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第5代総裁:山本達雄(やまもとたつお)

第5代総裁 山本達雄の写真

就任
明治31年10月20日
退任
明治36年10月19日
出身地
大分県

山本達雄は安政3年(1856年)に豊後臼杵藩士の子として大分県に生まれました。三菱商業学校を卒業後、岡山商法講習所の教頭などを経て入社した郵便汽船三菱会社で川田小一郎(当時、三菱会社最高幹部、後の第3代日銀総裁)の知遇を得て日本銀行に転じました。営業局長として日清戦争中の国債公募を成功させたほか、明治29年にロンドンに派遣され、日本が金本位制に移行する際の基盤ともなった清国からの賠償金の運用を監督するという重責を担いました。

明治31年に43歳の若さで第5代日本銀行総裁に就任してからは、急速な産業の近代化に伴う恒常的な輸入超過によって正貨準備が不足することを防ぐため、金融を引き締めて国内需要の抑制を図る一方、当時、政府による日銀借り入れが累増傾向にあったことに対し、兌換制度の維持や民間の金融逼迫の回避といった観点から対政府融資額に上限を定めるよう主張するなど、毅然とした態度で金融政策を運営したことが知られています。

明治36年に総裁を辞任した後、貴族院議員、第2次西園寺内閣大蔵大臣のほか、農商務大臣などを歴任し、昭和22年に92歳という高齢で亡くなりました。

(出典:広報誌『にちぎんクオータリー(1999年冬季号)』)