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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営神奈川県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2021年2月3日

1.はじめに

おはようございます。日本銀行の若田部です。本日は、新型コロナウイルス感染症の影響が続く中、オンライン形式ではありますが、神奈川県の行政および金融・経済界を代表する皆様方とお話する機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃より横浜支店の業務運営に多大なご協力を頂いており、厚くお礼申し上げます。私は横浜に生まれ、藤沢で育ちましたので、本日の会合の機会を頂けたのは誠に光栄です。

日本銀行は、1月の金融政策決定会合において、『経済・物価情勢の展望』、いわゆる『展望レポート』を取りまとめ、2022年度までの経済・物価見通しを公表しました。本日は、その内容をご紹介しながら、内外の金融経済情勢に対する日本銀行の見方をお話し、今後の金融政策運営について、「より効果的で持続的な金融緩和のための点検」の考え方にも触れつつ、ご説明します。締めくくりとして神奈川県経済の状況についても言及します。

2.経済・物価情勢

(1)世界経済の動向

今回の危機の性質は、感染症の動向に伴って不確実性が大きいことと、業種や属性によって影響が不均一であることが指摘できます1

まず、世界経済の動向から話を始めます。世界経済は、一部で感染症の再拡大の影響がみられていますが、昨年前半に大幅に落ち込んだ状態からは持ち直しています(図表1)。ただし、昨秋以降、米欧を始めとする国・地域で、新規感染者数が再び増加する中で、対面型サービス業を中心に下押し圧力が加わっています。特に、欧州ではその影響が強く現れています。もっとも、製造業の生産活動や貿易量は回復を続けており、感染症拡大前の水準に戻りつつあります。そうしたもとで、グローバルな企業の業況感は、製造業とサービス業で持ち直しのペースに差がありますが、全体として改善基調が維持されています。

先行きの世界経済は、各国・地域の積極的なマクロ経済政策にも支えられて、改善を続けるとみています。ただし、当面は、米欧を中心とした感染症の再拡大の影響もあって、改善ペースは緩やかなものにとどまると考えています。IMFが公表した最新の世界経済見通しでも、世界の実質総生産は、2020年に大幅に落ち込んだ後、2021年は持ち直す姿が予想されていますが、その水準は2019年を幾分上回る程度となっています。また、世界経済には、地政学、気候変動を始めとする様々なリスクが重層的に存在することには注意が必要です。

  1. Gopinath, G., 2021, "A Race Between Vaccines and the Virus as Recoveries Diverge," IMF Blog, January 26, 2021.
    https://blogs.imf.org/2021/01/26/a-race-between-vaccines-and-the-virus-as-recoveries-diverge/.

(2)わが国の経済情勢

次に、わが国の経済情勢です。わが国経済も、感染症の影響から引き続き厳しい状態にありますが、幅広い経済活動が抑制された昨年4~5月をボトムに、基調としては持ち直しています。感染症の影響は、モノの生産や取引では相対的に小さい一方、対面型のサービスでは大きくなっています。現在、この不均一性がより明確化しています。この点も踏まえて、項目別にやや詳しくご説明します。

まず、輸出・生産の動向です(図表2)。貿易活動を含むモノの取引が相対的に早いペースで持ち直していることから、増加を続けています。実質輸出を財別にみると、自動車関連がペントアップ需要からはっきりとした増加を続けているほか、情報関連の増加基調も明確です。資本財も、世界的な生産活動の回復を受けて、増加に転じています。先行きの輸出・生産は、世界経済が改善を続けるもとで、資本財や情報関連も含め、幅広く増加していくとみています。

次に、設備投資です(図表3)。業種間のばらつきを伴いながら、全体としては下げ止まっています。機械投資は、減少が続いていましたが、輸出・生産の増加を受けて、このところ持ち直しています。一方で、建設投資は、対面型サービス業における店舗や宿泊施設の建設減少の影響から、緩やかな減少傾向が続いています。12月の日銀短観で、今年度の設備投資計画をみると、前年比-2.4%となっています。計画が徐々に下方修正されている点には注意が必要ですが、経済活動の落ち込みの大きさに比べると、小幅なマイナスにとどまっています。緩和的な金融環境によって、設備投資の大幅な調整が防がれている面が大きいと考えています。この点について、日本銀行のスタッフによる分析は、今次局面で金融機関の緩和的な貸出態度が維持されていることは、中小企業を中心に、設備投資全体を相応に押し上げる効果を持つとの結果を示しています2。先行きの設備投資については、当面、機械投資が牽引するかたちで持ち直した後、緩和的な金融環境や政府の経済対策、企業収益の改善に支えられて、増加していくと予想しています。

