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【講演】日本銀行の金融緩和とコミュニケーション政策 〜サーベイ調査に基づくレビュー〜

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コロンビア大学における講演の邦訳

日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2014年2月27日

目次

1.はじめに

皆様、こんにちは。日本銀行で審議委員を務めております白井さゆりです。本日は、コロンビア大学で講演する機会をいただき大変光栄に存じます。また、コロンビア大学は、私が経済学博士号(Ph.D.)を取得した母校ですので、その思い出のある場所を訪れ、私の講演後に同大学の教授や学生の皆様と活発に議論することができることを嬉しく思っています。本日は、主要な中央銀行のなかで、最近、急速に関心が高まっているテーマ「金融政策のコミュニケーション」に焦点をあて、日本銀行の観点からお話を進めていきたいと思います。

それでは、本題に移りたいと思いますが、まず初めに一つ問題提起をしたいと思います。それは、「最近の中央銀行は、何故、市場・国民とのコミュニケーションを重視するようになっているのか」という問題です。私自身は、この傾向には次の3つの要因が影響していると考えています。第一に、中央銀行には自らが独立して決定する金融政策について対外的な説明責任を果たす義務があることに加えて、第二の要因として、コミュニケーションの有効活用によって金融政策の効果を高めようとする見方が浸透しつつあることが指摘できます。それに加えて、新たな要因として(コミュニケーションの狭義として)、ゼロ金利制約下の中央銀行が非伝統的な金融緩和政策手段としてコミュニケーションを積極的に活用しようという意識の高まりが挙げられます。

日本銀行にとっても、金融政策運営上、コミュニケーションは重要になっていますが、それは主に三つ理由があります。一つは、日本銀行が2013年1月に物価安定目標として消費者物価(CPI)ベースで2%を採用したことにあります。一般的に、家計の多くの方々はインフレ率の上昇は「好ましくないこと」と捉えることが多いため、物価を引き上げて2%目標を目指す点について納得していただくのは容易ではありません。まして、現在の賃金や将来の収入期待が高まるのにそれなりに時間がかかる場合には、なおさらそうお感じになられると思います。だからこそ、国民とのコミュニケーションが、これまで以上に必要とされています。

第二の理由は、2013年1月に政府と日本銀行は共同声明を発表し、「デフレからの早期脱却と物価安定の下での持続的な経済成長の実現に向け、政府及び日本銀行の政策連携を強化し一体となって取り組む」と宣言したことにあります(図表1)。その下で、日本銀行は、「日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体による取組の進展に伴い、持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていく」との認識に立ち、2%物価安定目標を導入しました。そしてこれと整合的に、同年4月に「量的・質的金融緩和」(QQE)政策を導入したわけです。従って、政府、企業、金融機関との対話を継続・拡充し、2%目標の達成のためにお互いに最大限の努力をしていく必要があります。第三に、QQEの下での金融緩和手段としてコミュニケーション政策を実践しているからです。

それでは、講演の流れをお話しいたします。まず、日本銀行が現在実施しているコミュニケーションの実践内容についてご説明いたします。そのうえで、家計、企業、市場参加者・エコノミストを対象とした様々なサーベイ結果やインフレ予想等のデータをもとに、コミュニケーションという観点からQQEの効果を考えていきたいと思います。

2.日本銀行による金融政策についてのコミュニケーションの実践

それでは、金融政策のコミュニケーションについて、その実践内容をご説明します。まず、日本銀行法という法律の観点からお話を進め、次に金融政策全体についての実践内容をご紹介いたします。最後に、非伝統的な金融緩和手段としてのコミュニケーション政策、いわゆる「フォーワードガイダンス」についてご紹介します。

2−1.説明責任にもとづくコミュニケーション

日本銀行の金融政策運営については、日本銀行法のもとで「日本銀行の通貨及金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」とされ、独立性が与えられています。また、金融政策の目的は、物価の安定を達成することとされています1。金融政策は、金融政策に関する事項を決定する政策委員会、すなわち「金融政策決定会合」(MPM)で決定されています。政策委員会は、総裁、2人の副総裁、6人の審議委員から構成され、これらの政策委員はそれぞれ衆議院と参議院の同意を経て内閣によって5年任期で任命されています。MPMの日程は、6月と12月に先行き12か月間について公表しています。

