【講演】わが国の経済・物価情勢と金融政策岡山クラブにおける講演
日本銀行政策委員会審議委員 中川 順子
2025年11月10日
1.はじめに
日本銀行の中川です。岡山クラブでお話する機会を賜りまして、誠にありがとうございます。本日は、日本の経済・物価の現状と先行き、日本銀行の金融政策運営などについてお話しし、その後、皆様から当地の実情に即したお話や、日本銀行の政策・業務運営についてのご意見など伺えましたら幸いです。
2.経済・物価の現状と先行き
(1)国内経済の現状
国内経済の現状は、一部に弱めの動きもみられるが、緩やかに回復している、との評価です。
企業部門
まず、企業活動です。
図表1をご覧ください。法人企業統計の2025年4から6月の経常利益(図表1左)は、全産業ベースでは、前年比+0.2%と既往ピーク並みの高水準を維持しています。製造業では、前年比-11.5%の減益となりましたが、非製造業では前年比+6.6%の増益で、既往ピークの高水準となりました。製造業は、これまでのところ本邦自動車メーカーが米国の関税引き上げに対して、その大部分を輸出価格の引き下げで吸収していることも影響しています。非製造業ではインバウンドを含むサービス需要をはじめ、価格転嫁の進捗もあって幅広い業種で堅調です。
企業の業況感(図表1右)にも同じ傾向がみられます。日本銀行の9月短観調査の業況判断DIでは、全体として良好な水準で、このうち非製造業はより良好でした。製造業は、前回6月調査の水準を維持していますが、これは、7月の日米関税交渉の合意により、先行きの不透明感が後退したことや、わが国に対する追加的な関税率が他国と比べて競争上不利な水準とはならなかったことが寄与しているものとみています。
図表2をご覧ください。実質輸出(図表2左)は、基調としては横ばい圏内の動きが続いていますが、本年入り後は関税の引き上げに伴う駆け込みとその反動の動きがみられています。主要地域別(図表2中)にみますと、米国向けで、自動車輸出に完成車メーカーのライン停止の影響もあり、7から9月は前期比-8%の減少となりました。一方で、NIEs・ASEAN等向けは、グローバルなAI関連需要が堅調であるもと、米国の半導体関税導入を見越した動きの影響もあり、増加しています。
企業による設備投資意欲は(図表2右)、関税政策による業績への影響や先行きの不透明感の中にあっても、維持されています。9月短観の今年度設備投資計画は、前年度比+10.3%と昨年度の同時期と同じで、高めの水準を維持しています。AI関連を含むデジタル分野の投資や省力化関連の投資需要、物流施設や都市再開発などの旺盛な建設需要が背景です。
家計部門
次に、雇用・所得環境です。図表3をご覧ください。雇用者全体の賃金総額である雇用者所得(図表3左)は名目ベースでは相応の増加を続けていますが、雇用者数より名目賃金の寄与が大きいことが最近の特徴です。消費者物価指数で実質化したベースでは、物価上昇率の高まりから前年比で概ね0%となっています。雇用者数は、人手不足感の強い情報通信や医療・福祉等を中心に増加しており、賃金の伸びには、春季労使交渉の高い賃上げ率や、好調な企業収益を受けた賞与の増加が寄与しています。
個人消費(図表3右)は、こうした雇用・所得環境の改善に支えられて、なお底堅さを維持していると評価しています。ただし、衣類などの非耐久消費財は、食料品価格の上昇により消費者の節約志向が強まるもとで弱めの動きが続いており、サービス消費についても、これまで緩やかな増加基調を続けてきましたが、このところ横ばい圏内の動きに転じています。
(2)国内物価の現状
国内の物価です。図表4をご覧ください。
物価関連指標(図表4左)は、賃金や物流費等の上昇による価格改定の動きが広がる中で、米などの食料品価格上昇の影響等から、高い上昇率が続いています。
消費者物価指数の除く生鮮食品・エネルギーの前年比について、注記にある政府施策等の影響を除いてその内訳(図表4右)をみますと、財は、コロナ禍後は、資源価格や輸入物価上昇などから大きく上昇しましたが、昨年後半以降は、食料品価格上昇の影響から再びプラス幅を拡大しています。長年、価格の動きにくかった一般サービスも、光熱費・人件費などの価格転嫁もみられるもとで、このところ外食や携帯電話通信料の値上げの影響からプラス幅を拡大しています。また、公共料金にも値上がりの動きがみられます。
