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【挨拶】「複雑化する世界の金融経済情勢とその政策対応」

青森県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 水野温氏
2008年7月24日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.経済・物価情勢
    1. (1)国内の景気動向
    2. (2)輸出動向
    3. (3)住宅投資動向
    4. (4)物価動向
    5. (5)米国経済
  3. 3.緊張感が引き続き強い国際金融情勢
    1. (1)「サブプライム問題」発生後の動き
    2. (2)足許の動き─ファニーメイ、フレディマックの経営悪化懸念を巡る動き
    3. (3)米国の金融システム安定にはなお時間を要する
  4. 4.世界的なインフレ圧力上昇
    1. (1)世界的なインフレとその背景
    2. (2)中央銀行の対応
  5. 5.金融政策運営の考え方
    1. (1)金融政策を考えるうえでのポイント
    2. (2)金融政策運営上の情報発信の充実
  6. 6.終わりに代えて

1.はじめに

 日本銀行の水野です。本日は、青森県の経済・金融界を代表する皆様方にご出席賜りお話する機会を頂き、大変うれしく、かつ、光栄に存じます。また、平素より、私どもの青森支店が皆様に大変お世話になっておりますことを、この席を借りて厚くお礼申し上げます。

 本日は、まず、経済・物価情勢についてコメントした後、引き続き緊張感が続いている国際金融情勢の現状、世界的なインフレ圧力の高まり、についてコメントしたいと思います。最後に、金融政策運営の考え方についてコメントしたいと思います。

2.経済・物価情勢

(1)国内の景気動向

 さて、日本銀行は7月15日に公表した7月の「金融経済月報」で、景気の現状判断の冒頭表現を、「わが国の景気は、エネルギー・原材料価格高の影響などから、さらに減速している。」と、前回6月の表現に、「さらに」という表現を加え、若干下方修正しました。また、個別項目についても、個人消費は、昨年2月以降使っていた「底堅く推移している」という表現から、「このところやや伸び悩んでいる。」と久々に下方修正しました。生産については、1~3月期に続き、4~6月期も小幅ながら前期比でマイナスになる可能性が出てきたこともあり、4月~6月までの表現である「横ばい圏内の動き」から、7月は「このところやや弱めの動き」に修正しました。また、住宅投資についても、「回復の動きが一巡している」へと、6月の「緩やかに回復している」から変更しました。

 一言で言えば、エネルギー・原材料価格高が、企業収益、個人消費でダウンサイドに、CPIコアでアップサイドにもたらしたインパクトは、「展望レポート(2008年4月)」をまとめた4月末時点では想定できなかったほど厳しいものになっています。

6月短観からみた景気動向

 6月短観は、本行が6月の金融経済月報で示した現状と先行きの経済見通しに沿った内容で、特段のサプライズはなかったと判断しています。

 業況判断DIは、大企業では製造業が+5で3月調査から6ptの悪化、非製造業が+10で同2ptの悪化となりました。また、中小企業では製造業が-10と3月調査比4ptの悪化、非製造業が-20と同5ptの悪化となりました。9月予測をみても、大企業は製造業が1pt、非製造業が2ptと小幅ながら悪化を見込んでいるほか、中小企業は製造業が5pt、非製造業が7ptと、引き続き大きめの悪化が見込まれており、景気の減速感が継続する見込みとなっています。

 しかし、個人的には、今回の短観では業況判断DIばかりでなく、他の判断DIや事業計画によりウエイトを置いて分析する必要があると思っています。それによって、景気の先行きを見通すうえで留意すべき点が浮かび上がってくると思います。

  1.  注目点の第一は、価格転嫁の進捗度合い、すなわち、販売価格判断DIの動向でした。企業業績が悪化している主因は、エネルギー・原材料コストの増加を簡単に価格転嫁できないことにあります。しかし、今回の短観をみると、大企業のみならず、中小企業でも製造業で販売価格判断DIの上昇超が明確になっています。販売価格の引き上げの動きが若干とはいえ広がり始めた可能性を示唆しています。ちなみに、こうした動きは、春先以降の消費者物価の前年比上昇率上昇と整合的です。

     こうした販売価格の引き上げは、販売数量が変わらなければ、企業の売上改善に繋がります。業種別計数をみると、一部の業種で業況判断DIが改善している主因は、販売価格の引き上げの浸透であることが読み取れます。また、先行きの業況判断DIの悪化が小幅であるのは、販売価格引き上げによる売上の押し上げ効果を見込んでいるためとみられます。ただ、賃金上昇率が限られる中での小売価格の上昇は、家計部門の実質購買力の低下を意味します。春先以降、個人消費の弱さを示唆する経済指標が増えており、個人消費は底堅いとはいえないと思います。販売価格を引き上げても、企業が期待するほど業績が改善しないリスクがあります。

  2.  注目点の第二は、エネルギー・原材料価格高騰による業績悪化にもかかわらず、企業が設備投資を増加させるかどうかでした。全規模・全産業のソフトウェアを含み土地投資額を除く2008年度の設備投資計画は前年度比+3.5%と前回調査比+3.9ptの上方修正となりました。中小企業・全産業の修正率も+7.1%と2007年6月調査の同+5.8%と遜色のない上方修正となりました。大企業の設備投資計画をみると、製造業は前年度比+8.0%、非製造業は同+6.2%といずれも昨年度実績(それぞれ同+5.2%、同+1.2%)よりも高い伸びとなっています。

     もっとも、大企業・製造業の2008年度の設備投資計画の大幅な上方修正には、2007年度計画の一部先送りも影響しているようです(注:2007年度実績見込みは3月調査比4.4%の下方修正)。また、今回の業況判断DIの先行きや2008年度の輸出計画をみると、大企業・製造業は世界経済の拡大が続き、輸出は大きく減速しないことを前提にしている模様です。しかし、エネルギー・原材料価格高騰による内外の需要低迷から、企業収益がさらに下方修正されるなど設備投資をめぐる環境は今後悪化する可能性は否定できず、2008年度も設備投資計画が翌年度に先送りされる可能性はあります。

  3.  注目点の第三は、在庫判断DIや設備・雇用判断DIに調整圧力が生じていないかということです。全規模・全産業の在庫判断DIは3月調査に比べ概ね横ばいの結果となったほか、同設備・雇用判断DIも前回調査に比べ幾分不足感が縮小しましたが、水準でみれば過剰感のない状態または不足超で推移しています。ただ、足許の雇用者数の上昇率の鈍化は、労働市場の潮目の変化を示唆している可能性があります。

