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日本経済の現状と金融政策

2005年10月4日、「ドイツ年」記念講演会での春英彦審議委員講演要旨

2005年10月4日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.景気・物価の現状と見通し
    1. (1)景気の現状についての判断
    2. (2)海外経済
    3. (3)国内経済
    4. (4)物価動向
    5. (5)下振れリスクとしての原油高
    6. (6)景気回復の持続性
  3. 3.金融政策運営の現状と見通し
    1. (1)量的緩和政策の仕組みと効果
    2. (2)今後の金融政策運営
  4. 4.今後の金融機関経営のあり方と日本銀行の取り組み
  5. 5.結び

1.はじめに

 本日は早稲田大学・ドイツ国際シンポジウム運営委員会主催の「ドイツ年」記念講演会にてお話をさせていただく機会を頂戴し、大変光栄に存じます。

 昨日3日東西統一から15周年を迎えたドイツは日本にとって欧州最大の貿易相手国であるほか、直接投資も両国間で活発に行われています。やや長い目でみると、経済のグローバル化や高齢化という環境変化の中で、物価安定のもとでの持続的な経済成長の実現が大きな課題であることも共通点といえましょう。こうした中、たまたま先月半ば、両国で国政選挙が行われました。現在、ドイツでは政権樹立に向けた動きが続けられているようですが、今後ドイツ経済がどのような方向に向かうのか、世界経済に大きな影響があるだけに注目しております。

 さて、私は、金融政策を担う日本銀行の政策委員会審議委員を務めています。金融政策は、毎月1回または2回開催する政策委員会の「金融政策決定会合」で審議、決定しています。政策委員会は、日本銀行総裁と2名の副総裁、私を含め6名の審議委員の合計9名で構成されています。本日、私は、そうした立場から、最近の景気の現状と先行きの見通し、金融政策運営の状況や考え方などについて、お話したいと思います。

2.景気・物価の現状と見通し

(1)景気の現状についての判断

 日本銀行は、金融政策に関する意思決定の内容や過程を国民の皆さまに明らかにするため、毎月の金融政策決定会合当日に会合における決定内容およびその時点における経済・物価情勢についての基本的見解を公表するとともに総裁の記者会見を行なっています。この基本的見解に対する背景説明を含む金融経済月報は会合の翌日に、また会合の議事要旨は原則としてその次の会合後に、それぞれ公表しています。

 そのほか年2回、4月と10月に「経済・物価情勢の展望」(所謂「展望レポート」)によって、経済の現状と先行きの見通しについて公表しています。今年の4月に公表した展望レポートでは、経済の現状を「基調としては回復を続けているが、2004年後半にIT関連分野において生産・在庫面での調整が深まったこともあって、このところ『踊り場』局面となっている」と評価する一方、2005年度、2006年度の経済情勢の推移については、「IT関連分野の調整の影響が弱まるにつれて、年央以降、回復の動きが次第に明確になり、2005年度は、潜在成長率を若干上回る成長が実現するとみられる」「2006年度は、現時点においてはかなり幅を持ってみる必要があるが、緩やかながら持続性のある成長軌道を辿ると予想される」と想定していました。

 その後の推移をみると、景気はおおよそ4月に想定した通り、IT関連分野の調整が概ね一巡し、国内需要が回復基調を辿る中、「踊り場」局面を脱し、緩やかながらも持続性のある成長を続けていると考えています。昨日、日本銀行が公表した9月の「企業短期経済観測調査」(所謂「短観」)の結果をみても、企業の業況判断DIは、原油高の状況の中で6月短観との比較で小幅な改善となっており、企業経営者の間でも、慎重さの中に景気は緩やかに回復しているとの見方が広がっているようです。

