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【講演】公共政策研究と金融政策運営

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東京大学公共政策大学院における講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2013年12月7日

目次

1.はじめに

本日は、東京大学公共政策大学院の「公共政策セミナー」、および、公共政策大学院連合(Global Public Policy Network)の年次総会でお話しする機会を賜り、光栄に存じます。

私は、1967年に大学の法学部を卒業し、当時の大蔵省に入省しました。その後、実務家として、40年以上にわたり、財政政策、租税政策、為替政策、開発政策、そして現在は金融政策と、幅広く公共政策に関わる仕事をしてきました。また、この間、英国の大学院で経済学を学ぶ機会を得ました。こうした経験を通じて感じたのは、公共政策に携わるうえで、法律学や経済学といった学問的知識と、実務家としての経験を積む中で習得した実務的知識とを、有機的につなげて活用することが不可欠だということです。こうした観点からは、公共政策研究の発展は歴史の必然だったように思いますし、公共政策大学院連合のような世界的なネットワークが構築されていることを、大変心強く感じています。

そこで、本日は、まず、公共政策研究の進展と金融政策運営の変遷について、私なりの整理でお話ししたいと思います。その後、それらを前提に、具体的な実例として、本年春に日本銀行が導入した「量的・質的金融緩和」についてご説明します。最後に、公共政策研究の将来について思っていることを申し上げます。

2.公共政策研究の進展

それでは、公共政策研究の進展から、話を始めます。最初に2つの数字を挙げたいと思います。2001年30件、2012年2200件。これは、「QE(Quantitative Easing)」というキーワードでヒットする経済学の論文の数です。2001年、日本銀行は世界で初めて「QE」を導入しました。この時点での経済学会の関心は決して高かったとはいえませんでしたが、その後徐々に高まり、リーマン・ショックを経て、FRBやイングランド銀行がいわゆる「QE」を導入すると、これに関する研究が著増します。金融政策を含む経済政策に関する理論の発展は、現実に実施された政策を重要な素材として進展してきました。そして、実際の政策はまたその理論に学びながら立案されてきました。この現実と理論のフィードバックこそが経済学や公共政策研究、あるいは社会科学全般の基礎をなすものだと思います。

経済政策を行ううえで必要となる学問的知識としては、まずは経済学の知見ということになります。この点、経済学は、理論の面でも、実証の面でも、年々顕著な進歩を遂げてきました。現在、金融政策を含む経済政策の運営にあたって、経済学の知識は不可欠のものとなっています。

経済学は、1930年代の大恐慌が新たなマクロ経済学を生み出したと言われるように、現実の経済政策の失敗を乗り越えながら発展してきました。そして最近では、1980年代央から2000年代央にかけて、世界経済は、物価安定のもとで過去に例のない高成長を謳歌し、「大いなる安定」(Great Moderation)と呼ばれました。経済学の発展とそれに基づくマクロ政策運営によって、経済と物価の変動を制御し、「不況は既に過去のものとなった」といった見方さえ囁かれました。しかし、2008年のリーマン・ショックで事態は一変します。リーマン・ショックやその原因のひとつであるサブプライム・ローン問題は、金融部門が実体経済を不安定化させる可能性について、より深い考察が必要であることを教えました。また、危機後5年を経過しても各国の経済成長が極めて緩慢であるという事実は、既存のマクロ安定化政策が必ずしも有効ではないことを示しており、より根本的には、景気循環に対する経済学の理解が十分でないことを意味しています。すなわち、景気の急激な落ち込みやバランスシートの毀損が経済の趨勢的・構造的な成長力にどのような影響を与えるのか、マクロ経済政策はそうしたショックにどのように対処すればよいのか、といった問題に十分答えることが、我々にはできていません。

その一方で、リーマン・ショック後に各国で採用された、それまでの常識を遥かに超えた積極的な財政政策や金融政策は、経済政策にとって、そして経済学にとって、「成果」も明らかにしてくれたように思います。例えば、今回の金融危機では、1930年代の大恐慌とは異なり、実体経済の極端な落ち込みを回避できました。この要因として、危機を認識した時点で大規模な財政刺激策を導入したことと、政策金利を大胆かつ速やかに引き下げ、ゼロ%まで引き下げた後には躊躇せずに「非伝統的な金融政策」を発動させたことが指摘できます。これらは、バブル崩壊後の日本の経験などを踏まえた経済学の知見を、政策として現実化して課題を克服したという意味で、大きな「成果」と言えるでしょう。

