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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策石川県金融経済懇談会における挨拶要旨

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日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2018年7月4日

はじめに

おはようございます。日本銀行の原田です。

本日はお忙しい中、石川県を代表する皆様にお集まり頂き、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様の前でお話しできるのを大変光栄に思います。また、皆様には、日頃から私どもの金沢支店をはじめ、日本銀行各部署の業務運営に多大なご協力を頂いており、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

日本銀行は2%のインフレ目標達成を目指して2013年4月から量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入、その強化を図って参りました。

その結果、生産、雇用、投資、輸出、財政状況などほとんどの経済指標が改善しています。

本日は、日本銀行が行っている金融政策の成果、巷間聞かれますQQEへの批判的なご意見について私の考えを説明し、最後に直近の金融経済情勢の確認と2%の物価安定目標達成の道筋をご説明したいと思います。

1.金融緩和政策と5年間の成果

この4月に日本銀行が大胆な金融緩和政策、量的・質的金融緩和政策を導入してから5年間となりました。そのため、多くの新聞、雑誌でこの5年間の金融政策が様々な観点から評価されました1。しかし、その評価には、2%の物価目標が達成できていない、金融緩和の危険に対処できていないのではないかと問うものが多かったように思います。

私は、以前から繰り返し、金融緩和政策が雇用を継続して改善してきたこと、実質GDPの成長率も名目GDPの成長率も引き上げてきたこと、物価上昇率も2%には届いておりませんが、前年比で見てマイナスからプラスの領域に引き上げてきたことを説明してまいりました。本日は、まず、金融緩和政策が生産性、より広い意味で、日本の人々の能力を引き出してきたことに重点を置いてお話ししたいと思います。

  1. 例えば、朝日新聞「大規模緩和5年、膨らむ「副作用」」(2018年4月4日)や毎日新聞「試練の再始動」(2018年2月17日、18日、20日、政策編は2018年4月10日、11日、12日)。

生産性の改善

大胆な金融緩和政策の発動以来、生産性が上昇しています。しかし、実は、経済学の教科書には、金融政策は、短期的には実質変数―実質GDP、生産、雇用などに影響を与えることができるが、長期的には名目変数―名目GDP、物価、為替レートなどにしか影響をあたえることができないと書いてあります2

ではなぜ、経済学に反して、金融政策によって生産性が上昇したのでしょうか。その理由は、ここで経済学が焦点を当てているのは超長期の生産性の上昇率の違いによって生じる生産性のレベルの違いだからだと解釈すべきかもしれません。国ごとの生産性の違いを概括的に示す一人当たり実質購買力平価GDPを見ますと、もっとも貧しい国と最も豊かな国の間で100倍以上の違いがあります。この違いを金融政策の差異で説明できないのは当然です。しかし、私がここで問題にしているのは、金融政策がうまくいけば、10年間、あるいはそれ以上の期間にわたって1%成長ではなく2%成長を実現できたかもしれないということです。

その理由として、まず短期的には稼働率の上昇があります。不況になって注文が減れば、工場の生産は低下する一方、労働者を簡単に解雇することはできませんから、労働生産性は低下します。好況の時には、この逆のことが起きます。

労働生産性の低い仕事を止めてしまうということもあります。不況になって売り上げが落ちれば、お店を開けている時間を増やしていくらかでも需要を取り込もうという動きが現れます。好況の時には、この逆のことが起きます。人手不足になれば、例えば、深夜まで営業していた飲食店も早めに店を閉めてしまいます。昼と夜の書き入れ時だけ営業すれば、労働生産性は高まります。

長期的にはヒステリシス(履歴効果)という問題があります3。不況になれば、企業は雇用や研究開発を含む投資を削減します。失業者は現実に働くことで得られる経験を積めません。就職氷河期世代の若者は様々な経験を積むことができませんでした。企業は人材への訓練投資も削減してしまいます。投資、特に研究開発投資の削減は長期に亘って生産性を低下させることになります。これを逆転させるにはきわめて長い時間が必要でしょう。そもそも、この間に失われたものを最終的に取り戻すことは現実的には難しいと思われます。特に、1990年代央から2000年代央、リーマンショック後の数年間の就職氷河期の若者が失った職場での訓練機会の損失を取り戻すことは困難です。しかも、この間、低賃金であったということは、それだけ税も社会保険料も十分に払えなかったということですから、現在と将来の財政悪化の原因にもなりえます。この影響は、長期にわたるということです。これがどの程度の大きさであるかを正確に推定するのは困難ですが、この期間の非正規比率の上昇や正規と非正規の賃金格差から考えて、大きいことは確実と思います。そして、金融緩和政策によって経済が拡大し、過去の負のヒステリシスが改善されるとともに生産性が上昇してきます。

