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【寄稿文】グローバル化時代におけるアジアの役割

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世界平和研究所「Asia-Pacific Review 20巻2号(2013年11月)」掲載論文の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年2月20日

目次

  1. 1.この25年を振り返って
  2. 2.アジアの成長と最近の動向
  3. 3.アジアが直面する課題
  4. 4.国際的な経済運営に対するアジアの貢献
  5. 5.おわりに

「従来のシステムが機能不全に陥りながら、新しい枠組みが出現していないという転換期は、とりわけ危険に満ちた不安定な過渡期である。」

世界平和研究所設立趣意書(1988年5月17日)より抜粋

1.この25年を振り返って

世界平和研究所が、政治・経済・外交・安全保障の幅広い分野で国際社会が直面する課題に関し、過去25年にわたって貴重な提言を続けてこられたことに、心より敬意を表する。

1988年に設立された世界平和研究所の設立趣意書には、冒頭に引用したような時代認識が示されている。1988年と言えば、東西冷戦下で対立してきた米ソ間の緊張緩和が進み、冷戦終結に向けて明るい兆しが見えてきた局面にあたる。また、経済面でも、日本を筆頭に世界経済が資産価格ブームに沸き、未来に対する楽観的なムードが強かった時期であった。こうした中にあっても、上述の設立趣意書は、来るべき不安定な時代を冷静に見据えており、その洞察の深さに感銘を覚える。実際にその後の世界は、機能不全に陥った旧い枠組みに替わる新しい枠組みに辿り着くことなく、長い「過渡期」の中を彷徨い続けている。

国際政治の構造変化―冷戦の終焉と多極化

国際政治面をみると、1989年に東欧諸国の民主化革命、ベルリンの壁崩壊と劇的な変化が相次ぎ、同年末には米ソ両国首脳がマルタ島で東西冷戦という40年続いた枠組みの終焉を宣言した。そして、1991年末にソ連が解体された。

もっとも、その後に到来したのは、「歴史の終わり1」、すなわち民主主義・自由主義の勝利による社会平和と安定の時代ではなく、多様な価値観が混在する多極化した世界であった。冷戦の枠組みの下で抑え込まれていた民族問題が世界各地で顕在化したほか、2001年の米国同時多発テロ、それに続く対テロ戦争など、国際政治情勢は不安定な状態が続いた。ここ数年に限ってみても、「アラブの春」以降混乱が続くアラブ諸国の体制変革の動き、マリやシリアにおける内戦の勃発など、世界各地で新たな枠組みを模索する混沌とした情勢が続いている。

  1.   1  Francis Fukuyama, "The End of History and the Last Man," The Free Press, 1992.

経済・金融面の構造変化―相互連鎖の強まり

経済・金融面で起こった構造変化も、国際政治のそれに決して劣らない規模で生じている。特に、以下の二つの「相互連鎖の強まり」は、極めて大きな意味を有している。

第一に、国境を越えた実体経済活動の相互連鎖の強まり、すなわち「実体経済のグローバル化」が大きく進展した。言うまでもなく、経済のグローバル化は、この25年間に初めて生じた現象ではない。遡れば、大航海時代以降、西洋人の新世界への到達を機に、国境を越えたモノの移動(貿易取引)やヒトの移動が活発化したことは、グローバル化時代の幕開けであったと言える。その後、19世紀には、英国の穀物法・航海条例の廃止や欧州各国間の通商条約締結など自由貿易主義的な動きの拡がりに加え、冷凍技術その他の輸送技術の発達などが相まって、貿易活動が飛躍的に増大し、グローバル化が大きく進展した。

しかしながら、この25年間におけるモノやヒトの国際間移動の増加は、それまでのトレンドをはるかに凌駕するペースとなった。その裏側では、貿易自由化の進展や多国籍企業による世界規模でのサプライチェーンの構築など、様々な動きが生じている。

特に、冷戦の終結に伴い、それまで東西両ブロックを隔てていた見えない壁(鉄のカーテン)が消滅したことは、大きなインパクトを与えた。西側先進国の企業は、豊富な資本や高度な技術を旧東側諸国や新興国に持ち込み、現地の安価な労働力を活用する形で、最適な生産拠点の配置を進めた。