続いて、個人消費です(図表4)。個人消費は、基調としては徐々に持ち直していますが、足もとでは、飲食・宿泊等の対面型サービス消費において下押し圧力が強まっています。消費活動指数をみても、財消費は、全体として持ち直しが続いていますが、サービス消費は、感染症の再拡大により、改善の動きが一服しています。神奈川県を含む11都府県に緊急事態宣言が再発出されていることもあり、当面の個人消費も、対面型サービス消費を中心に下押し圧力が強い状態が続くと予想されます。対面型サービス業には、小規模事業者・非正規雇用者が多いだけに、雇用面への影響を含め、今後の動向を注意してみていく必要があります。

こうした個人消費の背後にある雇用・所得環境は、弱い動きが続いています(図表5)。雇用者数をみると、非正規雇用者の減少を主因に、前年比マイナスが続いています。また、一人当たり名目賃金は、所定外給与の減少を主因に下落しています。このため雇用者所得は減少しています。もっとも、拡充された雇用調整助成金が雇用削減の歯止めとして働いています。日本銀行や政府の資金繰り支援策などにより、企業倒産は低水準で推移しています。休廃業についても急増はしていません3。そうしたもとで、就業者数の減少は、経済活動の大幅な低下に比べると抑制されています。当面、雇用・所得環境には、下押し圧力が残るとみられますが、その後は、内外需要の回復に伴い、改善基調に転じていくと考えています。

以上をまとめた、わが国経済の見通しです(図表6)。感染症の再拡大を受けて、当面は、対面型サービス消費を中心に下押し圧力の強い状態が続くとみています。もっとも、その後、不確実性は大きいですが、メインシナリオとしては、外需の回復や緩和的な金融環境、政府の経済対策の効果にも支えられて、わが国経済は、緩やかながらも改善基調を辿ると考えています。『展望レポート』の政策委員見通しの中央値は、2020年度に-5.6%と大幅なマイナス成長となった後、2021年度は+3.9%、2022年度は+1.8%となっています。年度でみて、実質GDPが2019年度の水準に戻るのは、2022年度頃ということになります。

以上の中心的な見通しについては、下振れリスクが大きいとみています。内外で感染症が再拡大しており、その影響がどの程度経済活動を下押しするか、不確実性が強い状況です。一部の国でワクチンの接種が始まったことは心強い動きですが、普及のペースや効果には不透明感があります。当面、感染症の帰趨やその内外経済への影響に注意が必要な状況が続くと考えています。また、感染症の影響が収束するまで、成長期待とインフレ予想が大きく低下せず、金融システムの安定性が維持されるかについても不確実性があります。こうした点を念頭に、引き続き、内外経済の動向を注意深く点検してまいります。

  1. 2『経済・物価情勢の展望』(2021年1月)のBOX3「感染症ショックの雇用・設備投資面への波及状況」(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor2101b.pdf)を参照して下さい。
  2. 3休廃業に関しては、カバレッジや調査方法の異なる幾つかの統計が存在しており、振れも大きいため、幅をもってみる必要があります。すなわち、登記手続きにより廃業した会社を対象とする法務省の登記統計では、2020年1-11月時点で前年同期比-3.2%、それに加えて特段の手続きを取らずに廃業・休業した会社を含む帝国データバンクの統計では、2020年の前年比は-5.3%となっています。他方、東京商工リサーチの統計では、2020年の前年比は+14.6%となっています。