 以下、順を追ってみていきたいと思います。

(2)海外経済

 まず、輸出と深い関係にある海外経済の動向についてですが、米国は住宅投資や個人消費などの家計支出や企業の設備投資が着実な増加傾向を辿っていることを背景に、4~6月の実質GDPは前期比年率+3.3%と9四半期連続で年率+3%を上回る底堅い成長を達成しました。7月以降も家計支出や設備投資は堅調に推移し、米国経済は当面+3%台半ばとされる潜在成長率近傍の着実な成長を継続していく可能性が高いと思います。一方、懸念材料としては8月29日にニューオーリンズ周辺を襲い、深刻な人的被害をもたらしたハリケーン「カトリーナ」や続いて9月24日に襲来した「リタ」によって、米国経済は、短期的には若干の減速が避けられないようです。いずれ復興需要も出てくるため、中期的な成長率への影響は限定的との見方が当面支配的のようですが、ガソリン価格等の高騰をもたらしている原油価格や一部地域で上昇が加速している住宅価格の動向とあわせて先行き十分注意が必要と思います。

 また、ここ数年主要貿易相手国となっている中国では、依然として高い成長が続いており、原油価格の影響など不安材料はありますが、基本的に先行きも8~9%程度の成長を続ける可能性が高いと考えています。そうした中で、日本からの中国向け輸出は昨年後半以降伸び悩み、この4~6月に前年比マイナスとなりました。これは携帯電話や自動車関連で在庫調整が生じたことや、資本財も中国政府の過熱抑制策の影響で需要が減少していること、さらにはこれまでの設備投資により中国国内での供給能力が拡大していることが原因として挙げられています。但し、足許については中国向け輸出は持ち直しており、今後の動向が注目されるほか、7月21日に行なわれた人民元に関する制度改革についても、これまでの影響は限定的ですが、9月23日の追加措置も含めて十分関心を持って見ていくことが必要と考えています。

 この間、NIEs、ASEAN諸国は、一部の国では原油価格高騰による影響がみられていますが、世界的なIT関連財の調整がほぼ一巡する中、総じて緩やかな成長軌道に戻っています。一方、欧州地域ではなお停滞感が残っているようです。

 これらを総じて見ると、海外経済は米国、東アジアを中心に拡大を続けており、日本からの輸出は、中国向けが想定より下振れているものの、全体としては緩やかな増加を続けている状況と考えています。

(3)国内経済

 次に、国内の動向ですが、先月発表された4~6月の実質GDPは、内需の拡大を主因に前期比年率で1~3月の+5.8%に続いて+3.3%と高い伸びとなりました。内需を構成する項目のうち、設備投資は高水準の企業収益を背景に増加しており、個人消費も雇用・賃金の改善を背景に底堅く推移するなど、内需全体としては4月の展望レポートの時点の想定をやや上回るペースで拡大しています。企業部門が高収益を上げ、雇用者所得の増加という形で家計部門に波及し、設備投資と個人消費の拡大に繋がって、再び企業収益を支えるという成長のメカニズムが働いていると考えます。

 こうした動きを項目別に見てみると、まず、企業収益は、経常利益で見ると2002年度以降幅広い業種で大幅に増加しており、2004年度はこれまでのピークである1989年度の水準を上回りました。2005年度も、9月短観をみると、2004年度の2桁増益と比較すれば伸び率は鈍化しますが、さらに増益基調を維持する見通しとなっています。こうした高水準の収益に支えられ、設備投資についても、2003年度以降、幅広い業種に亘り、また企業規模を問わず、顕著な伸びを示しているほか、機械受注などの設備投資の先行指標も増勢が続いています。9月短観でも、2005年度の設備投資はさらに上積みされ、前年比伸び率は2004年度をさらに上回る計画となっています。