また、モノ・ヒトの流れの活発化には、90年代に実現したEUの市場統合、北米自由貿易協定(NAFTA)をはじめとする地域貿易協定の成立や、2000年代に急速に整備が進んだ自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)網も貢献している。

国際分業の進展により、生産拠点への部品輸出、その生産拠点から先進国市場への完成品の輸出がそれぞれ増加し、貿易取引は急速に拡大した。実際、貿易取引(実質ベース)は、1988年を100とすると2012年では400を超え、年率で6%の伸びを記録している。同様に、ヒトの移動の面でも、世界の旅行者数、越境労働者数、移民数のいずれをとっても、大幅な増加が観察される。

地域間の相互連鎖は、実体経済のみならず金融活動でも顕著に進展した。この第二の相互連鎖の強まり、すなわち「金融のグローバル化」の進展は、外国為替市場の取引額やクロスボーダー与信額の急激な増加に如実に表れている2。クロスボーダー取引の担い手は多様化しており、従来の先進国の大手金融機関や多国籍企業に加え、より多様な国の金融機関、ヘッジファンド、ソブリン・ウェルス・ファンドなどが活発に活動するようになっている。資金フローの中身をみても、伝統的な債券・株などの金融商品に加え、デリバティブ取引、さらにはコモディティ市場を巻き込んだ取引など、取引内容が多様化・複雑化している。

このような金融グローバル化の進展には、情報・通信技術の発展や様々な金融取引手法の開発も寄与している。これらが、グローバル・ベースでの投融資やリスクヘッジ、企業のキャッシュ・マネジメントの高度化などを促進し、国際的な資本移動やデリバティブ取引を含めた国際金融取引の拡大をもたらした。さらには、各国の資本市場の自由化の動きといった制度面での変化も、これを後押しした。

金融のグローバル化の進展は、光と影の両面を併せ持つ。「光」の面に着目すれば、グローバルな資金仲介活動の活発化は、より効率的な資源配分の実現を通じて、世界経済の成長に貢献している。もっとも、金融活動がグローバル規模となったことで、特定の金融市場や金融システムの機能不全が瞬く間に他の地域に伝播するという「影」の部分も生じている。2007年以降のサブプライムローン問題に端を発する国際金融危機は、その端的な例である。

  1.   2  IMFの論文では、BIS与信統計に基づいて各国間の銀行与信関係の拡がりを指数化したところ、1985年から2010年の間に、銀行の与信関係がある国の組み合わせがほぼ倍増していると指摘している(International Monetary Fund, "Understanding Financial Interconnectedness," Staff Paper, October 4, 2010)。

2.アジア3の成長と最近の動向

過去25年間に生じた構造変化の中で、最も特筆すべき事象の一つに、アジアの台頭が挙げられる。次回、2016年のオリンピックは、南米で初めて、ブラジルのリオデジャネイロで開催される。だが、アジア新興国に目を移すと、これに先立つこと30年、1988年に韓国のソウルでオリンピックが開催され、2008年には中国の北京でも開催された。これは同じ新興地域の中でも、アジアの経済発展と、世界経済におけるプレゼンスの増大がひときわ顕著であったことと無縁ではないように感じられる。経済全体の活動水準を表す実質GDPでは、世界経済が1988年〜2012年の間に年平均で3.4%成長する間に、アジア経済は7.8%と遥かに速い成長を遂げた。世界で生み出される自動車の約半数、鉄鋼の3分の2がアジアで生産されていることが示すように、アジアは紛れもなく「世界の工場」としての地位を確立している。先に述べた様々な相互連鎖の強まりの恩恵を最も享受したのはアジアである、といっても過言ではない。

  1.   3  「アジア」といっても極めて広範囲にわたり、例えばアジア開発銀行の域内加盟国でみても東はポリネシアの島嶼国であるキリバス、クック諸島から西はコーカサス諸国までを含むが、以下では、相対的に経済面での影響力が大きい中国、インド、NIES、ASEAN諸国を念頭に置いて論じる。

