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【講演】マイナス金利付きQQEと日本経済

公研セミナーにおける講演

日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2016年5月27日

目次

1.はじめに

日本銀行が、2013年4月に量的・質的金融緩和(QQE)政策を導入してから3年余りたっています。その間、2014年10月にはQQEの拡大を行いましたし、2016年1月には、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策」を導入いたしました。

金融政策には、経済界、マーケットの方々には大きな関心を持たれますが、一般の方々のご関心はそれほど大きくないというのが通常と思います。ところが、マイナスという言葉にインパクトがあったのか、このマイナス金利政策には、かなり幅広い層からの関心が寄せられたと思います。

本日は、日本銀行がこれまで行って参りました金融緩和政策、特に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策」、その考え方や実体経済への波及についてお話しさせていただきたいと思います。

2.マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策の考え方

「マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策」は、これまでの量的・質的金融緩和とは異なるものだという議論が一部にはありました。しかし、これは、これまでの金融緩和政策と同じ考えに基づくものです1

やや理論的な話になりますが、自然利子率という概念があります。これは経済を不況にも過熱にもさせない、ほど良い利子率があるという考え方です。金融政策の目的は、現実の利子率をこの自然利子率との関係で適切な水準にコントロールすることで、経済をほど良い状態にしておくことになります。具体的には、消費者物価上昇率を長期的に2%程度にしておくということです。この2%の物価上昇率の下で、失業率も低下し、成長率もそれなりに高く、景気が良好という状態を保つことができると考えています。

しかし、長いデフレと経済停滞が続いて、金利はほとんどゼロになってしまいました。名目金利だけを考えていたのでは、金利をこれ以上下げることは難しく、経済をほど良い状態にすることができなくなってしまいました。そこで行ったのが、2013年4月の量的・質的金融緩和です。これは、マネタリーベースを拡大し、予想物価上昇率を引き上げ、実質金利すなわち名目金利マイナス予想物価上昇率を引き下げて、経済を良い方向に持っていこうというものです。

2014年10月には、消費税増税後の日本経済の停滞や原油価格の大幅な下落が物価の下押し要因として働くもとで、デフレマインドの転換が遅延するリスクに対応して、マネタリーベースの増加ペースをさらに拡大しました。2016年1月には、年初来の世界的な金融市場の変調から、わが国の企業のコンフィデンスあるいは人々のデフレマインドの転換に影響が出てくるリスクが高まっていると見られました。また実体経済の悪化を示す指標もありました。図表1は、IMFの世界経済見通しの推移を見たものです。横軸は見通し作成時期、縦軸は成長率です。3本の線は、それぞれ2015、2016、2017年の見通しです。3つのグラフは、左から先進国、新興国・途上国、世界計の成長率見通しです。これを見ますと、見通しの作成時期が最近になるほど成長率が低下しているのが分かります。すなわち、世界経済は、IMFのスタッフの予想を超えて期を追うごとに悪化してきたということになります。

こうしたリスクの顕現化を未然に防ぐために、2016年1月には、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を行いました。これは名目金利をマイナスにするわけですから、実質金利も当然に低下します。マイナス金利付き量的・質的緩和も、それ以前の量的・質的緩和も、実質金利を引き下げて、経済を良い状態にしようとすることでは同じです。

  1. なお、2001年から2006年に行われた量的緩和政策も同じような試みと考えられ、成果を上げているが、現在の政策との違いは、2%という明確な物価目標と予想物価上昇率に働きかけるという考えがなかったという点である。

自然利子率を高めるべきか

ここで実体経済を良くするために、なんとか金利を下げようという発想で考えていますが、そもそも自然利子率が低すぎるのが問題で、それを上げるべきだという議論もあり得ます。日本経済の効率を高めて成長率を高くすることができれば、自然利子率も高くなりますから、金融政策でなんとかして金利を下げなくても良くなります。そのためには成長戦略が大事だという議論です。

議論としては分かりますが、ではどうやって、どのくらい成長率を高めることができるのかという具体論はあまりないようです。そもそも、先進国の中で、日本の実質経済成長率は低いですが、人口当たりでは中くらい、経済活動人口(15~64歳人口)当たりでは高い国になっています。1970年代までの中国、80年代までのインドのように、極めて非効率な統制経済を自由化すれば容易に成長率を高めることができますが、かなり自由な経済をもっと自由な経済にして一挙に成長率を高めることは難しいでしょう。もちろん、念のために申し上げますが、私は自然利子率を引き上げることのできる正しい成長戦略の実行には大賛成です。

