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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営

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名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶

日本銀行総裁 黒田 東彦
2014年11月25日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、中部経済界を代表する皆様とお話しする機会を頂き、大変嬉しく存じます。また、皆様には、平素より、日本銀行の名古屋支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。

日本銀行は、昨年4月、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に2%の「物価安定の目標」を実現するため、「量的・質的金融緩和」を導入しました。長年にわたるデフレの中で定着してしまった「デフレマインド」を転換し、人々が「緩やかに物価は上昇する」ことを前提に行動する状況を作り出すことで、デフレ的な「縮小均衡」から「拡大均衡」に変えることを狙ったものでした。それから1年半、デフレマインドの転換は着実に進んできました。経済は緩やかな回復を続け、消費者物価はマイナス圏から1%台前半まで上昇しました。ただ、ここへきて、消費税率引き上げ後の需要面での弱めの動きや原油価格の大幅な下落から消費者物価の上昇率が頭打ちになっており、デフレマインドの転換が遅れるリスクが生じてきました。日本銀行が、先月末に「量的・質的金融緩和」の拡大を行ったのは、こうしたリスクの顕現化を防ぎ、期待形成のモメンタムを維持するためです。

本日は、最初にわが国の経済・物価情勢についてご説明した後、今般「量的・質的金融緩和」を拡大した趣旨についてお話ししたいと思います。

2.わが国の経済・物価情勢

まず、わが国の経済・物価情勢についてお話しします。

実体経済

わが国経済は、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動の影響から在庫調整の動きがみられており、生産面を中心に弱めの動きが残っています。実質GDP成長率は、4〜6月に大きなマイナスとなった後、7〜9月も年率1.6%のマイナスとなりました(図表1)。もっとも、基調的な動きとしては、家計や企業の所得が増加し、それが支出へと向かう前向きな循環は、しっかりと働いていると考えています。

まず、家計部門をみると、失業率が構造的失業率と同水準の3%台半ばまで低下するなど、労働需給は着実に改善しています(図表2)。そうした中で、賃金の伸び率は緩やかに上昇し、1%程度になっています(図表3)。雇用者数の増加もあって、雇用者所得は2%台で増加しています。このように雇用・所得環境が着実に改善する中で、個人消費は基調的に底堅く推移しており、駆け込み需要の反動の影響も全体としてみれば和らいできています。

企業部門をみると、先ほどお話ししたとおり、生産は弱めの動きが残っていますが、自動車など耐久消費財や住宅の関連業種を中心とする在庫調整は、年内には概ね目途がつくとみられています。また、企業マインドも良好な水準が維持されています(図表4)。9月短観で企業の事業計画をみると、売上・収益計画が上方修正されており、設備投資もしっかりと増加させていく計画となっています(図表5)。

以上のもとで、わが国経済は、基調的には緩やかな回復を続けていると判断しています。

物価情勢

次に、物価面です。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比をみると、「量的・質的金融緩和」を導入する直前の昨年3月の時点では、−0.5%と水面下にありましたが、その後はプラスに転じ、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、+1%台前半まで改善してきました(図表6)。

物価の基調的な動きを規定するのは、経済全体の需給ギャップと予想物価上昇率です。このうち需給ギャップについては、今回の景気回復が雇用誘発効果の大きい内需主導であることなどから、労働面を中心に着実に改善しており、最近では過去の長期平均並みであるゼロ近傍まで改善しています(図表7)。また、予想物価上昇率については、マーケットのデータや各種サーベイ調査などの指標は、振れを伴いつつも、やや長い目でみれば上昇してきたと評価できます(図表8)。こうした変化は、企業の賃金設定や価格戦略にも影響を与えています。具体的には、今春の賃金交渉において物価上昇を意識した賃上げ要求が行われ、ベースアップが10数年ぶりに復活したことや、企業が低価格戦略を転換し、付加価値を高めつつ販売価格を引き上げるといった動きに表れています。デフレマインドの転換は着実に進んでいます。