図1とその付表は、OECDの推計した労働生産性、全労働時間当たりの実質購買力平価GDPをG7諸国で比べたものです。

図と表に見ますように、2012年以降の生産性伸び率は日本がG7諸国のなかでカナダと並んで高く、米国よりも高くなります。時系列で見ますと、過去10年の平均よりわずかですが高くなります。これでは、QQE導入後の日本の生産性の上昇はわずかだと思われるかもしれませんが、これまで世界の中で低かった日本の上昇率が高くなったのです。リーマンショック後、世界的に生産性が低くなる要因があったにもかかわらず、日本の生産性が高くなったと評価しても良いのではないかと思います。

しかし、労働生産性では、評価に歪みが出る可能性があります。なぜなら、企業は生産性の高い人から順番に雇っていく傾向があるからです。すると失業率の高い国では生産性が高くなります。実際、失業率の高い国の生産性は高い傾向があります。イタリアもフランスも日本より生産性が高いですが、その失業率はそれぞれ11.3%と9.4%です(2017年、IMF, World Economic Outlook Database)。しかし、失業率が高いとは、働きたいのに働けない人がいるということです。これは不幸なことです。失業率が低い、働きたい人がすべて働けた方が良いに決まっています。そこで、生産年齢人口一人当たりの実質購買力平価GDPという指標を考えてみました。これですと、働きたい人が働いていれば高く、働いていなければ低くなり、歪みは小さくなるはずです。

池田勇人総理のブレーンとして高度成長を演出した下村治博士は、1968年、丁度50年前に、こう言っています。「わたくしたちは、なぜ、このように努力し、苦労してまで成長を追求するのでしょうか。なによりもわたくしたちは、生きがい、働きがいを求めます。そして、最大の生きがいは、わたくしたちが自分の能力をじゅうぶんに発揮できたとおもうときではないでしょうか。国民のすべてにそのような機会を与える社会をわたくしたちは追求しているはずです。今日の社会と100年前の社会とくらべて根本的にちがうことは、今日、ようやくにして国民の多数がその才能をなんらかの形で生かす機会を与えられつつあるということではないでしょうか。」と4。単に就業率が高くなることを下村博士の理想と同じと言っている訳ではありません。しかし、まず、働く機会を与えられることが、「自分の能力を十分に発揮できる」ことの出発点だと思います。

これは例えば日本の女性の社会進出についても言えることだと思います。OECDの統計によれば、2017年で、日本の25~54歳の女性の就業率(75.3%)はすでに米国(72.1%)より高く、G7の平均(73.5%。仏75.2%、独80.0%、英78.1%)を上回っています。

現在、日本の女性労働の問題は、就業率ではなくて、多くの女性がパート、非正規で働いており、職場での十分なキャリア形成ができているとは言えないことだと思います。ただし、まず労働市場に参加しなければ、キャリア形成もできません。私は、働く女性が増加するとともに、女性の正規社員化が進み、そのキャリア形成も進展すると思いますし、実際に、女性管理職比率が上昇しています(厚生労働省「平成28年度雇用均等基本調査」表2 企業規模30人以上における役職別女性管理職割合の推移、2017年7月28日)。

生産年齢人口一人当たりの実質購買力平価GDPを見たのが図2です。図と付表に見るように、QQE後の日本の成長率はG7の中で最高となり、過去10年のトレンドよりも明らかに高くなっています。働きたい人が、より働けるようになったからです。

もちろん、「この程度の生産性の上昇では駄目だ」「成長戦略、構造改革の一層の進展によって、もっと生産性を高めなければならない」と言う方もいます。しかし、そう言う方が、どのような政策を行えば、どのくらい生産性が高まるのか、明確に説明されたことはないように思います。誤解のないように申し上げておきますが、私は構造改革に大賛成です。ただし、金融緩和政策と構造改革は両方すれば良いだけだと申し上げたいのです。

