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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策

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兵庫県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 森本 宜久
2012年3月22日

目次

1.はじめに

日本銀行の森本宜久です。本日は、兵庫県の金融・経済界を代表する皆様方にご多忙の中お集まり頂き、お話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、皆様には、日頃より神戸支店による業務運営にご協力頂いております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
さて、日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員のいわゆる「政策委員」が、できるだけ頻繁に各地を訪問し、私どもの政策についてご説明申し上げ、そして直接ご意見をお聞きして、政策判断に活かすこととさせて頂いております。本日の懇談会もそうした趣旨で開催させて頂きました。

個人的なことで恐縮ですが、当地は私の大変愛着のある思い出深い故郷でございます。私は西宮市で生まれ、北には緑豊かな六甲の山並み、南には穏やかな“ちぬの海”といった環境のもと、高校を卒業するまで過ごしました。本日はこの懐かしい地で皆様とこうして懇談できますことを大変喜びとしております。

本日は、まず私から、マクロ的な内外経済の現状、先行き見通しとリスク要因についてお話しさせて頂き、次にこうしたもとでの日本銀行の金融政策についてご説明し、最後に、兵庫県経済についても若干触れさせて頂きたいと思います。その後は、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたく存じます。よろしくお願いします。

2.最近の金融経済情勢

(1)日本経済の概況

日本経済は、昨年夏場にかけて、東日本大震災後の大きな落ち込みから急速に回復しましたが、その後は、個人消費など内需が底堅く推移する半面、欧州債務問題等の影響による海外経済の減速や為替円高等が外需を下押しし、全体として横ばい圏内の動きとなっています。先行きの不確実性は大きいですが、2012年度前半には、新興国・資源国に牽引されるかたちで海外経済の成長率が再び高まるとみられることや、震災復興関連需要が徐々に強まっていくことなどから、日本経済は緩やかな回復経路に復していくとみています。

以下では、今の景気回復局面の起点であるとともに欧州債務危機の遠因でもあるリーマン・ショック時に立ち返り、それ以降の推移をお話しし、そのうえで現在の実体経済を取り巻く不確実性についてもご説明します。

(2)リーマン・ショックから震災前まで

2008年9月のリーマン・ブラザーズ証券の破綻をきっかけに、世界経済は、急激かつ大幅に収縮しました。金融危機の震源地である欧米だけでなく、日本や、アジアをはじめとする新興国経済も、欧米の需要減少などを背景に大きく落ち込みました。わが国の実質GDP伸び率は、2008年10〜12月期から2四半期連続で、米国の悪化幅を上回る前期比年率10%超のマイナスが続きました。その後は、世界的な在庫復元に加え、財政支出の拡大や大幅な金融緩和が奏効して、2009年春頃をボトムに日本経済は急速に持ち直しました。2010年の夏から秋にかけては、回復のテンポが一時鈍化しましたが、2011年の初めまで回復基調は途切れることなく続いていました。

(3)現状と先行きの見通し

しかし、昨年3月に東日本大震災が発生し、日本経済は、再び大きな下押し圧力にさらされました。震災により多くの設備がダメージを受け、製商品の製造や流通ができない状態となりました。「需要の蒸発」とも言われたリーマン・ショック時とは異なり、供給サイドに強い制約が生じたことで、昨年3月の鉱工業生産指数は実に前月比−15.5%と単月では統計作成開始以来最大の落ち込みとなりました。こうしたもとで、企業や家計のマインドは悪化し、支出活動も委縮しました。その後、関係者の懸命の取組みにより、寸断されたサプライチェーンは急速に復旧し、経済活動の持ち直しは震災直後の大方の予想を上回るペースで進みました。生産や輸出は夏場には概ね震災前の水準に復しました。