金融政策は、国民の日常生活に影響を及ぼすため、民主主義社会の下では対外的に説明責任を果たしながら金融政策を実施する義務があります。そのため、日本銀行法によって、金融政策の決定や意思決定過程について説明が義務付けられています。同法では、MPMの議事の概要を「議事要旨」として速やかに公表し、議事を発言者名とともに逐語を記録した「議事録」を相当期間経過後に公表することを定めています。実際には、MPMの議事要旨については、次回のMPMで承認したうえで3営業日後に公表し、議事録については10年後に公表しています。さらに、国会に対しては、半年毎に「通貨及び金融の調節に関する報告書」を提出しているほか、総裁を始めとする役員は、要請に応じて、随時、金融政策運営についての説明を行っています。

  1.   1  正確には、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」と定められています。

2−2.金融政策の効果を高めるためのコミュニケーション

今日の中央銀行の間では、市場・国民に対して金融政策の透明性を高めるべきとのコンセンサスが形成されつつあります。ここには、(中央銀行が、予想外の金融政策を決定することによって)金融市場に「サプライズ」が生じることを最小限に抑えた方が、金融政策の効果を高められるとの見解が反映されています。つまり、金融政策の「通常の政策反応関数」、すなわち(ゼロ金利制約がない)通常の経済環境の下での伝統的な金融政策運営についてより多くの情報を市場・国民に与えることで、市場・国民の見方が中央銀行の見方に近いものになることを意図しています。

こうした情報発信が、金融市場に望ましい影響を及ぼすこともあります。第一に、市場・国民が中央銀行の政策反応関数について理解を深めることで、将来の短期金利に対する予想を調整し得ると考えられます。将来の短期金利予想の平均は長期金利に反映されますので、長期金利も低下すると見込まれます。第二に、中央銀行の金融政策への理解が高まることで不確実性が減れば、金利、為替相場、その他の金融資産価格の変動の抑制に寄与すると考えられます。第三に、中央銀行が、将来の物価や経済活動の見通し判断に使う情報をより多く持っていると市場・国民から認識されている場合、多くの情報を提供することで金融市場に望ましい影響を及ぼしうると考えられます。

日本銀行による金融政策に関するコミュニケーションの実践内容

それでは、ここで日本銀行が実施している具体的な実践内容をご説明いたします。金融政策はMPMで決定していることは既に申し上げましたが、このMPMは年に14回定期的に開催しています。この他、必要に応じて緊急会合を開催しています。この内、12回はひと月に1回のペースで2日間にわたって開催しており、残りの2回は4月末と10月末に1日だけ開催しています。各MPMの終了直後に「対外公表文(ステートメント)」を公表しています。そこでは、(a)MPMで決定した金融市場調節方針等の政策、(b)経済活動と物価についての現状評価と先行き半年ほどの見通しの記述、(c)その見通しについての上振れ下振れリスクの評価、(d)将来の金融政策スタンスについて記述しています。ちなみに、金融市場調節方針ですが、QQEを採用している現在は、マネタリーベースを年間約60〜70兆円増やす方針を次回MPMまで維持するかを毎回のMPMで決定しています。

なお、4月末と10月末に開催するMPMでは、各政策委員は実質GDPの伸び率とコアCPI(総合CPIから生鮮食品を除く指数)の伸び率について先行き3年間の見通しを用意します。たとえば、2013年度の場合(2013年4月から開始)、見通しは2013年度から2015年度までの見通しを政策委員がそれぞれ示しています(実質GDPについては、前年度、すなわち2012年度の見通しも4月には公表)。MPM直後に、ただちに見通しの「中央値」「最小値」「最大値」の他、「政策委員の見通し分布チャート」も同時に公表しています。このチャートは、各政策委員の示した確率分布の集計値を示しています。さらに、この2回のMPMでは対外公表文をMPM直後に発表する他、「経済・物価情勢の展望」(通称、展望レポート)の「基本的見解」の部分について承認し、MPM終了後の午後3時に公表しています。基本的見解には、先行き3年間の経済・物価の見通しや上振れ下振れリスクの評価、将来の金融政策スタンスが示されます。さらに、通常の12回のMPMの内の1月と7月については、この展望レポートで示した見通しと上振れ下振れのリスク評価を行い、「中間評価」としての数値と分布チャートを公表文に添付しています。

さらに、日本銀行総裁は政策委員会の議長として、毎回のMPM終了後の午後3時30分から記者会見を行い、決定の内容や背景となる考え方について説明をしています。このほか、毎月「金融経済月報」を公表しており、経済・物価情勢の判断の背景とデータを示しています。

2%の物価安定目標の採用によるコミュニケーションの強化

先ほど指摘しました日本銀行による2%目標の採用は、金融政策運営の透明性を高めました。それ以前の物価安定の考え方は、中長期的な物価安定の「目途」という言葉を使って、それを「2%以下のプラスの領域」と位置づけ、「当面は1%を目途」という表現を用いてきました。こうした表現は各政策委員が異なる物価観を持っている中でコンセンサスを得るために採用されました。しかし、目途という言葉の持つニュアンスの弱さや数値表現が曖昧だったために、どの程度のインフレ率を目指しているのか、デフレ脱却に向けた強固な意思があるのか等、市場・国民に伝わりにくい面がありました。そうした点を勘案すると、2%目標の導入はそれらの問題を克服しています。