生産性の他にも、生産、雇用、失業率、投資、輸出、財政状況、さらには景気回復の実感、所得分配、女性の社会進出まで、改善している指標は多いのです5

  1. 2N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー経済学 2 マクロ編(第3版)』東洋経済新報社、2014年、には(長期的には)「貨幣量の変化は、(物価水準のような)名目変数のみに重大な影響を与え、(実質GDPのような)実質変数にはほとんど影響を与えない」(374頁)、「金融政策は長期においては中立(実質変数に影響を及ぼさない―筆者)であるが、短期においては実質変数に大きな影響を及ぼす」(397頁)とある。
  2. 3中野章洋・加藤涼「「長期停滞」論を巡る最近の議論:「履歴効果」を中心に」『日銀レビュー』2017-J-2、2017年3月。
  3. 4上久保敏『評伝 日本の経済思想 下村治 「日本経済学」の実践者』(227頁)日本経済評論社、2008年、より引用(原文は『行友』日本開発銀行、73号、1968年6月)。
  4. 5これら指標の改善については、原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策―福島県金融経済懇談会における挨拶要旨」日本銀行、2017年11月30日、も参照。

2.金融政策に対する批判への若干の反論

以上述べましたように、金融政策は確かな効果を上げているのですが、なぜか現在日本銀行が行っている政策への批判は絶えません。

その中で、QQEはインパール作戦のようなもので、一刻も早く撤退すべきだという方もいます6。インパール作戦とは、1944年3月から7月初旬まで展開された、ビルマから進軍してインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことです。これは莫大な犠牲を出して惨憺たる失敗に終わり、無謀な作戦の代名詞としてしばしば引用されています。途中食糧はなく、餓死者を続出し、敵戦闘機に襲撃され、マラリアに罹病し、参加人員10万人のうち戦死者3万人、戦傷および戦病のため後送されたもの2万、残存兵力5万のうち半分以上も病人という状況に陥り、日本軍は壊滅的打撃を受けました7。しかし、QQEはほとんどの経済指標を改善させているのです。QQEを日本軍のインパール作戦と比べるのは比喩のつかい方として誤りだと思います。

  1. 6例えば、加藤出「戦争末期と重なる日銀徹底抗戦 黒田総裁が狙うは「一撃講和」か」『DIAMOND online』2016年3月4日。熊野英生「出口の迷路 金融政策を問う(6) インパール作戦から早く撤退を」『エコノミスト』2017年11月14日号。
  2. 7戸部良一他『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』141-177頁、中公文庫、1991年。

市場との対話とは何か

関連して、金融政策の運営には、市場との対話が重要とよく言われます。QQEに批判的な方々とも対話しないといけません。通常、対話というものは、真実を探求するか、あるいは、相手の死活的利害がどこにあるのか、自分としてどこまで妥協できるかを値踏みするものでしょう。しかし、市場との対話とは、通常の意味での対話とは異なっています。

抽象的な市場というものがある訳ではなく、そこに集まっているのは利害関係者であり、真実を求めている訳でもありません。しかも、様々な利害関係者がいる訳で、市場の統一された利益がある訳でもありません。利害関係者の意見を聞かないで政策を行えば、独りよがりになって無用な混乱を生むでしょうが、利害関係者の言うとおりにすれば良いものでもありません。

市場は金利の早期引き上げを求めていると言われることがありますが、実際に金利を引き上げれば、債券価格と株価の下落、円高で企業の経営が悪化し、信用コストが増大して、金融機関は大きな打撃を受けるでしょう。また、短期金利を上げても長期金利が上がるとは限らず、長短スプレッドはむしろ縮小してしまう可能性もあります。これは現在の米国で起きており8、2006年以降の日本で起きたことです。

