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【寄稿文】財政の持続可能性 — 金融システムと物価の安定の前提条件 —

English

フランス銀行「Financial Stability Review」(2012年4月号)掲載論文の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年4月21日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.政府のソルベンシーに関する基本的な概念整理
  3. 3.先進国における政府債務累増の背景
  4. 4.政府債務の累増が金融システムの安定を脅かすメカニズム
  5. 5.政府債務の累増が物価の安定を脅かすメカニズム
  6. 6.おわりに
  7. 参考文献

1.はじめに

2008年の金融危機以降、多くの先進国で財政状況が悪化しており、中央銀行の政策金利水準はほぼゼロまで低下している。財政金融政策の展開余地が限られるもとで、失業率が高止まり、低成長が続く一方、人口の高齢化という中長期的な財政圧迫要因にも直面している。こうした先進国経済の現状は、追加的な負のショックに対して脆弱であり、金融システムおよび物価の安定をしっかりと取り戻すことが、先進国共通の課題となっている。

ユーロエリアではソブリン債務危機に直面し、金融システムの安定化に対する中央銀行の役割を巡って議論が高まっている。また、政府債務の累増は、それがソブリン債務危機に至らない場合でも、中長期的な物価の安定を使命とする金融政策の遂行に重大な影響を及ぼす可能性がある。他方、日本では、財政赤字の継続から政府債務残高の対GDP比が上昇を続けているが、インフレは生じておらず長期金利も低位で安定しているなど、現実は複雑である。

本稿では、こうした先進諸国の現状を踏まえつつ、政府債務の累増が金融システムの安定や物価の安定にもたらしうる影響と、そのもとでの中央銀行の役割について考察する。以下、第2節で政府のソルベンシーに関する基本的な概念整理を行った後、第3節では近年における政府債務累増の背景について整理する。そのうえで、第4節では政府債務の累増がソブリン危機という形で金融システムの安定を脅かすに至るメカニズム、ならびにソブリン危機への対応において中央銀行が果たし得る役割について論じる。第5節では政府債務の累増が中長期的な物価安定を難しくする可能性について論じる。第6節で結論を述べる。

2.政府のソルベンシーに関する基本的な概念整理

最初に、以下の議論の基礎として、政府のソルベンシーについて概念整理を行う。国債の償還原資は、基本的には国民から将来にわたって徴収する税と社会保険料である。これらの合計から、年金や医療など社会保障給付のほか防衛や教育等、政府が国民に対して提供する公共サービスの支出額を控除した財政余剰——すなわち、「税+社会保険料−社会保障給付−政府支出」——が、償還原資となる。将来にわたる財政余剰の予想に基づいた割引現在価値が、現在の国債発行残高を上回っていれば、政府のソルベンシーが満たされる——つまり政府に支払い能力がある——ということになる。

逆に、財政余剰の割引現在価値が国債発行残高を下回る場合——すなわち政府に十分な支払い能力がないと予想される場合——、論理的には3つの可能性が存在する。

第1の可能性はデフォルトである。これは、国債保有者の負担によって、国債発行残高を財政余剰の割引現在価値まで削減することを意味する。しかし、国債は安全性や利便性の高い金融資産として金融機関に広く保有されているため、国債のデフォルトは金融機関の自己資本を毀損し、金融システムの不安定化を招くことになる。金融システムの不安定化の影響は実体経済に及び、それがまた金融システムや財政の状況を悪化させるという負の相乗作用につながる。

第2の可能性はインフレである。これは、政府の支払い能力の低下を、中央銀行の大幅な貨幣供給に伴う通貨発行益によって穴埋めする政策——すなわち、中央銀行の財政ファイナンス——によって実現しようというものである1。このシナリオでは、通貨発行益の増加によって国債の償還原資を補填しつつ、インフレにより政府の実質債務負担を減らすことによって、政府のデフォルトを回避する。ただし、物価の安定を放棄することは、経済の持続的な成長基盤を損ない、結局広く国民に損害を及ぼすことにつながる。

第3の可能性は、財政の健全化や、さらにそのために必要な経済成長力の強化に取り組んで、財政余剰の現在価値を高めることである。この選択肢が最も望ましいことは言うまでもない。ただし、民主主義のもとで、歳出の削減、税率や社会保険料の引き上げ、さらに成長力を高めるための制度改革を進めるには、社会としての合意形成が必要である。

