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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策道東地域金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 田村 直樹
2023年8月30日

1.はじめに

日本銀行の田村でございます。本日は、釧路、帯広、根室といった道東地域の行政および金融・経済界を代表する皆様との懇談の機会を賜り、誠にありがとうございます。また、日頃より、日本銀行釧路支店および帯広事務所の業務運営にご協力頂いておりますことに、厚く御礼を申し上げます。

本日は、まず私から、わが国の経済・物価情勢や日本銀行の金融政策運営などについてご説明させて頂き、その後、皆様から道東地域の実情に即したお話や日本銀行に対するご意見などを承りたく存じます。

2.経済・物価情勢

(1)経済情勢

景気の現状

はじめに、わが国の経済情勢についてお話しします。わが国の景気は、緩やかに回復していると判断しています。以下では、景気の現状を家計部門と企業部門に分けて、詳しくみていきます。

まず、家計部門です。個人消費は、緩やかなペースで着実に増加しています(図表1)。足もとの物価上昇や悪天候が消費を下押しする状況も一部にみられますが、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが「5類」に移行したもとで、感染症のもとで積み上がった貯蓄を背景とするペントアップ需要や、春季労使交渉等も踏まえたマインドの改善が消費を支えています。コロナ禍で大きく低下した消費性向も改善を続けており、消費行動が積極化してきています。

次に、企業部門です。輸出・生産は、海外経済の回復ペース鈍化の影響を受けつつも、供給制約の緩和や高水準の受注残に支えられて、横ばい圏内の動きとなっています(図表2)。企業収益は、業種や規模などによって状況は様々ですが、全体として高水準で推移しています(図表3)。設備投資は、緩やかに増加しており、短観でみる2023年度の設備投資計画も、はっきりとした増加計画となっています。

景気の先行き

次に、景気の先行きについてお話しします。欧米では、ひと頃に比べれば低下したとはいえ、依然としてインフレ圧力が続いており、そのもとで、各国中央銀行は利上げを継続しています(図表4)。こうした中、海外経済の先行きは、当面、回復ペースが鈍化した状態が続くと見込まれています。わが国経済の先行きは、こうした海外経済の動きが下押し圧力として働く一方、緩和的な金融環境、政府の経済対策の効果などにも支えられて、内需が主導するかたちで緩やかな回復を続けていくとみられます。

こうしたわが国経済の見通しの背景にある動きのポイントは、次の5点です。第一に、供給制約の緩和が、輸出や生産を押し上げる方向に寄与していくこと。第二に、足もとでも個人消費や設備投資の押上げに寄与しているペントアップ需要が、当面の間は、回復の支えになること。第三に、インバウンド需要が増加を続けていくこと。第四に、設備投資が、高水準の企業収益などを背景として、増加を続けていくこと。第五に、労働需給の引き締まりや物価上昇を反映して賃金上昇率が高まっていく中で、所得から支出への前向きな循環メカニズムが強まっていくことです。

7月の展望レポートで示している先行きの実質GDP成長率は、政策委員の中央値で、2023年度が+1.3%、2024年度が+1.2%、2025年度が+1.0%となっています(図表5)。日本経済の巡航速度である潜在成長率は、現状、ゼロ%台前半と推計されますので、これを上回る成長が続く見込みです。成長率が今後わずかに減速していくのは、ペントアップ需要の押し上げ効果が薄れていくことに加え、政府の経済対策の効果の減衰を織り込んでいるためです。

以上の見通しには、海外の経済・物価情勢や資源・穀物価格の動向、企業や家計の中長期的な成長期待次第で、上下双方向の不確実性があります。なお、私自身の感触としては、GX(グリーン・トランスフォーメーション)関連やサプライチェーンの強靱化に向けた投資の増加、人手不足対応やデジタル関連の投資の一段の積極化とそれによる企業の生産性の向上、生産性向上を受けた賃金と物価の好循環の強まりなどによって、先行きの成長率は上振れする可能性が相応にあると考えています。