2−3.非伝統的な金融緩和政策としてのコニュニケーション政策

ゼロ金利制約に直面する中央銀行の金融緩和手段の一つとして、理論的には、「フォーワードガイダンス」と呼ばれる、(通常の政策反応関数に基づき市場・国民が想定する水準よりも)「より緩和的な」金融緩和スタンスの継続にコミットする政策が有効であることがよく知られています。すなわち、フォーワードガイダンスは、より緩和的な金融環境をもたらすためのコミュニケーション政策として用いられます。金融緩和を通常よりも長く継続することにコミットすることは、ゼロ金利制約に直面している期間の政策効果を補完するために必要と考えられています。なお、先進諸国の中央銀行がフォーワードガイダンスを採用する際には、理論で示されるよりも柔軟な解釈が用いられているようです。

QQEで採用しているフォーワードガイダンス

フォーワードガイダンスは、QQEでも重要な柱を形成しています。これに関して、日本銀行は2013年4月にQQEの導入に伴い、金融緩和の時間軸に関する二つの表現を含む対外公表文を発表しています。第一の表現は、「2%の物価安定の目標を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」という内容です。第二の表現は、「量的・質的緩和は、2%の物価安定目標の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続する。その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、必要な調整を行う」という内容です(図表2)。

この第一の表現については、市場・国民に対して、日本銀行が、2%目標を2年程度―インフレーション・ターゲティングを採用している中央銀行が通常想定している期間に相当―で達成するという決意を示すためのものです。期間を明記したのは、可能な限り早期に達成するとの日本銀行の意図を示し、市場・国民からの信認を高めるためです。このために、金融市場調節の操作目標を無担保コールレート(オーバーナイト物)からマネタリーベースに変更し、それを2年間(暦年2013−14年)で2倍に拡大するように年間約60〜70兆円に相当するペースで増加させることにしました。そしてそのマネタリーベース目標の下で、長期国債の保有残高を2年間で2倍に拡大するように年間約50兆円(残高)ペースで買い入れています2。市場・国民の中には、2013年4月の日本銀行によるQQEの打ち出し方から得た印象をもとに、この表現を、期間を限定した強いコミットメントと捉えた方も多いようです。個人的には、この表現は2年程度という「期間ベース」と、2%という「閾値ベース」の二つの特徴を兼ね備えたフォーワードガイダンスと解釈されうると考えています。ただし、その場合は、2年程度という期間については、幅を持って解釈されるものだと認識しています。

第二の表現は、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検して金融緩和の継続に関して必要な調整を行うとしていますので、「条件付きのコミットメント」と言えます。これは「閾値ベース」(2%を安定的に持続)のガイダンスで、QQEの継続に関連付けています。また、第一の表現よりも、長期の予想インフレ率を2%程度に安定化させ、長期金利の低位安定にもつながると考えられます。

また、第一の表現が2%の達成自体に、第二の表現が2%の安定的な維持に、それぞれ言及するものと解釈すれば、第一の表現は第二の表現の「必要条件」と捉えることができます。これら二つの表現の時間軸は重複しうるものの、第二のガイダンスの方がより長い時間軸を示唆しています。つまり、資産買入れは2年間に限定されず、閾値ベース(2%を安定的に持続)のガイダンスが達成されるまでは出口に向かわないことを示しています。従って、二つの表現はお互いに矛盾するものではありません。

以上の枠組みをもとに、日本銀行のベースラインシナリオ(基本的見解)は、「見通し期間(2013〜15年度)の後半にかけてコアCPIの伸び率(消費税率引き上げの直接的な影響を除く)は物価安定目標である2%程度に達する可能性が高い」と判断しています3。政策委員見通しの中央値は、2013年度は0.7%、2014年度は1.3%、2015年度は1.9%に達すると予想されています(図表3)。

個人的には、2%を達成するまでの期間については、「国内の雇用・所得環境の改善ペース」如何によっては、ある程度時間がかかる可能性を以前から意識しています。また、「2%の達成後にその水準を安定的に持続する状況」に達するまでには、「安定的」という表現の判断にかかる期間を勘案しますと、さらに時間がかかる可能性もあると考えています。この間、金融政策面でのサポートは必要だと思っています。冒頭の共同声明の所で触れていますように、2%目標の導入は「持続可能であること」が大前提ですので、今後の金融緩和の要否およびその内容については、経済・物価の動向を分析しながら「安定的に2%が定着する社会の実現」という視点から判断すべきと考えています。