3.「量的・質的金融緩和」の拡大

もっとも、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比の伸び率は、今年4月の+1.5%をピークに縮小しており、9月には+1.0%になりました。消費税率引き上げ後の需要面の弱さに加え、夏場から原油価格が大幅に下落したことが、物価の下押し要因として働いています。もとより、駆け込み需要の反動の影響は和らぎ始めていますし、原油価格の下落は、やや長い目でみれば、資源の輸入国である日本経済に好影響を与え、物価を押し上げる方向に作用すると考えられます。ただ、短期的とはいえ、現在の物価下押し圧力が残存する場合、「デフレマインド」の転換が遅延するリスクもあると考えられます。この点、既に物価安定目標の近傍に予想物価上昇率がアンカーされている米国などでは、原油価格のような一時的な要因によって実際の物価上昇率が多少変化しても、中長期的な予想物価上昇率はあまり影響を受けません。これは、中央銀行の政策のもとで、いずれ物価は物価安定目標に戻ると人々が信じているからです。一方、わが国は、「量的・質的金融緩和」によって、「デフレマインド」を抜本的に転換することを目指している最中であり、中長期的な予想物価上昇率は2%に向けて上昇する途上にあります。このため、米国などと比較すると、わが国の予想物価上昇率は、実際の物価上昇率の変化の影響を受けやすいと考えておくべきだと思います。

この点は、「量的・質的金融緩和」が想定している効果波及メカニズムの核となる部分です。すなわち、「量的・質的金融緩和」は、日本銀行が2%の実現に向けて強く明確なコミットメントを示すことで、人々のデフレマインドを転換し、予想物価上昇率を引き上げることを効果の起点にしています。同時に、巨額の国債買入れによって、イールドカーブ全体に低下圧力を加えることで、実質金利を低下させ、設備投資、個人消費、住宅投資といった民間需要を刺激します。これによって民間需要が高まり、需給ギャップが改善すれば、現実の物価が上昇し、さらに予想物価上昇率を押し上げることになります。このように、予想物価上昇率を引き上げるエンジンは2つあります。ひとつは、日本銀行が2%を実現するという強いコミットメントであり、これがフォワード・ルッキングに期待を変化させてきました。もう一つのエンジンは、その結果として実際に物価がマイナス圏から1%台前半まで浮上したという事実です。これが、バックワード・ルッキングに期待を引き上げてきました。ここで、「原油価格の下落」という長期的には望ましい現象の結果であっても、実際の物価上昇の足踏みが長引くような場合、バックワード・ルッキングな期待形成は弱まる可能性があります。その結果、2%の実現に疑いが生じるようなことになれば、「量的・質的金融緩和」のメカニズムが全体として弱まってしまうリスクが生じます。そこで、日本銀行としては、「量的・質的金融緩和」のもとでさらに強力に緩和を進めるとともに、2%の早期実現の決意にいささかの揺るぎもないことを改めて「行動」の形で示す必要があると考えました。

こうした考え方のもと、日本銀行は、先月31日の金融政策決定会合において、「量的・質的金融緩和」を拡大することを決定しました(図表9)。

具体的には、第1に、マネタリーベースの増加額を、これまでの「年間約60〜70兆円」から「年間約80兆円」に約10〜20兆円追加します。

第2に、こうしたマネタリーベースの増加を実現するため、各種資産の買入れを拡大します。長期国債については、日本銀行の保有残高の増加額をこれまでの「年間約50兆円」から「年間約80兆円」へと約30兆円拡大します。また、買入れ国債の平均残存期間も「7〜10年程度」へと最大3年程度延長します。これにより、イールドカーブの全体にわたって、一段と低下圧力を及ぼすことを期待しています。

第3に、ETFについては、日本銀行の保有残高の増加額を「年間約1兆円」から「年間約3兆円」に、J-REITについては、「年間約300億円」から「年間約900億円」へと3倍に増やします。加えて、ETFについては、新たにJPX日経400に連動するものを買入れ対象にします。