(3)物価情勢

続いて、物価情勢についてお話します(図表7)。現在、生鮮食品を除く消費者物価の前年比はマイナスとなっていますが、エネルギー価格やGo Toトラベル事業による宿泊料の割引といった一時的要因を除けば小幅のプラスで推移しています。現時点では、企業ヒアリングなどのミクロ情報に鑑みても、企業が値下げにより需要喚起を図る行動は広範化しておらず、経済の落ち込みが大きいにもかかわらず、デフレの再燃は起きていません。需給ギャップの落ち込みの大きさに比して、物価の落ち込みは現時点では限定的にとどまっています。

当面、消費者物価の前年比は、マイナスで推移するとみられますが、その後は、一時的要因が剥落し、経済が改善していくもとでプラスに転じ、徐々に上昇率を高めていくとみています(前掲図表6)。『展望レポート』の政策委員の物価上昇率見通しの中央値は、2020年度が-0.5%、2021年度が+0.5%、2022年度が+0.7%となっています。このように、今のところ、物価が全般的かつ持続的に下落し、デフレが再燃するとは考えていませんが、感染症の及ぼす影響はもちろん、物価固有のリスク要因にも注意が必要です。今回の『展望レポート』でも、企業の価格設定行動の不確実性と、為替相場の変動や国際商品市況の動向の2点を指摘しています。特に、為替相場の変動が物価に及ぼす影響については、最大限の関心をもって注目しています。

3.日本銀行の金融政策運営

ここからは、日本銀行の金融政策運営についてお話します。感染症は、経済・物価・金融情勢に大きな影響を及ぼしています。こうしたもとで、日本銀行としては、まずは何より、感染症のショックへの対応として、企業等の事業継続を資金繰り面から支援すること、また、金融市場の安定を図ることで、雇用を始めとする実体経済の悪化を回避することが重要と考えています4。それと同時に、感染症の影響により、経済・物価への下押し圧力が長期間継続すると予想されることを踏まえて、今後の金融政策運営のあり方についても考えていく必要があります。

  1. 4これは、人々の人的資本、企業の組織資本の毀損をできるだけ防ぐことにつながります。組織資本については、次の論文を参照して下さい。Prescott, E. C., and M. Visscher, 1980, "Organization Capital," Journal of Political Economy, 88(3), pp.446-461.

(1)感染症の影響への金融政策面での対応

まず、当面の対応です(図表8)。日本銀行では、感染症対応として、昨春以降、(1)企業等の資金繰りを支援するための「特別プログラム」、(2)国債買入れやドルオペなどによる潤沢かつ弾力的な資金供給、(3)ETFおよびJ-REITの積極的な買入れ、の「3つの柱」による強力な金融緩和を行っています。

日本銀行の対応は、効果を発揮しています(図表9)。内外の金融市場は、昨春に大きく不安定化しましたが、日本銀行をはじめ、各国の政府・中央銀行の大規模な対応により、落ち着きを取り戻しています。企業等の資金繰りにはなお厳しさがみられますが、日本銀行・政府の対応と金融機関の積極的な取り組みにより、外部資金の調達環境は緩和的な状態を維持しています。金融機関の貸出態度は、緩和的な状態が維持されています。銀行貸出残高やCP・社債の発行残高は、いずれも高い伸びが続いています。

しかしながら、先行き、景気の改善が緩やかなもとでは、企業等の資金繰りにはストレスがかかり続けるとみられます。こうしたもとで、日本銀行は、昨年12月の金融政策決定会合で、「特別プログラム」の期限を9月末まで半年間延長し、引き続き、企業等の資金繰りを支援していくことを決定しました。今後も、同プログラムを含めた現在の金融緩和をしっかりと実施していく考えです。また、感染症の影響を注視し、必要があれば、躊躇なく追加的な金融緩和措置を実施する方針です。

(2)より効果的で持続的な金融緩和のための点検

次に、今後を見据えた対応です。日本銀行では、2%の「物価安定の目標」を実現する観点から、より効果的で持続的な金融緩和を実施していくための点検を行い、3月の金融政策決定会合を目途に結果を公表することとしました。