  1.   2  この他、国庫短期証券、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(REIT)等も買入れています。
  2.   3  日本の消費税率は、2014年4月に5%から8%へ、2015年10月には10%へと引き上げられる予定です。これらはCPIベースのインフレ率を、2014年度には2%ポイント、2015年度には0.7%ポイント引き上げると見込まれます。なお、日本銀行がインフレ率を評価する際には、税率引き上げの物価押し上げ効果は、一時的なものであるため勘案していません。

他の主要な中央銀行が採用するフォーワードガイダンスとの違い

皆様は、日本銀行が採用するフォーワードガイダンスの内容が、他の主要中央銀行が採用するものとはかなり異なっていることにお気づきになられたと思います(図表4)。第一に、米国連邦準備制度理事会(FRB)は、例外的に低い政策金利の誘導目標に適用するフォーワードガイダンスを導入しています。資産買入れは、別の金融緩和手段として、金利政策とフォーワードガイダンスを補完する手段と位置付けているようです。一方、日本銀行のフォーワードガイダンスは、パッケージとしてQQE全体に適用されています。QQE全体とは、マネタリーベースの目標を設定し、それを充たすよう長期国債を中心に資産買入れを実施する枠組みを指しています4

第二に、長期の予想インフレ率に関する「想定」が、日本銀行とそれ以外の中央銀行では異なっていることにあります。FRBのフォーワードガイダンスでは、長期の予想インフレ率は既に2%程度にアンカーされているとの認識が前提となっています。イングランド銀行(BOE)も同じような前提を制約条件の中に含めています。そこで、金融政策運営上の関心は、長期の予想インフレ率をアンカーし続けることに十分注意を払いながら、金融緩和を継続して景気回復を図ることにあります。それに対して、日本銀行では、まだ長期の予想インフレ率を2%にアンカーさせる状態に達していません。そのため、まずはあらゆる経済主体によるデフレ志向が克服されることを促し、その上で予想インフレ率を高めていく必要があるのです。

第三に、FRBとBOEのフォーワードガイダンスには失業率の閾値が含まれています。FRBの場合には、法令上、物価安定と最大雇用の実現という2つが責務とされているからです。BOEの場合は物価安定が第一義的目的ですが、高インフレと高失業率が並存し金融政策上のトレードオフが生じていたため、中央銀行の見解を明確にする必要があったためと考えられます。他方、日本銀行の主たる目的は物価安定にあるほか、失業率自体は諸外国に比べて低水準にあります。既に2013年12月には3.7%まで低下しており、世界金融危機前に記録した近年最低水準である2007年7月時点の3.6%に近づいています。従って、失業率とインフレのトレードオフは限定的であり、閾値として雇用関連の情報を示す必要性は相対的に低いと考えられます。正規社員と非正規社員の間での賃金・その他処遇の格差問題やより柔軟な労働規制を求める企業の要望が聞かれるのも事実ですが、これらは構造的な性質を持ち、金融政策の領域を超えているように思います。

  1.   4  日本銀行は2008年10月から当座預金残高の超過準備に対して0.1%の金利を適用しています。同金利は銀行間市場における取引金利のフロアーとして概ね機能しています。

3.金融政策のコミュニケーション面からみたQQEのパフォーマンス

それでは、市場・国民による金融政策の枠組みの認知度、2%物価安定目標の達成可能性についての認識、予想インフレ率の動向、先行きのインフレ見通しに関する市場・国民の見方と日本銀行の見方の違い等を中心に、様々なサーベイ結果やデータを見ていきたいと思います。

3−1.家計のQQEに対する理解と予想インフレ率

家計は、消費や住宅投資を行う重要な経済主体です。従って、家計の現在と今後予想される行動について理解することは、金融政策の波及経路を考えるうえで欠かせません。さらに、家計の予想インフレ率の動向は、消費・住宅投資(さらには需給ギャップ)および賃金交渉に影響を与えることで、現在のインフレ率にも影響する可能性があります。

2%物価安定目標とQQEに対する認知度

QQEに関する家計の認知度を知る上で有効な調査として、四半期毎に日本銀行が実施している「生活意識に関するアンケート調査」があります5。ここでは2013年9月と12月に、新しい特別調査項目として、日本銀行が「2%の物価安定目標を掲げていること」及び「QQEを行っていること」について認知しているかをそれぞれ聞いています。調査結果によると、9月調査では78%の回答者が2%目標の存在について認識していることを示しています。ただし、詳細に見ますと、37%が「知っている」と回答し、41%が「見聞きしたことはあるがよく知らない」と回答しています(図表5)。12月調査では、認識していることを示す回答は全体の60%へ、この内「知っている」とする回答は29%へとそれぞれ大きく低下しています(「見聞きしたことはあるがよく知らない」の回答も31%へ低下しています)。