多くの方が、技術革新による新製品や高加価値品の投入や既存の生産技術の効率化を成長戦略だと考えておられるようです。しかし、効率を高めるためにもっとも重要なのは、儲からない仕事を止めることです。企業がおかしなことに手を染めたり、経営破綻に追い込まれたりするのも、儲からない仕事を無理やり続けようとするからです。

企業経営において、しばしば「選択と集中」の重要性が指摘されます。儲からない仕事で儲かるように頑張るより、儲けることが可能な分野に経営資源を集中させることの方が、日本全体の成長力を高めることになると思います。

儲からない仕事を止めれば、人が余ります。現在、人手不足なのですから、余った人が、より生産性の高い仕事に就けるようにすれば良いのです。高度成長の前、狭い田畑を多くの人が耕していました。いくら耕しても、生産性は上がりません。農村の余剰人口が都市で働くことで生産性が高まり、高度成長が実現しました。これは日本だけのことではなくて、これまで高度成長を成し遂げてきたすべての国と地域―香港、シンガポール、台湾、韓国、中国、インド、ASEANの国々―すべてに当てはまることです。もちろん、現在、日本の農村に大量の余剰労働力があるわけではありません。しかし、儲からない産業には、余剰人口があるのです。儲からないことを止めることこそが、最大最良の成長戦略だと申し上げておきたいと思います。

いずれにしろ、成長戦略で自然利子率を引き上げることと、金融政策で実質利子率を引き下げることは、どちらかをしたら他方ができないというものではありません。両方すればなお良いと申し上げておきます。

また、金利をなんとか下げようという発想に対して、金利を下げれば債券市場の機能が低下するから、金利を下げるべきではないという議論もあります。しかし、そのような議論は、債券市場が、実体経済を良好な状態にもっていけるだけ金利を低下させることができないという機能不全を起こしているということを忘れているのです。

以下、マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策の概略を説明した後、金融緩和政策の結果、何が起き、どういう問題があるのかについてご説明していきたいと思います。

3.マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策の仕組み

マイナス金利という言葉が大きな反響を呼び、一般の方々には、通常の預金金利もマイナスになると誤解されたことがあったと思います。しかし、マイナスにするのは民間金融機関が日銀に預ける預金、日銀当座預金残高の一部の金利をマイナスにするということです。その仕組みは図表2の通りです。

一見複雑そうですが、理屈は簡単です2。金融機関が日本銀行に持っている当座預金残高を基礎残高(0.1%の付利が付く部分)、マクロ加算残高(ゼロ金利の部分)、政策金利残高(マイナス0.1%の金利の部分)に分けて、マイナス金利が適応されるのは政策金利残高の部分だけという仕組みです。日本銀行は年間80兆円マネタリーベースを供給していきますので、全体として当座預金は増加し、マイナス金利の適用部分が多くなっていきます。そこで、3か月ごとにゼロ金利が適用される部分を増加させ、マイナス金利が適用される部分がそれほど大きくならないようにします。直近の4月積み期では、従来通りの0.1%を付利する部分が209兆円、ゼロ金利部分が45兆円、マイナス部分が21兆円です。

このように3階層の構造としたのは、金融機関収益への直接的な影響をできるだけ小さくなるようにするためです。当座預金残高を増やすのは、そのお金をより有利な運用先に充ててほしいからです。内外の貸出はもちろんですし、経済全体としてリスク性資産(株式、不動産など)への運用が増えるようにです。そのためには、当座預金にはわずか0.1%であれ付利しない方が、より効果があると考えられます。しかし、すでにその政策を実施し、それを前提として多くの金融機関が行動している中で、ここでいう約210兆円の基礎残高を含め、根こそぎ付利をゼロにしたり、マイナスにしたりすれば混乱が起きかねません。また、金融機関の収益状況を悪化させる可能性もあります。そこで、緩和効果を大きく、金融機関の収益への影響を小さくできる3層構造の仕組みを採用したわけです。

