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【挨拶】わが国の経済・金融情勢と金融政策

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函館市金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 佐藤 健裕
2013年12月4日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.最近の経済・金融情勢
  3. 3.最近の金融政策運営
  4. 4.終わりに〜道南経済について〜

1.はじめに

本年4月1日、日本銀行函館支店は開設120周年を迎えた。今日までの長きにわたり、当支店の業務運営については大変お世話になっており、この場をお借りして感謝申し上げたい。本日は、まず私から国内外の経済・金融情勢と最近の日本銀行の金融政策についてお話させて頂いたうえで、道南経済についても若干触れさせて頂きたい。その後、皆様方から、当地実情に関するお話や、日本銀行の政策運営に対するご意見などをお伺いしたい。

2.最近の経済・金融情勢

世界経済見通し

世界経済の見通しは、本年夏場にかけて国際金融資本市場が不安定化したことから一時やや慎重化したが、国際金融資本市場もなお神経質ながらもひと頃に比べて落ち着いてきており、足許では徐々に改善しつつある。

やや詳しくみると、本年5月下旬頃より、米国の金融政策を巡り、投資家の間で、米国連邦準備制度理事会(FRB)による資産買入れの早期縮小観測が強まったことを契機に、一部の新興国でトリプル安が進展するなど国際金融資本市場は不安定化し、このところ下方修正が続いていたIMFの世界経済見通しは新興国を中心に10月に一段と引き下げられた(図表1)。見通しの引き下げが新興国中心で、先進国は全体として据え置かれた点は、先行きの世界経済の姿について、リスク面を中心に一定の示唆があるように思われる。

すなわち、目先の世界経済の見通しについてみると、米国経済は家計のバランス・シート(B/S)調整の進捗や住宅市場の改善を背景に緩やかながらも回復経路を辿っており、欧州経済は財政緊縮路線の修正や企業・家計マインドの底入れにより景気は持ち直しに転じつつある(図表2)。中国経済も、当局が経済成長の質を追求しつつも、景気の底割れを防ぐため小規模な経済対策で景気下支えの姿勢を示していることから、景気拡大ペースは、夏場以降、安定してきている(図表3)。新興国市場をみても、概してなお神経質な展開が続いているものの、FRBの資産買入れ規模の縮小の後ずれから、ひと頃に比べれば落ち着いている(図表4)。米国や欧州景気の改善、中国の安定成長の範囲内での上向きな景気などは、韓国や台湾などにも徐々に好影響を及ぼしつつあることもあって、目先の世界経済の見通しにやや明るさをもたらしている。

こうしたなか、目先のリスクとして、一旦先送りされた米財政問題の帰趨、FRBの資産買入れ縮小前後に起こり得る国際金融資本市場の不安定化などに注目している。前者については、米政治情勢は依然予断を許さない。後者についてはFRBの資産買入れ縮小の後ずれは市場に織り込まれたとはいえ、縮小時期は不透明であり、依然として国際金融資本市場は縮小時期の見通しに振らされる展開となっている点は気がかりである。

また、中期的には米欧の最近のディスインフレ傾向や潜在成長率低下の可能性を懸念している。前者のディスインフレ傾向は、足許欧州でとりわけ目立ってきた(図表5)。背景として、一般に昨年のエネルギー価格上昇や付加価値税増税の影響剥落が指摘されるが、それ以外にも、周縁国の一部にみられる賃金の下落、金融機関などのバランス・シート調整、資産価格低下を映じた資金仲介機能の低下やそれらの影響も含めた実体経済の低迷など、90年代以降の日本のデフレーションと共通する要因も見受けられる。

こうしたディスインフレ傾向は今のところ短期の予想インフレ率に幾分影響を及ぼしてきてはいるものの中長期の予想インフレ率には影響せず、中長期の予想インフレ率は、米欧ともに2%程度で安定しているとされる(図表6)。しかし、日本の経験に照らせば、低いインフレ率が長く続くことで人々の予想が変化し、中長期の予想インフレ率も適合的に低下するリスクがあるように思われる。米国では、今のところ欧州ほどデフレ懸念は強くないようだが、シェールガス革命によるエネルギー価格の低下もあり、インフレ率はこのところFRBの見通しを下振れ続けているだけに、同様のリスクを念頭に置く必要性を感じている。