二つ目のQQEに対する認知度に関する質問については、9月調査では72%が何らかの認識をしていることが分かります。ただ詳細な回答内容を見ますと、29%が「知っている」と回答し、43%が「見聞きしたことがあるがよく知らない」と回答しています。12月調査では認識していることを示す回答は69%へとやや低下しましたが、「知っている」との回答は30%と少し上昇しています(39%が「見聞きしたことがあるが、よく知らない」と回答し9月調査より低下しています)。

この他、定期的な質問項目として、「1年前対比での現在の物価に対する実感」を聞いていますが、9月と12月の調査ともに約67%が「上がった」(「かなり上がった」「少し上がった」の合計)と回答しています。次に、この「上がった」とする回答者に対して、その感想を聞きますと、両方の調査ともに80%以上が「どちらかと言えば、困ったことだ」と回答しています(図表6)。家計がこのように感じる比率は長期的には低下傾向を辿っているものの、依然として高い比率を占めています。

以上の家計に関する調査結果を踏まえますと、QQEについてはそれなりの認知度があることが分かります。とはいえ、「よく知らない」「見聞きしたことがない」回答もかなり多く、物価の上昇を「困ったこと」と感じている家計が多いことからも、QQEの目的について一層の理解を深めていただくように日本銀行の側でもさらに工夫すべき余地があることを示唆しています。とくに、「何故2%の達成が重要なのか、中長期的な視点から見て2%を安定的に実現した経済とはどのようなものか」等の一般国民の方々が抱くであろう素朴な疑問や懸念に答えるような、分かり易い言葉による説明を通じて、金融政策への理解と共感を広く浸透させていく努力が重要だと考えています。とりわけ本年4月には消費税率の引き上げが予定されており、金融緩和による物価上昇効果と合わせて一時的にインフレ率は2%を超える可能性があるなかで、2%目標への理解をいかにして促進するかがコミュニケーション上の課題となり得ると感じています。

  1.   5  同調査は、全国の満20歳以上の個人を調査対象に4,000人を標本数とし、有効回答率は56%前後となっています。

長期の予想インフレ率とその見方の情報源

次に、家計の長期予想インフレ率をみながら、QQEの影響も反映して上昇傾向にあるかどうか確認していきたいと思います。日本銀行では様々な指標をもとにインフレ予想の動向を分析していますが、ここでは便宜上、先ほどご紹介した日本銀行による調査に定期的に含まれる「5年後の物価は現在と比べ毎年、平均何%程度変化すると思うか」という質問に対する回答に注目し、その回答の中央値を「長期の予想インフレ率」の代理指標として見ていくことにします。ただし、この「生活意識アンケート調査」に基づく実証研究によると家計のインフレ予想には「上方バイアス」があると示されていますので、データの解釈には注意を要します6。また、2013年6月調査からは、予定される消費税率の引き上げの影響は除かれています。図表7は、長期の予想インフレ率が2011年12月以降に2〜2.5%の辺りで推移しており、今のところ上昇傾向が見られないことを示しています。一方、同調査では、「1年前に比べ現在の物価は何%変化したと思うか」という現在の物価に対する実感についても聞いており、この中央値は2013年初から明確な上昇傾向があります7

ここで、皆様は、家計のインフレ予想がどのような情報源を基に形成されているのかご関心があるかと思います。同調査では、2013年9月に特別調査として、「現在の物価に対する実感の根拠」と「5年後の物価に対する見方の根拠」を、一定の選択肢の中から3項目まで選択可能として、それぞれ聞いています。興味深いのは、足許の物価に対する実感については「頻繁に購入する品目(食料品等)の価格の動向から」「ガソリン価格の動向を見て」が圧倒的に大きな回答率となっている一方で、5年後の長期インフレ予想を形成する際には「商品・サービスの価格や物価に関するマスコミの報道を通じて」「為替の動向を見て」「株価や地価の動向を見て」「日本銀行の金融政策から」という回答比率が増えていることです(図表8)。

こうした回答結果から、家計はより長期のインフレ予想の形成については、「適応的期待」(過去や足許のインフレと過去の予測の差を修正しながらインフレ期待を形成)だけでなく、「合理的期待」(現時点で利用できるあらゆる情報を使ってインフレ予想を形成)をしている可能性を示唆しています。たとえば、過去の研究の中には、家計は6割前後が合理的な期待形成、4割前後が適応的な期待形成を行っていると指摘するものもあります8。このことは、実際の物価が上昇していくとともに、QQEの枠組みへの理解が深まっていくことで、予想インフレ率が上昇し2%の達成可能性が高まり得ることを示唆しています。