マイナス金利の付く政策金利残高は10~30兆円に過ぎないのですが、これで金利は明確に低下しました。図表3に見るように、すべての期間の国債金利が低下し、イールドカーブ全体を押し下げています。図には2013年4月の量的・質的金融緩和、2014年10月の量的・質的金融緩和の拡大の前後に何が起きたかも分かるように書いてあります。図に見るように、「量的・質的金融緩和」で10年物国債金利は0.3%ポイント、「量的・質的金融緩和の拡大」で0.2%ポイント余り、今回の「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」で0.3%ポイント低下しています。すなわち、「量的・質的金融緩和」以前と比べて、10年物の国債金利は0.9%ポイント低下しました。この間、予想物価上昇率が変化しなかったとしても実質金利を低下させ、これが経済を好転させるはずです。なお、日本銀行の研究によれば、量的・質的金融緩和導入後の2年間で、試算により幅はありますが、実質金利を0.7~0.9%ポイント低下させ、GDPギャップを+1.1~3.0%ポイント縮小させたとしています3

  1.  2 実務面のより詳細な説明は「日本銀行当座預金のマイナス金利適用に関する実務面のQ&A(取引先金融機関等向け)」を参照。
  2.  3 「量的・質的金融緩和:2年間の効果の検証」日銀レビュー、2015-J-8。

ゼロ金利政策と金融仲介機能

ここでイールドカーブが寝ている、すなわち、短期の金利に比べて長期の金利は高いが、その程度が低くなっていることについて、金融機関の利益を損ない、ひいては金融緩和効果を却って阻害するものだという議論があります。確かに、金融機関とは資金を短期で調達して長期で運用するものですから、イールドカーブが立っていれば利益は大きくなります。しかし、これだけでは本来銀行が期待されている金融仲介機能を十分に果たしているとは言えません。

金融仲介機能とは、貯蓄超過部門である家計から貯蓄を集め、貯蓄不足部門である企業に、その投資プロジェクトの収益性を審査して貸し出すことです。ところが、現在、企業は貯蓄超過部門になっており、お金を借りてくれません。

企業が貯蓄をため込んで投資をしないのは、デフレが長期にわたって続き、投資意欲を減退させているからです。デフレが終われば、企業は投資意欲を取り戻し、銀行からの借入れ需要も増大するはずです。すなわち、銀行の貸出も増大し、銀行の利益も上がるはずです。

また、量的・質的金融緩和の開始以来、銀行の利益は高い水準で安定しています。これは景気好転によって貸出先企業の経営が改善し、貸し倒れのコスト、信用コストが減少しているからです。図表4は、銀行や信用金庫の当期純利益とコア業務純益の推移を見たものです。「量的・質的金融緩和」以来、金融機関の利益がどの業態で見ても高水準にあることが分かります。一時点の金利のイールドだけで得か損かを考えるのではなく、日本経済全体の回復が金融機関経営を大きく改善したことを考える必要があります4

金融機関が損失を被るから量的緩和やマイナス金利に反対だというのは、一部の業界が損失を被るからTPPに反対だというのと同じです。金融政策も通商政策も経済全体のことを考えて行わなければなりません。日本経済全体を強くすることで、銀行業も利益を受けます。また、銀行業も強くならなければなりません。

  1.  4 当期純利益は業務純益から税金等を差し引いた最終的な利益。業務純益は、預貸取引や手数料、債券などの売買損益等から経費を差し引いた利益で、コア業務純益は、業務純益から変動の大きい債券関係損益、一般貸倒引当金繰入額を差し引いたもの。近年、コア業務純益が安定して推移する中で、当期純利益が急激に改善しており、一般貸倒引当金繰入額の減少が利益改善に大きく寄与していることが分かる。

マイナス金利政策への反発と金利低下

ここでマイナス金利政策への反発が強いことについて考えてみたいと思います。先日お会いした経営者の方で、マイナス金利という言葉が良くないとおっしゃった方がいました。この方は、付利を引き下げるにしても、新たにマイナスの部分を作るのではなく、従来通りの基礎残高の200兆円余りの部分の付利を引き下げて0.05%にするかゼロ%にすれば良かったのではないかとおっしゃっていました。それほど「マイナス」という言葉の持つインパクトが大きかったのだと思いました。

中には、マイナス金利にしたから、予想成長率や予想物価上昇率が低下するのだという方もいらっしゃいます。しかし、このような考え方が誤りであるのは、逆に金利を引き上げたら何が起きるかを考えてみれば分かります。不況期に金利を引き上げれば、経済はますます悪化して実質GDPの成長率も物価上昇率も低下するでしょう。結果、金利はさらに低下してしまいます。

