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【講演】 アジアにおける包摂的成長にむけて アジア開発銀行研究所・ペンシルバニア大学共催グローバル・シンクタンク・サミット2017における基調講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年5月2日

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。アジア開発銀行(Asian Development Bank、以下ではADBと呼称)の設立50周年を祝う「グローバル・シンクタンク・サミット2017」におきまして基調講演を行う機会を賜り、光栄に存じます。このシンポジウムでは、成長と持続可能な開発に関する多くの重要トピックが議論されますが、そのいずれも大なり小なり「包摂的成長」という同じゴールを目指したものになると思われます。「包摂的成長」は、G20を含めて、グローバルな政策当局者にとって一つの鍵となる政策目標であります。

「包摂的成長」は、社会経済的な属性や性別にかかわらず、経済成長の機会と成果をすべての人々に届けること、と定義できるでしょう。本日は、様々な属性のうち、経済的な一属性である所得水準に焦点を当てます。なぜならば、アジアでは、過去50年の間に一人当たりGDPが大幅に増えたにもかかわらず、今なお貧困が残っているからです。この事実は、アジアにおいて経済成長の包摂性を高めていく必要があることを物語っています。そして、その過程において金融包摂が大きな貢献をなし得ることを議論したいと思います。

2.アジアにおける経済成長と包摂性

ADBの設立から50年、多くのメンバー国が低所得国から中所得国となり、さらに一部のメンバー国は高所得国となりました。

アジア諸国の地位が一人当たりGDPでみて向上するにつれて、世界経済におけるアジアのプレゼンスも高まりました。日本、豪州、ニュージーランドを除いた、アジアのADBメンバー国が世界GDPに占める割合は、1966年の8%から2015年には25%へと増加しました1。さらに、アジアでは、一人当たりGDPが増加するにつれて平均寿命も20年伸長しました。平均寿命を1966年と2014年とで比較すると、東アジア・太平洋地域では49歳から74歳へ、南アジアでは45歳から68歳へと伸びたのです2

ここ数十年、アジア経済はグローバリゼーションの恩恵を受けるかたちで成長率を高めました。50年前、ADBメンバー国の多くは世界貿易にさほど関与しておらず、また関与していた場合でも、その多くは一次産品の輸出といった単純なものでした。その後、先進国企業の国際化や巨大な多国籍企業の出現に伴って、アジアを中心としてグローバル・バリュー・チェーンが構築されました。このことを一因に、アジアの所得水準は他の発展途上地域を上回る形で向上しました。2015年、アジア発展途上地域では、一人当たりGDPが1996年に比べて5倍となっています。同じ期間に、ラテン・アメリカの増加率は2倍、サブ・サハラ・アフリカの増加率は3倍に止まっています3

経済成長によって、アジアと先進諸国との所得格差は縮小しました。50年前、高所得国の一人当たり実質GDPは、発展途上にある東アジア・太平洋地域および南アジアと比べて、それぞれ50倍、45倍でした。今では、それらは7倍、26倍にまで縮小しています4

こうしたアジアにおける経済の成長や人々の寿命の伸長に対して、ADBが50年という長きにわたって貢献してきたことに疑いの余地はありません。この貢献は、ADBによる「機織り」(はたおり)に例えることができると思います。「縦糸」は貨幣的資本です。これは、メンバー国による開発プロジェクトのファイナンスに利用されました。ADBの融資や補助金は、メンバー国の間にある開発上のニーズや事情に関する様々な違いを乗り越えて、個々のメンバー国において開発プロジェクトを成功させてきました。これを可能にしたものは何でしょうか。

それはADBの知的資本という「横糸」だと思います。ADBは、個々のメンバー国に対して、開発プロジェクトの背景にある基礎的な考え方、具体的な知識、創造的なアイデアを供与してきました。こうした知的資本のおかげで、各国の開発プロジェクトは入念に組成され、そして適切に運営されてきたのです。そうした「横糸」の不可欠な一部分が、本日のシンポジウムの共催者であるADB研究所でした。さらに、私自身のADBにおける経験に基づいて申し上げると、ADBによる「機織り」が長きにわたって有益な布作りにつながってきたことの背景には、組織および業務運営の両面におけるADBの柔軟さがあります。