後者の潜在成長率について、先進国では労働投入や技術革新のテンポ鈍化を背景に90年代以前より幾分低下した可能性が各方面から指摘されている1。新興国でもリーマン・ショック以前との対比で足許の成長が見劣りする点について、単に循環的なものか、あるいは構造要因に根差すものなのか様々な議論のあるところである。仮に潜在成長率がさほど低下していないのであれば、足許の米欧のディスインフレ傾向は設備ストックや労働市場に残存するslackを反映したもので、先行きslackがなくなっていくとともに、ディスインフレ圧力は縮小に向かうことになる。一方で、足許、潜在成長率が低下したことで自然利子率が低下し、それと整合的なインフレ率の水準も低下したとの見方もあり得る。

このように、潜在成長率の見方次第ではインフレの先行き、ひいてはマクロ政策への含意は変わり得る。その意味では、先述のFRBによる資産買入れ縮小を巡る一連の情報発信の変遷は注目に値する。FRBは失業率とインフレ率を主要なベンチマークとしながら、実際のインフレ率が長期的な目標水準に達していないにも拘らず、このことに当初あまり重きを置いていないように見えた。もっとも、その後9月の資産買入れ縮小見送りの理由として、全般的な経済状況や財政問題と並び、長期的な目標水準に達していないインフレ率を挙げていたことは興味深い。また、欧州中央銀行が11月の政策理事会でインフレ率の想定以上の低下と物価見通しの引き下げなどを理由に、利下げに踏み切ったことも同様の文脈で興味深い。先進国の中央銀行は、低インフレ下の最適な政策ミックスの模索過程にあるが、それは今日に至るまで日本銀行が辿った道筋に似てきているように思われる。

  1. 最近のものでは例えば以下の論文。Dave Reifschneider, William Wascher, and David Wilcox, "Aggregate Supply in the United States: Recent Developments and Implications for the Conduct of Monetary Policy," Finance and Economics Discussion Series 2013-77, Federal Reserve Board, November 2013.

日本経済見通し

日本経済は緩やかに回復している。先行きも世界経済が緩やかな成長軌道を辿るもとで、2度の消費税率引き上げの影響を受けつつも、基調的には潜在成長率を上回る成長パスを描くと想定している(図表7)。

以上の現状と見通しを10月末に公表した展望レポートにおける中心的な見通しに即して述べると、本年前半の日本経済は、各種経済対策の効果が本格化するもとでの公共投資の増加や、円安・株高によるマインド改善を受けた個人消費の底堅さをはじめとした内需を牽引役に年率4%前後の高成長となった。直近7-9月期の実質GDP(一次速報)は、年率4%程度の成長が続いた年前半の反動もあって、個人消費が横ばい圏内となるなか、主に輸出の減少により減速した。このように、本年入り後、一部新興国の弱めの動きから輸出は、持ち直しつつも勢いをやや欠いており、内外需のパフォーマンスは対照的であった。その点、今回の回復は輸出と生産の増加を起点とした戦後の典型的な回復パターンとは様相を異にする。もっとも、目先は海外経済の持ち直しを背景として輸出が緩やかに増加するほか、消費税率引き上げ前の駆け込み需要が見込まれることもあって内需が堅調さを維持するなかで、10-12月期から1-3月期にかけて成長率は再び高まり、2013年度では3%弱の成長を見込んでいる。

2014年度は、当初4-6月期は駆け込み需要の反動で一時的に経済は落ち込むと見込まれるが、前回1997年の税率引き上げ時と幾つかの点で環境が異なり、景気の底割れは想定していない。すなわち、(1)政府が総額約5兆円規模の景気対策を発動する予定であること、(2)一部で今年トリプル安に見舞われた新興国は外貨準備の積み上げなどバックストップを整備してきており、アジア通貨危機が起きた97年当時に比べて負のショックへの耐性を高めていること、(3)わが国の金融システムは全体として安定性を維持していることなどもあって、内需が堅調さを維持するなかで、外需も増加していくと見込まれる。2014年度下期以降は、生産・所得・支出の好循環が持続することにより、潜在成長率を上回る成長を見込んでいる。以上のような見通しを7月の展望レポートの中間評価時点の見通しと比較すると、外部環境的には、前述のIMFの見通しに示されるように新興国を中心に世界経済の成長見通しが低下したことが外需の下押し要因となる一方、国内的には、先に挙げた景気対策による押し上げ効果も見込まれることから、2014年度の政策委員見通しの中央値は内外の要因が相打ちとなり、7月時点での見通しからほぼ不変である。2015年10月には再度の消費税率引き上げが予定されるが、見通しの背景となる考え方は基本的に14年度と同じで、見通しの中央値にも変更はない。