     7月の「さくらリポート」によれば、足許の経済情勢について「地域差はあるものの、エネルギー・原材料価格高の影響などから、全体として引き続き減速している」と、足許景気がさらに減速していることが確認されました。地域別では全9地域のうち、東北は据え置いたものの、その他の8地域は個人消費に弱めの動きがみられることなどから下方修正されました。ただ、近畿地方のように、今回報告で「減速している」と判断を下方修正した地域でも、「輸出と設備投資は、増勢が幾分鈍化しているものの、引き続き増加しており、堅調な部分が崩れているわけではない」と判断が示されています。企業部門については、いわゆる「3つの過剰」の解消に向けて努力していた前回の景気拡大局面とは様相が異なり、足許の調整圧力は限定的であることがわかります。

(2)輸出動向

 輸出は、増加基調を続けていますが、足許鈍化してきました。この背景として、(1)米国向けの自動車輸出がこのところ減少に転じたこと、(2)東アジア経済の成長鈍化の兆しがみえてきたこと、が指摘できます。わが国の自動車業界の声を聞くと、2008年の自動車販売は、日本・米国・西欧で伸び悩んでいるものの、中東・ロシア・中国などは堅調に増加しており、全体では増加傾向にあるようです。地域別の販売動向を詳細にみると、ロシアと中東が絶好調で、期初計画を上回るペースで販売が伸び、資源高を背景にオーストラリアや南米も好調です。一方、最大の自動車市場である米国は、ガソリン高などを背景に、各社とも自動車販売が大幅に落ち込んでいます。わが国、及び、スペイン・イタリアを中心とする西欧は、当初の予想通り、伸び悩んでいます。

 輸出の先行きについては、ロシア・中東産油国向けの輸出増加が、対米輸出の減少を相殺する構図は続く可能性が高いと見込まれ、海外経済が幾分減速しても、増加基調を続けていくと予想しています。

(3)住宅投資動向

 住宅投資については、昨年6月末の改正建築基準法が施工された影響で大きく落ち込んだ反動から、今年1~3月に持ち直しの動きがみえました。ただ、その回復の動きは一巡してきました。この背景は、(1)最近の長期金利上昇による住宅購入に伴う金利負担の上昇、(2)不動産業やマンション・ディベロッパーに対する金融機関の融資姿勢の慎重化、(3)これまでの地価上昇や、資材価格の上昇に伴うマンション価格の高止まりを受けた消費者の購入意欲一巡、(4)マンション販売戸数の低迷による在庫増加、などと見込まれます。住宅着工件数は年率105~110万戸程度の水準で推移することを想定しています。

(4)物価動向

 6月の国内企業物価指数は前年同月比+5.6%と5月の+4.8%から上昇しました。3ヶ月前比の上昇率では、3月+1.2%、4月+1.8%、5月+2.5%に続き、6月は+2.8%とここ20年ほどでみると例がないスピードで上昇しています。鉄鋼石、化学製品などの素材型に加えて、一部の自動車メーカーはトラックやバスの価格を引き上げる方向にあると言われています。国内企業物価が前年同月比+6%を超えるのは時間の問題と見込まれます。消費者物価に先行するとみられる国内最終消費財価格は前年同月比+3.2%と大幅増になっており、5月の消費者物価(除く生鮮食品;以下、コアCPI)は前年同月比+1.5%まで上昇しましたが、6月は前年同月比+1.8~1.9%程度が予想されます。コアCPIは、小売段階での値上げの広がりから、秋には同+2.5%程度まで上昇すると私は予想しています。

 ただ、企業間の価格転嫁の進捗は、財については進んでいますが、企業向けサービス価格をみると、サービスについてはあまり進んでいません。CPIはサービスの占めるウエイトが高いので、賃金上昇率の弱さを考えると、やはり米国型のコアCPIの前年比上昇率の上昇テンポは緩やかにとどまると予想されます。

 なお、このような物価の上昇によって、個人消費の下振れリスクが懸念されます。実際、4月・5月の個人消費関連指標は、家電販売を除き、弱いものが目立ちます。外食産業売上高や全国百貨店売上高の弱さは、家計の生活防衛意識の高まりを示唆しています。

(5)米国経済

 米国では、労働市場の弱さ、個人消費の低迷がより明確となってきました。6月米雇用統計によれば、非農業部門雇用者数は4月、5月、6月と3ヶ月連続で前月比6万人台の減少となっています。また、ブッシュ政権の総額1000億ドルの減税策については、5月末までに約半分の480億ドルの小切手が家計に送付されています。減税措置の効果はラグをもって出てくるとの見方もありますが、小売売上高は、5月が前月比+0.8%、6月が同+0.1%にとどまっています。GDPの個人消費の算出に使用される自動車・ガソリン・建設資材を除いたベースでも、それぞれ+0.6%、+0.4%の伸びにとどまっています。米国の2008年後半の個人消費については、(1)1ガロン=4ドル台まで上昇したガソリン価格、(2)鈍化し始めた時間当たり賃金の上昇率、(3)消費者マインドのさらなる悪化、(4)株価・住宅価格の下落による逆資産効果、(5)「経済と金融の負のフィードバック」が強まるリスクの高まり、などに加え、ブッシュ政権の減税策の景気押し上げ効果の大半は4~6月期に顕在化し、その後、その効果が剥落すると見込まれるため、下振れ懸念が強いと思います。

 米国経済はいわゆる「L字型」「なべ底型」の景気回復になると見込まれ、2.5~2.75%程度といわれる潜在成長率に復する時期は、2010年にずれ込む可能性が出てきました。

 一方、インフレ率は上昇傾向にあり、6月のCPIは前月比+1.1%と、ハリケーン・カトリーナに見舞われた2005年9月の同+1.3%以来の高い伸びとなりました。前年同月比でも+5.0%と、1991年5月の同+5.0%以来、ほぼ17年ぶりの高い上昇率となりました。もっとも、コアCPIは前月比+0.3%、前年同月比+2.4%と、前年比上昇率は従来のレンジ内の動きにとどまっています。

 金融市場では一時、FRBの早期利上げ期待が高まり、主要国の長期金利が上昇する局面もありましたが、金融株の下落、資本増強に苦労している欧米大手金融機関など金融システムへの不安が高まり、早期利上げ期待は後退しました。さらに、FRBのバーナンキ議長が7月15日の議会証言で、金融市場の混乱によって経済成長見通しに明確な下振れリスクがあると同時に、当面の金融政策運営において、「金融市場の機能正常化を支援することは、引き続きFRBの最優先課題(a top priority)である」と明言したことで、金融市場の利上げ観測はさらに後退しました。

