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【講演】日本の非伝統的金融政策と国際金融システム安定に向けた取り組み

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カンザスシティ連邦準備銀行主催シンポジウム(米国ワイオミング州ジャクソンホール)における講演の抄訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2013年8月24日

目次

はじめに

本日は、伝統あるカンザスシティ連銀主催のシンポジウムに、パネリストとしてご招待いただき、誠に光栄に存じます。

世界経済はリーマンショック後の混乱から完全に立ち直ったわけではなく、各国はそれぞれが抱える難問の解決にいまだ頭を悩まされている状況にあります。日本では、過去15年にわたって、物価下落と経済活動の落ち込みという悪循環から脱却することができず、経済活動から徐々にダイナミズムが失われていきました。持続的な経済回復には、デフレから脱却し、企業や家計の行動を前向きにしていくことが必要です。

本日は、まず、この4月に日本銀行が導入した「量的・質的金融緩和」の概要を説明します。次に、その波及経路の特徴について、実質金利と自然利子率への影響という観点からお話しします。最後に、非伝統的金融政策と国際金融市場との関係について、いくつかの論点に触れておきたいと思います(図表1)。

1.日本の非伝統的金融政策

「量的・質的金融緩和」の概要

日本銀行の量的・質的金融緩和は、「量的・質的」という言葉で表されているとおり、日本銀行バランスシートの「量」の拡大と「質」の変化の両面を通じて、デフレから脱却することを狙いとしています。ポイントは次の3点にまとめられます(図表2)。

第1に、消費者物価上昇率で2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭において、できるだけ早期に実現することを目指しています。

第2に、「量」の側面から、長期国債を中心とした各種資産の買入れにより、マネタリーベースを、2012年末の138兆円から2014年末の270兆円へと、2年間で2倍に拡大することを目指しています(図表3)。これを対名目GDP比率でみますと、直近2013年2Qには既に30%を超えており、今後の名目GDPの伸びにもよりますが、2014年4Qには50%を超える水準まで上昇する見込みです。

第3に、「質」の側面から、長期国債の買入れの対象を超長期の40年債を含む全ての年限に拡大しました。この結果、日本銀行が買い入れる長期国債の平均残存期間は7年程度と、これまでの2倍以上に長くなります。イールドカーブ全般に働きかけることによって、金融環境や実体経済に対する政策の効果が強まることが期待されます。また、リスク資産のプレミアムに働きかけるため、ETFとJ-REITの買入れ規模を拡大しています。

足元までの量的・質的金融緩和の評価

量的・質的金融緩和は、既にその効果を発揮しつつあります。ここでは、3つの点を指摘しておきたいと思います(図表4)。

第1に、金融市場や企業金融の好転です。株価は上昇しており、長期金利は、一時的にボラティリティが高まる局面もありましたが、足元では、海外金利が上昇する中にあっても、ほぼ横這いで推移しています(図表5)。企業金融面でも、銀行貸出が伸びを高めると同時に、貸出金利も史上最低の水準にあります。

第2に、人々の期待の好転です。消費者マインドや企業の業況感が大幅に改善しています。また、多くの指標が、市場・企業・家計、いずれについても、予想物価上昇率が上昇していることを示しています(図表6)。このことは、名目金利の低位安定と相まって、実質金利の引き下げに効果を発揮しています。

第3に、実体経済や物価の好転です(図表7)。個人消費は、マインドの改善や株価上昇による資産効果もあって、底堅く推移しています。設備投資は、企業の業況や収益が改善する中で、持ち直しに向かう動きがみられています。消費者物価上昇率も、景気改善や円高修正を背景に、ゼロからプラスに転じています。

2.非伝統的金融政策と実質金利そして自然利子率

このように、日本銀行の量的・質的金融緩和は既に成果を上げつつありますが、次に、実質金利と自然利子率という2つの観点から、その政策効果の波及メカニズムについて考えてみたいと思います(図表8)。

言うまでもありませんが、金融政策の効果は、実質金利と自然利子率の差によって決まります。したがって、金融緩和効果を生じさせるためには、自然利子率を所与として実質金利を引き下げるという方法と、実質金利を所与として自然利子率を引き上げるという方法の2つが考えられます。

日本銀行の量的・質的金融緩和は、実質金利の引き下げと自然利子率の上昇という2つの側面から、効果を発揮しつつあるものと考えられます。以下、順を追って説明していきましょう。

実質金利の引き下げ

まず、第1の論点として、実質金利の引き下げ効果について考えてみたいと思います。

政策的に実質金利を引き下げる場合、名目金利を引き下げるのが普通です。もちろん、こうした政策が可能であるためには、名目金利の低下余地が十分に大きいことが必要です。例えば、米国の場合には、インフレ予想がアンカーされていることを前提に、名目金利の引き下げによって、実質金利の低下が図られました。

