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【発言要旨】日本銀行と欧州中央銀行(ECB)の非伝統的金融政策

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ブリューゲル年次総会でのパネルディスカッション「金融政策とセントラルバンキング:世界の見通し」における発言要旨の邦訳

日本銀行政策委員会審議委員 白井 さゆり
2015年9月8日

目次

1.はじめに

本日は、ブリューゲル年次総会の金融政策討論会にパネリストとしてご招待いただきまして、光栄に存じます。最近では、世界の主要中央銀行の間で金融政策の方向性の違いが明確になってきています。米国・連邦準備制度理事会(FRB)では、政策金利の最初の引き上げに向けて検討段階に入っている一方で、日本銀行と欧州中央銀行(ECB)では大規模な資産買入れを継続しています。本日は、日本銀行の政策当局者の一人として世界経済情勢や主要中央銀行の金融政策を注視している立場から、日本銀行とECBの金融緩和の枠組みについて触れたうえで、予想インフレ率に注目し、日本とユーロ圏の動向を概観したいと思います。なお、本日の私の話は、私個人の見解であり、日本銀行の公式見解でないことを強調しておきます。

2.日本銀行とECBの非伝統的金融政策:共通の特徴

日本銀行とECBが採用する非伝統的な金融緩和手段には、幾つかの共通点がみられます。それらは、国債を中心とする大規模な資産買入れ、将来の金融緩和方針を示すフォーワードガイダンス、条件付きの長期貸出制度の三点です(図表1、参考図表)。

第一の大規模資産買入れは、中央銀行がバランスシートを予め設定した規模へと拡大し、しかもその規模を比較的長期間にわたって維持することを可能にするため、「バランスシート政策」と称されます。期待される効果の一つは、ポートフォリオリバランス効果です。国債等の保有者に、貸出・社債、さらには株式、対外証券、不動産等の投資へと資産の転換を促すことで、幅広い市場に影響を及ぼし、経済活動の活性化を促す政策です。

日本銀行では、2013年4月から「量的・質的金融緩和」(QQE)の下で、マネタリーベースの年間増加額目標を設定することで大胆なバランスシート政策を実施しています。現在は、マネタリーベースと国債買入れを各々年間80兆円ペースで拡大しています。買入れ残存期間は、国債イールドカーブ全体に働きかけるために1年以下から最長の40年物まで全期間を対象とし、買入れ平均残存期間は約7〜10年としています。国債の他、指数連動型上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(J-REIT)等も買入れています。株高と円安とともに大幅な企業収益と雇用の改善をもたらし、需給ギャップの2%ポイントもの改善に寄与しています。

一方、ECBと各加盟国中銀(以下、ECB)ではバランスシートの規模を2012年3月時点の約3兆ユーロまで戻すことを念頭に置いて、2015年3月から国債等を買入れています。昨年10月以降に買入れを開始したカバードボンドと資産担保証券(ABS)を含めて、毎月の買入れ総額を約600億ユーロとしています。公的資産の対象残存期間は超長期を除く2年以上30年以内とし、格付けは原則BBBマイナス格以上としています。一部の予想インフレ率指標が低下する中で、バランスシートの縮小が続き金融緩和効果が弱まるリスクへの対応だったとみています。一般的に買入れ金利は市場の需給によって決定されますが、ECBでは買入れ金利下限を預金ファシリティ金利と同じマイナス0.2%としています。

第二の共通点は、日本銀行もECBも現行の金融緩和についての将来の方向性を示す目的でフォーワードガイダンスを採用しており、シグナリング効果が期待されています。世界的には、低い政策金利を長く継続する見通しを表明することで短中期イールドカーブに下押し圧力をかけ、追加の金融緩和手段とする事例が幾つかみられます。また、フォーワードガイダンスは資産買入れに関する将来の方針を示す場合にも用いられ、(買入れ資産の残存期間にも依存しますが)長期イールドカーブを中心に下押し圧力をかけることになります。

日本銀行の場合、QQE導入の際に、金融市場調節方針の対象を従来の政策金利からマネタリーベースに変更していますので、FRBのような政策金利のフォーワードガイダンスはありません。従って、QQE(マネタリーベースとそれを達成するための資産買入れの規模・種類のパッケージ)の枠組みに関する将来の方針に対して適用しており、2%の物価安定目標の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続する、との成果(アウトカム)ベース表現がこれに相当します。また、経済・物価の上下リスク要因を点検するとの但し書きも付随していますので、リスク評価上問題がない限りにおいてQQEを継続していく状況を示したと言えます。既に2010年10月からの「包括的金融緩和」によって短中期イールドカーブは低い水準にあったことから、このフォーワードガイダンスによってより長めのイールドカーブに下押し圧力をかけることが想定されています1。同時に、2%目標の安定的な持続とは、予想インフレ率を2%程度で安定させることと同義なので、予想インフレ率の引き上げ効果も想定されています。

