期に福沢諭吉の翻訳によって導入されたものであるが、当時はこれを正しくアダム・スミス的な意味で捉えていた様子がうかがわれる。しかしその後、この言葉が正しい理解のもとで定着したとは思われないし、市場に参加している個人、企業の道徳レベルが、アダム・スミスの言う競争、市場経済が機能するほどに高くないのではないかと感じる。現在のように、世界的規模で経済が不安定化する中でこそ、国家、企業、個人それぞれにおいて「道徳」が必要になるし、それぞれが価値観を持って市場に参加しないと競争の荒波では生きていけないということではないか。私自身、政策委員会で判断をする際には、是非各経済主体の道徳の問題を軸にしていきたいと考えている。

3.最近の金融経済情勢を統計でみる

 次に、金融政策判断の基礎となっているデータその他、いくつかの統計・図表をご紹介する。

 まず図表編 [PDF 4,157KB]-図表1は、毎回の金融政策決定会合で追っている数字の主なものを集めたものである。個人消費関連では、例えば消費水準指数、全国百貨店売上高といった数字を毎回みているが、このところは消費者マインドの落ち込みが窺われ、明るい兆しはみられない。個人にとって最大の投資である新設住宅着工も、先行きに対する不安の大きさを窺わせるような悪い数字である。一方公共工事請負金額は、16兆円の経済対策の効果が秋口以降現われて、プラスに転じることは確実と思われる。全てはご説明しないが、このようにマクロの数字を毎回みながら、刻々と変わる景気の情勢を判断する訳である。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表2は、バブル崩壊後の予算編成の推移を示したものである。このような縮小と拡大を繰り返すジグザグの予算配分が、景気回復に有効に働かず、消費者や産業界の不信感を募らせたのではないかと考えられる。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表3は、消費者の支出削減理由を年齢別に示したものである。全体では、将来の仕事や収入に対する不安を理由に支出を削減するとした人が6割もいるという点に注目したい。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表4からは、97年4月の消費税率引上げ後、消費水準が断層をなして落ち込んだことが分かる。これは、政府の景気判断の誤りも関係しているといえる。

 図表編[PDF 4,157KB]-図表5は、中小企業の設備投資関連の計表である。ご覧のとおり、資金繰り、短期・長期借入れ環境ともに悪化していて設備投資は落ち込んでおり、上向きの兆しはない。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表6は、在庫循環である。現在はなお、在庫調整局面であることが分かる。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表7は、雇用関係指標の推移を示したものである。雇用者数について注目すべきは、7月になって男性雇用者よりも女性雇用者の方が減少率が上がったことである。これは、高齢者層の男性が求職活動を止めてしまったことに起因すると考えられる。実態に変化がないにもかかわらず7月の失業率が下がっているのも、失業者が求職活動を止め、労働市場に出てこなくなったこと(このような失業者をdiscouraged workerと呼ぶ)の現われとみることができる。有効求人倍率は0.5と、職安で求職している人の2人に1人しか就職できない状況を示している。これらの数字は、これから大企業での雇用調整が本格化すると考えられることや、中小企業の倒産件数の増加に鑑みれば、今後更に悪化するのではないか。不況になっても従業員を解雇しない温情主義的な雇用習慣は、既に韓国では崩れ始めてきている。日本でもそうなれば、失業率もこの程度の数字には止まらないと予想される。また、名目賃金の落ち込み傾向も明らかである。特に製造業では、98年度入り後、雇用者数、労働時間、賃金が揃って減少している。賃金の減少については、ここにきて所定内賃金が減少に転じたことが注目される。所定外賃金やボーナスと異なり、所定内賃金は固定的な生活給であり、この部分がマイナスになることは、デフレ・スパイラルに陥る状況かどうかを判断する際に重要である。ただいずれにしても、単月の数字だけで判断することはできず、今後ともこれら指標を注視していく必要がある。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表8は物価の動きを示したものであるが、これを見る限り、デフレ・スパイラルに陥る惧れのある危険水域に来ていると思う。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表9はマネーサプライの動きであるが、かなり変動するものであることが読み取れる。インフレ・ターゲットの導入や量的金融緩和論等が議論の俎上に上っているが、これほど変動の激しいマネーサプライをうまくコントロールできるのか、疑問といえよう。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表10では、マネーサプライ(M2+CD)、ハイパワードマネー、リザーブマネーといったものの関係を分かり易く示してみた。これから明らかなように、約600兆円のM2+CDのうち、日銀がコントロール可能なハイパワードマネーは約1割の55兆円に過ぎない。最近の傾向としては、ハイパワードマネーの伸び率とM2+CDの伸び率が乖離していることが窺える。

