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【挨拶】 国際的な金融規制・監督:これまでの成果、現在の論点、将来の課題 パリ・ユーロプラス主催フィナンシャル・フォーラムにおける挨拶の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2019年11月28日

1.はじめに

本年も、パリ・ユーロプラス主催フィナンシャル・フォーラムでお話しする機会をいただき、誠に光栄に存じます。このフォーラムは、本日も取り上げられる国際金融規制や金融イノベーション、ESG(環境・社会・企業統治)といった興味深いトピックに関する意見交換のための貴重なものです。また、パリを金融センターとして推進するための重要な役割も担っています。翻って東京も、「国際金融都市・東京」構想の実現に向けた取り組みを進めており、先ほど登壇された中曽氏が、東京国際金融機構の代表理事・会長として、こうした取り組みを牽引されています。本日は、東京とパリという国際的な金融センター間の交流に資する、貴重な機会であると思います。

私はこれまで過去3年に亘り、金融イノベーションや人口動態の変動といった将来に向けた課題についてお話をしてきました。本年は焦点を少し変えて、グローバル金融危機後の金融規制・監督に関する議論を振り返り、そのうえで、現在とりわけ重要になっている論点をお話しします。加えて、将来に向けて重要性が高まっていくとみられる論点にも触れたいと思います。

2.国際的な金融規制・監督の過去、現在、将来

グローバル金融危機以来、世界中の金融機関は、バーゼルIIIなど新たな国際金融規制のもとで、自己資本比率を引き上げてきました。これらの規制は、世界各国の当局者による議論を通じて形作られ、国際的な金融システムの頑健性の向上に貢献しています。

しかしながら歴史を振り返ると、金融危機は、しばしば新たな金融技術の出現を伴いつつ、異なる形で繰り返し発生してきました。私達は、将来を完全に見通す千里眼を持たない以上、できるだけフォワードルッキングな観点で、金融システムに対するリスクを明らかにしていく必要があります。これまでの経験を十分に考慮し、新たな金融イノベーションの進歩や金融機関を取り巻く環境の変化を注視する必要もあります。そのうえで、明らかになったリスクが次の金融危機をもたらさないよう、国際的な金融規制を設計していかなければなりません。また、国際金融規制が慎重に策定され、実施された後においても、金融技術の進歩やビジネス環境の変化によって、規制の効果が損なわれるかもしれません。加えて、金融規制には意図せざる副作用のリスクがあり、それが効果を上回る場合には、追加の対応が必要となります。従って、国際金融規制・監督の設計を行う際には、次の4段階のサイクル、(1)フォワードルッキングな視点で制度を設計すること、(2)それを着実に実施していくこと、(3)新技術や金融環境の変化を考慮したうえで効果と副作用を評価すること、(4)副作用が効果を上回る場合は必要であればどんな問題にも対処すること、を繰り返していかなければなりません。

国際金融規制・監督の検証が、グローバル金融危機後に本格的に始まってから、10年が経過しました。以下ではまず、この間に進められてきた規制の策定作業、特に金融安定理事会(FSB)とバーゼル銀行監督委員会における作業を振り返ります。そして、現在進められている作業の中から、金融規制の評価作業が重要である点を取り上げます。最後に、将来の金融安定のための課題の一つとして、気候関連リスクに言及します。

3.これまでの成果:過去10年に亘る議論の評価

グローバル金融危機後、金融規制改革の作業は、危機の原因を含めた、過去の各々の危機の検証から始まりました。これにより、金融危機の前には常に、金融機関や非金融セクターにおける債務の積み上がり、いわゆるレバレッジの積み上がりが生じていたことが明らかになりました。このため、金融規制は、フォワードルッキングな形で強化されてきました。例えば、潜在的な問題の先行指標の性質を有する総与信の対GDP比率に、注目が集まりました。

過去10年に亘って、バーゼルIIIを始めとする国際的な金融規制・監督は、とても有意義な進展をみせてきました。例えば、バーゼルIIIの枠組みでは、3本の柱、すなわち、第1の柱である最低所要自己資本比率、第2の柱である監督上の検証プロセス、第3の柱である市場規律のための情報開示が、それぞれ拡充されました。その内容として、従前のリスクベースでの資本規制に加え、流動性規制などの政策ツールが拡充されました。さらに、国際的なレベルでマクロプルーデンスの視点が導入されたことも重要です。具体的には、プロシクリカリティ(景気循環増幅効果)に関する問題への対応として、カウンターシクリカル資本バッファー(CCyB)が導入され、次に、「大きすぎて潰せない」問題という構造的な論点は、グローバルなシステム上重要な銀行(G-SIB)を特定する新たな枠組みや、総損失吸収力(TLAC)の導入によって対応されました。これらの二つの対応策は、いずれもマクロプルーデンス政策の重要な要素であり、前者は期間を通じた影響を抑制する時系列的な観点からの対応、後者はセクター横断的な観点からの対応として位置づけられます。

4.国際的な金融規制・監督上の現在の論点:市場分断

こうした議論を経て、バーゼルIIIは、2017年12月に最終化されました。現状、最も重要なことは、各法域が国際合意を完全かつ適時に実施することです。

バーゼルIII最終化後、FSBやバーゼル銀行監督委員会などにおいて、規制が意図する効果の確認と意図せざる効果の調査の両面から、作業が続けられています。進行中の評価作業では、複数の規制間の相互関係がより明示的に考慮され、より包括的かつ一般均衡的な観点も取り入れられています。こうした継続的な評価作業は、非常に有益なことです。

