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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営青森県金融経済懇談会における挨拶

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日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2019年6月27日

1.はじめに

おはようございます。日本銀行の若田部でございます。本日は、ご多用の中、青森県の行政および金融経済界を代表する皆様との懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。私にとっては、新しい令和の時代を迎えて初めての懇談会になります。青森県は、世界遺産である白神山地、十和田湖、八甲田山を始めとする豊かな自然に恵まれ、国宝に指定されている縄文土偶や三内丸山遺跡に象徴される長い歴史を持ち、安藤昌益、太宰治、寺山修司、淡谷のり子を輩出した実り多い文化を誇る地域です。また、皆様には、日頃から日本銀行青森支店の業務運営に様々なご協力を頂いております。青森支店が1946年に開設された時には、資材不足の折、支店建設にも多大な苦労があったと伺っております。その後、地域の皆様のお力を得まして、現在に至っております。この場をお借りして、改めて厚くお礼申し上げます。

本日は、皆様から、当地経済の実情に関するお話を伺うことを楽しみにしております。また私どもの政策・業務運営についての忌憚のないご意見を承りたく存じます。まず私から、わが国の経済情勢について簡単にご説明した後、私どもの金融政策運営、日本の地域金融、そして青森県経済の動向についてお話ししたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

2.経済情勢

(1)2013年以降の経済情勢の変化

最初に、2013年4月に日本銀行が導入した「量的・質的金融緩和」のもとで、わが国の経済がどのように変化したのか、確認したいと思います。

振り返ってみますと、わが国の経済は、2008年の世界的金融危機で大きく落ち込んだ後、2012年頃まで、危機前の水準を回復できない状況が続いてきました。これに対して、2013年以降、わが国経済は、金融緩和のもとで、振れを伴いつつも改善傾向をたどっています(図表1)。こうした2013年以降の景気展開を、前回の景気回復局面、すなわち2002年から2008年頃の時期と比較しますと、外需の伸びは緩やかですが、個人消費や設備投資といった国内需要がより明確に増加している点が見て取れます(図表2)。海外からの追い風が前回ほど強くないもとでも、各種政策の効果もあって国内需要がしっかりと喚起されたことで、バランスの取れた成長が実現したと言えます。

このように、2013年以降、わが国経済がバランスよく成長してきたことは、雇用・所得環境の改善という面からも確認できます。わが国の労働市場では、有効求人倍率が1970年代の水準まで上昇し、失業率も1990年代初頭の水準まで低下するなど、着実な引き締まりが続いています(図表3)。こうした2013年以降の雇用環境の改善は、就業者数や雇用者数の大幅な増加を伴っている点が大きな特徴です。このことは、今回の労働需給の引き締まりが、生産年齢人口減少による労働供給の減少ではなく、労働需要の増加によるものであることを示しています。実際、仮に労働需給の引き締まりが、労働供給減少を主因とするものだったならば――企業が賃金を維持するもとでは、働きたいという人は減り、労働供給曲線が左にシフトすることから――雇用者数は減少していたはずです(図表4)1。現実には、雇用者数は増加を続けており、賃金の緩やかな上昇と相まって、雇用者所得は高めの伸びを続けてきました。こうした雇用・所得環境の改善は、総じて良好な企業収益と相まって、堅調な国内需要を支えているとみています。

  1. なお、現実には、2013年以降、就業者数や雇用者数は大きく増加していますが、それとの対比でみれば、賃金は弱めの動きを続けています。これについては、労働供給曲線が、増加方向(右方向)にシフトしていた可能性を指摘できます。15~64歳の生産年齢人口は減少を続けており、このことは労働供給曲線の左方向へのシフト要因となるわけですが、多様な働き方を可能とする労働市場改革の進展や健康寿命の長期化、あるいは労働市場は先行きタイトな状況が続くとの期待の強まりなどが、女性や高齢者を中心に、人々の労働意欲を高めた可能性があります。企業サイドをみましても、少子高齢化の進展といった人口動態の変化を単に制約として捉えるのではなく、こうした多様な形での労働力の確保や省力化投資の拡大などによって、前向きに対応を進められていると感じています。

