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【講演】「マクロ・プルーデンスと中央銀行」

日本証券アナリスト協会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2009年12月22日

 PDF(261KB)版は、こちらをご覧下さい。

 英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

1.はじめに

 日本銀行の白川でございます。本日は、日本証券アナリスト協会でお話する機会をいただき、光栄に存じます。

 本日この会場にいらっしゃる皆様は、何らかの形で証券市場に関わっていると思いますが、言うまでもなく、証券市場が健全に発展するためには多くの関係者による努力が不可欠です。そのひとつの重要な要素が、専門家が提供する証券の分析というサービスです。この点で、証券アナリストの方々が果たされている役割には、大変大きなものがあると思います。日本証券アナリスト協会は、そうした証券アナリストの育成を目的として1962年に発足され、以後、一貫して、日本の証券市場の発展に多大な貢献をされてこられました。私の話を始めるに先立ち、日本証券アナリスト協会の永年のご努力に、まず、心からの敬意を表したいと思います。

 証券市場、あるいはより広く金融市場、金融システムについては、今回の深刻なグローバル金融危機の経験を踏まえ、将来の再発の防止に向けた議論が活発に行われています。先週もバーゼル銀行監督委員会(バーゼル委)から自己資本規制と流動性規制に関する規制パッケージ案が公表され、来年4月央を期限に市中協議に付されることとなりました1。今回の危機は震源地が欧米であったという意識もあって、日本の金融機関は現在進行中の見直しの議論に対しやや複雑な思いがあるように感じられます。しかし、グローバルな金融システムが不安定化すると、その影響は確実に日本の金融機関にも及びます。また、欧米の関係者が日本のバブルや金融危機、アジア金融危機の教訓を十分に活かしてこなかったことが今回の危機の原因のひとつとなっているように、日本の金融機関も今回の欧米の金融危機の教訓を十分に活かさない場合は、将来、同様の問題に直面する惧れがあります。それだけに、日本の金融機関も今回の議論に積極的に参加する必要があります。

 現在はあまりに多くのことが同時に議論されているので、全体像を簡単な言葉で要約することは困難ですが、危機の教訓、危機の再発防止策を考える上でのキーワードを挙げるとすれば、私は、「流動性」と「マクロ・プルーデンス」という言葉が最も重要だと考えています。そこで、本日は主として「マクロ・プルーデンス」という言葉を軸にしながら、金融システムの安定という課題の達成に向けて、民間の市場参加者や公的当局が今後取り組むべき努力の方向性や日本銀行の取り組みについてお話します2

  1. 1   Basel Committee on Banking Supervision, "Strengthening the Resilience of the Banking Sector", "International Framework for Liquidity Risk Measurement, Standards, and Monitoring," Consultative Document (December, 2009).
  2. 2   今次金融危機の発生原因や対応の仕方を議論する際の流動性概念の重要性については、白川方明「流動性と決済システム−東京大学金融教育研究センターにおける講演−」(2008年11月)、Borio, C, "Ten Propositions about Liquidity Crises," BIS Working Papers, No. 293, (November, 2009)を参照。

2.ミクロ・プルーデンスとマクロ・プルーデンス

 最初に、マクロ・プルーデンスという概念の説明から始めなければなりませんが、そのために、この言葉と対比される「ミクロ・プルーデンス」という概念をまず説明します。ミクロ・プルーデンスは、金融システムの安定を実現する施策の背後にある従来からの考え方と言っても良いと思いますが、やや単純化して言えば、「個々の金融機関が健全経営を行えば、その集合体である金融システムは安定する筈であり、規制・監督はそうしたミクロ・レベルの健全性実現に焦点を当てることで対応する」という考え方です。一方、マクロ・プルーデンスとは、金融システムの安定は、そうしたミクロ・レベルの努力だけでは達成できず、「実体経済と金融市場、金融機関行動の相互連関を意識して、金融システム全体の抱えるリスクを分析し、そうした評価に基づいて意識的な制度設計、政策対応を行っていく必要がある」という考え方です。後から詳しく申し上げるように、どちらか一方のアプローチだけで金融システムは安定するという訳ではなく、両方ともが必要ですが、マクロ・プルーデンスという言葉で捉えようとしているアプローチをもう少し意識する必要があるというのが、今回のグローバル金融危機から得られた重要な教訓のひとつだと思います。そこで、このことの意味を、より具体的に理解するために、次に、今回の金融危機の背景について考えてみましょう。

