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【講演】我々はテール・リスクにどのように対応すべきか

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オランダ外国銀行協会年次総会における講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2011年6月27日

目次

1. はじめに

本日は、伝統あるオランダ外国銀行協会でお話する機会を頂き、大変光栄に存じます。また、温かいご紹介を頂いたブーム会長に感謝いたします。本協会で日本の中央銀行総裁が話をするのは初めてだと思いますので、日本とオランダの歴史的関係から話を始めさせて下さい。ご承知の方も多いと思いますが、日本とオランダは、歴史的にみて極めて深い関係にあります。日本とオランダの関係は、リーフデ号と呼ばれるオランダの商船が豊後と呼ばれていた土地に漂着した1600年に遡ります。私はたまたまその商船が漂着してきた場所に近い地域にある日本銀行の支店で勤務した経験もあり、以前からこのエピソードに興味を持っていました。この商船に乗り合わせていたヤン・ヨーステンという人物は徳川幕府の初代将軍の外交顧問に就任しました。江戸幕府は17世紀初から19世紀半ばまで、200年余にわたり「鎖国政策」を採用しましたが、そうした時期にあっても、オランダとは例外的に交易が続けられました。学問の面でも、オランダは先進的な西洋の学問の輸入窓口として重要な役割を果たしました。当時、日本の知識層が学んだ医学、物理学、化学などの海外の学問は、日本語では「蘭学」と呼ばれていました。現在の日本の一万円札には福澤諭吉という啓蒙思想家の肖像が印刷されていますが、彼も若き日にオランダ語の習得に苦労しながら蘭学塾で西洋の学問を学んだ一人です。

そのオランダの地でお話をする機会を頂いた際、頭にすぐ浮かんだことのひとつは、オランダも日本も国として自然との戦いに大きなエネルギーを注いでいるという事実です。オランダは国土の4分の1を海抜ゼロ以下の土地が占めていることから、過去頻繁に大洪水に悩まされてきた歴史で知られています。日本は昔から地震と共存してきた国です。大洪水も地震も頻繁に起こる現象ではありませんが、一旦、起こると、非常に大きな影響を及ぼす出来事です。この点では、日本は過去3年という短い期間に、今回の東日本大震災以外に、もうひとつ大きな出来事を経験しました。言うまでもなく、リーマン・ショックというグローバル金融危機です。2つの出来事は、経済的なショックと自然災害という違いはありますが、経済や社会に非常に大きな影響を与えたという点では共通しています。このような出来事にいかに対応していくかは、多くの国の政策当局者にとっても、本協会のメンバーである金融機関経営者にとっても、言うまでもなく大きな課題です。

こうした出来事を説明するときに、私たちは、しばしば「テール・イベント」という表現を使い(図表1)、そうしたイベントから生じるリスクを「テール・リスク」と呼んでいます(図表2)。統計的な分布のテールにある、まれにしか発生しない事象という含意ですが、実は、2つの側面を包摂しています。ひとつはまさに今回の震災のようなイベントです。東日本大震災の場合、地震のエネルギーを示すマグニチュードは9.0であり、東日本の極めて広い範囲にわたって強力な津波が押し寄せました。日本の地震観測史上、東日本にこれと同程度の津波を伴う地震が発生したのは西暦869年のことだと言われています。そういう意味で、統計的な分布のテールのずっと先の方にある非常にまれな事例です(図表3)。もうひとつはリーマン・ショックのような金融市場におけるショックです。リーマン・ショックは、これと同程度の深刻さや地理的広がりをもった金融危機は1930年代の金融恐慌にまで遡らなければならないという意味で、発生確率が低いことは事実ですが、決して1000年に1回という頻度の出来事ではありません。しかし、過去20年を振り返ってみると、金融危機は正規分布を仮定した場合に想定される頻度よりも、高い頻度で発生しています。いずれにせよ、どちらのタイプのテール・イベントも、金融市場や経済、社会全体に大きな影響を及ぼすという点で共通しています(図表4、5、6)。