このように、経済理論と現実の経済政策は、課題に共に取り組んでいくという意味で密接不可分であり、また、次々と新たな課題が現れるという意味では常に「現在進行形」だと言えます。今回の世界的な金融危機をきっかけとして、経済学がさらに発展することが期待されます。また同時に、公共政策に携わる実務家としては、経済学の知見を活かしつつ、その限界も理解しながら政策を行っていく必要があるという含意があるように思います。

現実の経済政策運営においては、経済学的にみれば「次善」(second best)や「三善」(third best)にみえるような政策が選択されることも珍しくありません。経済理論からみて「最善」(optimal or first best)、つまり最も効率的であると思われる政策でも、「公平」や「社会通念」といった社会学的な価値観と合わないこともあれば、民主的な政治プロセスの中で合意に達するのが難しいということもあります。また、理念的には望ましいことが分かっていても、実務面でのハードルが高く採用できないというケースも多々あります。すなわち、どのような政策でも、それを実行に移す段階では、予算や法律といった手続きなどを経る必要があります。例えば、不良債権問題への公的資金の投入の問題です。2008年のリーマン・ショックの際には、できるだけ早期に公的資金を注入して不良債権を処理することの重要性が幅広く理解されていました。一方、1990年代の日本では、そうした主張が民主的なプロセスの中でサポートを得るのは極めて難しい状況でした。日本において、大手銀行等に対して本格的な公的資金の投入が行われたのは1999年であり、金融システム面での問題が発覚してから既に数年が経過していました。現実の痛みが顕現化する前に納税者のお金を使うことは難しいということですが、こうした現象は、程度の差はあれどの国でも見られることです。

これらの点を踏まえると、実務家として現実に政策を遂行していくためには、経済学だけではなく、政治経済学ないし公共政策論を研究する必要があります。そして、先ほど申し上げたような公共政策の現場の難しさをよく認識したうえで、実際に政策を企画・立案し、実行に移すことができる人材が必要になります。今後とも、金融政策を含む経済政策の担当者として、経済学や法律学を学んだ人材だけでなく、公共政策論を学んだ人材が求められると考えていますし、公共政策研究自体が一層深化することを期待しています。

3.金融政策運営の変遷

次に、以上の整理を踏まえて、公共政策のうち金融政策の変遷を振り返ってみましょう。

欧米でも、日本でも、長らく中央銀行の主たる使命は、物価の安定や経済の安定というよりも、金融システムが円滑に機能するのを確保することにありました。例えば、19世紀後半の英国では、度重なる金融危機を経験したこともあり、中央銀行であるイングランド銀行に対して、「最後の貸し手」として、破たんに瀕した金融機関に流動性を供給し金融システム全体の動揺を防ぐという役割が期待されていました。また、米国において、19世紀終盤から20世紀初頭にかけて金融危機が続いた反省から、金融システムの不安定性を解消することを狙って連邦準備制度(Federal Reserve System)が設立されたという事実も、中央銀行が金融システム面で果たすべき使命に対する当時の考え方をよく示していると思われます。1882年に設立された日本銀行については、大量に発行された政府紙幣の整理という目的に加えて、中央銀行を中核とする近代的な金融システムを構築するという狙いが挙げられていました。このように、金融システムの安定性を確保することによって金融恐慌の発生を防止し、経済発展に資することがこの時期の中央銀行の目標だったといえます。

こうした状況は、20世紀に入って徐々に変化しました。とくに、1930年代に国際金本位制が崩壊し、各国で不換紙幣制度に移行した結果、中央銀行による通貨発行量は金の保有量という制約から解放され、金融政策の自由度が大幅に増しました。そうしたこともあり、主要国では、金融政策によって積極的に経済の安定、なかんずく物価の安定を図るという考え方が拡がっていきました。第二次世界大戦中こそ、多くの国の中央銀行に、財政支出が拡大する中で国債価格を支持する役割が課せられましたが、戦後、金融政策は国債管理政策から分離され、自律性を回復していきました。