金利を上げるとイールドが立つ、長短金利差が拡大すると多くの市場関係者が考えているのは、2016年1月29日、マイナス金利を導入したときにイールドが寝たことの逆が起きると期待しているからだと思われます。しかし、事実を見ると金融引締めでイールドが寝た場合が多いのです。図3は、2000年から現在までの無担保コールレート(オーバーナイト物)と長期金利(10年物国債利回り)を示したものです。これを見ると、2000年8月11日(ゼロ金利政策解除、翌日物コールレートを0.25%へ)、06年7月14日(ゼロ金利解除、0%→0.25%)、07年2月21日(0.25%→0.5%)に金融を引き締めたときには、イールドカーブは寝てしまっています(長短金利差は縮小)。例外は06年3月9日に量的緩和政策から金利政策に戻したとき(当預30-35兆円→ゼロ%)くらいです(長短金利差は拡大)。一方、金融を緩和したときにはイールドが寝ることもありますが、その逆に立つこともあります(2001年3月19日(0.15%→当預5兆円)、01年12月19日(当預6兆円→10-15兆円)、03年10月10日(当預27-30兆円→27-32兆円)、08年10月31日(0.5%→0.3%)、10年10月5日(0.1%→0-0.1%))。特に、13年4月4日、QQE(0-0.1%→MB60-70兆円等)の開始期には、金融緩和によってイールドが立っています。これは、金融緩和が予想インフレ率と実体経済にポジティブな効果を与えると認識されたからだろうと思います。すなわち、短期金利を上げた時、イールドが寝るか立つかは、その時々の経済情勢や市場の金融政策への見方によって異なります。短期金利を上げればイールドが立つと思うのは誤りです。

市場関係者が中央銀行との対話で求めているのは、政策の先行きを示して欲しいということだと思います。しかし、中央銀行は、物価や景気の指標を見て、すなわちデータに基づいて政策を行っている訳ですから、カレンダーベース、すなわち経済状況にかかわらず事前に特定の時期に例えば0.25%ポイントずつ金利を引き上げるなどという形で政策の先行きを示すことは一般にはできません9。ただし、将来の経済指標の予測がある程度確実にできるようになれば、それに応じて先行きの政策を示唆することができるようになるのかもしれません。FRB(連邦準備制度)は、米国経済はそのような状況にあると考えているのだろうと思います。予想物価上昇率が2%にアンカーされている米国では、将来の物価の予測もより確実に行うことができ、したがって、政策の先行きを示すことができるのかもしれません。しかし、米国でも、ドット・チャートに示される政策の先行きは外れることが多く、無用の混乱を呼んでいるとの批判もあります10。予想物価上昇率が2%にアンカーされていない日本の現状では、将来の政策をカレンダーベースで示すことは、一層困難であると思われます。

中央銀行は、市場とは対話すべきですが、その政策は、物価安定と国民経済の健全な発展、金融システムの安定性を目指して行うべきものと思います。

  1. 8米国セントルイス連銀のジェームズ・ブラード総裁は、本年内もしくは2019年初めにかけて、長短スプレッドの縮小どころか、長期債利回りが短期債金利より低くなる「逆イールドとなるリスクがある」と言っている(ロイター、2018年5月15日)。もちろん、将来のことだから起きるかどうかは分からないが、過去には起きたことである。
  2. 9一橋大学大学院商学研究科の国際シンポジウム「中央銀行行動と金融政策:世界経済と日本」(一橋講堂、2017年5月12日)で、イスラエル中央銀行総裁を務めたジェイコブ・フレンケル氏は、中央銀行の政策はデータベースでなければならず、カレンダーベースであってはならないと強調していた。
  3. 10米国セントルイス連銀のジェームズ・ブラード総裁は、ドット・チャートに関連して「将来の利上げ回数について、どんなデータが出てくるか分からない状況で予測するという考え方全体から脱却すべきだ」と指摘した(ブルームバーグ、2018年5月17日)。また、米国サンフランシスコ連銀のジョン・ウィリアムズ総裁(当時)は、(将来の金利の動向を示唆する)フォーワードガイダンスについて「段階的に終える時が近づきつつある」と述べた、という(ブルームバーグ、2018年5月17日)。

金融緩和政策と銀行経営

市場関係者の一部ですが、銀行経営者も、QQEの生み出した低金利によって銀行経営が苦しくなっており、これがQQEの副作用と主張します。銀行経営者は、民間銀行のビジネスモデルは、正の金利を前提として、高い長期金利と低い短期金利の差で利益を得るもので、QQEは、それを否定するものだと言います。これは、仕入れ価格と販売価格を決めてもらわなければ商売ができないと言っているのに等しいことになります。しかし、あらゆるビジネスは変動するコストと売り上げの差から利益を得るものです。

銀行経営が苦しいのは、借りる人がいないからです。マクロ的に見れば、日本の企業は十分すぎる現預金を持っているのですから、借りる必要はありません。日本の企業は、2018年3月末で261兆円もの現預金を持っています(日本銀行「資金循環統計」民間非金融法人企業)。資金需要に対して、供給が多すぎるのです。

