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最近の国債金利低下の背景について

———IFRを用いたファンダメンタルズ分析———

1998年 1月
山口智之
吉田知生

日本銀行から

日本銀行調査統計局ワーキングペーパーシリーズは、調査統計局スタッフおよび外部研究者の研究成果をとりまとめたもので、内外の研究機関、研究者等の有識者から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。ただし、論文の中で示された内容や意見は、日本銀行あるいは調査統計局の公式見解を示すものではありません。

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以下には、(問題意識と結論の要約)を掲載しています。全文は、こちら (cwp98j01.lzh 148KB [MS-Word, MS-Excel]) から入手できます。

問題意識と結論の要約

  •  わが国の長期金利は、1990年以降低下トレンドを辿っている。国債指標銘柄の利回りは90年8月に8.27%のピークをつけた後、93年末の3.0%までほぼ一貫して低下した。94年には一時的に4.7%まで反転する局面が見られたが、95年以降は再び低下に転じ、本稿執筆時の97年10月時点では、1.5%台を記録し、世界史上も例をみない低金利となっている 1
  •  長期金利に関する経済学のオーソドックスな立場は「長期金利は将来の短期金利に関する予想を反映する」という期待理論の考え方であり、これに基づけば、長期金利の低下は市場参加者が将来の短期金利の予想水準を下方修正してきていることの表れといえる。さらに、「名目金利は、期待インフレ率、実質金利、および不確実性が伴うことにより投資家が要求するリスクプレミアムの3者の和である」という関係(いわゆるフィッシャー方程式)から類推すれば、長期金利の低下をもたらす背景として、(1)期待インフレ率の低下、(2)将来の実質金利———それにほぼ対応する期待実質成長率———の低下、(3)リスクプレミアムの縮小、の3つの可能性が挙げられる。
  •  本稿は、こうした基本的な考え方をベースに、近年のわが国における長期金利低下が、いかなる要因によってもたらされているのかを実証的に検証することを目的としている。具体的には、まず、リスクプレミアムを一定と仮定した上で(リスクプレミアムは上記(1)〜(3)の中で最も計測が困難なためこうした便法が用いられることが多い)、長期金利を期待インフレ率や予想成長率の代理変数で回帰することにより、長期金利の低下が経済のファンダメンタルズからどの程度説明できるのかを明らかにする。
  •  こうした手法(ファンダメンタルズ・アプローチ)は、特に珍しいものではなく日本銀行調査統計局においても過去に多くの分析例が存在するが 2、本稿の分析のユニークな特徴は、長期金利自体を被説明変数とするのではなく、10年物国債金利を短期ゾーン(足許〜2年先まで)、中期ゾーン(2年先から6年先まで)、長期ゾーン(6年先から10年先まで)のIFR(インプライド・フォーワード・レート)に分解した上で、それぞれの変動要因を別個に検証した点にある。これは、「一口に将来の予想金利といっても、短期ゾーンの金利は、中長期的な期待インフレ率や潜在成長率といったファンダメンタルズよりもむしろ目先の金融政策に対する市場の思惑に左右されやすく、逆に長期ゾーンの金利であれば中長期的なファンダメンタルズを反映して動くであろう」との半ば常識的な仮説が現実にどの程度妥当するか検証することにより、長期金利の変動要因に関する理解を深めようとの動機に基づく。
  •  本稿の結論を予め先取りし、実証結果の中で特筆すべき点を述べると、(1)事前の予想通り、短期・中期ゾーンの金利は足許の金融政策スタンスに左右される一方、足許の金融政策と長期ゾーンの金利との間に明確な相関関係は看取されないこと、(2)期待インフレ率の代理変数である過去3年間のCPI上昇率は、すべてのゾーンの金利に有意な影響を及ぼしており、近年の長期金利低下のかなりの部分はわが国のインフレ率の低下に呼応するものと考えられること、(3)鉱工業生産指数は「目先の実質成長率あるいはインフレ率の変化を通じて主に短期・中期ゾーン金利に影響を及ぼす」との事前予想に反し、長期ゾーンの金利にも強い影響を及ぼしており、「市場における中長期的な日本経済への見方」を反映するはずの長期ゾーンの金利も、実際にはその時々の景気指標にかなり左右されていること、の3点である。
  •  なお、本稿で用いた長期金利関数の推計終期を94年末とし、95年以降について外挿シミュレーションを行うと、特に長期ゾーンの金利に関して実績値が推計値を大幅に下回る現象が生じ、ここ数年国債利回りに過去のパターンの延長のみでは説明できない低下圧力が作用していることが窺われる。この背景としては、バブルの後遺症の克服と経済の構造調整という試練が続く中で、市場参加者が足許のファンダメンタルズで説明できる以上に将来の成長率や物価を悲観的に見始めたという可能性———いわば「名目成長率の下方屈折」———がまず指摘できるが、それ以外にも、資産価格の下落によりわが国の企業や金融機関の体力が低下する中で、投資家の間に「質への逃避」への動きが強まり、投資家が安全資産である国債に対して要求するリスクプレミアムが平常時に比べ縮小している(つまり国債の利回りが特に低下している)可能性も考えられる。そこで、後者の妥当性を確認すべく、95年後半から急速に拡大したTBとCDの利回り格差を質への逃避要因の代理変数として説明変数に追加したところ、長期ゾーンの金利については有意な結果が得られた。このことは、最近の国債利回りの低下の少なくとも一部は「質への逃避」に伴うリスクプレミアムの縮小で説明できることを示唆している。
  •  以下第2節では期待理論の概要とそれを用いた短期、中期、長期の各ゾーンのIFRの導出方法について解説し、第3節では、長期金利を動かすファンダメンタルズとして用いる具体的な説明変数について説明する。実証分析の結果は第4節にまとめてある。本稿の結論については上記のとおりであるので、最終節(第5節)では本稿で十分に取り上げられなかった点について、今後のリサーチの課題として指摘し結びとする。
  1. Homer and Sylla(1996)によると、産業革命以降では1941年に米国財務省証券利回り(残存12年超)が記録した1.85%が、産業革命以前では1619年にイタリアで記録された1.125%(期間4〜5年)が長期金利の史上最低とされている。
  2. 例えば、日本銀行調査統計局(1988)。