多くの金融関係者が、マイナス金利付き量的・質的金融緩和政策をしたのが良くないというのは、2013年4月の量的・質的金融緩和政策以来の日銀の金融政策によって金利が低くなり、かつ、イールドカーブがフラットになったことで金融機関が利益を上げることが難しくなったからでしょう。しかし、金利の低下は、必ずしも最近の日本銀行の政策によるものではありません。それはむしろ、これからお話しするように、日本銀行の長期の政策によるものです。

4.金利低下の要因

図表5は主要先進国の長期金利の動きを示したものです。日本の金利が低いことは明らかですが、どの国の金利も長期的に低下してきています。直近では、米国は1.83%、英国は1.41%、ドイツは0.15%、日本は-0.13%です。ところが、1990年代初にはどの国も6%以上でした。金利の低下は日本だけで生じているのではないのです。

長期的にみて日本の金利が低下したのはなぜかと言えば、名目GDPの上昇率が低下したからです5。名目GDPの成長率が低いとは、実質GDPの成長率も物価上昇率も低かったということです。このような状況ではお金を借りて設備投資をしても儲からず、皆がお金を借りてくれないので金利は下がってしまいます。

図表6に示すように、名目GDPの伸び率は低下しています。日本の場合、1990年代初まで前年比5%以上だった名目GDPの上昇率が、1990年代2.0%、2000年代にはマイナス0.7%、2010年代(2010~15年、以下同じ)1.0%と1990年代以降、平均してほとんどゼロになっています。日本の名目GDPは1997年でピークの523兆円となり、量的・質的金融緩和政策を始める前の2012年の475兆円まで、増加するどころか縮小してしまいました。しかし、その後の3年間で、2015年には499兆円と、わずかですが上昇しています(2014年の消費税増税の効果を除く6と493兆円)。

なぜ名目GDPが低下したかと言えば、図表7と図表8に見るように、実質GDPの伸び率もGDPデフレータの伸び率も低下したからです。

  1.  5 Hibiki Ichiue and Yuhei Simizu, "Determinants of long-term yields: A panel data analysis of major countries", Japan and the World Economy 34-35 (2015) 44-55(一上響・清水雄平「長期金利の変動要因:主要国のパネル分析と日米の要因分解」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No12-J-6、日本銀行、2012年5月)によれば、長期金利の低下は、予想インフレ率と労働生産性予想上昇率の低下によって説明できるという。現実のインフレ率と労働生産性上昇率の低下は、適応的にその予想も低下させるから、金利の低下を、実質GDPと物価の上昇率の低下で説明できることになる。
  2.  6 消費税導入の消費デフレータに対する影響は消費者物価指数と同じで、GDPデフレータに対する影響はその6割とした。具体的には3%導入時は1.2%、5%増税時は0.9%、8%増税時は1.2%を差し引いた。

実質GDP成長率はなぜ低下したか

日本の場合1980年代に年率4.4%だった実質GDPの成長率は、1990年代には1.5%、2000年代では0.6%、2010年代では1.3%と低下しました。GDPデフレータの伸び率は、1980年代の1.8%から1990年代には0.5%へと低下し、2000年代ではマイナス1.2%と低下し、2010年代でもマイナス0.3%です(消費税増税の効果を除くとマイナス0.5%)。日本は極端ですが、どの国でも低下しています7

ではなぜ日本の実質GDPの成長率が低下したのでしょうか。これには様々な議論があって、これを紹介していると話が終わりませんので、簡単に私の考えをまとめておきます。日本の成長率の低下は、TFP(技術進歩)、資本投入、労働投入のそれぞれがほぼ同じように寄与して低下したことで説明できると思います。ただし、資本投入と労働投入が減少したのは、不十分な金融緩和政策で長期間デフレが継続したことが大きく影響していると思っています8。これについては多くの文献があります。様々な考えの論者の主張を掲載したうえで相互に議論しているものを一つだけ文献として挙げておきます9。ともかく、実質GDP成長率のトレンドが低下すれば、やがて実質金利は低下します。

  1.  7 リーマン・ショック後の世界的な成長率の低下については池田大輔・黒住卓司「金融危機後の景気回復はなぜ緩慢なのか:金融政策運営への含意に関する一考察」日銀リサーチラボ、15-J-2、日本銀行、2015年3月14日)を参照。
  2.  8 原田泰「検証2 バブル後のマクロ経済 失敗を繰り返してきた金融政策」竹中平蔵編著『バブル後25年の検証』東京書籍、2016年
  3.  9 浜田宏一・堀内昭義・経済社会総合研究所編『論争 日本の経済危機』日本経済新聞社、2004年。