地域間・分野間の相互連鎖の強まりとアジアの成長

アジアの急成長を支えた要因をやや長い目でみると、次の3点が指摘できる。

第一に、サプライチェーンの高度化である。情報通信技術、在庫管理技術の発展などを背景に、世界的な国際分業が進んでいる。アジアには、日本企業が多様な産業分野で現地工場を設立したほか、アジア諸国自体も教育の充実やインフラ整備を通じて産業育成に努めたことで、製造業発展の基盤が整備されていった。海に面する国が多く、海上輸送という最も低コストの輸送が可能であったことも寄与して、日本を含むアジア諸国の間で分業を通じた密接な産業の連環が形成され、緊密なサプライチェーンが構築された。現在では、日本企業に限らず、米欧の主要企業もアジア地域に多くの拠点を展開し、本国や第三国との間で部品・最終製品の輸出入を行うに至っているほか、アジア諸国も自国企業のブランドを確立し、域内にサプライチェーンを展開している。

第二に、貿易自由化の進展がある。例えば韓国は、2000年代半ば以降、精力的にFTAの締結に取り組み、現在交渉中の国も含めれば輸出額の8割に相当する相手国とFTAを締結するに至っている。また、ASEANは、域内貿易の自由化を進め、2015年頃までの関税撤廃を目指すとともに、日本・中国・韓国・インドなど周辺の域外諸国との間でも、積極的にFTAの締結を進めている。このように、ASEANは、自らをハブと位置づけて密接な貿易ネットワークを形成することで、産業の集積と直接投資の流入の相乗効果を狙っている。こうした産業の集積は、技術の高度化やスキルを持った人材の育成などを通じてさらなる産業の集積をもたらす、という形で好循環が生み出されている。

第三に、輸出産業の発展に伴う国内の所得水準向上につれて、内需の自律的な拡大メカニズムが作動し始めたことである。相対的に見ればアジア諸国の賃金水準は依然として低めの水準にあるが、絶対水準としては着実に上昇している。中間所得層の増加につれて消費財の需要や電気・水道等のインフラ需要も増加している。さらに、所得水準の向上は、経済・社会の安定化を通じて、さらなる成長余地を作り出している。

アジアにおける金融構造の強化

四半世紀の間に急激な発展を遂げたアジア経済であるが、その道のりは決して平坦ではなかった。とりわけ1990年代後半には、多くのアジア諸国が通貨危機とそれに続く経済危機という苦い経験を余儀なくされた。

通貨危機では、柔軟性を欠く為替政策が標的にされた。当時、多くのアジア諸国は、事実上のドルペッグを採用していた。このことは、自国通貨の安定に寄与した反面で、国内の高いインフレ率を為替で調整するメカニズムが遮断されたことで対外競争力の悪化をもたらし、経常赤字の悪化を通じて、実体経済面での脆弱性を蓄積する結果となった。

ただ、同時に、アジアの金融構造が抱える2つの脆弱性が顕在化したという面もある。第一に、通貨と期間のダブル・ミスマッチによる脆弱性である。アジアの金融機関は、短期で外貨資金を調達し、自国通貨に変換したうえで、長期の国内投資を行った。この結果、短期の外貨調達が困難になった際、たちまち資金繰りに苦しむこととなった。また、そうした状況を受けて自国通貨が減価すると、外貨債務の返済負担が増加し、金融機関のバランスシートが悪化するという悪循環に陥った。

第二に、企業の銀行融資に対する過度な依存に伴う脆弱性である。現在でこそ一部の国・地域で銀行借入への依存度は多少低下しているものの、アジア諸国の企業の資金調達構造をみると、間接金融の割合が高い点に特徴がある。これは、国内における現地通貨建ての資本市場が十分に発達していないことの裏返しでもある。このため、金融機関のバランスシートの悪化による悪影響は、企業部門にもストレートに伝播することとなった。

通貨危機の反省を踏まえ、アジア諸国は、事実上のドルペッグを外し、より柔軟な為替制度に移行した。この点は、為替の変動を通じた調整メカニズムを働きやすくしている。また、各国の政策当局が、マクロ経済政策に今日でいうところのマクロプルーデンスの視点を取り入れたことも重要な変化点として挙げられる。

