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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策札幌市金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 安達 誠司
2022年6月2日

1.はじめに

日本銀行の安達でございます。この度は、当地の行政、財界、金融界を代表される皆様とお話をさせて頂く貴重な機会を賜り、誠にありがとうございます。また、今回は当地を訪れ、皆様と対面で懇談ができますことを、大変嬉しく思います。皆様には、日頃から日本銀行札幌支店の業務運営に対し、ご支援、ご協力を頂いておりますことを、この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策運営につきまして、私の考えを交えつつお話しします。その後、皆様から、北海道経済の動向や日本銀行の業務・金融政策に対する率直なご意見をお聞かせ頂ければと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2.経済・物価情勢

(1)経済情勢

感染症の動向

はじめに、新型コロナウイルス感染症の動向について触れたいと思います。新型コロナウイルス感染症の新規感染者数は、世界全体でみると、ひと頃に比べて多少落ち着きがみられています(図表1(1))。また、先進国の多くが、「ウィズコロナ」のもとで、経済活動を再開させるスタンスをとりつつあります。このため、この感染症が経済に与える影響は、コロナ禍の初期に比べれば低下しつつあると考えられます。

こうした動きは、日本についても同様に当てはまります(図表1(2))。今年の1-3月期は、オミクロン株の感染拡大で消費はかなり抑制されましたが、4月入り以降は、感染状況は落ち着きつつあります。内閣府が発表している「景気ウォッチャー調査」をみても、オミクロン株の感染拡大がピークアウトした3月以降、景気の現状判断DIは家計を中心に改善しています。また、政府は「ウィズコロナ」に向けた施策に取り組もうとしています。

こうした中で、例外的な動きをみせているのが中国です(図表1(3))。中国政府はあくまでも「ゼロコロナ」政策を維持するスタンスを取っており、最近の同国の感染者数の急拡大に対して、ロックダウン(都市封鎖)によって感染症の封じ込めを行おうとしています。

日本経済の現状

以上のような感染症を巡る状況を踏まえ、日本経済の現状について、消費、設備投資、輸出の3つの観点を中心に、以下お話させて頂きます。

第1に、消費については、昨年10-12月期には、楽観的な見方、すなわち「もうコロナ禍は終わりかもしれない」との期待が広がり、サービス消費は急回復しました。しかし、既に言及した通り、オミクロン株の感染急拡大によって、サービス消費は年初に再び減速しました(図表2)。その後、感染状況が落ち着いた春以降は、高齢者を中心に幾分慎重な姿勢が見られるものの、サービス消費は回復しつつあるようです。統計はまだ公表されていませんが、報道や日本銀行が支店網を通じて集めたミクロ情報等によれば、ゴールデンウィーク期間中の旅行や外食といったサービス消費には、改善の動きがみられたようです。

第2に、設備投資については、日銀短観における設備投資計画など、各種サーベイ調査をみると、デジタル・トランスフォーメーション(DX)や気候変動問題への対応等への潜在需要が存在するもとで、経済の前向きな循環メカニズムにおける牽引役としての期待が高い状況が続いています。実際に、設備投資は、コロナ禍においても底堅く推移してきました。もっとも、世界的な供給制約、例えば半導体の不足や物流の逼迫等から、投資案件自体を先送りしたり、後ずれさせたりしている企業も少なくないようです。そうしたことも踏まえると、設備投資は、企業の潜在的な需要対比では増加していないのが実態だと考えています(図表3)。

第3に、輸出は、コロナ禍においても基調として増加しています。世界全体の景況観は、例えばPMIでみて、製造業、サービス業とも堅調に推移しており(図表4(1))、そのもとでわが国の輸出も基本的には増加基調を維持しています。ただし、わが国について、輸出から輸入を差し引いた純輸出をみると、原油等の原材料価格の高騰から輸入が大きく増加しており、貿易収支は赤字傾向で推移しています(図表4(2))。

これらの点を踏まえたうえで、日本経済の現状については、基調としては持ち直していると評価しています。

先行きのリスク要因

次に日本経済の先行きを考える上でのリスク要因について、2点述べたいと思います。

第1のリスク要因は、世界経済が変調するリスクです。特に米国、欧州、中国等の主要国・地域は、それぞれにリスクを有しており、これが今後の世界経済全体の下押し要因になる可能性に注意が必要と考えています。