 また、企業収益の雇用者所得への波及についてみると、有効求人倍率が上昇傾向で失業率も低下傾向を辿るなど、労働需給の改善が続き、雇用者数も増加しています。中でもフルタイムの労働者が増加したことにより、4月以降これまで上昇を続けていたパート比率が横ばいないし緩やかな低下傾向となっています。企業はこれまで人件費を抑制するため、パートタイム労働者の雇用を優先してきましたが、この流れが変わりつつあるように思われます。一人当たりの賃金も緩やかに増加しており、夏季賞与の9割以上を占める6~7月の特別給与は、企業業績の好調を反映して、前年比+3.8%と1991年度以来の高い伸びとなりました。なお、最近はM&A対策を含めて配当を厚めにする企業も増えており、9月20日に4年3か月振りに1万3,000円台を回復しこのところ1万3,000円台半ばで推移している株価とあわせて、企業業績好調の影響は、賃金以外の経路を通じても家計の所得面に及んでいる状況です。

 次に、雇用者所得から個人消費への波及ですが、個人消費関連の指標をみると、振れを伴いつつも消費が底堅く推移している様子が窺われます。家電販売が薄型テレビやパソコンのほか、白物家電も含めて順調に増加しているほか、乗用車の新車登録台数も、新型車効果とその一巡で足許振れが大きくなっていますが、底堅く推移しています。基調としてやや不振の状況にある全国百貨店の売上げも、クールビズ効果で衣料品が好調だったことなどからこのところ好調でした。外食産業の売上げや旅行取扱額も増加傾向を辿っています。インターネットやテレビを通じた通信販売は急速に市場規模を拡大しているようです。

 そもそも、昨年以来の「踊り場」局面をもたらしたのはIT関連分野の調整であったわけですが、鉱工業生産における電子部品・デバイス工業の在庫循環の動きをみると、在庫調整のほぼ最終局面を迎えています。グローバル化による厳しい競争の中で価格が低下傾向にあることや先行きのITを引っ張る成長商品の不在などIT産業の状況はやや不透明ですが、足許のIT調整は概ね一巡したとみてよいのではないかと考えています。これを反映して、電子部品・デバイス工業の7~9月の生産は前期比増加となった模様で、全体の鉱工業生産も振れはありますが増加傾向にあります。

 以上をまとめますと、国内景気は、輸出が緩やかな増加を続け、内需が設備投資・個人消費中心に回復する中で、昨年4~6月から3四半期続いたほぼゼロ成長から今年は2四半期連続で高い成長に転じたことで踊り場を脱し、回復を続けているといえると考えています。先行き下振れリスクに注意する必要はありますが、私は基本的には現在の回復基調が続くとみており、日本銀行内部で十分な議論を行なったうえで、景気・物価の先行き見通しについて今月末の展望レポートでお示しする予定です。

(4)物価動向

 ここで物価の動向に触れたいと思います。日本銀行は、いわゆる「量的緩和政策」という現在の金融政策の枠組みをいつまで継続するかについて、生鮮食品を除いたコア消費者物価指数(コアCPI)の動きを主要なメルクマールとしています。

 物価の基調的な動きにはマクロの需給バランスが影響を与えると考えられますが、厳しい構造調整を進める中で、需給ギャップが拡大し、1998年頃から長期にわたって物価が下落するデフレの期間が続いてきました。しかしながら、これまで2003年度、2004年度と潜在成長率を上回る成長を続けている過程で、需給バランスは緩やかながら改善傾向を辿っており、2001年度、2002年度と前年比がそれぞれ−0.8%だったコアCPIは、2003年度、2004年度はそれぞれ−0.2%とデフレ圧力は着実に後退してきています。

 これまで、川上の企業段階での物価指標である国内企業物価指数は、世界的な景気拡大を背景とする鉄鋼や原油など素原材料の価格上昇を反映する形で2004年以降前年比プラスを続けており、今後も上昇基調を続ける可能性が高いと考えます。一方、川下の消費者段階の物価指標で、日本銀行の金融政策の判断基準でもあるコアCPIについては、これまで企業がグローバル化による輸入品との厳しい競争の中で賃金の抑制や生産性の向上により原材料価格の上昇を吸収していることに加え、米価格の反落や電気・電話料金の引下げなどの特殊要因もあり、前年比マイナスが続いています。しかし、そのマイナス幅は縮小傾向を辿っており、コアCPIは、先行き、米価格のマイナス寄与がなくなっていくことや、電気・電話料金の引き下げの影響が弱まることなどから、年末頃にかけて前年比ゼロ%ないし若干のプラスに転じていく可能性が高いと考えています。