一方、ECBでは、フォーワードガイダンスとして、2013年7月に政策金利に対して適用しており、ECBの主要諸政策金利について現状あるいはそれより低い水準に、長期にわたり(extended period of time)留まることを予想している、と表明しています。2014年9月の金利引き下げの際に、先行きの金利引き下げ余地はないと指摘していることから、現行の低金利水準(例えば、MROは0.05%)の維持期間に対する方針として位置付けられます。加えて、2015年3月には、月約600億ユーロ相当の買入れの将来の方針についてフォーワードガイダンスを適用しており、少なくとも2016年9月まで実施することが意図されており、いずれにせよ中期的に2%未満かつ2%近傍を達成する目的と整合的な物価上昇率の経路へ持続的な調整がみられるまで継続されると言明しています。

第三に、条件付きの長期融資制度です。日本銀行では「貸出増加支援資金供給」のもとで金融機関に対して貸出増加実績額の2倍まで、0.1%の固定金利で最大4年間融資しており、2016年6月まで継続する予定です。一方、ECBでは、2014年9月に開始したTLTROにおいて、2015年3月以降は家計向け住宅ローンを除く非金融民間に対する貸出増加実績の3倍までMRO金利で(現在は最大3年まで)融資する制度として2016年6月まで実施する予定です。日本とユーロ圏では銀行ファイナンスが金融仲介機能の中心ですので貸出促進が同制度の本来の趣旨ですが、バランスシートの拡大にも寄与する手段とみなせます。

  1.   1  日本銀行では短期国債も買入れているほか、0.1%の付利金利も維持しています。これらの手段によって、短期市場金利も低水準で長く維持されるとの予想が市場で形成されています。

3.日本銀行とECBの非伝統的金融政策の相違点

次に、両中央銀行の金融緩和政策の違いについて、二点指摘します(図表2)。

ECBがマイナスの預金ファシリティ金利を採用した背景

ECBでは2014年6月にマイナス0.1%の預金ファシリティ金利を導入し、同年9月にマイナス0.2%へ引き下げています。マイナス金利を今日まで維持し続けている背景には、主に3つ要因が影響していると考えられます。一つ目は、ユーロ圏国債等の発行残高に占める非居住者の保有割合は5割を超えており、しかも短期志向の投資家から長期保有目的の機関投資家や外国の中央銀行まで様々です。このため、マイナス金利にあまり影響を受けずにキャピタルゲイン目的でECBに売却したり、域内の社債・株式に乗り換える投資家も相応に見込まれることです。二つ目の要因は、企業・家計による潜在的資金需要がある限り、ユーロ圏の金融機関がマイナス金利を回避しようと貸出を促進したり、貸出金利を引き上げても貸出を増やせる可能性があります。その結果、信用創造が進み、金融機関がマイナス預金金利のコストを上回る収益を挙げられる可能性があります。最後の要因としては、ユーロ圏では域内のクロスボーダー銀行間市場が世界的な金融危機以降分断された状態にあり、マイナス金利は資金余剰の金融機関の銀行間市場での行動にあまり影響を与えそうにないことが考えられます。

日本銀行がプラスの付利金利を維持してきた背景

日本銀行では、プラスの付利金利(0.1%)を2008年から維持しています。その大きな背景として、そもそもQQEでは、短期金利の引き下げ余地がなくなる中で、長期名目金利の引き下げと予想インフレ率の引き上げによって長期ゾーンの実質金利の低下を促すことで、短期金利の限界的な引き下げよりも大きな緩和効果を創出するストラテジーを採ったことがあります。そのうえで、付利金利を維持した積極的な理由としては、まず付利金利がさらに低下すると、資産買入れの目標額を円滑に実施するのが難しくなる可能性が考えられたことです。9割以上の国債残高を居住者が保有しており、中でも長期保有目的の金融機関も多く、プラスの付利金利を維持することで売却インセンティブが高まる面もあると思います。