こうした環境のもと、中長期的な予想物価上昇率は、全体としては、2%に向けて緩やかに上昇しています。ここ数年の上昇は過去と比べて大きな変化です。
3.経済・物価の先行き見通しとリスク
(1)企業・家計の経済活動の展望
企業・家計の経済活動の展望についてお話しします。
海外経済は、暫くの間、米国の関税引き上げの影響から、いったん減速しますが、その後は、徐々に成長率を高め、緩やかな成長経路に復していくというこれまで想定してきたメインシナリオには変更ありません。
日本の企業収益については、米国の関税引き上げによる輸出採算の悪化や、海外経済の減速の影響から、当面は、製造業を中心に高水準ながらも減少基調が続くとみています。その後は、海外経済の回復による輸出の増加や、実質賃金の上昇による個人消費の増加に支えられ、改善基調に復していくことを想定しています。
設備投資については、受注残高解消の動きや旺盛な省力化投資が支えとなりつつも、通商政策を巡る不確実性を背景に増勢は一旦鈍化するとみています。その後は、企業の業績見通しにかかる不確実性が低下するなかで、需要の増加に応じた能増投資など前向きな投資が活発となり、人手不足等による省力化投資も下支えするかたちで、増勢が強まっていくと考えています。
名目雇用者所得は、企業収益の減少に伴って増加ペースは幾分鈍化しますが、その後は、労働需給が引き締まった状態が続くもとで、収益の回復に合わせて、増勢が幾分強まっていくとみています。
個人消費は、食料品価格の高止まりに加え、企業収益の減少に伴う賞与の伸びの鈍化が下押し要因となりますが、今年の春季労使交渉や最低賃金の引き上げを受けた所定内給与の上昇が一定の下支えになり、横ばい圏内の動きにとどまる可能性が高いとみています。その後は、物価上昇の落ち着きにより実質雇用者所得の改善が明確になっていくことで、緩やかな増加基調に復していくと考えています。
物価の先行きについては、これまで消費者物価指数の上昇に大きく寄与してきた米などの食料品価格のプラス寄与が剥落していくことで、前年比の伸び率は落ち着いていくとみていますが、これまでの物価上昇には、企業による賃金・価格設定行動の積極化なども影響していると考えており、今後の企業行動を丁寧に確認する必要があります。
以上の展望には、省力化投資による一定の労働生産性の向上や、原油価格を含む交易条件が改善に向かうことなどを織り込んでいます。
(2)経済・物価の見通し
10月の金融政策決定会合で決定した「政策委員の大勢見通し」についてです(図表5)。
実質GDP成長率の見通しは、政策委員の中央値で2025年度は+0.7%、2026年度は+0.7%、2027年度は+1.0%で、前回7月展望レポートから概ね不変です。
生鮮食品を除いたベースの消費者物価の見通しは、政策委員の中央値で、2025年度は+2.7%、2026年度は+1.8%、2027年度は+2.0%で、こちらも前回7月展望レポートから概ね不変です。
2025年度の消費者物価の高い伸びは、先述(図表4)の要因が背景にあります。こうした上昇圧力は時間を経て減衰していき、前年比としての物価上昇率はいったん伸び率を下げるものの、賃金と物価が相互に参照しながら緩やかに上昇していくメカニズムは維持されると考えています。その後は、成長率が高まるもとで人手不足感が強まり、中長期的な予想物価上昇率の上昇とともに徐々に高まっていくと予想します。
(3)経済・物価の先行きのリスク
以上申し上げた経済・物価の先行きにはなお高い不確実性があります。私が注目するリスクについて、3点お話しします。
