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【挨拶】日本の金融システムの現状とマクロプルーデンス政策

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パリ・ユーロプラス主催フィナンシャル・フォーラムにおける挨拶の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年12月7日

目次

はじめに

本日は、パリ・ユーロプラス主催のフィナンシャル・フォーラムにお招き頂き、誠に光栄に存じます。話を始める前に、先般のパリ同時多発テロの犠牲となった方々に対して、心より哀悼の意を表します。

先般の国際的な金融危機以降、金融安定を確保するためには「実体経済と金融資本市場、金融機関行動などの相互連関に留意しながら、金融システム全体のリスクを分析・評価し、それに基づいてシステミックリスクの顕現化防止に向けた制度設計・政策対応を図ることが必要である」という考え方―「マクロプルーデンス」の考え方―が広く共有されるようになっています。

以下では、マクロプルーデンスの観点からみた、日本の金融システムの現状について評価するとともに、マクロプルーデンス政策を巡る幾つかの論点について、私なりの考え方をお話ししたいと思います。

金融システムの現状評価

まず、わが国の金融システムの現状についてです。日本銀行は、一昨年の4月から「量的・質的金融緩和」を推進しており、2%の「物価安定の目標」の実現に向けて着実に効果を発揮しています。申すまでもなく、金融システムはこの政策の重要な波及チャネルであり、2年半の間に、(1)長期金利の低位安定と信用リスクプレミアムの低下、(2)金融機関や機関投資家のポートフォリオ・リバランスの進展、(3)資産価格への波及、といったプラスの効果がみられています。先行きについても、金融機関が強い資本基盤を備えるもとで、引き続き、金融仲介機能の活発化が展望できると考えています。

このように、「量的・質的金融緩和」の効果は金融面にも着実に現れていますが、マクロプルーデンスの観点からみると、金融活動が活発化するほどに、これが行き過ぎや歪みに繋がっていかないかという点への目配りも重要となります。現在の金融政策運営の枠組みのもとでは、より長期的な視点を踏まえつつ、経済・物価に大きな影響を与えるリスク要因として、金融不均衡を点検することとしています。そうした点検作業の一環として、日本銀行が半年に一度公表しているのが金融システムレポートです。このレポートでは、金融機関のリスクテイクと財務基盤のバランスの分析、マクロ的なストレステストの実施、金融不均衡を示唆するリスク指標のモニタリングなど、多様な切り口から金融システムの安定性をフォワード・ルッキングに評価するとともに、金融安定への課題を提示しています。こうした点検の結果を踏まえると、現状においては、金融面での大きな不均衡はみられていないと考えています。もとより、引き続き予断を持つことなく継続的に点検していく考えです。

マクロプルーデンス政策

次に、マクロプルーデンス政策についてお話しします。近年、この分野では、国際的に様々な議論や実践が積み重ねられており、(1)バーゼルIIIや「大き過ぎて潰せない」問題への対応など、金融システムの頑健性を高めるための「構造面の施策」が着実に進められてきているほか、(2)多くの国で、金融循環の行き過ぎた振幅や不均衡の蓄積を抑制することを狙いとするマクロプルーデンス政策手段―構造面の施策と区別して「時間可変的な政策」と呼ばれることもあります―が活用されるようになっています。以下では、これらのマクロプルーデンス政策を巡る幾つかの論点に触れておきたいと思います。

第一は、「時間可変的な」マクロプルーデンス政策手段の選択と実践についてです。昨今、諸外国で採用されている政策手段の多くは、カウンターシクリカル資本バッファー(CCB)やLTV(Loan to Value)比率といった規制上の比率を、金融循環に対して抑制的に動かすものです。来年には、わが国も含め、世界各国でCCBの枠組みが導入される予定となっています。既に実際の適用を始めた一部の国からは、住宅市場など過熱がみられるセクターに有意な影響を及ぼしているとの評価が聞かれる一方、(1)政策の発動から効果発現までのラグ、(2)シャドーバンクなど規制対象外のセクターや海外への効果の漏れ、あるいは(3)住宅など特定のセクターを対象とする施策の場合には、政府の他の関連施策との整合性など、効果を巡る不確実性の大きさや運用面の課題を指摘する見解も少なくありません。金融循環に対してタイムリーに効果を発揮できなければ、かえって金融の振幅を大きくしかねないリスクがあります。規制比率のような「ハード」な手段をカウンターシクリカルに操作していく政策は、比較的経験の浅い分野でもあるだけに、今述べた様々な課題への対応も含め、如何にアカウンタブルな―説明責任を果たしうる―運営を確保していくかが重要な課題になっているように思います。

