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【挨拶】日本銀行金融研究所主催2013年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2013年5月29日

目次

1.はじめに

皆様おはようございます。2013年国際コンファランスの開会に当たり、一言ご挨拶申し上げることは、私にとって大変光栄なことです。日本銀行を代表して、学界、中央銀行、国際機関からご参加頂いた皆様に、心から歓迎の意をお伝えしたいと思います。

今年のコンファランスのテーマは、「金融危機と国際金融システム」という、本日ご参加頂いた皆様にとっては大変馴染み深いものと思われます。実際、このテーマは、これまで繰り返し議論されてきました。金融危機は、過去幾度となく発生し、それを受けて国際金融システムが変化してきました。そして、新たな考え方、あるいは、少なくともこれまでの考え方の変更が求められてきました。しかし、それが容易なことではないことは、私と同じような仕事をしてきた多くの皆様も、躊躇なく同意されることと思います。私も、国際金融システムが動揺と発展を繰り返す中、様々な立場から、国際金融の最前線で仕事をしてきましたが、大幅な為替変動や多額の資本流出入などの解決できそうにない問題に対して、どう対応すべきか、常に頭を悩ませてきました。振り返ると、これまでの国際金融システムを巡る議論や対応は、一筋縄ではいかず、試行錯誤の繰り返しであったと思われます。しかし、科学的方法論を探求した哲学者であるカール・ポパーが、真理の探求には「試行錯誤の方法より合理的な方法はありません」と言っているように、経済学は、危機の度に試行錯誤を繰り返し、新しい知見を蓄積してきました1。国際金融システムの再建という大変な課題に直面している我々にとって、これまで繰り返してきた試行錯誤は、必ずや重要な示唆を与えると思います。

  1. 1 Popper, Karl, "Science: Conjectures and Refutations," Conjectures and Refutations, Routledge and Kegan Paul, 1963(「科学−推論と反駁」、黒田東彦訳、清水幾太郎責任編集、現代思想第6巻『批判的合理主義』、ダイヤモンド社、1974年)。

2.国際金融システムの変化における国際金融のトリレンマの役割

これまで蓄積された知見を踏まえると、国際金融システムを作り上げていくための議論の出発点となるのは、国際金融のトリレンマです。ご存知のように、国際金融のトリレンマとは、どのような経済においても、自由な資本移動、固定為替レート、および独自の金融政策の3つを同時に達成することはできないということです。このトリレンマの制約の中で、国際金融システムの選択が行われてきました。そして、選択された国際金融システムが維持不可能になると、金融危機が発生し、さらに、それを受けて新たな国際金融システムが選ばれるということが繰り返されてきました。まずは、このような歴史的な事例の幾つかに触れたいと思います。

第二次大戦の終わりに、両大戦間に起こった為替切下げ競争等の諸問題を回避するために、ブレトンウッズ体制が導入されました。この体制では、資本移動を管理しつつ、独自の金融政策運営と、金との交換比率が一定とされた米ドルへのペッグが追及されました。しかし、1960年代には、米国の国際収支が悪化する中、非居住者の保有する米ドルが増加し、ユーロダラー市場が発生・拡大するなど、国際金融を巡る環境に変化が起こりました。こうした下で、米国の金準備が流出を続け、米ドルの兌換性に対する不安が高まったため、ブレトンウッズ体制は放棄されました。その結果、主要国では、独自の金融政策を維持しつつ、変動相場制への移行が行われるとともに、資本移動の自由化が進められました。

時代を経て、1990年代には、メキシコ、タイ、インドネシア、韓国、ロシア、ブラジルなどの新興国で、通貨危機が発生しました。為替レートを事実上、米ドルにペッグしていたこれらの新興国では、資本移動の自由化とそれに伴う活発な資本取引のもとで生じた持続不可能な経常赤字などを契機に、危機が発生しました。危機後、これらの国では、資本移動を許容しつつ、独自の金融政策運営の追及と、為替相場の変動幅拡大がみられています。また、通貨危機の教訓を踏まえ、アジアの新興国では、外貨準備が大幅に増加しているほか、チェンマイ・イニシアティブのような地域金融協力が進められています。