「機織り」という例えを続けると、貧困という根深い問題を拭い取るための丈夫な布をADBは今後も織り続ける必要があります。国際的にみて目覚ましい経済発展を遂げた一方で、アジアには、国内の所得格差が拡大した国があります。比較可能なジニ係数を持つ30ヶ国をみると、ここ数十年、12ヶ国(人数ベースでは約8割に相当)において所得の不平等が大きくなりました5。この格差拡大の主な原因はトップ所得層がさらに豊かになったことです。最近の調査によると、このような形態で所得格差が拡大する場合、経済成長の貧困削減効果は小さくなってしまいます6。残念ながらアジアには貧困が残っているのです。

なぜ高度経済成長を経ても最低所得層の人々が貧困状態にあるのかについては、様々な説明があり得ると思います。グローバル・バリュー・チェーンとの関連でいえば、地域、産業、技能がグローバル・バリュー・チェーンに組み込まれなかった人々には成長の機会や成果が届きづらかった、と説明できるかもしれません。いずれにせよ、アジアの政策当局者は経済成長の包摂性を高める国内政策を導入する必要があります。

  1. 次の文献の第一章を参照。ADB through the Decades: ADB's Fifth Decade (2007-2016). Mandaluyong City, Philippines: ADB.
  2. 寿命に関する計数の出典は世界銀行の World Development Indicators。東アジア・太平洋については、高所得国は除く。
  3. このパラグラフで言及されている倍率の出典は次の文献の第一章。ADB (2016). ADB through the Decades: ADB's Fifth Decade (2007–2016). Mandaluyong City, Philippines: ADB.
  4. このパラグラフで言及されている倍率は世界銀行のWorld Development Indicatorsを基に計算。それらは2015年を1966年と比較したもの。
  5. 次の文献を参照。Zhuang, J., Kanbur, R., and Maligalig, D. (2014). "Asia's Income Inequalities: Recent Trends," in Kanbur, R., Rhee, C., Zhuang, J. (eds.), Inequality in Asia and the Pacific: Trends, Drivers, and Policy Implications (pp. 21-36). Oxon: ADB and Routledge.
  6. 次の文献を参照。Škare, M. and Pržiklas Družeta, R. (2016). "Poverty and Economic Growth: A Review," Tecnological and Economic Development of Economy, Vol. 22(1), pp.156-175.

3.アジアにおける貧困

経済成長が貧困削減の原動力であることはアジアの経済発展史が示すところであり、実際、過去50年の間にアジアでは極度の貧困が大幅に減少しました。世界銀行によると、現在、極度の貧困は「1日1.9ドル未満での生活」と定義されています。比較可能な範囲で、極度の貧困層が人口に占める割合を1980年代と直近期間(2010年~2014年)とで比較すると、東南アジア7・中国では68%から8%へ低下し、南アジアでは50% から19%へと低下しています8。しかしながら、極度の貧困が皆無になったわけではありません。

さらに、生活水準に加えて、教育や健康の水準を勘案した「多面的貧困」という定義に基づくと、世界で15億人が該当し、その6割程度はアジアに住んでいます9。特に南アジアは人口対比でみて多面的貧困者が多い地域といえます。

貧困の削減に有益な施策には様々なものがあります。例えば、貧困層に教育や雇用の機会を与えることは貧困に関する悪循環を止める一つの方法です。その悪循環とは、親が貧しいゆえに、その子供が十分な教育を受けていない労働者となってしまい、結局、その子供自身も貧しい親になってしまう可能性が高いというものです。こうした悪循環を断ち切ることができれば、人的資本の蓄積を通じて、経済の潜在成長力を押し上げるはずです。

また、そうした悪循環を断ち切るためには、家事の手伝いやアルバイトを通じて子供がもたらす短期的な利益よりも、子供を学校に行かせることの長期的な成果の方がはるかに大きいことを、まず貧しい親たちに理解してもらうことが不可欠です。

  1. 7インドネシア、フィリピン、およびタイ。
  2. 8このパラグラフにおいて言及されている、貧困層が人口に占める割合は世界銀行のPoverty and Equity Databaseを利用して算出。
  3. 9多面的貧困者数の出典は国連開発計画の Human Development Report 2016: Human Development for Everyone

4.金融包摂の貢献

先に述べたとおり貧困削減策には様々なものがありますが、本日は金融包摂の推進を取り上げたいと思います。世界銀行に拠点を構える貧困層支援協議グループによれば、金融包摂とは「家計や企業が適切な金融サービスにアクセスを有し、かつ、効果的に利用することができること」であり、そうした金融サービスは、「適切に規制された環境の中で、しっかりと持続的な形で供給されなければならない」とされています。金融包摂については、貧困層の支援と中小企業の活性化という二つの目標を掲げて、G20も積極的に推進しています。