しかし、そうした矢先、日本経済は、欧州債務問題を背景とする海外経済の減速や為替円高という新たな試練に直面することになりました。これにタイの洪水被害の影響も加わって、輸出や生産の持ち直しの動きは次第に鈍化し、最近では横ばい圏内の動きとなっています。一方、内需については、復興関連需要もあって底堅い動きとなっています。個人消費は、震災等で一旦抑制された需要の復元や補助金効果による新車販売の押し上げもあって、底堅さを増してきています。設備投資については、輸出企業にみられる収益の大幅下方修正が投資抑制につながる可能性もありますが、今のところ、被災地設備の修復・建て替え等復興の本格化や耐震強化等もあり、緩やかな増加基調が続いています。この間、公共投資は、被災地自治体による復興計画策定も進捗しており、復興にかかる大型予算執行に伴って徐々に本格化していくとみられます。先行きの不確実性は大きいですが、新興国・資源国に牽引されるかたちで海外経済の成長率が再び高まるとみられることや、震災復興関連の需要が徐々に強まっていくことなどから、日本経済は、2012年度前半には緩やかな回復経路に復していくとみています。日本銀行が1月に公表した経済見通しでは、実質GDPの成長率を2012年度は+2.0%、2013年度については+1.6%としています。

(4)海外経済

昨年夏以降、欧州債務問題が世界経済の重石となっています。財政の持続可能性に関する懸念が、ギリシャなどの一部の国から、GDP規模でユーロ圏3位のイタリア、4位のスペインなどにも波及し、欧州債務問題が深刻化しました。イタリア国債の10年物利回りは一時7%を超えるなど急激に上昇し、これらの国債を大量に保有する欧州金融機関の財務の健全性への懸念も強まりました。欧州金融機関は、流動性懸念などから貸出態度を厳格化し、実体経済にも影響を及ぼしています。

昨年末以降は、欧州中央銀行(ECB)による期間3年の無制限資金供給オペの実施や日本銀行を含む主要6中央銀行の協調によるドル資金供給オペの金利引下げにより、欧州金融機関の流動性不安は後退しています。また、最近ではユーロ圏各国や国際通貨基金(IMF)による総額1,300億ユーロのギリシャ向け第2次支援策も合意され、ギリシャの無秩序なデフォルトはひとまず回避することができました。しかしながら、引き続き様々な不確実性が内在しており、欧州債務問題が抜本的な解決を迎えるには至っていません。

こうしたもとで、海外経済は減速した状態から脱していません。わが国の輸出ウェイトで加重平均した海外経済の成長率をみると、リーマン・ショックからの回復局面の2010年には前年比+6.8%、2011年1〜3月期には前期比年率+6.5%と高い伸びを示していましたが、7〜9月期には+3%台に減速し、10〜12月期には+0.9%となっています。

欧州経済をみると、昨年後半以降、各国の財政緊縮化への取組みや金融機関の貸出態度厳格化が、企業や家計のマインドを冷やしています。さらに、一部の国では、こうした実体経済の悪化が財政や金融機関の財務状況の一段の悪化に繋がるという悪循環に陥っており、停滞感を強めています。足許では、ドイツの景況感が改善するなど持ち直しの兆しもみられていますが、財政緊縮の影響が尾を引く中、欧州経済全体に前向きな循環が作動するには、なお時間を要すると思われます。

次に米国経済は、昨年夏から秋にかけて、国際金融資本市場の緊張や財政問題を受けて景況感が悪化しました。足許では、緩和的な金融環境のもとで、株価がリーマン・ショック後の高値圏で推移しているほか、雇用情勢の改善などから個人消費も底堅く推移していますが、家計のバランスシート調整圧力が根強く続く中、経済全体の回復は総じて緩やかなものとなっています。先行きも、こうしたバランスシート調整に加えて、財政問題が尾を引くとみられることから、回復ペースは引き続き緩やかなものに止まると思われます。

この間、新興国・資源国経済をみると、欧州経済の減速などを受けて成長ペースが幾分鈍化してはいますが、総じてみれば旺盛な内需を背景に高めの成長を維持しています。このうち中国経済は、これまで高成長を続けてきましたが、輸出や不動産投資等の減速により、2011年の経済成長率は前年の伸び率を下回る+9.2%となりました。2012年については民間見通しでは+8%半ばへの減速が予測されています。ただ、安定成長に軸足を移すもとで伸び率が縮小するとは言え、所得水準の上昇や都市化を背景とする構造的な内需拡大の余地は大きく、高めの成長は続けていくとみています。NIEs・ASEAN経済については、昨年後半は、インフレ率の高まりや先進国向け輸出の減少、さらにはタイの洪水の影響もあって減速しましたが、先行きは、洪水被害からの復旧に加えて緩和的な金融環境が経済活動を下支えすると考えられます。また、新興国・資源国全体としてここへきてインフレ率が徐々に低下してきており、実質購買力の回復による消費下支えも期待できます。こうした新興国・資源国の成長が今後も世界経済を牽引していくものとみています。