最初に、金融政策運営を取り巻く世界的な環境をみておきたいと思います。2007~08年のグローバル金融危機後、先進国では、自然利子率――経済の総需要を潜在GDPと均衡させる利子率――が趨勢的に低下するもとで5、低成長・低インフレ・低金利が長期化し、いわゆる「日本化」が取りざたされています6。そうした中、政策金利が金利下限制約に達しやすくなっていることから、先進国の中央銀行では、金融政策の有効性と信認をどのように高めるかという共通の課題に直面しています。最近、米欧の中央銀行であるFRBやECBが金融政策の枠組みレビューを行っているのも、こうした問題意識に基づくものです。

わが国では、米欧に先駆けてこの課題に直面しています。そのもとで、日本銀行は、2013年から、「量的・質的金融緩和」(QQE)という大規模な金融緩和を実施しています。2016年の夏には、金融政策の枠組みレビューに相当する「総括的検証」を実施しました。その結果を踏まえ、2016年9月には、長短金利の操作を行うイールドカーブ・コントロールと、インフレ率の実績値が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大方針を継続するオーバーシュート型コミットメントを骨格とする「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入し、この枠組みのもとで、現在まで大規模な金融緩和を続けています。

このうちオーバーシュート型コミットメントは、インフレ率が景気の変動等を均してみて、平均的に2%となることを目指すという考え方を前提とし、人々の予想物価上昇率に強力に働きかける約束です。この点、FRBが戦略、手段、コミュニケーションの3つの視点から金融政策の枠組みレビューを実施し、昨年夏に、インフレ目標について「時間を通じて平均して2%」を目指すとするmake-up(埋め合わせ)戦略を表明したのは7、日本銀行が既に採用している政策運営の考え方と共通点があるといえます8。共通の課題に取り組んでいる以上、日本銀行としても、海外中銀での議論や経験も参考にしてまいります。

今回の日本銀行の点検においては、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」が金融環境や経済・物価情勢にどのような効果を及ぼしたかをみていくことが出発点になります。そこで、まず金融緩和の波及メカニズムを確認しておきます。想定しているのは次のようなメカニズムです(図表10)。まず、イールドカーブ・コントロールによって、名目金利をイールドカーブ全体にわたって低位に安定させます。同時に、オーバーシュート型コミットメントにより予想物価上昇率を引き上げます。この結果、名目金利から予想物価上昇率を差し引いた実質金利は低位で推移します。ここで重要なのは実質金利です。デフレが進んでいると、仮に名目金利は低くても、企業や家計の実質的な資金負担は高止まりすることになります9。低い実質金利は、低い資金調達コストや良好な金融資本市場といったルートを通じて、金融環境を改善させ、つれて、経済活動を押し上げ、需給ギャップを改善させます。需給ギャップの改善は、予想物価上昇率の上昇と相俟って、現実の物価上昇率を押し上げます。

2013年の「量的・質的金融緩和」の導入以降の金融・経済動向をみると、概ね想定したメカニズムに沿って推移してきたことが分かります(図表11~13)10。きわめて低い名目金利と、「量的・質的金融緩和」の導入前を上回る予想物価上昇率により、実質金利ははっきりとしたマイナスで推移しています。そのもとで、銀行貸出は2%程度の伸びを続けました。金融資本市場では、為替相場が総じて安定的に推移し、株価は上昇基調を辿っています。需給ギャップがはっきりとプラスに転じた2017年以降11、一貫してプラス幅を拡大し、失業率も低下し、有効求人倍率は上昇し、就業者数は増加しました12。7年連続でベースアップが実現し、消費者物価の前年比はプラスの状況が定着しました。「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではない状況となりました。

しかしながら、2%の「物価安定の目標」の実現には至っていません。パートの時間当たり所定内給与にみられるように、賃金の上昇圧力は着実に高まったものの、長期にわたるデフレの経験により定着した、物価が上がりにくいことを前提とした人々の考え方や慣行を転換するには、時間がかかっており、予想物価上昇率のプラス幅は拡大していません。企業の生産性向上余地や弾力的な労働供給も、物価上昇圧力を吸収してきました。こうしたもとで、昨年の春、感染症のショックが発生しました。感染症の影響が加わり、予想物価上昇率は弱含み、需給ギャップは大幅に悪化しました。今後も経済・物価への下押し圧力が長期間継続すると予想され、2%の実現にはかなりの時間がかかると見込まれる状況にあります。