 FRBは、景気への影響とインフレ対策の両睨みを続ける難しい局面にあるわけですが、個人的には、今後、金融引き締めの議論をするとすれば、コアCPIインフレ率や中長期的な期待インフレ率の動向等が鍵になるものと思われます。

3.緊張感が引き続き強い国際金融情勢

(1)「サブプライム問題」発生後の動き

 サブプライム住宅ローン問題に端を発したクレジット市場の混乱が発生して、ほぼ1年が経過しました。クレジット・バブルの発生・膨張・崩壊という過程を冷静に振り返ることは、どのような政策対応が適切かを見極めるために極めて重要です。

 「サブプライム問題」に端を発したクレジット市場の混乱を受けた直後、主要国の政策当局は、金融市場の混乱は流動性不足によるところが大きく、「流動性危機への対応」で十分ではないか、とみていたように思います。実際、政策対応としては、主要国の中央銀行が中心的な役割を果たしました。なお、この段階では、ブッシュ政権は、金融システムを安定化させるために公的資金を活用する考え方に否定的な姿勢をとっていました。

 この時期、短期金融市場では、LIBOR-OISスプレッドの拡大、為替スワップ市場でのドル調達コストの上昇など、緊張感の強い状況に直面しました。そのため、FRB、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)など欧米主要国の中央銀行は、短期金融市場を安定させるため、(1)通常よりも頻繁かつ巨額な資金供給を行う、(2)ターム物金利を安定させるため、3~6ヶ月という長めの資金供給オペを発動する、(3)中央銀行が受け入れる担保の範囲、及び、金融調節の対象とする金融機関を拡大させる、など金融調節手段上の様々な工夫をしました。振り返ってみると、夏場から秋口にかけては、金融市場調節手段の多様化が中心だったと言えます。その間、日本銀行も、オーバーナイト金利、ターム物金利、レポ金利を安定させるため、きめ細かい金融市場調節を続けました。

 その後、(1)欧米中央銀行による潤沢な流動性供給や複数の欧米大手金融機関の資本増強にもかかわらず、短期金融市場でのカウンター・パーティー・リスクへの懸念が収まらなかったこと、(2)欧米大手金融機関の決算発表から、「サブプライム問題」による収益悪化が想定以上に大きいことが判明してきたこと、(3)米国経済に対する弱気な見方が増えてきたこと、などから、主要国の間では、今回の金融市場の混乱は、「流動性リスク」にとどまらず、「ソルベンシー・リスク」にまで発展する可能性があるのではないか、という危機感が次第に共有されてきました。この間、FRBは思い切った利下げ、オペ先の多様化に動きました。

 なお、金融市場でも、「サブプライム問題」の深刻さに対する受け止め方について温度差がありました。クレジット市場ほど同問題を深刻に受け止めていなかった株式市場も、今年に入ってから弱気ムードが強まり、世界同時株安の様相をみせました。昨年末に、ソブリン・ウエルス・ファンド等が欧米大手金融機関の巨額な資本増強に応じたにもかかわらず、ほとんどの欧米大手金融機関は、SIVの処理、モノラインの格下げもあり、過去最大の巨額損失の計上を迫られ、現在もバランスシートの圧縮、資本増強を余儀なくされ、欧米の金融株は調整色を強めました。

 一連の政策対応や欧米大手金融機関のさらなる資本増強の進展、ニューヨーク連銀によるベアスターンズ証券への緊急融資を経て、大手金融機関の資金繰り破綻のリスクは減少したと思われます。国際金融資本市場では、「2~3月前半に比べれば、このところ金融システム不安的な危機感は後退した」という見方がありました。こうした中で、欧米投資銀行のCEOは4月下旬、「クレジット市場の調整の終わりが近い」と異口同音に楽観論を表明しました。一方、FRBのバーナンキ議長は5月13日の講演で、金融市場の状況について、「改善はしているものの、正常な状態には程遠い」と発言しています。私も、わが国の不良債権処理の経験に照らせば、同議長の認識と同じ認識です。

 昨年夏に「サブプライム問題」が発生した後、金融市場は、4回ほど「緊張感の高まった局面」と「小康状態」を繰り返してきました。金融市場で緊張感が高まった背景、及び、その後に小康状態に入ったイベントを列挙すると、(1)昨年7月のサブプライムRMBSの大量格下げ→9月18日のFOMCでの50bpの利下げ、(2)昨年10月半ばから高まった年末超えの資金調達不安→FRBの追加利下げと欧米の中央銀行による流動性供給、(3)今年1月半ばからのモノラインの格下げやCMBSの価格下落などクレジット・クランチ懸念→FRBによる1月の合計125bpの大幅利下げと米連邦政府の減税措置、(4)2月半ばからモーゲージ債等を担保としたレポ市場の機能低下、地方債のスプレッド急拡大、証券会社の破綻懸念→FRBによるPDCF・TSLFの導入とベアスターンズ救済、ファニーメイ・フレディマック・FHAの保証枠拡大、となります。

 3月17日のベアスターンズの救済合併以降、2ヶ月程度は小康状態にあった米国の金融システムですが、6月以降、米国景気減速によってサブプライム以外の住宅ローン、消費者ローン、商業用不動産向けローンが焦げ付くリスクが警戒されるなど、クレジット市場の緊張感が高まってきました。また、これまで比較的順調に行われていた欧米大手金融機関の資本増強が困難になり、バランスシート圧縮のためにPEファンドへの資産売却など、デレバレッジの動きが再び強まりました。さらに、商業用不動産・各種個人向けローンの不良債権化への対応を迫られた米国の地方銀行の経営悪化も話題になってきました。6月以降の金融株の下落テンポの速さに加え、欧米の株式相場全体の下値不安の強まりをみると、これまでのところ今年もクレジット市場の見方が実体を見極めていたと思います。

