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グローバル化のもとでの中央銀行

シンガポール通貨庁における福井総裁講演(11月15日)の邦訳

2007年11月15日
日本銀行

目次

 本日は、経済のグローバル化が進む中での中央銀行が果たす役割について、お話したいと思います。

(経済のグローバル化の進展)

 経済のグローバル化が進展するもとで、財・サービスおよび資金・金融商品のクロス・ボーダー取引がますます活発に行われるようになってきています。こうした現象は、少なくとも半世紀以上に亘って着実に進行していますが、近年、そのペースは加速しているように窺われます。

 IMFの調査によると、世界の実質GDPは、この10年間(1996~2006年)に約1.5倍に拡大し、かなり高い伸びを記録しました。これに対して、世界の貿易量は、同じ期間に2倍弱と、GDPの増加を3割方上回るペースで増加しています。このことは、財・サービスの国際的取引が、経済規模の拡大との比例関係以上に深化していることを示唆しています。また、同様の期間(1994~2004年)に、対外資産および負債残高の世界合計は、GDPの増加を5割方上回るペースで増加しており、金融分野のグローバル化が進展しているひとつの表れと解釈できます。

 急速なグローバル化の進行は、情報通信技術の発達、および、アジアを始めとする新興経済国の力強い成長と密接な関係にあります。情報通信技術の発達は、財・サービス・金融の取引が、地理的な制約を越えて行われることを一層容易にしました。このようなイノベーションが発展を遂げる中、豊富で優れた労働力を有する新興経済国は、世界の供給センターとしての地位を確立しました。製造業部門における工場建設だけでなく、ソフトウエア開発やコールセンターなど様々な非製造業部門においても、新興経済国は、多くの企業のサプライ・チェーン・マネージメントの中に位置付けられるようになっています。このようにして蓄積された購買力を背景に、新興経済国は、潜在力の大きい「市場」としての意味を高めました。同時に、これらの国の富は、産油国の豊富な資金と相俟って、国際的な資金の流れを飛躍的に拡大させ、このことが、金融商品の高度化や、各種ファンドの隆盛に代表される金融の担い手の拡大など、金融のイノベーションを促進させるひとつの原動力ともなりました。

 こうした実体面における国際分業体制の深化と、金融におけるイノベーションの発展は、資源配分の効率化を通じ、世界経済全体の成長力を高めることに寄与したと考えられます。世界のGDP成長率は、2003年以降、本年で5年連続の5%程度の伸びとなる見通しです。

 近年の世界経済の特徴は、単に高い成長率に止まりません。成長率、インフレ率とも極めて振れが小さいことが、もうひとつの際立った特徴です。多くの識者によって、Great Moderationと呼ばれている現象です。経済・物価の安定化傾向は、第二次石油危機以降、明確化していますが、特にインフレ率は、2000年以降、先進国においても、新興経済国においても、平均値、分散とも顕著に低下しています。

 このように、低インフレと高成長が極めて安定的に実現されている近年の世界経済の状態は、物価・経済の安定を図ることを使命とする中央銀行の立場からも、望ましい現象と言えます。しかし、各国中央銀行の仕事は、決して楽にはなっていません。むしろ、一層チャレンジングになってきている、というのが私の偽らざる実感です。次に、その背景にある、いくつかの事象についてご説明したいと思います。

(経済と物価の関係の変化)

 一つめの事象は、経済と物価の間の関係について、従来の経験則が当てはまりにくくなってきている、ということです。経済学の用語で表現すれば、フィリップス曲線がフラット化しているとみられると同時に、その傾きが正確にどの程度なのか、また、将来もこのような状況が続くのか、いずれ従来の関係に復していくのか、不確実性があるということです。

 このような経済と物価の関係の変化は、多くの国において共通に観察されているのですが、具体的事例として、日本のケースをご紹介したいと思います。

 日本経済は、世界経済の拡大を背景とした旺盛な外需にも支えられ、2002年を景気のボトムに、景気回復過程に入りました。近年は、潜在成長率を幾分上回る2%程度の成長が続いており、そうしたもとで、労働や設備といった資源の稼働状況は高まっています。しかし、これまでのところ物価上昇圧力は目立って顕在化していません。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、1998年度から2004年度までマイナスで推移し、その後は、ゼロ近傍で推移しています。

 このように、着実な成長の割に物価が殆ど上昇しない背景には、グローバル化が進む中で、物価や賃金を巡る環境が変化していることを指摘できると考えています。日本の国内製品は、新興経済国から輸入される製品との厳しい競合関係に晒されています。同時に、日本の労働者は、輸入や直接投資を通じて、新興経済国の労働者との競合関係が強まっています。また、国際的な資本市場からの規律が強まる中で、企業は企業価値を高めるグローバルな競争を意識し、労働需給の引き締まりのもとでも、厳しい人件費等のコスト抑制姿勢を堅持しています。また、労働者の側でも、過去の雇用調整の経験から、賃金の引き上げよりも雇用の確保を優先する姿勢が残っています。以上の説明を単純化して表現すれば、国内物価がグローバルな要因に影響される程度が高まっている一方、国内景気に対する物価の感応度が低下している、ということです。