(5)先行きの見通しに対する不確実性

先程、申し上げましたように、わが国経済は新年度前半には緩やかな回復経路に復していくことを中心的な見通しとしていますが、全体として景気を下振れさせる方向の不確実性が高い状況にあります。ここでは、実体経済に大きな影響を与え得るリスクとして、欧州債務問題の行方、イランに関する地政学リスクの高まりによる原油高騰の可能性、夏場の電力需給の不確実性の3点に触れたいと思います。

まず最大のリスクは、欧州債務問題の今後の展開です。ギリシャ支援策の進展により、欧州債務問題を巡る緊張は幾分和らいでいますが、この先、この問題が再び深刻化し、国際金融市場の混乱や貿易取引の急減を招く可能性は皆無ではありません。このように、現時点で発生する確率は低いものの、それが生じた場合の影響は大きい、いわゆる「テールリスク」は意識しておく必要があります。欧州債務問題の根本的な原因の一つは、加盟国間の財政や競争力の格差拡大が、単一通貨制度のもとで為替メカニズムを通じて是正されず、経常収支の不均衡の蓄積が進んだことにあります。ギリシャなど周縁国は、単一通貨の恩恵を受けるかたちで経済の実力以上の低い金利で資金を調達できていたため、民間・公的部門の双方で支出を拡大しました。また、ドイツなど競争力のある中核国はこうした周縁国向けの輸出を拡大し、その結果、周縁国の経常赤字が拡大していきました。ギリシャでは、国債の7割を海外資金に依存していましたが、リーマン・ショック以降も財政赤字の拡大には歯止めがかからず、こうした中で、海外投資家の投資スタンスが慎重化したことから、周縁国の資金繰り不安が一気に顕在化しました。先日、ギリシャ向け第2次支援が決定されましたが、ギリシャの国内情勢を踏まえると、国際社会に約束した財政緊縮策を確実に実行できるかは不透明です。また、欧州諸国の多くが、新たな「財政協定」に署名するなど、ユーロ圏内部の財政ガバナンス強化に向けた動きには進展がみられていますが、個別国が財政改革や競争力強化を通じて不均衡の是正を着実に進めていけるかはなお不確実です。さらに、市場の混乱を封じ込めるための欧州安定メカニズムなどの「防火壁」の拡充といった危機対応の取組みは道半ばであり、先行きを巡る不透明感は払拭されていません。

また、イランに関する地政学リスクも高まっています。足許、中東情勢を受けて原油価格が上昇していますが、仮に情勢が一段と緊迫化して原油価格が大幅に上昇すれば、世界経済をさらに減速させる可能性があるほか、わが国にとっても貿易収支や企業収益の悪化などを通じて景気の下振れ要因となります。

国内要因としては、夏場の電力需給に関する不確実性があります。仮に国内の原発全てが停止している場合には、夏場のピーク需要時の電力需給が厳しくなり、経済活動に影響を与える可能性があります。さらに、原油価格が強含むもと原油やLNGの輸入増が純輸出を押し下げるほか、燃料費価格の変動を受けた通常の電力料金の調整に加え、火力発電のウェイト上昇に伴う電力コストの増加が仮に転嫁される場合は企業収益に与える影響にも注意を払う必要があります。

3.足許の物価情勢

次は物価情勢です。国際商品市況は、新興国の経済成長などを背景に、2009年春頃から上昇してきましたが、昨年夏場以降は、世界経済の減速を受けて幾分弱含んで推移しました。ただ、ごく足許では、イランを巡る地政学リスクの高まりなどを背景に再び上昇に転じています。こうしたもと、企業物価指数の前年比をみると、ここ数か月、前年比プラス幅は徐々に縮小してきましたが、足許の国際商品市況の上昇を受けて2月はこうした傾向に歯止めがかかっており、先行きは強含んでいくとみられます。