さらに、前述のように、実際に金利を引き上げれば、債券価格と株価の下落、円高で企業の経営が悪化し、信用コストが増大することで、民間銀行は大きな打撃を受けるでしょう。また、短期金利を上げればイールドが立つかどうかも分かりません。

さらに、金融緩和を続けていくと、民間銀行だけでなく、将来、日銀の財務が悪化して大変なことになる、という議論もあります。しかし、そのようなことはありません。これについては、すでに説明していますので、ここでは申し上げません11

  1. 11原田前掲「福島県金融経済懇談会における挨拶要旨」日本銀行、2017年11月30日。

3.最近の経済情勢と物価の展望

これまで長期的な経済情勢についてご説明して参りましたので、これからはやや短期的な状況についてお話ししたいと思います。

図4、図5は主要な経済指標をまとめたものです。生産、投資、輸出、雇用、賃金、賃金×雇用の雇用者所得、ほとんどすべての指標が改善しています。停滞したのは2014年度の消費税増税の後、世界貿易量が低迷した2014年後半から16年の前半までです。ただし、足下では一時的に落ち込みが見られる指標もあります。

さらに図5で、雇用、賃金、雇用者所得(賃金×雇用)、消費を見てみます。

実質賃金は上昇していませんが、これは労働時間の短い非正規の労働者が増加したことに依るものです。雇用、実質雇用者所得(賃金×雇用)では、消費税増税の影響が見られるのは14年度だけで、それ以外では、直近の一時的な落ち込みを除くと、ほぼ順調に伸びていました。失業率も順調に低下しています。この中で、改善度合いが弱いのが実質消費です。消費活動指数で見て、消費は消費税前の駆け込み需要以前の最高水準に戻っていません。直近3か月(2018年2-4月)の平均は駆け込み需要以前の3か月(2013年10-12月)の平均に及びません。消費の原資である実質雇用者所得が、この間、直近を除くと、順調に伸びていることと比べると不思議です。実質消費の対実質雇用者所得比率は傾向的に低下してきましたが、この比率が永久に低下していくことも考えにくので、今後、消費が回復することも期待できると思います。

この中で、金融不均衡を懸念する議論もあります。確かに、図6に見ますように、景気拡大に伴い、資産価格は変動を伴いながらも上昇しています。金融緩和の副作用を心配される方々は、これを金融不均衡の兆候と捉えているようですが、この程度の上昇をバブルと言うのは無理があると思います。

図には、日米ユーロ圏の株価とPER(株価収益率)の両方を示しています。これを見ますと、日本の株価の回復は米国に到底及ばず、株価収益率は14倍程度と大きく上昇している訳ではありません。本行のFSR(Financial System Report)、『金融システムレポート』(2018年4月号)(30-33頁)を踏まえても、資産市場は全体として大きな不均衡が蓄積されてはいないと判断できますが、最近の株価、不動産業向け貸出の対GDP比率、金融機関の貸出態度判断DIなど一部の指標では、上昇テンポが速かったためにトレンド範囲の上限近くなっています。金融不均衡の兆候がないか、不断に点検していくことは必須のことと思います。

2%物価目標達成への道筋

先ほど、消費が弱いと申し上げましたが、物価もそうです。しかし、景気回復が続けば、雇用が逼迫し、やがて物価は上昇していくはずです。

これに関連して、失業率が低く、少し前まで構造失業率と言われていた3.5%の失業率を大きく割って2%台の半ばまで下がったのになぜ物価が上がらないのかという疑問が良く聞かれます。私の答えは、失業率の低下が不十分だということにつきます。また、かつて推計された3.5%の失業率を構造失業率とするのは全くの誤りです12

図7は、物価上昇率と失業率の関係を示したフィリップス・カーブです。ここには、1983年1月から2013年3月まで、1983年1月から1995年12月まで、1996年1月から2013年3月まで、それぞれの失業率と物価の関係を示す回帰線を示しています。いずれの回帰線でも、失業率が2%台半ば以下にならないと物価は2%になりません。1983年1月から1995年12月までの回帰線で考えると、物価上昇率が2%になるためには、失業率が2%台半ばになれば良いわけですが、その時の現実の消費者物価上昇率は1.6%でした。つまり、1%台半ばの物価上昇が続いて、かつ失業率が2%台半ばになれば2%の物価上昇になるということです。現在(5月)の失業率は2.2%ですが、物価上昇率は0.3%ですから、まず物価が1.6%程度に上がることが必要で、さらに失業率が2%台半ばで維持されなければならないということです。