今回の点検は、こうしたもとで、経済を支え、2%を実現する観点から、より効果的で持続的な金融緩和を実施するために行うものです。点検に当たって、まず、2%の「物価安定の目標」と「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の枠組みは、現在まで適切に機能しており、見直す必要はないと考えています。すなわち、第1に、2%の「物価安定の目標」がすべての起点となって、この金融緩和が実現しています。日本と共通の課題を抱えている海外中銀でのレビューも、目標値を下げるのではなく、目標値のより効果的な実現を目指すものです13。第2に、先程述べたように、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」のもとで、金融・経済動向は、概ね想定したメカニズムに沿って推移してきました。足もとでは感染症という予期せぬショックが加わっていますが、2%の実現に向けた政策運営の基本的な方向性は間違っていません。第3に、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は、中央銀行の独立性を維持しながら、財政政策と金融政策のポリシー・ミックスを効果的に達成する枠組みになっています。現在、感染症への対応として、政府は低金利環境を活かして経済対策を実施するための国債増発を行っています。一方で、日本銀行は、金融政策の観点から、経済・物価・金融情勢を踏まえて金利水準を決定し、緩和的な金融環境を実現しています。このように、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は、中央銀行と政府が、それぞれの役割を果たしながら連携・協調することを可能としています14

従って、点検は、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の継続を前提にしながら、その運営や資産買入れなどの各種施策について行います。各種の施策を見直すかどうかは、点検の結果次第であり、具体的に述べる段階にはありませんが、点検に当たっては、次のような問題意識を持っています。第1に、いわゆる政策のコストをできるだけ抑えながら、効果的な金融緩和を実施することです。もともと「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は、費用と効果の2つのバランスを取りながら金融緩和を行う枠組みですが、費用対効果の面でより効果的な運営ができないか模索していく必要があります。第2に、金融緩和の長期化が予想される中で、平素の運営において持続性を高めるとともに、経済・物価・金融情勢の変化が起こった際には、機動的に対応できるようにしておく必要があることです。こうした状況の変化に応じて、よりメリハリをつけた運営を行うことが考えられます。ここで強調しておきたいのは、今回の点検は、金融緩和の後退方向での議論ではないという点です。また、政策のコストを抑えることを目的としたものでもないということです。コスト面に配慮しながらも、如何に効果的な金融緩和を機動的に行うかが議論の焦点になります。

以上、金融政策運営の考え方についてご説明してきました。金融政策運営において、コミュニケーションは重要な要素です。最近では、中央銀行の意図が狙い通りには伝わらない難しさを論じ、その改善を提案する研究もあります15。日本銀行では、これまでも、講演や記者会見、本日のような意見交換の場、ホームページやSNSなど、様々なチャネルを用いて、幅広い層に対して、情報発信を行ってきました。引き続き、今回の点検の内容も含め、政策運営の考え方をできるだけ分かりやすく説明する工夫や努力を不断に行ってまいります。