グローバル金融危機の背景

 今回の金融危機はグローバルな規模で発生し、また、新しい商品、新しいプレーヤーも登場しましたが、起きたこと自体は、古典的なバブルの発生と崩壊です3。今回は、危機発生に先立つ時期、特に2000年代半ばにかけて、欧米を中心に大規模な信用バブルが発生しました。そのバブルの崩壊によって金融危機は始まりましたが、特に昨年秋のリーマン破綻によって、危機が一段と深刻化しました。バブル期には過大なリスクテイクが行われました。金融機関の行動に即して言えば、過大なレバレッジと資産・負債の満期構成のミスマッチが進行しました。過大なレバレッジとは、典型的には、自己資本との適切なバランスを超えて、負債を増加させることですが、より一般的に言えば、オフ・バランス取引を含め、自己資本に比べ、リスクを過度にとることを意味します。金融危機の局面においては、過大なレバレッジは金融機関の資本不足問題、ソルベンシーの問題として、表面化します。一方、満期構成のミスマッチとは、短期の負債で長期の資産をファイナンスすることですが、危機発生に先立つ時期において、ミスマッチが著しく拡大しました。その典型がSIV(structured investment vehicle)です。SIVは、中長期のサブプライム・ローン関連の証券化商品に投資する一方、それらを裏付資産とする短期のABCPの発行により資金調達を行っていました。しかし、一旦、何らかのショックが発生すると、資金調達が困難化します。そうした流動性リスクは自国通貨だけでなく、外国通貨についても発生します。今回のグローバル金融危機においては、米国以外では、特に、欧州系銀行のドルの流動性リスクは深刻でした。日本の金融機関も、ご承知の通り、昨年秋から本年初にかけて、ドルの資金不足に直面しました。流動性不足に陥ると、金融機関は資産売却を迫られますが、これは資産価格の下落をもたらし、金融機関全体としてみると、さらに流動性不足を加速させます。つまり、金融危機においては、資本不足と流動性不足の両者が相互に作用し合いながら、負のスパイラルが強まりました。

ミクロ・プルーデンスに基づく対応

 只今述べたように、危機は、金融機関の資本不足と流動性不足という形で表面化します。したがって、再発防止に向けての規制・監督上の自然なアプローチは、金融機関が保有しなければならない資本と流動性の最低水準を十分に引き上げることになります。これは、個々の金融機関の破綻の可能性を小さくすることに焦点を当てており、言わばミクロ・プルーデンスに基づく対応と言えます。

 金融機関の資本不足について言うと、今回の危機では、様々な問題が明らかになりました。過剰レバレッジの主体をみますと、伝統的な銀行業務部門もさることながら、それ以外の分野でのレバレッジの拡大が顕著でした。例えば、証券化商品は、事後的に判明したように、リスクの大きい金融商品でしたが、自己資本比率規制上、リスク・ウェイトの小さいトレーディング勘定で取り扱われました。日本の場合、トレーディング勘定は総資産の1割にも満たない規模でしたが、欧米の金融機関には4割程度に達する先もありました。このことは、リスク・アセット・ベースの自己資本比率という物差しを使う限り、少なくとも表面的には、大手金融機関のレバレッジはさほど過大ではなく、自己資本が十分であるとの評価につながることとなりました。また、証券化商品への投資は大手金融機関のSIVなどを通じても行われましたが、そのファイナンスは、本体の金融機関の信用に支えられた資金調達でした。その結果、事後的に判明したように、リスクは本体の金融機関が負担していました。この場合、規制・監督上必要な対応は、金融機関が抱えるリスクや必要とされる自己資本の額を正確に把握するとともに、個々の金融機関により多めの自己資本を求めることになります。

ミクロ・プルーデンスだけで問題は解決するか?