まず、欧州では、ウクライナ情勢を受けた資源・穀物価格の高騰や供給制約が経済を大きく下押しするリスクがあります。多くの欧州諸国は、石油や天然ガスといったエネルギーの大部分について、ロシアからの輸入に依存しており、その供給が制約されれば、経済活動が下押しされるリスクがあります。加えて、ロシア・ウクライナは世界有数の穀倉地帯であり、こうした情勢が長引けば穀物の供給が滞るリスクも無視できません。このため、インフレ高進のリスクも注目されます。

次に中国では、既に述べた通り、厳格な「ゼロコロナ」政策が維持されており、主要都市のロックダウンの経済への影響は、既に統計にも表れ始めていますが、先行きの工業製品の生産を大きく下押しするリスクが懸念されます(図表5)。中国は、依然として「世界の工場」であり、東アジア周辺国へシフトが進みつつあるとはいえ、工業製品の生産が集積しています。したがって、中国の生産の下振れは世界経済の大きな下押し圧力となり得ます。「ゼロコロナ」政策を続ける中国の生産の減少が、サプライチェーンを通じてグローバルに深刻な供給制約をもたらすリスクが高まっているように思われます。ただし、新型コロナウイルス感染症の動向は、サイクルを伴う可能性はありますが、感染状況が落ち着けば、いずれは、中国も生産を回復し、さらに挽回生産を図る動きになると思われます。この点を踏まえれば、上述のリスクは一時的なものと考えることもできるかも知れません。

最後に米国では、これが私が最も注意を要すると考える世界経済のリスク要因ですが、インフレ動向とそれに対する政策対応の影響に関する不確実性が存在します。米国では現在、1980年代以来の高インフレが進行中です。また、高インフレの中身をみると、欧州等の他地域ではエネルギー価格高騰の寄与が大きくなっていますが、米国ではエネルギー価格高騰の寄与は相対的に小さく、物流の逼迫等に起因する財価格(自動車等)の高騰や、住居費等といったサービス価格の上昇の寄与が大きいという特徴があります(図表6)。加えて、労働供給の制約に伴う賃金上昇が、サービス価格の上昇を通じて物価上昇圧力として作用している可能性もあります。これらの要因の背景には、コロナ禍において米国当局が実行した積極的な財政政策や緩和的な金融政策が相応に影響していると考えられます。これら財政・金融政策は、米国の家計の資産状況を大きく改善させました。例えば、米国家計の財政状況をみると、保有する資産の評価損益の改善により、2021年10-12月期には、純資産の増加額が可処分所得比で約70%にまで上昇しています(図表7)。同比率は、1950年代以降の平均が4%程度であり、コロナ禍でいかに株価や住宅価格が高騰したかが分かります。また、米国家計の負債残高は、リーマン・ショック以降、低下したままとなっています。米国の労働供給の制約には、被雇用者の早期退職の増加の影響が大きいと言われていますが、上述のような米国家計の資産と負債の状況をみれば、早期退職が増加する背景も理解できると思います。また、住居費の上昇も、住宅価格の高騰の寄与が大きいと考えれば、現在の米国の高インフレには、「資産効果」が影響している可能性があります。そうであれば、今後、米国の金融引き締めがさらに進展する局面では、資産価格の調整を通じて、景気が大きく減速するリスクに注意が必要と考えられます。さらに、グローバルな資産価格の連動性を考慮すると、世界規模で資産価格の調整が起こる可能性にも注意が必要です。もっとも、最近の各資産市場では、金融引き締めの影響は既にある程度織り込まれたとの見方もあります。いずれにせよ、今後、米国当局の適切な政策対応、および、投資家による適切な資産価格形成を通じて、資産価格がソフトランディングすることを期待しています。