なぜ物価は上がらなかったのか

GDPデフレータが低下したのは、金融緩和が不十分だったからです。物価が上がらないのは人口が減少するからだ、成長率が低下するからだ、中国など新興国から安い商品が入ってくるからだなどの議論がありますが、私は、それらはすべて誤りだと考えています。

人口が減るのは需要減少要因ですが、同時に供給減少要因だからです。需要も供給も両方減るのですから、デフレの理由にはなりえません10

実質経済成長率の低下も同じです。成長率が低いから物価が上がらないという議論は根強いものがありますが、成長率の低下で期待成長率が低下するのは需要減少要因ですが、長期的には供給減少をもたらす要因でもあるからです。この議論について考えるために、逆の場合について考えてみましょう。経済成長率が上がって、将来の所得が上がると確信できれば、今無理をしても欲しいものを買うでしょう。確かに、高度成長の時、人々は月賦で(つまり借金をして)、家電製品や車を買いました。しかし、高度成長の結果、将来、供給力も増えるのですから、必ずしもインフレにはなりません。ではなぜ高度成長期にインフレになったのか(当時は5%程度のインフレでした)と言えば、先述の自然利子率の考え方で説明できます。当時の実質GDP成長率はほぼ10%、それに対し名目金利は10%以下でしたから、実質利子率はむしろマイナスでした。自然利子率より、利子率が低かったから景気が過熱してインフレになったのです。

図表9は、実質GDPの成長率とインフレ率の関係を見たものです。グラフに見るように、成長率とインフレ率の間には何も関係がなく、成長率が低く、インフレ率が高い国はたくさんあります。

また、中国からの安い商品は世界中に輸出されていますが、長期にデフレになったのは日本だけです。また、最近までの資源を含む中国の爆買いはむしろ需要拡大でインフレ率を上げる要因と理解されていたと思います。ただし、直近の中国は供給過剰が懸念されており、中国の安値輸出がデフレ要因とされています。しかし、それは直近の話です。日本の長期的なデフレ要因とは言えないでしょう。物価は、長期的には金融政策が決めるのです。

  1.  10 世界でも日本でもひろく使われているマンキューの経済学入門の教科書でも、人口減少のデフレ理論は明確に否定されている。この教科書の応用問題に「以下の出来事がそれぞれ短期の総供給曲線や総需要曲線をシフトさせるかどうか説明しなさい。曲線をシフトさせる出来事については、図を用いて経済に対する影響を示しなさい(影響を示すとは、生産と物価がどうなるかを答えなさいという意味)」とあって、出来事の3番目に、「海外での就職の機会が増えたために、多くの人が海外へ移動した」というのがある(N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー経済学 IIマクロ編[第3版]』521頁、第15章応用問題9.東洋経済新報社、2014年)。人が海外に移動するとは、人口が減少するのと同じである。答えは、「人口が減れば需要も供給も減る。生産は減るが、物価が上昇するか下落するかは総供給曲線と総需要曲線がどれだけシフトするかによるから、分からない」である(原田泰「『人口デフレ論は誤り。低成長率はインフレ要因になる』と経済学者はなぜ言わないのか」WEBRONZA、2015年01月27日、http://webronza.asahi.com/business/articles/2015012100005.html)。

金融政策と金利の関係

もう少し具体的に、金融政策と金利の関係を見てみましょう。図表10は、短期金利と長期金利と名目GDPの前年比伸び率を示したものです。金利がプラスの時代には、金融政策は、インフレや景気過熱やバブルの恐れがあれば短期金利を引き上げ、不況やデフレの恐れがあれば短期金利を引き下げて、経済をほど良い状態にしておくものでした。

1980年代の末、景気の過熱とバブルが生じましたので、金利を引き上げ、バブルを潰そうとしました。その結果、バブルが崩壊し、経済は不況に突入しました。名目GDPの成長率が思った以上に急激に低下し、ついにはマイナスになってしまいました。そこであわてて短期金利を引き下げていきました。ところが、1995年に金利を0.5%にまで下げても、名目GDPの成長率は1%程度にしか上がりませんでした。長期金利は、この間にもどんどん下がって行きました。ここに金融不良債権ショックが襲います。1997年11月には、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行が破綻します。さらに、1998年10月には日本長期信用銀行が、同年12月には日本債券信用銀行が実質破綻(国有化)し、名目GDPの成長率はマイナスになってしまいました。日本銀行は1999年2月にゼロ金利政策を導入しましたが、回復は遅れ、長期金利はさらに低下しました。