テールのずっと先の方にある事例が発生する場合と、思いのほか頻繁にテールに乗ってしまう場合に共通するのは、人々の想定を超えてしまうことによって大きな混乱が引き起こされることです。2007年のサブプライム・ローン問題に端を発する今回の金融危機では、人々の想定を超えて大規模な信用バブルが発生し崩壊しました。地震、津波、ハリケーン、洪水といった自然災害、強毒性新型インフルエンザといった疾病も人々が想定する以上の強度や拡がりを有するに至ればテール・イベントになります。大規模なコンピューター障害、テロや戦争も同様です。テール・イベントに関連するリスクへの対応は、一国全体の経済政策という観点はもとより、本席にご出席の金融機関経営にとっても重要です。

以上のことを念頭に置きながら、本日は、主としてグローバル金融危機や東日本大震災の経験に焦点を当てながら、「テール・リスクにどのように対応すべきか」というテーマでお話をしたいと思います。

2. 東日本大震災

被害状況

近年の大きなテール・イベントのうち、グローバル金融危機については既に多くのことが語られていますので、本席では、東日本大震災で起きた事実を報告します。

今回日本で起きたことは、互いに関連していますが、地震と津波と原子力発電所の事故です。今回の震災による死者と行方不明者は1923年の関東大震災における10万5千人よりも少ないとはいえ、2万3千人近くにも上っています。震災による資本ストックの毀損額は、政府の試算によると、日本の年間のGDPの3〜5%に及ぶとされています(図表7)。被災地では電気、ガス、水道、通信インフラが広範囲にわたって途絶したほか、道路、鉄道、港湾などの交通網も一斉に使用不能となりました。さらに、製油所の事故や交通網の障害から、被災地での燃料不足も深刻化しました。津波は原子力発電所の事故を引き起こし、電力の供給不足の問題をもたらしています。現在は、これら被災地の基幹インフラや燃料供給は、既に大部分が復旧していますが、原子力発電所については冷温停止の状態には至っていません。先程言及した被害金額は、物的な資本ストックの毀損額であり、人的資本への影響や原子力発電所の事故による経済活動への影響は基本的に含まれていません。まさにテール・リスクが顕在化したと言えます。

経済活動への影響

ここで、テール・イベントへの対応を考える上で重要と思われる点を意識しながら、震災が日本経済に与えた影響について、簡単に振り返ってみます。

第1に、言うまでもなく、生産活動は急激かつ大幅に落ち込みました(図表8)。被災地の資本設備が損壊したことに加え、電力供給の制約やサプライ・チェーンの寸断の影響から、3月の鉱工業生産は震災発生前の約10日間を含むにもかかわらず、前月比で16%減と、単月の動きとしては、統計作成開始以来、最大の落ち込みを経験しました。生産が減少した結果、輸出も3月と4月を合わせると、累計で約15%も減少しました。

第2に、震災は経済主体のマインドにも影響を与えました。消費は震災後の自粛の影響もあって、旅行、飲食等のサービスを中心に減少しました。震災は日本人のマインドだけではなく、日本の安全に対する外国人の評価にも影響を与えました。現在、東京の放射線量はアムステルダム、ベルリン、パリと同水準ですが、ビジネスや観光目的で日本を訪ねる外国人の数は、前年比でみると、震災以降5〜6割減と、激減しています(図表9)。

第3に、生産の落ち込みは急激かつ大幅でしたが、供給制約が和らぐにつれて、経済はもとの緩やかな成長軌道に復帰しつつあります。震災後の経済の下押し圧力の基本的な性格は、あくまでも突然の供給制約というショックであり、世界経済の拡大という景気回復を支える基礎的な条件は維持されています。この点では、金融の収縮に伴い内外の需要が「蒸発」してしまったリーマン・ショックとは異なります。実際、民間企業の懸命な努力により、サプライ・チェーンの回復に向けた動きは着実に進んでいます。電力不足についても、中長期的な原子力政策の帰趨如何では電力不足への懸念はありますが、冷房需要の増加から需要が年間のピークを迎える夏場について言えば、火力発電への切替えや企業の自家発電導入、企業・家計の様々な節電対策の実施等により、震災直後に比べると、状況は改善に向かっています。生産水準は3月を底に徐々に回復に向かっており、本年第3四半期のいずれかの時点で震災前の水準に復帰すると予想されています。