以上を踏まえると、世界経済の先行きは、リスクシナリオとしては、デフレやスタグフレーションも排除できないように思われます。一方、世界経済は、コロナ禍のショックから上手く回復し、インフレ高進にも適切に対応し、ソフトランディングできれば、リーマン・ショック後の「長期停滞」から脱出できる可能性もあります。いずれにせよ、世界経済の不確実性は依然として高いと考えられます。

第2のリスク要因は、新型コロナウイルスの変異株の感染拡大です。日本は現在、既に述べた通り、一部地域を除けば、感染状況は総じて落ち着いています。また、コロナ禍も3年目に突入し、「ウィズコロナ」に向けて、人々の行動も変容しつつあるように思います。その結果、感染症が日本経済に与える影響は、従来よりも和らいでいくと見込まれます。しかし、感染が再び拡大した場合、仮に厳格な公衆衛生上の措置が採られなくても、これまでの傾向を踏まえると、高齢者を中心にサービス消費を自粛する動きが強まる可能性は否定できません。今年1-3月期のオミクロン株の感染拡大の教訓が、「コロナ禍は当面完全に終息することはなく、今後も感染拡大の波を繰り返す」ということだとすれば、コロナ禍で蓄積したペントアップ需要の顕在化、および、その下で消費回復が加速するシナリオも当面実現できないリスクもあると思われます。

(2)物価情勢

現状

次に物価情勢についてお話しします。5月20日に公表された4月の全国消費者物価指数(除く生鮮食品)は、前年比+2.1%まで上昇しました。一見すると、日本銀行が掲げる2%の「物価安定の目標」に近づいたように見えますが、このうち+1.0%台半ば程度は原油等のエネルギー価格の上昇が寄与しており、このような変動の大きい要因や携帯電話通信料の引き下げの影響を除いた、いわゆる基調としての、あるいは、「実力ベース」のインフレ率は、前年比で+1.0%程度にとどまっています(図表8)。即ち、2%の「物価安定の目標」の達成は、現時点では依然として道半ばと言えます。

先行きの消費者物価は、メインシナリオ、すなわち先ほど申し上げたリスク要因の大部分が顕在化しない前提では、経済の回復ペースと歩調を合わせて、生鮮食品やエネルギーを除いてみれば、上昇率を徐々に高めていくとみています。もっとも、4月28日に公表した日本銀行の「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」における政策委員見通しの中央値で示されているとおり、2024年度の物価見通しは前年比+1.1%と、引き続き、2%の「物価安定の目標」の達成は難しいという見通しになっています。こうした中、4月の金融政策決定会合では、2%の「物価安定の目標」の達成に向けて、緩和的な金融政策を粘り強く続けるということを改めて確認したところでございます。

先行きに関する論点

次に先行きの物価情勢を巡る論点についてお話ししたいと思います。

コロナ禍における日本の物価の先行きに関しては、これまで、慎重な見方、すなわち、コロナ禍はマクロ的な需給ギャップのマイナス幅を拡大させ、これによりデフレ圧力が強まるリスクが高いという見方が多かったように思います。私自身も、2年前に就任した当初は、そのように考えていました。しかし、昨年来、以下の要因から、むしろ物価の上昇圧力が高まる可能性が高いと考えるようになりました。以下、私が過去の講演で申し上げたことと一部重なりますが、改めて私が物価の上昇圧力が高まる可能性が高いと考えた要因を2点ご説明したいと思います。

第1の要因は、企業の価格設定行動に関するものです。2年以上続くコロナ禍において、企業、特に消費関連サービス業は、幾度も、急激かつ大幅な需要減少に直面しました。しかし、そうした企業は、過去の大幅な需要減少局面でみせたような激しい価格競争を今次局面では行わず、値引きを小幅にとどめたり、価格を据え置いたりする行動をとってきたと考えられます。これは、需要減が公衆衛生上の措置という人為的な要因や感染症への警戒感によるものであり、企業経営者は、価格を下げても売上増加につながらないと判断したことが一因と推測されます。政策面では、政府による各種支援金や実質無利子・無担保融資、および、日本銀行による新型コロナウイルス感染症対応金融支援特別オペといった資金繰り支援策が、事業の継続を支え、企業による激しい価格競争を回避させる要因となった可能性もあると思われます。また、コロナ禍がある程度継続するという見通しの下で、企業において、様々なコストを販売価格に転嫁し、自社の財・サービスの価格を引き上げる動きが広がるのでないかと考えました。