(2)金融緩和の効果

私は、日本銀行が進めてきた金融緩和は、こうした雇用・所得環境の改善を伴う、内外需のバランスの取れた成長の実現に大きく貢献してきたと考えています。以下では、この金融緩和の効果について、2013年以降の金融環境の変化を確認したうえで、具体的に経済・物価情勢に及ぼした影響をお示ししていきたいと思います。

最初に、金融環境の変化について確認します。2013年の「量的・質的金融緩和」の導入以降、わが国の金利は大きく低下しました。こうした金利低下は、民間の資金需要を刺激するとともに、金融機関の貸出態度を積極化させています。こうしたもとで、民間部門の資金調達量も、はっきりと増加しました(図表5)。このように、金融緩和のもとで、企業の資金調達環境が大きく改善したことは、随所で確認できます。

次に、金融緩和の経済や物価への影響です。金融緩和は、今申し上げた金融環境の緩和や、人々の期待への働きかけ、更にはこれらに伴う資産価格の上昇などを通じて、経済・物価情勢を好転させたと考えられます。もちろん、現実の経済や物価は様々な要因で変動するものであり、金融緩和の効果だけを取り出して、定量的に示すことは容易ではありません。この点の難しさをお断りしたうえで、ここでは「仮に2013年以降の金融緩和がなかったならば、経済・物価情勢がどのようになっていたか」を示した一つのシミュレーションを紹介させて頂きます(図表6)。この分析によると――試算結果は一定の幅を持ってみる必要はありますが――、1)「量的・質的金融緩和」は、金利の低下等を介して経済・物価を強く刺激しており、2)仮にこの政策が導入されていなかったならば、わが国では需要不足が続き、デフレでない状態も実現できていなかった可能性が高いことが示唆されます2

金融政策の効果は、金利等を介した間接的なものであるだけに、実感しにくい面がありますが、実際には、いまご説明させて頂きましたように、様々な側面から、わが国の経済をしっかりと支援している点をご理解頂ければ幸いです。

  1. 2 図表6のシミュレーションは、マネタリーベースや各ゾーンの金利、需給ギャップや消費者物価(除く生鮮・エネルギー)、為替レートからなるVARモデルに基づき行っています。シミュレーション結果は、このモデルにおいて、金利やマネタリーベースのショックがなかった場合の需給ギャップと消費者物価のパスを試算したものです。なお、日本銀行では、2016年9月に公表した「総括的な検証」の中でも、マクロ計量モデルに基づき、金融緩和が経済・物価情勢に及ぼした影響を試算していますが、今回のシミュレーション結果は、当時の試算と概ね整合的なものとなっています。

(3)経済の現状と見通し

ここまで、日本銀行の金融緩和のもとで、2013年以降、わが国の経済が改善傾向をたどってきたことをお話ししてきました。もっとも、年初以降の景気動向をみますと、海外経済の減速感が強まるもとで、わが国でも輸出や生産活動が弱めとなっています(図表7)。

この点について、日本銀行としては、確かに海外経済減速の影響が輸出・生産面に及んではいるものの、現時点では、わが国の景気は緩やかな拡大基調を維持していると判断しています。これは、先ほど申し上げたように、金融緩和のもとで、国内需要が底堅く推移しているためです。先行きについても、メインシナリオとしては、国内需要が堅調さを維持するもとで、海外経済の成長率も幾分高まっていくことから、わが国経済は、基調として緩やかに拡大していくと考えています(図表8)。

もっとも、最近、こうした景気のメインシナリオを巡る下振れリスクには一段の注意が必要になっています。実際、IMFなど国際機関による見通しでも、本年後半以降、世界経済の成長率は幾分高まっていく姿が展望されていますが、この点に関する不確実性は大きいと指摘されています。中でも、米中間の通商摩擦には、先端技術争いや安全保障など経済を超えた大きな問題が絡んでおり、短期間で抜本的に解決することは難しいかもしれません。両国間の交渉は続いており過度な悲観は禁物ですが、仮に、この問題が長期化・常態化するようなことがあれば、関税引き上げの直接的な影響に加え、企業の投資マインドの悪化や金融市場におけるセンチメントの慎重化という経路を通じても、世界経済への下押し圧力が強まる可能性があります3。このほか、欧州においても、英国のEU離脱交渉の展開など政治情勢を巡る不透明感は引き続き高いほか、中東などの地政学的リスクにも注視が必要です。