(2)足許の動き─ファニーメイ、フレディマックの経営悪化懸念を巡る動き

 7月に入ると、世界的なインフレ懸念、欧米大手金融機関の財務懸念、GSE2社(ファニーメイ・フレディマック)の経営悪化懸念などを背景に、欧米の金融株が下落し、金融市場は5回目の緊張感の高い局面に入ったように思います。GSE2社の経営悪化に対する不安が高まってきたため、ポールソン米財務長官が率いる米財務省は、FRBと具体的な対応策を協議すると同時に、法的措置に向けた対応策を策定するに至りました。そして、東京時間7月14日の朝7時頃(米国時間の13日夕刻)、米財務省とFRBは、GSE2社への支援策をそれぞれ発表し、米議会と調整し速やかに立法化するとしました。そのポイントは、(1)財務省のGSE2社に対する貸出枠(各々22.5億ドル)を一時的に拡大する、(2)財務省が必要に応じてGSE2社の株式を取得し得るようにする、(3)GSE規制改正法案の中でGSE2社に対する資本規制及び監督基準の設定にFRBが助言する、(4)FRBは、ニューヨーク連銀がGSE2社に対して、必要に応じて窓口貸出を行う権限を付与する、というものです。

 米財務省とFRBは、ファニーメイとフレディマックが経営破綻のリスクが高まったとは判断していません。しかし、金融市場と金融機関が引き続きかなりの緊張下にあります。また、最近、投資家がGSEであるファニーメイとフレディマックの財務状況に関して特に懸念を抱くようになったため、米財務省は事態がこれ以上悪化することを食い止めるため、上記のような措置が必要であると判断しました。

 ポールソン米財務長官は、7月15日に行われた公聴会で、GSE2社に対する追加支援策を、米議会で現在審議中の住宅関連法案に盛り込むことを要請しています。同財務長官は、「(1)財務省の既存の権限であるGSEへの信用供与はバックアップ・ファシリティーであって、実際に使われることはないと期待している。私にできることは、金融市場の安定性、コンフィデンスの改善、今回の措置が実際に使われる可能性を最小化するために最善を尽くすことである。具体的な金額はあらかじめ決められない。(2)流動性・資本支援に関する18ヶ月という期間設定は、新監督機関のもとで監督の枠組みが構築されるまでの時間、新政権が状況を精査するための時間、米議会と協働するための時間、を確保できる」と述べました。

 米議会の反応については、上院銀行委員会の公聴会において、ドッド銀行委員長(民主党、コネチカット州)は、「今回の支援策は正しいステップである。本プランを立法化しないという選択肢はないと思われる。GSEが新たな資本調達を可能とすることが極めて重要であり、迅速に行動しなければならない」と、本プランを基本的に支持する立場であることを表明しました。一方、共和党筆頭のシェルビー議員(アラバマ州)は、「GSEの債務の後ろ盾として納税者が控えているというウォールストリートの見方を追認するのであれば、いわゆる暗黙の政府保証を確固たるものにすることになる。そうするのであれば、このような措置がなぜ実施されなければならないのか、その理由を我々は完全に理解する必要がある」と述べています。賛成、反対について立場を明らかにしませんでしたが、慎重な姿勢を示したといえます。上院銀行委員会での公聴会に加え、下院金融サービス委員会でも、財務省のクレジットラインに上限が設定されていないことについて、「我々は納税者に責任を負っている」という厳しい声が少なからずあったため、上下院ともに採決を翌週に先送りしました。

 その間、バーナンキFRB議長は7月15日の上院銀行委員会での公聴会で、今回の支援策におけるFRBの立場について、「財務省のGSEに対する現行の貸出権限を補完するものとして、また、米議会がこれらの問題をどのように取り扱うかを決定するまでの繋ぎ(bridge)として、FRBはニューヨーク連銀に対して、必要があれば2社に貸し出す権限を与えた。」と発言しています。また、同16日の下院金融サービス委員会でのFRB半期議会報告の質疑応答のセッションで、「GSEは現時点では十分な資本を有している。マーケットからの信認回復を通じて、GSEがsolventというだけでなく、米国住宅市場の強化に貢献するという形にすることが大切である」と発言しました。また、GSE支援策の一環として発表されたFRBの貸出について問われた際、「我々の意図は、議会が意思決定するまでの間のつなぎを行うという非常に限定的なものである」と改めて述べ、現在下院で審議中の住宅市場対策法案にGSE改革も含めた上で、可決することに期待を表明しています。

 GSE2社は世界のクレジット市場とあまりにも複雑に結び付いており、2社が経営破綻した場合には世界全体の金融システムに多大な影響が及ぶことは避けられないため、米議会は最終的には承認すると予想されます。しかし、金融市場では、(1)米連邦政府の財務負担は潜在的に巨額なものになるため、米国のソブリン格付が最上位のAAA格から格下げられる可能性や米財務省証券相場が大幅な調整を受けるリスクがある、(2)FRBもバランスシートは毀損しないまでも一時的に膨らむことから、ドルの信認に影響が及びかねない、といった悲観的な見方もあります。

 GSE2社は、今後も多額のクレジット損失が見込まれている中、損失を処理するために収入を伸ばす以外にありません。今後18ヶ月については資本増強に向けた方向性は示されましたが、ファニーメイとフレディマックが保有する資産及び保証する資産の合計額は5兆ドル程度という天文学的な規模であることを考えると、将来的に、このGSE2社の規模縮小やビジネス・モデルの再構築まで踏み込んだGSE改革の議論は継続されると思います。ただ、中長期的には、GSEの自己資本規制は強化され、GSEのポートフォリオ事業の適正規模についても議論されると思われますが、GSE2社のビジネス・モデルが近い将来に大きく変化することはないとみられます。米国金融機関はなお資本制約がある中、米国政府はGSE2社がMBSを買い続けることでセカンダリー市場のスプレッドを維持することを望んでいると思います。

(3)米国の金融システム安定にはなお時間を要する

 BISは6月30日に、2007年4月~2008年3月までの世界の経済・金融情勢を分析期間とする第78回年次報告を公表しています。それによれば、「昨年以降のクレジット市場を中心とする金融市場の混乱は、米国の「サブプライム問題」がきっかけであったものの、本質的な原因ではない」と判断されると指摘しています。

 具体的には、昨年来の深刻な金融問題が発生した背景には、(1)インフレ圧力の沈静化を受けて主要国の中央銀行が第二次大戦後では異例な低金利政策を採用したことによる世界的なマネーと信用の膨張、(2)「経済のグローバル化」に起因する供給ショック、(3)新興成長国の貯蓄超過に伴う主要国への資金流入とその結果としての緩和的な金融環境(注:グリーンスパンFRB議長が"conundrum"と呼んだ米国長期金利の低下など)、(4)欧米大手金融機関による"originate-to-distribute model"の採用による金融システムの構造変化、(5)ストラクチャード・ファイナンス分野における金融イノベーションの発展、(6)米国に代表される家計貯蓄率の歴史的な低下、などを指摘できます。こうした背景の大半はまだ解消されていないため、金融システムの安定にはまだ時間を要すると思います。また、以下の理由から、「サブプライム問題が最悪期を脱した」と言い切るだけの根拠も乏しいように思われます。