第2の要因は、企業による成長期待に関するものです。最近の企業の設備投資計画を「資本ストック循環」(図表9)という観点からみると、将来の収益見通し、より専門的な言葉では「期待成長率」、の上方修正を伴った積極的なスタンスに変わってきた印象を受けました。企業が、自社の経営環境について、前向きな見方をするようになっていることを背景に、自社の財・サービス価格の引き上げを通じた利益率の上昇も視野に入れた、収益から設備投資への「前向きな好循環」が起きつつあるのではないかと考えました。企業が価格の引き上げを通じてマージンを拡大させることは、将来賃金の引き上げにも波及する可能性があり、2%の「物価安定の目標」を実現するための大きなカタリスト(触媒)になることが期待されると考えました。

それでは、次に、以上の2つの要因について、足もとまでの動きを踏まえて、再評価してみたいと思います。

第1の要因、即ち、企業の価格設定行動は、予想を大きく上回る原材料価格の高騰もあり、このコスト上昇分を小売りの販売価格に転嫁する動きが外食、食品メーカーで多くみられるほか、アパレル産業等でも同様の動きが広がっています。企業の価格設定スタンスを確認する観点から、日銀短観の販売価格判断DIをみると、直近3月調査では、製造業は第二次オイルショック後の1980年以来、非製造業はバブル期末の1991年以来の高い水準になっています(図表10)。これら販売価格引き上げの動きは、原材料価格の高騰を起点としたコストプッシュ型の側面が強いですが、デフレ期、例えば2007年から2008年にかけては、今回同様の原材料価格の高騰に際して、このようなコスト転嫁の動きはあまり見られませんでした。多くの企業がデフレ期に多くみられた「薄利多売」のビジネスモデルを転換しようとしているのではないかと考えています。

一方、第2の物価上昇の要因、即ち、企業による成長期待に関しては、先に指摘した世界的な供給制約の要因もあり、残念ながら多くの企業ではまだ高まっていないようです。例えば、内閣府が発表している「企業行動に関するアンケート調査」によると、今後5年間の実質経済成長率見通しは、直近の令和3年度調査では+1.0%と、前年度調査の+1.1%と同程度にとどまっています。

こうした企業による成長期待は、日本における賃上げの持続性を考える際にも重要だと考えています。日本における、いわゆる「新卒一括採用」や「年功序列型賃金」は、このところその割合が低下しつつあるとはいえ、依然としてわが国における典型的な雇用慣行と言えます。この雇用慣行の下では、若年労働者は自分の労働生産性よりも割安な賃金を甘受する一方、熟年労働者は自分の労働生産性よりも割高な賃金を享受することが発生すると考えられます。これは、従業員による「見えざる出資」といわれ1、若年労働者が自身の人的資本を雇用先企業に投資し、後からそれに対する配当を含めて高めの賃金を獲得するというもので、日本的経営の仕組みをある程度説明するモデルと考えることもできます。このモデルが成り立つには、若年労働者が雇用先企業に投資した人的資本が、企業の成長に貢献して将来の配当を生み出す、そのためには企業の売上高が持続的に成長する必要があります。現実をみると、多くの企業は、長引くデフレ下で、成長期待を失い、売上高が持続的に成長すると期待することが難しくなりました。この結果、上述のモデルの存続は危ぶまれるようになり、企業は、非正規雇用を拡大する、また退職者を労働生産性よりも割安な賃金で再雇用する等によって労働コストの削減を積極的に進めたように思います。私は、このような形で、日本的な雇用慣行に動揺がみられたのではないかと考えています。こうしたことから、「物価安定の目標」の達成のために重要な賃上げの持続性を高めるため、企業による成長期待が重要であると考えるとともに、その動向には注目しています。

  1. 1例えば、伊丹敬之ほか著「競争と革新:自動車産業の企業成長」(1988年、東洋経済新報社)に収録の第9章(加護野忠男・小林孝雄箸「見えざる出資:従業員持分と企業成長」)等。