また、仮に海外経済の減速が長期化すれば、内需への下押し圧力も徐々に強まっていくと考えられます。さらに、10月に予定されている消費税率の引き上げは、依然として、内需、ひいては経済・物価に下押し圧力をもたらす可能性があります。

  1. 3今年6月に国際通貨基金のスタッフによってG20向けに書かれた報告書によれば、中国から米国への輸入品2,000億ドル分の関税が10%から25%に引き上げられ、さらに約2,670億ドル分に25%の関税が上乗せされると、2018年に実施された追加関税の影響も含め、2020年の世界GDPの水準を0.5%押し下げると試算されています(G-20 Surveillance Note)(外部サイトへのリンク)。

3.金融政策運営

(1)なぜ物価安定の目標2%が必要か

次に、金融政策運営についてお話しいたします。現在、日本銀行は「物価安定の目標」として2%を掲げて、金融緩和政策を実行しています。なぜ、「物価安定の目標」を掲げているのかについては、昨年12月の新潟県金融経済懇談会での挨拶でも述べました4。2%は、国際標準であり、この目標を切り下げたりすると、人々の期待や為替・資産価格等の変動を通じて、デフレ圧力がかかることになります。また、日本銀行は物価だけ上がれば良いと考えているのではなく、2%の目標を達成することが、名目国内総生産、企業収益、家計収入、雇用者数の増加、政府財政の健全化といった、「国民経済の健全な発展に資する」と考えています。近年、モノの値段が上がる背景として、人件費の上昇を指摘する声が出てきました。人件費は賃金です。賃金が上がることで物価が上がるのですが、企業がモノの値段を上げられない環境ですと、賃金を上げることも困難です。

そう申し上げたうえで、このご挨拶では、やや異なる視点から、金融政策について説明してみたいと思います。先ほど、令和最初のご挨拶と申し上げましたが、平成の大部分はデフレの時代であり、デフレとの戦いの歴史でした。この間、残念ながら、経済活動も停滞してしまいました。デフレの経済学的原因については様々な説がありますが5、他の先進諸国が2%程度の物価上昇率を達成している中で、日本だけが長期のデフレに陥ってしまった事実は厳粛に受け止めざるを得ません。

しかし、日本銀行が2%の「物価安定の目標」を掲げるもとで、デフレから脱却しつつあります。とりわけ、2013年4月の「量的・質的金融緩和」の導入以降、平均的に見た物価上昇率は、それ以前の0.5%程度のマイナスから、0.5%程度のプラスに上昇しました。先ほど申し上げましたように、この上昇は、2%の目標を明確に掲げ、そのもとで金融緩和を進めてきたことで実現しました(図表9)。

  1. 4若田部昌澄「最近の金融経済情勢と金融政策運営──新潟県金融経済懇談会における挨拶 ──」、2018年12月5日 [PDF 798KB].
  2. 5片岡剛士『日本の「失われた20年」:デフレを超える経済政策に向けて』(藤原書店、2010年)、Masazumi Wakatabe, Japan's Great Stagnation and Abenomics: Lessons for the World (Palgrave Macmillan, 2015)、竹中平蔵『平成の教訓:改革と愚策の30年』(PHP研究所、2019年)、岩田規久男『なぜデフレを放置してはいけないか:人手不足経済で蘇るアベノミクス』(PHP研究所、2019年)。

(2)自然利子率の低下が低金利の原因

とはいえ、現状の物価上昇率は、生鮮食品を除いたベースで0%台後半と、まだ2%には到達しておらず、金融緩和が長期化しています。一方で、金利引き上げを求める声があります。「日銀は中央銀行として金利を自由に操作できるのだから、金利を上げればよい」とお考えになる方もおられるかもしれません。けれども、現実には、それほど単純ではありません6