第二に、マイナスの付利金利を設定しても、金融機関がそれに合わせて顧客の預金金利を(既に0%程度にある現状から)引き下げることが困難な場合、収益の低下を招いて金融仲介機能を損なうリスクがあります。或いは、金融機関が収益を維持しようと貸出金利を引き上げれば、資金需要が減って貸出が伸び悩む可能性もあるように思います。なお、一部の欧州諸国では、預金ファシリティ金利だけでなく政策(貸出)金利もマイナス水準に設定している中央銀行がありますが、個人預金金利についてはプラスの水準を維持しながら、大口顧客や銀行間市場の預金金利でマイナス水準を設定し、企業向け貸出金利を引き上げる金融機関もあるようです。日本のように預貸比率が7割前後の下で貸出競争が激しい状況では、貸出金利の引き上げは難しく、収益の減少となり易い可能性があります。

そして、第三の要因として、当座預金対象先と非対象先の間の裁定取引等を維持することで、銀行間市場の機能をある程度維持しておくことが重要だと考えられることです。また、一定程度の金融取引が維持されればレファレンス金利としての有用性も維持され、金融取引や金融政策判断でも役立ちます2

より重要な点は、ECBが負の預金ファシリティ金利を導入した2014年後半においても、ユーロ圏の予想インフレ率の低下やディスインフレリスクが進行したことから、日本銀行が重視する予想インフレ率の押し上げ効果はあまり期待できないことが示唆されます。以上より、付利金利の引き下げについては、その可能性を否定するものではありませんが、各国・地域の金融市場構造の違いも勘案して考える必要があるように思います。

  1.   2  2013年1月に私がイタリアで実施した講演では付利金利引き下げの論点について触れ、その効果として過度な円高の是正を示唆していますが、QQE以降そのような状況はもはや解消しています(イタリア中銀セミナー及びユーロアジア・ビジネス経済学会における講演 「チャレンジングな経済環境下の我が国の金融政策」2013年1月を参照)。

信用緩和の重要性の違い

もう一つの違いは、ECBの金融緩和政策では信用緩和の色彩が強いことです。最近のユーロ圏では、民間部門への貸出金利も低下しており、民間貸出残高もプラスに転じています。しかし、中小企業向けの厳格な貸出基準や高めの金利、資金のアベイラビリティが限定される等の状態が残るようです。そこで、TLTROによって金融機関の資金調達コストを引き下げて民間貸出を増やし、またABSの買入れによって市場を活性化して中小企業を含む銀行ローンの証券化の促進を目指しているようです。ECBの政策では、金融仲介機能を完全に回復していない銀行システムに対する信用緩和の意味合いが常に意識されているようです。

他方、日本では、世界的な金融危機直後にCPや社債市場で機能が低下し、日本銀行が2009年に信用緩和政策としてこれらの資産を買入れるきっかけとなったことがあります。しかし、銀行危機が発生しなかったこともあって金融機関の健全性が概ね維持されており、中小企業にとっての資金アベイラビリティや借入金利はQQE導入以前から緩和的な状態が続いています。また、現在では、信用緩和政策は以前ほど意識されていません。

4.日本とユーロ圏の予想インフレ率の動向

次に、物価安定目標実現の鍵を握る予想インフレ率について、まずエコノミストと市場データに基づく指標をご紹介した上で、家計・企業の動向をみていきます。

日本の課題:以前に経験した2%程度の予想インフレ率への引き上げ

長期時系列データがとれるエコノミストを対象とした予想インフレ率の動向をみますと、長期にわたるマイルドなデフレに直面する以前の日本では、2%程度の予想インフレ率が実現していました(図表3)。中長期(5年先)の予想インフレ率は1990年代前半頃は2%前後にあり、初めの頃は、実際の物価上昇率と短期の予想インフレ率も2%前後でした。しかし、資産バブル崩壊後の1992年前後から実際の物価上昇率が低下し、1999年頃から物価は下落しています。この時期の前半を中心に、実際の経済成長率が(低下傾向がみられる)潜在成長率より低下しており、需給ギャップの大幅な悪化が実際の物価上昇率を下押ししました(図表4)。短期の予想インフレ率も同じ頃低下を始めてマイナスとなり、その後はQQEを開始するまで0%前後で推移してきました3