 このようなミクロ・プルーデンスに基づく規制・監督は必要な対応であり、その重要性は過小評価すべきではありません。日本銀行も、後で詳しく述べるように、考査やモニタリングを行っており、自己資本や流動性、リスク管理体制について様々な検証作業を行い、必要な助言を行っています。しかし、今回のグローバル金融危機は、以下で述べる理由から、こうしたミクロ・プルーデンスに基づく規制・監督だけでは、金融システムの安定を実現し、さらには、金融システム安定の究極の目的である経済の持続的成長に貢献することは難しいことを示しているように思います。

 第1の理由は、マクロの経済・金融との関係を抜きには、最適な自己資本や流動性の水準は決まらないということです。金融システムの安定だけを絶対視すると、必要な自己資本や流動性の量を著しく高めざるを得ませんが、レバレッジにせよ、資産・負債の満期構成のミスマッチにせよ、それ自体は金融機関に期待される本来的な役割です。金融機関は、一定の資本を元手に、短期の負債で資金を調達し、長期の資産で運用することによって、金融仲介機能を発揮するとともに、流動性や決済サービスを提供するという付加価値を生み出しています。そうした金融機能が適切に発揮されなくなると、経済の成長は図れません。勿論、実際には、100%の自己資本比率を求めることはない訳ですが、このことが示すように、実は、従来からの規制・監督も、金融システムと実体経済の関係、あるいは金融システム相互の関係について、何らかのマクロ的な判断を行っていると言えます。ただ、そうしたマクロの視点をより体系的に行う努力は、十分ではなかったように思います。

 第2の理由は、金融機関のインセンティブは、マクロの要因によっても大きく影響されるということです。この点で思い出されるのは、「音楽が鳴っているときは、誰もがダンスを踊る」という、サブプライム・ローン問題が表面化する前に、米国の大手金融機関経営者が発した有名な言葉です。もし将来、あの当時と同じような良好な経済環境、すなわち、高成長、低インフレ、低金利、市場の低ボラティリティーという状態が長く続いた場合、金融機関経営者や投資家は、今度は違った経営戦略や投資戦略を選択するでしょうか。また、もし自分自身は違った戦略を選択するとしても、競争相手は、どのような戦略を選択すると予想されるでしょうか。そのように考えると、誰かがリスクをとることになります。結局、金融システムを全体として捉えた場合のリスクは、ミクロ・レベルのインセンティブだけでなく、マクロの金融・経済環境というインセンティブにも大きな影響を受けることになります。

 このように考えると、金融システムの安定を確保するためには、個々の金融機関の健全性を確保していくというミクロ・プルーデンスと金融システム全体のリスクに注意するというマクロ・プルーデンスの両方のアプローチが必要です。

  1. 3   ただし、危機の程度は国毎に相対的に異なり、日本を含むアジア地域の金融システムは相対的に頑健であった(白川方明「金融規制・監督の改革:国際的な視点とアジアの視点−マレーシア中央銀行・国際決済銀行共催ハイレベル・セミナーにおける講演の邦訳—」(2009年12月)を参照)。

3.マクロ・プルーデンスの視点

 マクロ・プルーデンスの視点、すなわち、実体経済、金融市場、金融機関行動の相互連関を意識して、金融システム全体が抱えるリスクを評価するにあたっては、様々な切り口がありますが、最近では、以下で述べるように、現状を横断的に捉えたリスクの視点と将来にわたるリスクの変化、言わば、時系列的なリスクの視点という2つの軸が重要との認識が、共有されるようになってきています。

横断的なリスクの視点

 第1の「横断的なリスクの視点」とは、ある時点における金融システム全体のリスクの評価軸ですが、そこで強く意識されているのは、各金融機関のポートフォリオや各商品のリスクの相互連関です。金融機関が特定の業種へ与信や投資を集中すると、その金融機関は大きなリスクを抱えることになります。不動産に対する与信集中はその古典的な例ですが、同じことは金融システム全体についても言えます。しかし、仮に個々の金融機関単位でみた場合、特定業種へのエクスポージャーの集中がなくても、多くの金融機関が同じようなポジションをとっている場合、金融システム全体としては、大きなリスクを抱えていることになります。特定のエクスポージャー、例えば、不動産の価値に影響するショックが発生すると、各金融機関が一斉にそのエクスポージャーを圧縮しようとしますが、皆が同じような行動をとろうとすると、エクスポージャーを圧縮すること自体が難しくなります。その過程では、資産の市場流動性や資金流動性が著しく低下し、そのことが損失をさらに拡大させます。こうした一種の群衆行動現象は、“crowded trade”という言葉で呼ばれており、様々な原因によって発生します。典型的には、経済の先行きに対する見方が同一化することによって生じますが、リスク管理手法の同一化傾向によっても促進されます。金融技術が高度化すると、リスク管理も複雑化していきます。そうなると、リスク管理手法を自ら開発する資源を持たない金融機関では、他の金融機関で開発されたリスク管理手法を採用するインセンティブが高まります。こうした状態が一般化すると、銀行間で資産エクスポージャーの内容が似てくるのみならず、取引のタイミングが同期化することによって、市場の振幅が激しくなります。