その後、2度のオイル・ショックによる世界的な資源価格高騰と物価高騰を乗り越え、1980年代半ば以降は、米国など主要先進国では、物価が安定するとともに、景気循環もなだらかになりました。例えば、先進国をみると、1980年代から、2000年代のリーマン・ショック直前までの間に、経済成長率はほとんど変化がない中で、物価上昇率は6.5%から2.1%まで低下しています(図表1)。このように、世界経済が過去に例のない良好なパフォーマンスを示すもとで、中央銀行が果たすべき役割についても、「中央銀行が物価上昇率を一定の水準に収斂させることに集中すべき」という考え方が次第に定着していきました。また、こうした変化を背景にした中央銀行に関する制度的な枠組みも整っていきました。すなわち、中央銀行法の改正などにより、中央銀行に独立性を付与するとともに、物価の安定に特化することを明確にするケースが相次ぎました。さらに、金融政策の運営の面では、主要中央銀行による物価安定目標―インフレーション・ターゲティング―の採用につながっていきました。

こうした世界的な潮流のもと、1997年には現在の日本銀行法が成立しますが、日本の場合は他国とはやや異なる状況も生じていました。1990年代以降、日本経済は、バブル崩壊に伴う不良債権問題を背景に金融システムが不安定化し、長年にわたる低成長とデフレに苦しむことになります。日本銀行は、世界に先駆けてゼロ金利政策、量的緩和政策など、過去に例のない様々な「非伝統的な金融緩和策」を実施しました。政府は、何度となく大規模な財政支出を行いました。その結果、1930年代のような恐慌は回避され、景気回復局面もみられましたが、デフレからは15年たっても脱却することはできませんでした。長期にわたるデフレの原因としては、低成長の継続、金融システムの不安定化、新興国の台頭、労働市場の構造変化など、様々なものが考えられます。しかしながら、原因は何であれ、私は、日本の中央銀行である日本銀行にはそれを止め、物価の安定を実現する責任があると思っていました。言い換えれば、物価安定に対する日本銀行のコミットメントが弱かったため、金融政策の重要な経路である経済主体の期待に対して十分に働きかけることができていなかったと考えていました。そうした思いが、「量的・質的金融緩和」につながることになります。

4.「量的・質的金融緩和」の考え方

そこで、続いて、現在、日本銀行が実施している「量的・質的金融緩和」について、ご説明します。

本年4月に、日本銀行は、2%の物価安定目標をできるだけ早期に、2年程度の期間を念頭に置いて実現するため、「量的・質的金融緩和」を導入しました(図表2)。

現在、日本経済が直面している問題は、デフレが長く続く中で、人々の予想物価上昇率が低下し、「物価は上がらない」という感覚、デフレ・マインドが定着してしまったことです。こうしたもとで、予想物価上昇率を引き上げることが政策課題となっています。これまでの中央銀行の歴史を振り返ってみても、低すぎる予想物価上昇率を政策的に引き上げるというのは、大きな挑戦です。しかも、日本の場合、短期金利は既にゼロ近傍まで低下し、長期金利も1%を割る水準まで低下しています。「名目金利の引き下げ余地が乏しい中で、どうやって予想物価上昇率を政策的に引き上げるか」―これが我々の直面する課題です。そして、「量的・質的金融緩和」がその処方箋なのです。

具体的には、「量的・質的金融緩和」は、2つの要素から構成されています。第1に、企業や家計に定着した「デフレ期待」を払拭するため、必ずデフレから脱却するという日本銀行の意志を、強く明確なコミットメントで示すことです。そこで、「消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」と明確に表明し、目標達成までの期限をはっきり区切りました。第2に、長期間にわたってデフレが継続していることを考えると、どんなに強いコミットメントを示しても、それを裏打ちするものがなければ、人々に日本銀行の強い意志を信じてもらうことはできません。とくに、「できるだけ早期に」という観点からは、これまでの延長線上ではないことが国民にはっきりとわかるような、従来とは次元が異なる大胆な金融緩和を行う必要がありました。そこで、日本銀行が直接供給する通貨であるマネタリーベースを2年間で2倍に拡大することとし、これを実現するため、残存期間の長いものを含めて巨額の国債買入れを行うことを決定しました。そして、これまで日本銀行は、この決定通りにマネタリーベースの供給と国債の買入れを進めています(図表3)。