これらに加え、各国は、金融市場のストレスに対する頑健性を高める取り組みを進めてきている。例えば、アジア現地通貨建て債券市場の育成に向けた取り組みが行われているほか、短期の対外債務の積み上がりは抑制されている。金融機関・企業のリスク管理が高度化したことも手伝って、資金調達のダブル・ミスマッチは相当程度改善されている。ショックに対する備えという面では、自国通貨高の抑制を企図した為替介入の結果という面もあるが、アジアの各国は、世界の他の地域と比べても、速いペースで外貨準備高を増加させている。さらに、アジア地域内で短期流動性不足に陥った国が生じた場合のバックストップとして、ASEAN+3諸国間のチェンマイ・イニシアチブ、あるいは2国間通貨スワップ網の拡充が図られてきた。

このようにアジアの金融面の強化を図るうえでは、日本が果たしてきた役割も大きい。例えば、日本銀行の呼び掛けによって1991年に設立された東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)では、域内債券投資の活性化を目指して、アジア・ボンド・ファンド(ABF)を創設した。これはアジア域内の豊富な貯蓄を域内で有効活用するために、現地通貨建て債券市場の育成を図るものである。また、ASEAN+3諸国の政府でも、アジアにおいて効率的で流動性の高い債券市場を育成するため、アジア債券市場育成イニシアチブ(ABMI)という取り組みを進め、2013年4月には、域内企業の発行する社債に保証を供与する仕組み(信用保証・投資ファシリティ、CGIF)が初めて発動された。これらは、個々に取り出せば規模が小さいものも含まれているが、地道な取り組みを積み重ねていくことが結局はアジアの金融経済の安定性を高め、ひいてはその中長期的な経済発展を下支えすることに繋がると考えている。

以上のような取り組みを通じてショックに対する耐性を高めたことは、アジア通貨危機から10年後、米欧主要国を震源とする金融危機が発生した際にその効果を存分に発揮した。投資家のリスク・アペタイトの低下などを背景に、アジア通貨や債券・株が売られる局面がみられたほか、一時的な経済の落ち込みが生じたことは事実であるが、そのショックの大きさにも関わらず、アジア通貨危機の再来に繋がることはなく、アジアは、いち早く景気の回復、市場の安定化を実現した。

最近の金融市場の不安定化の背景

通貨危機後の取り組みにより、アジアの金融インフラが頑健性を高めていることは間違いない。もっとも、2013年の春以降、米国の金融緩和措置の縮小を巡る思惑の高まり等を契機として、インドやインドネシアなどアジア諸国の一部の市場では、為替や株が急落する局面がみられるなど、金融市場で不安定な動きがみられることとなった。

ここで問われるべきは、金融システムの頑健性が強化されてきたにも関わらず、なぜ市場の不安定化が生じているか、という点である。

新興国の中には、自国市場の不安定化の原因を、先進国の金融政策運営に求める議論がある。しかし、ここで注意を要するのは、最近の新興国市場の不安定化が、全ての新興国に一様に生じているわけではないという点である。春から秋にかけて、大規模な資金流出が生じた国がある一方で、その影響が限界的なものに止まった国も存在している。このような新興国内部でのばらつきの拡がりは何を意味しているのだろうか。

それぞれのグループを比較すると、金融市場が不安定化している国は、それ以外の国々に比べ、経常赤字や財政赤字、対外債務等、経済のファンダメンタルズの相対的な脆弱さが観察されることが分かる。金融危機後、各国で金融・財政両面から、大規模な景気刺激策が講じられ、これに伴う成長期待の高まりや先進国の金融緩和の影響などが相まって、新興国には膨大な資金が流入した。これが新興国の通貨高をもたらし、輸出競争力の低下を通じて生産活動を抑制する一方、家計の購買力向上が輸入の増加に繋がり、経常収支が悪化に向かった。また、国内経済格差の拡大に伴う国民の不満を和らげるため、政府は補助金支給や社会保障拡充などの対応を迫られている。さらに、期待インフレ率が上昇するなどの副作用も、徐々に顕在化している。