時系列的なリスクの視点

 マクロ・プルーデンスの第2の視点である「時系列的なリスクの視点」とは、金融システムが抱えるリスクが、時間の経過に伴って、どのように変化していくかというダイナミックなリスク変化の評価軸です。危機に先立つ局面では、今回の危機の前にみられたように、良好な経済状態がしばらく続き、経済主体のリスク認識は楽観的となり、リスク許容度は高まっていきます。この結果、経済主体のリスクテイク姿勢が積極化すると、資産価格の上昇やレバレッジの拡大が起きますが、これによって、リスクテイク姿勢はさらに積極化します。こうしたリスクテイク姿勢の内生的な変化、つまりリスクテイキング・チャネルについてのわれわれの知識は、極めて限られています。しかし、はっきりしていることは、先ほども触れたように、マクロの金融・経済環境に大きく影響されるということです。

 リスクテイクの過程で累積した金融面の不均衡は、無限には持続可能なものではなく、いずれかの時点でバランスシート調整が生じることになります。調整は当初ゆっくりと進みます。しかし、何らかのショックをきっかけとして、資金流動性不足という形で危機が表面化し、金融市場参加者間での信認が崩壊することによって、危機は深刻化していきます。このように金融機関の利益追求行動が金融・経済のマクロ的な循環を増幅するという現象は、「プロシクリカリティ」という言葉で呼ばれており、先にご説明した横断的なネットワークの視点とは別の重要な評価軸です。

4.マクロ・プルーデンスを意識した取り組み

 それでは、マクロ・プルーデンスの重要性を意識した場合、中央銀行や規制・監督当局は、金融システムの安定に向けて、どのような取り組みが必要となるのでしょうか。

金融政策

 第1に、中央銀行は、金融政策運営において、マクロ・プルーデンスの視点を持つことが必要です。言うまでもなく、金融政策の目的は、物価の安定を通じて、持続的な経済成長の実現に貢献することです。過去四半世紀の世界の物価動向を振り返ると、物価上昇率は徐々に低下し、物価の安定という面では、多くの中央銀行は成功を収めたと言って良いと思います。しかし、金融システムの安定という面では、日本のバブル崩壊以降の金融危機、東アジアの金融危機、欧米諸国の信用バブルと今回のグローバル金融危機をはじめ、過去四半世紀の間に、バブルや金融危機の発生頻度は高まっています。しかも、皮肉なことに、バブルはいずれも、低インフレの下で発生しています。バブル発生の原因は複雑ですが、高成長、低インフレ、低金利という良好な経済状態が続く中で、流動性はいつでも望むだけ調達できるという感覚が生まれ、これがバブル発生のひとつの大きな原因となりました。私は、金融緩和だけでバブルが発生するとは思っていませんが、長期にわたって金融緩和が続くという予想が、過剰なレバレッジや期間ミスマッチを通じて、バブルの発生を加速したことは否定できないように思います。物価安定は中央銀行にとって非常に重要な政策目標ですが、短期的な物価動向だけをみて金融政策を運営すると、経済の大きな変動を招き、結果として、中長期的にみて物価安定が損なわれる事態が生じます。この点に関連し、しばしば「物価安定と金融システムの安定のトレードオフ」という言い方がなされます。しかし、本当のトレードオフは「現在の経済の安定と将来の経済の安定」の間に存在すると理解すべきだと思います。今回の金融危機を契機に、インフレーション・ターゲティング採用国でも、そうした枠組みの妥当性に関して、議論が高まっているのも、今申し上げたような事情を反映しています。その意味で、金融政策の運営にあたっては、物価というレンズと、金融的な不均衡というレンズの両方を通じて、マクロ経済を点検する習慣を身に付けておく必要があります。日本銀行の「2つの柱」に基づく金融政策の点検は、まさにそうしたことを目的としたものです。