以上の政府のソルベンシーを巡る問題についての基本的な考え方をまとめると、政府のソルベンシーに問題が生じた場合、その回復に必要な財政や経済の構造改革という選択肢を採らなければ、金融システム不安かインフレかという厳しいトレードオフに追い込まれる。議論の本質は、概念的にはこのように要約できるが、現実の状況における経済の帰結は、政府のソルベンシーが失われているかどうかを人々がどう判断するのか、あるいは金融システムが危機に瀕した際に中央銀行はどう行動し、それを人々はどう予測するかによって、大きく左右される。そこで、以下ではまず政府債務累増の背景について整理した後、それが金融システムの安定を脅かすメカニズムについて、民間主体の行動と中央銀行の政策対応の関係を意識しながら論じる。

  • 1 政府債務残高の対GDP比が上昇を続けているにもかかわらず、政府が財政赤字を削減しようとしない場合に、中央銀行が財政ファイナンスに追い込まれ、インフレが発生するメカニズムについて、Sargent and Wallace (1981)は「不愉快なマネタリストの算術」と呼んでいる。

3.先進国における政府債務累増の背景

1990年代以降の日本や、リーマン・ショック以降の多くの先進国に見られるとおり、バブル崩壊や高齢化などによる成長トレンドの低下は、歳出入両面から財政赤字の慢性的な増大をもたらすため、国債供給の増加要因として作用する。一方、国債需要に対する増加要因も存在し、これには、低成長による民間部門の資金余剰拡大や国債の安全資産としての利便性などが挙げられる。

成長トレンドの低下がもたらす政府債務の供給増

成長トレンドの低下をもたらす要因として、第1に、バブルの崩壊が挙げられる。バブル崩壊は経済に大きな負のショックを与えるため、金利の引き下げ余地はほどなく使い尽くされる。そのため財政面でも、自動安定化機能だけでなく裁量的な景気刺激策が発動され、財政赤字が増大する。バブル崩壊は金融システムの不安定化を伴うため、金融機関への公的資金投入などにも多額の財政資金が必要となる。さらにバブルの崩壊は、経済の急速な落ち込みだけでなく、バランスシート調整圧力を通じて経済に長期的な下押し圧力をもたらす。このため、一度拡大した財政赤字は縮小に時間がかかり、政府債務が累増する。

第2に、人口の高齢化は、より長期にわたって徐々に成長トレンドの低下をもたらす。すなわち、人口の高齢化は労働供給の制約を強めるほか、それにより資本の限界生産力が低下するため、企業の設備投資も抑制される2。また、人口動態の変化は需要構造にも大きな変化をもたらすため、変化に対応する柔軟性が供給サイドに十分備わっていない場合は、この点も成長力の低下要因となる。このように、人口高齢化は様々な側面から経済成長率ひいては税収の抑制要因として作用する一方、社会保障給付を中心に政府支出の拡大要因となるため、慢性的な国債増発圧力となる。

ちなみに日本では、生産年齢人口が1990年代中頃に減少に転じ、その後総人口に占める労働力人口の比率も低下に転じた(図表1)。他国に例を見ない急速な高齢化が進み始める時期が、バブルの崩壊とほぼ重なっていたため、日本では1990年代以降、政府債務の増加が続いた。今後、米欧でも、日本ほど急速ではないにせよ高齢化が一段と進むことを考えると、リーマン・ショック後の危機対応で膨らんだ財政赤字に加えて、中長期的にも人口動態面から財政赤字の増大圧力がかかり続ける可能性がある。

  • 2 ただし、労働供給の制約が労働節約的な技術革新を誘発する場合には、設備投資が増加して資本深化(capital deepening)が進む可能性もある。

資金余剰やリスク回避が生み出す民間の国債需要

以上では、バブル崩壊や高齢化などが国債の供給圧力を強める点について述べたが、国債に対する需要面も変化するため、それが直ちに国債金利の上昇圧力につながるわけではない。民間部門で国債に対する需要が増加する背景として、4点挙げる。