興味深いのは、1990年代後半以降は、中長期の予想インフレ率が0.5%前後から2%前後の間で変動しつつ推移し、安定していなかったことです。このことは、中長期予想インフレ率が実際の物価上昇率や短期予想インフレ率を引き上げる力が弱く、アンカー機能を十分果たしていなかったことを示しています。ここには、日本銀行による物価安定の表現方法も影響したのかもしれません。日本銀行では、2006年に「中長期的な物価安定の理解」として「0〜2%の領域、大勢は1%」を採用し、2009年には「2%以下のプラスの領域、大勢は1%」へ、2012年には「中長期的な物価安定の目途」として「2%以下のプラスの領域、当面は1%を目途」へと、徐々に明確化を図りましたが、どの水準の物価上昇率を最終的に実現したいのか分かりにくさがあったと思います。以上を踏まえて、日本銀行は明示的な2%の物価安定目標の採用とQQEにより、20年以上前に経験した2%程度の予想インフレ率へ再び引き上げ、安定させることを目指しています。エコノミストの予想インフレ率と5年先5年のインフレスワップ・レートはQQE以降幾分上昇した後、1%前後の水準で推移していますが、2%目標との間にはまだ距離があります(前掲図表3)。

経験から言えることは、まずは需給ギャップの継続的な改善によって実際の物価上昇率が高まることが重要です。この点、日本銀行の推計にもとづく需給ギャップは2015年1-3月期に0.1%のプラスへと転じ、4-6月期は一時的に悪化が見込まれるものの、今後は次第にプラス幅を拡大して物価上昇圧力が高まると予想しています。また、足もとの物価上昇率を仔細にみると、生鮮食品を除くCPI(コアCPI)は0%近傍で推移していますが、食料・エネルギーを除くCPIの上昇率は約0.6%と、コアCPIを上回ります。コアCPI上昇品目割合も65%程度へ上昇しています(図表5)。売上増加を伴う物価上昇もみられ、物価の基調は悪くないと言えます。日本銀行は、今年度後半以降、実際の物価上昇率は伸びを高めていくとみており、上昇傾向が定着すれば、予想インフレ率も2%程度に向けて緩やかに上昇していくと予想しています。

  1.   3  実際の物価上昇率と短期の予想インフレ率は、1997年度と2014年度の消費税率引き上げ、2008年初めのコモディティ価格急騰の影響を受けて、大きく上昇している点に留意が必要です。

物価安定目標とほぼ整合的なユーロ圏の中長期予想インフレ率

一方、ユーロ圏におけるエコノミストによる中長期の予想インフレ率は、ユーロ導入当初から2%程度で安定していました(図表6)。ここには、導入前の数年間にわたって実際の物価上昇率が2%前後で推移していたこと、ECBが当初から物価安定を「中期的に2%未満」と定義したことが影響していると思います。さらに、2003年に「中期的に2%近傍、2%未満」へと定義をより明確にしたことで、インフレ予想が一層安定したようにみえます。

しかし、2012年から実際の物価上昇率が低下し続けており、状況に少し変化が生じました。低下の原因は、需給ギャップの再度の悪化とコモディティ価格の下落によって幅広い品目で物価上昇率が下落したことにあります(図表7、8)。ただし、食料・エネルギーを除くHICPは1%前後を保っています。物価上昇率の低下に伴って、短期の予想インフレ率が大きく低下しており、中長期の予想インフレ率も幾分低下して1.8%程度となっています。5年先5年のインフレスワップ・レートも、2014年半ばから下落傾向を強め、2015年初には1.5%程度まで低下し、ディスインフレリスクが懸念されました。その後は、ECBによる国債等の買入れ(アナウンスメントを含む)効果や経済・物価の予想外の改善もあって、一旦は2%弱の水準に回復しましたが、ごく足もとでは原油価格の再下落等によって目標との乖離が幾分拡大しています(前掲図表6)。インフレスワップ・レートの足もとの下落は、日本でもみられており、予想インフレ率の低下というよりも、原油価格下落によるインフレリスク・プレミアムの低下を反映している可能性があるとみています。

物価動向と乖離する日本の家計の物価感:ユーロ圏との違い

次に、日本とユーロ圏の家計の物価予想について、支出行動と共に、比較可能な先行き1年程度を中心にみていきます。日本銀行の「生活意識アンケート調査」をもとに、(1)現在の物価に対する実感D.I.、(2)1年後の物価予想D.I.、(3)1年後の支出予想D.I.について2006年6月からのデータを用います。ユーロ圏については、欧州委員会の「ビジネス・消費者調査」から、(1)過去12か月の物価上昇D.I.、(2)先行き12か月の物価予想D.I.、(3)先行き12か月の主要消費項目(家具、家電製品等)の支出予想D.I.について1999年からのデータを使います。