その後、世界的ないわゆるITバブルで日本経済に回復の兆しが見えた時、2000年8月にゼロ金利を解除し、金利を引き上げました。しかし、その後、むしろ長期金利は低下しました。ITバブル崩壊で、日本が不況になったからです。やむなく2001年3月からは金融市場調節の操作目標を金利から日本銀行当座預金残高に変更する、「量的緩和政策」に踏み切りました。その後、日銀当座預金残高の目標を累次引き上げていきましたが、2006年3月には、物価上昇率はゼロ%前後でしたが、量的緩和政策を解除しました。さらに7月には、金利を引き上げています。その後、2009年の世界金融危機で、長期金利はさらに低下しました。現在、ゼロ金利またはマイナス金利の下で量的・質的金融緩和を行っていますが、長期金利の低下は止まりません。すなわち、現在の低金利は、過去に景気が十分に回復していないときに金利を引き上げた結果生じたものと私は思います。

現在は、景気が十分に回復し、2%の「物価安定の目標」を安定的に持続するまで、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を継続するという政策を行っています。これは物価が本当に上がってから金融を引き締めるということですから、金融政策の大きな転換があったということです。2%のインフレターゲット政策とは、そういうことです。これは、名目GDPの上昇率を回復させる政策でもありますから、いずれ長期金利が上がってくるはずです。

このように、金利を引き上げたら長期金利が下がったという例は、ユーロ圏でも見ることができます。リーマン・ショック後の2011年4月、ECB(欧州中央銀行)が、経済が回復したと思って政策金利を上げたところ、前掲図表5に見るように、ドイツとフランスの長期金利が急速に低下してしまいました。

5.マイナス金利導入後の実体経済

今回の「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」以来、まだ4か月しかたっていませんが、いくつか明るい兆しがあります。まず、住宅ローン金利の低下から、借換えの動きがあります。ただし、新規の住宅ローンの拡大はまだ見られないようです。しかし、短観の結果を見ても、企業から見た金融機関の貸出態度は一段と緩和していますし、借入金利水準の判断は近年にない大幅な低下となっています。また、CPや社債の発行レートも大きく低下しています。マイナス金利で発行されたCPも見られます。

次に、マイナス金利を採用した欧州の国々の状況を見てみます。デンマーク、ユーロ圏、スイス、スウェーデンでは、政策金利をそれぞれ、-0.65%、-0.4%、-0.75%、-1.25%まで引き下げましたが、マイナス金利に伴う金融混乱は起きていないようです。ここでいう混乱とは、金利の乱高下です。次に、実体経済を見ますと、どの国も日本よりも高くかつ安定的な成長率を達成しています。ただし、スウェーデンは4%成長と、先進国としては極めて高い成長を達成していますが、これには不動産バブルではないかとの批判もあり、今後の金融政策運営を巡り議論があるようです。総じていえば、マイナス金利政策で混乱は生じておらず、実体経済も悪くないと言えると思います11

  1.  11 これについては、原田泰「わが国経済・物価情勢と金融政策―山口県金融経済懇談会における挨拶要旨―」(日本銀行、2016年4月13日)図表3とその説明(6~7頁)を参照。

量的・質的金融緩和後の経済

マイナス金利の実体経済への影響を十分に見るにはまだ時間が少し足りませんので、金融政策の大転換後の3年間余りをまとめて見ていきたいと思います。講演のタイトルと少し異なることになって申しわけありません。図表11は、消費、投資、輸出、生産の動きを見たものです。

消費は、2014年4月の消費税増税の負のショックの後、2015年央まではなんとか増大していたように見えますが、それ以降停滞しています。これについては後程詳しく見てみます。投資(資本財総供給)や輸出についても同様の動きが見られます。これらを反映して、生産も停滞しています。輸出と生産については、世界貿易量の足踏みが影響していると思います。

2015年末から、世界的に株価が動揺、下落していますが、ここには世界貿易の低迷が影響していると思います。すなわち、株価の弱さは、実体経済の弱さを反映したものだと思います。