  1.   6  低インフレの時期に家計の物価見通しに下方硬直性が生じ、本来マイナスのインフレ予想を持つ家計でも真の予想インフレではなく、ゼロと回答する傾向が指摘されています。鎌田康一郎(2008)「家計の物価見通しの下方硬直性:『生活意識に関するアンケート調査』を用いた分析」日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.08-J-8を参照。
  2.   7  さらに、「1年後の物価は現在と比べ何%程度変化すると思うか」という質問項目があり、この回答の中央値を「短期の予想インフレ率」とみなすと、2013年3月に上昇していますが(もっとも2010年以降の水準と比べ特に高い水準ではありません)、2013年6月以降の調査ではほぼ横ばいとなっています。一方、内閣府が実施する「消費動向調査」でも1年後の予想インフレ率を算出しており、2013年初めから上昇ペースが高まっています。しかし、この指標が消費税率引き上げの影響を含めているかは定かではありません。
  3.   8  中山興・大島一朗(1999)「インフレ期待の形成について」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ, 99−7を参照。

3−2.企業の2%目標についての見方とインフレ期待

企業は、生産および設備投資等を実施する経済主体であり、同時に金融市場から資金調達を行う主要な資金の借り手でもあります。しかも、企業は価格設定を行い、実際のインフレに大きな影響を与える当事者です。緩やかなデフレが長期化する中で、企業は、価格設定に際して、自社の財・サービスの需給動向よりも競争相手の提示する価格や顧客が望む販売価格等を意識する傾向が定着していったと考えられます。これは、内外の競争激化、需要の価格弾力性の上昇、及び度重なる負の需要ショックによって企業の価格設定力が低下し、限界費用の上昇を価格転嫁するのが難しくなっていることも背景にありました。このため、2%目標の達成を目指す上では企業の価格設定行動への理解を深めることが不可欠で、そのためにも企業のQQEについての認識やインフレ予想について見ていくことが必要です。

2%目標の達成可能性に関する見解

企業によるQQEについての認識を知るために、「QUICK短観経済調査」をご紹介します。これはQUICK社が月次で取りまとめるサーベイ調査で、日本銀行の「短観(全国企業短期経済観測調査)」の先行指標としても注目されるものです。2014年1月調査では、特別調査で「2%が実現される可能性について」聞いています(図表9)9。調査結果は、62%の回答者が「五分五分」、次いで23%が「可能性は低い」、15%が「可能性は高い」とそれぞれ回答しています。このことは、企業は家計に比べて一般的にQQEに対する認知度が高いことに加え、その実現可能性についても強く否定する見方が少ないことを示しているように思われます。回答者をセクター別に分類しますと、製造業企業と非製造業企業はどちらも60%程度が「五分五分」と回答していますが、金融機関は「五分五分」と答えた割合は5割とやや低めとなっています。一方、「可能性は低い」との回答は、製造業企業と非製造業企業がそれぞれ24%と21%ですが、金融機関は40%と比率が大きくなっています。企業の半分以上が「五分五分」と回答したことは、「可能性が低い」と「可能性が高い」とするどちらの方向にも振れる可能性があることを示しています。こうした企業による見方は、あらゆる経済主体の総合的な努力によって緩やかなデフレからの脱却が進展し、同時に日本銀行によるQQEへの理解を促進するさらなるコミュニケーション上の工夫の結果として、「可能性が高い」方向へ認識が調整される可能性もあると思います。

  1.   9  回答者は367社の上場企業で、56%が非製造業、41%が製造業、残りが金融機関です。

インフレ予想とその見方の情報源

企業のインフレ予想の指標として最も頻繁に使われているのが、四半期毎に日本銀行が作成している短観における先行き3か月までの「販売価格判断DI」(上昇と下落の差)です(図表10)10。また、これと並行して「仕入れ価格判断DI」も使って、この差を利益マージンの代理指標として用いることがあります。販売価格判断DIについては「下方バイアス」が、仕入れ価格判断DIについては「上方バイアス」が指摘されていますので、データの解釈には注意が必要です11。そのうえで、図表を見ますと、販売価格判断DIをもとにした企業のインフレ予想の上昇傾向が見てとれますが、足許では横ばいになっているように見えます。このアプローチの問題は、見通しが先行き3か月までのきわめて短期のデータであり、長期の予想インフレ率が分からないことです。この点、短観では次回2014年3月調査から新しい調査項目を加え、企業に現在から先行き1年、3年、5年のインフレ予想についての調査を開始する予定です。これにより、企業のインフレ予想と価格設定行動について一層理解が深まることが期待されています。