ただし、以上の見通しは国際金融資本市場が総じて落ち着いて推移するという前提に基づく。すなわち、(1)一旦先送りされたFRBの資産買入れ縮小は先行きスムーズに実施され国際金融資本市場の混乱には繋がらない、(2)中東では地政学的リスクが燻り続けるが国際商品市況の高騰には至らない、(3)欧州債務問題も燻ぶり続けるが市場の動揺には繋がらない、(4)米国は長期間の政府閉鎖や債務不履行などの混乱には至らない、といった点である。以上の前提の一角が崩れれば、国際金融資本市場の混乱などを通じて日本経済に相応の影響が及び得る。また、個人的には、前述のように米国をはじめ主要国・地域の潜在成長率が近年低下している可能性があるほか、それとの関連で米欧のディスインフレ傾向が続いていることも留意点としたい。

物価見通し

既に10月末の金融政策決定会合の議事要旨などで明らかになっているとおり、私は10月の展望レポートにおける物価見通しの記述に反対票を投じたので、中心的な見通しをこの場で述べるのは微妙な立場にある。以下では中心的な見通しとの相違点に触れつつ、私自身の見方に即して申し述べる。

まず足許までの動向だが、円安やエネルギー価格上昇のほか、デジタル家電類の下げ止まり等を映じて消費者物価(除く生鮮食品)の前年比(以下、物価)は中心的な見通しに沿う形でこれまで推移しており、既に1%前後に達している。

ただし、為替・エネルギー価格等の前提を横ばいと置くと、この種の物価押し上げ影響は直近7-9月期をピークに先行き減衰するため、仮に本年前半の高成長による需給ギャップ改善の影響が2014年度の物価に現れるとしても、フラット化した最近のフィリップス曲線を前提とすれば、物価が1%を大きく超えて推移し続けるとの想定は無理があるように思われる(図表8)。よって、私自身は2014-15年度の物価見通しについて、政策委員見通しの中央値対比で慎重にみている。

無論、私の慎重な物価見通しに上振れリスクがないわけではない。すなわち、バブル経済崩壊以降、物価が前年比で1%を超えたのは2008年の一時期だけで「滞空期間」はほとんどなかった。1%を超えたのも、円安・エネルギー高によるコストプッシュ・インフレによる一時的なものであったため、当時は予想インフレ率も上方にシフトしなかった。仮に先行き1%前後の物価上昇率がある程度続けば、家計・企業・市場の期待形成に変化が生じ、予想インフレ率が大きく上方にシフトすることもあり得ない話ではなかろう。これは、先述のように予想インフレ率は実際のインフレ率に応じて適合的に形成される傾向があるとみられるためだ。

もっとも、それも比較的短期の予想インフレ率のケースであって、中長期的な予想インフレ率が短期間の物価上昇により影響を受けるかどうかは不確実性が高い(図表9)。しかも、過去15年近く続いたデフレのもとで短期の予想インフレ率も粘着性が高まっている可能性があることを踏まえると、長期はなおさらである。

家計、企業やエコノミスト、債券市場参加者等を対象とする各種サーベイからは全体として予想インフレ率の上昇を読み取れるが、これらの多くは消費税率引き上げの蓋然性の高まりとの厳密な識別が困難である。固定利付国債と物価連動国債の利回り較差から求められるブレークイーブン・インフレ率(以下、BEI)についても、上述の消費税率の問題があるほか、物価連動国債の市場流動性の低さから流動性プレミアムの変動が無視できない影響を及ぼしているとみられること、インフレ上昇を期待する一部の海外投資家の期待値も反映していること、から経済・市場全般の予想インフレ率を代表する指標として必ずしも適当でないと個人的には考える(図表10)。なお、10月から発行が開始された償還時の元本保証(フロア)付の物価連動国債のBEIは100bps程度で推移している。向こう10年間で計5%の消費税率引き上げを勘案したうえで、BEIがこの程度の水準にとどまっていることは興味深い。

物価見通しの上振れリスクという点では賃金の動向にも着目している。労働組合がどちらかと言えば賃上げよりも雇用維持を重視するとみられるなかにあって、政労使協議の進展に見られるように政府の後押しで産業界に影響力を有する一部の経営者がこのところベア実施に前向きな姿勢を示し始めたことは特筆すべき変化である。「賃金は上がらないもの」という消極的な期待が前向きに変化するカタリストとして貴重な一歩であろう。