そもそもなぜ低金利が続いているのでしょうか。世界的にみても、先進諸国では低金利になっています。経済学では、「金利は上げたければ下げろ、下げたければ上げろ」という言葉があります。景気が後退し、デフレになる危険が高まるとき、中央銀行は金利を下げます。そうして景気が回復すると物価が上がってくるので、金利はそのうちに上げていくことになります。

もう少し詳しく述べますと、現代の金融政策の基礎にあるのは次のような考え方です。経済の貯蓄と投資を均衡させ、景気を加速も減速もさせない利子率を、自然利子率あるいは均衡実質金利といいます。中央銀行は、この自然利子率を一つの目安として、政策運営を行います。具体的には、中央銀行は、景気が悪い際には、自然利子率を下回るように実際の金利を誘導し、景気を刺激します。また、逆に、景気が過熱している際には、自然利子率を上回る水準に金利を引き上げていくことになります。

もっとも、こうした自然利子率はあくまで理論的に計算された推計値ですので、不確実性があり、推計値は幅をもってみなければなりません7。そうした注意を踏まえて推計値をみますと、日本を含む先進諸国で、この自然利子率が低下しています(図表10)。

日本の場合、自然利子率は90年代の初頭に急激に下がりました。また、他の先進国では世界的金融危機以降低下しています。バブルの崩壊や金融・経済危機が、自然利子率の動向に影響を及ぼしていることがわかります。一般的には、自然利子率が低下する原因は、1)貯蓄が多くなるか、2)投資が少なくなるか、3)あるいはその両方が起きるか、の三つが考えられます。例えば、経済危機が起きて家計や企業が貯蓄を増やそうとすると、経済への資金供給圧力が増え、自然利子率は下がります。また、経済危機の発生、あるいは生産性の低下などによって将来の成長期待が下がり、企業の投資意欲が小さくなると、投資が冷え込み、自然利子率は下がります。その他、少子高齢化といった人口動態の変化が、自然利子率の低下に関わっているという意見もありますし8、世界的な貯蓄過剰、あるいは「長期停滞」が起きているという意見もあります9

原因はともあれ、自然利子率が下がりますと、中央銀行はそれにあわせて金利を低下させなければなりません。自然利子率が低下するのに金利を下げずに放っておくと、経済にはデフレ圧力がかかるからです。日本の場合は、90年代以降、すでに短期の名目金利はゼロ近くになりました。そのことを踏まえて、日本銀行は、1)長期国債の買い入れによる長期金利の引き下げ、2)短期名目金利をマイナスに誘導するマイナス金利政策、3)物価上昇率が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大方針を継続すること(オーバーシュート型コミットメント)、4)長短金利を低位に長期間続ける方針を表明すること(フォワードガイダンス)などを行っています。ただ、デフレに陥ってしまうと、企業や家計はデフレが続くのではないかという、予想を強めてしまいます。ことに日本のように長期にわたってデフレが続くと、そうした予想が強くなります。そうすると、名目金利は低くとも、企業や家計が感じる金利はさらに高く感じられます。この物価変動予想を考慮した金利を実質金利と呼びます。日本銀行が「物価安定の目標」として2%を掲げていることは、企業や家計の間に、将来の物価が安定的に上がるという予想を根付かせるように働きかけ、実質金利を引き下げることにつながります。

よく金融政策の「正常化」という言い方があります。「正常化」というのは、定義のはっきりしない曖昧な言葉です。金融政策の究極の目的は国民経済の健全な発展にあります。これは、経済・物価情勢が「正常化」しないならば、金融政策の「正常化」もないと言い換えられるでしょう10。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」の持続的達成に向けて必要な時点まで、金融緩和を維持していく方針です。