さらに、企業のインフレ予想の形成に寄与する要因として、内閣府「平成25年度年次経済財政報告」では興味深い調査結果を示しています。そこでは、企業が先行き1 年間の市場価格見通しが上昇すると見込む場合に、自社の財・サービスの先行き1年間の販売価格見通しを引き上げる傾向(製造業で7割、非製造業で5割強)があることを指摘しています12。市場の財・サービスの需要が高まり市場価格の上昇が予想される場合には、企業はそれに合わせて販売価格を引き上げる可能性があるわけです。国内市場の持続的な拡大が見込める場合に、この状況は起きやすくなると考えられます。

また、企業はインフレ予想の形成において、家計よりも「適応的期待」を形成する傾向があるようです。たとえば、企業は50−70%前後が適応的な期待形成、50−30%前後が「合理的な期待形成」を行っているとの指摘もあります13。このことは、実際の物価動向は企業のインフレ予想を高め2%目標を達成するうえで重要な要因となっていることを示唆しています。ただ同時に、企業によるQQEの枠組みへの理解が深まれば、インフレ予想の上昇に寄与する可能性も示唆していると思います。

  1.  10 母集団は全国の資本金2千万円以上の民間企業(金融機関除く)約21万社で、調査対象企業は1万1千社超となります。
  2.  11 鎌田康一郎・吉村研太郎(2010)「企業の価格見通しの硬直性:短観DIを用いた分析」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.10-J-3を参照。
  3.  12 サンプルの規模は6,000社の上場・未上場企業で、20%の回答率となっています。
  4.  13 中山興・大島一朗(1999)を参照。

3−3.市場参加者・エコノミストによる2%目標に対する認識とインフレ予想

家計や企業の認識に加えて、市場参加者・エコノミスト(多くが金融機関に所属)の見方にも注目することが重要です。なぜなら、金融市場の様々な指標、たとえば金利、為替、そのほかの資産価格の動向は、家計や企業の行動に影響を及ぼしますし、こうした金融市場の指標は市場参加者・エコノミストの様々な金融資産価格の評価、先行きの物価・経済の見通し等が反映されているからです。これらの指標は、金融政策の変化、マクロ経済指標、ニュース、外的ショック等によって影響を受ける傾向があります。

2%の物価安定目標の実現可能性についての見方

市場参加者・エコノミストのQQEの枠組みに対する理解度は総じて高いと言えます。従って、注目すべきは、日本銀行が2%物価安定目標を達成できるかどうか、その場合、その目標をいつ達成するのかについての彼らの見方です。既に指摘しましたように、日本銀行のベースラインシナリオでは、「見通し期間(2013〜15年度)の後半にかけて、2%程度に達する可能性が高い」としています。

この点に関連して、2%目標の達成可能性について最近発表された2つの調査結果をご紹介いたします。ひとつは、日本経済研究センターの「ESPフォーキャスト調査」が、本年1月と2月に約40人のエコノミストを対象に実施した、「2年以内(2015年3月か4月頃)に2%を達成する可能性」に関する特別調査です。結果は、1月調査では、「はい(できると思う)」との回答が2%(1人)、「いいえ(できないと思う)」との回答が85%(34人)、「どちらとも言えない」との回答が13%(5人)でした。2月調査では、「はい(できると思う)」との回答が5%(2人)、「いいえ(できないと思う)」との回答が80%(33人)、「どちらとも言えない」との回答が15%(6人)と、若干の改善がみられるようです(図表11)。つぎに、図表12では同調査が実施している物価上昇率の2013年度から2015年度までの見通し(消費税率の影響を含む)の分布を調査時点毎に示しています。これによると、2013年度の見通しでは、調査時点が終盤に近付くにつれて、分布全体がより高いインフレ率へと推移しています。また、日本銀行の政策委員見通しの中央値に近づきながら収斂しています(図表13)。2014年度についても緩やかながら同様な収斂傾向が見られますが、2015年度についてはまだかなり見通しに開きがあります。

もうひとつの調査はブルームバーグ・ニュースが約35人のエコノミストを対象に本年2月に行った調査です。この調査では、「日本銀行が、2%目標が安定的に持続すると判断し、QQEの縮小を開始する時期はいつか」と聞いています。結果は、2015年が6%(2人)、2016年が21%(7人)、2017年が9%(3人)、2018年以降が21%(7人)と回答し、41%(14人)が「見通せず」と回答しています(図表14)。このことから、エコノミストと日本銀行の見通しにはかなり乖離があることが見てとれます。ただし、昨年11月時点の調査結果と比較すると、2%目標を中長期的に達成する可能性を指摘する回答者の割合が増え、不可能と否定する回答者の割合が減っているようです。