さらに、物価を上昇させる失業率がさらに低下している可能性もあります。就業率がさらに上昇する余地があるからです。労働力調査(2018年5月分)によると、日本の失業者は158万人に過ぎないのに、就業者は前年比で151万人も増加しています。また、人手不足が続くことで、低生産性部門の労働力、企業内の余剰労働力が他の産業、企業に移る動きがあるという話が聞かれています。これは労働の供給を実質的に増加させる要因です。すなわち、生産性が上がれば物価の上昇は遅れるということです13

これらの要因を考えず、単純に、25歳から54歳までの男性の就業率が過去最高だった1992年の就業率、労働参加率に合わせて、男性のみスラックがない場合の2017年の失業率を計算すると2.3%となります。

さらに、1992年の失業率は2.2%でしたが、これは、通常、失業率が高い若年労働者の比重が高い時代のものです。若年の失業率が高く、中年の失業率が低いことを考慮して、92年の失業率を2017年の年齢構成に合わせて失業率を計算すると1.9%になります。

以上は、現在(5月)2.2%の失業率が継続しないと92年の消費者物価上昇率2.2%(生鮮食品・エネルギーを除く総合)にならないということになります。これらの試算数値が絶対に正しいと、私も信じている訳ではありませんが、2%物価目標の達成には、現状の失業率がさらに低下する必要があると思います。

念のために申し上げておきますが、失業率が2%になるまで金融緩和を続けるべきだと申し上げている訳ではありません。金融政策は物価に焦点を合わせるべきで、物価と失業率についての経験則は、あくまでも金融政策判断のための補足情報だと考えています。

雇用と生産の拡大の余地があるのですから、2%の物価目標達成のために、現在の政策を続けることが必要です。もちろん、状況を常に注視し、金融不均衡などの可能性をチェックするのは当然ですが、今のところは、その可能性は小さいということです。

なお、展望レポートで、これまで物価が2%程度に達する時期を、「2019年度頃になる可能性が高い」と示してきた見通しについての記述が削除されたことが市場関係者の間で話題になっていましたので、これについて一言ご説明したいと思います。展望レポートで2%に達する時期の見通しを書いてきましたが、これはあくまでも見通しであって、その変化と政策変更を機械的に結びつけていた訳ではありません。私としては、物価は様々な要因で動くものであり、物価を上昇させるメカニズムが十分にあることが大事で、それによって政策変更をすべきものだと考えています。すなわち、物価上昇のモメンタムが失われるのであれば追加的な金融緩和が必要ですが、そうでなければ現行の政策を続けていくのが良いと考えています。

  1. 12原田前掲「福島県金融経済懇談会における挨拶要旨」(注19)日本銀行、2017年11月30日。また、日本銀行調査統計局および内閣府の推計しているGDPギャップでも同じ問題がありえる。両者のGDPギャップはともにプラスだが、IMFの推計しているGDPギャップは2017年でもマイナスである(IMF, World Economic Outlook Database, April 2018)。
  2. 13同様の認識は、中曽宏「最近の金融経済情勢と金融政策運営―広島県金融経済懇談会における挨拶―」「3.物価の現状と先行き」、日本銀行、2017年7月26日、でも示されている。

QQEに対する認知的不協和

私には、QQEに反対している人々の態度には認知的不協和と言われるものがあると思えます。認知的不協和とは、マーケティングでも使われる心理学の用語ですが、自分の認識と新しい事実が矛盾すると不快に思うということです。その場合、少なからぬ人々は、新しい事実を否定することによって不快感を軽減しようとします。

QQEで経済は良くならないという自分の強い認識に対し、現実に経済が改善しているという事実を突き付けられたとき、その事実を否定、または、今は良くても将来必ず悪化すると主張して、不快感を軽減しようとするわけです。例えば、将来、金融緩和の出口で大変なことになるという主張も、将来の可能性を述べて、不快感を軽減しようとしているものです。現在ではなくて、将来のことですから、当面、不快感を味わわなくてもよいことになります。