個人に関する金融包摂

まず、個人に関する金融包摂についてお話します。貧しい人々の多くは、預金や借入といった金融取引を日常的に行っているものの、適切に規制された金融サービスへのアクセスを有していません。

そうしたアクセスを得ることは、様々な経路で貧困からの脱却を手助けします。一つの経路は資金の調達や管理に係る費用を節約することです。正規の金融機関から融資を受けられる場合、貧しい人々が非公式な貸し手から法外な利息で借入を行う必要はありません。また、安全な預金口座を利用することができれば現金の保管について心配する必要もなくなります。

第二の経路は貧しい人々の日常生活を安定化させることです。日々の暮らしの中で生じる病気や怪我そして収入の変化といった負の金融ショックは、預金や借入によって吸収することができます。この結果、貧しい人々の消費は平準化されるのです。

最後の経路は成長機会の活用です。様々な負の金融ショックが吸収されるようになれば、貧しい親を持つ子供が労働力として利用されることなく、教育を受けることができます。また、発展途上地域では、貧しい人々が非正規かつ零細な自営業を営んでいる場合も多いため、金融サービスへのアクセスによって自営業への投資が促進されるかもしれません。

しかしながら、現状をみると、アジア発展途上地域において個人に関する金融包摂の進捗は遅れているのが実情です。例えば、成人のうち預金口座を保有する人の割合(2014年時点)をみると、発展途上にある東アジア・太平洋地域では48%、南アジアでは44%にとどまっています。一方、同様の保有割合は高所得国では108%、ラテン・アメリカ地域でも70%に達しています10

貧しい人々が口座を開設し、預金を行うことを促進するためには、各国特有の事情を踏まえた実践的な政策が必要になります。貧しい人々が預金を行わない理由としては、経済的な要因だけではなく、社会的な制約、規制に起因する障壁、低い金融リテラシー、心理的な要因があり得ます。最近の実証分析では、預金口座開設を阻害する要因として、高い費用、遠い窓口、弱い法的権利、政治的不安定さなどが指摘されています11

また、貧しい人々が預金口座を開設したとしても実際に預金を行うかは別の問題であり、何らかの動機付けが必要な場合があります。効果的な動機付けは国によって異なるかもしれませんが、例えば、ケニアの田舎において実施されたフィールド実験では、預金の使途を非常用に限定すること、グループで預金を行ってもらうこと、融資を受けるための条件として一定の預金を義務付けることの有効さが報告されています12

  1. 10口座保有に関する計数の出典は世界銀行のGlobal Findex
  2. 11次の文献を参照。Allen, F., Demirguc-Kunt, A., Klapper, L., and Martinez Peria, M. S. (2016). "The Foundations of Financial Inclusion: Understanding Ownership and Use of Formal Accounts," Journal of Financial Intermediation, Vol. 27 (1), pp. 1-30.
  3. 12 次の文献を参照。Dupas, P., and Robinson, J. (2013). "Why Don't the Poor Save More? Evidence from Health Savings Experiments," American Economic Review, Vol. 103 (4), pp. 1138-1171.

小企業に関する金融包摂

次に、個人だけでなく小企業にとっても金融包摂が重要であることをお話します。一般的に、小企業は事業や財務状況に関する情報が不透明であるほか、担保も不足しがちであるため、融資を受けづらい立場にあります。しかし、貧困層に雇用機会を創出する主体として小企業の成長は重要です。また、小企業による投資やイノベーションはマクロ経済成長にもつながります。

残念ながら、アジア発展途上地域では小企業に関する金融包摂の進捗も遅れています。例えば、小企業の中で銀行融資を受けている企業の割合をみると、アジア発展途上地域では15%である一方で、アジア以外の発展途上地域では32%になっています13。銀行信用の対GDP比率が大きいほど、最低所得層の所得が増加する傾向があるという統計的な事実を踏まえると、その15%という数字は引き上げるべきだといえるでしょう14