3.金融政策等

日本銀行では、2%の「物価安定の目標」の実現まで、緩和的な政策を粘り強く続けていく所存です(図表11)。

今後の金融政策運営を考えるうえで、私が重要と考える点について、以下お話させて頂きます。

このところ、為替相場や原油価格の経済や物価等への影響が話題になっているため、その点についてお話したいと思います。最近、円安や原油価格の上昇を受けて、スタグフレーションのリスクを指摘する声や、その流れを止めるために日本銀行は早急に金融政策の修正を図るべきであるとする声が聞かれます。

日本銀行では、この論点を含めて経済・物価情勢を丹念に分析し、議論を重ねております。私自身、円安も原油価格の上昇も、経済・物価への影響は大きいため、その動き自体は注視しておりますが、そうした動きを踏まえた金融政策のあり方については、次のように考えています。

第1に、金融政策は、あくまでも基調としてのインフレ率が安定的に2%近傍で推移するよう、運営するべきだということです。先述のとおり、基調としての、あるいは、「実力ベース」のインフレ率は、足もとでは前年比+1.0%程度で推移しており、金融政策を引き締め方向に修正するのは、2%の「物価安定の目標」達成の観点では、時期尚早と考えています。

そもそも為替相場は金融政策が直接コントロールする対象ではありません。為替相場は、資産価格の一種ですが、短期的には、市場の思惑や投資家のポジション形成によって、大きく変動することは起こり得ます。金融政策がこのような短期的な変動を受けて、基調としてのインフレ率の目標達成を後回しにして対応すれば、日本経済に悪影響を与えることになりかねません。

原油価格は、為替相場と同様に金融政策が直接コントロールする対象ではないほか、その動きはグローバルな需給関係で決まる側面が強いと言えます。もし、原油価格の上昇を受けた国内エネルギー価格の上昇に対して、金融政策を引き締め方向に転換させてしまうと、国内需要は収縮する一方、グローバルな需給関係はタイトな状況が続くと見込まれる中で原油価格は高止まりし、国民生活が増々苦しくなりかねないと考えています。

第2に、依然として感染症の影響が続いている現在の局面で、金融政策を引き締め方向に転換することは、企業や家計の経済活動にとって大きなマイナスになりかねないと考えています。コロナ禍において、企業は借入金を大きく増やしました。その多くは政府保証のついた実質無利子・無担保のいわゆる「ゼロゼロ融資」です。そうした企業の借入金が予備的な流動性確保を目的としたものであれば、多くは企業の手元に滞留しているはずであり、返済にも支障は生じません。一方、それが事業存続のために必要な借入金であれば、企業はそうした資金を用い、企図した通りの売上・利益を生み、返済原資を確保する必要が生じます。企業が返済原資を確保するまでの期間が想定より長引けば、借り換えの必要も出てきますが、将来借り換える際の条件については、コロナ禍でこれまでに適用された借入条件と同じであるとは限りません。家計についても同様です。多くの家計が住宅ローンを中心とした負債を有しています。これは長期間に亘って、収入の中から返済していかねばなりません。

このような状況下で、金融政策を引き締め方向に転換させたらどうなるでしょうか。企業や家計の中には、借入負担が増えるとともに、支出活動を慎重化させるケースが生じることもあり得ます。

こうしたことから、私自身の考えでは、あくまでも2%の「物価安定の目標」の達成に向けて、緩和的な金融政策を続けることが必要と考えています。

最後に、今後の金融政策運営からは話題は離れますが、さきほど為替相場について触れましたので、為替相場と日本経済について考える際の別の視点もご紹介したいと思います。過去を振り返ると、1990年代後半以降、円高が日本の長期的なデフレ、その下での「失われた20年」をもたらす要因となった経験は忘れてはいけないと思います。デフレの原因には、新興国の台頭というグローバルな構造変化による影響もあった点は否定しませんが、持続的かつ大幅な円高によって、日本の製造業の多くが生産拠点を海外に移し、それが地方経済の疲弊、雇用喪失と賃金低下を誘発し、日本のデフレを長引かせた可能性も否定できないと考えています。一方、2013年以降の為替相場の巻き戻しは、日本の製造業の生産拠点の国内回帰を後押しする効果を持っていると考えています。そのような日本企業の生産拠点等の「企業立地」の動向は日本経済の成長を考える上で重要な論点だと思います。いずれにせよ、為替相場について考える際には、狭義のあるいは短期的な経済・物価情勢への影響のみならず、長期的な視点から捉えることも大切なように思います。

