このページの本文へ移動

【発言要旨】東日本大震災:社会の頑健性と復興に向けた意思

English

Council on Foreign Relations主催の会合(ニューヨーク)における発言要旨の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2011年4月14日

目次

1. はじめに

本日は権威ある外交評議会(Council on Foreign Relations)でお話をする機会を頂き、大変光栄に存じます。講演に先立ち、今回の悲劇的な東日本大震災に際して、米国の政府、国民から寄せられた支援、励ましに対し、心からお礼を申し上げたいと思います。震源地に近い地域、特に津波の影響を受けた沿岸部の状況は悲惨です。約1万3千名の方が亡くなり、現在なお、1万5千名を超える方が行方不明となっています。福島第一原子力発電所の周辺住民の方には避難指示が出されており、不安な生活を余儀なくされています。このように日本は、地震発生以来大きな試練に晒されていますが、しかし、同時に日本の社会は頑健さも示しています。復興に向けた取り組みも徐々にではありますが、着実に始まりつつあります。そこで本席では、地震発生後1か月間の日本の状況と日本経済の復興に向けた取り組みについてお話ししたいと思います。

2. 地震発生後1か月間の経験

最初に、私にとって身近な世界である金融市場で起きたことから、話を始めたいと思います。地震は3月11日金曜日の午後2時46分に発生しました。この時、私自身は翌週初に開催予定の金融政策決定会合に向けて、スタッフによる報告を聞いている最中でした。震源地から約250マイル離れた東京でも、私がかつて経験したことのない激しい揺れが2分以上にもわたって続きました。地震のマグニチュードは日本の観測史上最高の9.0であり、途轍もないエネルギーの地震でした(図表1)。日本銀行は予ねてより用意していた非常時の手順に従い、私を本部長とする災害対策本部を直ちに立ち上げました。これは、地震発生から14分後のことです。中央銀行にとって危機時に最も重要なことは、決済システムと金融市場の安定確保です。日本の資金決済と国債決済の根幹を成す決済システムである日銀ネットは、地震発生以後今日に至るまで、正常に稼動しています。福島第一原発から約40マイルの距離にある日本銀行の福島支店も通常通り営業しており、地震発生後の週末も含め現金供給に努めています。また、金融市場も安定を維持しているほか、東京証券取引所における株式の取引も正常に行われています。

決済システムや金融市場の外に目を転じると、被災地のあれだけ厳しい生活環境にもかかわらず、人々は冷静に行動し、助け合いの精神に満ちています。また、東京での人々の生活を見ると、電力不足による不便はあるものの、そうした事態を受け入れて直ぐに適応しています。目に見えて変化したのは、震災の犠牲者に対する弔意と被災者の心情への配慮から、様々な会合や行事の自粛が広がっていることと、外国からの観光客の大幅な減少です。

3. 日本経済への影響

次に、今回の悲惨な出来事、すなわち、地震、津波、原子力発電所の事故が日本経済に与えた影響についてお話ししたいと思います。あまり認識されていない事実ですが、2010年の日本経済は、G7諸国の中では、成長率、失業率いずれでみても、最も良いパフォーマンスを示していました(図表2)。今回の惨事は、日本経済が緩やかながらも回復軌道に復帰しつつある中で発生しましたが、短期的には、供給能力への打撃から、生産を中心に経済活動に大きな影響が及ぶことは必至です。今回、地震や津波の影響を最も強く受けた4県のGDPのシェアは約6%です(図表3)。1995年1月の阪神淡路大震災の場合は、当該四半期を含めて実質GDPは減少しませんでしたが、これと比較すると、今回の震災については、以下の理由から、より生産活動への影響は大きいと考えています。

第1の理由は、地震の規模が大きく、地域的にも被害が広範に及んでいることに加え、津波が発生し、それらによって原子力発電所の問題も生じていることです。

第2の理由は、被災地の工場で生産されている代替可能性の低い部品や素材がサプライチェーンに組み込まれており、その影響が大きいことです。そうした部品の典型は電子部品ですが、これは被災地以外の自動車生産にも大きな影響を与えており、その影響は国内に止まらない可能性があります。日本、米国、中国の間には、米国が最終消費財の開発を進め、日本が部品の生産を行い、中国が組み立てを行うという相互依存関係が形成されているため、サプライチェーンを通じる影響は国際的にも及び得ると考えられます(図表4)。

第3の理由は、発電設備が大きく毀損したことです。福島第一原発の事故によって原子力発電の問題がクローズアップされていますが、火力発電所も大きな被害を受けました(図表5、6)。現在、企業や家庭への節電の要請をはじめ様々な方法で需要の抑制を図るとともに、発電能力の回復に努めています。季節的要因から一旦電力不足は解消しますが、需要期の夏場には東京電力管内では電力が再び不足すると見込まれています。日本は歴史的な理由から国内に2つの周波数領域があり、周波数の異なる西日本の余剰電力を融通するという方法の活用余地は小さいのが現状です。

このような供給制約による影響は短期的には大きいとみられます。しかし同時に、人間の知恵と意思で影響を緩和できることも忘れてはなりません。この点については、2つの事例を挙げたいと思います。

第1に、ボトルネックとなった部品や素材については、ユーザー企業の協力も得つつ、最優先で復旧が進められています。また、日本国内の他の工場における代替生産の動きも始まっています。電力についても、供給不足が見込まれる夏場のピーク需要時間帯の使用量削減に向けて、強力な対策が講じられようとしています。