次に生鮮食品を除く消費者物価指数の前年比をみると、マクロ的な需給バランスの改善を受けて、2009年頃から前年比マイナス幅を縮小させてきていましたが、昨年夏頃からは概ねゼロ近傍で推移しています。当面こうした動きが続くとみていますが、その後は、中長期的なインフレ予想が安定的に推移するとの想定のもと、需給ギャップの改善などを背景に、徐々にプラスに転じていくと考えています。日本銀行が、1月に公表した物価見通しでは、生鮮食品を除く消費者物価指数の前年比は、2012年度は+0.1%、また2013年度については+0.5%となっています。

4.日本経済の中長期的な課題

(1)長期的な物価低下の背景

ここで、現在のデフレの背景について確認しておきたいと思います。わが国では、成長率が1980年代の年平均4.4%から1990年代には1.5%、そして2000年代にはリーマン・ショックの影響もあり0.6%へと趨勢的に縮小するもとで消費者物価も低下を続けています。こうした物価動向の背景には、外需減退などの循環的な要因に加えて、わが国の人口動態に根差した構造的な内需の弱さも影響し、マクロ経済全体として需要が供給能力を下回る状態、つまり需給ギャップのマイナスの状態が長く続いていることがあります。わが国では、先進国に先駆けて高齢化が進み、15歳から64歳までの人口である生産年齢人口が減少に転じました。先行きは減少ペースが加速していく見込みで、国立社会保障・人口問題研究所の予測によれば1995年の8,727万人をピークに2060年には約半数の4,418万人まで減少するとしています。

(2)持続的成長の実現に向けて

わが国経済が、こうした構造的な縮小圧力のもとで持続的成長を実現するには、何とか成長力を高め、成長期待を引き上げることが不可欠です。このためには、(1)新しい需要を創出し、生産年齢人口が減少する中にあっても、国内の労働力を確保していくこと、(2)雇用創出効果の高い産業の生産性を高めていくことが必要になります。

一つ目の新しい需要の創出と労働力の確保についてですが、少子高齢化が進展するもとで変化する潜在的な消費者ニーズの掘り起こしや、医薬・医療、新エネルギーなど社会のイノベーションにつながる独創性の高い市場の開拓が必要だと思います。また、新興国などの成長するグローバル需要への対応では、輸出面での努力とともに、地産地消型や国際分業型への移行を通じて海外からの所得増加につなげていく取組みも大切だと思います。ただ、海外生産シフトがある程度段階的に進む場合には、成長する他の部門や産業に雇用を移しながら国内雇用を確保することができますが、為替円高化等を契機に海外シフトが急速に進むと国内雇用の減少といった負の影響が生じますので、この点には注意が必要です。また、生産年齢人口が減少する中で、新しく創出した国内需要に見合う労働力を確保していくためには、労働市場の柔軟性を高め、異なる産業間での労働力の移動や、潜在的に働く意欲を持ちつつも就労していない女性やシニア層などの労働参加を容易にする取組みを進めていくことが重要です。

二つ目の雇用創出効果の高い産業の生産性向上について申し上げます。経済成長力は就業者数と労働時間、労働生産性の伸びで構成されますので、経済成長力を強化していくためには、労働力確保の取組みを進めつつ、生産性の向上を併せて進めなければなりません。1990年代以降20年間のわが国の労働生産性の伸び率は年平均1%程度に停滞していますが、これには労働生産性の伸び率が低いサービス業への就業者のシフトが影響しています。日本生産性本部のまとめによれば、この20年間の労働生産性は、製造業が年平均で2.5%と比較的高い伸びを続けているのに対し、雇用創出効果の高いサービス業は同1.0%程度に止まっています。そうした半面、就業構造の変化をみると、製造業の就業者が1990年代半ばから減少に転じる一方で、サービス業がこれを逆転し、足許では全産業の3割に達しています。とりわけ、高齢化の進展に伴って医療・介護などのシニア向けサービスの需要拡大が顕著で、こうした動きは今後も続くとみられます。独創的で付加価値の高いサービスの提供などにより、サービス業の労働生産性を高めていくことが、わが国の成長力強化の鍵になるのではないかと思います。そのうえで、さらなる潜在需要の掘り起こしで雇用を増やし、労働生産性も向上させていくという前向きの循環につなげていくことが大事だと考えています。

