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【講演】 アジア金融市場:通貨危機から20年、これからの20年 アジア証券人フォーラム年次総会における基調講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年11月28日

はじめに:過去20年間の経験

日本銀行の黒田でございます。アジア証券人フォーラムの年次総会におきまして基調講演を行う機会を賜り、大変光栄に存じます。

2017年は、アジア通貨危機からちょうど20年となります。危機の前、アジア新興地域は、その力強い経済成長によって賞賛の的になっていました。しかし成長と同時に、経常収支赤字、対外債務、そして不良債権が積み上がって脆弱性が高まっていました。こうした経済、金融、そして企業経営に関する様々な問題が、コンフィデンスの急速な低下と資本流出を招いて通貨危機に繋がり、アジア諸国は深刻な不況に陥りました。

アジア通貨危機から20年を経て、アジアは世界の経済成長に対して最も貢献する地域となりました。昨年、アジアは世界の実質GDP成長の57%に寄与しました1。域内の内需、とりわけ消費がこうした成長を牽引しており、主要都市は活気に満ち溢れています。東京でもアジアからの観光客の急増という現象を通じて、そうした消費の増大を垣間見ることができます。

このように、この20年間で日本を含むアジア経済は大きな変化を経験してきました。こうした変化は、域内の諸国が単独で、あるいは連携して、必死の思いで取り組んできた活動や政策の賜物です。20年近くに亘り、日本の財務省、アジア開発銀行、そして日本銀行での職務を通じて、通貨危機の対応や地域協力の推進に関わってきた身からすると、現在、アジア経済が大きな経済ショックに対する頑健性を高めたことは心強い限りです。

ここで、アジア通貨危機後のアジア諸国の対応を少し振り返ってみたいと思います。アジア諸国は、経常収支の改善や、外貨準備の積み増し、対外純資産の増加を通じて資本流出への耐性を強めました。また、不良債権比率が低下したほか、金融規制・監督体制の整備も進みました。さらに、多くの国では、為替制度の柔軟性を向上させるとともに、金融市場、とりわけ自国通貨建ての債券市場を拡大させてきました。

この自国通貨建て債券市場の育成は、通貨と期間のダブル・ミスマッチや、資金調達を銀行に依存した金融システムの是正を図ることを目指してきました。当時、アジアの金融機関は、短期で外貨資金を調達し、自国通貨に変換したうえで、長期の貸出を行っていました。こうした下で、自国通貨が大幅に減価したことによって、外貨建て債務の返済負担が増加し、外国人投資家が再投資をやめてしまったことで、国内の企業部門、銀行部門の双方において倒産が続出することに繋がりました。

20年を経て、ダブル・ミスマッチの程度は改善し、アジアにおける自国通貨建て債券市場の拡大は、企業に銀行以外の資金調達チャネルを提供しています(図表1)。域内の自国通貨建て債券の発行残高は、日本を除いてみた場合、直近で3.7兆ドルと通貨危機前の100倍以上に大幅に拡大しています2。アジア経済は外生的なショックに対する耐性を強めており、金融部門もまた大きく発展しています。

こうした各国の施策に加え、域内の協力を通じた様々な取組みが進められてきました。例えば、ASEAN諸国と、中国、韓国、および日本(ASEAN+3)は、チェンマイ・イニシアティブという域内セーフティネットを構築しました。また、ASEAN+3諸国は、2002年にアジア債券市場育成イニシアティブを立ち上げ、アジアの自国通貨建て債券市場の発展を支えてきました。同時に、各国市場の効率性・透明性の向上にあたっては、アジア証券人フォーラムのメンバーである各国業界団体や自主規制団体も大きな役割を果たしてきました。

  1. 世界銀行のWorld Development Indicatorsを基に計算。ここでの「アジア」は、先進諸国を含む東アジア・太平洋地域および南アジア。
  2. Asian Bonds Onlineのデータを利用。発行残高は、2017年6月時点の日本を除くアジア9ヶ国・地域の合計値(中国、香港、インドネシア、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、およびベトナム)。倍率は、比較可能な4ヶ国・地域(中国、香港、韓国、およびタイ)について、1997年6月時点との比較。