これに関連して強調しておきたいのは、金融の不均衡に対処していく上で、中央銀行や金融当局の監督指導―金融システムの安定性評価に基づいて注意喚起を行ったり、金融機関に対して指導や助言を行っていく「ソフト」なアプローチ―が重要かつ有用であるという点です。監督指導は、一義的にはミクロプルーデンス政策手段と位置付けられますが、マクロ的な課題認識を踏まえて横断的・集合的に運用することで、マクロプルーデンス政策としての効果を発揮することができます。また、CCB等のハードなアプローチに比べて、よりフォワード・ルッキングかつ柔軟に対応することが可能です。こうした認識のもと、日本銀行は、金融システムレポートを通じて金融安定に向けた課題とリスクを対外的に提示するとともに、考査やモニタリングを通じてこれらに具体的に対処していくことをマクロプルーデンス政策の一環と位置づけています。

第二は、「構造的な」マクロプルーデンス政策としての国際金融規制についてです。国際金融規制の見直し作業は、いよいよ最終段階に入りつつあります。バーゼルIIIや、TLACをはじめとする「大き過ぎて潰せない」問題への対応は、グローバル金融システムの強靭性を大幅に高めるものです。また、世界の金融当局や金融業界が、様々な利害を乗り越えて国際規制という共通理解を生み出してきたこと自体、今後も生じるであろう様々な課題や危機に対処しうる国際協力の基盤を作ったという意味で、大いなる前進であったと思います。

そう申し上げた上で、来年末のバーゼルIIIの最終化期限やその後の段階的適用開始を展望して、今後の課題を幾つか挙げておきたいと思います。

一点目は、最終化における包括的水準調整(カリブレーション)の重要性です。残された検討項目の中には、様々なリスクアセットの計測方法など、極めて技術的かつ専門的な検討を積み重ねていく作業が少なくありませんが、その帰趨はマクロ的な所要自己資本の水準や金融機関のリスクテイク行動に大きな影響を及ぼすこととなります。最終化にあたっては、包括的な視点から影響を点検し、全体としてのリスクアセットや所要自己資本が適切な水準となるようカリブレーションを行うことが重要であると思います。

二点目は、規制実施後の効果・影響に関するレビューの必要性です。これまで進められてきた国際金融規制の見直しは「抜本的な再設計」と言っても過言ではない大規模なものです。また、それぞれの国においても、米国ボルカールールに代表されるような大きな金融構造改革が進められています。これらが全体として、国際的な金融仲介活動や資金の流れにどのような効果・影響を及ぼしていくかはまだ未知数であり、しっかりモニターしていく必要があります。長い目でみて金融システムが安定を確保し、経済の持続的な発展に貢献していくには、金融機関が活力と創造性に満ちた金融仲介活動を展開し、適切な収益を確保していくことが必要であるためです。そうした観点から、過剰な規制や規制間の不整合、規制環境の不透明さを取り除いていく取り組みが重要だと思います。

おわりに

最後になりますが、マクロプルーデンス政策を巡っては、本日触れなかった点を含め、様々な論点があります。マクロプルーデンス政策の制度的枠組みのあり方もその一つです。もとより、各国の金融・経済構造や法制度は異なるため、普遍的な最適の枠組みというものが存在する訳ではありません。また、どのような枠組みが望ましいかは、どのような政策手段の活用を想定するかによって異なる面もあります。近年の諸外国の動向をみますと、規制・監督当局が複数に亘る国では、マクロプルーデンス政策を担当する新たな組織や合議体を設立する動きが少なからずみられます。わが国では、法的権限を持って業態横断的に監督・検査を行う金融庁と、「最後の貸し手」機能の発揮等を通じて金融システムの安定に貢献する日本銀行が、それぞれの機能を活かしつつ、連携してマクロプルーデンス政策に取り組む体制となっています。昨年6月からは「金融庁・日本銀行連絡会」を発足させ、こうした連携をより強化しています。日本銀行としては、こうした枠組みも活用しながら、金融システムの安定確保に貢献していく所存です。

ご清聴ありがとうございました。