他方、相対的に小幅の調整に止まっている国々の中には、金融危機後、経済が好調な局面において、財政健全化に向けた徴税措置の強化を図ったり、労働市場改革や外資規制緩和といった改革に取り組むなど、持続性をより強く意識して政策を運営した国も存在している。

このような新興国間のばらつきの拡がりという事実に照らせば、資本フローの動きに先進国の金融政策運営のあり方が一定程度影響しているとしても、それを理由に、より根本的な問題から目をそらすことは適当ではないことが明らかになる。これまで金融危機後の世界経済の回復を主導してきた新興国の成長見通しが幾分低下したところで、各国固有の経済構造の脆弱性に改めて焦点が当たった、ということを直視する必要がある。

この問題は、結局、アジア諸国が、中長期的にみて成長を持続していけるか、という問題に帰着する。

3.アジアが直面する課題

アジア経済の見通し

国際機関や民間予測機関による経済予測は、アジア経済が今後も長期にわたって高めの成長を続けると予測している。例えば、アジア開発銀行が2011年に公表した「アジア2050—アジアの世紀は実現するか」4という報告書では、2050年までに世界経済に占めるアジアの割合が過半に達するというシナリオを紹介している。

人口動態の面からみると、生産年齢人口率が今後数年のうちにピークを打つことが見込まれる中国・韓国など一部の国を除けば、多くのアジア諸国は今後10年以上、生産年齢人口が上昇し続ける見込みであり、これに伴う「人口ボーナス」を享受できる「若い」国が多い。また、アジアには引き続き製造業の進出などが続いており、生産活動の上昇が所得水準全体の向上に繋がることも見込まれる。

所得水準の向上は、「中間所得層」の増加に繋がり、個人消費の面でも内需の拡大を後押しすることが期待される。OECD開発センターの研究による地域ごとの「中間所得層人口」(一人当たりの1日所得が10ドルから100ドルの間にある人口)の推移をみると、アジアが占めるウェイトは、2009年時点の28%から2020年には54%、2030年には66%に増加していくとの見通しになっている5

もっとも、これらのシナリオは、アジア諸国が「中所得国の罠」、すなわち低所得国から中所得国に移行した後、年間一人当たり国民所得が1万ドル以上の高所得国に移行できないまま足踏みしてしまうといった状態に陥らないことを前提としている。これまでのところ、アジア地域で高所得国に移行した国は、日本のほか、基本的に「四匹の虎(韓国、台湾、香港、シンガポール)」に限られている。これら以外の国も潜在的には大きな飛躍の可能性を秘めているが、こうした潜在力を活かして中所得国から高所得国への脱皮を果たしていくためには、各国が抱えている幾つもの課題を乗り越えていく必要がある。

  1.   4  Asian Development Bank, "Asia 2050: Realizing the Asian Century," 2011.
  2.   5  Homi Kharas, "The Emerging Middle Class in Developing Countries," OECD Development Centre, Working Paper No.285, January 2010.

「中所得国の罠」を回避するための鍵

課題の一つは、潜在的な成長力を顕在化させるために、人的資本や資本ストックの蓄積を通じ、生産性を持続的に高めていくことである。日本や「四匹の虎」は、高所得国への発展を遂げる段階で、社会資本や教育インフラの整備、研究開発投資を重点的に行うことで、生産性を飛躍的に高めた。後続する他のアジア諸国も、元々高い教育水準を一段と引き上げるとともに労働環境を整備し、人的資本が最大限に活用されるよう努めること、また、都市化を進め、その集積メリットを活用してビジネス・チャンスを拡げていくことが肝要である。それと同時に、法制度等のソフト面も含めたインフラ整備の遅れを改善し、良好な事業環境を整えていく努力が求められる。