(2)物価情勢

次に、物価情勢についてお話しします。消費者物価は、このところ2%を大きく上回り、消費税率引き上げの影響などの一時的な要因を除いてみると、バブル期まで遡っても経験していない水準で推移しています(図表6)。資源高・穀物高や為替円安を背景とした輸入物価の上昇がきっかけとなり、その転嫁の動きが幅広い品目で強まった結果、変動の大きい生鮮食品とエネルギーを除いた消費者物価の前年比は4%を超える水準となっています(図表7)。内訳をみると、「財」が7.3%と高い上昇率となっていることに加え、比較的変動しにくいサービス価格も「一般サービス(除く家賃)」が4.3%まで高まってきています1

今次局面で特徴的なのは、企業の価格設定行動の変化です。わが国では、これまで、仕入価格が上昇しても企業は販売価格の引き上げになかなか踏み切れない状況が続いていましたが、昨年来、コストカットや利益の圧縮などでは賄えないほどの原材料価格の大幅上昇を受けて、企業が価格転嫁を進めました(図表8)。これには、コロナ禍で蓄積された「待機資金」とペントアップ需要が下支えし、物価上昇の中でも消費が底堅く推移していることも影響していると考えられます。販売価格引き上げの中身を確認すると、原材料価格の転嫁から、運送料や光熱費、更には人件費の転嫁へと広がりをみせてきています。企業に1年後の価格見通しを聞くと、物価全般を上回って自社製品の販売価格を引き上げるという結果となっており、価格転嫁に対する企業の積極的な姿勢を示していると思います。

物価の先行きについて、月次のパスでみると、既往の輸入物価の上昇を起点とする価格転嫁の影響が減衰するため、当面は上昇幅を縮小していくものの、その後は再び、プラス幅を緩やかに拡大していくと予想しています。生鮮食品を除いた消費者物価の年度ベースの予想を政策委員の中央値で申し上げれば、2023年度が前年比+2.5%、2024年度が+1.9%、2025年度が+1.6%となっています(図表9)。

物価見通しも上下双方向に不確実性が大きい状況ですが、私としては、企業の価格転嫁の動きがまだ現在進行形であること、サービス価格の上昇ペースが高まってきていること、労働需給の引き締まりなどを背景に持続的な賃上げも期待できることなどから、想定以上に物価が上振れる可能性も否定できないと考えています。物価の先行きに大きな影響を与える賃上げについては、本年の春季労使交渉では、労働需給の引き締まりや高い物価上昇率を背景に昨年を大幅に上回る結果となりました(図表10)。本年も人手不足の状況が続くと想定されるほか、昨年同様の高い物価上昇率が予想されることなどを踏まえると、私は、来年の春季労使交渉においても高めの賃上げが期待できると考えています。

  1. 家賃(持家の帰属家賃を含む)と公共料金は、わが国固有の要因から価格硬直性が強く経済実態が反映されにくいため、「サービス」からこれらを除いた「一般サービス(除く家賃)」の推移に私は注目している。

3.金融政策運営

(1)「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現

ここからは、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。日本銀行は、賃金の上昇を伴う形で「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指して、金融政策を運営しています。日本銀行は、この「物価安定の目標」をわが国がデフレに苦しんでいた約10年前に、消費者物価の前年比上昇率で2%と定め、この実現を目指して大規模な金融緩和を続けてまいりました。

物価の安定とは何か。概念的には、「家計や企業等が、物価の変動に煩わされることなく、消費や投資などの意思決定を行うことができる状況」ということです(図表11)。物価上昇率が低ければ低いほど良いかというとそうではなく、デフレであった当時を振り返ると、「価格の下落→売上・収益の減少→賃金の抑制→消費の低迷→価格の下落」という悪循環が発生し、名目ベースでのGDPや雇用者所得も低迷していました。このようなデフレから脱し、わが国経済の好循環を実現するには、雇用の増加と賃金の上昇、企業収益の増加などを伴いながら経済がバランスよく持続的に改善することが必要で、そのような状態では物価は緩やかに上昇していくと考えられます。