ただし、期待の変化が生じるには、こうしたベアが来春の単年度限りでなく複数年にわたり実施されること、あるいはそうした期待形成がなされることが重要である。また、このところの短時間のパート労働者の労働市場への参入の増加やパート比率の趨勢的な上昇による所定内給与への構造的な下押し圧力を勘案すると、一部大企業の正社員中心のベア実施ではマクロ統計上有意な賃上げとなるかどうかという問題もある(図表11)。ちなみに、大企業の人件費が人件費全体に占める比率は約25%(2012年度)である(図表12)。

仮に、大企業中心とはいえ相応の賃上げが実現した場合に起こり得る労働市場の姿についてもテイクノートしておきたい。縦軸に賃金上昇率、横軸に失業率をとった日米の賃金版フィリップスカーブは、仮に日本で相応の賃金上昇が実現した時に労働市場に起こり得る変化を示唆しているようにも見える(図表13)。

一般に、米国では、雇用調整を行う際は賃金ではなく労働者を削減し、不採算部門からの撤退を比較的迅速に行う。結果的に、名目賃金は景気循環にかかわらず2〜4%前後の伸びを保ち、経済に超過供給力が温存されにくいためデフレになりにくい構図となっているとされる。一方、これまで日本では解雇による雇用調整は限定的で、人件費の調整は主に賃金の削減によりなされる傾向があった。結果的に、日本では非効率な部門の整理・再編が遅れ、労働分配率が高止まりし、経済の新陳代謝が進まず、超過供給力が温存されやすい構造となっている。このように雇用調整のコストを広く薄く負担しあうことが緩やかなデフレの一因であったとみられる。

しかし、仮に景気の状態如何に拘らず、日本で持続的なベアを実現していくとすると、企業経営者は特に不況期においては将来の固定費負担増大を意識せざるを得ない。ベアを実現すると同時に、固定費負担の増大を防ぐためには、米国ほどドラスティックではないにせよ、人員削減のインセンティブが高まり、それが結果的に失業率のボラティリティ増大として反映される可能性がある。これは賃金版フィリップスカーブが米国のようにフラット化する(即ち、固定費の増大を賃金ではなく雇用者数で調整するようになる)可能性を示唆する。

このように考えると、名目賃金の持続的な上昇が実現すれば、家計・企業・市場参加者の予想インフレ率に好影響が及び、人々のデフレ予想が前向きなインフレ予想に変化する、すなわちデフレ脱却の蓋然性が高まる可能性があるのと同時に、失業率の変動も大きくなることによって、雇用調整の社会的コストも高まる可能性がある点には注意する必要がある。賃上げ問題が国民所得のうち雇用者報酬と営業余剰の分配問題に帰着する以上、社会全体での賃上げ実現は相応の経済成長の実現が前提で、フリーランチは存在しないのである(図表14)。

3.最近の金融政策運営

「量的・質的金融緩和」の遂行

本年4月4日に日本銀行が「量的・質的金融緩和」を決定してから8ヵ月となる。その間、前述のように日本経済・物価はともに展望レポートの中心的な見通しに沿う形で概ね想定通りのパスを辿っている。もっとも、物価情勢は好転しつつあるとはいえ、伸び率はようやく1%に届くかどうかといったところで、先に挙げた物価を取り巻く下振れリスクを勘案すると、「物価安定の目標」の実現には道半ばである。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、「量的・質的金融緩和」を着実に遂行してゆく所存である(図表15)。

経済見通しと政策の関係では、10月の展望レポートで示した政策委員見通しの中央値をみると、2回の消費税率引き上げを織り込んでおり、税率引き上げによる経済の一時的な落ち込みを勘案しても2014-15年度にかけて潜在成長率を上回る高めの伸びを続けることが見込まれる。税率引き上げによる実体経済への影響が需要の一時的なスウィングに過ぎず、かつそれが想定の範囲内に収まると見通せる限りは、それに対してpreemptiveに追加的な政策を発動する必要性は乏しいということになろう。