第1に、バランスシート問題を抱えた民間非金融部門の借り入れ需要が低下する中、金融機関もリスクテイクに慎重になるためである。日本の民間非金融部門のバランスシートをみると、バブル崩壊後は土地投資が減少に向かい、土地以外の実物資産も緩やかな増加にとどまる中で、慢性的な資金余剰を背景に金融資産の増加トレンドが続いた(図表2)。これを金融機関の側からみると、貸出残高はバブル崩壊後に増加が止まり、さらにその後は減少トレンドをたどった一方、預金はほぼ一本調子に増加を続けた(図表3)。こうした預貸率の低下によって生じた金融機関の余剰資金は、財政赤字の拡大を受けて増発された国債に振り向けられていった。低成長下において、とりわけバブルの崩壊によってバランスシート調整圧力が作用している局面では、金融機関のリスク回避度が高まり、国債の安全資産としての魅力が相対的に増すと考えられる。リーマン・ショック以降は、米独などでも預金に比べて貸出が伸びない中、金融機関はその余剰資金を国債の保有増加に回している(図表4)。

第2に、金融機関が安全資産である国債を保有する動機は、規制・監督によって強められている側面もあると考えられる。銀行の自己資本規制や生保のソルベンシー規制などでは、国債の信用リスクをゼロとみなす取扱いが広範に可能とされているほか3、流動性に対する規制や監督においても、国債の流動性はきわめて高いと想定されている。こうした規制・監督環境のもとでは、マクロ的な経済環境が悪化して信用リスクや流動性リスクが意識される局面になると、金融機関は一段と安全と流動性を求めて国債を保有する選好を強めると考えられる4

第3に、規制・監督とも関連するが、金融機関のリスク管理手法も国債保有動機に影響を与える。例えば、価格変動リスクの評価においてヒストリカル・データを重視する手法を用いている場合、安全資産への選好の強まりなどから国債利回りが低位安定的に推移すると、その事実自体が国債の安全性評価をさらに高めてその保有動機を強めるように作用する。

第4に、金融緩和政策の影響である。中央銀行は国債の買入れオペレーションを行ったり、金融機関に資金供給をする際の主たる担保として国債を受け入れている。バブル崩壊後の経済の長期低迷に直面し金融緩和の強化が続くもとでは、中央銀行資金へのアクセスを確保する観点からも、金融機関は国債を保有する動機を強めると考えられる。

以上のように、国債の供給増加にもかかわらず、主要先進国において国債利回りが上昇していない背景としては、民間部門の資金余剰もさることながら、国債は信用リスクがゼロで流動性も高い安全資産である、との認識が大きな支えになっている。しかし、政府といえども、自らの支払い能力を超えて借金を重ねることはできない以上、投資家が信用リスクを意識し始める臨界点がどこかに存在するはずである。その意味で、政府債務の累増も、定性的には、民間経済主体の債務と同様に持続可能ではない金融現象、すなわち「金融的不均衡」という側面を伴うと考えられる。

  • 3 バーゼル規制上、国債のリスクウエイトは、標準的手法の下では格付等に基づいて算出されることが基本であるが、各国当局は自国通貨建ての国債について、裁量により、ゼロを含むより低いリスクウエイトを適用することができる。また、各銀行は内部格付手法により独自にリスクウエイトを適用することも可能であるが、通常の貸出等と異なり、国債の倒産確率には下限が設定されていないため、この手法の下でも、各銀行は保有国債のリスクウエイトをゼロとし得ることになる。これら銀行規制監督上のソブリン・リスクの取扱いと銀行の会計実務については、Hannoun (2011)を参照。
  • 4 銀行に対する流動性規制や自己資本規制、保険会社に対するソルベンシー規制などが、金融機関の国債保有増を通して国債利回りを下押しするよう作用している点に関して、Reinhart et al. (2011)は現代版「金融抑圧(financial repression)」と指摘している。