第4に、日本の震災の影響の国際的な側面ですが、若干の時間的ラグを経てサプライ・チェーンを通じて繋がっている海外諸国にも波及しました。欧米や東アジア諸国では自動車や電子機器等の生産に影響が生じました(図表10)。

サプライ・チェーンの寸断の影響

後ほど述べるように、東日本大震災は様々な教訓を投げかけていますが、テール・イベントへの対応という観点からは、以下の事実に皆さんの注意を喚起したいと思っています。

第1は、サプライ・チェーンの寸断の影響の重要性です。より具体的に言うと、経済活動の落ち込みは被災地域の経済規模や人口のシェアから推測される以上に大きかったという事実です(図表11)。被災地域はGDPにして6%、人口にして7%のシェアを有する地域ですが、生産の落ち込みは前述のように16%にも上りました。これには、サプライ・チェーンの寸断が大きく影響しています。被災地域には自動車用のマイコンの世界シェア40%の企業をはじめとして、自動車や電気製品の生産に不可欠な部品を生産する企業が多く存在していました。自動車メーカーは高度にカスタマイズされた部品に依存していたため、被災地の工場における生産停止の影響は被災地以外に所在する企業の生産にも大きな影響を与えました。また、その影響は国内だけに止まらず、前述のように、日本からの輸入部品に依存する海外企業にも及びました。そうした複雑なサプライ・チェーンを通じる影響の大きさは、今回の震災が発生するまでは十分には認識されていなかったように思います。

サプライ・チェーン障害が予想以上の影響をもたらしたことには2つの理由があります。ひとつの理由は部品の在庫水準が低かったことです。在庫水準が低いことは、平常時は効率性を高め企業収益の増加に寄与しますが、一旦、大きなショックが発生すると、企業は短期間で大幅な生産削減を余儀なくされ、他の企業への連鎖的影響が拡大します。もうひとつの理由は、「調達における集中のリスク」です。すなわち、複雑なサプライ・チェーン・ネットワークを辿っていくと、最も川上の段階では特定地域の特定企業の部品に調達が大きく依存していたという事実が判明しました。その結果、特定工場の生産停止が、海外を含む多くの企業の生産に深刻な打撃を与えました。サプライ・チェーンは生産の効率性を高めるものですが、同時に、今回の震災の経験は、ショックに対する耐久力を考えた場合の適正な在庫水準や調達における集中リスクの問題について注意を喚起しています。

金融システムの安定の重要性

テール・イベントへの対応を考える上で、皆さんの注意を喚起したい第2の事実は、金融システムの安定の重要性です。生産の落ち込みが短期的には大きかったにもかかわらず、リーマン・ショックの場合と異なり、生産が比較的速やかに回復に転じているひとつの大きな理由は、金融市場、金融システムの安定が維持されていることに求められます。この面では、民間金融機関も日本銀行も震災発生直後から、金融市場、金融システムの安定確保に全力を尽くしてきました。

まず、決済システムの面をみると、被災地の複数の手形交換所が停止を余儀なくされましたが、日銀ネットを含む主要な決済システムは安定的に稼働を続けました。主要決済システムのコンピューター・センターが収容された建物は、東京およびその周辺地域における震度5強の地震に対して十分に耐久力を発揮しました。さらに、地震直後に一時導入された突然の計画停電の実施に際しても、自家発電などのバックアップ対応によって、金融機関店舗やコンピューター・センターの稼働が維持されました。日本銀行は、震災後連日にわたり金融市場に対し、リーマン・ショックの時をはるかに上回る大量の流動性供給を実施しました。また、震災発生の翌営業日に、マインドの慎重化や投資家のリスク回避姿勢の強まりから経済活動が下押すことを防ぐために、CP、社債、ETF、REITなどのリスク資産の買入を増額することを決定しました。こうした対応の結果もあって、未曾有の大震災発生にもかかわらず、日本の金融システムは安定を維持しています。仮に、今回、金融システムが不安定化していたならば、経済活動の落ち込みはもっと大きなものとなっていたと思われます。それだけに、金融システムの安定を確保することは極めて重要です。