雇用は堅調に伸びている

ただし、雇用は堅調に伸びています。図表12に見ますように、雇用指数はパートタイム、一般労働者とも継続的に上昇しています。失業率は順調に低下しています。労働力調査によりますと、「量的・質的金融緩和」の開始直前の2013年3月から2016年3月までで、雇用者数は5,485万人から5,649万人へ、うち正社員は3,255万人から3,338万人に、それぞれ165万人、83万人増加しています。

景気回復は大都市だけのもので地方には及んでいないという声がありましたが、雇用の改善は全国に波及しています。図表13のように、すべての地域で有効求人倍率が上昇しています。消費税増税後の中だるみはありましたが、もっとも低い北海道の有効求人倍率も2016年3月には1.03倍まで上昇しました。各県ごとに見ても、これまで1を超えたことのなかった多くの県で1を超えました。

もちろん、全国でも上昇し、2016年3月には1.30倍となりました。これは1991年12月以来の高さです。

賃金も上昇している

雇用は伸びても賃金は上がらないと言われてきましたが、その議論で使われているのは一人当たりの月間の平均賃金です。しかし、景気回復の初期には、労働時間が短く、かつ賃金の低いパートが増大しますので、一人当たりの平均賃金は上昇しないものです。正社員の夫を持つ妻が、自分もパートで働きだせば、夫婦2人の平均賃金は低下しますが、家計の総所得は増加します。

したがって、正しくは、一般労働者とパートのそれぞれの時給と、働いている人すべての所得を合計した雇用者所得を見るべきです。一般労働者の時給のデータは公表されていませんが、私の推計によれば、図表14に見るように、実質の時給はほぼ横ばいです。パートの時給は実質で見ても上昇しています。2013年3月以来、名目で見れば、一般労働者は年率-0.7%と微減、パートは年率+1.5%増とまあ順調です。

雇用は拡大していますので、図表15に見るように、賃金×雇用の雇用者所得は上昇しています。2014年4月の消費税増税で実質雇用者所得はしばらく上がりませんでしたが、増税したのですから当然です。消費税増税の影響が一巡した2015年4月以降、実質雇用者所得は上昇しています。2013年3月以来、雇用者所得は、実質では年率で+1.2%、名目では+2.3%で上昇しています。

なおここで、先ほど上がりにくいと説明した月当たりの平均賃金(図の現金給与総額)も、2016年になってから上がっています。図は名目値を示したものですが、実質でも上がっています。

雇用者所得と消費の乖離

ここでやや不思議なことが起きています。雇用は堅調ですので、雇用者所得は増えています。所得が増えているのですから、消費が増えて、さらに所得が増えるという好循環がもっと強く表れても良いはずです。所得が増えているのに、消費がせいぜい底堅い程度なのはなぜでしょうか。高齢化社会を迎え、将来が不安なので、貯蓄を増やしているのだというのは一つの考えで、それを裏付けるデータもあります。消費税増税の影響もあります。消費税は恒久的課税ですから、3%の税率引き上げは恒久的に実質所得を3%減らし、したがって実質消費を3%減らすことも考えられます。しかし、本当にそれだけなのか疑問もあります。

速報のGDP統計では、供給側の統計と需要側の統計を組み合わせて消費支出を推計します。それを月次にした消費総合指数という統計も内閣府から公表されています。これは前掲図表5で示したものです。需要側の統計は、家計調査を用いたものですが、それはこのところ大きく振れながら低下しています。しかし、実は、GDP統計は1年後、すべての統計が入手できて確報にするときにはほとんど供給側の統計だけを用いています。であるなら、短期の消費の動きを見るときにも、できる限り供給側の統計から消費を捉えるべきではないでしょうか。そのように考えて日本銀行が作成したのが消費活動指数です12。これを見ますと、図表16に見るように、変動がややおさまって実勢はほぼ横ばいまたは微減となります。なお、ここでの消費活動指数は国民経済計算の個人消費と概念を合わせるために、旅行収支を調整した消費活動指数(いわゆるインバウンド消費、海外旅行客の消費を除外して日本在住者の海外での消費を足したもの)を示しています。

すると、消費はほぼ横ばいまたは微減で、GDPはマイナスではなくわずかなプラスで継続的に上昇してきたのではないかと思います。私は、雇用者所得の動きから、これが実態ではないかと思います(雇用者所得についても、毎月勤労統計調査のサンプル換えの影響で、実態より悪くなっているのではないかという議論もありますが、ここでは省略します13)。もちろん、回復が弱いことを否定している訳ではなく、だからこそ、量的・質的金融緩和の導入以後、その拡大、マイナス金利付き量的・質的金融緩和と、金融緩和を強化してきたわけです。