  1.  第一に、米国の住宅価格は下げ止っておらず、住宅ローンを原資産とする証券化商品市場の動揺が終焉する目処がたっていません。また、サブプライム住宅ローン証券化商品や再証券化商品(ABS CDO)などの発行市場はほぼ停止状態にあります。

  2.  第二に、欧米の中央銀行によるかなり踏み込んだ流動性供給策にもかかわらず、インターバンク市場の緊張感は持続しているほか、ABCPの発行残高は減少傾向が持続しています。

  3.  第三に、欧米大手金融機関ではCDO関連の損失処理は進捗しましたが、レバレッジ・ローンの売却・損失処理は道半ばです。大手格付会社は、欧米投資銀行の信用格付を引き下げています。その背景を窺うと、(1)トップラインの収益見通しの悪化、(2)短期金融市場やレポ市場の流動性低下に脆弱な資金調達構造(注:商業銀行のコア預金のような安定した資金調達手段がない)があります。

  4.  第四に、米国の投資銀行では対応が進みつつあるが、今後は商業用不動産価格の下落、住宅ローンの焦付きに対応した伝統的な不良債権問題が顕現化し、投資銀行に比べて収益力が劣る米国の地銀など商業銀行の経営環境は厳しくなりそうです。

  5.  第五に、5月ぐらいまでは米国大手金融機関の増資は比較的順調に行われてきましたが、6月以降は増資が消化不良を起こす事例が増えてきました。金融機関は増資の限界を意識せざるをえず、バランスシートの圧縮をさらに進めており、クレジット市場ではデレバレッジの本格化への懸念が強まってきました。

  6.  第六に、裏付け資産の価格が安定している証券化商品・企業向けローン、レバレッジ・ローンを底値で購入する投資家が出てきましたが、このようなdistressed assetsの買い手は、まだPEファンドやごく一部のソブリン・ウエルス・ファンドに限られ、機関投資家は、GSE債など暗黙の政府保証が期待できる金融商品や裏付け資産が管理しやすいABSのうちAAA格のものを購入する、にとどまっています。

  7.  最後に、米国大手銀行の融資姿勢の厳しさは、前回の景気後退局面を大きく上回っています。信用収縮がいわゆる「景気と金融の負のフィードバック」を発生させるリスクが高まってきました。すなわち、クレジットの質の劣化が信用収縮圧力を強め、米国の景気回復が遅れるリスクが高まってきました。また、これは、クレジット市場では、CMBSのスプレッド拡大、低調なハイイールド債の新規発行という形で顕在化してきました。住宅価格の下落テンポの大きさという点では、イギリスも米国と遜色がないため、金融市場の一部では、イギリスの金融システム不安を安定化させるため、最終的に何らかの公的関与が必要であるとの見方も出てきました。

4.世界的なインフレ圧力上昇

(1)世界的なインフレとその背景

 資源・エネルギー、穀物価格高騰を受けて、世界的にインフレ率が上昇を続けています。6月のCPI総合の前年同月比上昇率をみると、主要国は、わが国は5月の数字ですが+1.3%、米国は+5.0%、ユーロ圏は+4.0%と、着実に上昇しています。まだ石油製品や食料品の価格上昇が続いているため、今後数ヶ月以内に、ヘッドラインのCPIインフレ率は、米国は+5.5%、ユーロ圏とイギリスは+4.5%、わが国は+2.5%に到達する可能性も出てきたと思います。

 一方、新興成長国をみると、ロシアは+15.1%、中国は+7.1%、韓国は+5.5%、タイは+8.9%、フィリピンは+11.4%、ベトナムは+26.8%とインフレ率の上昇が顕著です。今後、インフレ率が二桁になる国はさらに増える見込みです。

 ちなみに、消費者物価指数に占める食料品のウエイトをみると、米国(9.8%)、ユーロ圏(15.6%)、日本(19.7%)、イギリス(11.8%)と先進国は総じて低くなっています。一方、中国(34.4%)、インド(51.4%)、フィリピン(46.6%)、タイ(36.1%)、トルコ(32.0%)、ブラジル(21.0%)と新興成長国は相対的に高くなっています。食料品価格の高騰が消費者物価上昇の一因であることが分かります。また、やや余談ですが、食料品価格の高騰は経済的・政治的な問題に発展するリスクもあります。特にアジア諸国は、最近価格高騰が激しいコメへの依存度が高いこともあり、穀物インフレに敏感です。すなわち、食料不足は、保護主義色の強まり、社会不安など、政治的問題、地政学的リスクの上昇などに発展する懸念があります。

 今回の資源・エネルギー、穀物価格の高騰の背景としては、年金マネーの流入や投機的な動きといった「金融要因」、あるいは、原油の採掘・精製能力増強に向けた投資不足など「供給制約の要因」、そして「地政学的な要因」もあると思いますが、個人的には、その主因は、好調な新興成長国の経済という「需要サイドの要因」とみています。中国やインドなどエネルギーを大量かつ非効率に消費する経済の台頭、米国の金融緩和効果の新興成長国への波及などを背景とした実需の強さは、資源・穀物インフレのボトムラインにあります。資源・穀物価格の高騰は、「バブル説」や「投機説」だけで説明するには無理があると思います。

 私が「需要サイドの要因」が主因であると判断している理由は、以下の通りです。

  • 新興成長国の景気は減速し、需給ギャップは縮小するものの、インフレ圧力が抑制されるほどの減速ではないため、資源・穀物の需要はなかなか減退しそうにないこと。今年7月時点のIMFによるアジア諸国の2008年・2009年の実質GDP成長率の予測は、中国は+9.7%、+9.8%、インドは+8.0%、+8.0%、NIEsは+4.2%、+4.3%、ASEAN5は+5.6%、+5.9%、となっています。
  • コモディティー価格が上昇しても、全体的に在庫水準は非常に低いこと。
  • 価値保存手段には適していない農産物価格も上昇していること。
  • 先物市場がなく金融取引の影響を受けない鉄鉱石の価格も上昇していること。