以上のように、これまでの国際金融システムの変化は、国際金融のトリレンマという制約とともに、金融危機から多大な影響を受けてきました。

3.今次金融危機後の国際金融システムの再建に関する論点

今回の金融危機も、これまでの危機と同じ、あるいはそれ以上に大きな動揺を国際金融システムに与えました。金融のグローバル化が進んで以降、危機と言えば、新興国が中心であり、しかも、為替レートの急落が危機の引き金を引いてきた、と考えられてきました。しかし、今回の危機は、次の2点で異なります。第1に、先進国が震源地となり、それが多くの新興国に波及しました。第2に、金融システムの機能不全が危機を引き起こし、これを増幅しました。

こうした今回の金融危機の特徴を踏まえると、国際金融界では、国際金融システムの再建に向けて、資本移動規制と、金融規制・金融機関監督という、2つの課題を検討していく必要があると思います。

まず、資本移動規制についてですが、過去の新興国における通貨危機でも、それがいくつかの国に波及することがありました。しかし今回は、米国とユーロ圏で生じた緊張が、中東欧やラテン・アメリカ等の多くの新興国に一斉に波及しました。その世界的な波及の原因の1つとして、金融のグローバル化やそれに伴うグロスの資本移動の世界的な急増があったと考えられており、プルーデンシャルな資本移動規制への関心が高まっています。また、かねてより資本移動の利点を強調してきた国際通貨基金が、近年、部分的にではあるにせよ、マクロプルーデンス政策の手段として資本移動規制の必要性を認めています。

次に、金融システムの安定を維持するための金融規制・金融機関監督についてですが、今回の金融危機を経て、金融システムの安定を維持することの重要性が世界的に再認識されています。こうした下、G20等の国際会議で、金融規制や金融機関監督をどう整備し、国際的にどのように調和させるかが議論されてきました。また、ユーロ圏で、銀行同盟に関する議論が進められています。この論点を考える上で、近年学界で提案されている「金融のトリレンマ」の議論は、有益な視点を提供していると思われます2。金融のトリレンマとは、どのような経済においても、金融統合(自由な資本移動)、金融の安定、および国家単位の金融規制・監督の3つを同時に達成することはできないというものです。

  1. 2 Schoenmaker, Dirk, "Financial Trilemma," Economics Letters, 111 (1), 2011, 57-59.

4.結び

これらの2つの課題への答えを見つけ出し、国際金融のトリレンマという制約のもとで、新たな国際金融システムを築いていくことは容易ではありません。また、現時点で頑健と考えられる国際金融システムを構築しえたとしても、金融危機は我々が予想もできない形で起こりうるため、そのシステムが永久に存続する可能性は低いでしょう。しかし、たとえそうだとしても、様々な論点を検討し、頑健な国際金融システムを模索することは、決して無駄にはなりません。これまでの歴史が示す通り、金融危機は何度も発生し、その都度、新たな金融システムの構築に向けて議論が行われてきました。その過程で蓄積された知見は、その後の金融危機への対応や金融システムの再建に役立ってきました。

現在、世界経済は、国際的な金融危機の発生から約5年を経ても、なお、その影響から完全には抜け出せずにいます。しかし、私は、この大きな困難の中から新たな知見が生まれ、新しい世界が切り開かれると確信しています。世界中からお集まりいただいた皆様が、ご自身の経験や意見を交わすことで、このコンファランスが、国際金融システムの再建という喫緊の取組みに必要な知見や、今は予想もつかないような危機が将来再び発生した場合に有益となる知見の蓄積に貢献することを期待します。

ご清聴に感謝いたします。