(5)下振れリスクとしての原油高

 4月の展望レポートでは、景気を上振れ、下振れさせるいくつかの要因を掲げていますが、この中でも特に注意したいのは原油高の動向です。

 米国の代表的な油種であるWTIの価格は、2004年年初以来上昇傾向を辿っていましたが、ハリケーン「カトリーナ」の影響で石油関連施設に大きな被害が出たことから供給懸念が高まり、8月末にかけて1バレル70ドル近傍の過去最高値圏まで急騰しました。これは2003年末までの30ドル程度と比較して2倍以上の水準です。日本の石油輸入の中心である中東産ドバイ原油の価格も、東京市場において同様に60ドル台近傍の過去最高値圏まで高騰しました。その後、国際エネルギー機関(IEA)が戦略原油備蓄の協調放出を決定したことなどから供給懸念が後退し、一旦原油価格は若干下がりましたが、その後の「リタ」の襲来により一時再び高騰しました。そもそも「カトリーナ」以前から原油高の背景として言われていることは、(1)中国や米国を中心として世界的に原油需要が増大していること、(2)非OPEC諸国を含め原油生産拡大が世界需要の伸びに満たないこと、(3)世界的な原油生産余力が急速に縮小していること、(4)石油精製、積み出しといった下流の設備も能力が限界に達していること、(5)地政学的リスクが収まらないことなどです。一方で、1970年代の石油ショックのあと原油価格が低迷した経験から、産油国やメジャーは能力増強投資に慎重です。このところようやく原油や天然ガスの開発プロジェクトが着手されていますが、実際の生産開始までには時間がかかることから、原油価格の高止まり状況が継続する可能性は否定できません。

 日本は1970年代の2回に亘る石油ショックで大きな影響を受けた後、原子力や液化天然ガス(LNG)などの利用拡大やトータルとしてのエネルギー利用効率の向上を進めたことにより、企業や家計の原油高に対する抵抗力は相対的に強まっています。エネルギー効率の高い日本製品の輸出競争力が高まっていることや、原油収入が急増している産油国向けの輸出が増加していることもあり、直接、原油高が国内経済に悪影響を及ぼすリスクは小さいかもしれませんが、原油高の影響で米国や中国など主要輸出相手国の景気が減速すれば、間接的にその影響を受けざるを得ません。

(6)景気回復の持続性

 さて、日本経済は、バブル崩壊後、既に2回の景気回復を経験しましたが、この2回はそれぞれアジア金融危機や世界的なITバブル崩壊によってデフレ克服に至らず終了しました。2002年1月に始まった今回3回目の景気回復は、この9月に44か月目を迎え、バブル後の最長記録を更新しています。この緩やかながらも持続性のある今回の景気回復について、私は、米国・東アジアなど海外経済が成長を続けることが必要な前提ですが、今後も暫くは続き、日本経済をデフレ克服に導く可能性を持っているのではないかと期待しています。

 その背景としては、まず、企業と金融の両面で構造的な調整が進み、基礎体力が強くなってきていることが挙げられます。企業面では、選択と集中による厳しい構造改革を通じて、設備・雇用・債務の、いわゆる「三つの過剰」の調整が進捗しています。短観でみた設備や雇用の過剰感はほぼ払拭されつつあるほか、有利子負債残高の総資産に対する比率も、1999年頃から低下の動きが加速しています。

