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【講演】金融危機と中央銀行の「最後の貸し手」機能

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世界銀行主催エグゼクティブフォーラム「危機は中央銀行の機能にどのような影響を及ぼしたか」における講演の邦訳

日本銀行副総裁 中曽 宏
2013年4月22日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.LLR機能の変容
  3. 3.LLRを巡る新たな課題
  4. 4.おわりに

1.はじめに

米国を起点に発生した金融危機は、2007年夏に国際金融資本市場の動揺という形で始まり、2008年秋のリーマンブラザーズ破綻後に影響の範囲と震度を急激に増していった。今次危機は、金融システムに内在する不安定性、そして、金融システムと実体経済の相乗的な悪化作用を改めて確認させるものとなった。各国の中央銀行は、金融危機に対して、金利の引き下げや潤沢な流動性の供給のほか、いわゆる非伝統的な金融政策などを含め、様々な対応を講じてきたが、危機の渦中において、中央銀行に求められる本質的な役割は「最後の貸し手(Lender of Last Resort、以下LLR)」であると言ってよい。LLRの重要性は歴史が証明しており、今次危機でも、中央銀行の積極的な行動が金融システムの崩壊や景気の底割れを防ぐ上で非常に効果があった。

LLRの概念を広く普及させたのは、英国のエコノミスト誌の編集長であったバジョットである1。彼は、LLRの基本原則の一つとして、金融システムの動揺を防ぐために、"solvent but illiquid"な銀行(支払い能力はあるが一時的な流動性不足に直面した銀行)に対して、中央銀行は貸出を行うべきとした。近年、経済学界の一部から、「バジョットの原則は、金融市場が未発展な時代に打ち出されたものであって、現代の金融市場のように、市場参加者が高い情報収集能力を有している場合には、もはや当てはまらない」といった指摘も聞かれていた。そうした見方は、「市場が効率的であれば、取引相手の支払能力の有無と流動性制約の問題を明確に識別できるため、債務の支払能力のある銀行が流動性制約に直面することはなく、したがって、個別金融機関に対する中銀のLLR機能はもはや不要である」という考えに基づいていた。

しかし、金融資本市場が深化しグローバル化が進んだもとで、中央銀行のLLR機能はこれまでとは違う姿で発揮されることとなり、その重要性は従来にも増して強まった。本日は、金融危機の経験を振り返り、まず、中央銀行のLLR機能の変容について概観した後、その変容の過程で浮き彫りになった幾つかの課題を指摘する。そのうえで、われわれが依って立つ金融経済システムの安定性を確保するために中央銀行が果たすべき役割について考えてみたい。

  1. 1 Walter Bagehot ([1873] 1924), Lombard Street: A Description of the Money Market, London: John Murray.

2.LLR機能の変容

LLRは、金融資本市場におけるシステミック・リスク——すなわち、あるところで発生した問題がドミノ倒しのように連鎖し、その影響が金融システム全体に波及するリスク——の顕現を抑止するために発動される。古典的なシステミック・リスクは、ある銀行での預金取付け(bank run)が、資金流動性の収縮という形で他の国内銀行にも伝播していくというものであった。しかし、今回の金融危機においては、金融資本市場の深化とグローバル化を背景に、システミック・リスクが、(1)資金流動性と市場流動性の相乗的収縮によって拡大すること、(2)危機の発生した一国の市場を超えて国際的な拡がりを有することが明らかになった。そうした事態に対応して、中央銀行のLLRは、「最後のマーケット・メーカー(Market Maker of Last Resort、以下MMLR)」と「最後のグローバルな貸し手(Global Lender of Last Resort、以下GLLR)」の機能を含む姿に発展した。

MMLR

2007年夏以降、サブプライム住宅ローン問題の影響が拡がっていくにつれて、米欧の銀行間市場では、資金に対する予備的需要やカウンターパーティリスクが高まり、取引相手が市場からいなくなる「市場流動性の枯渇」という事態に発展した。また、投資家がリスク回避スタンスを極端に強めるようになり、証券化商品だけでなく、リスク資産全般の市場流動性が広く低下した。そうしたリスク資産をバランスシートに抱え込んだ金融機関は、それらをファイナンスするために短期の資金調達圧力を強めたが、銀行間市場の流動性の収縮から行き詰り、流動性が相対的に確保されていた安全性の高い証券の売却圧力を強めざるを得なかった。その結果、安全性が相対的に高かった証券の市場流動性までが低下し、それらを担保とするレポ市場の機能も低下するに至った。このように、市場流動性の収縮が、金融機関の資金流動性を低下させ、それが市場流動性の一層の低下をもたらす——すなわち、市場取付け(market run)を起こす——という悪循環に陥った(図表1)。