金融システム全体のリスク点検を踏まえた監督

 第2に、強調したいことは、適切な監督の重要性です。今回の危機の経験を経て、金融機関行動は時として行き過ぎるものであり、それを防ぐために適切な監督が重要であることを改めて認識させるものでした。その際、監督当局は個別の金融機関に固有のリスクに着目して健全性を評価し監督をすることは勿論重要ですが、それに加えて、先ほど申し上げたような評価軸も意識しながら、金融システム全体のリスクを評価し、それを個別の監督にも活かすことが重要になっています。これは「言うは易く行うは難し」の典型ですが、避けて通れないチャレンジだと思います。

金融規制・監督の設計

 第3は、マクロ・プルーデンスの観点を意識した金融規制・監督の設計です。この面では様々な議論が進行中ですが、プロシクリカリティを緩和するという観点からの自己資本比率規制の見直しも、そのひとつです。銀行に対する自己資本比率規制に関しては、信用リスクが好況期には低下し、不況期には上昇することによるプロシクリカリティが指摘されていましたが、金融市場関連の収益も同様の傾向を示します。良好な金融・経済環境がある程度の期間続くと、その間に得られたデータに基づいて算出された市場リスクは、リスクの実態を過小に評価してしまう蓋然性が高まります。その結果、好況期には高い収益がもたらす資本増加から金融機関の行動が積極化し、このことがさらに資産価格の上昇等を通じて一層の金融機関行動の積極化を招く一方、不況期にはその逆のことが起こります。そうしたプロシクリカリティを緩和するためには、リスク計算の期間を長くすることを通じてリスク・アセットが過度に変動しないようにする方向での改善のほか、資本バッファーの是非も議論されています。資本バッファーとは、経済環境が良好なとき資本を積み増し、経済環境が悪化したときにこれを取り崩し可能とすることによって、自己資本比率規制をカウンターシクリカルに運用するための仕組みです。

 こうした自己資本比率規制が求めるプロシクリカリティの緩和や資本基盤の充実という基本的な方向性自体は、金融システムの安定に資するものと評価できると思います。ただし、マクロ経済との関連という観点からは、規制の強化がマクロ経済の安定に対し阻害要因となることは避けなければなりません。その意味では、各国の金融・経済情勢を踏まえつつ、新しい自己資本比率規制の実施の手順とタイミング等に関し、柔軟性を確保していくことも重要です。この点、今回、バーゼル委から示された規制の見直しの市中協議提案にも明記されているように、金融情勢が改善し、景気回復が確実になるのに応じて、実施に移すという姿勢で臨む必要があります。

会計制度

 金融機関行動に影響を及ぼす要素としては、金融政策や金融規制・監督だけでなく、会計制度も挙げられます。

 会計制度は、金融機関の保有する資産の評価や収益に直接影響を及ぼします。2008年秋以降、市場機能の低下に伴って、証券化商品の市場価格が一気に下落し、それが金融機関の資本不足懸念につながることを通じて、さらに市場機能を麻痺させるなど、下方スパイラルが強まりました。このように、金融商品の評価方法やそれを含めた会計制度全般も、金融機関行動や金融システムに影響を及ぼします。このため、会計の分野では、金融システムの安定に資するような制度設計を目指して、国際的に様々な検討が行われています。例えば、市場流動性が枯渇したと判断された時にはモデルで算出した価格で金融資産を評価できることが再確認されました。また、貸倒引当金についても見直しが提案されています。従来の発生損失に基づく引当では、景気が悪化した時点で引当が増えるため、銀行収益が急激に圧迫され、プロシクリカリティを強める傾向があるためです。現在、将来の信用損失をより早期に認識する期待損失ベースの引当という手法が検討されていますが、プロシクリカリティを抑制するという所期の目的にどの程度見合っているか、実務面で対応可能なものか、会計の本来の役割である透明性は確保できるかなど、様々な観点から検討を進める必要があると思います。