将来の課題

しかしながら、まだ重要な課題がいくつか残っています。今日は、証券人の集いという場所柄を踏まえ、自国通貨建て債券市場に関する課題に注目してみようと思います。

過去20年間で債券市場は大きく拡大しましたが、アジアでは、銀行借入が企業の主たる資金調達手段であることに変わりなく、株式や社債を通じた調達規模を上回り続けています(図表2)。

このように、企業が資金調達面で社債発行ではなく、銀行借入を選好する要因として、リレーションシップを重視するアジアの企業文化があげられるかもしれません。私としては、アジアにおいて、先進国の一部でみられるようなレベルでの直接金融中心の資金調達構造を実現すべきとは思っていません。むしろ、企業金融において資金調達手段の多様化は有益であり、銀行セクターがショックに見舞われた場合に備える意味でも、社債発行はそうした多様化に資する一手段であることを強調したいのです。

また、企業文化的な背景に加え、社債発行のコストが銀行借入よりも相対的に高いことが、企業が社債発行に積極的ではない要因の一つとして指摘できます。市場での取引が活発ではなく、換金性に劣る社債流通市場では、投資家は、流動性が劣ることに見合うだけのプレミアムを取引金利に上乗せします。このことは、発行市場にて、発行金利を押し上げることになり、発行体である国内企業から見て、銀行ローンの方が結局のところ安上がりになるということもあります。

従って、流通市場の効率性や流動性を高めていくことが重要です。アジア域内におけるこれまでの取組みは発行市場の拡大に寄与してきました。今後は、流通市場の発展により焦点を合わせていく必要があると考えます。

「アジア・ボンド・オンライン」のアンケート調査をみますと、債券流通市場の発展を阻害する何か特定の要因があるわけではありません(図表3)。このアンケートは、自国通貨建て社債市場の流動性を向上させる観点から8つの構造問題のそれぞれの重要度を評価したものですが、この3年間の調査結果をみると、各項目の重要度に対する見方に大きな格差はないものの、8項目の中では「投資家の多様性の向上」が最重要視されていることが窺えます。また、別の重要な項目として、「短期金融市場を通じた資金調達」も挙げられています。

この2つの項目について、もう少し敷衍してみたいと思います。まず、投資家の多様性の向上についてです。銀行依存型の金融システムでは、主要な社債投資家はしばしば銀行です。投資信託やヘッジファンドのように、頻繁に売買を行う投資家が乏しいことは、市場流動性が低い要因となります。ここで注意すべきは、単に国内投資家の規模を拡大するだけでは、市場機能を改善させるためには十分でないことです。アジア域内のように、債券の発行額に比べて投資需要が強い状況においては、少数かつ投資額の大きいバイ・アンド・ホールド型の投資家が投資を一段と拡大させると、市場で流通する債券が少なくなってしまいます。このため、異なる投資目的や投資戦略を有する様々な投資家を取り込んでいくことが重要となります。

次に資金調達についてです。この改善にはレポ市場の発展が必須です。レポ取引を使えば、カウンターパーティー・リスクを回避しつつ、キャッシュ調達が可能です。また、ディーラーにとってはマーケット・メイク活動を行いやすくなるほか、株でも債券でもそうですが、ロングのみならずショートポジションという両方向のポジションの造成も可能になり、市場での取引の増加に役立ちます。しかしながら、アジアの新興市場では、無担保資金調達が容易であるためか、多くの投資家はレポ取引を行う動機が高くなく、結果的にレポ取引量は限定的ないし小規模です。

ここまで、自国通貨建て債券市場を発展させる重要性を、外的なショックや厳しい環境に対する耐性の強化という文脈で議論してきました。そこで、以下では、もう一つの文脈として、本年の年次総会のメインテーマである「持続可能な未来を構築する」に関連するかたちで議論を進めたいと思います。