 また、一部新興成長国のインフレ圧力上昇の背景には、FRBによる積極的な金融緩和策が影響していると思います。FRBは昨年来、大幅な金融緩和に踏み切りましたが、米銀の融資態度の厳格化を受けて、米国経済に対する直接的な刺激効果は今のところ限定的なものにとどまっています。一方、米国の金融緩和は、米ドルに自国通貨をペッグ、あるいは、事実上リンクさせている新興成長国(湾岸産油国や、東アジア諸国の一部)の金融引き締めを遅らせる要因ともなっています。こうしたこともあって、2008年に入ってから新興成長国の景気が堅調に推移すると同時に、ここ数ヶ月インフレ率が上昇傾向を強めています。

 それから、中国、インド、及び、多くの東アジア諸国は、資源・穀物インフレへの対応策として、政府の補助金により価格高騰の相当部分を吸収してきました。しかし、最近のエネルギー価格急騰によって財政収支が急速に悪化したため、現在の規模で補助金を維持できず、小売価格引き上げを余儀なくされ始めています。

 新興成長国は、賃金上昇率が総じて高いため、資源・エネルギー、穀物価格の高騰による二次的影響のリスクも懸念されます。一方、主要国では、石油製品や食料品の価格は著しく上昇しているものの、他の一般消費財の価格上昇率はさほど目立っていません。すなわち、前者と後者の財の「相対価格の変化」が発生しており、こうした価格体系の構造変化が主要国のインフレ問題の本質だと思います。

(2)中央銀行の対応

 先行きについてみると、資源・エネルギー、穀物価格の上昇圧力は今後も続くと予想されます。IMFの見通し(7月)によれば、2008年、2009年の消費者物価の前年比は、先進国が+3.4%、+2.3%、新興・途上国が+9.1%、+7.4%と、新興・途上国を中心に高水準で推移すると予想されています。IMFの幹部は最近、インフレが長年にわたる「沈静期」を経て、経済安定の脅威として再出現しているとの見解を示した上で、「今回のインフレ高進は経済の安定にとって重大な問題に発展する恐れがあり、真剣に取り組むべきだ。1970年代のような高い物価上昇率とインフレ期待が復活する可能性は排除できない」と指摘しています。

 過去10年を振り返ると、各国の政策当局者が自国及び世界の経済見通しを考える際、「経済のグローバル化」の影響をどのように考えるか、が大きなテーマでした。貿易、金融、輸送、情報通信など幅広い分野で「ボーダーレス」なビジネスが展開されると同時に、中国、インド、ロシアといった多くの人口を抱える国が、グローバルな経済システムに組み込まれたほか、原油や穀物の価格高騰によって、中東産油国、ブラジル、オーストラリアなど資源国の経済力が高まり、お互い政治的にも無視できない関係になってきました。中央銀行の立場からみると、世界全体でみた需要が強すぎる中で、金利水準は総じて低すぎるといえます。中央銀行コミュニティーでは、各国に共通するグローバルな価格ショックに対して、金融政策運営はどのようにあるべきかという議論を継続しています。

 仮に、資源・穀物価格の高騰の主因が新興成長国の需要増加という見方が適切であるとしましょう。本来ならば、新興成長国の政策当局者が率先して対応することが最善の解決策です。具体的には、金融引き締めによる景気過熱の抑制、燃料補助金の削減による原油消費の抑制、エネルギーの利用効率の改善などに取り組む努力が重要です。

 こうした中、アジアの金融当局は、加速するインフレを抑制するため、金融引き締めに動いていますが、その手段は各国で異なります。例えば、自国通貨の高め誘導、政策金利の引上げ、窓口規制を中心としたマクロ・コントロール、などです。しかし、現実には、新興成長国は過度な景気減速を回避するため、段階的に金融引き締めを行う可能性があり、新興成長国のマネタリー・コンディションが十分に引き締められ、世界全体のエネルギー・穀物需要が減速する展開が実現するには時間を要します。

 この間、主要国の中央銀行が自国の景気減速というコストを支払いながら、世界全体の原油需要を抑制しているのが現状です。ただ、新興成長国の景気過熱が続く限り、原油・食料品の価格上昇という外的要因によるインフレ圧力抑制に対して、主要国の中央銀行が対応できる余地は限定的です。特に、米国のように、住宅価格急落や金融システム問題に起因する景気下振れ懸念という「負のフィードバック」が生じている国ではなおさらです。足許、大手投資銀行、ファニーメイとフレディマックの経営悪化懸念からS&P金融株指数は2002年のボトム近辺まで下落しています。こうした中で、FRBは難しい局面に立たされています。ただ、コアCPIインフレ率が上昇傾向を強める状況にないだけに、慌てる必要はないのかもしれません。

 したがって、中央銀行は、交易条件悪化による景気下振れリスク、期待インフレ率上昇のリスクのバランスをとりながら、それぞれの国や地域で、それぞれが適切と考える金融政策運営を行うことになりそうです。

 なお、6月25日付のFinancial Times紙に寄稿されたMartin Wolf氏による"How to manage the world economy through two crisis"という論説は、世界のポリシー・メーカーが採るべき処方箋について興味深いコメントをしています。

 Wolf氏は、「世界経済は、コモディティー価格高騰というインフレ圧力を与える問題と同時に、デフレ要因といえる金融システム不安という2つの嵐、に奮闘せざるをえない状況にある」という認識を示し、頭の体操として、「経済のグローバル化が極限まで進み、世界でひとつの中央銀行が世界全体の経済・物価情勢の安定のため金融政策運営を行うケースを想定しています。そのように考えると、世界全体が「成長の制約」に直面しているため、資源・穀物価格が高騰し、世界的なインフレ懸念を高めていると分析できる」としています。

 さらに、同氏によれば、「資源を輸入する先進国はGDP成長率が鈍化し、それがOECD加盟国以外のGDP成長率も鈍化させるものの、潜在成長率を下回るまで鈍化する可能性は低い」としています。世界銀行の見通しでも、新興成長国のGDP成長率は緩慢にしか鈍化しないと予想しています。そのため、同氏は、「世界経済を軟着陸させるためには、短期的な対応策と、中長期的な処方箋、という2つに分けて考える必要がある」としています。短期的な対応策としては、「新興成長国における金融政策は引き締めが最も重要である一方、先進国は金融引き締めが必要かどうかは総合的かつ個別に判断する必要がある」としています。また、「エネルギーへの補助金削減が原油消費の抑制として機能する経済にすることが重要である」とも指摘しています。中長期的な処方箋としては、「原油生産や石油精製能力の増強、油田開発関連の投資拡大、代替エネルギーの開発などが課題となる」としています。筆者は、「各国は協調して政策対応を行うことが望ましく、共同歩調をとらないとスタグフレーションというもっと厳しい事態に陥るリスクがある」と総括しています。