物価見通しとの関連では、展望レポートの中心的な見通しと市場の見方との乖離は大きく、多くの市場関係者は、将来的な政策委員の見通し引き下げが一段の金融緩和強化のトリガーになるとの見解のようだ。市場関係者の見方に対して政策当局者が一つひとつコメントすることには若干の逡巡はあるが、誤解を避けるために一言申し上げると、日本銀行としては2%の物価上昇に至るのにリニアな経路を特段想定している訳ではない。例えば、展望レポートにおける2014年度の政策委員見通しの中央値1.3%は2%に至るまでの中間目標ではない。また、そもそも「量的・質的金融緩和」は最初に大胆な政策変更を行うことで期待の転換を図ること、また政策変更の後はwait & seeのスタンスでその効果の浸透をじっくり見守ることを意図しており、日本銀行は「包括的な金融緩和」時のような戦力の逐次投入から決別することを明確にしている。その点、今は先行きの経済・物価の姿を見据えて政策効果の発現をじっくり見守る局面ということに尽きるのではないかと個人的には考える。

また、我々は4月4日に当面打てる限りの政策手段を打ち出したのであり、追加的な緩和手段は仮にあるとしても期待の転換を図るという点では逆効果となりかねない。無論、日本銀行は「経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、必要な調整を行う」ことを金融政策決定会合後の対外公表文に繰り返し明記しているが、ここでいう下振れリスクとは、私の理解では、リーマン・ショックや欧州債務危機に匹敵する国際金融資本市場の著しい不安定化等、テイル・リスクの示現を意味するのであって、経済・物価見通しが小幅修正されるといった些細な話ではないと思う。

「物価安定の目標」と金融政策運営

私は本年1月の金融政策決定会合で「物価安定の目標」の導入に反対票を投じる一方、4月以降は展望レポートにおける物価見通しの記述を除き賛成票を投じてきた。これは「物価安定の目標」は柔軟な枠組みであるべきとの理解に基づき、2%を字義通り硬直的に捉える必要はないと考えているためである。

この点を敷衍すると、日本銀行は2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続する、としている。この「実現を目指し、これを安定的に持続する」ことの意味だが、金融政策の効果発現の不確実性や波及ラグ等を考慮すると、物価の伸びをピンポイントで2%で安定させることは不可能であり、物価目標の枠組みを持つ他の中央銀行と同様、2%の「物価安定の目標」は上下にアローアンスのある柔軟な概念とみるべきである。その点、日本銀行は2%の物価上昇を表面的に達成するためにあらゆる犠牲を払うのではなく、国民経済が健全に発展し、雇用情勢の改善が賃金の上昇をもたらすなかでバランス良く緩やかに物価が上昇する状況を目指している。2%の「物価安定の目標」はそうした好ましい状況を示すものとして捉えるべき性質のものと私は理解している。

フォワード・ガイダンスを取り巻く課題

あらゆる政策には効果とともに副作用(コスト)が伴うが、政策効果がコストを上回るとの判断の下で政策は実行される。同様に、「量的・質的金融緩和」は4月3、4日の金融政策決定会合議事要旨に示されるように、効果と副作用を慎重に比較考量して決定された。もっとも、効果と副作用の比較考量は主観的な価値判断を含むため、副作用をより重視する立場からは出口の検討なしの政策発動は無謀との批判も聞かれる。あるいは、出口に向かう道筋、すなわちフォワード・ガイダンスをより分かりやすい形で示すべきとの意見も聞かれる。

こうした批判や意見は一理あるが、「量的・質的金融緩和」の目的の一つは長期のデフレで委縮した期待の転換を図ることであり、現時点での出口の議論はそうした戦略と矛盾する、いわばマッチ・ポンプ状態を自ら演出することになりかねない。また、9月のFRBの資産買入れ縮小見送りに典型的に示されるように、政策の透明性向上の試みと柔軟性の確保はトレードオフの関係にあり、透明性を高めることが必ずしも好ましい結果をもたらすとは限らない。むしろ、中央銀行が発信する情報量が多すぎると受け手がそれらを消化しきれなくなったり、経済・物価情勢が変化したときに中央銀行が臨機応変に対応する機動性が失われることもあり得る。このような考え方から、私の考えでは、日本銀行としては、先行きの経済・物価情勢の変化に応じ、ガイダンスを柔軟かつ適切に示していけばよいと考える。