5.日本銀行の役割

 以上、マクロ・プルーデンスの役割についてお話してきましたが、ここで日本銀行が金融システムの安定という面で果たしている役割をお話します。私としては、特に以下の5点を強調したいと思います。

 第1に、日本銀行は物価の安定だけでなく、金融システムの安定も目的としています。日本銀行法をみますと、組織の目的として、「資金決済の円滑の確保を図ることを通じて金融システムの安定に資する」ことが、日本銀行の目的のひとつとして明確に定められています。日本銀行は、今回の金融危機においても、金融機関保有株式の買取りや劣後ローンの供与といった中央銀行としては異例の措置を講じましたが、これは最終的には、日本銀行法に定められた目的を達成するために決断したものです。

 第2に、日本銀行は「最後の貸し手」としての役割を果たしています。日本銀行は「銀行の銀行」であり、システミック・リスクの顕在化を防止し金融システムの安定を維持するために不可欠であると判断すれば、「最後の貸し手」として資金を供給します。その際、資金の供給がモラルハザードの発生につながらないように、いわゆる「特融4原則」という形で、基本的な考え方を明らかにしています。

 第3に、日本銀行は金融システムの安定という目的を担保するために、金融機関から様々な情報を収集しています。マクロ・プルーデンスは重要ですが、その前提として、ミクロの情報も極めて重要です。日本銀行は「最後の貸し手」として金融機関に貸出を行う以上、金融機関の経営内容、資産内容を十分に把握している必要があります。このような考え方から、日本銀行は日本銀行に預金口座を有する金融機関に対し実地考査を行うことが日本銀行法の規定に基づいて認められています。勿論、金融機関が日本銀行に駆け込んできた段階では、最早手遅れという事態も考えられます。このため、実地考査に当たっては、単に調査するだけでなく、必要に応じて様々な助言・指導も行っています。こうした実地考査に加えて、日常的なモニタリングを通じて、証券会社を含めた幅広い金融機関に関し、その経営実態や流動性管理などのリスク管理体制を把握することにも努めています。金融市場が大きく変化する時には、金融機関から直接情報を入手するルートを有していることは特に重要となりますが、昨年秋以降の局面においても、改めてこのことを強く実感しました。

 第4に、日本銀行は金融システム全体のリスク評価を行っています。日本銀行は、個別金融機関の情報や日々の金融調節、決済システムの運営等から得られた情報も活かしつつ、マクロ・プルーデンスの視点から金融システム全体の情勢を分析・評価しています。それと同時に、こうして得られたマクロ的な評価を考査・モニタリングの際の視点として活用するよう努めています。マクロとミクロを統合するというのは誰しもが認める重要な作業ですが、これをしっかりと行うためには、リサーチが不可欠です。この点、中央銀行には、金融政策の運営主体であることから、マクロ分析をベースに情勢判断を行うという組織文化が定着しています。日本銀行としては考査・モニタリングや銀行業務を通じて得られる情報、感覚を大事にしながら、マクロの分析、リサーチを行い、金融システム全体のリスクを的確に把握する努力を積み重ねていきたいと思っています。

 第5に、日本銀行は規制・監督を巡る国際的な議論に参加し、見直し作業に従事しています。金融のグローバル化を反映して、金融に関する規制・監督の大枠は国際的な場で決定される傾向を強めています。日本銀行は、金融庁とともに、バーゼル委、金融安定理事会(FSB: Financial Stability Board)等、様々な国際フォーラムにおいて、金融の規制・監督の改革に向けた議論に参画しており、私自身も数多くそうした会議に出席しています。頑健なグローバル金融システムは各国共通の利益であるとの認識の下、国際的にみて整合性のとれたルール作成に貢献するとともに、各国が自国の金融構造の違い等を適切に反映した規制・監督の枠組みを作ることが極めて重要だと思っており、今後ともこの面で貢献をしたいと思っています。