これに対し、日本の場合は、もともと名目金利の水準が低かったため、名目金利の引き下げによって実質金利の低下を図る余地が限られていました。そこで、実質金利を引き下げるためには別の方法が必要でした。つまり、予想物価上昇率の引き上げです。実質金利を引き下げるという目的自体は米国と同じですが、それを実現するためのストラテジーは対照的です。

日本銀行が、2年程度の期間を念頭において2%の「物価安定の目標」の実現を目指すことは、こうした政策上の制約を克服する上で有用です。量的・質的金融緩和によって、予想物価上昇率が実際に上昇しつつあるのは、先に述べたとおりであり、日本銀行の政策は、所期の効果を発揮しつつあります。

自然利子率の上昇

次に、第2の論点として、非伝統的金融政策と自然利子率の関係について考えてみたいと思います。ただ、こうした論点については、これまでほとんど議論されてこなかったように思いますし、多分に見解が分かれるところかもしれません。

そもそも自然利子率とは、企業が実物投資を行うことで得られる予想リターンに相当します。日本銀行の量的・質的金融緩和は、人々の間に定着した「デフレマインド」を打ち破り、日本経済が本来持っているダイナミズムを取り戻そうとするものです。その政策的帰結として、日本の潜在成長力が回復すれば、投資機会が増え、自然利子率の上昇という形になって現れてくると考えられます。

潜在成長力の強化に資する非伝統的金融政策という意味では、実は日本銀行は、「貸出支援基金」という資金供給手段も設けています。同基金は、日本経済の成長基盤強化に資する貸出について資金供給する「成長基盤強化支援」と、金融機関の貸出増加に向けた取り組みを支援するため、貸出増加額についてその全額を低利・長期で資金供給する「貸出増加支援」の2本立てで構成されており、成長性の高い企業や事業分野の資金需要の発掘に向けた金融機関の取り組みを促進することを狙いとしています。

ここで一点だけ補足しておきますと、自然利子率を高く維持することは、様々なショックに対する経済の耐性を高めるという点でも重要です。この点、自然利子率が十分上昇した暁には、政策金利が再びゼロの下限にヒットする可能性が低下し、日本経済の耐性が高まると考えられます。

3.非伝統的金融政策と国際金融市場

最後に、本会議でも議論された国際的な資本フローやグローバル流動性に関する論点について、お話ししようと思います。この分野は、重要な論点が非常に多いのですが、今回は、私自身の経験も踏まえて、2つだけ触れておこうと思います(図表9)。

非伝統的金融政策と国際資本フローの関係

第1に、非伝統的金融政策と国際的な資本フローの関係は、非常に複雑であるということです。

中央銀行関係者にとっては、目新しい話ではありませんが、金融政策によって供給されたベースマネーのほとんどは、中央銀行預け金という形で積み上がります。ある国が金融を緩和すれば、字義通り、その資金がそのまま「海外に向けて溢れ出る」というわけではありません。

ポイントは、そうして積み上がったベースマネーや、買い入れ手段の需給変化を起点にして、金融市場参加者の期待形成や取引がどのように変化するかという点であり、それが国際的な資本フローにどのような影響を及ぼすかということです。

こうしたプロセスはかなり複雑であり、金融緩和を行ったからといって、必ずしも資本が海外に流出するとは限りません。例えば、金融緩和によって成長期待が高まれば、高い自然利子率を求めて、資本が流入してくることも考えられます。

中央銀行間の国際協力の重要性

第2に、中央銀行間の国際協力の面でも、まさに「非伝統的」な取り組みが強化されてきている点を指摘しておきます。

金融のグローバル化の進展とともに、システミック・リスクが国家間で伝播するスピードと程度が高まっており、国際金融資本市場の不安定化が世界経済の足枷となる可能性について、十分な注意が必要です。

リーマンショック後、日本銀行は、他の中央銀行とともに、通貨スワップ取極、クロスボーダー担保の枠組みの整備、アジア債券市場の育成をはじめとした地域的な金融インフラ整備、などの取り組みを通じて、国際金融システムの安定維持に努めてきました。

これまで国際金融に様々な立場で関わってきた者として、金融危機の予防と管理において、国際的な連携の重要性が益々高まっていることを強調しておきたいと思います。

おわりに

日本の量的・質的金融緩和は、過去15年間続いてきたデフレから脱却し、日本経済を再び活性化することを目的としています。この政策は、予想物価上昇率を高めることで実質金利を低位に保ちつつ、政府の成長戦略と相まって自然利子率の上昇にも働きかけることで、効果を最大限に発揮すると考えています。日本銀行は、国際金融システムの安定維持にも引き続き注力するとともに、今後も、物価安定の目標に向けて、適切な政策運営に努めていく所存です。