そのことを申し上げた上で、金融面で浮かび上がった幾つかの教訓を述べることにします。第1は、複合的な要因による障害の発生です。被災地では、電力、ガス、通信、交通等の重要な社会インフラが一斉に使用不能となりました。電力の不足という事態を想定して、金融機関店舗では自家発電装置を備えていましたが、交通手段の途絶による燃料搬送の困難化から、停電対策としての自家発電の継続性が問題となりました。また、交通手段の途絶と燃料不足によって、現金配送が困難になりました。

第2は、震災後、様々なルーマーが流れたことです。例えば、震災直後には一時、急激な円高が進行しましたが、日本の保険会社が保険金支払いの増加から、外貨資産を売却するという根拠のない噂が広がりました。しかし、実際には、日本の保険会社は多額の円の流動資産を保有しているため、外貨資産を売却して支払い資金を捻出することが必要な状況にはありませんでした。震災発生の翌週には、一部の外国金融機関の間で、東京金融市場が閉鎖されるといった噂が広がりました。信じられないことですが、日本銀行に関しても、コンピューター・センターを大阪に移すといった全く根拠のない噂が囁かれました。極端な不安心理はそれ自体で自己増殖的な市場の反応を引き起こします。

3. テール・リスクへの対応−金融機関

こうしたテール・リスクへの具体的な対応のあり方は、原因となるリスク・ファクター如何で異なりますが、概念的に整理すると、テール・リスクを出来る限り正確に計測することによりリスクが顕在化した場合のコストを内部化し、それに応じて対応を変えていく事前的な努力と、不幸にしてそうした出来事が発生した場合に、その影響がさらに大きくなることを防ぐ事後的な努力に大別されます。そうした事前、事後の努力は、政府や中央銀行といった公的当局についても必要です。勿論、テール・リスクへの対応という難問に対して、完全な解決策がある訳ではありません。しかし、運命論者になる訳にもいきません。どうすれば状況を少しでも改善することができるのか考え続ける必要があります。

十分な量の自己資本や流動性の保有

まず、テール・リスクに対する金融機関の事前的な対応の問題から始めます。テール・イベント自体を完全に回避することが出来ない以上、ショックに対する耐久力、すなわち、十分な自己資本や流動性を保有することが不可欠です。サプライ・チェーンを構成する企業は平時の効率性と危機時の安定性のバランスを取りつつどれだけ在庫を保有するか、すなわち、Just in timeJust in caseのバランスが問われますが、金融機関も同じ性格の問題に直面します。効率性と安定性のバランスは難しい判断を要しますが、そうした難しい決定を適切に行うためにも、そもそも、どの程度のテール・リスクに晒されているのかを正確に認識することがすべての出発点となります。テール・イベントは、極めて稀にしか発生しない反面、甚大な損失をもたらすリスクという性格を反映して、損失の大きさを統計的な手法を用いて計測することは、非常に困難です。これに加えて、テール・リスクは、金融危機にしてもサプライ・チェーンの障害にしても、第一次的なショックの後に関係者がどのような対応をとるか、例えば、中央銀行が最後の貸し手として適切に行動するかどうかによって、損失額は大きく変わってきます。リスク管理の世界で用いられるVaR(Value at Risk)の概念は有用ですが、その限界も正確に認識する必要があります。VaRの手法は、採用した分布形や過去データに現れた事象に左右され、テール・リスクを的確に捉えるには限界があります。また、VaRの手法は仮にこれが正しいとしても、残る0.1%の世界における損失の分布がどのようなものであるかについては何も語っていません。

こうした制約を勘案すれば、金融機関が、自らのリスク特性に合わせて、テール・リスク顕在化の影響を把握するためには、確率的な手法のみに依存せず、様々なシナリオを想定したうえで、ストレス・テストを補完的に活用することが不可欠です。震災のケースに即して言えば、営業店舗の使用不能、広範囲に及ぶ債務者のデフォルト、市場機能の停止といった事象です。また、シナリオの策定やストレス・テストの結果の評価については、経営陣が主体的に参画することが不可欠です。民間金融機関がどの程度のテール・イベントにどこまで備えるかという判断は経営判断そのものであり、資本政策や重要なインフラ投資などにも影響を及ぼすからです。