1点目は、米国経済の先行きです。近年、米国では、株高にも支えられた個人消費と大手IT企業による設備投資が、経済成長を牽引してきました(図表6左)。これには、企業の新陳代謝や生産性の高いセクターへの労働移動が生じたことや、移民の増加などが寄与してきました。消費者物価は、足元緩やかに上昇の動きがみられますが、これまでのところ、関税引き上げの影響はまだ限定的にみえます(図表6中)。今後、関税の影響が物価や経済活動により大きく表れる可能性や、政府部門の雇用の大幅な削減や移民政策による労働供給の減少が成長を下押しする可能性があります(図表6右)。これまで経済を牽引してきたAI関連投資の成長期待が修正されることによって、資産価格の大幅な調整や米国の景気が大きく減速する可能性にも留意が必要です。
2点目は、各国の通商政策等の影響です。例えば、先日の米中首脳会談は前向きな進展があったとみられていますが、中国がその技術力と競争力によって、米国以外の国々に向けた輸出を拡大させることが、これらの国の企業業績を押し下げ、海外経済、ひいては日本経済への下押し圧力となる可能性があります。一方で、関税交渉の合意内容や関税政策への対応策として、各国が拡張的な財政政策を実施することにより、想定よりも上振れる可能性もあります。
3点目は、わが国企業の賃金・価格設定行動と、それらが経済、物価に及ぼす影響です。既往の物価上昇に対応したわが国企業の価格改定の動きは、まだその過程にあるとみているのですが、これまでの経済・物価情勢のもとで、企業の賃金・価格設定行動は従来よりも積極化してきており、労働需給が引き締まった状況が続くとの見方が強まるもとで、見通しよりも賃金上昇やそれを販売価格に反映する動きが強まり、価格の上昇が、家計のコンフィデンスや予想物価上昇率に影響を及ぼす可能性があります。一方で、需要の弱まりなどにより、企業が販売価格に転嫁することが難しく、業績への下押し圧力からコストの削減の方に強く傾くことになれば、賃金に物価上昇を反映する動きが弱まる可能性があります。
4.日本銀行の金融政策運営
日本銀行は、これまで、緩和的な金融環境を維持し、経済活動をしっかりと支え、2%の物価安定の目標を持続的・安定的に実現することを目指して政策金利を調整してきました。現在は、本行の物価・経済の見通しをもとに、政策金利である無担保コールレート・オーバーナイト物を、「0.5%程度」で推移するよう促す金融市場調節方針です。
また、バランスシートの縮小に向けた取り組みも進めています。国債については、昨年の夏以降、長期金利は金融市場において形成されることが基本であるとの考え方のもと、国債市場の安定に配慮した形で市場機能の改善を進めていけるよう、買入れ額を段階的に減額しています(図表7)。本年6月の決定会合で、原則として月間の買入予定額を、2026年1から3月期までは毎四半期4,000億円程度ずつ、2026年4から6月期以降は毎四半期2,000億円程度ずつ減額し、2027年1から3月期に2兆円程度とする計画を決定しました。2027年4月以降の国債買入れ方針については、2026年6月の決定会合において検討し、その結果を示すこととしました。本年9月の金融政策決定会合では、ETFおよびJ-REITについても、市場に攪乱的な影響を与えることを極力回避する観点から、ETFは簿価で年間3,300億円程度、J-REITは簿価で年間50億円程度のペースで売却することを決定しました(図表8)。
今後の金融政策運営は、現在の実質金利の水準を踏まえると(図表9)、日本銀行の経済・物価の見通しが実現していくとすれば、経済・物価情勢の改善に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになると考えています。
日本銀行としては、各国の通商政策等の影響を巡る不確実性がなお高い状況が続いていることを踏まえつつ、今後把握できるデータや情報を、引き続き丁寧に確認し、適切に政策を判断してまいります。
5.最後に
日本銀行岡山支店が事務局を担っている岡山県金融広報委員会では、くらしとおかねに関わる大規模講演会や県民向け講座「知るぽると塾」を開催しているほか、県内の小・中・高等学校等の中から「金融経済教育研究校」を指定し、当該校における金融経済教育の取り組みをサポートしています。今後、金融経済教育推進機構や関係者の皆さまとの連携・協力をより一層進めることで、岡山県における金融経済教育の推進に努めてまいります。
ご清聴ありがとうございました。