こうした観点から政府においても成長戦略を策定し、積極的に取組みを進めています。日本銀行でも、成長力強化が重要との観点に立ち、2010年6月に「成長基盤強化を支援するための資金供給」を導入し、拡充を図ってきましたが、詳細については後ほどの金融政策運営で述べます。デフレからの脱却は、民間企業の前向きな取組みに加えて、成長分野に対する資金供給も含めた金融面からの後押しを通じて実現されていくものです。これらを円滑に進めるためには政府による環境整備も必要です。以上を念頭に、民間企業、金融機関、そして政府とともに、日本銀行としても、役割に則し全力で取組みを続けて参りたいと考えています。

(3)財政の持続性確保に向けた取組み

次に、成長力の強化と合わせて取り組まなければならない課題として、財政の持続性確保があります。わが国の政府債務残高は対名目GDP比で200%を超えており、先進国の中で最も高い水準となっています。それにもかかわらず、国債金利が低水準で安定している理由としては、わが国が経常黒字国であることや国債の国内保有率が高いことなどが指摘されています。しかし、欧州債務問題の例にあるように、財政健全化に向けた取組み姿勢にひとたび市場が疑義を持つと、こうした状況は非連続に変化する可能性があります。これからも社会保障費等の増加圧力がかかり続けますので、財政規律に対する信頼が維持されている間に、歳出・歳入の両面で財政の構造改革を進めていく必要があります。

5.金融政策運営

(1)金融政策運営について

ここからは、金融政策運営についてお話しします。日本銀行は、わが国経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復することを最重要課題と認識しています。そうした認識のもと、これまで日本銀行は、(1)「包括的な金融緩和政策」を通じた強力な金融緩和の推進、(2)金融市場の安定確保、(3)成長基盤強化の支援という3つの措置を通じて、中央銀行としての貢献を粘り強く続けてきています。

イ.強力な金融緩和の推進

強力な金融緩和の推進という点で、日本銀行は、2月の金融政策決定会合で、新たに次の3点を決定しました。

(イ)「中長期的な物価安定の目途」の導入

第1に、日本銀行が、中長期的に持続可能な物価の安定と整合的だと判断する物価上昇率を示すものとして、「中長期的な物価安定の目途」を新たに導入しました。これまで示していた「中長期的な物価安定の理解」は、9人の政策委員の一人ひとりが、中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率の範囲を示すものでしたが、今回の「目途」は、日本銀行としての明確な判断を示したものです。日本銀行としては、「中長期的な物価安定の目途」は、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は前年比1%を目途としています。

(ロ)時間軸政策を通じた金融緩和姿勢の明確化

第2に、新たに導入した「中長期的な物価安定の目途」に基づく時間軸政策を使いながら、日本銀行の金融緩和姿勢を明確化しました。具体的には、当面、消費者物価の前年比上昇率1%を目指して、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策と金融資産の買入等の措置により、強力な金融緩和を推進していくこととしています。

当面目指す物価上昇率が「1%」では低過ぎるのではないか、というご意見もあります。この点、日本銀行では、「中長期的な物価安定の目途」を検討するにあたり、(1)消費者物価指数の計測誤差、(2)物価下落と景気悪化の悪循環が生じるリスクに備えた「のりしろ」、(3)家計や企業の物価観という3つの観点を考慮しました。このうち物価観についてみると、わが国の物価上昇率は、現在のデフレに陥る前から、海外の主要国に比べて、ほぼ一貫して低い状態が続いています。そうして培われた物価観から離れた物価上昇率を目指そうとした場合、家計や企業が却って大きな不確実性に直面する可能性があるため、今回示した水準が適当と考えました。