  1. 6米国で同じ問いに答えたものとしては、以下があります。Stanley Fischer, "Why Are Interest Rates So Low? Causes and Implications," Remarks at the Economic Club of New York, October 17, 2016.(外部サイトへのリンク)
  2. 7Jerome H. Powell, "Monetary Policy in a Changing Economy," speech at a symposium titled "Changing Market Structure and Implications for Monetary Policy" held in Jackson Hole sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, August 24, 2018;(外部サイトへのリンク) and Richard H. Clarida, "Models, Markets, and Monetary Policy," speech at the Hoover Institution Monetary Policy Conference titled "Strategies for Monetary Policy" held at Stanford University, May 3, 2019.(外部サイトへのリンク)
  3. 8人口動態が自然利子率に与える影響について研究したものとしては、以下があります。この研究では、労働力人口が減少すると成長率が低下し、また長寿化が進むと貯蓄が増えると考えて、日本で過去50年間に生じた実質金利の低下幅640ベーシスポイントのうち、270ベーシスポイント程度は人口動態によるもの、としています。須藤直・瀧塚寧孝「人口動態の変化と実質金利の趨勢的な関係―世代重複モデルに基づく分析―」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.18-J-4、2018年6月 [PDF 1,218KB]. もっとも、この研究では金融危機の影響による自然利子率の低下などについては考慮されていないことには留意が必要です。
  4. 9長期停滞とは、経済の総需要が潜在的な供給能力を長期的に下回り、それによって潜在的な供給能力がさらに落ち込む状態を指します。自然利子率の低下と長期停滞論について、さらに詳しくは、ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマン、アルヴィン・ハンセン著、山形浩生編訳・解説『景気の回復が感じられないのはなぜか:長期停滞論争』(世界思想社、2019年)を参照してください。
  5. 10なお、金利引き上げを求める議論として、いわゆる「弾込め論」があります。金利が上がらないと、次の景気後退が来た時に金利を下げられないから、あたかも弾を込めるように、現時点で金利を上げておくべき、という議論です。もちろん、「物価安定の目標」を持続的に達成した暁には、金利も物価の上昇を反映して上昇すると考えられます。しかし、目標到達前の金利引き上げはかえって景気後退をもたらし、逆効果になります。

(3)金融政策の枠組み等を巡る議論

世界的な低金利、低インフレの下で、中央銀行および学術の世界において、金融政策の枠組み等を巡る議論が進んでいます。もともとカナダ銀行は、5年ごとにレビューを行っていますが、米国の連邦準備制度理事会でも、現在、枠組みの見直しを行うべきか議論されています11。それらを含めた現在の要点は、次のようなものです12

第一に、日本のデフレとの戦い、そして欧米各国の世界的金融危機後の対応の経験を経て、量的・質的金融緩和、マイナス金利政策、フォワードガイダンスなどは、中央銀行の「武器庫」の中に組み込まれました。今後とも状況に応じて、用いられていくことでしょう。

第二に、物価上昇率目標については世界的金融危機とその後の対応でも有効であることは確認されましたが、経済・物価情勢が相対的に堅調な米国でも、過去と比べると金利は低水準にとどまっており、以前よりも金融政策による対応余地が小さくなっていると指摘されています。こうしたもとで、米国などでは、中長期的に物価の安定を実現していくうえでの金融政策のあり方が議論されています。例として、物価上昇率目標の引き上げ、平均物価上昇率目標、物価水準目標、物価上昇率目標レンジ、名目国内総生産目標の導入など、様々な提案がなされています(図表11)。これらの提案にはそれぞれ利点と課題があります。もちろん、既に物価上昇率が2%近くで推移している米国などと日本を同じように扱うことはできませんし、現時点では、日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」を明確に示したうえで、その実現に向けて金融緩和を進めていくという現在の枠組みを維持していくことが適切であると考えています。しかし、より良い金融政策を求めて、日本銀行も十分に研究しておく必要があると考えます。

  1. 11カナダ銀行のこれまでのレビューについては、以下を参照。
    https://www.bankofcanada.ca/agreement-inflation-control-target/(外部サイトへのリンク)
    米連邦準備制度理事会の進めているFed Listensについては、以下を参照。
    https://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/review-of-monetary-policy-strategy-tools-and-communications-fed-listens-events.htm(外部サイトへのリンク)
  2. 12現時点での金融政策の課題と展望については、元米国連邦準備制度理事会議長ベン・バーナンキによる以下の論文が有益です。Ben S. Bernanke, "Monetary Policy in a New Era," in Evolution or Revolution? Rethinking Macroeconomic Policy after the Great Recession, ed. Olivier Blanchard and Lawrence H. Summers (Cambridge: The MIT Press, 2019), 3-48.