 このような物価を巡る環境変化のもとで、中央銀行は、難しい政策運営を迫られます。一般に、中央銀行の金利政策は、まず実体経済を変動させ、それが、資源の稼働状況の変化を通じて、物価に影響を及ぼすと考えられます。経済と物価の関係が変化し、従来の経験則が当てはまりにくくなっているということは、中央銀行にとっては、金利をどの程度動かせば、最終的に物価をどの程度変化させるのかについても、はっきりしなくなっていることを意味します。

 日本銀行は、昨年3月に量的緩和政策から金利政策に戻って以降、消費者物価前年比がゼロ%近傍と極めて安定的な中にあっても、政策金利を緩やかなペースで引き上げてきています。そうした政策運営の背景には、今ご説明したような経済と物価の関係の変化があります。仮に、現在のような状況下で、短期間に物価を引き上げようとすれば、国内景気の成長スピードをかなり速いものにしなければなりません。加えて、どの程度の景気拡大スピードが必要なのか、大きな不確実性を伴います。したがって、そのような政策は、結果として、金融・経済活動の振幅を大きくし、景気拡大の持続性を危険にさらすことになりかねません。それよりも、できるだけ振幅の小さい、息の長い成長を確保することで、緩やかな物価上昇を期待するほうが、より安全で確実だと考えられます。

 NIEs、ASEAN諸国においても、近年インフレ率とその分散の低下が観察されます。これら諸国は、対外開放度が高く、またプレゼンスの拡大著しい中国経済との近接性なども考えますと、今ご説明したようなグローバル化の影響を強く受けていると思われます。もとより、物価安定の実現は、各国の中央銀行が、アジア危機以降、物価に焦点を当てた金融政策を行ってきたことの成果でもあり、このことは、世界経済の成長と安定に大きな貢献を果たしていると思っています。

 一点付け加えますと、こうした世界的な物価安定の中で、原油など国際商品市況が高騰しています。このことは、原油消費国にとっては、交易条件の悪化をもたらすことになりますが、物価との関係ではインフレ期待への影響が重要です。市況高騰の背後に新興経済国を中心とした世界経済の高成長があることを考えれば、タイトな需給環境は続き、やや長い目で見たインフレ期待を引き上げるリスクがあります。このことはフィリップス曲線が上方にシフトすることを意味します。今のところ、各国のインフレ期待は総じて抑制されていると考えられますが、物価の安定と持続的な成長に向けた各国の適切な金融政策運営が一層重要になってきています。

(中長期的な視点を踏まえた金融政策運営)

 次に、米国のサブプライム住宅ローン問題に端を発した、最近の国際金融資本市場の変動について、お話したいと思います。この問題には、いくつかの側面があると思いますが、先ほどご説明した、グローバル化が進行する中で、世界経済や金融環境の良好な状況が長年に亘って続いていたことが、深く関係したのではないかと思います。そうした良好な金融経済環境のもとで、一部にリスク評価の緩みが生じ、その後の市場の自律的な調整につながったというのが、今回の問題の基本的な性格だと理解しています。

 振り返ると、ある期間に楽観的な採算見通しのもとで行き過ぎた金融・経済活動が行われ、その後、反動が生じる中で、経済・物価の大きな振幅が発生したり、金融危機が発生したケースは、過去に繰り返し観察されてきました。例えば、1930年代の世界大恐慌、80年代の日本の資産バブル、90年代後半のアジア通貨危機、2000年代初頭のITバブルなどが挙げられます。これらに共通しているのは、経済・物価情勢が総じて良好かつ安定的な状態を保っているようにみえる背後で、経済や金融の不均衡が拡大している、ということです。

 緩和的な金融環境が長期に亘る中で、低金利がいつまでも続くという期待が生じれば、資産価格の決定式における将来収益の割引率が低下し、資産価格の上昇をもたらす傾向が強まります。また、同様のことは、実体面において高成長が続く中で、人々の採算見通しが甘くなることでも生じます。例えば、80年代の日本についていえば「内需主導の成長への転換」、90年代の通貨危機前の状況についていえば「アジアの奇跡」など、社会を覆うような「テーマ」があり、人々のリスク感覚に緩みを生じさせたり、期待収益率を上振れさせたりする、ということです。

 こうした状況のもとで金融政策を運営し、中長期的にみて物価の安定を実現するためには、より長い目でみて経済活動や物価の振幅を大きくしそうなリスクへの対応が一層重要になります。具体的には、例えば、発生の確率は必ずしも大きくないものの、資産バブルなど、発生した場合には経済・物価に大きな影響を与える可能性があるリスク要因や、金融環境、インフレ期待など中長期的な経済・物価情勢に影響を与えうる要因をつぶさに検証する、という作業になります。

 以上のような問題意識は、各国中央銀行で概ね共通認識になっていると申し上げられますが、具体的な政策運営を行っていくうえで、どのような枠組みを採用するかは、様々なバリエーションが存在しています。