 そして、三つの過剰を克服した企業は、好調な企業業績を背景に、新技術、新製品、新サービス、新市場などさらなるイノベーションによる発展、成長を目指して、雇用、設備投資さらには合併、買収などに前向きの動きを続けています。またその反面、基本的には低目の期待成長率のもとで、多くの企業が派遣社員を活用したり、設備投資をキャッシュフローの範囲内に留めるなど慎重な姿勢も続いています。在庫水準も、在庫管理技術の高まりという面もあって、生産や出荷の伸びに対して低目に抑えられています。こうした企業の慎重な経営姿勢は、今回の景気回復のテンポを緩やかにするという側面を持つ反面、今回の景気回復を、持続的で息の長いものにする可能性が高いと考えています。

 金融面でも、不良債権問題を中心に、金融システムの健全性回復に向けた対応が進み、企業の前向きの活動を金融面から支える環境が整ってきています。そして、金融機関も、今後の発展に向けて収益力の強化策に取り組んでいます。企業向けとしては、貸出姿勢を積極化していることに加え、シンジケートローン、ノンリコースローン、中小企業向け無担保ローン、資産担保証券などの拡大に努めるほか、企業再生ビジネス、起業支援ビジネスなどにも注力しています。金融機関の貸出は、この8月に、特殊要因を調整したベースで、計数公表開始以来初めて前年を上回りました。こうした金融機関の努力も企業経営を支援し、回復の持続性を支えるものと期待してよいと思います。

 このほか、9月20日公表の基準地価によって都心部を中心に土地価格の下げ止まり傾向も一層明らかになりました。長らく下落を続けてきた地価の下げ止まりにようやく現実味が出てきたことで、企業や個人の投資や消費スタンスにどのような影響が及んでいくか、関心を持って見ていきたいと思っています。

3.金融政策運営の現状と見通し

(1)量的緩和政策の仕組みと効果

 日本銀行は、2001年3月から「量的緩和政策」の枠組みを採用し、現在もこの枠組みのもとで金融政策を運営しています。この政策の枠組みは、金融機関が準備預金制度等により預け入れを求められる額を大幅に上回る日本銀行当座預金を維持できるほど潤沢な資金を供給することと、そうした潤沢な資金供給を、生鮮食品を除くコアCPIの前年比上昇率が安定的にゼロ%以上になるまで継続することをコミットすることから成り立っています。

 銀行等の金融機関は法律等によって、無利子の日本銀行当座預金に一定の準備預金を積むよう義務付けられており、この準備預金所要額は現在、合計で6兆円ほどとなっています。量的緩和政策によって、金融機関の当座預金残高がこの6兆円を超えて大きく積み上がるよう、日本銀行は短期金融市場におけるオペレーションによって大量の資金を供給しています。日本銀行は、金融政策決定会合で、どのくらいの量の当座預金残高を積上げるべきかの目標額を決めていますが、この目標額は段階的に引き上げられ、現在では準備預金所要額の5~6倍に相当する30~35兆円に設定されています。

 また、量的緩和政策をコアCPIの前年比が安定的にプラスとなるまで続けるというコミットメントについては、2003年10月に、金融政策の透明性を強化するため、その内容を明確化しました。すなわち、「安定的にプラス」というためには、数ヵ月均して見てコアCPIの前年比がゼロ%以上で推移することに加え、先行き再びコアCPIの前年比がマイナスに戻らないと見込まれることが必要条件であり、その上で、こうした条件が満たされたとしても量的緩和政策を継続するかについては経済・物価情勢を考えて総合的に判断していくというものです。

 この量的緩和政策がもたらす効果には、潤沢な資金供給という「量」の側面とコミットメントを通じたいわゆる「時間軸」の側面がありますが、「量」の面については、金融システムに対する不安感が強かった時期において、金融機関の流動性需要に応えることによって、金融市場の安定や緩和的な金融環境を維持するとともに、物価下落が企業収益の下落などを通じて経済活動の収縮を招くリスクを回避することに効果を発揮しました。また、「時間軸」の面については、ゼロ金利の継続予想を通じて低い金利での資金調達を可能とし、企業収益を下支えるとともに、投資採算を改善させる効果をもたらしたと考えます。特に、現在のように景気回復が続くもとでも低い金利での企業の資金調達を可能としていることで、より強い緩和効果が発揮されていると考えています。