4.おわりに ――北海道経済について――

最後に、北海道経済について、日本銀行札幌支店の調査を通じて承知している情報も踏まえて、お話ししたいと思います。

北海道経済は、新型コロナウイルス感染症の影響がみられているものの、緩やかに持ち直しています。個人消費は、感染症による影響は続いていますが、足もと人流が回復傾向にあり、サービス消費を中心に緩やかに持ち直しています。この間、生産は、自動車関連における供給制約の影響が続いており、横ばい圏内の動きとなっています。先行きは、ウクライナ情勢等を受けた資源価格上昇による下押し圧力を受けつつも回復していくと考えられますが、感染症の動向やウクライナ情勢が依然として不透明な中で、下振れリスクを意識せざるを得ない状態が続くとみています。なお、政府が最近発表した外国人観光客の入国制限の見直しは、それがインバウンド客の回復に与える影響が注目されるところです。

より長い目でみますと、北海道は全国を上回るペースで人口減少が進んでおり、趨勢的な需要下押しや人手不足への対応が重要な課題です。北海道は、こうした逆風を乗り越えながら成長を続けていくうえで、幾つかの大きな強みを有していると考えています。

1つ目は、「観光」です。これまで観光を牽引していたインバウンド客は足もとまではほぼ皆無にあるなど、感染症の影響が続いていますが、北海道の観光資源が有するポテンシャルへの中長期的な期待はなお高く、例えば道内屈指のスキーリゾート地であるニセコでは、海外資本を中心とした開発投資が継続しています。また、2030年度末に予定されている北海道新幹線の札幌延伸を見据え、札幌駅周辺では再開発の動きが加速しています。この間、観光関連企業においてはウィズコロナ・アフターコロナを見据え、消費者のニーズ変化を捉えた大規模改装を実施したり、非接触型の新たなサービスを導入する動きも広がっています。また、北海道の豊富な観光資源を活かしたアドベンチャートラベル2への期待も高まっており、2023年には北海道での「アドベンチャートラベル・ワールドサミット」の開催が予定されています。

2つ目は、農林水産業を含む「食」に関する分野です。北海道では、全国の4分の1の耕地面積を活かした大規模農業が行われており、自動操舵装置等を取り入れたスマート農業の導入が進んでいるほか、農林水産業の「6次産業化」3に向けた取組みにも広がりがみられています。また、食料品の輸出促進に向けて、全国3位の貨物取扱を誇る苫小牧港周辺に大型倉庫が新設されるといった取組みもみられています。

3つ目は、全国トップクラスにあるとされている再生エネルギーの導入ポテンシャルです。北海道では、2030年度までにCO2排出量を2013年度比-48%削減、2050年までにカーボンニュートラルを達成するという目標を掲げています。こうした中、例えば、石狩湾新港地域では、(1)日本海からの強い風を活用した風力発電、(2)安価な広い土地を活用した太陽光発電、(3)豊かな森林資源を活用したバイオマス発電など、地域の特性を活かして作り出された再生エネルギーで電力需要の全てを賄う「再エネ100%ゾーン」の創設が進められているなど、再生エネルギーの地産地消に向けた様々な取組みがみられています。

こうした北海道の持つ強みを活かした前向きな取組みが実を結び、北海道の経済が一層の発展を遂げられることを祈念しまして、挨拶の言葉とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。

  1. 2北海道観光振興機構によれば、「自然」、「異文化体験」、「アクティビティ」の3要素のうち、2つ以上を含む旅行形態。
  2. 3農林水産省によれば、1次産業としての農林漁業と、2次産業としての製造業、3次産業としての小売業等の事業との総合的かつ一体的な推進を図ること等を含む取組み。