さらに、金融緩和政策の手段そのものを否定しようという心理もあるように思います。大胆な金融緩和は危険であり、そのような手段を取るべきではないというのです。人間は、太古からこのような感情をいだいていたのかもしれません。神話は、神に挑戦した人間たちの悲劇を繰り返し描いています。バベルの塔、太陽に近づいたイカロス、土で作られ、命を与えられたゴーレムが破滅を導いた神話です。QQEに反対する人々は、QQEも神の領域を侵すものだと言いたいのかもしれません。

また、歌舞伎の雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)には、朝廷が、邪悪な心を持った早雲(はやくも)王子を皇位から遠ざけるため、鳴神(なるかみ)上人に寺院建立を約束に、本来は女子として生まれるはずの子を超人的な力―変成男子(へんじょうなんし)の行法―により世継ぎの皇子として誕生させたという話があります。ところが、朝廷は、上人は自然の摂理を侵したとして、寺院建立の約束を反故にしてしまいます。しかし、QQEは自然の摂理を侵すような方策でしょうか。

ローマに税金を払うべきか否かを問われたイエスは、銀貨に皇帝の肖像が彫られていることを人々に確認させた後に、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と言われました。貨幣に関わる金融政策は、神のものではなく人間のものです。人間のものであれば、理論と事実に基づく議論を避けるべきではありません。

4.おわりに

以上申し上げましたように、日本銀行の大胆な金融緩和政策は所期の効果を上げており、生産、雇用、生産性、失業率、投資、輸出、財政状況、さらには景気回復の実感、所得分配、女性の社会進出まで改善しています。

金融緩和政策を批判される方は多いのですが、それは根拠がありません。批判されている方々の主張のように金融政策を行えば、実体経済は悪化し、市場は混乱するだけです。さらに、最近の経済と金融政策について点検を行いました。その結果、現状まだ雇用拡大の余地はあり、金融不均衡に陥っている兆候もほとんどありませんので、2%の物価目標達成を目指し、現行の緩和策を続けていくことが必要と思います。

最後に、石川県経済について触れておきたいと思います。

石川県には、電子部品、工作機械、建設機械などの分野で世界的にみても競争力の高い企業が集積しており、こうした企業が世界経済の着実な成長を取り込む形で北陸経済を牽引しています。我々は北陸経済が「拡大している」と評価していますが、現在、「拡大している」と評価しているのは全国の中でも北陸と東海地方だけですので、その意味では、北陸経済が日本経済を牽引しているとみることもできると思います。県内企業の良好な収益環境は、積極的な設備投資のほか、雇用・所得環境の着実な改善を通じて、個人消費の着実な持ち直しにも繋がっています。また、景気拡大の裾野も製造業から非製造業へ、大企業から中堅中小企業へと、緩やかながらも着実に広がっています。

2015年の北陸新幹線開業以降、当地における賑わいも継続しています。新幹線の開業効果がここまで長く続くのは、私の知る限り前例のないことでありますが、これは、石川県の素晴らしさが新幹線開業によって「再発見」されたためだと思います。当地は雄大な自然や、こうした自然にはぐくまれた食材に恵まれています。また、加賀藩の時代より伝統工芸が盛んに行われた地域で、現在も、人口当たりの日本伝統工芸展入選者数が全国1位であるなど、伝統的な文化が脈々と引き継がれています。2020年には、東京国立近代美術館工芸館が移転する予定とも聞いています。伝統的な文化だけではありません。今や金沢の顔の一つとなった金沢21世紀美術館も今年の秋に開業15年目を迎えます。今回、金沢駅に降り立った際に目にした、「鼓門(つづみもん)」と「もてなしドーム」は、伝統文化を大切にしながらも、新しいことへのチャレンジを続ける石川の文化を象徴していると感じましたし、こうした官民一体となった弛まない努力の積み重ねが、現在の石川県の賑わいに繋がっているのではないかと思う次第です。

このように石川県経済は、現在、とても良好な状態にあります。また、2022年度には北陸新幹線の敦賀延伸が予定されているほか、その後、新大阪までの開業も予定されています。こうした中、産業面においても、文化面においても、当地の魅力がさらに高まり、発展に繋がることを祈念しまして、挨拶の言葉とさせて頂きます。

最後に、あらためましてお礼申し上げます。ご清聴、ありがとうございました。