アジア発展途上地域では、小企業が情報面での不透明さを克服して、融資を受けやすくするための取り組みがなされています。そうした取り組みの一つは中央集権的なアプローチに基づくものであり、小企業の信用情報を対象にした信用情報機関の創設がその一例です。信用情報機関は金融面の重要なインフラであり、ADBの調査によると、アジア発展途上地域では20ヶ国のうち8ヶ国において公的機関が運営に関わっています15。別の例は公的な信用保証制度の利用です。この制度は、先に述べた20ヶ国のうち16ヶ国において存在します。これらの制度的な支援策が小企業への銀行融資を容易にし、小企業に関する金融包摂を促進していくことが期待されます。

小企業の情報面での不透明さに対するもう一つのアプローチは、より個別的なもので、その代表例はマイクロファイナンスです。ADBをはじめ様々な国際開発銀行が、融資、補助金、技術支援などを通じてマイクロファイナンス機関の急成長を後押ししてきました。借り手の数に関していうと、マイクロファイナンスが最も活発な発展途上地域は実はアジアです16。更なる研究が必要ですが、マイクロファイナンスによって信用へのアクセスが向上すると、小規模自営業者によるビジネスの拡大、個人の職業選択における柔軟性や自活可能性の向上に役立つ可能性があります17

このほか、情報コミュニケーション技術(Information and Communication Technology、以下ではICTと呼称)が進歩することで、アジア発展途上地域における金融包摂が伝統的な銀行の枠を越えて促進される可能性があります。例えば、クラウド・ファンディングによって、貧しい人々や小企業が国内外の一般の人々から資金を調達できるようになります。預金や送金に関しても、携帯電話や電子マネーのおかげで、国内外にかかわらず企業や個人の間を資金が行き交っています。場合によっては、銀行口座の有無は問題になりません。このように、デジタル・エコノミーにおける金融包摂は、財市場や信用市場への新たな扉を利用者に開く大きな可能性を秘めています。近い将来、こうした金融包摂が貧困削減や経済発展に与える好影響を目にすることを楽しみにしています。

金融包摂については、金融の制度的な基盤に対する影響を考えることも重要です。例えば、新しい金融サービスを導入したり、既存のサービスの新しい担い手を認めたりするためには、関連業法の適切なアップデートが欠かせません。また、ICT企業などの新しいサービス提供主体が登場すれば、既存のモニタリングや規制を改善することが求められるかもしれません。さらに、金融当局が政策を検討する際には、金融の安定性や消費者保護に関する論点に対応していくことと、サービス提供者のイノベーションを促していくこととの間で、正しいバランスをとっていく必要があるでしょう。

  1. 13次の文献の第一章を参照。ADB (2013). ADB-OECD Study on Enhancing Financial Accessibility for SMEs: Lessons from Recent Crises. Mandaluyong City, Philippines: ADB.
  2. 14次の文献を参照。Beck, T., Demirguc-Kunt, A., and Levine, R. (2007). "Finance, Inequality, and the Poor," Journal of Economic Growth, Vol. 12 (1), pp. 27-49.
  3. 15次の文献を参照。ADB (2015). "Regional SME Finance Update," Asia SME Finance Monitor 2014, pp. 9-28. Mandaluyong City, Philippines: ADB.
  4. 16次の文献を参照。Microcredit Summit Campaign (2015). The State of the Microcredit Campaign Report, 2015.
  5. 17次の文献を参照。See Banerjee, A., Karlan, D., and Zinman, J. (2015). "Six Randomized Evaluations of Microcredit: Introduction and Further Steps," American Economic Journal: Applied Economics, Vol. 7(1), pp. 1-21.

5.おわりに

ADB設立から50年が経ちました。アジア発展途上地域では、これまでの目覚ましい経済成長にもかかわらず貧困が残っています。アジアにおける今後の経済成長をより包摂的なものとし、頑固な貧困問題に取り組むにあたっては、金融包摂が重要な役割を果たします。金融包摂を推進するためには、政策当局者が、国毎の事情に配慮しながら障害物を取り除くとともに、金融包摂にむけた前向きな動機付けを行っていく必要があります。このほか、金融リテラシーの向上も不可欠でしょう。

改訂されたADBの「戦略2020」では貧困削減と包摂的成長が戦略的優先事項となっており、金融包摂はその鍵となる分野です。私は、貨幣的資本と知的資本という二種類の資本の供給とメンバー国との共働を通じて、ADBがアジアにおける金融包摂の推進をリードしていくものと確信しております。

ご清聴ありがとうございました。