4.日本の地域金融

次に、日本の地域金融機関経営についてお話しします。地域金融機関が地域経済において極めて重要な役割を果たしていることは言うまでもありません。緩和的な金融政策の長期化に伴い、日本の地域金融の抱える課題と、こうした金融政策が地域金融機関に与える影響について、関心が寄せられています。日本の金融には次のような特徴があります。第一に、間接金融優位の構造です。間接金融とは、企業の資金調達で、銀行などの金融機関の役割が大きい仕組みのことです。第二に、ことに地域金融機関の金融負債においては預金の比重が大きく、社債や株式の比重が小さくなっています。第三に、特に地域金融機関は、預金を集めて貸出を行なう、いわゆる預貸ビジネスに依存しています。

しかし、地域金融に限らず、日本の金融は今、大きな変革期を迎えています。人口減少と高齢化だけでなく、決済ビジネスへの他業態からの新規参入が起きるなど技術革新、グローバル化といった構造変化が起きています。マクロ的にみると、1990年代中頃以降、企業部門が貯蓄超過になっています(図表12)。これは、3節で説明した自然利子率が低下していることとも関わっています。中小企業でも、現預金が借入金よりも多い、いわゆる実質無借金企業の割合は上昇を続けており、直近では4割を超えています13

こうした構造的要因が、金融機関収益の減少の背景にあります。世界的に見て、かつては高い物価上昇率と高い自然利子率を反映して、高金利の時代もありましたが、それがすぐに復活する可能性は低いと言わざるを得ません。現状では、地域金融機関は、長期的にみれば高い水準の当期純利益を維持していますが、コア業務純益は低下傾向が続いています。4月に公表した『金融システムレポート』では、先行き10年間の収益シミュレーションを示しました。その結果をみると、これまでと同じペースで企業の借入需要が減少し続けると、10年後には国内基準行の半数以上が赤字になると予測されます。もっとも、この試算は一定の前提に基づいていますので、幅を持って考えるべきです(図表13)。

ここで参考になるのは、日本同様にマイナス金利が導入されている欧州の金融機関の事例です。『金融システムレポート』では、日本の金融機関と欧州の金融機関を比較しています。欧州では、マイナス金利政策が導入されていますが、金融機関は日本よりも高い収益を上げています。その背景としては、欧州では日本ほど長期にわたる低金利が続いておらず、預金金利の低下余地があったため、資金調達コストが低下していることがあります。また、欧州の金融機関は、金融負債の中に占める預金の比率が低く、社債などによる市場性資金の調達コストも低下しています。これに加え、手数料の多様化など金利変動の影響を受けにくい多様な収益手段を確保しています(図表14)。

今後の収益向上のためには、地域金融機関には、リスクに応じた適正な貸出金利の設定、役務収益の増加など預貸ビジネスへの過度な依存からの脱却、経営効率の抜本的な改善などが望まれます14。これらの取り組みを強力かつ効果的に推進する観点から、デジタル技術の活用、金融機関間の統合・提携や他業態とのアライアンスも有効な選択肢となり得ると考えています。日本銀行としましても、引き続き金融機関のこうした取り組みを支援していきたいと考えています。

  1. 13帝国データバンクによる。
  2. 14海外金融機関との比較を踏まえた議論として、以下があります。
    中曽宏「マクロプルーデンス政策の新たなフロンティア―銀行の低収益性と銀行間競争への対応―」時事通信社「金融懇話会」での講演、2017年11月29日.