アジア新興地域においては、持続的な経済成長に向けて、インフラの不足が解消されなければなりません。アジア開発銀行の試算によると、インフラ不足を解消するためには、2030年にかけて毎年1.7兆ドルの投資が必要となります3。この規模の資金を調達していくことは、域内の各国政府、国際機関、そしてプロジェクトファイナンスに資金を提供している銀行にとって極めて難しいことだと思います。

インフラ投資のファイナンスにあたって、債券発行による調達は、銀行借入に比べて、いくつかの強みがあります。インフラ投資プロジェクトからの収益は、一般に、長期に亘って安定的なキャッシュフローを生み出します。このため、保険会社や年金基金といった、長期債務を抱えているがゆえに、長期資産の保有によって資産と負債の満期ギャップを縮めたい投資家にとって、インフラ債は魅力的な商品となります。また、債券発行者からすると、長期の固定金利債券の発行によって、先々の利払いを確定でき、短期で資金調達を繰り返すリスクや、将来の金利変動に備えて金利スワップ取引を実行する必要性を低下させるといった長所もあります。さらに、インフラ投資プロジェクトからの収益は自国通貨建てで発生することが通常でしょうから、個々の国において、インフラ債は前述の通貨ミスマッチの心配もありません。

  1. 3次の文献を参照。Asian Development Bank (2017). Meeting Asia's Infrastructure Needs.

中央銀行による取組み

次に、自国通貨建て債券市場育成にかかる中央銀行の取組みを紹介したいと思います。まず、各国の財務省と共に、ASEAN+3諸国の中央銀行はアジア債券市場育成イニシアティブに参加しています。このイニシアティブにおいて、中央銀行は、特に、クロスボーダーの支払・決済に関する議論に貢献してきました。

また、東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)という場があり、アジア太平洋地域の11の国・地域の中央銀行が参加しています。この会議は、域内における自国通貨建て債券市場の発展を企図して、2003年にアジア・ボンド・ファンド・プロジェクトを開始しました。同プロジェクト開始後、域内では、(1)非居住者に対する源泉徴収税の適用除外や、(2)上場投資信託に関する規制の枠組みの高度化、(3)外貨交換規制の緩和、(4)市場インフラの整備、(5)国際標準に沿った契約書類の導入、といった面で進歩がみられます。同プロジェクトが実施されていなくても、これらの改革は進んだかもしれません。ただ、少なくとも、同プロジェクトがそうした改革に好影響を与えた、とは言えるでしょう4

EMEAPに参加する中央銀行は、域内金融市場の現状分析を通じた理解向上にも一役買ってきました。2014年にEMEAPは、域内レポ市場の発展と課題を評価した報告書を公表しています5。先に述べたレポ市場の特性に加えて、中央銀行にとってレポは、金融調節の一つの重要な手段であり、金融政策効果の波及においても重要です。レポ市場の拡大や深化は、中央銀行の金融調節の機能度を高めることに繋がります。

レポ市場発展に向けて、個々の中央銀行は独自に様々な取組みを行ってきました。例えば、シンガポール通貨庁は、マーケット・メイク活動の活性化を目指して、証券レポ・ファシリティーを立ち上げました。マレーシア、インドネシア、そしてタイの中央銀行は、企業の財務担当者を含む市場参加者の間で、レポ市場の認知度を高めるプログラムを立ち上げています。この間、ほかの多くの中央銀行も、債券発行者や仲介業者と、レポ市場発展のために協働しています。

この間、日本銀行も、EMEAPでの議論に積極的に参画しており、アジア・ボンド・ファンド・プロジェクトや金融市場分析の面で貢献しています。現在、国際担当理事である前田が、EMEAPの金融市場ワーキンググループの議長を務めており、幾つかの取組みを主導しているところです。また、日本銀行は、メンバー中央銀行に対する技術協力も積極的に行っています。

  1. 4例えば、次の文献を参照。Mizen, P., and Tsoukas, S. (2014). "What Promotes Greater Use of the Corporate Bond Market? A Study of the Issuance Behaviour of Firms in Asia," Oxford Economic Papers, Vol. 66 (1), pp.227-253.
  2. 5「EMEAP 域内レポ市場の現状 ─ EMEAP金融市場ワーキンググループによる報告2014」(日本銀行抄訳)が日本銀行ホームページより入手可能(https://www.boj.or.jp/announcements/release_2015/rel150313c.htm/)。