  1. 5米国、カナダ、ユーロ圏、英国については、Holston, K., T. Laubach, and J.C. Williams, 2017, "Measuring the Natural Rate of Interest: International Trends and Determinants," Journal of International Economics, 108, pp.S59-S75を参照して下さい。日本については、須藤直・岡崎陽介・瀧塚寧孝(2018)「わが国の自然利子率の決定要因――DSGEモデルとOGモデルによる接近」日銀リサーチラボ、No.18-J-2を参照して下さい。
  2. 6「日本化」については、以下で議論しました。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――愛媛県金融経済懇談会における挨拶」2020年2月5日
    (https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2020/ko200205a.htm/)。
  3. 7 "Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy," August 27, 2020,
    https://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/files/FOMC_LongerRunGoals_202008.pdf.
  4. 8make-up(埋め合わせ)戦略とは、物価の一時的な下振れが続く場合には、一時的な上振れを許容するという考え方です。
  5. 91923年に、英国の経済学者J.M.ケインズは、次のように解説しています。「経済学者は、『名目』金利と『実質』金利との間に有益な区別を設けている。年利5%の融資が行われた時点で商品100個分の価値がある金額が、年末に商品90個分の価値しかなかった場合に貸し手が利息込みで受け取る金額は、商品では94.5個分にすぎない。これは次のように表現できる。名目金利は5%だったが、実質金利は実はマイナスで、マイナス5.5%だった、と。同様に、期末にお金の価値が上がって、融資された資本額が商品110個分の価値を持つとしたら、名目金利は相変わらず5%だが、実質金利は15.5%になる。
    こうした考察は、実業界の人々の意識にのぼらずとも、単なる学問的な代物ではまったくない。実業界は、実質金利などにまるで言及せず、名目金利それ自体だけを考慮できるかのように言うし、実際そう考えているのかもしれない。だが、行動はそうなっていない。銀行の融資金利7%があまりに重いから、事業を縮小しようかと考えている商人や製造業者は、自分が検討している商品の予想価格についての期待に大きく左右されているのである」(Keynes, J.M., 1923, A Tract on Monetary Reform, London: Macmillan and Co. Limited, pp.20-21:山形浩生訳『お金の改革論』講談社学術文庫、2014年、27-28頁。訳文は一部変更)。
  6. 10最近の学術的な評価の例としては、Honda, Y., and H. Inoue, 2019, "The Effectiveness of the Negative Interest Rate Policy in Japan: An Early Assessment," Journal of the Japanese and International Economies, 52, pp.142-153を参照して下さい。
  7. 11ただし、需給ギャップの推計は、推計方法により異なりますので、幅をもってみておく必要があります。
  8. 12人口減少がこうした雇用市場の良好な成果の原因ではないことについては、以下で論じました。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――青森県金融経済懇談会における挨拶」2019年6月27日
    (https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2019/ko190627a.htm/)。
  9. 13それゆえ、この「物価安定の目標」を例えば1から3%へとレンジ化することは、金融緩和へのコミットメントの後退とみなされる可能性があります。
  10. 14こうしたポリシー・ミックスについての学術的論点整理としては、以下を参照して下さい。Bartsch, E., A. Benassy-Quere, G. Corsetti, and X. Debrun, 2020, "It's All in the Mix: How Monetary and Fiscal Policies Can Work or Fail Together," Geneva Reports on the World Economy, No 23, ICMB and CEPR.
    https://voxeu.org/content/it-s-all-mix-how-monetary-and-fiscal-policies-can-work-or-fail-together.
  11. 15中央銀行のコミュニケーションのあり方について論じた最近の論文としては、Candia, B., O. Coibion, and Y. Gorodnichenko, 2020, "Communication and the Beliefs of Economic Agents," NBER Working Paper No. 27800を参照して下さい。

4.神奈川県経済の現状と展望

次に、神奈川県の経済についてお話します。全国と同様に、神奈川県の景気は、新型コロナウイルス感染症の影響から引き続き厳しい状況にありますが、基調としては持ち直しています。もっとも、感染症への警戒感が続く中で、先行きの改善ペースは緩やかなものになると考えられます。しかも、神奈川県では、向こう数年のうちにも人口減少に転じることが見込まれており、少子高齢化が経済に与える影響も強まる可能性があります。

しかし、少子高齢化は自動的に経済の衰退につながるわけではありません。重要なのはそれにどう対応するかです。神奈川県では将来を見据えて経済成長を実現しようとする取り組みが非常に活発であるように見受けられます。ここでは、このうち特徴的な3つを取り上げます。

1つめは、研究開発拠点の集積です。神奈川県は、もともと研究開発に従事する人口が全国で最多という土地柄ですが、近年は研究開発拠点の集積が特に加速しています。例えば、「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」や横浜市のみなとみらい21地区には、内外有力企業の研究開発施設や大学キャンパスなどが盛んに進出しており、国内の一大研究開発拠点としての地位を高めています。今後は、産・学・官が連携した共同研究の実現などにより、国際的な競争力を有する先端産業が育成され、技術革新のエンジンとなっていくことが期待されます。

2つめは、物流拠点の整備です。神奈川県は、横浜港、川崎港、横須賀港といった国際貿易港を擁し、世界と日本を結ぶ主要な窓口として、かねてから日本の物流を支えてきました。さらに、近年は、首都に直結した高速道路網の整備が一段と進んだこともあり、これらの道路に面した県中央部を中心に、最新鋭の設備を備えた大型物流施設の着工が相次いでいます。こうした物流の効率化・高度化は、産業を問わず、生産性向上に寄与するものです。今後も、物流の要衝としての神奈川県の重要性は、益々高まっていくことが展望されます。