また、成長の持続性という観点では、国内の格差拡大に対する対応も大きな課題である。アジア諸国では、高い成長を遂げ、新興国が中所得国になる過程で、マクロ的にみれば、貧困人口比率が低下し、先進国との間の所得格差も縮小している。もっとも、ミクロレベルでみると、経済成長の恩恵に与りやすい都市住民や高学歴層と、それ以外の国民との間では、所得面や資産面での格差が徐々に拡大し、国内の所得分布の歪みが拡がっている6。これを放置すれば、国民の間で不満が高まり社会不安に繋がるリスクが増す一方、財政面での補助を安易に拡大してしまうことなどを通じ、経済の非効率化に繋がるリスクもある。

「中所得国の罠」に陥らないために、各国が、それぞれの事情に応じた構造問題に着手する必要があることは明らかである。もっとも、社会の安定確保とのバランスを考えるとき、例えば、資源国にとっては資源高、新興国にとっては先進国からの低コストの資本流入、といった「追い風」が吹いている状況をチャンスとして捉え、長い将来に向けての取り組みを継続していけるか、というのが重要な鍵を握ることになる。

  1.   6  Asian Development Bank, "Asian Development Outlook 2012: Confronting Rising Inequality in Asia," April 2012.

中長期的な視点に立ったマクロ経済運営

この点に絡んで、第三の課題として、中長期的な視点に立ったマクロ経済運営の必要性について指摘したい。

国によっても課題は区々であるが、高い成長と物価安定の両立を長期にわたって持続させていくためには、マクロ経済の難しい舵取りが必要とされている。

アジア諸国をみると、景気が拡大する局面でも、歳出の増加に歯止めがかかっていない国が少なくない。また、金融政策をみても、好景気を背景に資金流入が続く局面では、さらなる通貨高を回避するため金融の引き締めが行いにくくなり、逆に、資金流出が加速する局面では、通貨防衛のために金融緩和に踏み切りにくくなるという形で、為替政策と金融政策の間での板挟みが生じ、結果としてマクロ経済政策が景気に対して順循環的に運営されているケースも少なからずみられる。

もちろん、個別の国には固有の事情があり、議論の過度な単純化は避ける必要があるが、持続的な発展を確かなものにするうえで、マクロ経済政策の運営の巧拙が与える影響は大きい。ここで重要なのは、状況の変化に応じた機動的な政策を講じる場合でも、中長期的な視点を十分踏まえて行うということである。

この点に関連して、やや特殊な例かもしれないが、ノルウェーのケースは一定の示唆を与えるものと言える。同国は、資源国であるが、資源価格の変動が景気動向に過度な影響を与えないような仕組みを設けている。その結果、他の多くの資源国が資源価格高騰に伴う豊富な資金流入を背景としてインフレ傾向を強める中で、ノルウェーでは、物価や不動産価格の伸びがマイルドなものに止まっているほか、先進国としては珍しく、政府のネット債務残高がマイナスとなっている。

1970年代に北海油田の開発を開始して以降、ノルウェーは、石油・天然ガスの輸出を通じて豊富な収入を得てきた。石油・天然ガス事業からの国の収益は、外国の債券・株式での運用に特化した「政府年金基金—グローバル」に積み立てられており、基金残高は、GDPの130%、国民1人当たり14万ドルに達している。これは、経済が好調な時の果実を将来の石油資源の枯渇と高齢化に伴う財政ニーズの拡大に備えて蓄積する仕組みであると同時に、資源価格上昇による収入増加が、財政支出の拡大や信用膨張を通じて国内経済活動の過熱に繋がらないような「仕掛け」として機能している。

むろん、「政府年金基金」という解が時代を通じて万能であるという保証はない。現に、石油収入の積立基金については、過去においても年金基金との合併などの見直しが行われてきたほか、現在も、その運営方法や資金使途のあり方を巡って議論が続けられている。

ノルウェーの事例は、アジア諸国にとって、二つの点で参考になる事例を提供している。第一に、自国経済に追い風が吹いているときに、短期的な利益を一定程度犠牲にしても、長期的な視点に立った経済運営を行った事例という側面である。また、第二に、そうした政策であっても、事情の変化に応じて不断に見直しが迫られるということである。