以上の調査結果は、市場参加者・エコノミストの間では2%達成可能性を徐々に肯定する見方が広まりつつあるものの、大勢はその実現には時間がかかると見ていることを示しています。日本銀行はこうしたグループとの認識のギャップを埋め、2%目標の達成可能性を高めていくために、(あ)予測手法に関する意見交換や、(い)分析を含めた金融緩和の波及経路や2%目標を達成するためのQQEの方向性についてのより体系的な説明、といったコミュニケーション上の工夫が重要だと思っています。

サーベイと市場データに基づく長期の予想インフレ率

次に、長期の予想インフレ率に関する指標を見てみましょう。図表15は3つのサーベイに基づく指標として、(a)「ESPフォーキャスト調査」による2〜6年先の予想インフレ率、(b)「コンセンサス・フォーキャスト」による6〜10年先の予想インフレ率、(c)債券市場参加者を対象とする「QUICK調査」による2年先から10年先までの8年間の予想インフレ率を示しています。また、図表16は、市場データに基づく指標として、(d)物価連動国債のブレークイーブンインフレ(BEI)率(5年程度と10年程度)及び(e)インフレスワップレート(5年物と5年先5年物フォーワードレート)を示しています。

これらの指標は全体として予想インフレ率が上昇傾向にあることを示しています。ただし、消費税率引き上げの影響を含めているデータもあるため注意が必要です。ESPフォーキャスト調査では2013年10月調査から増税の影響を除いていますが、QUICK調査では2013年9月調査から増税の影響を含めています14。BEIとインフレスワップレートには増税の影響が含まれています。また、BEIは利付国債と物価連動国債の流動性の違いも反映しています。 以上を踏まえて図表15、16を眺めると、消費税率引き上げの影響を除いたESPフォーキャスト調査の予想インフレ率が上昇傾向にあることは注目されますが、2%からまだかなり距離があります。それ以外のデータからも予想インフレ率の上昇が見てとれますが、増税の影響を除くと世界金融危機前と比べて大きく上昇しているとは言えないように思います。

  1.  14  コンセンサス・フォーキャストのデータからみた「6年先から10年先」の予想インフレ率には予定されている消費税率引き上げは影響しません。

4.最後に

本日は、日本銀行による金融政策のコミュニケーションについてお話しいたしました。ご紹介した各種サーベイ結果からは、全体として市場・国民による2%目標の認知度やその達成可能性についての認識は、まだ低いとの結果が示されました。こうした認知度や認識がインフレ予想にも反映され、2%からまだ距離がある一因となっているのではないかと感じています。とはいえ、足許では改善の兆しもみられており、今後、実際の物価や経済の情勢が改善するにつれて、こうした認知度や認識が一段と高まっていくとも考えられます。同時に、日本銀行の政策意図についての理解がさらに深まっていけば、そうした改善がさらに進む可能性が高いように思います。

この点、日本銀行はコミュニケーションの改善に努めてきてはおりますが、私はさらなる工夫をする余地があるのではないかと考えています。各種サーベイ結果に見られるように、家計、企業、市場参加者・エコノミストの、QQEの枠組みへの理解や、2%物価安定目標の実現可能性に対する見方や考え方には違いが見られますので、日本銀行によるコミュニケーションにもそれぞれの特性を意識した異なる対応が求められるのではないかと思います。例えば、日本銀行の公表文書については、できる限り分かり易い表現や説明が必要だと思います。また、企業や一般国民に対しては、日本銀行の全国32支店と14事務所との連携を通じたより多くの社会的グループや地方コミュニティとの対話の増加、ホームページや様々なメディアを通じた情報発信の拡充等が有効と考えられます。他方、市場参加者やエコノミストに対しては、予測手法に関する意見交換や金融緩和政策の波及経路についての考え方や分析に裏付けられた説明を実施することで、金融政策への理解を高めることができると思われます。こうしたコミュニケーションの成功事例として、昨年4月から7月にかけて日本の国債市場が一時的に不安定化した際に、日本銀行が取った対応が挙げられます。日本銀行は、市場参加者との意見交換会を複数回開催し、そこでの議論を踏まえて柔軟なオペ対応を実施しましたが、それが市場の安定化に寄与したことを指摘しておきたいと思います。こうしたコミュニケーションの改善に向けたあらゆる努力が、2%の物価安定目標の実現に向けた重要なステップになると考えています。

本日は、ご清聴ありがとうございました。