リスク・エクスポージャーの集中回避

第2は、リスク・エクスポージャーの集中を避ける努力です。先程、サプライ・チェーンにおける集中リスクの問題を取り上げましたが、金融機関の場合は、信用リスクや流動性リスクの集中が特に問題となります。勿論、プルーデントな金融機関であれば意識的にリスクを集中させることはありません。怖いのは意識しないうちに、リスクが集中している事態です。米国のサブプライム・ローンや証券化商品についても、リスク分散は行われているはずでした。住宅ローンについて言うと、地理的な分散は図られていましたが、そこでの前提は、米国全体の住宅価格が下落することはないというものでした。日本でも1980年代後半のバブルの時には、不動産価格は下落することはないという「土地神話」が広く信じられていました。

安定的な業務継続体制

第3は、自然災害をはじめ物理的な障害発生を意識したオペレーショナルな面での準備、すなわち、安定的な業務継続を可能とするための準備です。業務継続面での頑健性を高めるためには、第一線防衛策のみならず、重層的な対策を講じることが必要となります。例えば、本店やコンピューター・センターなどの主要建物に十分な強度を確保し、各種のバックアップ施設を構築するのみならず、停電対策としての自家発電設備を備え、十分な燃料を常時確保することなどが挙げられます。その際、リスクの分散を図るためには、金融業務の多様化、業務アウトソースの進展といった環境変化を踏まえ、オペレーショナルな面でのリスク集中の状況を点検することが重要です。そのうえで、重要施設・機能の地理的な分散、代替エネルギーの分散、業務委託先の分散等の対策を講じることが必要となります。

さらに、危機時における業務継続の面で決定的に重要なことは、策定した業務継続計画の有効性を訓練で定期的にテストし、十分な職員教育を行うというソフト面の対策です。やや脇道に逸れますが、先日、駐日オランダ大使のインタビュー記事を読む機会がありました。記事を読んで、震災の時のオランダ大使館の冷静な行動が印象に残りましたが、同大使館では昨年11月に外部の危機管理コンサルタントの指導を受け、避難の仕方、関係方面への連絡、在留オランダ人の安否確認、マスコミ対応など細部に亘る指導を受け、実際に訓練をしたばかりであったそうです。まさに、「備えよ常に」(Be prepared)というスローガンの語る通りです。

国際的なリスク・シェアリング

第4は、リスク・シェアリング、特に国際的なリスク・シェアリングの努力です。自然災害のリスク自体は避けることが出来ません。しかし、保険会社や投資家との間で、自然災害に伴う損失を引き受ける契約を事前に交わし、損失をある程度抑制することは可能です。今回の東日本大震災の人的・物的な被害に伴う損失は、日本の保険会社のほか、海外の再保険会社によってもカバーされました。また、このところ大きな自然災害が相次いで発生したこともあって、自然災害のリスクを分散する手段であるCAT Bondsの発行が増加傾向にあります。勿論、こうしたリスク移転が有効に機能するためには、リスク移転機能を持つ金融商品の市場の健全な発展を図る必要があります。

冷静な行動

以上、民間金融機関の事前の対応について述べてきましたが、事後の対応についてはどうでしょうか。この点については、一般論で申し上げることはあまりないのですが、何よりも重要なことは冷静な行動です。再び駐日オランダ大使のインタビュー記事に戻りますと、地震発生後に日本人がパニックを全く起こさなかったことに驚いたという感想が載せられていました。日本人としてこの冷静さを客観的に評価することはできませんが、冷静であることは当初のショックに伴う損失の拡大を防ぐ上で、非常に重要な要素であることは間違いありません。もうひとつ重要なことは、民間関係者の協力です。先程サプライ・チェーンの復旧の早さに言及しましたが、製造業の現場では、被災した工場が同業他社に一時的に生産を肩代わりしてもらうとか、部品メーカーの復旧に向けて複数の完成品メーカーが協力して応援要員を派遣するなど、通常のライバル関係を超えた様々な努力と工夫がなされました。民間金融機関の中でも、様々な協調行動がみられました。例えば、被災地から遠く離れた地域に避難した人々のために、被災地以外の金融機関が、簡素な手続きだけで被災地金融機関の預金の払い出しに応じました。また、燃料不足により現金配送が困難化した際には、近隣の金融機関が共同して現金輸送車を運行し、現金の配送を行う例もみられました。