おわりに:これからの20年に向けた取組み

本日は、自国通貨建て債券市場を発展させる重要性、それに向けた課題、そして中央銀行などによる取組みをお話してきました。同市場の深みや流動性が高まることの便益は多岐に亘るものです。例えば、その一つは、政府や企業に、自国通貨建てでより長めの期間での資金調達を可能にすることです。このことは、通貨や期間のミスマッチに起因するリスクを削減します。また、債券発行者にとって銀行借入以外の資金調達手段の多様化に貢献し、同時に、債券投資家にとって投資機会の拡大に繋がります。投資機会の拡大は、域内の潤沢な貯蓄を域内で投資して活用することを可能とし、今後、調達が必要なインフラ投資資金の一部を賄うことに繋がります。さらに、債券市場が、幅広い投資家層に支えられながら、発行・流通の両面で、機能度を高めていくことは、金融市場全体の効率性を高めていきます。このことは、マクロ経済政策運営にとって好ましいことです。

過去20年間、多くの有益な取組みがなされるもとで、アジアの自国通貨建て債券市場は発展してきました。同時に、今現在も様々な取組みが進行中ですし、これから先も、なすべきことが数多くあります。市場は相互作用の場なだけに、全ての関係者が各々の役割を果たすことが重要です。最適な結果を得るために、それに向けた主要な道筋と適切な順序付けを定めた戦略が求められます。金融市場のさらなる発展に向けて、当局と市場参加者による官民の協力が鍵となります。

ASEAN+3は、2010年9月にASEAN+3債券市場フォーラムを立ち上げました。このフォーラムは、取引慣行を標準化していくことや、国際的な債券投資に係る規制を域内にて調和していくための基盤です。このフォーラムには、メンバー国の当局および民間から専門家が参加しています。そこでは、このアジア証券人フォーラムのメンバーも活躍しています。こうした多種多様なメンバーからなる官民一体のフォーラムは、アジアの社債市場の発展という究極的な共通目標に向けた実務的な取組みです。

世界経済は回復を続け、金融システムは安定性を維持しています。前回の国際通貨金融委員会(IMFC)において、国際通貨基金の専務理事がグローバル・ポリシー・アジェンダの中で指摘した通り、現下の経済・金融情勢は、重要課題を克服していくための好機と捉えることができます。アジア域内の関係者は、金融市場の発展と深化に向けた努力を続けなければなりません。官民一体となって、こうした努力を続けることで、債券市場の発展に向けた諸課題を克服することができるでしょう。

かつて、アジア通貨危機10周年を迎えるに当たって、日本銀行にて開催されたシンポジウムにおいて、当時のマレーシア中央銀行のゼティ総裁は、アジア、特にASEANのトラたちは復調し、次の10年の経済的な繁栄に駆け出す準備を整えている、と指摘しました6。この指摘は実に正しかったと思います。アジア経済の発展は、多くの人々が予想していた以上に、力強いものとなりました。域内の経済統合は、グローバル・バリュー・チェーンの発展を通じて、その深みを増してきました。

今後20年を展望した時、アジア経済は、世界の経済発展の中心であり続け、そして経済統合がさらに進展することでしょう。こうした動きに呼応して、域内金融市場についても、さらなる発展と統合が追求されてしかるべきだと思います。これから20年経って振り返ったとき、アジアの金融市場が世界の主要な金融センターと同じくらいに、効率的で、流動性に富む市場に育っているものとの期待を申し上げて、私の話を締め括りたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

  1. 6次の講演原稿(英文)を参照。"Ten Years after the Asian Currency Crisis: Future Challenges for Asian Economies and Financial Markets," a speech at the international symposium hosted by the Center for Monetary Cooperation in Asia (CeMCoA) of the Bank of Japan on January 22, 2007 in Tokyo。日本銀行ホームページより入手可能(https://www.boj.or.jp/en/announcements/release_2007/index.htm/)。