市場流動性が低下すると、ファンダメンタルズに関する市場の価格発見機能が著しく棄損されることになる。こうした状況のもと、先進各国の中央銀行は、まず、安心できるカウンターパーティーとして、銀行間市場において流動性を供給した。また、機能が著しく低下した資本市場での資金の取り手に対し、直接流動性を供給する政策も実施した。例えば、FRBは2008年に、CPの発行体やABS保有者に資金を貸し出す政策措置を導入した。日本銀行も、金融危機の直撃を受けた大企業の資金調達手段であるCPや社債の市場流動性の急激な低下に対処するために、CPやABCP、社債の買入れを行った。また、欧州債務危機から周縁国国債の対独スプレッドが拡大した際に、ECBは、スプレッド拡大の主因が(政府の支払い能力の棄損ではなく)国債市場の流動性の収縮にあると判断し、SMP(Securities Markets Programme)を通じた周縁国の国債買入れを実施した。中央銀行によるこうした流動性の供給は、マーケット・メーカーとなって市場機能の回復維持を手助けする措置であり、その意味で、中銀はMMLRとしての役割を担ったといえる。

GLLR

金融機関の資金仲介業務が自国通貨建てに限定される場合には、自国の中央銀行がLLRとして機能することで、流動性危機に対処することが可能である。しかし、経済のグローバル化が進む中、金融機関の資金仲介業務は外貨建てにも範囲を拡げてきたため、それらの金融機関が外貨の流動性不足に直面した場合、母国の中央銀行単独では、流動性危機を防ぐことが難しくなる。また、外貨の流動性不足に直面している金融機関が当該通貨を発行する中央銀行から流動性の供給を直接に受けようとしても、さまざまな実務的な制約があり、必ずしも資金供給が円滑に行われるとは限らない。

今次金融危機では、ドル資金の仲介業務を積極化させていた欧州系金融機関を中心に、ドル資金の流動性不足が深刻化したことから、2007年末に、ECBとスイス国民銀行は、FRBと米ドル資金に関するスワップ契約を結び、管下の金融機関に対してドル資金を供給した(図表2)。リーマンショック後には、FRBとのスワップ契約を結ぶ中央銀行が、BOEや日本銀行など主要国に拡がった。さらに、欧州ソブリン問題を受け国際金融市場の緊張感が再び高まった際には、不測の事態への対応措置として、スワップ取極の対象を米ドル以外の通貨にも相互に拡大した、多角的スワップを6中央銀行間で2011年に締結した。こうした中央銀行間の協力による外貨資金の供給は、GLLRと呼ぶことができる。

3.LLRを巡る新たな課題

MMLRやGLLRといった、中央銀行のLLR機能の変容は、中央銀行に新たな課題を投げかけている。ここでは、(1)金融政策と金融システム政策の相互連関、(2)流動性供給の限界と政府によるサポート、(3)金融トリレンマと中央銀行間の協調、(4)外貨準備政策とGLLRの相互連関、の4点について指摘する。

金融政策と金融システム政策の相互連関

中央銀行の政策領域を「金融政策」と「金融システム政策」に分類した場合、MMLRは、システミック・リスク対応という意味では金融システム政策に分類されようが、同時に、(非伝統的な)金融政策としても位置付け可能である。金融政策の効果は、金融資本市場を経由して波及するため、流動性低下によって市場機能が棄損した状態が続くと、政策の効果が発揮されない。したがって、中央銀行が、MMLRとして機能し金融資本市場の流動性を回復させることは、金融政策の一環としても位置付け得る。

中央銀行のMMLRとしての政策措置は、相互に補完的である。一例として、ECBの対応を取り上げてみよう。ユーロエリアでは、2010年以降、債務危機が深刻化する中、欧州周縁国国債に対する海外投資家による売却圧力が強まり、各国間の金融市場が分断され、資金取引が停滞した(図表3)。これに対し、ECBは、銀行間市場で資金調達が困難になった周縁国の金融機関に対してLTROs(Longer-term Refinancing Operations)を通して、無制限の資金供給を行う一方、SMPによって周縁国国債の買入れを行うことにより、分断された金融市場の修復を図った。周縁国の金融機関は、国債の購入を増やす一方、それをECBに担保として差し入れて資金調達を行っている。そうしたもとでは、LTROsとSMPのいずれか一方が欠けても、金融システムの安定と物価安定(のための金融緩和効果の浸透)の達成が困難になると考えられる。同様に、米国では、FRBがエージェンシー債やエージェンシーMBSを担保としてプライマリーディーラーに融資を行うPDCF(Primary Dealer Credit Facility)を設定する一方、それらの債券の買入れを行った。このケースでは、LLRとMMLRが相互に補完的に作用したと考えられる。