4.政府債務の累増が金融システムの安定を脅かすメカニズム

第2節で政府のソルベンシーを定義したが、財政余剰の現在価値は、将来の経済状況に関する市場参加者や国民の予想に依存するため、現実には政府がソルベントであるかどうかについて客観的な判断を下すことは難しい。一つの拠り所となりうるのは、現在の税率や支出構造などからみて、将来の税収拡大や支出削減の余地がどの程度あるかという視点である。例えば、税率が既に高い経済では、それ以上税率を引き上げると所得を生み出す経済行動へのインセンティブが阻害されて、かえって税収が減少する可能性もある。あるいは、政府支出を現在以上に切り詰めることが、政治的にきわめて困難という状況もありうる。こうした状況は「財政限界(fiscal limit)」と呼ばれ、政府債務を安定化させるうえで税率や政府支出をもはやこれ以上調整できない限界が存在すると考えられる。経済が財政限界に達した時点で政府のソルベンシーが失われると整理できる。ただし、「財政限界」について正確に認識できるわけではなく不確実が存在する。

国債の市場取付けとソブリン危機

以上のように政府がソルベントかどうかの判断には不確実性が伴う。したがって、インソルベントである可能性が多少なりとも市場で意識され始めた後は、それが実際に国債価格の下落を通じてソブリン債務危機に発展するかどうかは、そのタイミングも含めて、投資家の「予想」という、しばしば大きく振れる要因に左右されることになる。この場合、投資家の行動が国債市場で「協調の失敗(coordination failure)」を招くことがある。

この点をもう少し具体的に説明すると、国債を保有する投資家が国債を売却せずに保有し続けるか否かは、他の多くの投資家が売却しないと予想できるか否かに依存する。仮に政府のソルベンシーに多少の疑問があっても、他の投資家は政府のソルベンシー回復を信じて国債を満期まで保有するだろうと予想できるならば、自分自身も国債を保有し続けることに合理性がある。しかし、何らかのきっかけで、他の投資家が国債の売却圧力を強めるのではないかという懸念が強まると、個々の投資家は売り遅れまいと実際に国債を売却するようになる。その結果、国債利回りが上昇し、政府の資金調達コストが上昇した状況が続くと、政府のデフォルト確率も徐々に高まる。このため、個々の投資家は、政府のソルベンシーを当初あまり疑っていなかったとしても、他の投資家の更なる売却を予想するようになる。このことがさらに利回りを押し上げるという自己実現的なプロセスがひとたび作動すると、投資家の認識を一変させる外生的な要因が加わらない限り負の連鎖は止まらず、「市場取付け(market run)」に至ってしまう可能性がある。

こうした「市場取付け」のプロセスを加速させる、あるいはより広い範囲の金融市場に伝染(contagion)を引き起こす要因として、次の4点が挙げられる。第1に、国債はレポ取引を含め金融取引の担保に広く用いられているため、国債の価格が下落し始めると、ヘアカット率の引き上げなどを通じて資金市場全体の流動性が低下し、流動性確保のために国債のさらなる売却が誘発される。第2に、金融機関のリスク管理がヒストリカル・データに基づく程度が大きい場合、国債価格のボラティリティの急速な上昇は自動的な追加売却を誘発する5。第3に、ある国の国債の価格が下落し始めると、多少なりともソルベンシーを巡る疑念があるなど類似した状況にある他の国の国債も売却されやすくなる、という心理的伝染である。第4に、各国の国債市場へ分散投資を行っているグローバル投資家は、ある国債の価格下落による損失をカバーする目的で、利益が出る他の国債を売却することもありうる。実際の展開においては、これらの諸要因の間にも相乗作用が働き、そのもとで金融機関がロスカットや流動性確保を優先する個々には合理的な行動を強める結果、市場全体では広範なパニックが生じうる。

このように、政府がソルベントであるかどうかの評価には大きな不確実性があるため、ソブリン危機は、投資家による自己実現的なパニック現象、すなわちある均衡から別の均衡への非線形的変化という形で、前触れなしに顕在化する可能性がある。

  • 5 2003年半ばに、世界的なディスインフレの進行に対する市場の見方が修正されて金利が反転上昇した際、日本では金融機関のポジション調整が国債利回りの急上昇を招いた。当時、大手邦銀はヒストリカルVaRに基づく比較的均一な金利リスク管理手法を採用していたため、金利の反転とボラティリティの上昇が邦銀による国債の一斉売りを誘発した。この金利上昇局面は「VaRショック」と呼ばれている。