 日本銀行の場合には、昨年、量的緩和政策を解除するにあたり、現在の政策枠組みを採用しました。この枠組みの中で、先行き1年から2年の経済・物価情勢の、最も蓋然性が高いと判断される見通しに加えて、より長期的な視点を踏まえつつ、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクを点検することとしています。

 今般の国際金融資本市場の変動は、世界的に経済・物価の安定が続くもとで、金融面の不均衡が蓄積し、その修正が起こりうること、そして、これが経済の安定に悪影響をもたらすリスク要因となることを示していると思います。やや抽象的な言い方をすれば、「金融」と「経済」が調和の取れた形で進行していくことの重要性を改めて認識させる事象であったと思います。そういう意味で、中長期的な経済・物価情勢に影響を与えうる様々な要因を検証することは、中央銀行にとって極めて重要な仕事であるとの思いを強く致しました。

(市場の安定化と中央銀行業務)

 また、このたびの市場変動に関し、中央銀行は、やや別の観点からも、教訓を得られるように思います。それは、ストレス状況が発生した場合において、中央銀行が果たす市場安定化の役割についてです。今般の市場変動は、経済のグローバル化が進む中で、国際資金フローが複雑化し、リスクの所在が不明確化したもとで生じたことが指摘できます。高度かつリスク評価が容易でない金融商品を媒介に、市場の中でリスクが拡散および集積するとともに、ヘッジ・ファンドやプライベート・エクイティ・ファンドなど、金融の担い手の顔ぶれが広がる中で、リスクを抱える主体や規模が把握しづらくなり、金融システム全体がどのようなリスクに晒されているのかが見通し難くなっています。

 米国における一部住宅ローンの延滞率上昇を震源地とするこの問題は、同ローンを裏付けとする、ABCP等の証券化商品の信用度低下を通じて、欧州市場に波及しました。リスクの所在や規模が不明確な中で、証券化商品市場をはじめ、クレジット市場の機能度は、全般的に低下しました。欧米の短期金融市場では、金融機関間のカウンターパーティ・リスクが意識され、ボラタイルな動きとなり、各中央銀行はこれに対応するため、積極的な資金供給に努めました。

 こうした中で、幸いにも、日本の短期金融市場においては、政策金利であるO/Nコールレートは、概ね誘導目標水準で推移するなど、総じて落ち着いています。このように、わが国の短期金融市場が落ち着いている最大の背景は、日本の金融機関が有するサブプライム・ローン関連商品へのエクスポージャーが限定的であったことですが、加えて、日本銀行が、金融危機を含む、過去の様々な経験を基に、金融市場の現状把握や金融市場調節の技術を蓄積してきたことも、重要な背景として指摘できます。すなわち、(1)個々の金融機関への日々のモニタリング活動などを通じて、短期金融市場の状況を正確に把握していること、(2)日本銀行が日次ベースの資金過不足額の予測と実績を公表しているなど、金融市場調節に関する情報を十分開示していること、(3)市場の状況に応じて、オーバーナイトから3か月物までの期間のオペを組み合わせて機動的に実施していること、などが寄与していると考えられます。

 これらの対応は、私どもが、平時から行っているものであり、今回特別な対応を取ったわけではありません。金融政策は、金融市場や金融機関行動を通じて効果を発揮するものであり、中央銀行は、日々、金融機関の資金繰りの状況、および、市場全体の資金需給動向を的確に把握する必要があります。加えて、個々の金融機関の健全性を理解し、金融システムの安定に対して貢献することは、セントラル・バンキング(中央銀行業務)において、極めて重要な要素であると思います。

 金融機関の資金繰りのきめ細かなモニタリングなどは、問題が発生する以前に日頃から研ぎ澄ませておく必要があります。中央銀行は、「銀行」です。銀行業務を通じて政策を行っているという我々にとっては当たり前の事実が、改めてクローズアップされたと思っています。国際的に資金フローが複雑化し、急激なストレス状況が、いつ市場を襲うかますます見通し難くなっているだけに、業務面の日頃の蓄積が益々重要になってきていると思っています。

(おわりに)

 私は、時々、中央銀行を、サッカーのチームにおける、ゴールキーパーに喩えてお話をします。ゴールキーパーは、自分で得点を挙げることはあまりありませんが、ゴールをしっかりと守りつつ、仲間のプレーヤーが得点を狙いに行くことを助けます。守る際には、相手の陣形を読むこと、すなわち、経済や金融市場のリスクプロファイルを的確に分析することが必要です。そして攻める際には、チームの体制を整えること、つまり、効率的な資源の配分を達成し、イノベーションを促すことに尽力していかなければなりません。本日お話したように、ダイナミズムに溢れるグローバル経済の進展は、中央銀行にとっては、よりチャレンジングな状況をもたらすものですが、こうした役割をしっかりと果たしていくことを通じて、グローバル化経済の中で活動するプレーヤー達をサポートし、チーム全体の勝利に貢献していきたいと考えています。

 ご清聴ありがとうございました。