このように、危機時には、金融システム政策と金融政策の関連性が非常に高まることになる。危機時に採られた非伝統的金融政策は同時に金融システム安定化策の側面を有する場合がある一方、金融システムの安定確保を目的とした施策も、金融政策の波及経路を維持・補強する側面を有している。両政策はともに金融市場および金融機関を通じて経済・物価に作用するものであり、その効果が相互補完的であるだけでなく、一方の政策のために得られた情報や分析を活用することによって、もう一方の政策の有効性を高めることができるという関係にもある。

もっとも、欧州債務危機時のように、政府のソルベンシーに対する疑念がきっかけとなって国債市場の流動性が収縮し、危機が発生する場合には、異なる次元の問題が発生し得る。仮に、中央銀行が金融システムの安定を優先してMMLRとして国債購入を続ければ、物価の先行きに不確実性をもたらすことになるし、一方で、中央銀行が物価安定を優先して国債購入を抑制すれば、国債市場の流動性収縮に歯止めをかけることが困難になる。中央銀行がこうしたトレードオフに直面することを回避するためには、財政の持続可能性に対する信認確保が大前提となる。

流動性供給の限界と政府によるサポート

中央銀行が"solvent but illiquid"な金融機関に対して、LLRとして融資をする場合、金融機関の資金流動性は確実に改善する。しかし、中銀がMMLRとして市場に資金を供給する場合には、市場流動性が自動的に改善するわけではなく、MMLRとしてどこまで踏み込むべきか難しい判断を迫られる。危機時の市場流動性の収縮に対して、中央銀行がMMLRとしてどう機能するかによって、金融政策の有効性や金融システムの安定性だけではなく、自らの財務基盤に対しても内生的な影響が及び得る。MMLRが呼び水となって、市場流動性が回復すれば、中央銀行が買い入れた金融商品や貸出担保の市場価値が安定するようになるため、自己資本が棄損されることはない。しかし、中銀が自己の財務基盤(ひいては中銀に対する信認)が崩れることを懸念して、自己資本のエクスポージャーを抑制し、MMLRとしての資金供給を絞り込めば、市場流動性の収縮が止まらず、中銀が買い入れた金融商品や貸出担保の市場価値の低下が進み、結果として自己資本が棄損されるリスクもある。

中央銀行の財務基盤が劣化し、信認が損なわれると、金融政策の政策遂行能力(ひいては政策の有効性)が低下する可能性がある。また、中銀の損失は、国庫納付金の減少という形で納税者の負担になる可能性があるほか、ミクロの資源配分に介入しているという点で、準財政政策の領域に入るという問題もある(図表4)。しかし、同時に、財務基盤の劣化を極力回避するために、危機時におけるMMLRの役割が十分に果たせないということも望ましい姿ではない。こうした中、FRBがABS市場の流動性回復のために、TALF(Term Asset-Backed Securities Loan Facility)を導入した際には、政府が一定割合をまず負担することが決められた。また、BOEの資産買取ファシリティは、損失が出た場合には政府により全額補償される取り決めとなっている。日本銀行が企業金融に係る金融商品の買入れを2009年に決定した際には、政府は金融政策決定会合の席上、リスクが顕在化した場合、決算上の対策の中で、日本銀行と協議のうえ対応する考えを表明している。

金融トリレンマと中央銀行間の協調

金融のグローバル化が進むもとでの国際金融システムの安定に関しては、Schoenmakerの提唱する"financial trilemma"が重要な視点を提供している(図表5)2。これは、金融の安定、金融の統合(自由な資本移動)、国家単位の金融規制・監督(national financial policy)、の3つを同時に満たすことはできない、というものである。この枠組みを用いて、LLRについて整理すると、次のようになる。