こうした措置は、「デフレマインド」の転換が遅延するリスクの顕現化を未然に防ぎ、好転している期待形成のモメンタムを維持するためのものです。先行きについても、日本銀行は「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続します。また、その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、2%の「物価安定の目標」実現のために必要であれば、躊躇なく調整を行うという方針についても、従来とは全く変わっていません。

4.「量的・質的金融緩和」拡大のもとでの経済・物価の見通し

それでは、「量的・質的金融緩和」を拡大したもとでの経済・物価の見通しについて、10月末に公表した「展望レポート」を踏まえてご説明します。

まず、実体経済面では、今般拡大した「量的・質的金融緩和」を着実に推進する中で、個人消費や設備投資といった内需は堅調さを維持するほか、輸出も緩やかな増加に向かっていくことから、家計部門、企業部門ともに、所得から支出へという前向きな循環メカニズムを維持するとみています。このため、わが国経済は、基調的には、0%台前半ないし半ば程度とみられる潜在成長率を上回る成長を続けると考えています。9人の政策委員の見通しの中央値を申し上げると、2014年度は+0.5%、2015年度は+1.5%、2016年度は+1.2%となる見通しです(図表10)。

物価面をみると、今お話ししたとおり、実体経済が潜在成長率を上回る成長を続けることから、マクロ的な需給バランスは、今後も改善基調が続き、プラス幅が拡大していくと考えています。また、中長期的な予想物価上昇率については、日本銀行の今回の措置もあって、「物価安定の目標」である2%程度に向けて次第に収斂していくとみています。こうした、マクロ的な需給バランスと予想物価上昇率の動きを背景に、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、消費税率引き上げの直接的な影響を除いたベースでみて、当面現状程度のプラス幅で推移した後、次第に上昇率を高め、2015年度を中心とする期間に、「物価安定の目標」である2%程度に達する可能性が高いとみています。こうした見通しは、今年4月の「展望レポート」から変わっていません。具体的に、政策委員の見通しの中央値を申し上げると、2014年度は+1.2%、2015年度は+1.7%、2016年度は+2.1%となる予想です(前掲図表10)。

5.おわりに

今回の「量的・質的金融緩和」の拡大によって、最も分かって頂きたいことは、日本銀行が2%の「物価安定の目標」を、できるだけ早期に、そして安定的に実現すると強くお約束しているということです。そのもとで、企業の皆様が、実際に、2%の物価上昇を前提として意思決定や経済活動を行って頂けることを期待しています。さきほどお話しした「デフレマインドの転換」とか「予想物価上昇率の上昇」というのは、市場のブレーク・イーブン・インフレ率とか、エコノミストなどのサーベイの数値が上がるかどうか、ということだけを意味するのではありません。むしろ、それらは、企業経営者の皆様の「頭の中」にあり、実際の意思決定や行動として表れる、と考えるべきだと思います。長年のデフレの後、今それが変わりつつあることは、皆様が一番よくお感じになっているのではないでしょうか。皆様の頭の中にある企業の価格戦略や雇用・賃金の運営は、2年前とは確実に違っているはずです。今春の賃金交渉で久方ぶりにベースアップが実現したことは、そのひとつの証拠だと思います。その意味で、来春にかけての賃金や価格設定の動向に、大きな期待とともに関心を寄せているところです。

また、「デフレマインド」が転換していく過程では、「現預金を持って何もしない」ことのコストが高くなります。企業の戦略として、例えば設備投資や人材への投資、あるいは下請け企業を含めた生産体制全体の整備などに、積極的に「収益を使っていく」ことが求められるということです。同時にそれは、円高の修正やデフレ脱却の果実を広く経済全体に均霑するプロセスにもなります。歩みをここで止めてはなりません。日本銀行は、物価安定の目標の実現のため、これまでも「行動」してきましたし、これからも「行動」を続けます。最後に、企業の皆様のデフレ脱却後を見据えた「行動」をお願いして、ご挨拶としたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。