金融システムの安定化に中央銀行が果たし得る役割

ソブリン・リスクの顕在化によって、国債を保有する金融機関の自己資本が毀損されると、金融システムが不安定になる。一般に金融システムが不安定化した場合、中央銀行は、金融市場に潤沢な資金供給を行うとともに、ソルベントながら一時的な流動性不足に陥った金融機関に対する「最後の貸し手(Lender of Last Resort)」となる6。一方、ソルベンシーの損なわれた金融機関に対して資本を供給することは、中央銀行ではなく政府の役割とされている。しかし、ソブリン債務危機の場合、その政府の債務支払い能力に疑問が生じているため、中央銀行が政府に対しても「最後の貸し手」となるべきかどうかという点が議論されることがある。2つのケースを考えてみたい。

最初のケースは、政府はもともとソルベントであった蓋然性が高いが、市場における「協調の失敗」により国債利回りが大幅に上昇し、そのため自己実現的にインソルベントになりかねないというケースである。この場合は、中央銀行が国債価格を支持する姿勢を示せば、それが市場参加者に対する「協調促進装置(coordinating device)」となり、実際には中央銀行が多くの国債を購入しなくても、国債市場は冷静さを取り戻す可能性がある7。ただし、政府がソルベントであるかどうかは、中央銀行にとっても不確実性を伴う判断であり、また民主主義社会においてそうした判断を中央銀行が行うことが可能かつ適切かという点にも注意が必要である。さらに、そもそも市場で「協調の失敗」が起こるのは、政府のソルベンシーに対する投資家の疑念がきっかけとなっている。政府は財政の健全性をより強固なものとして市場からの信頼を確立する必要があるが、中央銀行の国債購入がそうした取り組みを鈍らせるモラルハザードにつながる可能性も考えられる。

2番目のケースは、実際に政府のソルベンシーが失われている可能性が高いケースである。民間金融機関がインソルベントに陥った場合は、前述の通り政府による資本投入によってソルベンシーを回復させることができるが、政府のソルベンシーの回復は、最終的には財政の健全化とそれを支える経済成長率の引き上げが必要である。しかし、ソルベンシーの回復に対する市場の信認を短期間で得ることができない場合、その間に金融システムの不安定化が進行してしまう可能性がある。こうしたケースでは、金融システムの安定を達成するために必要な資源を、成長力の強化などを通じて最終的に確保するまでの間、差し当たり「時間を買う」ための応急的な対応が必要であると議論されることがある。そうした応急対応の一つは国際的な金融支援であるが、支援条件(conditionality)等の交渉を巡って時間がかかることも考えられるうえ、規模が大きな国で問題が生じた場合は国際支援体制も整っていない。もう一つ選択肢として議論されることがあるのは、中央銀行による財政ファイナンスである。これは、金融システムの安定を確保する他の手段が存在しない場合に、「時間を買う」ことに限定した一時的な対応として議論される。

  • 6 Bagehot (1873)を参照。
  • 7 市場参加者間の協調の失敗を回避するための中央銀行の協調促進装置としての役割については、Freixas et al. (2000)を参照。

5.政府債務の累増が物価の安定を脅かすメカニズム

上記2つのケースでは、中央銀行の政策対応によって、市場は一時的には鎮静化するかもしれないが、それらの対応はソブリン債務危機の抜本的な解決策にはならず、最終的には政府が財政健全化を進め返済原資を確保する必要がある。それでは、政府による財政健全化が進まない場合に何が起こるであろうか。第2節で示したとおり、そのような状態で、中央銀行が財政ファイナンスを行えば、インフレになる可能性がある。すなわち、財政のプライマリー・バランスの赤字が続き、中央銀行が追加的に増発される国債を購入する場合、中央銀行のバランスシートは膨張を続けることになる。低金利下においては貨幣の流通速度が低下する傾向があるため、中央銀行のバランスシート拡大が直ちにインフレにつながるとは限らないが、政府に対する市場の信認が回復されない中で中央銀行が国債購入を継続することは、物価の先行きに大きな不確実性をもたらすことになる。

金融システムの安定と物価の安定のトレードオフ

歴史的にみれば、中央銀行による財政ファイナンスがインフレをもたらした事例は少なくない。例えば、1920年代前半のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツのハイパーインフレ、第二次大戦後1950年頃までの日本のインフレは、いずれも、中央銀行の財政ファイナンスが原因となっている8。そうした経験に学んできたからこそ、現在は中央銀行の独立性が重要という考え方が確立されており、多くの国で中央銀行による財政ファイナンスは認められていない。しかし、ここまで述べてきたように、政府のソルベンシーが失われると、金融システムが不安定化する蓋然性が高いため、中央銀行は独立性を付与され物価安定に強くコミットしていたとしても、金融システムの安定と物価の安定のいずれかの選択に追い込まれる可能性がある。すなわち、政府債務の累増は最終的に、金融システムの安定と物価の安定の両立を難しくする可能性が高い9