4.国際的な経済運営に対するアジアの貢献

アジアが持続可能な形で高い成長を維持していくことは、世界経済全体の拡大を下支えしていくうえで、大きな貢献となる。グローバルな相互連鎖が強まっている下では、世界の隅々までその恩恵が及ぶことが期待される。もっとも、アジアが果たすべき役割は、単に富の創出という意味で世界経済を牽引することに限られるものではない。

冒頭に指摘したとおり、現在、金融・経済面では、国民国家という枠組みを超えた相互連鎖が進展している。もっとも、金融・経済の制度設計のあり方は、近代以降の国民国家を前提とした枠組みから基本的には変わっていない。このような金融経済活動のグローバル化という実態と、国民国家を前提としたガバナンスのシステムとの相克をどのように乗り越えていくか、という課題の重要性は、ますます強まっている7

アジアは、経済の発展段階や政治的・文化的背景が大きく異なる多様な国々からなる地域であるが、様々な違いを乗り越えて地域統合や連携強化を積み重ねてきた経験を有しており、その経験の蓄積は今後も続いていく。そうした経験に基づく知見も活かしながら、今後経済でプレゼンスを一段と増していくアジアは、グローバルガバナンスの構築にも積極的に参画していくことが求められる。このような観点から、以下では2つの点について述べたい。

  1.   7  Rodrik氏は、(1)グローバル化、(2)国民国家体制、(3)民主主義の3つを同時に満たすことはできないとして、「世界経済における政治的トリレンマ」という命題を提示している(Dani Rodrik, "The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World Economy," W. W. Norton & Company, Inc., 2011)。

国際経済秩序作りへの参画

第一に、国際経済におけるルール作りに、これまで以上に積極的に参画するということである。

金融危機以前を振り返ると、国際経済のルール作りは米欧主要国が中心となって担い、アジア諸国は、基本的にそれを受け入れる立場に甘んじてきた。今回の金融危機後、国際経済のルール作りにおいて、G20が脚光を浴びることとなった。G20には、日本のほか、中国、インド、韓国、インドネシア、オーストラリアと、アジア太平洋地域から6か国が参加し、世界経済の回復やその後の世界的不均衡の是正を巡る議論において、アジア諸国の発言力が強まっている。また、アジア諸国が、自由な貿易活動やグローバルなサプライチェーン構築とともに成長してきた経験をベースに、世界に対する情報発信を強めていくことも期待される。

金融の分野でも、「アジアの声」を反映させる意義は大きい。アジアの成長ダイナミズムに引き寄せられる形で、アジアにおける投融資は大きく拡大した。また、シンガポールや香港は、国際金融取引におけるハブ市場として発展を遂げている。高度な金融活動の集積に伴い、金融取引ルールを巡る議論などにおいて、アジアからの発言は重要性を増している。金融機関のビジネスモデルは、一般に、アジアと米欧で大きく異なっている。米欧、特に米国では資本市場が発達し、金融機関や企業の資金調達も資本市場への依存度が相対的に高い。一方、アジア諸国の多くでは、引き続き伝統的な銀行貸出が資金仲介の主たる役割を担っている。また、引き続き所得水準の向上が重要となるアジアでは、中小企業育成やマイクロファイナンスなど、独自に注力すべき分野も多い。これらの違いは、金融規制やルールを策定するうえでも、どこに力点を置くか、どういったリスクを念頭に置くか、という点で違いをもたらしうる。

2012年、FSB(Financial Stability Board)は、IMFおよび世界銀行と協力して、G20の財務大臣・中央銀行総裁にある報告を行った。その報告の内容は、金融危機後に行われた様々な金融規制の見直しが、新興国・発展途上国に意図せざる影響を及ぼさないか、という点について検証したものである8。本報告がなされたタイミングは、規制見直しの大きな方向性が固まった後であったものの、その後の実際の適用に向けた細部の検討作業において、その趣旨はしっかりと活かされている。このように、国際秩序の制度設計にアジアを含めた新興国の観点や知見を取り込むルートが開かれることは、制度設計の実効性を高め、あるいは適正な運用を実現するうえで、大きな前進と考えられる。

アジア諸国は、今後も主張すべきは主張すると同時に、経済規模やその影響力の拡大に応じた相応の責任を負うことで、世界経済全体の円滑な運営に貢献していくことが求められる。

  1.   8  Financial Stability Board, "Identifying the Effects of Regulatory Reforms on Emerging Market and Developing Economies: A Review of Potential Unintended Consequences, Report to the G20 Finance Ministers and Central Bank Governors," Staff Paper, 19 June 2012.