5.青森県経済の動向

次に、青森県経済についてお話ししたいと思います。現状、青森県の景気をみますと、一頃に比べるとペースを落としながらも、緩やかな回復基調にあります。海外需要の弱含みから、生産の増加ペースが鈍化しています。業況感は製造業中心に慎重化しており、設備投資は横ばい圏内で推移しています。ただし、この間も労働需給は依然として引き締まり、雇用者所得が改善するもとで、個人消費は回復基調を維持しています。

一方、経済構造に目を向けると、全国から20年以上も先んじて人口減少に転じ、県内需要縮小という課題に直面してきました。この間、企業誘致等により、首都圏をはじめとする国内需要や、海外需要を獲得することで経済規模を維持してきましたが、全国的に人口減少に転じる中、当県が経済規模を維持していくことは容易ではないと思われます。もっとも、今回、県内を視察させて頂き、青森県には課題を克服していくための「強み」が少なくないと感じました。また、人口減少の負の側面にのみ焦点をあてることも建設的ではありません。少子高齢化は世界中で進行しています。2節で申し上げたように、日本経済は、長期的な人口減少傾向にも関わらず、2013年以降、緩やかな改善を続けてきました。人口減少が続くとしても、予測可能であれば対応の仕方も考えられます。高齢化が進むと同時に、健康寿命も延びています。当地の農業でドローン、AIの活用が始まっているように、人口減少がイノベーションを促進する側面もあります15

例えば、当地には、全国有数の農林水産業や、世界にも通用するモノ作りのできる企業、世界から注目が集まっている自然や文化といった豊富な資源があります。縄文文化ファンの私としては、縄文遺跡群の世界文化遺産登録を目指す動きは心強く思います。これらを活かしながら地域経済の活性化に取り組んでおられる方々にもお会いしました。また、青森県は、地域によって全く特色の異なる文化・歴史と、多様な経済構造を有しています。こうした多様性を活かすべく、既存企業が積極的に取り組むことはもとより、新たな成長を目指すスタートアップの動きを産官学金が連携して支援することで、県が掲げておられる「経済を回す」状況の実現に向け、更なる発展をされることを期待しています。日本銀行としても、支店での分析や情報発信などの活動を通じて、中央銀行の立場から地域経済を支援していきたいと考えています。今後とも日本銀行青森支店の活動にご理解を賜りたく、お願いいたします。

  1. 15今年の1月17日に日本銀行と財務省が共催したG20シンポジウムでは、「人口動態変動とマクロ経済面での挑戦(外部サイトへのリンク)」が取り上げられました。その報告の中で、日本銀行の関根敏隆調査統計局長は長寿化に伴う健康寿命の延長について、アジア開発銀行の澤田康幸チーフエコノミストは、人口減少がイノベーションを促進する可能性について論じています。

6.おわりに

『戦艦大和ノ最期』で知られる吉田満は、かつて1965年から68年にかけて日本銀行青森支店長として当地に勤務しました。当地を愛してやまなかった吉田は、「青森は日本のノルウェーでありたい」、「青森は未来県である」と、青森の可能性に大きな期待を寄せていました16。「持てる可能性をすべて引き出すことができれば、前途はまさに洋々たるものである。ただ、その豊かな夢を、われわれの手にしっかりとつかまえるためには、待っているだけでは駄目である」。この言葉は、青森県のみならず、日本経済全般に当てはまるものと考えます。

すでに申し上げた通り、平成の時代の大部分はデフレの時代であり、デフレとの戦いの時代でした。このデフレの時代に、残念ながら日本経済も停滞しました。他の先進諸国が2%程度の物価上昇率を達成していた中で、日本だけが長期のデフレに陥ってしまった事実は厳粛に受け止めざるを得ません。日本銀行法で「物価の安定」を政策運営の理念として掲げる日本銀行は、デフレを起こさないという責務を負っています17。日本銀行としましては、新しい令和の時代に、デフレに陥る事態が二度と起きないように、しっかりと政策運営を行っていきたいと考えております。

  1. 16青森県についての吉田満の随筆は、最初『青森賛歌』(東奥日報社、1967年)にまとめられた後、現在は『吉田満著作集 下』(文藝春秋、1986年)に所収されています。
  2. 17 「デフレの責任は基本的に金融政策にあるといってよい。その理由は、中央銀行にはデフレやインフレを防ぎ、物価を安定させる義務があるからである」黒田東彦『財政金融政策の成功と失敗』(日本評論社、2005年)、182頁。