さらに、人々が将来の政府や中央銀行の行動について、「財政規律は回復されない一方、中央銀行は金融システムの安定に万全を期すはず」という強い予想を持った場合、実際に中央銀行による財政ファイナンスが行われていなくても、それに対する予想からインフレ圧力が顕在化する可能性もある。先に述べたデフォルト、インフレ、財政健全化の3つの可能性のうち、デフォルトと財政健全化が起こらなければ残るインフレが起こるはず、という予想が形成されて企業の価格設定行動が変化するためである。実際には、人々がそこまで明確な予想を早い段階で持つ可能性は低いと考えられるが、政府債務の累増とともに、物価安定に向けた中央銀行のコミットメントが次第に信頼性を失う可能性があることは、十分意識しておく必要がある。

  • 8 Sargent (1982)は、1920年代前半の欧州4か国のインフレを「四大インフレ」と呼び、(1)これらの原因が中央銀行による財政ファイナンスにあったこと、(2)その後の財政ファイナンスの停止と財政状況の健全化によって、ハイパー・インフレーションが終止したことを説明している。
  • 9 Uribe (2006)は、政府が財政規律を無視した財政政策(Non-Ricardian policy)を続ける場合、(1)中央銀行が物価の安定を達成しようとすると政府はデフォルトに追い込まれ、(2)政府のデフォルトを回避するよう中央銀行が行動すれば物価の安定が損なわれる、というジレンマを理論的に示している。Kocherlakota (2011)も同様に、財政規律が失われているもとでは、物価の安定と金融システムの安定を両立することは難しいと主張している。

デフレ圧力が根強い日本のケースをどうみるか

以上では、政府債務の累増がインフレ圧力を高める可能性について考察したが、これは、政府による財政の健全化は実現されないと人々が予想することによって引き起こされる。しかし、政府債務が累増していても、将来の歳出削減・歳入引き上げの余地が十分にある、すなわち「財政限界」までの距離が十分にあると人々が認識しているならば、予想インフレ率は上昇せず、したがってインフレ圧力も高まらない。その際、財政の健全化が、経済成長力の強化というより、もっぱら限られたパイの中での歳出削減や増税によって行われるという予想が強い場合には、人々は現在の支出を抑制する姿勢を強め、むしろデフレ圧力が生じる可能性もある。

こうしたメカニズムは、近年の日本において働いている可能性がある。日本ではバブル崩壊後約20年間にわたって財政赤字が継続し、グロスの政府債務残高の対GDP比は200%を上回り、先進国中最大となっている(図表5)10。それにもかかわらず、長期国債の利回りは低位で安定し、インフレは生じていない。これを、成長期待と財政健全化の予想という先に述べた2つの側面から整理してみよう。

まず、日本の経済成長率については、急速な高齢化や生産性の伸び悩みなどを背景に、総人口一人当たりの実質GDPの成長率が1980年代の約4%から近年は約1%まで大きく低下している(図表6)。こうした趨勢的な成長率の低下は、今後さらに高齢化が進むと予想される人口動態のもとで、人々の中長期的な成長期待を低下させている可能性が高い。潜在成長率の低下自体は供給力の伸び悩みであるが、一方で、将来にわたる成長期待の低下は恒常所得を下押しし家計の消費支出を抑制するため、慢性的な需要不足を通じてデフレ圧力を発生させる。実際日本では、一人当たり潜在GDPの成長率の低下に伴って、中長期の予想インフレ率が低下する傾向が見られる(図表7)。

2番目の財政健全化の予想という点では、日本は多くの先進国に比べて国民負担率がなお低いため、将来の財政構造改革の余地があると人々に認識されているかもしれない。また、日本の財政赤字は一貫して国内貯蓄の範囲内にあって経常収支が黒字を続けているほか(図表8)、ストックベースでも国債残高の9割以上は国内投資家が保有しており、こうしたケースでは、海外投資家による国債保有比率が高い場合に比べ、国債市場において「協調の失敗」が起きにくいと一般に考えられる。これらの要因が、日本の国債金利の上昇を抑制するよう作用している側面があるとみられる。