グローバル・リスク管理の向上に向けた貢献

二点目は、世界経済の「次なる危機」を防ぐために、リスクの監視を行う枠組みの整備に貢献することである。

今回の金融危機の経験は、経済・金融活動の中で生じた大きな不均衡が、複雑な経済・金融の相互連鎖を通じて、世界中に大きな影響を与えうることを端的に示している。

もちろん、「次なる危機」がどのような形で生じるのか予め見通すことはできない。一つの「危機」を切り抜けたという安心感、さらには一つの「危機」に対する対応そのものが、「次の危機」を生み出すことも十分にありうる。リスク管理の基本は、まずそのリスクを認識し、定量的・定性的な側面からその性格を掴むことにある。そのためには、リスクの芽が生まれていないか、グローバル、そして地域の両方のレベルで、丹念にモニターしていくことが求められる。

モニタリングを強化する観点での取り組みという意味では、まず、グローバルなレベルでの取り組みとして、統計等を通じた経済の実態の把握を強めることが考えられる。経済・金融活動が複雑化するなかで、国際機関や各国が作成している統計が現実を十分に追いかけていくことがますます難しくなっている。一例を挙げれば、シャドー・バンキングの問題がある。通常の金融システム内での信用仲介活動は、規制の枠組みの下で、監督・規制当局が様々な形で実態の把握に努めている。他方、金融規制の網目をくぐる形で信用仲介活動が拡大すると、その動向や拡がりを把握するために、膨大な作業を必要とする。

現在、国際的な議論の場では、金融不均衡を早期に発見するために、各国内やクロスボーダーの資金の流れを把握しようとする取り組みが進められている。アジア諸国の経済活動が活発化し、世界に及ぼすインパクトが強まっているいま、情報収集・開示にも積極的に貢献することが求められる。

もう一つはアジアという地域レベルでの取り組みである。グローバル化が進む中で、景気循環の連動性などの面では、とりわけ地域内のリンケージの強さが重要性を増してきている9。その意味では、アジアでは、地域内の強い相互連鎖を通じて、一国に生じたショックが域内の他国に波及するリスクも、相応に高いと評価される。

ひとたびアジアで金融危機・経済危機が生じると、それが今度は他地域との相互連鎖を通じて、世界全体にも波及していくリスクがある。アジア発の危機を予防するため、ASEAN+3諸国は、2011年にAMRO(ASEAN+3 Macroeconomic Research Office)を設立し、経済情勢等に関する地域サーベイランスの取り組みを進めている。2013年春には、AMROの独立性を高め、より実効性の高い分析・提言を可能とするために、AMROを国際機関化する方向で基本合意がなされた。

アジア地域全体にとって、こうした取り組みを一段と拡充し、危機を未然に予防することで、地域の安定、さらには世界経済全体の安定を図っていくことも、求められている大きな役割である。

  1.   9  Hideaki Hirata, M. Ayhan Kose and Christopher Otrok, "Regionalization vs. Globalization," IMF Working Paper WP/13/19, January 2013.

5.おわりに

冒頭に示した世界平和研究所の設立趣意書からの引用には、次のような続きがある。「危険な過渡期を乗り切り、より平和で繁栄した世界を構築するためには、状況の変化と問題の所在、及び解決の方途を的確に見通す洞察力、構想力が何よりも強く求められる」。

金融危機の発生から5年が経った現在も、世界はその後遺症から完全に立ち直ったとはいえず、新しい枠組みに落ち着くには至っていない。そのように先が見通しにくい状況であるからこそ、人類の知恵を結集し、よりよい世界の構築に向けて努力を続けていくことが大切である。「アジア」という言葉の起源を辿ると、もともとは「日が昇る」ことを意味している。アジアが、その持てる叡智を集め、世界の行き先を明るく照らす存在となっていくことを、強く期待したい。