  1.  12 日本銀行調査統計局「消費活動指数について」BOJ Reports & Research Papers, 2016年5月。
  2.  13 「わが国の経済・物価情勢と金融政策―栃木県金融経済懇談会における挨拶要旨―」(2015年11月11日)4頁、を参照。

物価が上がっていないのは原油価格下落のため

現在、経済は輸出・生産面に鈍さがみられますが、量的・質的金融緩和を強化した訳ですので、景気は緩やかながら回復していくと思います。特に、雇用が継続的に改善しています。しかし、日本銀行が目標とした2%の消費者物価上昇率はまったく達成できていないではないかというご批判もあると思います。

確かに、図表17に見ますように、日本銀行が当面の目標としています消費者物価指数の生鮮食品を除く総合は、2016年4月にはマイナス0.3%で、物価は上がっていないように見えます。しかし、それは世界的な原油価格下落によって、エネルギー価格が低下したことによるもので、エネルギーと生鮮を除いた物価を見ますと、2016年4月には0.9%と上昇しています。エネルギー価格は、いつまでも下落を続ける訳ではありませんので、この効果が剥落しますと、エネルギーを除かない「生鮮食品を除く総合」も上昇していくはずです。

なお、賃金の上昇は期待ほどではなく、物価を押し上げる力は弱いのではないか、したがって物価目標も達成できないのではないかという議論があります。もちろん、賃金は上がった方が良いのですが、物価は一般労働者の賃金よりもパートの時給との関係が強くなっています。パートの時給がサービス業や小売業のコストを直接引き上げるからです14

  1.  14 日本銀行「経済・物価情勢の展望(2016年1月)」のBOX3(「労働需給とパート賃金の動向」)を参照。

6.おわりに

マイナス金利付き量的・質的金融緩和とは、実質金利を低下させて経済を良い状態に移行させるという点で、これまでの量的・質的金融緩和の延長線にあるものです。マイナス金利政策は、これまでの量的・質的金融緩和と合わせて、所期の効果を発揮しています。

マイナス金利政策への反発があることは承知しています。低い金利がイールドカーブを寝かせてしまい、それが銀行の収益に影響を与えるからです。しかし、現在の低金利は必ずしも現在の金融政策の結果ではありません。金利がこのように低くなったのは、過去において金融緩和が十分ではなく、日本がデフレになってしまったからです。デフレから脱却することこそが、金利を引き上げることになるのです。

2013年4月の量的・質的金融緩和以来、日本経済はなんとか回復しています。2014年4月の消費税増税のマイナスのショックが長引いていましたし、年初来の世界経済の変調の影響もあって輸出、生産が停滞気味になっていますが、雇用は継続的に回復しています。金融緩和の恩恵は地方には来ないと言われていましたが、すべての地域で有効求人倍率が上がっています。雇用は伸びても賃金は上がらないと言われてきましたが、時給は上がっています。賃金と雇用者数を掛け合わせた雇用者所得で見れば、実質でも上昇しています。消費は弱いままですが、統計上の問題で、実態以上に弱く表れているのだと思います。今後、世界経済の変調が収まっていく中で、日本経済も順調に回復していくと思います。

当初考えていたように物価は上がっていませんが、それは原油価格下落によるものです。原油価格が安定するとともに、物価は上がっていきます。また、物価だけ上がって雇用が増えていなかったら大失敗だと私は思います。経済全体の需給が締まり、失業率が低下してくる中で、いずれ物価も上がってきます。

ただし、中国経済を中心とした新興国経済の一層の減速、米国経済の動向やそのもとでの金融政策運営が国際金融資本市場に思わぬショックをもたらす可能性、欧州における債務問題の再燃など、日本経済を失速させかねないリスクがあります。そうなると、所得から支出への循環が断ち切られてしまい、雇用が悪化し、物価を基調的に上昇させるメカニズムが危うくなります。そのようなリスクが顕在化すれば、躊躇なく追加の金融緩和を行うことが必要と私は考えています。特に、雇用が景気に遅れて変化する遅行指標であることにも注意する必要があると思います。つまり、雇用が良くても経済はすでに悪くなっている可能性がありますので、雇用が悪くなってから金融緩和をしてもタイミングが遅れてしまうことにも気を付ける必要があると思います。