金融のグローバル化が進むもとで、中央銀行のLLRが自国通貨建ての流動性供給に限定される場合——すなわち、国家単位の金融システム政策に止まる場合——、国際的な金融システムの安定性は保証されない。異なる選択肢として、自国通貨建てのLLRのみで、金融の安定化を図ろうとすれば、金融の統合、すなわちグローバル化を後退させ、資本取引を規制しなければならない。もう一つの選択肢としては、金融のグローバル化のもとで、金融システムを安定化させようとすれば、国家単位の金融システム政策を超えた何らかの国際的な金融規制・監督の仕組みが必要になる。中銀間の協調によるGLLR機能は、この大きな枠組みの中でのセーフティーネットにかかる選択肢として整理できるかもしれない。

国際的なセーフティーネットとしては、中銀間のGLLR以外にも、各国中央銀行がIMFに対して各通貨建ての融資枠を設定し、IMFに管理させる——外貨を必要とする中央銀行への融資と監視を行わせる——という仕組みや、SDRを利用したセーフティーネットの構築、各国の外貨準備をプールして共有化する枠組みなど、複数のアプローチが提案されている。ただし、いずれのスキームであっても、それを実現するためには、国際社会においてコスト負担に関する合意を形成するという難しい問題が存在する。

危機時には、流動性制約と債務返済能力が相乗的に悪化する傾向があるため、問題を抱えた金融機関や中央銀行、国家への融資は信用リスクを伴う。同リスクが顕在化した時のコスト負担については、金融グローバル化のもとでは、金融の安定を脅かすリスクが国境を越えて相互依存的になるため、問題解決に向けた国際的な政策協調が正当化されるということには異論がなかろう。しかし、具体的なコスト負担を政治的に配分する枠組みについての合意は容易ではない。同時に、コストの負担に対する各国国民の納得性を確保するためには、コストの最小化を担保するためのメカニズム、すなわち、効果的な規制・監督体制の構築も避けて通れない。現在、ユーロ圏で推進されている銀行同盟に関する議論は、そうした種々の問題が凝縮されているという意味で、非常に示唆に富む。

  1. 2 Dirk Schoenmaker (2011), "The Financial Trilemma," Economics Letters, 111, 57-59.

外貨準備政策とGLLRの相互連関

危機時に資金流動性の収縮に直面した先進国銀行の対外資金調達動向を調達先別にみると、興味深い点が浮かび上がる(図表6)。まず2008年2Qに、対銀行向け債務がインターバンク市場での取引縮小を受けて減少した。続いて3Qに、対非銀行向け債務が減少し——おそらく、インターバンク市場の収縮を受けて銀行が民間向け貸出のロールを削減したほか、民間部門も銀行預金を引き揚げたことが影響——、その後4Qに、対金融当局向け債務が減少している。ここで、対金融当局向け債務とは、FRBとの為替スワップによって主要中銀が供給したドル資金は除かれており、主に海外金融当局による外貨準備運用として受け入れたドル預金が中心になっている。危機発生前までは、新興国や資源国の金融当局が外貨準備の運用先の一つとして、欧州系を中心とする銀行にドル預金を積み上げたことから、海外金融当局に対する先進国銀行の債務は増加していったが、危機が深刻化するにしたがって、海外金融当局はドル預金を引き揚げていった。海外当局による外貨準備の引き揚げは、2008年秋のリーマンショック後に大幅に拡大したほか、欧州ソブリン危機が金融システム問題に発展していった2011年末にかけても、欧州系を中心とする金融機関から預金流出が拡大した。もちろん、海外金融当局が金融危機を先導したわけではないが、当局による外貨準備の引き揚げは危機を増幅する一因になった側面がある。実際、海外当局の外貨準備の動向は、短期金融市場におけるリスクプレミアムを示すLIBOR-OISスプレッドと密接に関連していることが確認できる。

金融当局による外貨準備のうち(証券投資等を除いた)現預金の動きを国別にみると、先進国当局の運用に大きな変化はみられない中で、新興国当局は2008年と2011年下期に金融機関から資金を引き揚げている(図表7)。2007年夏以降、国際金融市場が不安定化し、新興国から資金が流出しはじめていくと、新興国の中銀は、通貨防衛のために、外貨準備の運用先である先進国銀行からドル預金を大量に引き揚げ、ドル売り自国通貨買いの介入を行ったことが、基本的背景とみられる。新興国を中心とする海外金融当局が先進国銀行から引き揚げた資金は2008年中に約8000億ドルと巨額に達している。こうした資金流出のうち相当部分は、FRBが国際金融市場の安定化のために、先進国中銀と締結した為替スワップを通じて供給したドル資金(同期間中に残高ベースで約5000億ドル増加)によって補われていたことになる(図表8)。