この「量的・質的金融緩和」は、巨額の国債買入れによってイールドカーブ全体に下方圧力を加えるとともに、ポートフォリオ・リバランスを通じてリスク資産への投資を促進し、さらに経済主体の期待に働きかけることを意図しています。とくに、主たる波及メカニズムとしては、経済主体の期待を変化させ予想物価上昇率を引き上げる一方で、巨額の国債買入れによって長期金利を抑制することにより、実質金利を低下させ、経済を刺激する効果を狙っています。また、こうした経済への刺激の結果として現実の物価上昇率が上昇すれば、さらなる予想物価上昇率の上昇につながるという、好循環が発生することにも期待できます。

この政策の導入から8か月程度経過しましたが、これまでのところ、金融市場、実体経済および物価、期待のいずれもが好転しており、所期の効果を発揮していると考えています。まず、金融市場をみると、株価は年初来で約5割上昇しました(図表4)。一方で、長期金利は、先進主要国の長期金利が軒並み上昇する中にあっても、日本銀行による巨額の国債買入れによって強力に抑制されています。10年物の国債金利をみると、年初の0.8%程度から、最近では0.6%台まで低下しています。このような中、各種のアンケート調査の結果などをみると、「物価が上昇する」と考える人の割合が増加するなど、予想物価上昇率は、全体として上昇しています。この結果、実質金利は低下しており、民間需要をしっかりと刺激しています。

こうしたもとで、わが国の景気は、家計・企業の両部門で所得から支出へという前向きな循環メカニズムが働いており、緩やかに回復しています。実質GDP成長率をみると、本年前半に年率4%程度の成長が続いた後、7〜9月もさらに年率2%程度の伸びとなっています(図表5)。物価面では、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比が、6月にプラスに転じたあと、10月は0.9%までプラス幅を拡大しています(図表6)。その中身をみても、石油製品などのエネルギー関連の押し上げだけでなく、個人消費が底堅く推移するなど景気が緩やかに回復を続けるもとで、幅広い品目に改善の動きがみられるようになっています。

先行きについても、日本銀行が1か月ほど前に公表した最新の「展望レポート」で示したように、今後、消費税率が予定通り2014年4月に3%、2015年10月に2%引き上げられることを前提にしても、基調として潜在成長率を上回る2%前後の成長が続くと考えています(図表7)。そのもとで、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は徐々に上昇していき、2015年度までの見通し期間の後半にかけて、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いと考えています。

このように「量的・質的金融緩和」は、想定したとおりの効果を発揮しており、わが国経済は2%の「物価安定の目標」の実現に向けた道筋を順調に辿っています。今後も、日本銀行は、「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続します。また、その際には、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因をしっかりと点検し、「物価安定の目標」実現のために必要であれば、調整を行っていく方針です。

以上ご説明してきた「量的・質的金融緩和」という処方箋は、経済学や公共政策論の教える基本的な考え方に沿ったものだと思っています。すなわち、第1に、私は、日本銀行は、中央銀行という公共主体として、「物価の安定」という法律で与えられたマンデートに忠実な政策を行うべきだと強く思います。まず、そのことに明確にコミットすべきです。また、第2に、「量的・質的金融緩和」では、中央銀行の明確なコミットメントとそれを裏打ちする大規模な緩和策によって、経済主体の予想物価上昇率を上昇させるというアプローチを採りました。これは、「期待」の重要性を説く経済学の実践です。「量的・質的金融緩和」は、こうした大きな骨組みのもとで、中央銀行の経験や金融実務などの実践的な要素を取り入れて設計したものです。これによって、デフレからの脱却を成し遂げることができると思っています。