 ところが、2005年に入ってから、金融機関が、不良債権処理をはじめ厳しい構造改革を経て信用を回復し、流動性資金の必要性が減少したことや短期金融市場での調達環境が改善したこともあって、日本銀行がオペを通じて大量の資金を供給しようとしても応札額が資金供給予定額に届かない、いわゆる「札割れ」という現象が頻繁に発生するようになりました。このため日本銀行は、5月20日の金融政策決定会合で、金融機関の資金需要が極めて弱いと判断される場合には、一時的に当座預金残高が目標の下限を下回ることもありうるとしました。実際、この決定に基づいて、6月上旬の2営業日と、7月末から8月初にかけての計4営業日において、当座預金残高は一時的に目標の下限である30兆円を下回りました。この決定は、もちろんこれまで続けてきた量的緩和政策を変更するものではなく、むしろ今後も市場のメカニズムを過度に損なうことを回避しながら、量的緩和政策を円滑に継続することを目的としています。

 その後、8月中旬以降、景気の回復を示す指標が続いたこともあって金融機関の応札姿勢は積極化し目標残高は維持されていますが、メガバンクの統合が進むなかで今後も金融機関の流動性資金需要は基本的に弱まる傾向が続くと考えられるため、目標残高維持の可能性は不透明です。金融システム安定化の結果として無事ペイオフ全面解禁という大きな節目を迎えた4月以降に開催された金融政策決定会合では、お二人の審議委員から量的緩和政策の枠組みの変更以前に資金需要の状況に合わせて現在の30~35兆円の目標を引き下げてはどうかとの提案が継続して行なわれました。そして、既に公表されている議事要旨に記載されている内容の審議を行なったうえ、結果として多数決により否決されるという状況が続いています。

 この点について、私自身は、当面、現状の30~35兆円の水準を継続し量的緩和政策堅持の姿勢を示していくことが適切と考えておりますが、量的緩和政策の枠組みのもとで資金需要に合わせて目標を慎重に引き下げていくことも、ひとつの選択肢と認識しています。(1)現在進行中のメガバンクの統合等の影響を含め今後の資金需要の動向や、(2)景気や物価の状況から引き下げが金融市場にどのような影響を及ぼすかなどを慎重に見極めて判断していきたいと考えています。

(2)今後の金融政策運営

 今後の金融政策運営については、足許、コアCPIの前年比マイナス幅が縮小傾向を辿り、年末頃にかけて前年比ゼロ%ないし若干のプラスに転じていく可能性が高まっている中で、現在の量的緩和政策の枠組みがいつ転換されるのかという点に、市場等の関心が集まっているようです。

 この点について、まず私が申し上げたいのは、日本銀行は、先ほど申し上げたコミットメントに関する条件が満たされるまでは、現在の量的緩和政策の枠組みを堅持していくということです。それを前提としたうえで、いつ量的緩和政策の枠組みを変更する時期を迎えられるかに関して言えば、さきほど申し上げた景気・物価の見通しが想定通り実現していくとすれば、2006年年初以降その可能性は徐々に高まっていくと思っています。量的緩和政策の枠組みを変更すべきかどうかの決定は、早すぎても遅すぎてもいけない訳ですが、私自身はどちらかと言えば再びデフレに戻らないことを重視しながら約束の条件に照らして判断していきたいと考えています。

 また、この条件を満たした際の量的緩和政策から金利を目標とする政策への転換のプロセスなど具体的な金融政策の運営方法については、その時点において物価や景気の状況や金融市場の状況に応じて、議論を重ねたうえで判断していきたいと考えています。私としては、その時点まで現在想定しているような緩やかな景気回復や物価の上昇が続いているとすれば、政策転換のペースやプロセスも余裕を持ってステップ・バイ・ステップで進めることができるのではないかと考えています。