 こうした金融システムの安定を実現するための体制を中央銀行の立場から比較すると、危機発生前は、一方に、米国やイタリア、オランダ、多くのアジア諸国のように、中央銀行が単独、もしくは他の当局と共同して規制・監督を行っている国が、他方に、英国やオーストラリア等のように中央銀行は規制・監督に関与しない国が存在していました。日本はその中間ともいうべき所に位置しており、日本銀行は金融機関に対する規制権限は有していませんが、先ほども述べたように、日本銀行法の規定に基づいて、金融機関に対して実地考査を行っており、必要に応じて様々な助言・指導も行っています。

 金融の規制・監督体制は、各国の金融構造や経済の発展段階の違い、さらには、歴史的な経緯を反映して決まってくる性格のものであり、世界各国一律の正解がある訳ではありません。いずれにせよ、今回の金融危機の経験を経て、中央銀行が何らかの形で金融システムの安定という仕事に関与することは不可欠であること、また、マクロ・プルーデンスという面で中央銀行の果たすべき役割は大きいことについて認識が深まりました。わが国の場合、規制・監督という金融行政を担当する金融庁と中央銀行である日本銀行とが協力しながら、それぞれが有する機能を活かして金融システムの安定を図るという体制がとられています。わが国の金融システムは、今回の危機においては、欧米諸国と比較すると相対的に安定していたと評価できますが、日本銀行としては、今後とも金融庁と適切に協力して金融システムの安定に努力していきたいと思っています。

6.最後に

 最後に、金融システムの安定を確保する上で、情報インフラストラクチャーの重要性に一言触れて私の話を締めくくりたいと思います。金融システム全体を分析していくためには、投資家をはじめ市場参加者がアクセス可能な情報が不可欠です。この点に関しては、個別金融機関や個別商品の抱えるリスクに関するディスクロージャーは極めて重要です。これに加えて、マクロ・プルーデンスという観点からは、金融市場全体をカバーする統計の重要性についても強調する必要があります。冒頭、今回のグローバル金融危機の原因のひとつとして流動性に関する金融機関の期間ミスマッチの拡大を指摘しましたが、こうした動きをマクロ・レベルで点検するという習慣はやや希薄でした。危機発生後という後知恵ではありますが、BISが四半期毎に公表している『国際資金取引統計』は、先進国、特に欧州系銀行のドル資金に関する期間ミスマッチが、近年、著しく進行していたことを示しています4。また、不動産価格の変動が金融システムに大きな影響を及ぼす要因であることは、過去のバブルの経験から明らかですが、わが国については、不動産取引に関する価格情報がほとんど蓄積されていないなど、統計面での整備は十分とは言えません。こうした統計の作成はデータを提供する関係者の方にはご負担をおかけするものですが、金融システムの安定という観点からも是非とも必要な情報のひとつです。

 以上申し上げた金融機関・商品に関するディスクロージャー情報や統計の重要性を指摘した上で、最終的に求められているのは、そうした情報に基づく的確な分析であることは言うまでもありません。今回の危機においては、格付け情報に対する信頼性が低下しました。格付けについては様々な問題が指摘されており5、これはこれで重要な問題ですが、格付けだけを批判するというのはバランスが取れていないと思っています。マクロ・プルーデンスを考える際、横断的な視点と時系列的な視点という、ふたつの視点が重要であると申し上げましたが、こうした視点を証券の分析に的確に反映させることは非常に難しい課題です。しかし、そうした課題に応えられなければ、ミクロの分析の価値も低下します。いずれにせよ、そうした分析を行う専門家である証券アナリストの方々の果たす役割は非常に大きいことは言うまでもありません。金融市場の流動性を支えるひとつの大きな要素は多様性ですが、この面では独立した判断に基づいて多様な分析を示すアナリストの役割は重要です。情報に意味を付け加えるのは、専門家の知識、経験、哲学であり、その点でも、証券アナリストの皆さまに寄せられる期待は大きいと思います。

 長時間ご清聴ありがとうございました。

  1. 4   この点に関する分析としては、日本銀行『金融市場レポート』(2009年1月)を参照。
  2. 5   例えば、バーゼル委、証券監督者国際機構(IOSCO)、保険監督者国際機構(IAIS)の代表者からなるジョイント・フォーラム「規制・監督の枠組みにおける信用格付利用の検証」(2009年6月)を参照。

以上