なお、消費者物価の動きとは別に、資産価格が上昇し、バブルが発生するようなことがあれば、結果として、長い目でみた経済・物価の安定が大きく損なわれる可能性があります。このため、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から問題が生じていないことを、強力な金融緩和を推進していく条件としています。

(ハ)「資産買入等の基金」の増額

第3に、「資産買入等の基金」による長期国債の買入額を10兆円程度増額し、基金の規模を55兆円程度から65兆円程度へと拡大しました。

「資産買入等の基金」は、短期金利の低下余地が限界的となっているもとで、長めの市場金利の低下と各種リスク・プレミアムの縮小を促して、金融緩和を一段と強力に推進するために2010年10月に創設したものです。日本銀行のバランスシート上に基金を設けて、固定金利方式の資金供給に加えて、国債やCP、社債、さらにETFやJ-REITといった多様な金融資産を買入れています。

このタイミングで基金の増額に踏み切ったのは、先行きの内外経済の不確実性がなお大きい中で、最近みられている前向きの動きを金融面からさらに強力に支援し、日本経済の緩やかな回復経路への復帰をより確実なものにするためです。国債の買入額を増額した結果、基金とは別に趨勢的な銀行券需要に対応して買入れている国債と合わせると、日本銀行は、本年末までの間、月間で3.3兆円、年率換算で約40兆円のペースで大規模に長期国債を買入れていくことになります。ただ、こうした大量の国債購入は、物価安定のもとでの持続的成長の実現のために行うものであり、言うまでもなく、財政ファイナンスを目的としたものではありません。

ロ.金融市場の安定確保の取組み

次に、日本銀行では、多様な資金供給オペレーションを活用して、金融市場の安定確保に万全を期しています。リーマン・ショックや欧州債務問題の深刻化などにより金融市場の緊張が高まると、金融機関の資金調達環境が悪化し、最終的には貸出態度を厳格化させます。

そうした事態とならないよう、昨年3月の震災発生直後には、リーマン・ショック直後を上回る過去最大の資金供給のオファーを実施しています。また、米ドル短期金融市場における緊張の高まりを受けて2010年5月に「米ドル資金供給オペレーション」を再開したほか、欧州債務問題が深刻化した11月末には、主要6中銀間で連携して、このオペの貸付金利を引き下げました。その際には、米ドル以外の5か国通貨の資金供給に備えた多角的スワップ取極の締結に合意するなどの協調対応策も合わせて講じています。

ハ.成長基盤強化を支援するための日本銀行の取組み

先程少し触れましたが、日本経済に不可欠な成長力強化を金融面から支援する観点から、2010年6月に「成長基盤強化を支援するための資金供給」を導入しました。この措置は、これからの成長の基盤となり得る分野への融資・投資に取り組む民間金融機関に対して、日本銀行が年率0.1%の低利資金を、借換えを含め最長4年で貸し付ける施策です。対象分野として「環境・エネルギー」、「医療・介護・健康」や「観光」等の18分野を例示していますが、地場産業への取組みなど「その他」に分類されるものも相当程度みられます。日本銀行による貸付残高は、当初の上限であった3兆円に達しています。また、幅広い金融機関が自らの顧客基盤や地域性などの特性に応じて、成長を支援するファンドを組成する等の多様な取組みを活発化しており、投融資額も日本銀行による貸付額を大きく上回っています。このように、本制度の狙いであった「呼び水」効果は十分に発揮されていると言えます。

このほか、昨年6月には、資本性の資金である出資や、ABL(Asset Based Lending)という、従来型の担保や保証がなくても、金融機関の目利き力次第で成長企業を発掘できるタイプの融資を対象に、5千億円の新たな貸付枠を設定しました。この3月時点の日本銀行による貸付残高は891億円と大きくはありませんが、金融機関の新たな取組みを支援するうえで一定の成果を上げていると考えています。