続いて、現在の金融緩和の枠組みについてお話しします。長短金利操作付き量的・質的金融緩和と呼んでいるもので、先月、運用を柔軟化した「イールドカーブ・コントロール」が、その一つのツールです(図表12)。イールドカーブ・コントロールの具体的内容は、短期の政策金利を-0.1%に設定するとともに、長期金利を10年物国債金利でゼロ%程度、具体的には「ゼロ%±0.5%程度」で推移するよう、国債の買入れ等のオペレーションを行うものです。

このような大規模な金融緩和によって、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を目指して約10年が経過しましたが、私自身は、ようやくその実現がはっきりと視界に捉えられる状況になったと考えています。もっとも、実現に向けた不確実性も残る状況下、まだ、賃金や物価の動向を謙虚に見つめていくべき局面にあり、現時点においては、金融緩和を継続することが適当と考えています。持続的・安定的な物価上昇の実現に向けた状況の見極めにはなお時間が必要ですが、来年1から3月頃には、その時点の賃上げのモメンタムやそれまでに得られる年後半の物価動向などのデータから、解像度が一段と上がると期待しているところです。

(2)イールドカーブ・コントロールの運用の柔軟化

このような状況下、先月の金融政策決定会合では、イールドカーブ・コントロールの運用を柔軟化することを決定しました(図表13)。具体的には、従来は長期金利の上限を0.5%の水準で厳格に抑制していましたが、この厳格な水準を1.0%とし、市場の状況によっては、0.5%から1.0%の範囲で動きうることとしたものです。金利形成はより市場に委ねられることになりますが、ファンダメンタルズから乖離した投機的な動きや急激な金利変動が見られる場合には、国債の買入れ額の増額等によって、過度な金利上昇圧力は抑制してまいります。なお、1.0%という水準は、現状、長期金利がそこまで上昇することはないと考えていますが、念のため設定しているものです。

運用柔軟化の狙いは、先々の上下双方向のリスクを考慮して、イールドカーブ・コントロールの枠組みによる金融緩和の持続性を高めることです。7月に、2023年度の物価見通しを4月時点対比、大幅に引き上げましたが、このことが示すようにわが国経済・物価を巡る不確実性はきわめて高い状況にあります。長期金利の上限を0.5%の水準で厳格に抑えていると、今後、物価上昇率の上振れ方向の動きが続いた場合、金融緩和効果が強まる一方、債券市場の機能面での副作用が強まるほか、その他の金融市場におけるボラティリティに影響が生じる恐れがありました。こうした効果と副作用を比較衡量し、運用の柔軟化を決定したものです。

4.賃金と物価の好循環

今後の金融政策運営を見通すうえでは、賃金と物価の好循環が実現するかどうかが最大のポイントです(図表14)。先ほど申し上げた通り、私は、企業によって状況は異なりますが、総じて、企業の価格設定行動がデフレ期の行動から変化したと捉えています。

さらに現在、春季労使交渉の結果に表れたように企業の賃金設定行動に変化が生じ、賃金の上昇、その賃金上昇を販売価格に転嫁する動き、同時に、賃金上昇による消費マインドの改善など、賃金と物価の好循環がみられつつあります。

このような賃金設定や価格設定に対する企業の行動変化が持続し、好循環サイクルが定着していく上で大きな役割を果たすと考えられるのが、人手不足や転職の増加です。これが、人材確保・係留のための賃金の引き上げに繋がるとともに、企業の省力化関連の投資を加速させると考えられますが、実際、このような動きが起こりつつあります。更に、省力化関連の投資は、企業の生産性を高め、その果実が賃金に波及していくことが期待されます。