第2に、時間の経過と共に、道路や工場、住宅をはじめ、毀損した資本ストックを復元するための需要が生まれてきます。現時点で復興需要の金額や時間的経路を正確に予測することは難しいですが、政府が発表した地震及び津波による資本ストックの推定毀損額の対GDP比率は約3〜5%、対資本ストック比は1〜2%です(図表7)。

こうした要素を考慮し、第3四半期以降、GDP成長率は再びプラスに転じるという見方が民間エコノミストの多数説となっています。さらに、その先のやや長い時間軸で考えると、新たな需要が生まれることも予想されます。例えば、今回、サプライチェーンの寸断という事態を経験して、特定地域、特定企業へのリスクの集中が意識されるようになりました。そうした意識の変化は、ビジネス戦略の再考を通じて、コンピューター・センターや物流拠点をはじめ、新たな投資を生む可能性があります。世界レベルで考えると、福島第一原発の事故を契機に、原子力発電政策を巡る議論が活発化しており、今後、省エネルギー、環境技術の重要性は高まると考えられます。日本の企業は高性能電池をはじめ、この面で優位性を有しており、貢献できる余地も大きいと思います。

4. 日本経済の復興に向けた課題

日本経済が地震の影響から立ち直り、復興を実現するためには様々な課題を解決する必要があります。

第1は、復興に必要な資金のファイナンスです。ただし、日本は経常収支の黒字、すなわち、貯蓄超過状態が長く続いており、マクロ的にみてファイナンスが難しいという状況ではありません(図表8)。外貨の資金繰り能力という点でも、日本は対外純資産が2.9兆ドル、名目GDPの57%にも達する世界最大の債権国であり、非常に頑健です。また、民間金融機関は、復興の資金需要の増加に十分応えられる状況にあります。なお、地震発生直後、保険金支払いの増加から、日本の保険会社が外貨資産を売却するという噂が広がりましたが、保険会社は多額の流動資産を保有しているため、外貨資産を売却して支払い資金を捻出することが必要な状況にはありません。国債の発行市場をみても、地震発生後も入札発行は順調に行われており、長期金利も諸外国に比べ低位で安定的に推移しています。日本が復興に向けてしっかりと取り組んでいく限り、ファイナンス面から問題が生じるという事態は想定しにくいと思います。

第2は、潜在成長率引上げの努力です。2000年以降の就業者一人当たりの実質GDP成長率をみると、日本は米国に比べて僅かながら劣るとはいえ、G7諸国の中では、最上位グループに属しています(図表9)。しかし、生産年齢人口の減少が近代の経済史に例を見ないスピードで進行しており(図表10)、その結果、成長率は趨勢的に低下傾向にあります。地震発生以前から、潜在成長率の引上げは日本経済の最も大きな課題でしたが、労働参加率の引き上げ、生産性向上の努力の重要性は増しています。復興に当たっては、潜在成長率を引き上げていく取組みが、これまで以上に重要になっています。これらは決して容易な課題ではありませんが、しっかりと取り組まなければなりません。

5. 日本銀行の対応

最後に、地震発生後の日本銀行の対応について簡単にお話ししたいと思います。リーマン・ショック発生直後の金融市場もそうでしたが、人間は生存や安全が脅かされると、時として極端なリスク回避に走り、そのことがさらに事態を悪化させます。因みに、東京在住の外国人が放射能リスクへの恐怖から国外に退避するという動きも広がりましたが、東京の放射線量はパリやベルリンなどの主要都市とほぼ同じであるとか、飛行機内で受ける放射線の方が多かったという事実は忘れられがちでした。短期金融市場でも、金融機関による予備的な流動性需要が急激に高まりました。外国金融機関の間では、放射能リスクへの恐怖から、東京の金融市場の閉鎖の噂が広がりました。また、日本銀行に関しても、「西日本にあるバックアップ拠点への機能移転を検討中である」といった根拠のない噂の真偽について、確認を求められました。前述のように、金融インフラは正常に機能しており、移転の必要など全くありませんでした。

このような状況の下では、不安心理の鎮静化が最重要であり、日本銀行は連日未曾有の規模の資金供給を行いました。また、地震発生の翌営業日には、不安心理の広がりやリスク回避姿勢の高まりから経済活動に悪影響が生じることを防ぐために、日本銀行は、リスク性資産を中心に金融資産の買入額を大幅に増額することを決定しました。こうした措置の結果、地震発生直後の一時期やや神経質であった金融市場も、今は落ち着いています。言うまでもなく、日本銀行の使命は、物価の安定と金融システムの安定を通じて日本経済の持続的成長に貢献することです。日本銀行はこの使命達成のため、今後とも中央銀行として適切な措置を講じていく方針です。

6. おわりに

冒頭でも申し上げたように、危機時において、海外の友人達の励ましや支援ほど、勇気付けられるものはありませんでした。本日の話を終えるに当たり、改めてそうした友情に感謝の意を表したいと思います。日本の社会の頑健性と復興に向けた意思をもってすれば、日本経済は現在の厳しい試練を乗り越えて必ず復興を成し遂げ、より成長力のある経済を作り上げることができると確信していることを申し上げて、私の話を終えたいと思います。ご清聴有難うございました。