 いずれにしても金融市場における価格や金利等は需給や市場参加者の先行き予測を反映して形成されますので、その円滑な予測形成の一助となるよう日本銀行の金融経済情勢に関する判断や金融政策運営に関する基本的な考え方などについて、引き続き可能な限り丁寧にご説明していくことが大切と考えています。

4.今後の金融機関経営のあり方と日本銀行の取り組み

 最後に、金融システム安定化後の金融機関経営のあり方と、それを踏まえた日本銀行の取り組みについて触れたいと思います。

 これまで金融機関は、バブル崩壊後10年以上にわたって金融システムの健全化という課題に取り組んできましたが、ここへきて漸く不良債権問題の解決に目途をつけ、金融システムが安定性を回復したと言える状況になってきました。

 現在、金融機関は、顧客である企業や個人の金融ニーズを汲み取りながら、顧客の活動を金融面からサポートすることを通じて収益性を高めていくという課題に取り組んでいます。そのために金融機関にとって必要なのは、それぞれの金融機関がそれぞれのビジネスモデルに応じて自らのリスク管理や経営管理の仕組みを高度化させ、そうした強固な経営基盤に立脚して金融サービスを向上させていくことです。具体的には、金融サービスの提供に伴う信用リスク、市場リスク、オペレーショナルリスク等のリスクを経営のレベルで統合的に管理することや、リスク量と自己資本の関係を適切に把握し、リスク許容量の範囲内でリスクテイクを行っていくことなどと考えられます。

 こうした中、日本銀行の金融システム面の対応も、これまでの危機管理重視から、金融システムの安定を確保しつつ、金融の高度化を支援していく方向に切り替えています。

 このため、7月8日には金融機関の金融高度化に向けた努力をより強力にサポートするため信用機構局と考査局を統合して金融機構局とし、その局内に金融高度化センターを設置しました。このセンターは、統合的なリスク管理を含む先端的な金融技術に関する調査・研究を行い、その成果を公表していくほか、9月9日にその第1回を開催した金融高度化セミナーを通じて金融機関との対話に取り組んでいく予定です。このセミナーは、実地考査とオフサイト・モニタリングという日本銀行が金融機関とのコミュニケーションを図る2つのチャネルに加えた、第3のチャネルと位置付けています。

 また、特に本日ご参加の大学関係の皆さまにご関心をお持ちいただきたい取り組みとして、9月22日に公表した「日銀グランプリ~キャンパスからの提言2006~」があります。これは、学生3人で1つのチームを組んで、日本の金融機能の強化につながる具体的かつオリジナリティーのある提案を小論文の形で出していただくものです。応募の締切りは12月26日ですが、予選を通過したチームに決勝戦の場で発表していただき、日本銀行の副総裁などの審査委員とのディスカッションのうえ、入賞チームを決定します。海外主要国の中央銀行が同様な企画を実施している例はありますが、日本における初めての試みとして私も大いに期待しています。

5.結び

 本日はこれまで、景気、物価の現状と見通し、金融政策の運営の現状と見通し、そして今後の金融機関経営のあり方と日本銀行の取り組みについて、一部私個人の意見も交えてお話をさせていただきました。

 お話の中でも申し上げましたが、日本銀行は金融政策に関する意思決定の内容や過程を国民の皆さまに明らかにするとともに、日本銀行の金融経済情勢に関する判断や金融政策運営に関する基本的な考え方について、可能な限り丁寧にご説明していきたいと考えております。

 今回の「ドイツ年」記念講演会が大きな成果をあげられますことと、ご参加の皆さまの今後のご活躍をお祈りしますとともに、日本銀行の活動に対する皆さまのご理解、ご支援をいただきますようお願いして、私のお話を終わらせていただきます。

 長らくのご清聴ありがとうございました。

以上