 図表編 [PDF 4,157KB]-図表11は、1970年からの信用乗数をプロットしたものであるが、バブル崩壊後の下落傾向が見て取れる。日銀が資金供給を行っても、タンス預金や金融機関の手元現金として保有されてしまい、貸出の伸びに結びつきにくい状況となっている。

 残りの図表編 [PDF 4,157KB]-図表の説明は、時間の関係もあるので割愛するが、例えば図表編 [PDF 4,157KB]-図表15などは、低金利政策の影響が具体的に家計に対してどのように響くものかを分かり易くまとめたものであるので、ご覧頂きたい。注意すべきは、超低金利政策が3年に及ぶ中では、家計の将来に対する期待が落ち込んでおり、「低金利は企業収益の下支えを通じて雇用者所得にプラスに働く」という従来の説明では最早納得が得られなくなってきていることである。これに対し、住宅ローンを抱えた家計にとって低金利がプラスに働くということは間違いないが、先行き不安感から住宅投資は低迷しており、低金利がこのルートでプラスに効く余地は小さくなっている。低金利政策も長きにわたり、家計にはプラスよりもマイナス面が強くなってきたように思われる。

4.最近の金融政策をめぐるトピックス

 まず預金準備率引下げについて申し上げる。図表編 [PDF 4,157KB]-図表10にあるリザーブマネー3.5兆円は、金融機関が日銀に預けている準備預金額の総額であるが、準備率引下げによって、例えばこのうち1兆円を解放するという政策をとった場合、どれほどの金融緩和効果があるかということが問題となる。マネーサプライ600兆円の中のわずか1兆円であるので、効果は極めて限定的といわざるを得ないが、だからといって効果がゼロで準備率引下げが金融緩和手段足り得ない、ということにはならないであろう。例えわずかな効果しか得られないとしても、準備率引下げも量的な金融緩和手段の1つのメニューである点に変わりはない。

 次に調整インフレ論、インフレ・ターゲットの導入についてであるが、私自身は、そもそも需要曲線自体が下方に移動してしまっている現在の状況の下で、マネー量だけを増やしても実体経済はついていかないのではないか、と考える。また、そもそも中央銀行とは、インフレもデフレも指向すべきでないと思っているので、この議論には与しない。

 最後に金融システム安定化の問題との関係を簡単に申し上げる。言うまでもなく、本件は現在最大のホット・イシューである。本件については、本来、第二次世界大戦後の債務処理の際のやり方なども参考にしつつ、議論すべき問題であるという気がする。戦後処理においては、強権をもって迅速に、かなり大胆な金融システム安定化策が採られた。現在においても、銀行システムは公共財でありシステム全体の安定がまず必要であることを念頭に、思いきった合意形成を図っていって頂きたいと思うし、その影響は、おそらく戦後処理と同じくらい大きなものになるのではないか。金融システム不安が増大している状況下、その解決が最大かつ喫緊の課題であり、過去から学ぶ教訓は大きい。

まとめ

 前述のように、金融システム安定化が最大の課題であるが、残念ながらまだ方向性は見えていない。この問題が金融政策運営に波及する側面ももちろんある訳であり、それもあって、金融政策は未だかつてないほど注目を浴びていると思う。今後何らかのショックが起これば、金融政策運営においても、公定歩合、短期金融市場の調節方針、その他あらゆる手段を総動員する必要が生じる可能性は否定できない。現在は、そうした事態も念頭に、様々な可能性について勉強しているところである。

 市場経済のなかでは、市場における瞬時の資金の動きが大きな影響を持つ。そういう中では、企業、日銀、政府がそれぞれ必要な情報を正しく市場に提供していかないと、市場に叩かれてしまう。これは、冒頭に述べた、アダム・スミス流の「相手の理解を得る」という、市場経済の基本に立ち戻ることといえるであろう。

質疑応答

(Q)委員は、現在の金融政策スタンスを維持することで、緩和の余地を残しておく、というお考えか。

(A)超低金利政策を続けてきた中で、政策手段の選択の余地は限られている。これを小出しにすることは不適当であり、万が一緩和を必要とする状況になれば、全ての手段を採り得るような余地を残しておくべきと考える。

以上