さらに、先週の金融政策決定会合では、成長基盤強化に向けた動きを確実にし、取組みの裾野を拡げていく観点から、新たな貸付枠を設定し、貸付額も3.5兆円から5.5兆円に増額する等強化を図りました。すなわち、(1)新規貸付の受付期限を2014年3月末まで2年延長する、(2)比較的規模の小さい金融機関から頂いた声も踏まえて、1件1百万円以上1千万円未満の小口の投融資を対象とした5千億円の新たな貸付枠を設ける、(3)3兆円の従来枠についても、遅れて参入した金融機関の取組みを支援する観点から5千億円増額することとしました。また、(4)拡大するグローバル需要を取り込み成長力強化を図る企業の対応を後押しするために、金融機関が行う自主的な取組みを外貨資金供給の面から支援する観点から、日本銀行が保有する米ドル資金を活用して1兆円の新たな貸付枠を設定することとし、詳細は来月の金融政策決定会合で検討することとしました。

(2)東日本大震災を受けた日本銀行の取組み

東日本大震災の発生から1年が経過しました。被災された多くの皆様に対し、改めて心よりお見舞いを申し上げますとともに、本日は、震災を受けた日本銀行の取組みについてもご紹介したいと思います。日本銀行は、震災発生の直後から、主に、金融・決済機能の維持、金融市場の安定確保、経済の下支えの3つの観点から、潤沢な資金供給や金融緩和の一段の強化をはじめ、様々な措置を迅速に講じてきました。震災直後の3月14日には、リスク性資産を中心に「資産買入等の基金」を5兆円程度増額して、企業マインド悪化等の実体経済への波及を未然に防止するよう努めました。また、4月には、被災地の金融機関を対象に、復旧・復興に向けた資金需要への初期対応を支援するため、長めの資金供給オペを実施するほか、担保適格要件の緩和を図ることを決定しました。

この資金供給オペについては、これまで1兆円の貸付枠に対し、約5千億円の利用がありました。被災地の金融機関の資金繰りに総じてゆとりがあるため、最近の利用は少額に止まっていますが、復旧・復興に向けた資金需要への対応を支援するという目的に照らし、安全弁としての効果を発揮しているものと考えています。被災地ではこれから復興が本格化していくと考えられる中、被災地金融機関から延長を求める声があることも考慮し、先週の金融政策決定会合では、2013年4月末まで、このオペを1年延長することを決定しました。

6.おわりに —— 「創造的復興」への取組み ——

最後に、兵庫県経済について触れさせて頂きます。

当地は、1995年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けました。その後、地域の再生を誓い皆様が心を一つに長年にわたり懸命の努力をしてこられた結果、現在の姿があると思っています。この間、皆様の払われたご努力は筆舌に尽くし難く、心より敬意を表します。単に復旧・復興を果たすだけでなく、中長期的な成長力の強化をも視野に入れた新しい街づくりへの取組みをしてきたことが、東日本大震災の被災地の再生モデルとして大いに注目されています。創造的復興事業と位置付けて1998年から取組まれた「神戸医療産業都市」構想における「先端医療産業特区」(2003年認定)では、外国人研究者の招聘や外資系企業の誘致、それら進出企業との産学連携が進んでいると伺っています。さらに、本年秋に共用開始予定の次世代スーパーコンピュータも地域の成長力を高めるインフラとしての機能が期待されます。足許では、世界的な需要減退や海外生産シフトを背景とした国内事業縮小の動きもみられますが、環境・エネルギー・インフラ、航空・宇宙、医療・ヘルスケア、高機能素材、食品・飲料など多くの先端分野や新成長産業が着々と育っており、地域経済全体として環境変化への対応が進んでおられるように思います。

また、当地は様々な歴史の舞台でもあり、観光地や景勝地として人気を集める資源が数多くあります。今年は、NHK大河ドラマ「平清盛」が放映されていますが、神戸市をはじめ兵庫県内には、平家にまつわる数多くの史跡等があり、観光客増加による経済効果が期待されます。平清盛は、幕末の神戸開港に先駆けること約700年前に、大輪田泊(神戸市兵庫区)を修築して宋との貿易を活発化させました。また、物価安定には苦労したようですが、大量に輸入した宋銭を流通させ、現在へとつながるわが国の貨幣経済発展の道筋をつけるなど、中世の日本経済で大きな役割を果たしたと言われています。このように古より進取の気性に富む当地で、現在の様々な努力が結実し、兵庫県経済がますます順調に発展を遂げられることを強く期待しています。ご清聴ありがとうございました。