 私個人としては、世界経済を安定させるには、原油価格の安定が不可欠と判断しており、(1)石油消費国における戦略的原油備蓄の一部取り崩し、(2)増産に前向きな産油国の姿勢、(3)年金マネーによるコモディティー投資の縮小、など複合的な取り組みが重要です。言い換えると、金融政策だけで世界的なインフレ圧力を抑制しようとしても限界があると判断しています。

 高まるインフレ圧力と景気減速懸念というジレンマがテーマとなるエマージング市場では、金融政策や長期金利の見通しの不確実性が高まり、株価と通貨が不安定化な動きをみせています。特に、東アジア経済におけるインフレ圧力の高まりは、わが国の経済にとって新たな「霧」となりつつあるだけに、目が離せません。

5.金融政策運営の考え方

(1)金融政策を考えるうえでのポイント

 わが国経済は、エネルギー・原材料価格高騰による交易条件の悪化を受けて、民間内需の下振れ懸念が強い状況にあります。6月の交易条件(=輸入物価指数分の輸出物価指数×100)の前年同月比は、4月の-14.5%、5月の-14.8%から、-18.2%と一段と悪化しています。

 一般論として、エネルギー・原材料価格の高騰という「相対価格の変化」による物価上昇圧力は、金融政策で止めることはできません。一方、エネルギー・原材料価格の高騰が、企業や家計のインフレ予想を押し上げることによって賃金・物価がさらに上昇する二次的効果(second-round effect)が発生した場合、金融引き締めによって歯止めをかける必要があります。現在のわが国をみると、賃金の伸び率は前年比+1%前後と落ち着いており、二次的効果が発生しているわけではありません。

 日銀短観(6月調査)や支店長会議の議論をみても、景気は減速局面にあることは明白です。また、景気動向指数(CI一致指数)をみると、政府が「局面変化の可能性」から「悪化」と景気認識を近い将来に下方修正する可能性が高まってきています。景気日付判断上、2002年1月にスタートした今回の景気拡大局面は昨年10-12月にピークを付け、「緩やかな景気後退局面に入った」と判断される可能性もあります。今後は、実質購買力の低下による家計部門の支出減少が気がかりです。GDPベースの個人消費は、4-6月期は前期比マイナスとなるのが現実味を帯びてきました。しかし、企業部門をみると、在庫、設備、雇用という面で3つの過剰を抱えていないだけに、景気に粘りはあるように思います。すなわち、何らかの外的ショックが発生しても、大規模な調整が発生する可能性は低くなっていると思います。また、欧米主要国は減速局面にあるものの、新興成長国や資源国が高めの経済成長を続けているため、世界経済が減速しつつも拡大を続ける蓋然性が高いと思われます。わが国の輸出にとっての好環境は何とか維持されると想定できるのではないでしょうか。

 したがって、日本銀行としては、現在、エネルギー・原材料価格高を背景とした民間内需の下振れリスクと物価の上振れリスク、及び、国際金融市場の動向、について予断を持つことなく、丹念にウォッチするべき局面と思います。

 金融市場では、もっぱら国際金融資本市場の動向や米国経済の先行きに焦点が当たっていますが、個人的には、むしろ新興成長国の景気・物価の先行きを懸念しています。すなわち、(1)新興成長国が適切なマクロ経済政策運営によってインフレ圧力を抑制できるか、あるいは、(2)金融引き締めが不十分なまま、インフレ率の上昇に伴う実質所得の下押しが新興国の減速を想定以上のものとし、その結果、今年度下期~来年度にかけてわが国の輸出を想定以上に減速させるのか、という点です。仮に、東アジアを中心とした新興成長国の景気が失速した場合、わが国の景気見通しを下方修正する必要が出てきます。

 未曾有の資源高が継続すれば、資源輸入国から資源国への大規模な所得移転が発生します。したがって、もはや世界全体を、先進国、エマージング諸国(新興成長国及び発展途上国)という2つのグループに分けることは適切でないとの意見も説得力があります。すなわち、エマージング諸国は、(1)今後、米国景気の減速と国際商品市況の高騰、さらにインフレ圧力抑制のための金融引き締め政策で景気減速リスクが相対的に高い国、(2)資源価格高騰による交易条件の上昇によって内需が力強い成長を続けると同時に、エネルギー高に対する補助金によって原油価格高騰によるCPIの前年比上昇率をある程度抑制できる資源国、に二分されつつあります。前者の代表例は、東アジア諸国であり、後者の代表例は中東産油国です。

 わが国経済は資源国への所得移転、すなわち、交易条件の悪化によって企業収益と家計の実質購買力が抑制され、民間内需の下振れ懸念が強まっています。一方、東アジア諸国の大半も資源輸入国であるため、景気減速感がみえます。東アジア諸国では、インフレ加速が大きな社会問題となっており、成長をある程度犠牲にしてもインフレ圧力を抑制する金融政策運営を迫られる国が増えてきます。仮に、新興成長国の景気減速を受けて、資源・穀物価格の急騰に歯止めがかかるならば、わが国の民間内需の下振れリスクは若干後退しますが、東アジア諸国及び中東産油国向け輸出が減速に転じる公算が高いため、やはり注意深くみていく必要があると思います。

 世界経済を取り巻く環境は、「インフレ高進」に対し、「金融システム不安」「景気失速リスク」が、非常に強い力で引っ張り合い、「危うい均衡」状態にあります。バランスが崩れれば、主要国の長期金利は大きく変動し、株価下落に拍車がかかるリスクが高まります。金融政策の方向性は、基本的には、各国のマクロ的な需給ギャップの中長期的な見通しによって決定されるべきものですが、ボラティリティの高い金融市場、世界的なインフレ圧力の上昇は、主要国に共通する景気の下振れリスクを高める要因と判断されます。

 金融引き締めの必要性についてFRBとECBとの間には温度差があるとはいえ、2つの主要国の中央銀行が「インフレ阻止」への姿勢を明確に打ち出してきたことから、6月は、世界的に債券市場はボラティリティの高い展開となりました。