5.公共政策研究の将来

最後に、公共政策研究の将来について、私なりの考えを何点か付け加えて、講演を終えたいと思います。

第1に、政治的・行政的な実行可能性についての研究です。金融政策を含む経済政策の実施にあたっては、政治的・行政的な実行可能性の範囲を的確に認識する必要があります。これらが実際に採ることができる政策の外延を画するからです。そして、その範囲を認識するにあたっては、政治的に鍵を握るステークホルダーの行動原理や価値判断基準のほか、現行の行政制度や実務が形成されてきた背景について、正確に理解しておく必要があります。これらは、それぞれの国や人々の背後にある歴史、文化、制度などに規定されるとともに、その時々の社会政治情勢にも左右されるため、高度な判断が要請されます。公共政策研究がこの面に一層光を当てることが期待されます。

第2に、政策主体はいかにして「期待」に働きかけることが可能かという点についての研究の深化です。前節でお話ししたとおり、経済主体の期待への働きかけは、金融政策にとって極めて重要なものです。最近の主要中央銀行の政策運営をみても、期待への働きかけが一層重視されるようになってきています。例えば、FRB、欧州中央銀行、イングランド銀行などで、いわゆる「フォワード・ガイダンス」の採用が相次いでいます。この政策手法は、金融政策運営の先行きを明示することにより、不確実性を低下させたり、金利のゼロ制約のもとでのさらなる金融緩和効果を狙うものですが、中央銀行の意図したとおりに市場参加者が期待を形成するように働きかけること(Expectation Management)は簡単ではありません。市場参加者の期待形成は、金融経済情勢に対する見方や過去の経験、あるいは構築しているポジションなど様々な状況に規定されるからです。このように、多様な社会経済状況の下における期待形成の分析は、引き続き公共政策研究の重要な課題であり、その成果は、金融政策運営に資するところが大きいと思われます。

第3に、国際的な政策の相互依存性の問題です。グローバル化した世界では、単に各国経済の関連が強まるだけでなく、各国の経済政策の相互関連、言い換えれば「政策協調」の可否が重要性を増しています。例えば、リーマン・ショック後、各国の政府や中央銀行は、経済活動の大きな落ち込みを防ぐために、積極的なマクロ経済政策を展開したほか、多くの国において、金融機関への公的資本注入や、金融機関債務の保護策が講じられました。また、グローバルな流動性の逼迫に対し、FRBとのドル・スワップ協定を活用したドル資金供給オペが多くの中央銀行で実施されるなど、中央銀行間の国際協調も迅速に行われました。こうした政策面の協調は、金融危機が経済危機に発展することを喰い止めたと評価することができます。もっとも、一方で、例えば、各国において公的資金を注入するに際して、当然自国の納税者の利益に配慮する必要があり、国際的に協調することの難しさも垣間みえました。これもまた、政策の現場における現実なのです。こうした現実を前提としながら、「政策協調」を適切に行っていくには、理論的に最適な政策を導き出すだけではなく、その実行にあたってハードルとなり得る各国の法制度やステークホルダーの行動原理などを理解することが重要だと思います。

6.おわりに

本日は、自分自身の経験や最近の経済政策の現場で起こっている事例も織り交ぜながら、公共政策研究と金融政策運営というテーマで、私なりの考えを述べさせていただきました。

冒頭に申し上げましたように、経済政策において、学問的知識と実務的知識は密接不可分のものであり、両者の架け橋となる公共政策研究は極めて重要なものとなっています。こうした事情はどこの国でも共通ですし、各国の経済政策の相互関連が深まる中にあっては、グローバルなネットワークの持つ重要性が増しているのは間違いありません。したがって、各国の公共政策大学院が、共同研究や交換教授・学生の拡充を通じて、公共政策研究を推進することが望まれています。中央銀行としても、その成果を存分に活かしながら、適切に金融政策を運営していきたいと、大いなる期待を持っております。現在、「量的・質的金融緩和(QQE)」でヒットする論文は、まだ多くありません。しかし、何年か後には、日本と日本銀行の経験が、経済学や公共政策研究に新しい1ページを提供しているのではないかと思います。そして、そこで練り上げられた理論が、その後の中央銀行にとって、デフレという現象と戦うための力強い武器のひとつとなっていることを願ってやみません。

ご清聴ありがとうございました。