国際金融市場の混乱の影響が国内経済に及ぶことを遮断するために、新興各国の当局が外貨準備を取り崩すことは、個々の観点からみて完全に合理的なことである。しかし、そうした各国の行動を新興国全体で集計すると、先進国銀行の資金流動性を収縮させることになり、それがまた先進国銀行のデレバレッジを誘発し、新興国からの資本流出を引き起こすという、「合成の誤謬」が起きた。つまり、各国それぞれが、危機時の防衛のために"national financial policy"を追求することが、金融システム全体の不安定性を拡大している側面があり、ここでもSchoenmakerによる"financial trilemma"があてはまっている(前掲図表5)。

4.おわりに

中央銀行のLLRが必要になるのは、我々が活動しているこの世界が不確実性に満ちているからである。近年の金融技術と情報処理技術の進歩を背景に、これまで感覚的に理解されていた金融市場の事象のかなりの部分が統計的・数理的に表現できるようになったのは事実である。しかし、そうした表現はあくまでも近似であり、確率論や従来からの知識や経験では予測し得ない事象が起き得る——我々の周りには「黒い白鳥(black swans)」が泳いでいる——。黒い白鳥が出現したときに、システム全体が崩壊しないで済むような安全柵(backstop)が必要であり、その一つがLLRである。

市場型金融仲介の進展やグローバル化の進んだ金融システムにおいて、安定性を確保するうえで、中央銀行のLLRとしての守備範囲は明確に拡大している。危機の渦中において、中央銀行はここで指摘した課題に対応し、相応の成果を挙げてきたが、全て課題が解決されたわけではない。個々の中央銀行による適切な危機対応はもちろん重要であるが、同時に、政府との連携や役割分担の明確化、そして国際セーフティーネットの構築にむけた中銀間や財政当局間の協調も不可欠になっている。

さらに、危機対応という視点に加え、危機を予防するという視点も重要であるが、ここで悩ましいのは、LLRの存在、さらにはその守備範囲の拡大が、市場参加者の野放図なリスクテークをむしろ奨励してしまう可能性——いわゆるモラルハザードの問題——である。この問題に対処し、金融面での不均衡拡大を抑制するうえで、規制・監督の果たすべき役割は大きいが、同時に、それだけではなく中銀の政策対応にマクロプルーデンスの視点を取り入れていくことも必要となる。グローバルに緩和した金融環境が当面続くことが見込まれる中、将来、各国の政策運営において、この視点をどのように取り込んでいくべきかが問われてくることになろう。

また、グローバルシステムにおける「合成の誤謬」についても注意が必要である。金融市場のグローバル化が進むもとで——すなわち、資本取引を自由化したもとで——、個々の中央銀行は自国経済の安定のために、独立した金融政策、もしくは為替政策(固定相場制)のいずれかを選択可能であるが、いずれを選択するにしても、それらの政策を世界集計した場合、世界経済の安定が必ずしも保証されるわけではない(図表9)。例えば、政策に外部性がある場合、各国が自国経済の安定化のために行う政策は同調的になる傾向があり、そのことが世界経済の振幅拡大や国際金融システムの不安定化をもたらし、自国経済に跳ね返ってくる可能性もある。こうした合成の誤謬の問題は、Mundellの国際金融に関するトリレンマの次元を越えた、より難しい政策課題を中央銀行に投げかけている。また、グローバル化が進む中、各国単位の外貨準備政策(資本逃避に備えた外貨準備の積上げ)や規制・監督(national financial polices)が残存すれば、国際資金循環を増幅したり、規制の最も緩い国や地域に資本流入が集中するなどして、各国の金融政策に意図せざる効果をもたらすという形でフィードバックしていく可能性がある。このように、MundellとSchoenmakerの2つのトリレンマが相互に作用する中で、問題はより複雑なものとなろう。

「今度は違う(This time is different.)」という言葉は、われわれの愚かさを示す言葉になってしまったが、だからといってわれわれは敗北主義に陥るべきではない。危機発生の可能性を少しでも減らすためにできることは多い。理想的で万全の態勢を構築するためのハードルは高く、道のりは遠いが、われわれの諺に「千里の道も一歩から」とあるように、各国当局間で取り組める協力や協調を着実に進めていくことが重要であり、小さな成果を積み重ねていくことによって最終的には大きな目標が達成できると確信している。