 その際、個人的には、日本銀行としては、不安定な欧米金利市場からわが国の金利市場への余波を最小限にとどめる「リスク遮断」の観点から、(1)現在は景気の下振れリスクと物価の上振れリスクを警戒すべき局面である、(2)主要国の金融政策スタンスはそれぞれ異なる、というメッセージを、丁寧かつ繰り返し送ることが重要だと思いました。実際、資源・穀物インフレによる交易条件の悪化が、企業収益の悪化や個人消費の伸び悩みという形で既に顕在化しつつあるわが国と、コスト高による賃金やインフレ期待の上昇への懸念が相対的に強い他の主要国とでは、金融政策面での処方箋が異なることは自然です。

 わが国経済を覆う「霧」という意味では、(1)「サブプライム問題」に端を発した欧米クレジット市場や株式市場の混乱、(2)エネルギー・原材料価格高を背景とした民間内需の下振れ圧力、という従来から日本銀行が指摘してきたものに加え、個人的には、(3)東アジアの新興成長国におけるインフレ圧力の高まり、という「新たな霧」も発生していると判断しています。

 このように、わが国経済を覆う霧は当面晴れそうにありません。現在は、物価の安定を通じて持続的な成長に貢献するという金融政策の目的を達成する上で、金融政策決定会合で「現状維持」を決定することに積極的な意味があると思います。日本銀行は昨年3月以来の当面の金融市場調節方針として、「現状維持」を続けていますが、金融環境は総じて緩和的であるとの判断は変えていません。実際、7月15日の金融政策決定会合後に公表した「当面の金融政策運営」という声明文の項目4において、「この間、景気の下振れリスクが薄れる場合には、緩和的な金融環境の長期化が経済・物価の振幅をもたらすリスクが高まると考える」としています。これは、わが国経済の潜在成長率の水準を考えると、いつまでも0.5%という政策金利を継続することの副作用についても、常に念頭におきながら、適切な金融政策運営を毎回毎回の金融政策決定会合で議論していると理解していただけると幸いです。

(2)金融政策運営上の情報発信の充実

 最後に、金融政策運営上の情報発信に関して私の見解を述べたいと思います。世界の経済・金融情勢を巡る環境がめまぐるしく変化する中、日本銀行による最新の経済・物価情勢の現状と先行きの見通し、及び、リスク要因について、タイムリーかつ丁寧に説明することは、時代の要請にかなっています。

 日本銀行は、2006年3月の量的緩和政策を解除した際、「新たな金融政策運営の枠組み」を決定し、公表しました。その後も、金融政策の透明性向上、あるいは、情報発信の充実について内部で議論を続けてきました。7月15日の金融政策決定会合で決定した、「金融政策運営の枠組み」のもとでの情報発信の充実について、という対外公表分は、これまでの政策委員会での議論の延長戦上にあるものです。

 具体的には、(1)毎回の金融政策決定会合後に、決定内容に加え、その背景となる経済・物価情勢の評価を「金融政策運営の枠組み」の2つの柱に基づいて整理し、先行きの金融政策運営の考え方について公表する、(2)「展望レポート」の見通し期間の延長、すなわち、今後10月の「展望レポート」においては、当該年度、翌年度に加え、翌々年度の見通しも公表する、(3)政策委員の見通し計数、リスク・バランス・チャートを四半期毎に公表する、(4)次回また次々回の会合で承認してきた金融政策決定会合の議事要旨については、今後は、すべて次回会合で承認の上公表する、というものです。

 このうち、(3)について、一言コメントします。中央銀行にとって、先行きの見通しやリスクを定量的・定性的にどうコミュニケートするかは大きな課題です。もっとも、主要な経済データの公表、あるいは、経済見通しに影響を与える想定外のイベントが発生する度に、頻繁に見通し計数を改定して公表することは、市場を混乱させるリスクがあるため、適切な情報発信とは思えません。日本銀行としては、四半期毎に具体的な計数やリスク・バランス・チャートを公表することが最適と判断しました。また、金融政策運営の判断のベースとなる経済見通しは、実質GDP、国内企業物価指数、消費者物価指数(除く生鮮食品)という3つの計数に集約できるものではありません。本行が公表する計数やリスク・バランス・チャートはあくまでも「展望レポート」や金融政策決定会合後に公表する毎回の公表文の記述を補完する参考という位置付けに変わりはありません。

 経済・物価情勢の現状判断と先行き見通しを四半期ベースでアップデートする中央銀行も増えている中、主要国の中央銀行に劣らない情報発信の充実策を小出しにするのではなく、まとめて公表することにより、市場との対話をさらに円滑に行っていく効果を期待しています。

6.終わりに代えて

 以上、わが国経済金融の現状と先行きについてお話して参りましたが、最後に、青森県経済についてお話したいと思います。

 まず、青森県の産業構造をみると、産業別就業人口は、全国に比べ第1次産業のウエイトが高い一方で、第2次産業のウエイトが低くなっています。また、産業別総生産も同様の傾向が窺えることに加え、政府サービスのウエイトが高いことが目立ちます。

 こうした産業構造にあることを背景に、当地の経済は、財政支出が抑制されている近年、厳しい環境に晒されており、足許では、エネルギー・原材料価格高から、企業部門では収益面から、家計部門では実質所得面から、それぞれマイナスの影響を受けており、足踏み感を強めているとみています。

 もっとも、やや長い目でみれば、エネルギー・食料品価格の高騰は、青森県にとって逆風ではなく追い風になるかもしれません。

 まず、エネルギーについてですが、ここ青森では県をあげて「エネルギー産業振興戦略」に取り組んでおられると聞いております。原子力関連に止まらず、再生可能エネルギーの本格的な利用に向け様々な取り組みが進められており、世界初の蓄電池併設型の風力発電の事業化が民間企業の力で進められているとお聞きしました。また、農作物の温室栽培に必要となる電力・熱を供給しつつ、そこで発生するCO2を作物の栽培に活かすという世界でも初めての画期的な試みであるトリジェネレーションの実証試験も行われていると伺いました。こうした取り組みは、世界的にみても貴重なものであり、青森県に大きな競争力をもたらすものと期待されます。

 次に食料品についてですが、青森県は、第1次産業のウエイトが高いだけでなく、農畜水産のバランスが採れており、県としての自給率も高いと伺っています。世界的にみれば食料品に対する需要は今後も高まり続けるとみられますので、この外需を取り込んでいけば県経済の活性化につながると期待されます。

 厳しい経済環境にあるとは思いますが、こうした潜在的な強みを是非活用し、青森県が飛躍に転じることを信じ期待しております。

以上