日本とユーロ圏にみられる共通の特徴として、世界的な金融危機直後の一時期を除いて、家計は足もとの物価が上昇したと常に実感していること、将来の物価も上昇していくと予想していることが窺えます(図表9、10)。消費支出についても、将来の支出を減らすと予想する傾向が共通してみられます。以上より家計は、物価上昇による予算のタイト化を意識し、将来の消費を減らす見通しを立てているようです。

異なる特徴がみられるのが、実際の物価動向と家計の物価感(及び物価予想)の関係です。ユーロ圏では、足もとの物価実感と物価予想は、実際の物価動向とほぼ整合的です。他方、日本では、2009年から2013年半ばまでの緩やかなデフレ局面でも、足もとの物価実感(世界的な金融危機直後の一時期を除く)と物価予想は常にプラス水準にありました。最近でも実際の物価上昇率は0%近傍まで低下していますが、足もとの物価実感は上昇傾向を維持しており、物価予想も比較的高い水準で横ばいとなっています。このことから日本の家計は、物価統計とは異なる物価感を持ち続けていることが示唆されます。この点、日本の家計の足もとの物価実感や物価予想は、食料品やガソリン等の頻繁に購入する品目の影響を大きく受け、それによる回答の上方バイアスが大きいことが知られています。これは強い生活防衛意識の現れだと思いますが、そうだとすれば2%目標に向けた物価上昇は、家計には2%を上回る物価上昇と実感され、受け入れ難いと感じられる可能性があります。そこで重要となるのが、日本銀行が目指しているのは消費の持続的な拡大を伴う緩やかな物価上昇であるとの理解が広がり、賃金の継続的な改善によって物価上昇に対する家計の許容度が高まっていくことです。

大きく低下し日本に近づいたユーロ圏企業の物価予想

企業については、日銀短観と欧州委員会の前述調査をもとに、比較が可能な3か月先の販売価格の予想D.I.をみていきます(図表11)。まず注目したいのが、日本の販売価格予想D.I.は、実際の物価上昇率がまだプラスであった90年代前半から、殆どの期間でマイナス領域で推移していることです。このうち製造業では、世界的な金融危機以降改善傾向にありますが、足もとでもまだマイナス領域にあります。一方、ユーロ圏では振れが大きいものの、世界的な金融危機前まではプラスの状況が多く、販売価格を引き上げ易い状況でした。しかし、欧州債務危機が深刻化した2012年以降は0%近傍で推移し、販売価格を引き上げにくい日本と似た状態に陥っています。ただし、ドイツについては、足もとで販売価格が低下していても予想D.I.は概ねプラスで推移しており、差別化された付加価値の高い製品を供給していることが背景にあると考えられます。

非製造業の販売価格の予想D.I.については、日本ではQQE導入後に僅かにプラスに転じてからは概ね横ばいで推移しています。一方、ユーロ圏では振れが大きいものの、欧州債務危機以降は停滞しています。このうち、サービスと小売では足もと幾分回復してプラス領域にありますが、日本と同じく低水準に留まっています。建設については世界的な金融危機以降、殆どの期間、大幅なマイナス領域で推移しています。ドイツについてはサービスの回復が著しく、現在では世界的な金融危機前の水準を上回って推移しています。他方、小売は足もとではプラス領域ではあるものの水準は低く、消費回復はまだ万全ではないようです。建設については以前からマイナス領域の時期が多く、現在も低水準で推移しています。

まとめ

ユーロ圏では家計・企業の短期の物価予想は低下し、足もと低迷していますが、エコノミスト・市場の中長期の予想インフレ率は物価安定目標とほぼ整合的な水準にあります。従って、家計・企業の物価予想の低下は一時的で、景気回復とともに上昇に転じていく可能性が示唆されます。

一方、日本では、原油価格を除くと物価上昇傾向が定着してきたこともあってエコノミスト・市場の中長期予想インフレ率は1%前後で推移しています。このことから、現在はまだ低い企業の販売価格予想が、今後は上昇していく可能性が示唆されます。また、家計の物価予想は回答の上方バイアスもあって常に高くなる傾向があり、実際の物価動向との乖離がみられます。しかし、持続的な賃金上昇によって物価上昇への許容度が高まり、2%目標への理解がもっと広がれば、2%程度を予想する家計が増えてバイアスが是正される可能性もあります。以上より、2%目標の実現に向けて、当面は金融緩和的環境を維持して景気を下支えし、同目標の周知を図っていくことが重要だと思っています。

ご清聴ありがとうございました。