視点を変えて申し上げます。足もとの人手不足は、多くの企業にとって、そしてわが国経済にとって、対応すべき大きな課題であり、対応に苦慮されている企業も数多くおられると思いますが、同時に、大きく飛躍するチャンスでもあると捉えられます。省力化関連投資やDX投資によって生産性を高める、人手を確保するための賃上げが可能なビジネスモデルへの転換や事業再編・企業再編を図る、その過程では企業の新陳代謝が加速し生産性の高い企業のウエイトが大きくなる、或いは、転職の増加によって生産性の高い企業・産業で働く人のウエイトが高まる。こういった変化によってわが国全体として生産性が向上することが期待できます。人手不足は、新たな供給制約となるリスクはありますが、政府の政策対応に加え、企業の前向き・積極的な対応が奏功すれば、賃金と物価の好循環、わが国経済の好循環を強力に後押ししていく。そうしたことが期待できる状況であると言えようかと思います。

5.おわりに ―― 道東地域経済について ――

最後に、道東地域の経済について、日本銀行釧路支店の調査も踏まえて、お話ししたいと思います。

道東地域の景気は、持ち直してきており、6月短観でも5期連続して業況感が改善しています。そのドライバーは、観光や飲食などの対面型サービスであり、ポストコロナの需要取り込みに向けた設備投資もみられています。

当地は第一次産業やその関連産業のウエイトが高いため、飼料・肥料を含めた広い意味での原材料の多くを輸入に依存する一方で、生産物の需要地は国内、いわゆる「内需型」の産業が多くなっています。このため、輸入原材料コスト上昇の影響を受けやすく、景気回復のモメンタムは他地域と比べると相対的に緩やかなものとなっています。

このように道東地域を巡る環境には厳しい部分もみられますが、一方で、当地は大変豊かな大自然のもと、農業、水産業、観光業などに強みがあり、当地経営者の方々が課題に直面しながらも、当地の魅力を最大限に活かすべく、様々な取り組みを行っておられることを、とても力強く感じています。

例えば、農業では、5年ぶりとなる「国際農業機械展」が7月に帯広で開催され、ICT技術等を活用した生産性の高い農機具が多数展示されていました。実際、当地においても、自動運転トラクターやドローンの活用など、最先端のデジタル技術を活用する取り組みが進んでいます。水産業でも、従来から盛んなカキやウニ、ホタテなどの養殖に加え、サケマスについても陸上・海上での養殖への取り組み、急速冷凍などの長期保存技術を用いた高付加価値化に取り組む地域や企業もみられています。

観光面では、2021年にコロナ禍で対面開催が叶わなかった、世界最大の体験型観光イベントである、アドベンチャートラベル2・ワールドサミットが、9月に道内で対面開催されます。道東地域の自然を紹介するツアーも企画されるなど、当地の魅力を世界に向けて発信する絶好の機会です。道東地域は、4つの国立公園を域内に有し、2024年内には日高山脈襟裳国定公園が国立公園化される予定となっています。現在、知床、阿寒摩周、釧路湿原の3つの国立公園をつなぐロングトレイルの整備も進められています。その中間に位置する、強酸性の泉質で名高い川湯温泉地域では、廃屋撤去に向けた取り組みが進み、現在、街全体を再生する検討が進められています。道東地域ならではの雄大な自然や多様な野生生物などの魅力を、持続可能な形で付加価値の高い観光サービスとして磨き上げていくための取り組みが、着実に前進していると言うことができます。こうした当地における様々な取り組みの一つ一つが、有機的に繋がり、道東地域全体の魅力を一段と高めていくことを期待しています。

日本銀行としても、釧路支店および帯広事務所を中心に、銀行券の円滑な流通、国庫金業務をしっかり提供していくとともに、産業調査の機能も活かして、道東地域に貢献できるよう引き続き努めてまいります。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 2アドベンチャートラベルとは、アクティビティ、自然、異文化体験の3つの要素のうち、2つ以上を組み合わせた旅行形態。