4. テール・リスクへの対応−公的当局

次に、公的当局、特に中央銀行と規制監督当局の対応について考えます。テール・リスクに対処するためには、個々の民間の企業や金融機関が適切な努力を払う必要があることは言うまでもありません。しかし、テール・リスクへの対応にあたっては、公的当局の役割も非常に重要です。

その第1の理由は、テール・リスクへの対応を、すべて民間の努力だけで行おうとすると、莫大なコストがかかり、経済成長が抑制されてしまうことです。このことは特に大規模な自然災害について当てはまります。第2の理由は、リスクの集中という問題と関連しますが、すべてを純粋に民間の市場での競争に委ねた場合、極端なテール・リスクは完全には「内部化」されにくいことに求められます。その場合には、何らかの公的規制が必要となります。このような理由から公的当局の介入が必要ですが、そうかと言って、公的当局がリスクを負担することを事前にコミットしたり、コミットしていると見られるようになると、民間の努力が行われなくなります。古典的なモラル・ハザードの問題です。どこまでを民間が負担し、どこからは公的当局が最後の手段(last resort)として介入すべきかについて、明確な具体的基準を設けることが出来ませんが、いずれにせよ、テール・リスクに対応するためには、社会全体として、リスク管理の仕組みを適切に設計していくという観点は非常に重要です。

頑健な決済システム

この面では、第1に、民間金融機関と中央銀行が協力して頑健な決済システムを構築することが挙げられます。主要な決済システムは、自然災害を含むテール・イベントも想定し、高い頑健性を備えるように構築されなければなりません。例えば、大口の資金・国債の決済システムである日銀ネットは、メイン・センターが強固な耐震性を備えているほか、大阪にバックアップ・センターを設置しています。同時に、決済システムの運営面では、危機時の決済リスクを削減するために、RTGSやDVP、PVPといった安全性の高い決済方式が採用される必要があります。

金融規制・監督

第2は、金融規制・監督面の対応です。リーマン・ショック後、金融危機の再発を防止する観点から、バーゼル3の枠組みが合意されました。自己資本規制の強化、流動性規制の強化、レバレッジ規制の導入からなるバーゼル3は、金融機関に、テール・リスクの内部化を求め、リスク削減のインセンティブを強める効果をもたらします。現在、この関連では、too-big- to- failの問題が議論されています。例えば、国際的に活動するシステミックに重要な金融機関(G-SIFIs)に追加的な自己資本保有義務を課すことや、G-SIFIsの秩序ある再建・破綻処理の可能性を高めること(Resolvabilityの向上)などです。こうした対策は、G-SIFIsの持つ負の外部性を抑制することが狙いであり、自己資本の追加賦課のようなリスクの内部化対策と、Resolvability向上策のような外部性自体を削減する対応などを、全体としてバランスよく設計していくことが重要だと考えています。

適切な金融政策運営

第3は、適切な金融政策運営です。リーマン・ショック以前は、バブルが崩壊した後に中央銀行が積極的に金融緩和を行えば、経済の落ち込みは回避できるという見方が学界や政策当局者の支配的見解であったように思います。私自身は日本のバブル崩壊後の経験から、そうした楽観的な見解に終始違和感を持っていましたが、リーマン・ショック以降の経験はそうした楽観的な見解を打ち砕きました。

ひとつの重要な論点は、緩和的な金融政策自体が内生的にテール・リスクを高める可能性です。低金利が進行する過程では、金融機関や機関投資家はキャピタル・ゲインの発生から収益が増加します。また、長短の金利スプレッドの拡大も収益の増加要因となります。しかし、低金利が長く続くと、そうした収益増加も期待できなくなります。その結果、長期金利のさらなる低下に期待した金利リスクのポジションをとったり、信用スプレッドのさらなる低下に期待した信用リスクのポジションをとる行動が広がりがちです。あるいは、レバレッジの拡大によって収益の引き上げを図ろうとする行動も目立ってきます。すなわち、金融機関自身がテール・リスクを負担しながら利益を追求することになります。そうした行動を支えるひとつの要因は、低金利が続き流動性はいつでも調達できるという感覚です。振り返ってみると、金融危機に先立つ信用バブル期には、様々な金融的不均衡、すなわち、資産価格の上昇、信用やレバレッジの膨張、期間ミスマッチの拡大という現象が広範に観察されました。こうした現象は低金利だけで発生するものではありませんが、低金利が長期にわたって継続するという予想なしには起こらないことも事実です。金融政策は物価安定の下での持続的成長の実現を目的とするものですが、低インフレという短期的な物価上昇率だけに目を奪われて低金利を続けると、結果的に、バブルの生成を助長することにもなり得ます。その意味で、中央銀行は、金融政策の運営に当たってはタイム・ホライズンを十分長く取った上で、物価安定を実現していかなければなりません。