3つめは、観光を巡る動きです。神奈川県は、都市型観光地の「横浜市」や日本屈指の温泉地である「箱根」、歴史と文化の「鎌倉」、マリンスポーツの「湘南・江の島」など、数多くの観光資源に恵まれています。もっとも、これらの観光地への人出は、現在、感染症の流行に伴い大きく減少し、非常に厳しい状況にあります。ただこうした中にあっても、感染症の流行を受けた消費者行動の変化に柔軟に対応し、例えば滞在型で余暇や食事を楽しむといったニーズを捉えようとする動きが盛んであると聞いております。また、鎌倉市では、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台になっていることを活かして観光客の増加に取り組んでいるほか、2027年に横浜市で「国際園芸博覧会」の開催が予定されるなど、より長期的な視点に立った観光振興も活発です。こうした様々な取り組みが観光業の一段の発展につながっていくことを期待しています。

神奈川県は、海外との関わりが深い歴史を有しています。今から約160年前にペリーの来航を受けて開港し、日本の玄関口として発展する中で、ヒトやモノに併せて新しい文化や知識、考え方が流入し、それらを柔軟に受け入れながら成長してきました。こうした柔軟性が、足もとの様々な環境変化に対応する原動力となっており、産業の育成・発展に向けた前向きな取り組みにつながっていると考えています。今後、神奈川県が持つポテンシャルが最大限引き出され、さらなる成長に向けて力強く歩まれていくことを期待しております。

5.おわりに

最後に、日本経済の中長期的課題に簡単に触れたいと思います。今、私たちが直面している感染症のショックは、それが経済の傷跡(scar)として長く影響を及ぼし続けることが懸念されています16。これまでわが国では、バブル崩壊やグローバル金融危機といった大きなショックの後で、人々のマインドが委縮し、成長率が下方屈曲し、後々まで影響が残るというある種の履歴効果が働いてきました(図表14)。感染症の影響が収束した後に、日本経済で成長率の下方屈曲が起こらず、再び持続的な成長経路に復していくためには、そうした経済面での後遺症(scarring effect)をできるだけ回避することが重要です。そのために、何よりもまずは危機から迅速に脱却することが最優先ですが、同時に、今回の危機の教訓も活かしつつ、成長力を強化していくことが重要です。

感染症は社会経済活動に大きな打撃を与えていますが、成長力強化に結び付く経済構造の変革を進める契機にもなります。実際、テレワークやオンライン診療を始め、情報通信技術を活用した様々な取り組みがみられ始めています。感染症という厳しい経験を、どうすれば社会全体で前向きな力に変えていけるかという視点が不可欠です。そして成長力強化には前向きの投資、ことにヒトへの投資が欠かせません17。成長力強化への取り組みは民間部門が主役となりますが、公的部門もそうした動きを積極的にサポートします。この点、中央銀行は、お金を供給し、貸し出すことはできても、お金を使うことはできません。お金を使うのは民間部門と政府の役割です。日本銀行は、政府と連携・協調して、危機にある日本経済を政策面で支え切る覚悟です。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 16感染症の人々のマインド面への影響を懸念する議論としては、以下の論考がまとまっています。Eichengreen, B., 2021, "An Infrastructure Inoculation for America's Recovery," Project Syndicate, January 13, 2021.
    https://www.project-syndicate.org/commentary/us-economic-recovery-biden-infrastructure-plan-by-barry-eichengreen-2021-01.
  2. 17日本におけるICT投資の遅れについては、以下で論じました。若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営――佐賀県金融経済懇談会における挨拶」2020年9月2日(https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2020/ko200902a.htm/)。また、日本企業がその構成員の能力開発にかける金額はGDP対比0.1%で、これは、米国の2.1%、フランスの1.8%、英独伊の1%強を下回るとのことです(厚生労働省『平成30年版 労働経済の分析――働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について』、2018年)。