そもそも、日本銀行が現在行っていることはデフレ脱却に向け、2年程度で2%の「物価安定の目標」実現を目指すという前例のない取組みである。このようにカレンダー・ベースの期限付きで物価を押し上げるという試みは、将来もはや金融緩和が必要でない時点まで緩和を続けることにコミットし、長めのゾーンの金利に働きかけることで、将来の需要を前倒しするという従来のフォワード・ガイダンスの理念とは相容れない。現在の日本銀行の政策はFRBや欧州中央銀行等の採る「伝統的な」フォワード・ガイダンスの概念には馴染まないと考える(図表16)。

また、フォワード・ガイダンスは、たとえ中央銀行がその政策が必要なくなる時点まで政策を継続すると約束しても、約束はどこかの時点で破られるという動学的非整合性(あるいは時間的非整合性)の問題をはらんでいる。本年5月下旬にFRBバーナンキ議長が資産買入れの縮小の具体的なスケジュールを示した後に国際金融資本市場が不安定化したことは、その端的な一例であろう。その点、非伝統的金融政策を採用する主要国の中央銀行はフォワード・ガイダンスの有効性をいかにして確保するかという新たな課題に直面している。果たしてどこまでの範囲で約束すれば、中央銀行はその約束を守ると国民や市場参加者に信じてもらえるか、主要国の中央銀行は模索し続けるであろう。

マネタリー・ベース積み上げに向けて

日本銀行は2年程度で「物価安定の目標」の実現を目指すに当たり、2014年末までのマネタリー・ベースとバランス・シートの見通しを示している。それによれば、2014年末のマネタリー・ベース及び長期国債残高の見通しはそれぞれ約270兆円、約190兆円である。足許までは見通しに沿う推移となっており、この年末の見通し(それぞれ200兆円、140兆円)は射程圏内にある(図表17)。

ただし、先行きも見通しに沿い順調にマネタリー・ベースを積み上げることができるかどうかは日本銀行のオペレーションに対する金融機関の応札姿勢次第であり、それは経済・金融情勢や現在や将来の金利水準のほか、金融機関のIR政策上、バランス・シート中でどこまで日銀当座預金の増加を許容するかといった非経済的要因等によって変化し得る。その点、金融機関が既に巨額の超過準備を保有するなかで、先行きのマネタリー・ベース積み上げには相応の不確実性があるし、その水準が高まるにつれ不確実性は高まるであろう。言い換えれば、こうした政策は永遠に続けられる性質のものではない。そうした困難を踏まえつつ、日本銀行は、本年4月4日に示したコミットメント達成に向け、万難を排してマネタリー・ベースを積み上げていく所存である。日本銀行の努力を暖かく見守って頂ければ幸いである。

4.終わりに〜道南経済について〜

最後に道南地域の経済についてお話申し上げる。道南地域は観光地として全国的な知名度を有する函館のほか、新日本三景の一つ大沼や駒ケ岳など豊かな観光資源を有している。また、日本海、津軽海峡、太平洋と噴火湾の4つの海域に面する全国有数の漁場を有するほか、暖流の影響を受けるため道内では比較的温暖な気候に恵まれており、これらを活かした観光業や漁業、農業に優位性がある。製造業でも、海の幸を活かした水産加工業を中心に、石灰石採掘場を背景にした窯業・土石製品業や、道内最大のドックをもつ造船業など何れも当地の特色を生かして経済を支えている。

一方で、道南経済は高齢化と人口の域外流出という課題も抱えていると伺っており、当地の潜在力を活かした成長戦略の構築と早期実現が急がれる。この点、アジアなどからの外国人観光客誘致や、当地の特性を活かした各種コンベンションやイベントの開催、函館市の中心市街地活性化、品質の高い農水産物の輸出促進に向けたサポート体制整備といった取り組みが既に進められている。こうしたなか、2015年度に予定されている北海道新幹線の開設は当地にとって一大イベントであり、この機会を活かすべく、官民一体となって、青函連携も視野に入れた観光振興策への取り組みも見られている。

やや中長期的には、津軽海峡の潮流を生かした海洋エネルギー事業の研究や、イノベーションの力で当地の水産資源の付加価値を高める産学官の取り組み「函館マリンバイオクラスター事業」など新たな産業・雇用の創出に向けた議論も始まっていると伺っている。こうした取り組みをサポートするため、当地の金融機関がファイナンス面だけでなく、ビジネスマッチングなどソリューション面にも注力されているのは心強い。皆さまの創意工夫と努力の結果、こうした一つひとつの取り組みが実を結び、道南経済の息の長い成長に繋がることを祈念して挨拶を終えたい。