このように日本では、財政限界までの距離感と国債保有構造という2つの点で、「最終的に財政健全化が実行されるはず」という予想が形成されやすい状況にある。しかしそうであるがゆえに、成長力の強化を伴わない限り、政府債務の累増は、民間経済主体が将来の増税や年金削減等に備えて支出を抑制することにつながりやすいとも言える。

以上みてきたように、政府債務の累増は、それが将来どのように対処されていくのかについての人々の見方を反映して、インフレ圧力や、逆にデフレ圧力を生む可能性がある。したがって、中長期的な物価安定を確保するためには、中央銀行の独立性や的確な情勢判断だけでなく、政府債務の持続可能性が担保される必要がある。

  • 10 ネットの政府債務残高の対GDP比は、2009年度末で107.3%となっている。

6.おわりに

近年における政府債務の累増は、バブルの崩壊や高齢化などによる成長トレンドの低下によってもたらされている面が大きい。実際、多くの先進国で総人口一人当たりの経済成長率が低下してきており(図表9)、この事実と政府債務の累増が無関係とは考えにくい。一般に成長トレンドの変化に対する政策当局者の認識は遅れるうえ、高い成長率を前提としていったん確立された財政構造を、低成長と整合的な財政構造へ改革していくことには痛みが伴うからである。一方、最近の実証分析によれば、政府債務残高の対GDP比がある閾値を超えて増加すると、経済成長率を押し下げるという可能性も指摘されている11。このように、政府債務の累増と経済成長率の低下には悪循環が働く可能性もあり、そうであるとすれば、政府債務の累増に歯止めをかけることは容易ではない。しかし、政府債務を無限に増加させることが不可能である以上、上記の悪循環はいずれ必ず問題を引き起こす。

そうした問題の典型的な発現経路は、国債のデフォルト懸念による金融システムの不安定化である。その際、財政健全化によって政府のソルベンシーを回復できる見通しが立たない場合、金融システムの安定と物価の安定を同時に達成することは難しくなる。また、そのことが事前に予想されると、政府債務が累増する過程でインフレ圧力が高まる可能性もある。逆に、成長期待が弱い中での増税懸念は、デフレ圧力につながる可能性もある。標準的な経済理論では、物価の安定は中央銀行が適切に金融政策を行うことで達成可能とされているが、本稿で述べた様々な論点を踏まえれば、政府債務の累増は、中央銀行の独立性や情勢判断能力が確保されていても、中長期的な物価安定を損なう可能性を高める。

以上のように、政府債務の累増は、中長期的なマクロ経済の安定性にとってきわめて大きな撹乱要因となりうるが、政府債務の持続可能性に対する金融市場からの警告は、危機直前まで発せられない可能性もある。欧州では、ユーロ発足以降今次危機に直面するまでの間、ギリシャなどの周縁国の長期金利がドイツの金利とほぼ同じ低水準で推移していたが、財政の持続可能性に対する信認が崩れると、金利は非連続的に上昇した(図表10)。市場から催促された時点では対応がきわめて難しくなってしまっている可能性を踏まえると、なるべく早い段階で政府債務の累増に歯止めをかける必要がある。すなわち、国債に対する市場の信認が維持されているうちに、歳出・歳入両面の改革をしっかり進めるとともに、税収を生み出す経済成長力そのものを強化していかねばならない。

この20年程度の間に、独立性と透明性の高い金融政策が世界標準となり、中央銀行は2007年までの期間において、比較的良好なトラック・レコードを積み重ねてきた。しかし、中央銀行の独立性と透明性は、物価の安定と金融システムの安定を両立させ続けていくための必要条件ではあるが、十分条件ではない。経済成長力を強化しながら政府債務の累増に歯止めをかけ、財政の持続可能性に対する揺るぎない信頼を回復することは、現在多くの先進国が直面しているマクロ経済政策上の最も重要な課題である。

  • 11 詳しくは、Reinhart and Rogoff (2010)やCecchetti et al. (2011)を参照。

参考文献

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