「市場分断」も、進行中の規制の影響評価作業における重要な論点です。このため、日本が議長を務めた本年のG20会議において優先課題の一つとなりました。過去10年間に設計された金融規制のいくつかは、ある程度の市場分断を伴っている可能性が高いと考えられます。一例では、各国で異なる店頭デリバティブ取引市場の規制対応が国際的なデリバティブ市場取引に影響をもたらしていると、各国当局や市場参加者の間でしばしば指摘されています1。意図しない形での市場分断は、規制の詳細や実施タイミングが各国で異なることによって生じているかもしれません。金融システムの安定性や効率性に負の影響を及ぼし得るため、意図せざる市場分断は避けるべきものです。分析をもとにした政策評価を行う際には、市場分断は重要な検討事項であり、国際的なフォーラムにおけるハイレベルな検討でこの論点が取り上げられることは、歓迎すべきことであると思います。

  1. OTCデリバティブ市場の参考文献として、金融安定理事会 “FSB Report on Market Fragmentation” (2019年6月)参照。

5.国際的な金融規制・監督上の将来的な課題:金融安定に関する新たな論点としての環境問題

過去10年間の進捗は誇るべきことですが、それで安心することはできません。銀行以外の金融機関――例えば、適用される規制がさほど厳しくない非銀行金融機関――においては、なお課題が残されています。銀行セクター自体も、デジタル化などの影響から、ビジネスモデルの変革を迫られています。これらのことは、継続的なモニタリングが必要な状況にあることを意味しており、先ほど申し上げた4段階のサイクルを絶えず実行していくことが必要です。

こうした中で、金融安定に関する新たな論点の一例として、気候関連リスクに言及したいと思います。本年10月の台風19号とその洪水による被害からの復旧・復興に向けた努力が全国的に続けられていますが、近年、日本では、台風などの厳しい自然災害が増加しています。因果関係をはっきりさせることは容易ではありませんが、甚大な自然災害が増加している原因として、地球温暖化を指摘する人もいます。究極的には人命こそが重要ではあるものの、自然災害の影響としては、資産価格の下落や担保価値の毀損に繋がる可能性、関連するリスクが金融機関の大きな課題となる可能性もあります。

気候関連リスクには、他のリスクとは異なる特徴があります。すなわち、他の金融上のリスクに比べて長い期間に亘って効果が持続するという長期的な影響があり、そして、その影響がとても予見しにくいという問題もあります。このため、気候関連リスクの影響については、しっかりとした調査や分析を行う必要があります。規制や監督上の対応が求められる場合には、先に申し上げた4段階のサイクル、すなわち、フォワードルッキングな視点で制度を設計し、着実に実行し、効果と副作用を評価し、必要ならばどんな問題にも対処する、ということを注意深く実行していくべきです。また、気候関連リスクの規制や監督を検討する際は、産業政策や環境規制・ガイドラインが、こうしたリスクへの対応としてどの程度効果的か、念頭に置いておく必要があります。このため、産業セクターと金融セクターの間で連携する余地があるかもしれません。

気候関連リスクは、セクター横断的で時系列的な論点を提起しています。セクター横断的な問題としては、炭素排出が幅広い産業に影響を及ぼすこと、時系列的な問題としては、炭素排出の影響が長期に亘る問題となることです。金融規制・監督の観点から、私達は、セクター横断的かつ時系列的な問題に対処するため、「大きすぎて潰せない」問題への対応やCCyBの設計・実施を通じて、専門的な知見を活かしてきました。こうした金融規制・監督に関する議論の蓄積は、今後、金融安定のための新たな課題として環境リスクに対処していく際に、貴重な示唆を提供してくれるものと思います。

この点、気候変動に関する論点についての国際的な議論を行う場として、「気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(the Network for Greening the Financial System、NGFS)」があることを紹介させてください。日本銀行は、このたびNGFSのメンバーとなりました。他の参加機関とともに今後の議論に貢献していくことを心待ちにしています。私達がNGFSへの参加を決めるに際しては、この分野で国際的な強いリーダーシップを常に発揮されてきた、ここにおられるフランス中央銀行のヴィルロワ・ド・ガロー総裁や他の同僚の方々からの後押しが大きかった点を申し添えます。

6.おわりに

本日の私のスピーチでは、金融安定を検討する際の新たな課題として、気候関連リスクを取り上げました。他にも、例えば、サイバーリスクやアンチマネーロンダリング、テロ資金供与対策、暗号資産に関する論点など、我々が対応すべき課題は少なくありません。

こうした新しい課題に取り組む際は、本日繰り返し申し上げてきた4段階のサイクルを実行し続けていくことが重要であると考えています。最後に、フランスの数学者であるアンリ・ポアンカレの言葉を引用したいと思います。「数学とは、異なった事柄に同一の名称を与える技術である」2。表面上は異なる物事に見えたとしても、それらにはしばしば共通する本質が備わっているものです。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 2アンリ・ポアンカレ「科学と方法」(吉田洋一訳、岩波文庫、1953年)