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【挨拶】日本銀行金融研究所主催2014年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年5月28日

目次

1.はじめに

皆様おはようございます。2014年国際コンファランスの開会に当たり、一言ご挨拶を申し上げることは、私にとって大変光栄なことです。

今年のコンファランスのテーマは「金融危機後の金融政策」です。先般の金融危機から早くも6、7年が経とうとしていますが、その間、世界経済は、「大不況(Great Recession)」に見舞われたあと、全体としてみれば、依然として緩やかな景気回復に止まっています。金融危機以降、各国中央銀行は、非伝統的政策を含む様々な政策対応を行ってきました。また、学界では、そうした中央銀行の政策対応に関する研究が蓄積されつつあります。これまでの各国の経験や研究成果を共有し、議論を積み重ねていくことは、今後の金融政策運営を考えていく上で、非常に重要です。そうした意味で、今回のテーマは時宜を得たものであり、それ故に、様々な地域の中央銀行や国際機関の幹部、著名な経済学者の皆様にご出席いただけたのではないかと思っています。改めて、日本銀行を代表して、ご参加いただいた皆様に、心から歓迎の意をお伝えしたいと思います。

2.先般の金融危機までの中央銀行の政策に関する議論の変遷

過去を振り返ると、先般の金融危機やその後の大不況のような大きな出来事を契機に、それから教訓を抽出し、中央銀行の政策に関する考え方を進化させるという歴史が繰り返されてきました。すなわち、学界では、中央銀行の政策の焦点は、大恐慌期(GreatDepression)、大インフレ期(Great Inflation)、大いなる安定期(Great Moderation)を経て、変遷してきた、と言われています。

中央銀行が設立された当初、その主な役割は、金融危機によって流動性が枯渇した場合に、金融機関に「最後の貸し手(Lender of Last Resort)」を実施することでした。その背景には、ウォルター・バジョットの古典的な「最後の貸し手」論があります。彼は、いわゆる「バジョット・ルール」と呼ばれる中央銀行の行動原理、すなわち、中央銀行は危機時において、懲罰的な金利で、しかし無制限に貸出を行うべき、との考え方を提唱しました 1

このような「最後の貸し手」を主とする中央銀行の役割は、大恐慌期の到来と金本位制からの離脱を経て、ジョン・メイナード・ケインズらによる総需要管理政策の台頭等を背景に、景気の安定化にシフトしました。しかし、中央銀行が好景気の維持に重点を置くあまり、1970年代以降の大インフレ期を迎える結果となりました。

高インフレに悩まされる中で、「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である(inflation is always and everywhere a monetary phenomenon)」とのフリードマンの見方が次第に支持され、中央銀行の政策の焦点は、物価の安定に移りました 2。その代表的な政策としては、当時の米国連邦準備制度理事会の議長ポール・ボルカーによるディスインフレーション政策を挙げることができます。

その後、低インフレ下での安定した成長によって特徴付けられる大いなる安定期が、先般の金融危機まで続きました。この時期には、金融政策は、インフレ予想をアンカーすることで、中長期的な物価の安定を損なうことなく、景気の安定に貢献できるという考え方が支配的になりました。こうした考えを金融政策運営の枠組みとして具体化したものがインフレーション・ターゲティングであり、多くの国で導入されました。その反面、金融の安定(financial stability)は、中央銀行の政策上、あまり重視されず、一部の中央銀行では、金融監督機能が切り離され、金融政策運営に特化するなどの動きもみられました。こうした中で、先般の金融危機は発生し、その後の大不況に至りました。

以上、簡単ではありますが、先般の金融危機までの中央銀行の政策に関する議論を振り返りました。これまで、その時々の課題を克服して、中央銀行の政策が進化してきたことがお分かりいただけたと思います。これまでと同様に、先般の危機とその後の経験から得られた教訓は、中央銀行の政策をさらに進化させることと思います。

  •   1 バジョット・ルールについては、Bagehot, Walter, Lombard Street - A Description of the Money Market, Charles Scribner's Sons, New York, 1873(『ロンバード街—金融市場の解説—』、久保恵美子訳、日経BP社、2011年)を参照。
  •   2 Friedman, Milton, Inflation: Causes and Consequences, Asia Publishing House, New York, 1963.

3.先般の金融危機とその後の経験から得られた教訓と今後の論点

先般の金融危機とその後の経験から得られた主な教訓としては、次の3つを挙げることができると思います。

第1の教訓は、経済全体の安定は、物価や実体経済の安定化だけではもたらされず、金融の安定化も重要であるということです。こうした認識のもとで、先般の金融危機以降、一部の中央銀行に対して新たに金融監督機能が付与されるなど、中央銀行の金融監督機能を強化する動きがみられています。

第2の教訓は、金融緩和は、政策金利がゼロ近傍という状況下にあっても可能ということです。先進国の中央銀行は、伝統的政策手段である政策金利を実質的にゼロの下限まで引き下げたあとも、資産買入れやフォワード・ガイダンス等の非伝統的政策を用いて、金融危機後の経済の回復を後押ししています。

第3の教訓は、第2の教訓とも関連しますが、経済を回復軌道に導くために、市場等とのコミュニケーションを通じた期待形成への働きかけ(expectation management)が重要ということです。

以上が、先般の金融危機とその後の経験から得られた主な教訓ですが、これらを通じて、今後解明していくべき論点も明らかになってきました。こうした論点には様々なものがありますが、ここでは、本日ご参加いただいた多くの方々が直面している課題として、次の3つを挙げたいと思います。

第1の論点は、物価と金融の安定をどう両立させるか、ということです。この論点を政策に引き付けて考えると、金融政策とマクロプルーデンス政策の役割分担、すなわち、金融の安定のために、マクロプルーデンス政策を第1の防衛線(first line of defense)、物価の安定を目的とする金融政策を最終防衛線(last line of defense)と考えるか、あるいは、金融政策運営において、物価と金融の両者の安定を考慮すべきか、と言い換えることができます。

第2の論点は、期待形成に働きかける上でのフォワード・ガイダンスの有効性です。先般の金融危機後、先進国の中央銀行で導入されたフォワード・ガイダンスには様々な方式がありました。政策の継続に関する具体的な期間や条件を明示しないオープン・エンド方式から、期間を明示したカレンダー方式、あるいは特定の経済指標に基づく条件を明示した状態依存(state contingent)方式まで存在します。フォワード・ガイダンスの有効性は、コミットメントの強さと柔軟性に依存しますが、このバランスをどう取るかが、フォワード・ガイダンスを議論する上で重要なポイントだと思います。

第3の論点は、伝統的政策と非伝統的政策の国際的な波及効果の違いをどう考えるかという点です。これまで、伝統的政策の国際的な波及効果や、それを踏まえた金融政策運営のあり方に関して、様々な知見が蓄積されてきています。しかし、非伝統的政策の国際的な波及効果に関する研究は、まだ緒についたばかりであり、今後の研究の進展や知見の蓄積が望まれます。

4.結び

中央銀行はこれまで様々な課題に直面してきましたが、学界の助けも借りながら、それらの課題を克服し、政策を進化させてきました。先ほど申し上げた3つの論点は、いずれも一朝一夕に答えの得られない問題ですが、今回のコンファランスにおける皆様との議論を通して、その答えに向けた糸口をつかむことができればと期待しています。

そして最後に、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネの「どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進化する」という言葉を皆様と共有し、私の挨拶を締めくくりたいと思います。

ご清聴に感謝いたします。