マクロ・プルーデンスの視点

第4は、マクロ・プルーデンス政策の重要性です。個々の金融機関の健全性確保は重要ですが、金融システムの安定はこれだけでは実現しません。例えば、金融システムを横断的に捉えた場合のリスク集中状況の把握は不十分でした。これは、丁度、個々の企業からみてサプライ・チェーンが効率的に見える場合でも、サプライ・チェーンを構成する全企業、あるいは経済全体から見ると、リスクの評価が異なってくるのと同じ問題です。こうした例が示すように、マクロのリスク評価は非常に重要であり、私は、このことをマクロ・プルーデンスの視点という言葉で呼んでいますが、誰かがこうした分析を提示する必要があります。この点、中央銀行は、金融政策やオペレーションなどを通じて、経済や金融市場などシステム全体の状況を評価する組織文化を有しており、オランダ銀行や日本銀行を含め多くの中央銀行は、マクロ・プルーデンスの評価を公表するなど、金融システム全体のリスク評価に非常に熱心に取り組んでいます。勿論、そうした分析だけでテール・リスクを内部化することは出来ませんが、私としては、多くの経済主体がテール・リスクを意識するひとつのきっかけになることも期待しています。

最後の貸し手

第5は、事後の対応に係るものですが、中央銀行の最後の貸し手機能です。ひとたびテール・リスクが顕在化した場合には、システミック・リスクを回避するため、金融システムの安定を確保することが非常に重要です。この点では、中央銀行は最後の貸し手としての資金供給や市場オペレーションを通じて適切に行動することが求められます。日本銀行は、地震発生後に正にこのことを実践しました。

適切な情報発信

第6は、同じく事後の対応に係るものですが、適切な情報発信です。今回の震災の後もそうでしたが、テール・イベントが起こる場合には、しばしば根拠のない噂が広がります。また、正確な情報がないために、経済主体の行動は過度に慎重化しがちです。それだけに、政府や中央銀行は起きている事態と、自らの行動原理を出来るだけ明確に説明することが求められます。

5. おわりに

以上、リーマン・ショックの教訓や東日本大震災の経験を踏まえながら、テール・リスクへの対応というチャレンジングなテーマについて私の考えを述べてきました。テール・イベントの具体的な発生原因は国によっても時期によっても異なります。その意味で、我々は自らの知識は限られているという謙虚さを常に忘れてはならないと思います。しかし、テール・リスクへの対応を語る際、悲観的なトーンで話を終えるのは私の本意ではありません。テール・リスクの発生は不幸な出来事ですが、人間はこれによって学習もしています。現在、金融の規制・監督、金融政策、マクロ・プルーデンス政策等の面で様々な見直しの議論が行われており、これは将来確実に活きてきます。このことは、「政策」のレベルだけでなく、現場のレベルでも当てはまります。日本銀行について言うと、1990年代後半の深刻な金融危機の経験は、組織の記憶としても残っていましたし、またスタッフのノウハウとしても蓄積されていました。勿論、震災と金融危機とでは具体的な問題の表れ方は異なる面もありますが、共通する面もあります。危機は毎回異なる以上、人の果たす役割は非常に重要です。その意味で、民間金融機関同士、民間金融機関と公的当局、そして各国の公的当局間の意見交換と緊密な協力は非常に重要です。本日はこの後、質疑応答の機会を通じて、意見交換をするのを楽しみにしています。

ご清聴ありがとうございました。